はてなキーワード: 鬱屈とは
東京郊外の古びたアパートの一室、安物のカーテン越しに差し込む薄暗い朝の光が、増田の部屋の埃を照らしていた。彼は毎朝のように同じ位置で目を覚ます。狭いワンルームの真ん中、敷きっぱなしの布団の上で、天井をぼんやり見つめる。鏡に映る自分をふと眺めて、いつものように思う――「俺の黒髪だけは、まだ若い頃のままだな」。
増田は中年の独身男だ。職場では大きな声を出すでもなく、存在感を示すわけでもない。それでも与えられた仕事をこなし、なんとか会社にしがみついている。「弱者男性」などという言葉が世間を騒がせる中、自分がそのカテゴリに含まれているのだろうという漠然とした確信が、増田の胸にはあった。
黒々とした髪だけが、彼の数少ない取り柄だった。四十を過ぎても白髪ひとつなく、毛量も多い。だが、その黒髪が彼に特別な幸福をもたらすわけではなかった。むしろ時々、そんなものを持っている自分が滑稽に思える。周囲の視線を気にして美容室に行くのも億劫で、伸び放題の髪は重たく、まるで彼自身の人生のように鬱屈していた。
ある日、職場のランチルームで、同僚たちがアイドルの話題で盛り上がっていた。増田は黙ってその場にいるだけだったが、不意に後輩の女性社員がこう言った。
「増田さんの髪、すごく綺麗ですね。何かケアとかしてるんですか?」
増田は一瞬、言葉を失った。こんなにも普通の言葉が、胸の奥をかき乱すものなのか、と驚いた。
ぎこちなく返したその声には、僅かな照れが混じっていた。彼女は「あ、そうなんですね」と笑い、話題はすぐに別の方向へ移った。だが、増田はその一言をずっと反芻していた。
――俺の髪を褒めるなんて。
その日、帰宅後、増田は久しぶりに鏡をまともに見た。そこに映るのは、不機嫌そうな顔と、分厚い眼鏡と、くたびれたシャツ。それでも、確かに黒髪だけは、未だに光を帯びていた。
「何もない俺だけど、この髪くらいは…まあ、悪くないか」
小さく呟いたその声は、薄暗い部屋の中で吸い込まれた。そして、増田はその夜も変わらぬ日常の中で眠りについた。黒髪が、枕に広がる静かな波のように彼を包み込んでいた。
これは夜に発作的に書きたくなったポエムなので苦手な人はリターンして欲しい。文章も書きなれてないから読みにくいと思うが吐き出したいだけなので勘弁して欲しい。
アナ。突然思い出した。本名はリン。本名を聞いたのは出会って半年経った頃だった。
俺は一時期自暴自棄になっていた。理由は特になかったが30代になり人生のコースが見えてきた頃未来に希望が持てず貯金を使い果たして死のうと思っていた。
と言っても音楽くらいしか趣味がなく、大きな買い物をするでもなく、なんとなく贅沢なご飯を食べたり良い服を買ったりしながら、300万あった貯金を100万円ほどまで減らした。パーっと使って気持ちよく死のうと思っていたが、そんなお金の使い方をしてもあまり達成感はなかった。
そんなときに、近所にチャイエスがあるのに気づいた。チャイエスというのはチャイナエステ、中国人や東南アジア系の女性が洗体をしてくれたりマッサージをしてくれたりする所だ。それ以上の性的なサービスはあったり無かったりする。
俺は風俗には行ったことがなかったしいわゆるメンズエステやチャイエスというのは存在こそ知っていたが未知の世界だった。グレーゾーンでアングラな雰囲気は自分にとっては普通の風俗よりも刺激的な気がして、鬱屈とした生活の中でいい意味で異物になりそうだと思った。予約もせず飛び込んでみた。
雑居ビルにある一室の呼び鈴を押して出てきたのは見た目20代くらいの女の子。キャミソール姿で、見た目は水原希子に似ていた。
コースは90分1万円。マッサージにしては高いのかなと思ったがまぁ露出の多い女の子がマッサージをしてくれるわけだし何よりお金なんてどうでもよかった。
部屋は広いフロアをベニヤの壁で区切ったような個室。間接照明だけの薄暗い空間にマットレスだけがある、
そこで服を脱ぐように言われお風呂場に通される。
お風呂場にはベッドがある。明るいお風呂場で見るとハッキリした顔立ちに意志の強そうな目が印象的だった。
そこで体を洗ってもらいながら、色々話しかけてみた。日本語はたどたどしいながらも簡単な会話くらいはできるようだった。名前はアナ。ベトナム出身。日本に来て半年。31歳。日本の冬は寒い。最初はそんな程度だったと思う。
個室に戻りマッサージをしてもらいながら話を続ける。
ベトナムの事は高校世界史と地理レベルの知識しかなかったのが興味があったので色々聞きたいと思った。スマホでGoogle翻訳の世話になりながら、何という街で生まれたのか、好きな食べ物は何か、聞いてその都度検索して画像を確認した。後から聞いたのだがそんな事をするお客さんは珍しかったらしく印象的だったらしい。日本人みんなエッチだよ、そのために来るよ、なんて言っていた。
性的なサービスはあった、といってもその日は手だけだったが。それよりも外国の女の子から現地のことを聞くというのはなかなかない体験だったので面白いと思ったし、よく喋ってくれる子だったのと顔が綺麗だったので俺はチャイエスが気に入った。
ほどなくしてまたその店に入った。今度はアナの名前で予約をして。
アナは笑顔で迎えてくれた。風俗とか水商売とか、それまでは偽りだらけの世界で言葉も笑顔も全て作り物で無意味だと冷めた目で見ていたのだが、目の前で笑ってくれると正直嬉しいものだ。
また体を洗ってもらい、マッサージを受ける。
今度は名前を聞かれた。たつや。発音が難しいらしく、たちゅや、になる。
たちゅやは結婚しているのか、何の仕事をしているのか。スマホの翻訳を通しながら会話をする。
俺も質問をする。
何のために日本に来たのか。お金を稼ぎたかった。最初はレジ打ちをしていたが稼げないからツテでこの店に入った。元々エステや美容に興味がある。お金を稼いだらベトナムで自分のエステ店を持ちたい。
実家はどんなところか。農家。たくさん兄弟がいる。チャイエスで稼いだお金を仕送りして家を建てた。
俺は美容に興味が強くスキンケアもわりとしていたのでその話で打ち解けた。何度も店に通うようになった。
何度目だったか忘れたが、特別サービスだと言って服を全て脱いでくっついてくれるようになった。くっつきながらかなりプライベートな話も聞いた。最近ゲームで知り合った彼氏ができた。彼氏は優しくベトナムのご飯を送ってくれたりする。いつか結婚するかもしれない。
話したことを書き出すとキリがないので強く印象に残ったことだけ書く。
お店に通いだしたのは夏だったが、その頃にはもうコートが必要になっていた。アナは来年にはベトナムに帰るつもりだということだった。
でも、帰ったあとどう生きていけばいいかわからない、地元ではみんな20歳くらいで結婚して子供を産むのが普通だ。私はもう31歳で、稼いだお金は仕送りをして、結婚もしていなくて、普通の人生を送れる気がしない。普段は明るく喋ってくれるアナが曇った顔で話していた。
外国に来て体ひとつで稼ぐこと。辛くないわけがない。しかし散々今までアナを買っておきながらそんな偽善的なことを思う自分が嫌になって考えるのをやめた。
春になって、アナはベトナムに帰る日を決めた。その頃には仄かにアナの事を好きになっていた。アナは全裸になって俺とくっつきながら、今まで一度も他の女の子の事を指名しなかったよね、たくさん話をしてくれてありがとうと言った。
最後にアナに会った日、マッサージの前に国外に出るために必要な書類のことを聞かれた。手続きの事がよくわからないらしい。見るとどうやら仲介人のような人物がいてチケットを手配してくれているようだったが、色々印刷して持っていくものがあるようだった。
アナのスマホにデータはあるようだったので、エアドロで俺のスマホにそれを送ってもらい、服を着て一緒に近くのコンビニでプリントをした。ついでにご飯を買って個室に戻り一緒に食べながら話をした。俺はアナと離れたくなかったし連絡先を聞きたかったが、ベトナム人はLINEでなく他のチャットツールを使っているらしく、Facebookだけを交換した。
色々ありがとう、じゃあね。と言ってドアを閉められる。
もっとドラマチックな別れを想像していたが、いつも通りの終わり方だった。
当然、その後アナとは会っていない。一度だけFacebookで「元気にしてる?」とメッセージをベトナム語で送ってみたが返事はなかった。
しばらくして一度その店を訪れてみたが、中国人の女の子とほとんど会話もせずマッサージと手だけのサービスをしてもらい、何も得られなかった気がして二度とそのお店に行くことはなかった。
顛末だけ書けばよくある話で、愛想のいいベトナムの女の子と都合のいいお客さんの関係が終わっただけのことだ。自分でもよくわかっている。
でもふとあの時は楽しかったなと今でも思い出すし、いつかベトナムの中でも田舎だというその街を見てみたいなと思う。
見た目はモデルのような綺麗な女の子なのに、たちゅやは川の蟹食べたことある?昔は川でよく蟹を取って食べてたよ、なんて言うギャップも好きだった。
俺は、今でも死にたい気持ちに囚われている。何も変わっていない。
以上だ、つまらない話でごめん。
2024年11月2日 syrup16g「遅死11.02」@日比谷野外音楽堂
天候的に新幹線が遅れるかもしれないと思って早目に乗ったは良いけど途中で止まってしまい新幹線の中に閉じ込められる等のアクシデントがありつつも何とか辿り着けたまでは良かったけど、野音の最寄り駅に着く前にトイレ行っておこう〜って思ったら駅で迷って到着がギリギリになるポンコツ振り。そして帰りも新幹線遅延で1時間半デッキに立って帰りました…(少しでも早く動き出すのに乗って帰らないと家に辿り着けない為)まぁ無事にライブが観れてその日の内に帰れたので結果オーライ。
雨に関しては始まる前が一番ピークだったかも。公演始まったら割と気にならないレベルで観れた。でもこれはRSRで揃えた雨具が大活躍してほぼ濡れずに済んだ(手のひらがちょっと濡れたぐらい)お陰もあるかも。大荷物になったけど雨とか寒さは全然気にせずにライブに集中出来たから色々持ってきた甲斐があった。
席は五十嵐さん寄りだったので五十嵐さんと中畑さんがよく観えて頑張ればマキさんも観える感じ。なので今回は沢山五十嵐さんを観ました笑
以下、曲の覚え書きと感想。
·2曲目前頭葉。前頭葉、普通に音源として聞く時はそうでもないけど笑 ライブで聴くとめちゃくちゃカッコ良いんだよなぁ。ギターソロ完璧に近くてすごい(って言うのも失礼だけど)
·4曲目 もういいって。もういいっては音源発売当時に鬱屈した気分の時によく聴いててその思い出が脳裏を過る。あの時はまだ若かったなぁ…。ギターがめちゃくちゃ良い。ラストの所もういいって〜の所中畑さんが歌ってなかった?記憶違いか…??
·5曲目 翌日。やっぱ美しいメロディだよなぁと思いつつ聴いてた。晴れてたらもっと美しかっただろうなぁ〜!!中盤に持ってくるの珍しい気がする。中畑さんのハモリが美しい曲。
·6曲目 生活。始まり方で生活だなと分かった笑 定番曲なので個人的にお腹一杯な感じだけど、何やかんや聴くとテンション上がる曲。ソロが完璧ですごい(?)
·7曲目 真空。真空も定番曲だけどドラムがカッコ良いんだよなぁ〜!!あとベースの入りがいつも激カッコ良いです。中畑さんのロックンロールー!!とイェイェイェイェ〜!!でテンション上がらない人いない説を唱えます。
·8曲目 Breezing。珍しい曲だからちゃんと聴かなきゃ!!と思ったけど気付いたら終ってた…笑
·9曲目 エビセン。エビセン初めて生で聴いた気がする。照明が紫のうねうね(?)したやつで綺麗だった。あとメロディがめちゃくちゃ美しくて今回聴けた中でも上位に入る良さだった。エビセンの中畑さんのハモリ良すぎる…!!この曲聴けただけでも元取れたなと思う。
·10曲目 明日を落としても。明日落としても大好きなので野音で聴けて嬉しい。いつ聴いても名曲。ベースがアレンジしてあってマキさんがそう言う工夫をしてくれてるのが嬉しい…。
·11曲目 赤いカラス。赤いカラスも好きだから嬉しい。(僅かばかりの未練に)「しがみ付いてみたのです」って歌詞変えてた。もしかしたら普通に間違えてただけかもだが…笑 この歌詞、再始動前の五十嵐さんって感じがして聴く度に胸がぎゅっとする。ラストの所のドラム最高に好き!
·12曲目 I Hate Music。この曲も初めて生で聴いたかも。中畑さんのハモリが美しい!!あとベースが素晴らしい!!やり慣れてない曲だけどかなり良い感じだったしまたの機会に是非やって欲しい一曲。
·13曲目 In My Hurts Again。まさかレミゼの曲でこの曲を持ってくるとは…!!でもレミゼの曲聴けて嬉しい。この曲の照明綺麗だったなぁ。レミゼの曲もっと積極的にやって欲しい!!!
·14曲目 変拍子。この曲野音で聴けてめちゃくちゃ嬉しい!!「分かりあえた日々が眩し過ぎて見れないだけ」って歌詞、本当に好き…。ギターソロもめちゃくちゃ良かった…。本当やってくれてありがとう…。
·15曲目 光なき窓。この曲も野音で聴けて嬉しい〜!!照明もすごく素敵で天気が良かったら最高に美しかっただろうなぁ…。「そばにいてくれ ふらっと隣に」って歌詞が大好きなので聴けてじーんとした(この感想書いた後に中畑さんのポストが流れてきたのだがそれに影響されたとかではないです!!私の方が先に感想書いてた!!と言う謎の主張をしておく笑)あとドラムが曲に寄り添ってる感じがして好きなんだよなぁ…。アウトロの部分が美し過ぎる…。この曲終わった時点で1時間半ぐらいはやってたんだけど本当にあっという間でマキさんがベースおろして手に持ってそのまま去っていったの見て後ろの人が「えっ?(早くない?)」って声出してて気持ち分かる〜!!ってなったし私も「早っ!?」って思った笑
E.N 1曲目はSonic Disorder。マキさんが最初に1人で出てきてベースを弾き出して中畑さんが出てきて、最後に五十嵐さんが出てくる構成だったんだけど五十嵐さんが出てきた時にマキさんに「わ〜(両方の手のひらをひらひらさせて皆注目〜!って感じの動作)」ってしてから手拍子煽ってた。そしてこの曲が走る大きな要因は中畑さんのドラムだな〜と改めて感じるなど笑 ソニックでぐわって入ってくるベース本当大好きだしマキさんがこの日いち激しくノッてた感じがした。
E.N2曲目は神のカルマ。アンコールの流れ、定番過ぎる!!笑 でも大好きな曲なので結局は嬉しいと言う…笑
E.N3曲目は落堕。五十嵐さんがハンドマイクで前まで出てきて「結構降ってる〜」ってヤンキー座りしながら言ってるの笑った。あれカメラにアピールしてるのかと思ったけど違ったのかな?(遠巻き過ぎてよく見えなかった…)そのままギター弾かずにドラムとベースに合わせて歌ってた。「寝不足だって言ってんの」の所で客席にマイク向けててお客さんの声に「ありがとう」って言ってて何かじーんとする。この日今までライブ行ってきた中で初めて「寝不足だって言ってんの」って叫んだ笑(今まで一回も叫んだ事なかった)記念的な気持ちも込めて。落堕も飽きる程聴いてるけど本当〜に演奏がカッコ良い!!特にドラムとベース!!最高です。
E.N4曲目はcoup d'Etat〜空をなくす。ド定番とわかっていながらも嬉しい笑 ベースもカッコ良いしドラムもカッコ良いしリズム隊がとにかく最高なんだよなぁ…。そう言えば照明がポケモンフラッシュじゃなかった気がする…。
WE.NでReborn。出てきた時に中畑さんが前まで出てきて隅から隅まで歩きながら全方向に挨拶してて暖かい気持ちになった。
Reborn、昔程は特別視してない曲だけど、やっぱり私の中で武道館の演奏が一番心に残ってて、その後何度も聴いてきたけど、この日の野音でその悲しい記憶を塗り替えれたような感覚がしている(生還の時も感動したけど、あれはシロップとしての演奏だったかと言われると個人的に複雑な気持ちなので…)今のシロップが鳴らしてくれたRebornをようやく手に取れた感じがした。悲しみではなく希望を鳴らした音楽を。
以下MC覚え書きと雑感想。ニュアンスなので所々間違ってると思われます。
·五十嵐さんの第一声が「(雨で)ごめんね〜」なの、やっぱ気にしてるのか〜って思った。その後も何度もごめんねって言ってたけど皆シロップの音楽が聴きたくて集まってるので気にしないで演奏してくれ〜と思っていた。
·「よく来た、よく来たね」って言ってくれる中畑さんLove…。「こんなバンドを観に来たばっかりに…笑 皆大変ね〜。この後、雨強くなるみたいだけど笑 無理せずね。最後まで楽しんでってくれたら嬉しいです。こっちは無理してもやるので。」
·五「(客席を見て)野戦病院みたい」「楽しい時間にしたかったんだけど…今も楽しいんだけど💦」って焦ってて笑った。
·五「(明日を落としても終わりで)辛いことばかりって…ねぇ…辛いのはこっち(お客さん)だよって…(少しの沈黙)…すみませんでした…」って自己完結してて笑った。こちらは好きで来てるので大丈夫です!
五「雨弱まってきたんじゃ…?ねぇ…」
中「前に出てみれば分かるんじゃない?笑」
五「あ、そ、そうね…失礼しました…」って五十嵐さんに対してちょっと鬼畜な中畑さん笑う。
·何の曲か忘れてしまったけど、足を蹴り上げる五十嵐さん新鮮過ぎる。定番(?)の左足も上がってた。
·曲が途切れるとこまめにベース拭いたり捌ける時は必ず手に持って捌けていくマキさん、楽器大切にしてるんだなって思ったと同時にやっぱステージ側に雨かかってるのかなと心配になった。
·今年初めてのワンマンライブ…と言うか今年はこの一回だけなんですけど…ってのに笑い起こってたし私も笑った。また来年会いましょうって言ってくれたので期待して待ってます!!
·照明が明るくなると雨が照明に照らされてこちらから観てる分には綺麗だったけど、風の向き的にステージ方面に割と雨流れてる様に見えたのどうだったのかな?濡れたりしてないと良いけど…。
·最後全員で前に出てきてお手振りしてたけどマキさんが何回かお手振りして「これ(終わり方)どんな感じ…?」的な風に2人の動向見てたけど他の2人は全く気にしてない感じでずっと手を振り振りしてて可愛かった笑
·途中、雷ピカピカ·ゴロゴロしてて色々な意味で貴重な体験だったし、雨の中で演奏するシロップ幻想的で綺麗だったな。滅多に観れない光景だし。ダイマスさんが言うように伝説の一日になった気がする。良くも悪くも記憶に鮮明に残る野音になった。
·中畑さん、シロップのライブについては終わった後に必ずXなりインスタなりで気持ちを伝えてくれるので嬉しい限り…(もしかしたらファンの気持ちに応える為にやってるかもしれないけど)シロップの事を大切にしてくれてるんだなと思えて嬉しい気持ちになる。
あと近年一番嬉しい事はマキさんとシロップとの距離がぐんと近付いた感じがしてるのを体感出来てる事で。昔は一線引かれてる感じがしてたけど今はsyrup16gのメンバーでいてくれてるのがちゃんと伝わってくる。私の思い込みかもしれないけど。バンドの暖かい空気ってこの事も大きく関係してると個人的に感じてます。本当にそれが嬉しい。
正直、個人的に遅死や野音に関してそこまで思い入れないけど3人だけで野音で演奏する姿が観れたのすごく嬉しかったな。あと今回、五十嵐さんのギターが全体的にすごく良くてそれが野音で聴けたのも嬉しかった。今回、今の身体的に雨の中でライブを観ると言う行為に不安がなかった訳ではないけど、行きたいと思ったライブには少し無理してでも行くと決めたので行って本当に良かったと思っている。あの時行っておけば良かったなってこの先思いたくないので。
·服装→足元はロングの長靴(折りたたみ式で荷物のコンパクト化をはかる)雨が酷そうだったのでレインスーツ(小雨だったらポンチョにしようと思って持っていったが今回は出番なし)フードだと音の聞こえが若干悪くなるのでレインハット、寒そうな予感がしたのでレインスーツ内にウルトラライトダウンを着込む。この仕様で寒さ·濡れ共にほぼなし且つライブに集中する事が出来た。大荷物にはなったけど、どれも持っていって損はなかったので持っていっただけの価値はあったなと思う。
·荷物→ゴミ袋に全てを突っ込んで足元に置いておく。ゴミ袋は2重に出来るとなお良い。会場に向かう前に駅の構内で濡れたくない荷物はとりあえずゴミ袋等に突っ込んでおいて席に着いてから完璧にすると全く濡れずにすむかも。
1.クロール
2.前頭葉
3.Heaven
4.もういいって
5.翌日
6.生活
7.真空
8.Breezing
14.変拍子
15.光なき窓
E.N
1.Sonic Disorder
2.神のカルマ
3.落堕
4.coup d'Etat〜空をなくす
E.N2
1.Reborn
7年勤めた会社が斜陽気味で、昇給も昇格もなさそうだったので、30代になる前、コロナ禍を機に思い切って転職。結果、運も味方して晴れて昨年からいわゆる中間管理職的なポジションになった。
しばらくは少し上がった給与を無邪気に喜んでいたが、ここ最近はしんどさや孤独感が強い。
ざっくばらんに書くと
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・同じ職位だった人たちと、今までのように話せなくなった…上司として接されることに慣れない
・今までフォローされる側だったが、フォローする側になったので、部下の仕事やメンタルのケアを行うための仕事が増加
・メンタル以外も、健康問題、上の方針の文句などガス抜きや対応が必要なこと多数
・上位レイヤーが説明不足なので、その橋渡しをするために色々奔走
・方針決定や判断を求められる仕事が増えたので、具体的な成果が見えづらい
・上から降ってくる方針が抽象的すぎるので、それの咀嚼と具体化と認識合わせからのメンバーへの指示と、やることが多い
・ひとつ下の職位も頑張ってくれているものの、それらの取りまとめしつつ、足りてないところのフォローをやる必要がある
・けど人手不足なので、平だったころのタスクはそんなに減ってない
-----
という感じ。
中途採用なので同期なし。会社のマネジメント研修は制度説明ばかり。上司からのフィードバック薄め。愚痴の一つもこぼしたいがそれも難しい…。部下に愚痴るわけにもいかんし、上司は忙しいし、社外の友人はそう何度も会える訳ではないし…。
幸い、先日行われたリーダーシップサーベイでは、部下の人たちからの評価は高かったし、部下には恵まれていると思うが…この形、続けられるのだろうか。しんどさと共にボロがでそう。更に、手本がないので、もっといいやり方があるのでは、と日々悩んでいる。自分がして欲しいこととか、フィクションの見よう見まねとか色々やってはいるが…。
喉の奥の方にここしばらくモヤモヤとした、鬱屈とした淀みが溜まりつつあって、発散できずにいる。趣味はあるし、それはそれで楽しいが、むしろしんどさ故その楽しさから脱した時が辛い。感覚的には一時凌ぎ。
中間管理職は大変、と言われる昨今、他の人と比べると楽な可能性もあるが…わからん、全くわからん。「こんなん甘い甘い」ってことならごめんなさい…精進します…。
多分、元々大きめな承認欲急も悪さしてるかも?大なり小なり「頑張っている」とか「よくやっている」と言われたいのか?ダメならダメで、やはりフィードバックが欲しい…。
世の中の中間管理職は、果たしてどうやってこれを乗り切ったり、ガス抜きしたりしているのだろうか?(承認欲求に関しては自分の性質だとして…)
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[追記]
いつのまにかすごいことに…想像以上に反響があってビビり散らかしています。こんな雑多な愚痴にコメントありがとうございます。
共感やアドバイスなど、どれもこれも自分にとっては為になるコメントで、読んでて心があたたかくなりました。また、色々と足りていないこと含め、気づきも多くありました。
何にしても、もらったアドバイスは可能な範囲で実行してみます。気構えは心の内に。何より、久しぶりにきちんと褒めてもらえて、澱みがマシになりました。ありがとうございました。
これだけ娯楽が発達した世の中で結婚するメリットを感じられない。
ましてや資産的に明らかな格下相手と結婚するより、独身を貫いたまま自由に生きた方がマシなのではないかと思う。
今のご時世。結婚って高収入でもなく家が太いなどで余裕が多分にある人間の道楽のようにも思える。
そりゃみんな結婚なんかしないよね。
旧帝大卒
年収600万+α
実家は並
まぁ、1人で生きていく分にはそれなりと言ったところでしょうか。
同棲歴5年の彼女がいるが、本当にコイツでいいんだろうか、1人で生きてた方がいいじゃないかと悩み続けて頭がおかしくなりそうだ。
稼ぎは女性平均並み、実家は並。世間的に見ればお似合いなんだろう。
詰まるところ資産的にメリットをもたらすわけでもこちらから与えられるわけでもない持ちつ持たれつ。
自身の幸福と確率論だけに当てはめるならば、資産的価値の高い相手にチャレンジし続けて、ダメでもまぁそこそこの余裕がある人生を選択するのが最適解なんだろうなと考えるわけ。
あぁ、しかしめんどくさい。だが、
惰性で結婚すればこのままパッとしない人生を漫然と苦しみながら生きるくらいなら夢を追って敗れて果てたいのだ。
ああ、しかしめんどくさい。全てがめんどくさい。考えることすらめんどくさい。
これだけ娯楽が発達した世の中で結婚するメリットを感じられない。
ましてや資産的に明らかな格下相手と結婚するより、独身を貫いたまま自由に生きた方がマシなのではないかと思う。
今のご時世。結婚って高収入でもなく家が太いなどで余裕が多分にある人間の道楽のようにも思える。
そりゃみんな結婚なんかしないよね。
旧帝大卒
年収600万+α
実家は並
まぁ、1人で生きていく分にはそれなりと言ったところでしょうか。
同棲歴5年の彼女がいるが、本当にコイツでいいんだろうか、1人で生きてた方がいいじゃないかと悩み続けて頭がおかしくなりそうだ。
稼ぎは女性平均並み、実家は並。世間的に見ればお似合いなんだろう。
詰まるところ資産的にメリットをもたらすわけでもこちらから与えられるわけでもない持ちつ持たれつ。
自身の幸福と確率論だけに当てはめるならば、資産的価値の高い相手にチャレンジし続けて、ダメでもまぁそこそこの余裕がある人生を選択するのが最適解なんだろうなと考えるわけ。
あぁ、しかしめんどくさい。だが、
惰性で結婚すればこのままパッとしない人生を漫然と苦しみながら生きるくらいなら夢を追って敗れて果てたいのだ。
ああ、しかしめんどくさい。全てがめんどくさい。考えることすらめんどくさい。
本当になんとかしたい。好奇心のせいで無駄な不快に何度も出くわしている。
見るアカウントはフォローとリストだけ。他は見ない。と決めた時もあった。1週間か10日くらいはそれでうまくいっていたこともある。
でもそのうちに「最近見てないあのアカウント、今どんなこと言ってるかな」と余計な好奇心が顔をだす。フォローにもリストにも入れてないけど名前だけは覚えているいくつかのアカウント。つい検索して見つける。見る。そこから派生してRT(RP)経由であっちもそっちもどんどん見る。
そんな風にTwitter(X)を見ていると不快文言に出くわすことがある。
その不快を薄めようとして更にTwitter(X)を見漁る。だらだらとスクロール。別のアカウントをタップ。スクロール。そこに特に気が晴れる言葉があるわけでもないのに、だらだらとスクロール。
脳に文字群を流し込んで不快を麻痺させようとしているのだと最近になって気が付いた。
そんな風にしているとまた新たな不快文言に出くわす。不快①の上に不快②が上塗りされて、①は少し薄まった気がするが今度は②を薄めようとして更にだらだらとスクロール。タップ。スクロール。繰り返し。
文字群流し込みたいならちゃんとした本を読めばいいのに、Twitter(X)で受けた不快はTwitter(X)でしか癒せんと思っているのか。これは癒しなのか。それもわからないまま、意地のように見続けて時が過ぎる。そして数時間後「こんなに時間を無駄にした……」と、Twitter(X)の不快とはまた別の鬱屈が湧いてくる。こんなのが癒しのはずがない。
こんなことが何度もある。うまいこと不快を見ずに済む何ヶ月かを挟みながら。
なんかギャンブルの損をギャンブルで取り返そうとしてる人みたいだな。お金じゃなくて時間と精神の何かが減っていく。
好奇心。あった方が人生は楽しいのかもしれないが、少なくともTwitter(X)で好奇心を発揮しても良い結果にはならないとこの数年で私は学んだ。なのに好奇心でTwitter(X)を見る。不快文言を見る。そこで画面を消せばいいものを、
「この発言だけ見ると不快だけど、でも誤解かもしれない。他の発言を見ればそうでもないのでは?」
と、また要らん好奇心を発揮してその人のホームを見る。スクロールスクロールスクロール。また不快に出くわす。それを麻痺させるためにまた別のアカウントを開く。スクロール。やめたいと思いつつやめられない。やっと気が済んだ頃には何時間無駄にしたかわからない。ほんと依存症。辛い。
無駄で余計な好奇心が私をTwitter(X)に引きずり込んでいく。
時には「捨て垢作ってこんなこと言ってる奴に意見してやろうか」というゴミみたいな誘惑すら頭に浮かぶ。でもそれだけは絶対にやらない。そんなことしてもろくなことにならないのはよく知っている。
そんな思いをしていてもなおやめられないTwitter(X)。
やめたい。いや控えたい。Twitter(X)も全部が不快なわけじゃない。情報を拾うのに便利な面もある。上手く使って沈み込まないようにしたい。
このアカウントみてみようという好奇心に抗う強い意志が欲しい。
難しい。
ああああああああついっとぺーんがあった頃は良かったな!!!
私は幼い頃から恵まれた環境で育ち、生活に困ることは一度もありませんでした。資産家の家庭に生まれ、世間的には「成功」や「幸せ」を象徴するものが揃っています。年収700万円という安定した収入、貯金3000万円という経済的な安心。しかし、私の心の中にはずっと一つの違和感がありました。「私はどうして女性の体で生まれてきたんだろう」という問いです。
なぜ、私は弱者男性に生まれたかったのか。それは、社会の下層に位置する「弱者男性」たちの存在に、何かしらの自由や純粋さを感じるからです。彼らは社会の中で困難を抱え、生きづらさを感じているかもしれませんが、少なくとも彼らは「強い性別」の期待に縛られていません。彼らが経験する苦しみや不満は、自分自身で選択する余地があると感じます。
対して、私の人生は「成功すること」が前提にされており、そのプレッシャーに日々押しつぶされそうになります。周囲からは「女性としての成功」や「社会的な役割」が期待され、その枠組みの中で自分を見失うことがしばしばあります。そんな時、私は弱者男性としての生き方に、一種の憧れを抱いてしまうのです。
私は、物質的には何も不足していません。それどころか、過剰なほどに恵まれているともいえるでしょう。でも、恵まれた人生にはそれなりの代償があります。常に「成功して当然」「失敗してはいけない」というプレッシャーにさらされる日々。そして、私が望む人生の選択肢はどこか狭められているように感じます。
弱者男性は、社会的な「敗者」として見なされることが多いですが、その「敗北」にはある種の解放があると感じます。弱者男性であれば、社会的な成功や期待に縛られることなく、もっと自由に自分の感情や欲望に従って生きることができたのではないかと思うのです。彼らの持つ社会への不満や鬱屈した感情に、私は逆に共感し、自分の理想と重ねてしまいます。
私は女性として、社会から多くの期待を背負わされて生きてきました。結婚、出産、女性らしさ、そしてキャリア。これらすべてが私の人生を彩るものであるはずですが、時折、それらが重荷に感じることもあります。自分の体や性別によって、私の人生がある程度決められてしまっているように感じるのです。
もし、弱者男性として生まれていたら、私はもっと自由だったかもしれません。社会からのプレッシャーに囚われることなく、失敗や挫折を経験しながらも、自分らしいイージーモードな人生を歩むことができたかもしれません。
終わりに
「私はどうして女性の体で生まれてきたんだろう」という問いは、私が常に抱えているものです。私は経済的には恵まれているけれど、心のどこかで「弱者男性としての生き方」に憧れを抱き続けています。この問いに対する答えは見つかりませんが、少なくとも、私自身がもっと自由に、自分らしく生きる道を模索し続けていくことが、今の私にとっての課題なのかもしれません。
私は幼い頃から恵まれた環境で育ち、生活に困ることは一度もありませんでした。資産家の家庭に生まれ、世間的には「成功」や「幸せ」を象徴するものが揃っています。年収700万円という安定した収入、貯金3000万円という経済的な安心。しかし、私の心の中にはずっと一つの違和感がありました。「私はどうして女性の体で生まれてきたんだろう」という問いです。
なぜ、私は弱者男性に生まれたかったのか。それは、社会の下層に位置する「弱者男性」たちの存在に、何かしらの自由や純粋さを感じるからです。彼らは社会の中で困難を抱え、生きづらさを感じているかもしれませんが、少なくとも彼らは「強い性別」の期待に縛られていません。彼らが経験する苦しみや不満は、自分自身で選択する余地があると感じます。
対して、私の人生は「成功すること」が前提にされており、そのプレッシャーに日々押しつぶされそうになります。周囲からは「女性としての成功」や「社会的な役割」が期待され、その枠組みの中で自分を見失うことがしばしばあります。そんな時、私は弱者男性としての生き方に、一種の憧れを抱いてしまうのです。
私は、物質的には何も不足していません。それどころか、過剰なほどに恵まれているともいえるでしょう。でも、恵まれた人生にはそれなりの代償があります。常に「成功して当然」「失敗してはいけない」というプレッシャーにさらされる日々。そして、私が望む人生の選択肢はどこか狭められているように感じます。
弱者男性は、社会的な「敗者」として見なされることが多いですが、その「敗北」にはある種の解放があると感じます。弱者男性であれば、社会的な成功や期待に縛られることなく、もっと自由に自分の感情や欲望に従って生きることができたのではないかと思うのです。彼らの持つ社会への不満や鬱屈した感情に、私は逆に共感し、自分の理想と重ねてしまいます。
私は女性として、社会から多くの期待を背負わされて生きてきました。結婚、出産、女性らしさ、そしてキャリア。これらすべてが私の人生を彩るものであるはずですが、時折、それらが重荷に感じることもあります。自分の体や性別によって、私の人生がある程度決められてしまっているように感じるのです。
もし、弱者男性として生まれていたら、私はもっと自由だったかもしれません。社会からのプレッシャーに囚われることなく、失敗や挫折を経験しながらも、自分らしいイージーモードな人生を歩むことができたかもしれません。
「私はどうして女性の体で生まれてきたんだろう」という問いは、私が常に抱えているものです。私は経済的には恵まれているけれど、心のどこかで「弱者男性としての生き方」に憧れを抱き続けています。この問いに対する答えは見つかりませんが、少なくとも、私自身がもっと自由に、自分らしく生きる道を模索し続けていくことが、今の私にとっての課題なのかもしれません。
これがホッテントリに入ってるんだけどさ
>グーグルマップ、川口市役所を「クルド市役所」と表示 「寺院・礼拝所」と説明も 「移民」と日本人
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.sankei.com/article/20241004-G4LDR4VDOVACFFQQV2PDHVPHLI/
このグーグルマップの項目いじりの悪さはずっと前からあって、日本でも恒心教やってる連中が逮捕されている。Wikipediaにも項目がある。
こんなもん昔からあるネットの悪戯なのに産経は恰もクルド人関係のような記事にしてるわけ。そしてそんな愚劣情弱向け記事を真に受けてブクマしてホッテントリ入りさせて拡散してるのがはてなーだ。いや、流石にバカじゃねーの?産経もはてなも。
そもそも産経は昔からこの手の特殊キャンペーン記事というのをずっとやってるんだがさ、普通の新聞読者はそんなおかしな記事を真に受けない。
例えば1997年には国立の小学校で児童が日の丸掲揚反対して校長と揉めるという騒動があった。背後で左翼教師が唆したのだろう。産経はこの騒動を何度も記事にして、国立には右翼の街宣車が溢れた。そういう人間にリーチする記事なんだな。
ところがある日、一面トップに「校長に土下座要求」というどデカい題字が踊ったのだ。ではその内容は?というと校長が国旗掲揚する隣で児童が騒ぎ、その一人が「土下座しろ」と調子こいて言った、と云うもの。余りのバカらしさに腰が抜けるな。「江ノ電並走自転車男性に「金だろ」と詰問」と云う記事が一面トップになるのと変わらねぇ。
その当時の産経は今みたいには程度低くなかったので呆れて購読取り止めた読者も多かったんじゃないかな。
まぁ要するにその手のキャンペーンを常にやっていてその記事群は新聞記事のクオリティでは全くないってことやな。この辺は紙の紙面で見れば一目瞭然。但しそのクオリティが本来の記事を浸食するのが産経なのだが。
だがネットで見るとフラットに見えちゃうわけよ。夕刊の特集記事の柔さとか日曜版の解説記事の掘下げ力と朝刊の堅さの対比とかが消えてしまう。それで流れてくる記事をそのまま堅い記事だと考えてしまう。
そしたらそんな錯誤が発生しやすい、増幅させるWEBサービスに問題があるって事だろ。この場合ははてなブックマークがそれに該る。
この川口とクルド人のやつも元々石井孝明が一人で流布してたもので、ブクマカはそれをせっせとブクマして拡散していた。石井の個人サイトを「報道機関」だと思ってたのだ。デザインがそれっぽいから。あほか。
コラボ批判と暇アノンの中心の一つもはてなだ。この件では尋常ではないデマと名誉棄損が垂れ流しされた。「○○弁護士は活動家」とか「〇〇はナニカグループの共産党員」とか、そういうのブコメした人責任取れんのかね?暇空との訴訟が一段落したらなるちゃんやらはてなーやらが被告になる日が来るかも知れんぞ。大丈夫か?
膨大なデマや誤認のうちの0.1%に理由がある(しかも解釈込み)から批判は合理なんて仲間内でしか通じんぞ。
コラボなどが東京都の支援事業になっていたのは行政のアウトソーシングでNPOを活用するのが流行だからだ。バスが撤退した地方ではオンデマンドタクシーが交通弱者住民の最後の足になっている。そのタクシーをやっているのはNPOの事が多い。78条バス(旧80条)ってやつだ。その他にも生活弱者向け「便利屋」的な業務委託が増えてきているのだ。
行政は横並びを好み流行に弱い。少し前にはPFIが流行した。施設管理を民間委託するスキームだ。TSUTAYA図書館とかもだし、刑務所をPFIで民営化したところもある。NPO委託はPFIのようにしっかりとした施設が無い、もっと小さな業務が充てられる。
というか、PFIが流行ればどこもPFI、NPO委託プロジェクトが流行ればどこもNPO委託なのだ。軽薄だな。プロポーザルで新規事業に金を出すというスキームはこのトレンドから来ている。
でもコラボ批判ではそんな話にはならなかったな。「共産党利権」だってさ。こんなのソーシャルブックマーク通じて賢くなるんじゃなくてバカになってるって事じゃん。
このコラボ批判の後は半年くらいホッテントリは女叩きだらけ。「性差別」と言ったら社会では女性差別の事だがはてなでは男性差別の事だwバカじゃね
弱者男子が辛くて鬱屈しているのは男性中心社会で下位ヒエラルキーに属しているからだ。だからいくら女を叩いても救われる訳がない。そんなの外部から見たら当たり前なのに本人らはトンチキな共同性を作り上げて儀式化によるカタルシスを繰り返すのだ。この半年でインセル以外のユーザーはかなり逃げたのでは?だって幾ら何でも気持ち悪いもんな。
その前はコロナの防疫デマだ。まずは医クラの「インフルより弱毒」「ゆっくり感染拡大して社会免疫」という話に飛びついた。そんな局面もデータも最初から一切無い。でも「SIモデルが証明しているから」と言って憚らなかった。でもそのSIモデルについて具体的に説明できる者は誰もいない。科学と鰯の頭の区別が付いてねぇ。
次は「PCR検査をすると医療崩壊する」で検査を受けた人間を探し出しては叩き炎上させていた。
これら全て「科学的」な側にいると考えていた。これはトンデモ科学業界やトンデモ医療業界でお馴染みの構図だ。更にWHOがそういう態度に関して警告を発していたにも拘らず「WHOは怪しい組織」とその時のはてなーは考えていた。すごいね。
こんな風に何か事が起きる度に悪質なデマの中心になっていてとにかく害悪が過ぎる。もう何年もずっとだ。川口クルドの問題も石井と産経の特殊記事しか書いてない事を本気にしてるのなんてXとはてなくらいなもんだ。程度が低すぎる。
しかも事故や事件が発生する度に「外人の犯行」とするブコメが蝟集してその解決策が「外国人の渡航禁止」「財産没収」「土地取引禁止」だと。これらの書き込み会社にばれたら肩叩きされるんじゃね?
はてなは建設的コメント順位付けモデルAPIとかを使っているが、これは罵倒や悪口で衆目を集める事には有効だろうが、知的に背伸びした文章で程度が低くトンデモない常識外れな集合意志が醸成される事には完全に無力なんじゃないの?
こんなの放っておいたらGoogle adとか単価の高い広告代理店から切られるんじゃね?
多数の人間が書き込んで、マニュアルとか基礎知識について調べる者、提示する者が常にゼロというのは尋常じゃない。
「ユーザー間の議論で解決」というのはコラボ問題でNPO委託を踏まえたり、コロナで検査マニュアルを読む者が一定数いる上で始めて成り立つ。いつまでも現状のまま毎度毎度デマの中心になるのを放っておくのは止めてくれ。マジで害悪過ぎる。
そこは公園だった。小学生のころ住んでいた家の向かいにある公園だ。
おそらく10代の姿の俺が、その公園で幼女3名と遊んでいた。他に野郎もひとりいたが野郎のことなどどうでもいい。
幼女たちは人気Vtuberの3D擬人化(というべきか?)した姿だった。仮にひとりをp、ひとりをmとする。もうひとりの元ネタは思い出せない。
概ね小学校低学年くらいだ。pはやや年上だったかもしれない。特徴的な語尾はそのままに、しかし紛れもなく三次元の幼女だった。mも、普段の舌っ足らずな口調が似合う姿をしていた。
主にこのmおよび元ネタの思い出せないもうひとりと、ただ鉄棒をしたり、遊具に登ったり、駆け回る姿を観察したり、野郎やpとじゃれ合うところへツッコミを入れたりして遊んだ。時々女児らしい下着が見えた。遊具に足をかけるところを下から見れば完璧だった。
お察しかもしれないが、俺は三次元の小児性愛者である。児童ポルノ禁止法制定以前を知る世代とだけ言っておく。
そのような人間が夢で少年期に過ごした公園にいるとなれば、期待されるのは幼女の野ションである。当時、実際にそこで目撃したこともある。俺は夢のなかで、pやmたちと遊びながら大いに期待していた。彼女たちがおもむろに下着を下ろしながらしゃがみ、放尿することを。
果たせるかな、スレスレのところで一度目が覚めた。勃起していた。戦慄しながら再びウトウトし、夢の続きを見た。彼女たちは公園の近くの家に帰り、夢らしいご都合主義で玄関と直通している和式トイレに跨り、割れ目から見事な放物線を描いた。排泄を終えたひとりが近くで尻を向けてきたので、陰裂に指を挿れ、ついた残尿を舐めた。
やがてpやmが俺の前に屈みこみ、俺の股間を眺め、ズボンのチャックに手をかけ…ここで完全に目を覚ました。
三次元小児性愛者の欲望を煮しめて固めたような、恐るべき淫夢だった。こと俺に関する限り、こういう世間一般からすれば悍ましい夢を見るのである。しかも今回はよりによって、人気Vtuberのpやmが…ふたりとも寝る前に配信で声を聞いたばかりとはいえ、普段の二次元の姿でなくわざわざ三次元の幼女の姿をとって現れ、戯れ、用を足した。自分の屈折ぶりというか鬱屈ぶりに舌を巻く思いだ。
こんな夢の話、ハンドルネームやIDを出して書く気にもならないが、どこかに吐き出してしまいたかったので匿名ダイアリーに書き捨てることにした。お目汚し失礼。
「避難所」という名前でネカマして暇アノンの姫をやって貢がれていた。NHKに情報流出された人
正体が割れる前から画力が高く、colaboを風刺するイラストを大量に描き暇空にも気に入られ寵愛されていた
垣鍔は「カルピス」という名前で以前からフェミ叩きをして仁藤夢乃の容姿を下品にいじったりしていた
垣鍔=カルピスが判明してから、アンチ暇空らは「垣鍔垣鍔垣鍔カルピス」などと名乗っていたが、片倉はそのネタをよくわかっていなかった
「垣鍔って奴がアンチ集団のリーダーらしいな?」などと触れてしまい、暇空に放逐された
片倉は画業をほぼ引退して現在は介護士をやっており、福祉業界の人であるため暇空のcolaboへの主張が色々おかしいことに気づいてはいたが、
画業から撤退してしまったことや、妻に逃げられたことなどの鬱屈を晴らすためにはアンフェ活動をやるのが一番だったらしく、おかしい点に目をつぶっていた
追放された上、「介護士とか尻拭き係の負け犬」「半年以上新作出せなかったらもう作家じゃない」と痛罵され、反転してカルピス軍団入りした
女性向けホラー雑誌で人気を集めた作家だったが、2019年を最後に単行本を出せておらず、その作品も打ち切りによる不本意な終わり方で鬱屈を晴らすためアンフェ活動にのめり込んでいた
高頻度でフェミ叩きをして暇空をフォローしcolabo追求をしていたが、2023年3月に漫画家の篠房六郎の「いまだに暇空を支持していることが世間的にどう見られるかわかった方がいい」発言の後でフォロー解除
篠房は暇アノンに叩かれ炎上したが、この発言を期に暇空界隈に触れなくなったクリエイターは実際多く、三家本はその一人である
三家本は女性人気が高かっただけに、アンフェ活動からの暇アノン化にショックを受けたファンたちが「暇空はこれこれこうでヤバイよ」と説得してブロックされていた
それらの説得を三家本は中傷と受け取っており、「暇空なんか支持してないのに中傷された」と嘆いている
東大卒元経産省官僚で現在は餃子屋オーナーとかeスポーツ関係とかやってる人
熱心な暇アノンでありcolabo編だけでなく堀口編もディープに追っていた
都知事選でも暇空を応援し投票、本気で暇空都知事が生まれるつもりだったのに落選で急激に冷める
「百合子や蓮舫と戦えるレベルに行けないどころか反ワク陰謀論者以下とかショボすぎる」と述べ、暇空と大喧嘩しブロックされる
行政訴訟ではワンチャンあるかもしれないと期待は寄せているようだが、暇空や暇アノンのことを「陰謀論を信じるバカ」と認定し触れなくなる
都知事選で暇空支持を表明し、埼玉県民なので投票権はないが都内在住の知人友人に暇空に投票するよう呼びかけていた
colaboのことを名指しで血税を吸うバックに闇組織がいる悪の集団だと批難した
二児の母だが夫と不仲であり、「刺したいがこらえた」と書き込むなど鬱屈としていた心境が暇空信仰のきっかけか
遠巻きに暇空を追っていたが、都知事になるほどの人であるなら信仰を告白してもいいと考えたのか、暇空をフォロー開始
しかし暇空の書き込みがダイレクトに1日300-500件ほど流れてくるようになるとキツくなったらしく、暇空をミュートにしたと発言
私が死なずに生き続けることが、この世界が存在し続けるための必要条件となる。
つまり、私がこうして酒を飲み、この世に生きる鬱屈を晴らしていることは、この世界が私の認識のもとで存在するために必要なのだ。
だから、このアルコールは世界が存在し続けるために必要なものであり、アルコールを飲み干すことが、世界の存在を維持し続けるために必要な行動、というか世界的事業だとさえ思える。
なので、コンビニに行ってまた酒を買ってくるけど、これは世界の維持に必要なことなので、怠惰ではなく世界が求める事業なのだから、その費用は出して欲しい。
この内容がひとつの当事者の声として、実際に関係者に届いてほしいのか、
それとも自分の心情を吐き出す場所がほしいだけなのかはわからないが、
書かないと、どうにかなってしまいそうなので書く。
彼女の訃報を知ってから半日経つが、率直に言ってかなり精神的にまいってしまっている。
普段は物事に対して必要以上に感傷的になったり、映画などを見ても大泣きしたりはしないタイプの人間なのだけれど、
このあまりにも唐突で受け入れがたいニュースに触れてからというものの、
仕事や大学の授業が終わり一人になると、納得できない気持ちや言葉がどんどん頭の中をめぐって、
私生活に特別な不満もなく、心身ともに健康に日々を過ごしていた自分でさえこうなるのだから、
希死念慮を抱えて生きるような人々にとって、著名人の自殺報道がどれだけ影響を持ちうるだろうか、ということも考えてしまう。
自分が彼女に心酔する大ファンだったかと言うと、多分そうではない。
ただ、家で一人作業している時に流すiTunesのプレイリストの数%は彼女の曲であり、
人生で彼女の曲を聞いた時間を一つにつなげると、大抵の友人や家族と過ごした時間よりよっぽど長いのではないと思う。
彼女の楽曲は、巷で「生きづらさ」として語られるような感情をベースにしたものが多くて、
それが彼女の内なる思いの発露なのか、商業作家としての生存戦略であったのかはわからない。
彼女に対しての感情は同年代ならきっと抱くのだろう「共感」とはすこし違っていて、
突出した作家性で、歌声で、演奏で、唯一無二の音楽を聞かせてくれる存在だった。
記憶にすがるように罰が下るのを待っていたように
僕が僕自身をこの部屋に閉じ込めていた
という歌詞だ。鬱屈して閉じこもる心を「罰が下るのを待つ」と表現する感性。
彼女にとって自分の内面とは、けして外界とのつながりを断つための境界や手段ではなく、
それはまるで彼女の内側に広がる「世界」であり、それを統べる神様とさえ繋がる場所だとでもいうような、
強烈な自意識のあり様、彼女の作家性の一端に触れた時は、まさに殴られたような気分だった。
自分のプレイリストの中には、自分が今まで出会ってきたアーティスト達と並んで、高確率で彼女が入るようになった。
(この曲を含め、彼女の歌詞には「君」や「あなた」という表現がよく出てくるが、
彼女にとってはそれもまた客体化された、向き合うべき自分自身であり「神様」であるように思えてならない)
一度だけライブにも行った。
コロナ禍の中、東京で名古屋まで遠征して、人もまばらな新栄町のライブホールで彼女を見た。
落ち着いた会場の中で見た彼女の印象は、楽曲の持つ強烈な存在感とは裏腹に、
どこか年相応で、満員の観客と向き合うには何とも頼りなく見えた。
路上ライブ時代の楽曲なども含めた弾き語り中心の穏やかなセットリストと、
苛烈さを秘めた内容に対して、いつでも「聞いて下さい」から始まるあまりにも低姿勢で飾らないMC。
大満足と言うよりは、次もまた見に行こう、というような気持ちになったのを覚えている。
あまりリアルタイムでアーティストの動向を追うこともないタイプなので、
彼女の結婚や病気、活動休止といった直近のニュースはまったく知らなかった。
ただ、毎日の在宅デスクワーク、その時の気分で音楽を延々と流す日々のワンシーンに彼女がいる、
好きなアーティストの死に触れることは初めてではない。
1970年代の洋楽もよく聞くので、ルー・リードやデビット・ボウイが死んだ時もショックだった。
ただ、、寂しくはあってもどこかで覚悟していた大御所の死とは違い、
彼女の死に直面して、色々な感情が駆け巡って、最終的にたどり着いたのは「納得がいかない」という思いだった。
音楽の歴史の中で、若くして死ぬ事によって、伝説的に昇華されてしまったようなアーティストはたくさんいるが、
もはやそんな時代ではないと思う。
生み出された作品とその作者の人生や生活は切り離して考えられるべきであって、
劇的な死に方をすることで、楽曲の意味が何らかの方向性を持って印象的に底上げされる、
なんて事は受け入れてはいけないと理性では思っている。
「自死」という究極の自己決定と紐づけた時に、そのありかたが容易く変質してしまう類のものだと個人的には思う。
彼女自身の感性で研ぎ澄まされた強さと繊細さ、息苦しさがたどり着いた結果が「それ」だとしたら。
到底受け入れられない。結びつけてはいけない。
彼女がどんな人生を辿ったとしても、彼女が楽曲に込めた表現の意味は変わらないはずで、
自分にとって、これから先も、生活の一部として聞き続けるであろうたくさんの音楽の一つとして、
年月が移り変わっても、変わらないものとしてありつづけてほしい。
彼女が言葉と歌声と音楽で生み出した、暗くもあたたかい世界は、私自身の居場所でもありました。
自分だけの、二人だけの、生まれながらに全てが正しくて、善であるのだと強く歌ったはずの世界を、
彼女自身が、自ら”指パッチン”で終わらせる対象として塗りつぶしてしまったのではないか。
彼女が歌の中で生み出して、繰り返したモチーフのひとつひとつが、
彼女が選んでしまったかもしれない現実の結末と、それを知った自分自身の類推に過ぎないイメージで上書きされてしまう事があまりも怖くて、
自分はいま、彼女の死を知ってからまだ一度も彼女の楽曲を聞くことが出来ずにいます。
ここまで来てやっと本題です。
今回の「死因非公表」というご遺族の意向による報道内容によって、自分は落とし所を見つけられずにいる。
まず大前提として、著名人の死に当たっては、今回コメントを出した彼女のパートナーを初め、最も近しい人達が、
彼女の死という重大な出来事に対して向き合い、たとえ時間がかかっても心の折り合いをつけていく、
そのための時間は絶対に必要で、「ファンのお気持ち」なんて物とは比べるまでもなく優先すべきで、
ニュースやその視聴者が、それが興味本位であっても切実な悲しみであっても、
彼女の死の原因のあれこれを詮索して、彼らに必要な時間を踏みにじるような事はあってはならないと思う。
その意味において、詳細な死因を公表しない、と決めたご遺族の判断は第一に尊重したい。
ただ、それと同時に、自分を初めとして、彼女の楽曲に日常的に触れてきたファンも、
突然の訃報のショックと抑うつ、行き場のない感情、彼女の楽曲を以前と同じように聞けなくなった辛さを抱えています。
その中で、彼女の死がはたして「自殺」なのか「病死・事故死」だったのかを知ることは、
いや、大きな意味など本当はないのかもしれない。
あるのは、彼女の死が、病死や事故死といった本人の意志によらないものであってほしいという祈り。
でもおそらく報道コメントが暗に示すように、もし彼女が死を選んだという事が真に明らかになったとしたら、
自分の中で、彼女の楽曲に対する「受け入れがたい変化」がより決定的な物になってしまうだけなのかもしれない。
ただ、海や山で誰かが遭難して数ヶ月が経ち、たとえ見つかるのが遺体だとわかっていても、
長い人生の中で避けられない大切な人の喪失を受け入れるにあたって、
その理由や結果を知ることは、たとえ残酷な結論だとわかっていても、必要な過程なのではないでしょうか。
今まさに現在進行系で心の行き場と日々の平穏を失ってしまった自分にとっては、
彼女の死因を知ることが、とても切実な問題であるように思えてならないのです。
自殺報道が最大限の配慮を持ってなされるべきだ、ということももちろん承知しています。
その一方で、ペットロスといった身近な死を乗り越えるためのサポートなども社会課題として捉えられる時代においては、
一定の社会的支持を持つアーティストの死に対して、ファンが重要な事実を知ることも、
私達が「大切な存在の死」という逃れられぬ現実を乗り越えるためには必要な手続きなのではないかという事を、
いままさに行き場のない思いを抱える当事者として切実に感じています。
自分は、彼女の死を知って以来、まだ彼女の曲を一度も聞くことが出来ていません。
いつかまた彼女の曲たちを、これまで同様に、そして私の生活を彩る他の数多のアーティストとも同様に、
自分の人生にとってかけがえのない存在として共に過ごしていく日々がまたいつか来ることを切に願っています。
長くなってしまいましたが、
Twitterで最近やたら流れてくる恋する乙女のアカウント、どうやら「成人恋愛弱者女性」というらしい。
めっちゃ情緒的で惨めで愚かで、相手のことを思うと今すぐその男から離れて差し上げろとも思うけど一生こびりついて不幸で居てほしいとも思う複雑な気持ちになる神コンテンツ。
はてなーは嫌いかもしれないけど自分を少女漫画の主人公だと勘違いしたまま20代半ばを迎えてしまったなかなかエグい人々が互助会のように相互フォローしてクラスタを形成しているのぐろくて最高…
【彼女らの特徴】
・自分を振った男orほかに彼女がいる男を「好きな男」と呼んでいる
・「好きな男」に自分のツイ垢がみられたらどうしよう、いっそ見つかってほしい、むしろ見せた、という人が多いというかそれしか居ない(ツイートしてることを直接言うのではだめなのか???)
・毎日思いを伝えたがってる
・ふられたっぽいこと言ってたと思った翌週にはもう一回告白する算段を練っている。
・多分見た目がかなりわるくて恋愛対象どころかセックス対象になってないだけなのに「あそぼうとおもえばあそべるのに、わたしにそういうことをしない好きな男はほんとうにやさしい。やさしくて残酷。だいすき」とか呟いてしまっている。
・村上春樹読んでそう
・社会的には優秀とはいわないまでも弱者ではなさそう(それなりの一般企業で正社員やってそう)
わたしは女だから共感できる点もかけらほどはありつつ、基本的に一回断ってる異性からなんどもアプローチされ続けるのは男も女もつらいとおもうので本当にやめようね。「ぜったいわたしといっしょにいたほうがいいよ、らくだよ、しあわせにするよ」じゃないんだよ。しんどいからことわってるだけです。あなたの目の前にいる男は村上春樹の主人公のように不器用で鬱屈してて素直じゃないだけで本当は自分といるのがスキみたいなクズではなくただ爆美女が好きであなたじゃダメな普通の凡百の男です。
てか、絶対付き合えない異性から思いを寄せられたときの居た堪れなさを知ってたらできないであろうことを平気でやりつづけいるあたり本当に見た目がアレなんだろうなって思う。