はてなキーワード: 通り魔とは
強い立場や権力を持つ人間から発せられる「自己責任」という言葉は、いわゆる"弱い立場=助けを求める立場"である人達の『助けを求める手段』を奪ってしまっている。
そう痛感したのは橋下氏をはじめとするテレビに出れるほどには発言力を持つ者たちが発した「一人で死ね」という言葉だ。
彼らが被害者遺族の無念を受けて(想像して)の言葉だろうというのはわかったが、それがテレビというかなり影響力が強いメディアで使われてしまうと、言葉の意味はかなり変わってくる。
家族もいて、友人もいて、周りには人がいる。なによりお金もある。そんな立場の人間が犯罪を許さないという意味で発したものだったとしても
彼らには「犯罪をおこす前の犯人と同じ境遇にいる人」がこの国には決して少なくない数いるという事実そのものが見えていないのだろう。
だからこそそういうことを影響力のある場所で言えてしまうし、そういう人たちを傷つけているという自覚すらないのだ。
一人で死ねと言うなという人が犯罪を擁護しているとか、遺族を責めているとか、そういう言葉ではないのは少し考えればわかるはず。
一人で死ねというなというのは、遺族に対してではなく、それを言っている"あなた"への言葉なのだ。
それを遺族の前で言えるのかなどというのはそれこそ傲慢である。
自分自身に向けられた言葉だという自覚とともに、その事件が自分たちが生きている社会で起きたという自覚すらない
犯人を化け物扱いするのは楽だが、そのままでは一歩たりとも進めない
世の中の状況は悪くなっていくし、すでに悪くなっているからこそこんな陰鬱な事件が起こるのだ
世の中を良くするなんてそんなに簡単なことじゃない。
でも簡単なことじゃないからと言って諦めてしまっていいのだろうか?
どうせ無理と投げ出した時点で、本当に無理になってしまうのではないだろうか?
幸せに生きたい。
ここにいるとまれにキモオタ呼ばわりで通り魔的に罵倒する輩に遭遇する。
しかし実際に事実上オタク最大母数のTwitterを使う限り、キモオタという人種は壊滅的にいなくなったと思う。
第一にオタクの人々はアニメと言うより版権に関心があり、更には自分に関心があり、直接的にい言えばフォロワー増加のことしか頭にない。対象に対する愛情なんて実際には持ち合わせておらず、萌語りでギスギスしている腐女子ですらイナゴの根性を隠しきれない。
他の要因としてはオタクがファッショナブルになってきたという点もある。オタク族という名ばかりの名称をまといつつも(あるいはもはやオタクという呼称すら忘れ)Vチューバーやお絵かき講師をやり始める輩がいる。彼らは身ぎれいな格好をし、いわゆる悪しきテンプレ的なバンダナにネルシャツという、今やギャグでしかない格好をする人は一人もいない。
オタクはより一般的で大衆的になったせいで、庵野のごとき対象だけに愛を注ぐ偏執的な人をむしろ遠ざけたと思う。庵野がウルトラマンの格好をするのと今のレイヤーがFateの格好をするのでは、その精神性のバックボーンから違う。庵野の最大の関心は自己愛であり、今のオタクの最大の関心は自己愛である。しかしそのベクトルはまるで別方向を向いている。
突き放したら自棄になって通り魔したり女子高生とか幼女誘拐して回って捕まりそうだし
過保護にしたらそれはそれで自尊心の塊になって通り魔したり女子高生とか幼女誘拐して回って捕まりそうだし
何をやっても「こいついつか人様を手にかけるんじゃ」って親や会社に思われちゃった時点で手遅れなんだよな
しかし小学生がスクールバス乗り場前で糖質に襲われた事件では「無敵の人は社会悪!」「事前に拘留できる制度が必要!」とか増田は鼻息荒げてたのに
ニートこどおじが刺殺されたり発達障害の無敵のガイジが新幹線で通り魔起こしたら「発達障害にも生きる権利はある!」「社会が我慢すればよかった!」だからなネット上のそういう増田たち
新幹線で通り魔殺人やらかしたクソガキとかもそんな感じで尊大性ASD拗らせてる増田多いからねー
身内とかはそいつのエキセントリックな言動を「神童」あつかいしてちやほやしてるみたいなの
デジタルネイティブ世代とはいえ3歳4歳の頃からプログラミング言語の言語記述だけをバッドカンパニーみたいにミリ単位でおもちゃ並べることのみが大好きなでんちゃ系なんて明らかに異常な知恵遅れ何だから親が病院連れて行ってればって親に怨念持ってる増田多いでしょ?
実際ネットで言われるほど半グレとかそんないっぱいいるか?増えてるか?って思う
歌舞伎町とか六本木とか言ったけど、半グレやカツアゲ目的の奴が集まる秋葉原とかだって
ヤミ金ウシジマくんに出てくるみたいな凶悪な無法者っぽい奴なんか見たことがない
たまにケルト人みたいな体中にタトゥー入れたやつとか江戸時代初期のカブキ者みたいな格好の奴らでも反応とかは普通の兄ちゃんや女の子みたいなのばかり
ネットで自尊心肥大化して通り魔やらかしたり女子高生とか幼女誘拐して捕まるような狂ったチー牛とか他害性発達障害児の方がよほど増えてるように思うぞ
どうも。とある条件を満たして20年前から魔法使いになりました。
魔法を発動させるためには異なる魔力を異なる分量で正しい順番に配合し、最後にキーとなる呪文をトリガーとして発動させる必要があります。
そのため、詠唱は、その単語や長さによって、配合させる魔力の種類や分量がわかるようにデザインされています。
その後発動のキーとなる呪文をトリガーとして魔法が発動するという仕組みです。
このあたりは化学式を思い浮かべていただくのが良いかと思います。
正しい種類、分量、順番で組み合わせないと目的の化学物質が作られないのと同じです。
それを体系的に学習ができるようにと開発されたのが、みなさんのよく知る中二な詠唱と呪文を組み合わせたベーシックな魔法言語です。
魔力の種類と分量さえ正しく配合されていれば、詠唱の単語もキーとなる呪文も自由に置き換えることができますし、詠唱や呪文そのものを唱えずに魔法を発動することも可能です。
それでも詠唱を行う理由は大きくわけて二つで、一つは配合の間違えによる事故を防ぐため、そしてもう一つはどんな魔法を発動するのかを周囲に知らせるためです。
1つ目はいわゆる声かけ確認のようなもので、慣れてきた頃に一番起こりやすいうっかり事故を未然に防ぐことが目的です。
2つ目は味方とパーティー行動しているときなどに、どんな魔法を発動させるのかを周囲に知らせることでパーティーの安全を確保してもらうことが目的です。
詠唱の内容を理解できる敵に対してはわざと詠唱と異なる魔法を発動させるというテクニックもあります。
中にはパフォーマンスのためにあえて大げさな詠唱を行う魔法使いもいますが、治癒魔法などはそのほうが効果が高いなどいわゆるプラシーボ効果も認められているので、それらしい格好、それらしい雰囲気を好んで取り入れる魔法使いが多いのも事実です。
魔法使いの技量は大きく分けて、知識、魔力の最大量、魔力の充填速度の3つに分けられます。
化学式と似ているといいましたが、魔法も組み合わせによって種類が多く存在するので、単純にその時ふさわしい魔法をどれだけの魔法からどれだけすぐに用意できるかは魔法に対する知識そのものが試されます。
また、魔力の最大量には個人差があり、例えば多くの魔力を組み合わせる大魔法を唱えるには、一度にそれだけの量の魔力を保持できるだけの最大魔力が必要となりますので、単純に魔法を知っていれば使えるというわけではありません。
魔力の最大量は訓練で増やすこともできますが、基本的には本人の生まれ持っての才能に依る部分が大きく、天才と呼ばれる魔法使いが一握りなのも納得できるかと思います。
くわえて、魔法に必要なだけの魔力はそれに応じた分だけ魔力として充填する必要があり、この充填速度も個人によって大きく差が生じます。
一般的な詠唱の長さでは充填時間が足りない魔法使いもいれば、達人級になると詠唱の単語から頭文字だけを読み上げるだけの時間で充填が完了できる魔法使いもいます。
こちらも訓練で早めることはできますが、やはり生まれ持っての才能が大きく影響してきます。
さて、ここまでご理解いただけたなら、魔法における無詠唱とはいくつかの意味があることに気づきます。
これは普通の魔法発動プロセスと同じだけの時間が必要になりますが、魔法使いなら誰にでもできるもので、意図的に詠唱を行わないパターンです。
使用する魔法を予め予想しておいて、詠唱だけ済ませておくことで、必要なタイミングに最短で魔法を発動でするテクニックです。
充填した魔力は時間とともに目減りしていきますのでタイミングがとても重要なことと、状況が変化してしまうことでその魔法が必要なくなってしまえばためた魔力が無駄になってしまうなどのリスクがあります。
状況判断に長けた魔法使いがこれを多用している姿を見たことがありますが、文字通り魔法のように状況に応じた魔法を瞬時に繰り出す姿は、多くの冒険者を魅了していました。
達人級になれば、小さい魔法であれば暗唱でほぼ無詠唱のような速さで魔法発動できたりしますので、限りなく短い時間で充填できる魔法であれば無詠唱といっても差し支えないというパターンもあります。
しかし、一部都市伝説によると、過去最高クラスの魔法使いと呼ばれた人物は、つねに全ての魔力を最大まで充填している状態で、使用する魔法に応じた魔力だけを瞬時に組み合わせてその分だけを消費する本当の意味での無詠唱を実現していたと聞いたことがあります。
本当にそのような魔法使いが存在したかどうかはわかりませんが、基本的には充填した魔力は発動と同時に全て消費されてしまうので、単なる都市伝説ではないかと言われています。
ちなみに、巻物に記されるような魔法は基本的にレアで使用頻度の低い魔法が多く、それらが知識として失われないように文字として記録されているとのことでした。
また、魔力の低い魔法使いでもある程度の大魔法を使えるように、発動時にぴったり魔力が貯まるように計算して作られた詠唱が書いてあるとも聞いたことがあります。
いずれにしても理にかなった仕組みのようです。
いかがでしたでしょうか。
魔力が充填されていなければ、うっかり発動呪文を唱えても魔法は発動しませんし、詠唱だけしても対応する魔力を充填できなければ魔法が発動することもありせん。
それでも詠唱が形としてのこっているのは、事故防止のためだったり、パーティーとのコミュニケーションだったり、一部パフォーマンス要素を目的としているというわけです。
自分で何か目標を見つけて、それに向かって努力して成長していける人は素晴らしいと思う。
その反面、意識が高い自分に酔って伊達に生きているだけの「意識高い系」の人間が死ぬほど嫌いだ。
高専で学生やってた頃にそんな人種が湧いていて辟易していたが、新卒で就職した会社の同期にもいて生理的に無理って感じになってしまった。
幸い今は身の回りにそんな人種がいない環境に来れたので平穏に暮らせているが、たまに思い出すだけで不愉快な気分になるので、ここで愚痴っておこうと思う。
それで次第にバカバカしくなって、忘れていけることを期待して。
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影響力がある人にやたらと引っ付いてくる。まさに金魚の糞。
同期で3人座っていたデスクで、目の前でリーダー的存在のAと腰巾着のBが延々と話しながら一緒に仕事してる中、自分だけ仕事も与えられずに自習させられてた地獄の期間が何ヶ月も続いて、毎日が惨めだった。仕方なく電話対応とか来客対応とかしようと頑張ってたけど、張り合うようにその仕事すらもBに取られていった。
結局、仲間外れのような状態のまま自分だけ配属され離れ離れになった。しばらく経ってAが久しぶりに同期で集まろうみたいな話をしてくれたけど、Bが自分の都合で一ヵ月も予定を引き延ばしてきて腹立たしくなって自分だけドタキャンしてしまった。
その後、一年くらい同期のLINEグループで相も変わらずAが発言するたびにBがすぐさま乗っかってくるような状況が続いて、次第に気持ちが死んでいき精神衛生を守るためにグループを抜けた。Slackも自分がチャンネル作ったのに自分で抜けた。
Aのことは憧れの存在として思ってたから、その分Bが占有するようになって、もう関わりたくもない人々に変わってしまったのが堪らなく悔しかった。
向こうからは「なんか知らないけど自滅した」とか「邪魔者が消えてよかった」としか思われてないんだろうな、きっと。その上、人を除け者にしてまで学生気分続けてきたくせに、意識高いマウントはしっかり取ってくるのな。自分本位すぎて笑っちゃうわ。
学生の時も似たような経験があって、その時は寮だったからさらに地獄だった。
いつも取り巻きみたいなのが大勢くっついていて、見ていて気持ち悪かった。生きてて恥ずかしくならなかったのかな。
意識高い系は、その薄っぺらさ故にカリスマ性など持ち合わせていないので、結局、腰巾着に徹するしかないんだろう。
にわかオタク以下のつまらない話しかできないから、便乗するしかできない。
その癖、自分が一番かであるように偉そうに振る舞うので、図々しいとしか言いようがない。
腰巾着の分際で「他にも友達たくさんいますから(笑)」とアピールしてくるのが、さらにムカつくポイント。
こちらが腰巾着が湧いたコミュニティから離れようとすると、追いかけるようにして自分が逃げた先のコミュニティに絡みに行く。
うざいったらありゃしない。自分が嫌われている自覚はあるんだろうか。
うちの母校(というかほとんどの高専で)は定期試験の過去問を先輩達からもらって試験対策するような文化があり、意識高い系の人間はその広い人脈(笑)を使って先輩方から過去問を回収して回り、それを自分を支持してくれる人に回して人権を得る。
酷いときは、この科目はちゃんと授業受けなくていいみたいな風潮をこいつらが蔓延させていたこともあった。
真面目に授業を受けて一人で勉強してると、学校生活がバカバカしくて仕方がなくなっていった。
意識高い系は多趣味(笑)アピールも酷くて、何個も部活動を掛け持ちしてくる。
当然、自分が所属していた部活にも意識高い系が湧いてきて居場所がなくなっていく気がした。
人を引っ張って行くような事はしたがらないくせに、やたらと人目に付くところに出て行きたがる。
これによる実害が自衛ができないこと。名前を見るだけで悪寒が走るので、ネットだったら即ミュートしてる。
同期の意識高い系は、会社Slackの全員が見えるチャンネルでほとんどの投稿にリアクションを残している。イントラの残業超過リストに出てきたときは、名前載せるために残業してるのかとさえ思った。存在を忘れたいので、Chrome拡張作って除名するようにしたら幾分かスッキリした。
誰も聞きたくないような自慢話を、周囲に聞こえるような音量で延々と話す。キーボードの音が異様にうるさい。ここら辺はネットでよく聞く意識高い系と同じ。
意識外に置ければ自分とは関係の無い存在として割り切れるのに、度々自己主張してくる。忘れたころに顔を出してくる。もうたくさんだ。
何かと事あるごとに張り合ってくる。本当に他人と張り合うことしか頭にない感じ。
大体、同調圧力の諸悪の根源となっていたのが意識高い系だった気がする。
何か自分の好きな事について話してても、それに対する知識マウントしかしてこない。「ニッチな俺、カッコイイ(笑)」ってか。
自分の好きな事でも、マウント取りの道具にされると一気に冷めてしまう。好きな事にのめり込もうと思っても、マウンティング野郎の顔が浮かんで嫌になってしまうのが苦しかった。
「〇〇は暗記しないとダサい」「〇〇は反則」「〇〇してる方が偉い」みたいに。
ネットで謎校則がたまに話題になるけど、意識高い系の連中は我々を「自分で何が正しいことかも考えられない、言葉で服従させられる小中学生以下の人間」だとでも思っているのだろうか。
それと、うざいほど他人の真似をしてくる。自分磨きのためだったらいいけど、明らかにマウント取りのためなのでいい迷惑でしかない。
自分が何か成し遂げて褒められると、それを多人数で集まって同じ事をして張り合ってくる。
コンテストとか大会とか、何か目標を持って真剣に取り組んでる人は素直に格好いいとは思う。でも意識高い系の連中は、必要以上に群れて馴れ合いと自己顕示を目的としているので最高にダサい。
若干自意識過剰だが、こっちが好きで一人で努力してやり遂げたことをゴミ以下の馴れ合いでこなして「ハイ、俺の勝ち~~(笑)」と虚仮にされているようで、プライドをズタズタにされるような悔しさを感じた。
昔いじめられたりした時よりも、意識高い系が存在している空間にいる時の方がよっぽど居たたまれない気持ちになった。
端から見たら勝手に逆恨みしているだけかもしれないけど、生きているだけで惨めだった時期もあった。
意識高い系は、そのまま意識たかいたかーいして他界してくれればいいのになと思う。
なんかもう誰とも比べられたくないし比べてしまいたくないし、自分らしく生きられるようになりたい。
なんだかんだで今はもう身の回りに意識高い系はいないし、今後は対等な関係でいられるような人間関係が築けるといいなと思うけど、これもなかなか難しい。少なくとも、他人を自分の思い通りにさせないと気が済まない人間とはしばらく距離を置きたい。
ここまで書いたけど、別に被害者面で誰かを否定する意図は無く、自分が感じた嫌悪感を書き連ねただけ。
見返すとあまりに支離滅裂な文章だし、読み手には書いた奴に問題があるんじゃないかと思われるのも重々承知している。
コメントは最初から見る気なかったけど、ふと思い出して確認してみたら思ってたよりは反響が出てしまったようで驚いた。
スルーされるか「キチ○イキタコレww」と大喜びで揶揄されるかとしか思ってなかったから、少しでも共感してくれた人がいたのはすごく嬉しかったし、救われた気持ちになった。ありがとうございます。
非難されるのも、自分の腐った妄執がそれで祓えればいいかなと思う。
詰まるところ「勝ち負けの概念しかなく、他人を無理やり自分の土俵に上げて殴って気持ちよくなってる人」が無理なんだけど、コメント見る限りそういう人はどこにでもいるんだなと諦めるしかなさそう。
この際だから、長文の言い訳とやらを書いてみることにする。こんなことをするのも、もうこれっきりにしたい。
タイトルのせいで釣りみたいになってしまったのは、本当に申し訳ない。造語でもでっち上げようかと思ったけど、「意識高い系」で検索してみて出てきた特徴があながち違ってなかったのでこのままにした。
端からノイローゼ気味な奴の愚痴として書くつもりだったし、それとなく断りを入れておいたつもりだった。「意識高い系」あるあるを期待されていた人はごめんなさい。
まあでもスタバでMac広げている人に対して「死ぬほど嫌い」は通り魔かよって思うし、マルチ商法で人生壊されたとか期待されていたのだろうか。そっちの実態はよくわからない。
ただ、過去のことなのにずっと頭の中でもやもやしてしまっていることを書き出して、自分の問題と環境の問題を切り分けたかった。
憂さ晴らししたいのが滲み出て過剰な表現をしてしまったのは反省している。無意識に他人を見下してる風なことも素直に書いて、それって恥ずかしいことだって思えるようになりたかった。もちろん全文恥ずかしいし、生きてる事自体恥ずかしい。
自分が正義だなんて言うつもりはないし、完全に主観で書いてる。悪口だけにならないようにこう言う書き方になったけど、上手くまとまらなかった。
例えば、人脈が広いっていうのは自分にも真似できない才能なのは認めるけど、こっちから見たら嫌いな奴がどこにでも居て逃げ場が無くなっていい迷惑って話。
何をするにしても張り合って来られると、常に競争させられてるみたいで何一つ楽しくできないし、やがて、自分のやってないことでも自慢されるだけで気疲れしてしまうようになる。
高専の闇的な話も補足すると、過去問回して勉強するのも一つの手段だとしても、仲良くても無力であるべきだと思ってる人には何も渡さずに成績を馬鹿にするだけなのが胸糞悪かったし。授業中に複数人でゲームやり続けてそれが普通みたいになってて、先生が可哀想だった。
ちなみに、自分は意識高い人は嫌いではないけど崇拝もしていないしぶっちゃけ少し苦手。「意識高い系」と「意識高い人」を区別するために、人の方を立てる言い回しをしていた。こういうと、系の方が人外みたいだけど。
できるだけマイペースに生きたかったのに、家庭の影響もあってコンプレックスの塊になってしまって、だからこそ個人的に卑怯なやり方で自尊心を満たしてるのが許せなかったのかもしれない。みんなそれぞれ頑張ってるのに、出し抜くことばっか考えてるんじゃねえよと。コンプレックスの殴り合いなんてもうしたくない。
やたらと他人の粗探ししてきて足引っ張る気満々って奴は、一緒に切磋琢磨する仲間じゃなくて意識高い系マウントマンと断定して距離を取るようにしたい。
腰巾着が湧き出したコミュニティからも離れるようにしたい。長いものに巻かれたいのが人間の性なのかもしれないけど、値踏みされるような人付き合いが嫌だった。
普通に話してても毎回途中で割り込まれて置いてきぼりにされるし、同じ環境にいて仕方なく付き合わなきゃいけなくて、こっちがいくら対等な関係を築こうとしても向こうが差を付けようとしてくるから本当に疲れる。
結局のところ、価値観が合わなかったり裏切ってきて嫌いになったりした人間と、学校や職場という長い時間一緒くたにされて拘束される環境で、執拗に自己主張され続けたらそりゃ精神的に来るよなってことだけなのかもしれない。
思い返すと、最初は全く相手にせずに気にもしなかったけど、どんどん環境が悪化して塵積で追い詰められていってダメになってしまった。
高専入ったときは、中学の荒れていた環境からようやく解放されて自分の好きな事で勉強できるんだって思ってた。でも蓋を開けたら虚栄心の塊が牛耳る環境で、馴染めなくても寮だったから逃げ場もなく過ごすしかなくてつらかった。
社会人になってから、今までの反省も踏まえて今度こそ上手くやろうと頑張って初めは仲良くできたのに、対等な関係を目指して親切にしたら図に乗って裏切られて、仕事の機会すら奪われて悲しかった。
自分が要領よく調子よく立ち回れなかったのが悪かったんだけど、自分勝手な人間が得をする環境ならそこに留まるより距離を取った方がマシだった。だけど、変なプライドと悔しさだけが誰にも話せずに残ってしまって、振り切って前に進むこともできなかった。
外堀を埋められるようなやり方をされてきたから、当時は誰も味方なんかしてくれないと思ってたし、実際マイノリティな悩みだから理解してくれる人も少なかっただろう。世の中、そんな悩みは淘汰されるしかないんだから
自称鬱病みたいに思ってたけど、今でも過敏に嫌悪感を感じてしまうなら、やっぱりちゃんとカウンセリングなり精神科なり行った方がいいのかも。
学生時代に行ってたときは、クソ親が病院の先生に成績が落ちてるから何とかしてほしいみたいなことを吹き込んだのを聞いてから嫌になって行かなくなってしまった。
大人になってから行けばまた何か違うのかもしれないけど、あそこいつもめちゃくちゃ混んでるし、今回試してみて自分の悩みを明確にして話すのもかなり労力がいるということも分かったし、何というか本当に生きるのって大変で辞めたくなる。
(今回ついにやべー増田筆頭が交代。もちろん例のあいつです。→前回の【幕内】・【十両以下】)→【今回の十両以下】)
ひたすらひらがなと全角スペースまみれの愚痴ポエムを垂れまくるメンヘラ系増田。別名の「統失ITおじ」はITネタが多いことからの命名で、「自分のプログラムに勝手に手を入れられ、成果を横取りされた」旨の投稿を延々と続けている。
いつかどこかにガソリンをまいたりしないか、非常に心配な存在。
自称「日本3位(新人戦)のプログラマー」「神に選ばれた男」「コロナで2度クビになった」など数々の自分語りも繰り出すが、真偽はかなり疑わしい。あと自分をジャニーズの一員か何かと勘違いしている。
さらには「ヨシヒコ」「オーシャントリコ」「マットアッシュ」などと、本人以外には全く意味不明なネタ(他にFFネタやFateネタも多いが、怪文書なのは同様)を連発する他、話題と関係のないクソリプを乱発し、そこへ一人で自演ツリーを伸ばしまくる。
昭和時代やイオン、女装子などの例外を除き、森羅万象を罵倒する増田。自身の経歴からか、特に法や裁判所を目の敵にしている。
何度も削除を食らっては毎回戻ってきており、かつての安倍botや低能先生に劣らぬ危険人物。
ここ最近は投稿頻度が若干低下しており、ついにやべー増田筆頭の地位を譲り渡した。
もっとも自分語りの内容によれば、殺害予告による二度の逮捕歴に加え、今なお各所でトラブルを起こしまくっている模様。仮に事実ならリアルでの迷惑度ではこちらの方が数段上回る。
文頭をスペースで空けるため「字下げ増田」と呼ばれる(ごく稀に空けないこともある)。得意技は怪文書じみた判決文と精神鑑定。あと数学にもちょっとうるさい。
無駄に長い語りに過剰な自意識を挟んだクソエモ長文増田。ひとつバズると便乗して同じような長文が次から次へと湧いてくる、まさにゴキブリのような存在。
何の話題でも強引に新自由主義叩きを展開し、毎度おなじみの長文を投下する。さながら青汁のCMのような増田。いい加減しつこいので大関昇進。
こいつも話題に関係なく「でもキモくて金のないおっさんは……」と、KKOに対する差別や無関心を訴えようとする増田。活動は長いが、相変わらず共感されている様子はない。
パンティー
同カテゴリー参照。厨二臭い上に意味不明なSSをひたすら垂れ流すクソ増田。無駄にキャリアが長い割には成長している様子もない。質より量を体現する増田の三峯徹的存在。でも正直なろうかどっかでやってほしい。
左翼・フェミ叩きに対して憎悪を燃やす超ベテラン増田。「711」「R30のところにコピペしないの?」「いつもの地ならし」「○時まで寝ていたんだ」「見つかりそうか」「ということにしたいのですね」「おばさんはいいんだよ」などと、意味不明なクソリプばかり飛ばす。
「R30」というのは大昔のブロガーのことらしいが、ブログは2008年に更新が止まっている。仮にこの人物であった場合、粘着歴の長さはもはや言語に絶する。そしておばさんというのはどこの誰なのか。
また「プライベートで○ブクマwww」「自演ツリー」などと、むやみやたらに自演を疑うのも特徴。
左右問わずこの手の人物にありがちだが、「自分の気に食わない奴は全員同一or特定の人物」という思い込みが非常に激しい。
id:Ereniおよびid:iteau両氏の名前を出すことも度々あり、本人の脳内では毎回特定の相手に粘着しているようだが、実際には明らかに政治や思想と無関係な増田に因縁をつけることも多く、結局のところ噛みつく基準は謎。
「女性は下方婚しない」を筆頭に様々な持ちネタを操る反フェミ系増田。キャリアも長く、反フェミの中ではおそらくこいつが最大勢力と思われる。
「ガイを○○するのはガイ」という定型文トラバを繰り返すクソリプ系増田。多様なバリエーションがあるあたりは昔の「ゴミを貼るな」に似ている。
こちらも「非モテの女は『いないこと』にされている」というのが大好きな青汁増田の一人。同様の主張をしているidがあり、現在もはてブで活動中。
ナニがきっかけでそうなったか知らないが、男叩きや特定個人の誹謗中傷を目的としたTogetterのまとめを作っては、増田やはてブで必死に拡散しようと企む某ツイフェミ。
すでにTwitter/Togetter/はてブのいずれにおいても凍結や垢BAN、404化を経験している札付きの悪質ユーザーで、処分されるたびに別垢を取り直して復帰し、
ビョーキの人特有の執念深さを発揮している。まさにヘイトモンスター。ここまで足取りがわかりやすいのには理由があり、「Twitter」「Togetterのコメント」「ブコメ」「トラバ」
のそれぞれで一字一句全く同じ文章を使い回すという、なんともオマヌケな習性があるため。一時は自分のTwitterの男叩きをそのまま増田に垂れ流し、ツイ垢を特定されていた。
はてブでも前述の通り、複垢利用で404化を食らった前科がある。その後戻ってきて暴れてはまた消されという流れを経て、合計4つのはてブidが空に消えた。現在の動向は今のところ不明。
「KDDIで詐欺事件」という内容の怪文書を何度も投稿している増田。「拡散希望」とのことだが、おそらく今のところバズったことはない。
めぐみんに罵倒されたい増田。他にも低能先生の語尾をパクりつつドM性癖を披露する「低能ドM先生」など、この手の奴が妙に多い。
突然現れては規約違反を厭わずブクマカや増田をグッサリ刺してくる、通り魔のような増田。超長文で口も悪いが、文章のキレに関しては一定の評価を得ており、出てくるたびにブクマを稼いでいる。
うっかり変なブコメをすると長い追記で晒されボコボコにされるため、全く油断ができない。
なお、中の人は某idとの噂。実際、この増田と同様の主張をしているブコメがいくつかある他、近頃は増田への書き込みを公言する、おそらく本人と思われる増田に無言ブクマを残すなど、あまり隠す気もないようである。
3点リーダー2つ(「……」)を多用し自分語りを垂れ流す増田。内容も「初カキコ…ども…」コピペを彷彿とさせる中二っぷりであり、兎の糞のような奴。
こいつも横綱の糖質同様、いじめか何かでメンタルがおかしくなったらしく、かつて「いじめっ子死ね」を連投して消された増田と同一人物の可能性がある。
ブクマの上位に挙がっていた「かわいい人にかわいいと言うのは、僕としては結構ありえない 」って記事だが、
これに同意できない。(記事のURL:https://note.com/yasuharakenta/n/ne19f1e86e899)
痴漢とか、通り魔とか、「おかしてー(犯したいの意)」とか言うのが駄目ってのは同意、当たり前だが。
元記事はかなりまとまりがなくて、主張が曖昧なので批判しにくいが、
・付き合いたいのなら容姿のことに言及するのは方法として上手くない
とか多分そんな感じのことを主張していると思う。
(注:元記事はモテ戦略をメインで扱っているが、容姿への言及自体の悪性も割と強く主張している。)
で、考えるまでもなく、これらの主張の正当性は状況や人に依存する。
見ず知らずの人に急に「かわいい」とか言われても怖いだけなのは当然。
でも、インカレサークルの新歓で気になる異性にアプローチすることは自然なことだ。
普通手っ取り早く好みの異性を見つけるための場所だろう(知らんけど)。
また人の恋人観なんてのはかなり多様で、精神的に分かりあうのを大切にする人もいれば、
とにかく好みの容姿を持つセックスの相手を見つけたい人もいる。
後者の場合だったら、欲望むき出しのアプローチがむしろ上手くいって、
丁重に接するのは面倒がられるだけかもしれない。
例えば元記事の場面でもこういう風に盛り上がる場合もある訳だ。
先輩「かわいいねー」
後輩「えー、そんなことないですよ」
先輩「いや、かわいいって!」
後輩「そうですかー笑?ありがとうございます!」
後輩「はめないでください笑」
飲み会の場でこういう軽薄なやり取りは、アイスブレイキングの機能もあるし、
なにより彼らはこれを楽しんでいる。楽しんでいる人にとっては、
勝手に慮った態度で冷や水を浴びせてくるやつの方がよっぽどキモい。
ここには「本当は君はこんなコミュニケーションを求めてないはずだ」っていう
決めつけがあるし、実のところそれは自分の願望を投影してるだけ。うっせぇわって話。
あと元記事には「かわいい」と言うのは「やりたい」と言うのと同じなんて書いてあるが、
これは目を疑うレベルの妄言。美しいものに感動したことはないのだろうか?
また馬鹿らしいだけでなく、容姿に言及する人を性欲に支配された粗野な人であるかのように
TikTokの性的なコメントだっていつも不快なわけではなく、喜ぶ人だって沢山いるだろう。
それを容姿への肯定と理解して喜ぶ人もいれば、内容はどうであれバズることに快感を感じる人もいるし、
twitterに裏アカ女子なんてのが沢山いることからしてもこんなことは明らかだろう。
ただ勿論、容姿への言及に傷つく人もいて、だから問題は傷つく人がいるからやめるべきなのかということ。
世間には快より不快の除去を優先するのが当たり前と考える人が結構いるが、そんなルールはない。
そして容姿への言及によって生じる快不快はどちらもときに重大で、人生を変えてしまうほどの影響をもつこともある。
これは相対的な立場をとって、どっちつかずでごまかそうというのではなくて、私たちは容易にそういう人たちを想像できるし、
場合によっては知ってさえいる。
キモくて性的なコメントであれ、容姿を褒められ、それをきっかけにファッションや美容に興味が出て、
自己変革に成功した人だっているだろう。「良心的」な人間の「良心的」なコメントでのみ人は良く変われるなんてのは
人間のアンビバレントなあり方を無視している。キモいけど嬉しいことだってある。
で、ここまで来ると、この問題はよくある多様性の受容の議論と相似であることに気づく。
つまり、自分にとって不快だけれども、他人にとって快だから存在を受け入れようという話。
だから私は人には容姿への言及をする自由があり、それは悪いことではないことを受け入れるべきだと言いたい(一応言っておくと私は他人の容姿には基本言及しない)。
勿論、同じ論理を使って、容姿への言及が不快な人にとっては「容姿への言及があること」が不快で、「容姿への言及がないこと」が快なのだから、
容姿への言及をしたい人は、「容姿への言及がないこと」を受け入れるべきだと論理的には言えるのだが、
実際にその論理が受容され、浸透することはないだろう。
なぜなら容姿への言及は明白な悪でなく、人のコミュニケーションの自由(≒言論の自由)が保証されることは明白な善だからだ。
ヘイトスピーチでさえ直ちには規制されなかったのだ、言論の自由の価値は理念的にも実際的にもどこまでも重い。
一応注意しておくと、「容姿への言及の自由を受け入れろ」ってことで、「自分に向けられたそれを受け入れろ」って話ではない。
つまり、あなたが容姿に言及されて不快であれば、それに苦言を呈すのは自由だが、
相手が社会的な悪事をなしたわけではなくて、相手があなたにとって不快な発言をしたに過ぎないということ。
そしてそれを喜ぶ人もいることを認めるべきだということ。
自分にそういう発言が向けられるのを予防したかったら、そういう禁止令を確立しようとするのでなくて、
つまり、そういうことを言う人間と同じコミュニティに属さないというのが一番簡単だろう。
あとはそういうのが嫌な人間だということを常々アピールしておくとか。
(注:会社で上司から言い寄られるとか、バイト先の客がしつこく絡んでくるとかは対処しにくいが、
これらは粘着的な気質、ストーカー気質の問題で、容姿への言及がなくなったところで解決しない。)
こう言うと、「何故被害者側が労を取らなくてはならないのか」とか
そういう人は世界が自分のためにできているわけではないことを受け入れなくてはならない。
元記事のような主張を、何故か個々人の精神を尊重するヒューマニズム的な考えと捉える人もいるようだが、
とかなんとか色々書いた挙句、私の根底にある考えがうまく表せていない気がするのでここに文脈を無視して書くが、
私は他人と関わるときにしばしば生じる想像を超えた事態――例えば、人と話すうちに一度も考えたことのない内容が口から流れ出たり、他人の思いがけない側面が表れたりするーー
に遭遇するとき、強く人間の魅力というものを感じる。異質な人間を許容することはときに誰も悪くないのに悲劇をもたらすことはあるけれども、
確かに偏見を助長する発言だ。言い方や言う場所を選ぶ必要が有ったと思う。自分も気を付けたい。
それと同時に、障害者の施設というのは自力で行動できるアクティブな人たちが利用している場合が多いのであり、現場を見たことあればわかると思うけど通り魔的にハッスルする性犯罪者(健常w者含む)は不特定(といいつつ、直感的に勝てそうな体格の子供や女性に的をかける)多数の被害者を、そう、多数の被害者をごく短時間でも生み出してしまうんだよ。人混みなら気づいて驚いてあっあって言ってる間に次々向かっていく。電車や駅で往来で学校で見たことないかな?あと路上の痴漢強姦狙いの奴らが通学路や夜の住宅街でたくさんの未遂を含む加害をしていく。
結果としてだいたい男には行かないから、恐怖や回避するための日常へのダメージとコストが理解されず、無理解で簡単に残酷に嘘扱いすることが被害者の口をつぐませてきた事をも認知の外にしている。
あの発言はいかにも叩くに相応しい差別発言ではあるけど、被害者は沢山いて、普段から差別はいけない優しくと言われるのをよく聞いていて、逃げ遅れて被害にあう人もいるんだ。