強い立場や権力を持つ人間から発せられる「自己責任」という言葉は、いわゆる"弱い立場=助けを求める立場"である人達の『助けを求める手段』を奪ってしまっている。
そう痛感したのは橋下氏をはじめとするテレビに出れるほどには発言力を持つ者たちが発した「一人で死ね」という言葉だ。
彼らが被害者遺族の無念を受けて(想像して)の言葉だろうというのはわかったが、それがテレビというかなり影響力が強いメディアで使われてしまうと、言葉の意味はかなり変わってくる。
家族もいて、友人もいて、周りには人がいる。なによりお金もある。そんな立場の人間が犯罪を許さないという意味で発したものだったとしても
彼らには「犯罪をおこす前の犯人と同じ境遇にいる人」がこの国には決して少なくない数いるという事実そのものが見えていないのだろう。
だからこそそういうことを影響力のある場所で言えてしまうし、そういう人たちを傷つけているという自覚すらないのだ。
一人で死ねと言うなという人が犯罪を擁護しているとか、遺族を責めているとか、そういう言葉ではないのは少し考えればわかるはず。
一人で死ねというなというのは、遺族に対してではなく、それを言っている"あなた"への言葉なのだ。
それを遺族の前で言えるのかなどというのはそれこそ傲慢である。
自分自身に向けられた言葉だという自覚とともに、その事件が自分たちが生きている社会で起きたという自覚すらない
犯人を化け物扱いするのは楽だが、そのままでは一歩たりとも進めない
世の中の状況は悪くなっていくし、すでに悪くなっているからこそこんな陰鬱な事件が起こるのだ
世の中を良くするなんてそんなに簡単なことじゃない。
でも簡単なことじゃないからと言って諦めてしまっていいのだろうか?
どうせ無理と投げ出した時点で、本当に無理になってしまうのではないだろうか?
幸せに生きたい。
GotoトラベルとGotoイートは自助 上級の中で回しているだけだから自助