はてなキーワード: 就職氷河期とは
未来は明るいよと言われてこの年まで生きてきたけれど、どんどん悪くなってて、もうこれ以上良くなる希望がない。
幼少期
就職氷河期だったけど内定は出た。業界最大手。この頃は大手に入れなかったら実質就職不可能時代。
総合職で入社したため、全国転勤あり。結婚して、相手もまた全国転勤ありだったので、辞めた。
リーマンショック・地方住み・転勤族のコンボで正社員にはなれなず、パートは何社も落とされたけどなんとか職を得る。
影響ある業界(観光業)のため、同僚だった派遣社員は全員切られ、次は非正規の直雇用かと怯える日々。夫の給料も下がった。ていうか、結婚前は私の方が給料高かったのによく辞めたなって今になって思う。婚活女子は絶対こんな失敗しないでしょ。結婚に興味なくて、学生の時から付き合ってた相手と情と惰性で深く考えずに結婚したからこうなった。こんなに下がるなら、お互い定年退職するまで一緒に生活できないけど別居婚を選んで正社員の職を手放すんじゃなかったと心底後悔してる。
自分の選択ミスからくる将来への不安がつらい。どうしようもない。未来は明るくなんかない。これから先、もっと悪くなるに違いないとさえ思う。バブル崩壊の時もリーマンショックの時も、あの時が人生の底だったのに、まだ底があった。どうして、生まれてしまったんだろう。もうこんな辛い試練はいらない。普通に生きさせてほしい。
リベラルの連中は公正とか平等とか抜かしてるけどそうじゃないんだよな。
俺が男性として苦痛を感じているのは男性としての優越を感じられてないからであって、平等なんていらねえんだよな。
昔のオヤジどもが女をいいように従わせて、どんな無能でも年功序列で昇進して、年上ってだけで年下に平然とパワハラして偉ぶれたように、俺もそうなりたいだけなんだよな。
バブル崩壊とか就職氷河期とかがなければ、たぶん俺もそうなってたはずなんだよな。
弱者だって言うのになんで自民党を支持するの、なんて連中は言うけどさ、野党はそういうのやってくれそうにないじゃん。でも自民党ならやってくれそうなんだよな。
もっと言えば、他の弱者ヅラしてる男も邪魔なんだよな。男がみんな偉くなったら俺が大して偉くないことになっちゃうし。
要は俺だけが救われたいんだよな。
・今年沢山落ちるのはおかしくない。コロナショックで企業は採用を絞るだろうから。就職氷河期で50社落ちるのは珍しくなかった。
・増田が賢く、そつがなさそうなのは文章からも伝わってくる(性格にちょっと棘がありそうだが…)。素材に問題は無いと仮定するなら、あとは運が悪いか方法が悪いかだが、たぶん両方だろう。
運の悪さはいかんともしがたいが方法は改善できる。人材紹介のエージェントに相談するのが最も手っ取り早い。自分は転職で数社利用したが、それ系ではなんだかんだ言ってリクルートエージェントが粒ぞろいだった。他に就活本、マーケティング、法人営業関係の本も就活の参考になる。就活とはつまり何なのか、どう考えてどうすれば打率が上がるのかがわかるようになる(就活は企業に向けて自分という商品を売る営業活動なので、法人向け営業のノウハウの大半は就活に転用できる)。
・仮に就活が最終的に思い通りでなくても、それは増田の能力が無いことの証明ではないよ。社会情勢や企業と増田との巡り合わせがその時はうまくなかっただけ。望む方向に進めるように、働いて実績つけつつスキルを伸ばして、数年後に昇進や転職で希望を通せばいい。
どうも解せない。騙されてるような気がする。
就職氷河期世代の私が20世紀末に就職した時は、そんなに人気のある仕事ではなかった。
その頃からシステムエンジニアという仕事が注目されつつあったが、プログラミングするのは、あくまでシステムエンジニアになるための下積み行為でしかなかった。
プログラム組むのは大手の社員じゃなくて、二次請け三次請け四次請け以降の中小ソフトハウスや人材派遣だ。私は大卒後、東京で従業員10人ぐらいの小さい会社に就職して、あちこちの会社に業務請負で派遣された。単価がくそ安かった。多分会社対会社は月50-60万で契約してたのだろう。終電帰りや日曜出勤、徹夜は当たり前だった。その会社にいる間は月給20万(手取りじゃなくて総支給)超えたことなかった。ボーナス含めても年に300に届かなかった。
頭を使う割には社会的には十分底辺職と言ってもいい扱いだった。でもなぜか、周りを気にせず、単純にプログラミング上達したいおもしろいぐらいの気持ちがあったからなんとなく続いた。
それでも給料安すぎるし人間関係窮屈すぎてもう無理と思ってシステムエンジニア職中心の別の会社に転職した。ちょっと給料上がったが同世代の中央値には程遠かった。そこでもプログラミング中心の業務だったが、昇進するためにはプロジェクトマネージャーになるしかなく、上司面談でプログラミングの職人になりたいと言ったら鼻で笑われた。
プログラム組むよりもExcelで設計書書いたり進捗管理する方が偉いという風潮が根強くてどうもだめだった。
結局そこも何年かいてからやめて今は別の会社でやっぱりプログラミングしてるわけだが…。
この仕事で人並みに食えているという人たちの話がどうも素直に信じられないし(まったく食えない仕事ではない、とは思う)、この仕事が近年人気になっているという話も眉唾ものだ。
社会的な需要が増えているという話は少し信憑性を感じるがそれを鵜呑みにするにしては今のプログラマの社会的地位はあまりにも低すぎるだろう。
自分は能力こそ人並みにははるかに及ばないが、多分この仕事が好きでそれなりの好奇心があるのと、途中で諦めるのが悔しいという意地と他の仕事の適性がほぼないという状況でなんとか続けてきたのだが、
たくさん(?)の若い人が
・他のことも普通にできる
・頭がいい(少なくとも皆私よりは)
のに何故あえてこの仕事を選ぼうとするのか、ここで、プログラミングが好きという理由が出てこないのならそいつは頭がおかしいのか何かに騙されているとしか思えない。
コロナ下、公務員でも大企業サラリーマンでも正規社員は、お気楽である。大変だと言いながら、大企業は株主には配当を社員には給料どころかボーナスまで出すのだ。返さないでくれと言う銀行にもせっせと借金ゼロを目指して返済している。どんだけ内部留保を貯め込んでいるのかだ。公務員は国債を出せば良いのでこちらも負けじ劣らずお気楽だ。テレワークなんて楽勝で午前中でさっさと仕事を片付ければ、後は自由なのだ。これからはテレワークだなんて格好を付ける経営者もいるから、更に楽になりそうだ。特に大企業では大卒はガチで働かなくとも、1000万円くらいの年収なら、40歳になれば到達するし、残業も厭わずに必死で働くなら30代前半で到達する。サラリーマンの5%しかいないなんて本当だろうか?業績が良ければ何も貢献していなくとも年間ボーナスだけで1000万円を超える時もあるし、子会社に出たら出たで下手に仕事をすると子会社社員に嫌われるのでハンコを何も言わずに押して定時にさっさと帰る、そうした方が意外と業績も上がり、何もしていないのにたんまりとボーナスがでる、流石に1000万円はないが、その半分くらいにはなる。本当に楽勝だ。とにかく待遇が良く、必死で働く馬鹿がいる会社に入ることが大事で、入ってしまえば後は平均点路線で、そこそこ働けば良い。仕事は馬鹿に任せれば役員を目指して、それこそ馬車馬のように働いてくれる。何のかんの言っても外からは見えない世界だし、敢えて外部に言う必要もない。日本はいまだに完全なる学歴社会なので貧乏な家に生まれてしまうと予備校で受験テクニックを学べないので、相当に地頭が良くないと大企業の指定校には入れず、大企業に入るチャンスもない。ただ受験などはテクニックだけだ。就職氷河期においても優良大企業は採用を継続していた。メディア、マスコミは真実は伝えないので世の中が見えないのかもしれないが、いまだに既得権益の世界で別に無駄な努力などしなくとも座ってハンコを押していれば平均点は取れるのだ。出世はしなくとも、退職金も企業年金も出るし、グループ企業の個人年金もだいたい付き合いで入るので、引退しても年収500万円は下らないので贅沢は無理でも生きては行ける。加えて持株会にも入っていれば、年間百万円程度の配当だが結構ありがたい小遣いになるし、税金も2割で済む。港区の世界と違い、この程度のレベルなら注目もされず目立たないが、気楽に生きていけるので自分のような凡人には心地よい。しかし、現代資本主義社会は、全く持って不条理な世界だ。60歳で定年を迎えても大企業の場合、グローバル化しているので海外も厭わないのでまだ働きたいと言い、海外に出れば、家付き、車付きで年収1000万円、しかも手取りで維持出来るのだ。仕事も大した事ない。メディアの海外年寄り駐在員も同様なので決して報道されない。彼らのめちゃくちゃな待遇を知れば視聴者は怒り出すに違いない。起業するとか芸術や音楽で勝負するとかは考えず、人生自分の時間を大事にのんびりと行きたいなら、とにかく大企業の指定校に入り、真剣に企業研究し、狙った会社に入る事が大事で大学とは凡人にとってはその為にある、入社したら、先ずは受験テクニックの延長でそこそこ働き、様子を見ながら、自分の時間を楽しむ為に手を抜いていくことが大事なのである。まあ役員を目指すなら、それこそ今ならAIだ、DXだと必死で働かなけばならないが。。。金持ち喧嘩せずで親の金で有名私立一貫校か、受験テクニックを得て指定校かに入り、大企業に潜りこんで自分のような楽をしている株主からしたら腐った連中を貧乏界出身ながら地頭を生かして異様に頑張り続ける人間が支えているのが現実なのだ。このあたり、大企業内のエリートも高級官僚も同じだ。とにかく資本主義とは理不尽な世界なので、自分の立ち位置を見極めて、生き方を考える事が重要なのである。そうでないと悲惨な目に会うのだ。
給料が上がらなくて脱サラしたいけど、勇気が出ないサラリーマンのみんなに向けて
就職氷河期世代の既婚、都内在住。数年前に独立して年間売上1200万程度。
仕事は経費がそんなにかからない知的労働系の仕事(身バレ防止のためぼやかす)
妻は年収400万未満。財布は別々。家庭の支出の大半は自分が払ってる。
築30年超えのビンテージマンションをリノベした物件をサラリーマン時代に購入。3000万円台前半。
月々のローンは10万強。あと15年ぐらいで返済完了予定。快適さ最優先で選んだので、おうち大好き。
ちなみに仕事は自宅でやってるので、オフィス費は0。住宅ローンを一部経費に回してる。
一人の昼飯はAmazonや楽天で激安の時に買った松屋の牛丼と生野菜がデフォルト。
既婚者だからか、人望が薄いのか仕事関係の飲みは2~3ヶ月に1度。
予算は3000円以上1万円未満。
家族で外食は月1~2。行く店はだいたい決まっていて顔馴染みの店が数軒。
カフェはよく行く。ファミレスはサイゼ。テイクアウトでグリルソーセージ復活して嬉しい。
高いし食品添加物・化学調味料を避けてるのでコンビニはほとんど使わない。
意識高い系食品のお値打ち品も大好き。業務用食品通販も大好き。
靴、スポーツ系はアディダスとか、ちょっといいデニムはAPCとか、1~2万円程度の服を買うようになった。
スーツも一回オーダーメイドで作ったけど、ほとんど着る機会がないので、それっきり。
娘かわいい。もう一人欲しいけど年齢的に諦めてる。
免許ないので持ってないが、時間的にも経済的にも余裕が出てきたので自動車学校検討中。
免許取得後は、マイカーではなくカーシェアリングを使うと思う。
タクシーは割とカジュアルに使う。特に酔っ払ってて歩いて帰るのが面倒な時に駅から家までの1メーターとか。
現金400万程度、株400万円程度、その他フリーランスの節税対策でidecoや小規模共済は満額で支払い中。
サラリーマン時代は「お金に余裕がない」という感じだったが、今は欲しいものは我慢せずに買えるようになった(とはいえ最安値のタイミングやバーゲン狙い)。
あとはジムに通ったり、サプリやスキンケアにもお金が出せるようになった。
飲食店や小売とは違い、仕入れや家賃などの支出がないのも大きい。
売上は2000万以上を狙いたいけど、一人では捌ききれないので、仕事仲間に外注すると思う(ので、利益はそんなに増えないかも)。
もし、この売上で独身だったら、自己投資額も更に多いだろうし、渋谷とか新宿から徒歩圏内に住んで遊んでる時間も多いと思う。でも、今の生活もそれなりに好き。
私は両親ともに田舎の高卒で、就職氷河期だったから大した会社にも入社できず、父親は中小企業勤務のサラリーマンで母親はパート。
はてなで色々高学歴の世界と低学歴の世界について見たけど、本当に"低学歴の世界"なんて日本にいくつも存在すんの?超レアケースじゃない?って思っちゃう
私は低学歴でも高学歴でもないどっちつかず(一般家庭でいわゆるMARCH下位)なんだけど、高学歴の世界があるのは理解できる。
海外旅行バンバン行ってて当たり前のように海外のデパコス使ってるような人とか、付属校に推薦で入ったから受験を経験したことない人とか、えらく金かかる塾にずーっと通い続けてた人とか、他にも「マジで?」って聞きたくなる境遇の人はたくさんいる。
私は両親ともに田舎の高卒で、就職氷河期だったから大した会社にも入社できず、父親は中小企業勤務のサラリーマンで母親はパート。金がかかるからって言われ高校まではずっと公立、それから金銭面の問題で浪人も予備校行くのも許されなくて、だから参考書使った自力の勉強で、現役で行けるレベルの大学しか行けなかった。
中学は別にレベル高くなかったし、高校も部活で決めたから偏差値は低め。周りの友達にはFランと高卒と専門がたくさんいる。
ここまで書いたら分かってくれると思うんだけど、私は"低学歴の世界"で生きてた人間だと思うのね。だけどはてなにあるような"低学歴の世界"なんて見たことないし。
"低学歴の世界"がないとは言わないけど、超レアケースなのを大々的に喧伝してるだけじゃない?ってどうしても思っちゃう。だって信じられない。
世の中"高学歴の世界"と"低学歴の世界"の溝とか考えて絶望しちゃう人間なんて滅多にいないんじゃない?私だって、そこまで恵まれた環境じゃないと思うけど両親も今の大学も好きだし。格差是正とか言われてもピンとこないっていうか。
あと関係ないかもだけど、中卒とか高卒で働いて家族を養ってる人は立派だなぁって思うけどFラン大学生は皆嫌い。高い金を親に出してもらってそんなとこ行くなんて正気?って思う。
1浪してようやく受かった某私大(MARCHのどれか)を卒業したのが2000年3月
就職氷河期真っ只中ということもあり、東京での就職を目指したものの数十社以上お断りされ就職を断念
地元に戻り親のコネで就職を世話してもらうも人間関係に嫌気がさし3ヶ月ほどたったところで退職
その後は実家のそばに建っている親が経営するアパートの1室に住み無職生活を送り20年が経過した 家賃は当然払っていない
バイトもしていないが、相続税対策として親から毎年120万円の贈与を受けているので毎月のお小遣いとして10万円使うことが出来る
あくせく働いて年収4~500万円のサラリーマンよりも自分の方が幸福度は高いのではないかと思ったりもする 実際は違うんだろうけど
【追記】
・税務署大丈夫なの?毎年120万円だと定期贈与になるんじゃない?
⇒税理士の指導のもと、毎年贈与契約書を締結して「後から遡って作成したんじゃないの?」と言われないよう公証人役場で確定日付を取ってるので多分大丈夫です
・生活費としてならもっと援助してもらえばいいのに 親族間の生活費なら無税扱いなのでは?
⇒父親が確定申告(青色)してますが、私は家族従業員として年間60万円の名目上の給与を得ています(これと贈与分合わせると実際の年収はゼロじゃなくて180万円ですね すいません)
そして親がそのお金で私の国民年金や健康保険料その他を払ってくれています(支払を私任せにした結果過去に滞納したことがあるので、親が全て支払う形式となりました)
⇒買い物にはあまり行きたくないので、コロナ以前から食べ物飲み物に関しては親が加入している生協で私が欲しいものを注文し、親に支払してもらっています
・相続税払えるの?
⇒親が一括払込型の生命保険を契約済で保険金受取人は私になっているので、相続税についてはそれで払いなさいと親から言われています
自分は一人っ子なので父が亡くなった場合の相続人は母と私だけです
銀行との契約の際、父が高齢ということで法定相続人として契約に同席させられ色々説明を受けたことがあり、そこで大体の父親の資産全容も把握出来ました
・何かやりたいことないの?
⇒「パチプロ日記」を読んで故田山プロに憧れてパチプロになろうと思ったことがありましたが、毎日パチンコを打ってたら腰痛が酷くなり2ヶ月で断念しました
昨日のお昼ご飯は、前から行ってみたかったイタメシ屋のランチ定食弁当だった。
もともと夜は予約しないと食べられないお店で、その店で食べられるチャンスがなかなか無かった。
コロナのおかげで普段食べられないランチも食べられるようになったし、コロナのおかげで弁当やるようになった。
今日は混雑を避けて時間を遅らせて店に行ったら、ランチ弁当最後の1食だけが残っていた。
早速、残りの1食を頼んだら、ご飯が無いとのこと。
弁当は評判通りの味と丁寧な仕事のお店で大満足でした。クッキー付けてくれる心配りも嬉しいです。
思えば、こういう経験て、今までいろいろ有るなと思い出した。
ケーキセットで頼んだはずのケーキが来ずに、迷った別のケーキが来て、これでは紅茶に合わないんだけれど、まぁいっか、と諦めて食べたら、
ケーキを2個も食べられたのはかなり嬉しかったものの、ダイエットしていた時期だったので微妙な嬉しさだった。
大学進学時、本当は進学したかった学部があったけれど、途中でどうにもならない事が起き、結局あきらめて一般的な学部に進学した。
けれど、もしも希望の学部に進学していたら、就職氷河期だったから、自分の事だから早いうちに自殺していたに違いない。
結局その学部から無難な業界に進んだけれど、途中で過労により倒れたり入院したから、果たしてこれで良かったのかは微妙なところ。
人生て、荒波に揉まれて流された先で幸せを見つける。不幸も見つける。何を幸か不幸か感じる側のセンサーにもよるけれど。
どんな選択が自分にとって幸せになるのか不幸になるのか、箱が開くまで誰も分からない。箱が開いても分からない。
お前は運が良かっただけと言われると何も言えないけれど、それでもストレスで胃も腸も炎症潰瘍出血起こして人生最悪だった時がある。
無我夢中だったので当時の記憶はあまりないのだけれど、よく生きてたなと我ながら思う。
でも、その苦痛があるからこそ、その後で頑張れた時期もあった。最低まで落ちたら後は上がるだけ、との言葉にも励まされた。
励まされた言葉に耳を傾けるのも、目の前のチャンスに手を伸ばすのも、どん底から見上げる姿勢があったからだと思う。
それが無ければ、運も向いてこない。
これからが経済の正念場となると思うので、いろいろと辛い人が多く出てくると思う。
なので、今の苦痛は将来頑張る時の踏み台になる、本当に今が最低最悪な時ならば後は上がっていくはず、そう言いたい。
勿論、そんな簡単じゃない人もいるかもしれないけれど、それが可能な人なら頑張ってほしい。
そんな事を思いながら貰ったクッキーを食べたら、ちょっと塩っぱくってハーブが強いクッキーだった。クッキーは何とも言えない味だった。
1987年生まれは、就職活動期(2009年)にリーマンショックによる企業の新卒採用縮小のあおりを受け、就職に苦労した世代だ。
三学年くらい上〜一学年上の代までは売り手市場と言われ、就職氷河期からは脱したと思っていた。だがリーマンショックで事態は急変、回復傾向から急落した。
第一志望だった企業は採用活動さえしていなかった。後から聞いたらその年は縁故入社のみであったらしい。
子供を産んでからでも転職活動はできると考え、20代で子供を産もうと思った。
その後の景気回復を横目に転職活動も考えたが、自分の仕事の忙しさに加え妊娠出産育児に追われて思うようにいかなかった。
最近、氷河期世代の就職支援案が叫ばれているが、1987年産まれは対象外になっている。
誹謗中傷が注目を集めている。
これで何度目か。
それなのにいじめは無くならない。
在日韓国人として生まれ、物心ついたときから差別にさらされてきた。
人とのコミュニケーションから切り離された宝石箱みたいなアニメとゲームにすがり、偏見にさらされてきた。
就職氷河期世代にあたり、職業選択の自由なんてなかったのに、今は職業差別にさらされている。
だからどうした。
自分は今、前向きに生きている。
君たちはこういう。
それがどうした。他に辛い人は沢山いると。そんなものは差別でもなんでもないと。
他人からの差別や偏見にさらされてきた人は、ここで「まただ」と考える。
自分の命なんていともかんたんに握りつぶされてしまうのだと恐怖に怯える毎日を、経験したことのない人間に共感してもらうことなんて無理なんだ。
いじめの本質とは、誹謗中傷を行う人間がどうして生み出されるかというところに集約される。
いや、誹謗中傷を行う人間といじめられる人間との関係がどのように成り立つかと言い換えたほうがいいだろう。
そう、いまこれを読んでいるあなただ。
あなたは今までに、一度でも自分がいじめの原因になったことがあると考えたことはあるだろうか。
それはいつ?どのような場面で?
直近のことでいい。思い返してみてほしい。
この問いかけをした理由は、それは、いじめの本質的な原因はあなたにあるということを理解してほしいからだ。
なぜなら、いじめの本質は、いじめに参加している自覚がないことにこそ問題ある。
いじめられている人間が屈するのは、誰かから投げられた誹謗中傷ではない。
その誹謗中傷が、集団の総意として投げつけられることに絶望するのだ。
いじめられている人間に、「そんな意見無視しろ」とか「心無い人間が勝手に言っているだけだ」と慰めたことはあるか?
それはまったくもってお門違いだ。
しかしそうではない。いじめらているときに本当に恐怖する瞬間は、そのくだらないはずの意見の向こう側に圧倒的多数の同意を感じた瞬間だ。
くだらない意見なら、全員が否定するはずだ。それが否定されず、ましてやいいねやRT、はてなで言えば多くのスターを伴ったとき、その小さかったはずの針にとんかちで叩いたような衝撃が加わるのだ。
いいねやRT、スターをつけた人間の誰一人として、それがいじめに加担しているなどということは考えることはない。
その人にしてみれば、背中に軽く息を吹きかける程度のことでしかないからだ。
それがいくつも束になることで、いじめられている人間に届く頃には、崖から簡単に突き落とされるくらいの衝撃に変わっている。
一人一人の顔が見えない”周りのみんな”から大きな一撃が下されたようにしか感じることのできない衝撃が投げかけられるのだ。
いじめられる側にとって、それがどれだけ絶望か理解できるだろうか。
誹謗中傷を向けられている人間からすれば、背中を向けている全員が誹謗中傷を行う人間と同じことを考えていると感じることだろう。
真実が異なっていようとも、追い込まれた人間にはそうとしか思えない。
それでもまだ、追い込まれた人間の精神状態に問題があると切り捨てようとする人がいる。
自分は悪くないと開き直る人がいる。
そう主張する人間の影に隠れて、背中を向けたまま自分は悪くないと肯定しようとする人がいる。
そうしてまた物言わぬ総意として、追い込まれた人間に針を打ち込むのだ。
いじめの本質は、今これを読んでいるあなたが、いじめに加担している事実と、それを全く自覚できてなかったことにあるんだよ。
自らが誹謗中傷をしていなくったって、軽い気持ちで後押しをしてしまったことの積み重ねが人の命を簡単に握りつぶしてしまうんだよ。
誹謗中傷をやめよう!と声を上げることが、新たないじめを生んでいることになぜまだ理解できない。
力の均衡が崩れれば、いじめられていた側がいじめる側になることなんていくらでもある。
それを正義だなんだと肯定している限り、そこにいじめが本質的になくなることはない。
なぁ、だからさぁ、もういじめをなくそうなんて二度と口にしないでくれ。
口ではそういいながら新しいいじめを生み出そうとしているお前らを見ていると本当に反吐が出るんだ。
お前らはいじめからは絶対に抜け出せない。せめてそのことを自覚して生きてくれ。
他人に責任をなすりつけあって自分はいじめをしていませんなんて面をするのはやめてくれ。
私は就職氷河期世代やロストジェネレーションなどと呼ばれる世代です。
twitterでは高校三年生の悲鳴などが話題になったりしました。
この話題に関して伝えておきたいことがあって、文章を書くことにしました。
勢いで書ききるつもりなので誤字脱字などはご容赦いただければと思います。
私から伝えたいこと、それは
です。
さて、以降は私が経験したできごとを大きくわけて2つあげてみます。
その前に私について軽く述べておきます。
小学生の時分瀬戸大橋の完成、バブル崩壊などを経て、消費税導入がありました。
中学卒業の頃には氷河期が始まりつつあり、早めに進路を決める必要がありました。それは大学に行くかどうかも含めてです。
私は大学には行くことはできず、専門学校とバイトを掛け持ちの進学。やっとIT系に就職したものの、ブラック企業ばかりの状態でした。
自己責任という名のもと、必死に耐え忍んで、20後半の年代。もっとまともな仕事に着こうと転職活動を始めた矢先にリーマンショック。
リーマンショックが落ち着いて、立ち直りつつ今度こそと思っていたところへ東日本大震災。
そういう世代です。
コロナの影響で日本の医療崩壊が懸念されてはいるものも、「何をもってして医療崩壊とするか」が個々人によってバラバラのため、議論が進まず、言葉だけが独り歩きしていると感じています。
さて、医療崩壊と併せてよく言われる言葉。「命の選別」というものがありますが、私の家族はそれによってこの世を去りました。
もう10年以上前のことです。
田舎の隅のほうに家がありましたので、先進的な医療は受けられません。
医療設備の整った病院まで車で一時間くらいかかるような田舎です。
ある日、心臓病が発症して県庁所在地の病院まで搬送されましたが、もはや助かる見込みは無い状態でした。
親戚もそれは解っているため「仕方ない」「田舎だから」と諦めた様子でした。
父の家、すなわち私の実家は少しだけ都市に近い場所でした。病院にも数十分で搬送されたとのことでした。
しかし助かりませんでした。
「医者がいませんでした。」
「手術まで数時間待ちでした。」
「なんとか手術は終えましたが、合併症で脳梗塞が発症したため助かる見込みはありません」
これが私の父そして祖父に対して強制的に行われた「命の選別」です。
医療制度が新しくなって、地方に医者(研修医)が来なくなりました。
(興味がある人は調べてみてください。研修で地方に来る人が居なくなり、その結果何が起きたか。)
その結果がこれです。
私が小学生の頃、瀬戸大橋が完成して本州と四国が一本に繋がりました。俗にいう「一本列島」ですね。
先行き明るいと思われていましたが、バブル崩壊や消費税導入が押し寄せてきました。
家の家計は数十年先まで給料が上がり続ける前提で組まれたローンとなかなか上がらなくなった給料で苦しかったようです。
それでも父と母が共働きでなんとか学費などを貯め続けてくれていました。
高校に進学する頃には就職が難しいという話題があがりはじめていました。氷河期です。
高校、大学と進んでも先行き不透明のため、中卒で力仕事に従事する道を選んだ子も居ました。
大学進学までを希望していた子でも、普通科ではなく商業高校や工業高校に切り替えたりしていました。
私の家は大きな被害は受けなかったものの、親戚関係で色々あり、、、省略。
そして本格的な就職氷河期が始まりました。就職先はほとんどありません。
就職組の競争率は2倍、3倍。公務員に至っては10倍近い倍率もあります。
なぜそうなるのか?
自分の高校だけの話ではなくて、全国的に就職先が無い状態です。
すると、偏差値の高い高校、本来大学に行くような人たちが公務員などの就職試験を受けに来ます。
では進学すればいいかというと、そうでもありません。世間では「即戦力」が求められた時代です。
そしてお金がない家庭に何が起きるかというと、とても居心地が悪くなるわけで、今でいう虐待に相当する行為が起きてしまうわけです。
それでも学校の先生はこう言います。「勉強していい成績とれば、家庭環境も良くなる」
前提として「勉強」があるわけですが、それを阻害する要因の「虐待」が発生しつつあるので、もはやどうしようもないです。
今にして思えば父も母も不安だったのだと思います。もし受験失敗したら、浪人するお金はない。すなわち高卒で働くことになる。
滑り止めで私立は無理。震災でお金が無く、そもそも受験費用の捻出だけで今は精一杯だったので。
公務員などの就職は難しい、、、では最初から少しでもマシな企業に就職するか?
色々考えた結果、私は専門学校という苦肉の策を選びました。自己責任です。自分の選んだ道ですから。
進学、就職をなんとか乗り越えても、次の罠がやってきます。派遣法改悪です。
就職先を増やすためとの名目ですが、実態は奴隷商売・人身売買です。
私は派遣ではなく正社員として就職したものの、派遣会社に限らず下請けのソフト会社などにありがちな二重、三重の下請けの一部が派遣に切り替わったりしていきます。偽装請負ってやつですね。
偽装請負や二重派遣は派遣法で禁止されていますが、派遣会社の社員がそれを言い出せるでしょうか?
もしそれを訴えてしまうと「誰が訴えたか」が伝わってしまい、次に仕事に就くのが困難になります。
労働基準監督署に依頼しても、そこまで保護してくれません。つまり誰も言い出せない。そんな状況です。
なんとか実務経験を積んで、転職を繰り返すことで少しずつ待遇は良くなりました。
送別会で初めて会うN次受けの営業さんに「お世話になりました」などと大人な対応で去り、次に行く。
しかし、転職はブラック企業をひくかどうかという、精神的に負担が大きいギャンブルです。
ギャンブルを繰り返し、少しづつまともなところへと向かっていった中で。。。リーマンショックや東日本大震災が襲ってきました。
東日本大震災直後の年収は額面240万でした。計算しやすくていいですね。
リーマンショックでは助成金があるから、その金額はおかしいのでは?と考えるかもしれませんが、残念ながらあの助成金は企業に対して支払われるもので、そこのやりとりに一般社員が関与することはできないんですよね。
労働基準監督署?もし訴えて未払い残業代を手に入れたところで、その業界で働けなくなったら意味なくないですよね。
脅しだから無視してよいと言われても、ずっとこういう生活を続けているとそれが当たり前になってしまうのです。
そもそも労働基準監督署もリーマンショックや震災などの有事の際は忙しいですし、一人ひとり真面目に相手になんてしてくれません。残念なことです。
・自己責任論で弱者(まだ世間を知らない学生さん等)に責任を押し付けてはいけない
自己責任論と言われて育ってきましたが、あれは間違っています。
まだ世間の荒波を知らない20台の若者に「責任をもて」「経営者目線で」と言いつつ安月給や非正規雇用で働かせる。それは間違いです。
コロナでの「自粛」と同じく、「自己責任」は当人が自主的に口にするべきものです。
そもそも選択肢が無い状態で仕方なくその道を選んでいるのに「自己責任」と投げかけるのは間違いです。
就職先無いけど、どうする?自分の責任で選んでね。というのは無茶ぶりです。
・仕事があるかどうかは時代の流れが大きい。本人の能力の問題にすり替えてはいけない
自己責任論とかぶる部分が大きいですが、就職先が無い状態で学生さんの能力が低いからと責めるのは間違いです。
たとえば競争率10倍の公務員試験であれば、100個しかない椅子に1000人押しかける状況です。
「学力をあげれば就職できる」論も間違いで、私の例でいえば家庭環境が終わっているのにどうやって勉強するのか?という話です。
当時の私には食事すらまともに出てきませんでした。生きるためにバイトをしましたが、そうすると勉強時間が減ります。
すなわち、環境が悪化している状況下で本人に問題があると論点をすり替えるのは間違いです。
twitterなどで話題になっていた高校生の悲鳴は「勉強できる環境づくりが難しい」という点だと思っています。本来なら大人がサポートするべきところです。
そして進学が不安だというのも納得です。
氷河期当初、進学するはずだった人たちが公務員試験を受けに来たという状況。それは当人にはどうしようもないし、平時であれば合格できたはずです。
それを「勉強不足だ」などと本人の責任にしてしまうのは間違いです。
私ももう40台となってしまいました。失われた時間は返ってきませんし、怒りや憎しみを次の世代になすりつけるつもりもありません。
度重なる過労と鬱で子供を作る能力すら失われてしまいました。だからこそ、この文章を見ている人にお願いします。
「年寄りだから」「若者だから」といがみ合って、物事の本質を見失っていないでしょうか。
身の回りの小さなことに苛立つのではなく、そんな状況にしてしまった世界や日本、そして政治をなんとかするべきです。
労働者階級同士でいがみ合い、会社間でいがみ合い、それでは誰も幸せになっていません。
当初の導入では福祉や医療などをまかなうため(という建前)の消費税でした。しかし実態はどうでしょう?
父の命に対して
「医者がいないので手術できませんでした」
都会/田舎、高収入/定収入、所属企業を問わず皆が平等に収めている消費税。
平等に収めた税金にもかかわらず「(田舎だから)医者が居ません」と人の命を切り捨ててしまった。故に消費税は不要です。
法人税はどんどん下がっているのに、消費税はどんどん上がっていく。そして消費税は生活を圧迫し続け、私自身は生活も苦しい状況が続いています。
勘違いしてほしくないので最後に少しだけ書くと、犯人捜しや不幸自慢を推奨しているわけではないということです。
消費税が悪、政府が悪といった「犯人捜し」に躍起になったところで、誰も幸せになっていません。
氷河期は不幸だと不幸自慢したところで救われません。
過去にこのような問題があり、私自身がそれを受けて多くの不幸に見舞われたからこそ、新しい世代にはそうあってほしくないと願っています。
まさにバブル崩壊直後の話だった。
両親が険しい顔をして小声で話し込んでいるのを遊びながら横目で見ていた。
その時はただおじがなくなったという話だけを聞いた。
葬式に参列したとき、口の軽い別のおじから「あいつは自殺した」と聞かされた。
両親もその場にいたが、そのことを隠したかったみたいでバツの悪そうな顔をしていた。
そのおじのことは嫌いだった。
見た目もしゃべり方もチンピラ風で、小学生の頃はいとこと遊んでいるところを何度も邪魔されその都度泣かされてばかりだった。
親戚の集まりではいつも遅れてきてくるばかりか大抵の場合すでに酔っ払っていた。
早々にお金の話を始めて、自分の羽振りの良さの自慢ばかりしていた。
父の妹の婿さんだったが、先に来た妹が兄弟に囲まれて泣いている姿も何度か目にしたこともあった。
おじの子どもたちは自分より年上でおじとは似つかないほどにしっかりと誠実な印象だった。
しかしながら酔っ払って大騒ぎするおじを止めるようなことは一度もなかった。
受け入れていると言うよりは諦めている印象だ。
その当時、こんなにも周りを敵に回して、この人はなんて強い人なんだと自分は思っていた。
こういう無神経な人が世の中で幅を利かせて思い通りの人生を生きていくのだと思っていた。
悲しいとか、ましてや嬉しいとかもなく、ただただ驚きがそこにあるだけだった。
そんな自分も今年で45歳になった。
正確には覚えていないが、おじが自殺したのと同じくらいの年齢だ。
10年前に滑り込むように見合いで同世代の女性と結婚をして、なんとか2人の子宝にも恵まれた。
おじの存在はいつも心のどこかに引っかかっていて、自分はそんな大人になりたくないといつもブレーキのように行動を見直させてくれた。
これから先の未来においても、回復は絶望的ではないかと思えるような状況だ。
就職氷河期直撃の世代なので、仕事を選ぶことなんてできなかった。
当時から底辺と言われるような業種だったが、働けるだけましだと思い、一生懸命ここまで走り続けてきた。
なんとか生活も安定してきて、自分はおじのようにならずに済んだとほっとし始めていた矢先だった。
このまま全てを失うかもしれない。
業態ごとなくなってしまえば、もう1から何かを始められる年齢ではない。
今はまだ病気なんかに負けたくない気持ちだけで生きる気力をつないでいるが、コロナが落ち着いて経済を再建していく上で、皆が順調に再建していくなかで、業態ごとなくした自分はどうなってしまうのだろうという不安に押しつぶされそうになる。
そんな人間と一緒にいるくらいなら、なんとかまだ働いて行けている妻の親元に子供ごと帰らしたほうがよいのではないか。
自分ひとりなら惨めな思いは耐えられるかもしれないが、家族に惨めな思いをさせるのは耐えられないかもしれない。
あの時、バブルが弾けて全てを失ったおじも同じことを考えていたのだろうか。
30年以上も過ぎていまさらあのおじに苦しめられるとは思ってもいなかった。
仕事や学校のストレスから開放されたからともっともらしい理由が書いてあったが、自分は違うと思った。
なぜなら、生物は死ぬかもしれない状況になると生きたいと思うようにできているからだ。
常々、自殺に至るメカニズムは「死にたい」が原因ではないと考えている。
むしろ「生きたい」と考えるからこそそれがかなわないことに絶望するのだ。
周りが生活を再開して生き生きとし始めた時、自分だけが取り残されていると感じたらどうだろう。
「生きたい」のに「生きられない」と感じた時、心の引き金を引かないでいられる自信がない。
気が付かないままに自分もいつの間にか気高い存在になってしまっていたのかもしれない。
これを書いている最中でさえ、心は激しく浮き沈みを繰り返している。
全てを失った時、心の外側にべっとりと絡みついた贅肉のような傲慢さも一緒に取り除くことができるのだろうか。
一浪での2010年卒。バブル崩壊後の第一世代に比べたらマシだと思うけれど、前年の友人の話が嘘みたいに通用しなくて苦労した。
いわゆる関関同立に通っていて、前年までは大手企業の複数内定が当たり前の風潮だった。
産近甲龍の友人たちも同様に大手メーカー、第一地銀の内定を続々と決めていたので、就活とはそんなもんなんだろうなーと思ってた。
リーマンショック後、そんな安易な展望はおおいに打ち砕かれた。採用枠が前年比半減ぐらいならまだ良い方で、6-7割減なんてところも多かった記憶がある。
なんとか地場大手メーカーの内定を得たものの、それが唯一の内定で、後は惨憺たる結果だった。同期は何でこの学歴でこの会社なの?と思うようなやつも多かったので、岡村さんの理屈はある意味では正しいのかとしれない。
10年経って今更悔やむとかはないけれど、生まれた年(自分の場合は浪人のせいだけど)でこうも環境が変わるのは実に不公平なことと思う。