生きるってなんでしょうね
死ぬってなんでしょうね
若いうちに自殺する人って、友達とかいなくて、孤立してて、なんとなくはぶかれてたり、”そういう人”だっておもってました。勝手に。
あきらかにうつになってた、とかね。
そんなんじゃなくても死んじゃうひとは死んじゃうんですね。
地元を離れみんなよりも一足早く社会人になった彼は、大変だわーとは言っていたけれど、大変だよねーくらいにしかおもってなかった。
いま考えたら、とか、彼のSNSを遡ったりすると思わせぶりな言動はたくさんあったけれど、どれも半分冗談のようにも見えたし、職場の友達をつれて飛行機に乗って地元まで帰ってきたりしていたから向こうで孤立していたわけでもなさそうだった。
あのときこうすればよかったのかなぁとか、ふとした時に思い出したりする。
そんなとき、みんなと話しても必ず結果はどうしようもなかったんだよ、私たちがどうにかできることではなかったんだよ、ってなる。
お葬式もほんとうの近しい家族だけで行ったようで、そもそも亡くなったこと自体を私たちが知ったのは三か月ちかく経ってからだった。
お参りに行っても帰ってくるわけじゃないし、会えるわけじゃないし、彼の好きだったビールもたばこもお菓子も彼のもとに届くわけではないし、お花が似合うような奴でもなかったし、私たちはどんどん彼よりも大人になっていく。
「おれは永遠に若いけどお前らはどんどんジジイババアになってくなwww」って笑ってそうだなぁっておもったり。
残った人ってこんな気持ちなんですね。
あっけないですね。
病院で働いてるけど、最近延命の話とかたくさん聞いて、病気になってから何十年も胃に通したチューブに栄養をいれて寝たきりのひととかたくさんいて、人生ってなんだろうなぁと思います。
飲み込む機能とか正常なのに、本人が食事をしたくないから胃に栄養を流し込んでいたり
持って帰ってきた仕事進めないとなあ。