はてなキーワード: 印刷とは
あの万券、レイアウトずれとかそういうの以前に大事な機能落としてるじゃんか。
万券で一番大事なのは「収蔵しておくとボロボロになっていく」事だろ。ボロっちくなった万券は通貨としての価値が目減りする。1年経つと9000円の価値しかない。
または数字部分が一桁ずつ消えていくというのでもよい。プリンコCDみたいな印刷で10年置いておくと1000円券になる。目減りするから直ぐに使ってしまうに限る。
銀行から借りると積み立てておくより安全だ。手元の金は持っておくより投資的な使い方して未来にピン札を給付されるようにすれば目減りせず合理的。
流動性の罠には堅牢性の罠だ。内部留保なんて全部溶けてしまえ。金持っていたくない投資家がジャンジャン預けてくれるから資金には困らねぇ。
太平洋戦争では、米軍は集めた素人に対してもわかりやすいマニュアルを作成して育成をした。
マニュアル通りに動く人間ばかりだとしても、柔軟にマニュアルを改変できる少数の人員と体制があれば強い。
https://list.jd.com/list.html?cat=1713,9351
自分は半導体技術者なので、半導体関係の書籍の話になってしまうが、
Cadence社のVirtuosoの使い方が手取り足取り書かれていて驚く。
他にも、半導体プロセスについての書籍が600ページカラー刷りという、日本だとありえないものが出版されている。
書籍のレビューが、内容ではなく、ちゃんと印刷されているかといった本の品質面についてのコメントばかりなのは気になる所だが、
業務寄りの書籍も多く、理論と実践の数冊読めば業務回していけるなと感じた。
一回目が6月の終わり頃の話なので結構前の話になるが、ジャパネットの職域接種でモデルナのワクチンを打ってもらった
別にジャパネットの社員という訳ではないのだが、地域枠みたいなものがあってそこに入れたのだ
ちなみにジャパネットの職域接種はすでに終了している
発表直後に手続きをした事もあり、すんなり予約を取る事ができた
直後に政府が職域接種向けワクチンの供給量を絞る方針を出した為、予約の取り消しなどもあったが幸い俺はその対象にはならなかった
で、そのジャパネットの職域接種なのだが事前にスマホで登録し、その際に問診票に書き込む内容(持病の有無など)も入力しておくという方式を取っていた
そして前日に送られてきたQRコードを、会場に用意されたPCに読み取らせてその場で問診票を印刷するというものだった
その為、接種予約にはスマホが必須だったが、いちいち自分で問診票を書かなくて良いのは楽だった
当日の体温などはその場で書き込む必要があったが、体温は入り口で手を消毒する際に一緒に測れるので問題なかった
会場には長机を使って仕切る事で問診や接種を受ける場所への順路を作っていて、待ってる間に問診票に当日の体温などを書いておくという流れだった
1回目はジャパネットの担当社員やバイトの人達が慣れていない様子ではあったのだが、それでも20分ほどで接種を終える事ができた
2回目の際には段取りがかなり良くなっていたので、接種を終えるまでに10分もかからなかった
俺が接種したのがスタジアム建設予定地に建てられたプレハブの会場だったのだが、スペース的に接種後の待機をそこで行うのは難しかった
その為、ジャパネットは外にエアコン効かせた貸し切りバスを並べて、そこを待機場所に使っていた
スタッフの人に「○号車で待機してください」と教えて貰い、接種した際に15分か30分待機したらあとは帰るだけだった
父の自治体による接種(一応付添として付いていったのだ)に比べると、待ち時間が短かった様に思う
また自分でいちいち問診票を手書きしなくても良いのはやはり楽だった(俺の字は汚いし)
「待機スペースが足りないならバスを使えばいいじゃない」というのも良いアイディアだったと思う
使う機械も問診票を印刷するプリンターにノートPC乗っけてバーコードリーダー(webカメラだったかもしれん)付けただけなので、真似するのは容易だと思った
このシステムに関してはジャパネットが考えたのではなく、別の会社が作ったシステムをジャパネットが導入したんだろうと思う
ググったらそれっぽい会社も引っかかったし(違ってたらジャパネットさん、ごめんなさい)
スマホが必須なので高齢者には難しいところもあるとは思うが、3回目以降の接種も必要になるのであれば自治体の接種会場でも同じ様な仕組みを導入して欲しいと思っている
鑑定や価値測定の問題は非常に幅広いものである。人間にとっては、好意の返礼、物々交換、貨幣、信用、雇用、市場での購入など、あらゆる交換システムに関わってくる。また、強要、課税、貢ぎ物、司法上の刑罰の設定などにおいても重要である。動物の互恵的利他主義においても重要である。例えば、サルが背中を掻くために果物を交換することを考えてみよう。相互に毛づくろいをすることで、個人では見えないし届かないダニやノミを取り除くことができる。しかし、どれだけの毛づくろいとどれだけの果物を交換すれば、お互いに「公平」だと思える、つまり離反しないお返しになるのであろうか?20分間のバックスクラッチングの価値は、果物1個分であろうか、それとも2個分であろうか?また、どのくらいの大きさの果物であろうか?
血と血を交換するという単純なケースでさえ、見かけよりも複雑なのだ。コウモリは、受け取った血の価値をどのように見積もっているのだろうか。重さ、大きさ、味、空腹を満たす能力、その他の変数で価値を見積もるのだろうか?それと同じように、「あなたが私の背中を掻いてくれたら、私があなたの背中を掻く」という単純な猿の交換でも、測定は複雑になる。
大多数の潜在的な交換において、動物にとって測定問題は難題である。顔を覚えてそれを好意に結びつけるという簡単な問題以上に、そもそも好意の価値の推定値について双方が十分な精度で合意できるかどうかが、動物の相互的利他主義の主な障壁となっているのではないだろうか。
現存する旧石器時代初期の人類の石器は、我々のような大きさの脳には複雑すぎる面がある。誰が誰のためにどのような品質の道具を作ったのか、したがって誰が誰に何を借りているのかなど、彼らに関わる好意を記録しておくことは、一族の境界線の外ではあまりにも困難であっただろう。それに加えて、おそらく残っていない多種多様な有機物や、身だしなみなどの刹那的なサービスなどがあるであろう。これらの物品のほんの一部でも譲渡され、サービスが行われた後には、我々の脳は膨れ上がっていて、誰が誰に何を借りているのかを把握することはできなかった。今日、我々はこれらのことをよく書き留めているが、旧石器人には文字がなかった。考古学的な記録が示すように、氏族や部族間での協力が実際に行われていたとすれば、問題はさらに悪化する。狩猟採集民の部族は通常、非常に敵対的で相互に不信感を抱いていたからである。
貝がお金になる、毛皮がお金になる、金がお金になるなど、お金が法定通貨法に基づいて政府が発行した硬貨や紙幣だけでなく、さまざまなものであるとすれば、そもそもお金とは何なのであろうか。また、飢餓の危機に瀕していた人類は、狩猟や採集にもっと時間を割くことができたはずなのに、なぜネックレスを作って楽しんでいたのであろうか。19世紀の経済学者、カール・メンガーは、十分な量の商品交換から自然に、そして必然的に貨幣が進化することを初めて説明した。現代の経済用語で言えば、メンガーの話と似ている。
物々交換には利害関係の一致が必要である。アリスはピーカンを栽培してリンゴを欲しがり、ボブはリンゴを栽培してピーカンを欲しがる。たまたま果樹園が近くにあり、たまたまアリスはボブを信頼していて、ピーカンの収穫時期とリンゴの収穫時期の間に待つことができたとする。これらの条件がすべて満たされていれば、物々交換はうまくいく。しかし、アリスがオレンジを栽培していた場合、ボブがピーカンだけでなくオレンジも欲しかったとしても、運が悪かったとしか言いようがない - オレンジとリンゴは同じ気候では両方ともうまく育たない。また、アリスとボブがお互いを信頼しておらず、仲介してくれる第三者を見つけられなかったり、契約を履行できなかったりした場合も、運が悪いと言わざるを得ない。
さらに複雑な事態も起こりえる。アリスとボブは、将来的にピーカンやリンゴを売るという約束を完全に明確にすることはできない。なぜなら、他の可能性として、アリスは最高のピーカンを独り占めし(ボブは最高のリンゴを独り占めし)、他の人には残りかすを与えることができるからである。2つの異なる種類の商品の質と量を比較することは、一方の商品の状態が記憶でしかない場合には、より困難になる。さらに、どちらも凶作などの出来事を予測することはできない。これらの複雑さは、アリスとボブが、分離した互恵的利他主義が本当に互恵的であったかどうかを判断する問題を大きくしている。このような複雑な問題は、最初の取引と互恵的な取引の間の時間的な間隔や不確実性が大きいほど大きくなる。
関連する問題として、エンジニアが言うように、物々交換は「スケールしない」ということがある。物々交換は、少量であればうまく機能するが、大量になるとコストがどんどん高くなり、労力に見合わないほどのコストになってしまう。取引される商品やサービスがn個ある場合、物々交換市場ではn^2個の価格が必要になる。5つの商品であれば25個の価格が必要となり、悪くはないが、500の商品であれば25万個の価格が必要となり、一人の人間が管理するには現実的ではない。貨幣を使えば、500の製品に500の価格というように、n個の価格しかない。この目的のためのお金は、交換媒体としても、単に価値の基準としても機能する。(後者の問題は、暗黙の保険「契約」とともに、競争市場が存在しなかったことから、価格が近しい交渉ではなく、長い間進化してきた慣習によって設定されることが多かった理由でもある)。)
物々交換に必要なのは、言い換えれば、供給やスキル、好み、時間、そして低い取引コストの偶然の一致である。そのコストは、取引される商品の数の増加よりもはるかに速く増加する。物々交換は、確かに全く取引をしないよりははるかに効果的であり、広く実践されてきた。しかし、お金を使った貿易に比べれば、その効果はかなり限定的である。
原始的な貨幣は、大規模な貿易ネットワークよりもずっと前から存在していた。貨幣には、もっと早くから重要な用途があった。貨幣は、信用の必要性を大幅に減少させることで、小規模な物々交換ネットワークの働きを大きく改善した。好みが同時に一致することは、長い時間の間に一致することよりもはるかに稀だった。お金があれば、アリスは今月のブルーベリーの熟度に合わせてボブのために採集し、ボブは半年後のマンモスの群れの移動に合わせてアリスのために狩りをすることができ、誰が誰に借金をしているかを把握したり、相手の記憶や誠実さを信用したりする必要はない。母親の子育てへのより大きな投資を、偽造できない貴重品の贈与で担保することができる。貨幣は、分業の問題を囚人のジレンマから単純な交換に変えてくれる。
多くの狩猟採集民が使用していた原始的な貨幣は、現代の貨幣とは全く異なる姿をしており、現代文化の中では異なる役割を果たしており、おそらく後述する小さな交易ネットワークやその他の地域的な制度に限定された機能を持っていた。私はこのような貨幣を、本来の貨幣ではなく、収集品と呼ぶことにする。人類学の文献では、このようなものを「お金」と呼んでいるが、これは政府が印刷した紙幣や硬貨よりも広い範囲で定義されているが、このエッセイで使う「collectible」よりも狭い範囲で定義されている。また、曖昧な「valuable」という言葉もあるが、これはこのエッセイの意味でのcollectiblesではないものを指すこともある。原始貨幣の名称として他の可能性がある中で、コレクティブルという言葉を選んだ理由は明らかであろう。コレクティブルは非常に特定の属性を持っていた。それらは単に象徴的なものではなかった。コレクティブルとして評価される具体的な物や属性は、文化によって異なる可能性があるが、恣意的なものではない。収集品の第一の、そして究極の進化的機能は、富を貯蔵し、移転するための媒体であった。ワンパムのようなある種の収集品は、経済的・社会的条件が貿易を促進するところでは、現代人が知っているような貨幣として非常に機能的である。私は、コイン時代以前の富の移動手段を議論する際に、「原始的な貨幣」や「原始的な貨幣」という言葉を、「収集品」と同じように使うことがある。
人々、一族、あるいは部族が自発的に貿易を行うのは、双方が何かを得ることができると信じているからである。価値についての彼らの信念は、例えばその商品やサービスについての経験を積むなどして、取引後に変わることがある。交易の時点での彼らの信念は、価値についてはある程度不正確であるものの、利益の存在については通常正しいものである。特に初期の部族間貿易では、高額商品に限られていたため、各当事者が自分の信念を正しく理解しようとする強い動機があった。そのため、貿易はほとんどの場合、双方に利益をもたらした。貿易は、何かを作るという物理的な行為と同様に、価値を生み出した。
個人、一族、部族はそれぞれ好みが異なり、これらの好みを満たす能力も異なり、これらの能力や好み、そしてそれらの結果として得られる物について持っている信念も異なるため、貿易から得られる利益は常にある。このような取引を行うためのコスト(取引コスト)が、取引を価値あるものにするのに十分低いかどうかは別問題である。我々の文明では、人類の歴史上の大半の時代よりもはるかに多くの取引が可能である。しかし、後述するように、いくつかの種類の取引は、おそらくホモ・サピエンス・サピエンスが誕生した頃まで、一部の文化にとっては取引コスト以上の価値があった。
取引コストが低いことで利益を得ることができるのは、任意のスポット取引だけではない。これが、貨幣の起源と進化を理解する鍵となる。また、家宝を担保にすることで、取引の遅延による信用リスクを回避することもできた。勝った部族が負けた部族から貢ぎ物を取ることは、勝った部族にとって大きな利益となった。勝利者の貢ぎ物を集める能力は、貿易と同じ種類の取引コスト技術の恩恵を受けていたのである。慣習や法律に反する行為に対する損害賠償を請求する原告や、結婚を斡旋する親族集団も同様である。また、親族は、タイムリーで平和的な相続による富の贈与の恩恵を受けていた。現代文化では貿易の世界から切り離されている人間の主要なライフイベントも、取引コストを下げる技術によって、貿易に劣らず、時にはそれ以上の恩恵を受けていた。これらの技術のうち、原始的な貨幣(収集品)よりも効果的で重要なものはなく、また初期のものでもなかった。
H.サピエンス・サピエンスがH.サピエンス・ネアンデルターレンシスを駆逐すると、人口爆発が起こった。紀元前4万年から3万5千年の間にヨーロッパを占領した証拠から、サピエンス・サピエンスはネアンデルターレンシスに比べて環境収容力を10倍にしたこと、つまり人口密度が10倍になったことがわかる。それだけではなく、彼らは世界初の芸術を創造する余裕があった。例えば、素晴らしい洞窟壁画、多種多様で精巧な置物、そしてもちろん貝殻、歯、卵殻を使った素晴らしいペンダントやネックレスなどである。
これらは単なる装飾品ではない。収集品や、その時代に進歩したと思われる言語によって可能になった、新しい効果的な富の移動は、新しい文化的制度を生み出し、環境収容力の増加に主導的な役割を果たしたと考えられる。
新参者であるH.サピエンス・サピエンスは、ネアンデルタール人と同じ大きさの脳、弱い骨、小さい筋肉を持っていた。狩りの道具はより洗練されていたが、紀元前35,000年の時点では基本的に同じ道具であり、2倍の効果も10倍の効果もなかったであろう。最大の違いは、収集品によってより効果的に、あるいは可能になった富の移動だったかもしれない。H.サピエンス・サピエンスは、貝殻を集めて宝石にしたり、見せびらかしたり、交換したりすることに喜びを感じていた。ネアンデルターレンシスはそうではなかった。これと同じことが、何万年も前にセレンゲティで起きていたのである。
ここでは、コレクションアイテムが、自発的な無償の相続、自発的な相互取引や結婚、法的判断や貢ぎ物などの非自発的な移転など、それぞれの種類の富の移転において、どのように取引コストを下げたかを説明する。
これらの種類の価値移転はすべて、人類の先史時代の多くの文化で行われており、おそらくホモ・サピエンス・サピエンスが誕生したときから行われていたと考えられる。このような人生の一大イベントである富の移転によって、一方または両方の当事者が得られる利益は非常に大きく、高い取引コストにもかかわらず発生した。現代の貨幣と比較して、原始的な貨幣の速度は非常に低く、平均的な個人の一生の間にほんの数回しか譲渡されないかもしれない。しかし、今日では家宝と呼ばれるような耐久性のある収集品は、何世代にもわたって持ち続けることができ、譲渡のたびに相当な価値を付加することができたし、しばしば譲渡が可能になることもあった。そのため、部族は、宝石や収集品の原料を製造したり、探索したりするという、一見すると軽薄な作業に多くの時間を費やしていた。
富の移転が重要な要素となっている制度では、次のような質問をする:
1. 事象、移転された財の供給、移転された財の需要の間には、時間的にどのような偶然の一致が必要だったか?偶然の一致があり得ないことは、富の移転にとってどれほどあり得ないことか、あるいはどれほど高い障壁になるか?
2. 富の移転は、その制度だけで収集品の閉ループを形成するのか、それとも循環サイクルを完成させるために他の富の移転制度が必要なのか。貨幣の流通の実際のフローグラフを真剣に考えることは、貨幣の出現を理解する上で非常に重要である。多種多様な取引の間で一般的に流通することは、人類の先史時代のほとんどの期間、存在しなかったし、これからも存在しないであろう。完結したループが繰り返されなければ、収集品は循環せず、価値がなくなってしまう。作る価値のある収集品は、そのコストを償却するのに十分な取引で価値を付加しなければならない。
おえかきちょう、または、らくがきちょうとは、幼稚園児や小学生、または絵描きの人がよく使うあのB5サイズ程度の無地の紙のことだ。
だいたい文房具屋で100枚で110円(税込)で買える。Amazonなら80枚110円ほどだ。
結論から言うと、あれは買うべきである。なぜ買うべきの根拠を説明していきたいと思う。
そもそも紙媒体の良さとは、ペンでサクッとなんでも描けるところにある。よくわからないオリジナルな記号や、複雑怪奇なダイアグラムをすぐさま描くことができる。
もちろん、ペンタブやiPadでも同じように描くことはできるが、ペンタブやiPadに無い利点がある。まず、物理ペンは圧倒的に描けるスピードが速い。
文字に関してはタイピングの方が速い人も多いだろうが、別に真円である必要のないただの丸や四角形を書くときは、紙の方が速いものだ。「A→B→C」という図を描いたあと、そのBに別方向からDを追加して…のような図をササッと描きたいときは、紙が圧倒的な速度を誇る。ものの5秒で終わってしまう。起動時間などもない。ペンと紙があればいい。
また、紙はマルチディスプレイ化しやすい。iPadは1台が高価なので、3台も持って同時に使うことは難しいはずだ。充電も3倍しないといけない。一方で、紙は3枚並べるだけでいい。この紙とその紙とあの紙を机の上に並べるだけでディスプレイと化す。費用はなんと3円だ。
ちょっとしたToDoリストや、何かのプロトタイプ用の図面になるのである。
もちろん、正式な図面の作成には紙は不向きだ。紙媒体の苦手な点は上書き保存・状態の頻繁な変化なので、こうしたデータを保存したい場合は紙媒体でない方がいい。また、人とデータを共有したい場合は紙媒体は不向きである。これらの話は、「電子媒体ではなく紙媒体を使え」と言っているわけではなく、あくまでプロトタイプ的使用、メモ的使用の段階では、紙媒体は相当な利便性を持つということだ。紙は遅延しない。
紙は破れる。
紙は破れるのである。
本のしおりにすることができる。「SOS」と書いて窓に貼り付けることもできる。
「入るな!」と書いて自分の部屋のドアに貼り付けることもできる。紙をぐしゃぐしゃに丸めて投げて「これが放物運動だよ」と説明することもできるし、紙を何回折りたたんだら月まで届くかという説明にも使える。
だいぶ薄くなったおえかきちょうはうちわにもなる。
まさに万能素材。
電子媒体はこうはいかない。iPadでハエを叩いたりはしない。精密製品であり高価なことが目的外利用を妨げている。
そのため、即使い、即破り、ガンガン書いていくスタイルにはかなり適している。
破りやすいことで、何枚でも並べることができる。マルチディスプレイができる。
賛否両論あると思うが、罫線は書く速度を500msほど遅延させるように思える。また、図を見たときに、罫線がノイズになってしまい、理解の妨げになる。
汎用性がとても高い。何にでも使えるので、ありとあらゆる「書く」というものに使うことができる。
科目別に何か紙を分けるなどということをする必要はない。仕分けはクリアファイルですればよく、最高速でペンと紙を用意して、とにかく思ったことを書くということができる。
メモ帳でも同じことができるが、メモ帳は何かをたくさん書くには余白が狭すぎることが多い。
買った瞬間に持ち運ぶことができ、使いたいときにすぐに開くことができる。
ルーズリーフや印刷用紙は、取り出す手間やケースに入れたり出したりする手間が大きい。おえかきちょうはそのまま出してそのまましまえばいい。
この点で、キャンパスノートやリングノートやレポート用紙の機能性を持つ。
100枚で100円という破格の安さのため、どれだけ使ってもそれほど大きな影響をもたらさない。
1日10枚使っても、1年で3650円である。1日に10枚使うとは相当な量だがそんなもんである。キャンパスノートはだいたい1枚あたりの単価が3円ぐらいであるが、おえかきちょうはとにかく安い。
安く頭の中を高速で整理できるなんてこんなに良いことはない。
キャンパスノートとほぼ同じレベルで、おえかきちょうは人気が高い。100均や文房具屋なら、誰かが買い占めていない限りほぼ売っているものだ。ネットでももちろん買える。
「アッ、しまった。紙がない」と思ったときに、すぐにスーパーなどに駆け込んでおえかきちょうを入手することは、おえかきちょう大好き人間なら誰もがやったことがあるだろう。
レア度が高い文房具ではこうはいかない。たとえば無印良品でしか売っていないような文房具は、今日今すぐ手に入れようと思ったとき、無印良品まで行かないと手に入らない。そしてそこで売り切れていたら、別の無印良品まで行かなければいけない。
おえかきちょうは、表紙がとても可愛らしい。
仕事用でも学習用でもなく、おえかきのために作られたものだからだ。
そのため、表紙を見るたびに「自分のしていることは究極おえかきと同じことなのだ」と少年少女の気持ちをもたらしてくれる。
常にボーイズビーアンビシャスを思い出させてくれるおえかきちょうに、買うたびワクワクさせてもらえるのだ。
おえかきちょうは、何も自分だけで使う必要はなく、家族で使うことができる。自分がおえかきちょうをストックしているだけで、家族全員がその利益を享受できるのだ。
自分だけでなく、家族全体におえかきちょうの効果をもたらすことができるという点はかなりの強みだ(まぁこれは別にほかの紙媒体でも同じだけど)
そもそも「絵を描く」ためのプラットフォームが家になければ、誰も絵を描くことはできない。iPadがあっても、家族全員に同じタイミングでiPadを配ることは難しい。
「そういえばおえかきするための紙がなんかたくさん家にあるな〜」という、紙に何か書くことへのハードルの低さが、家族への知識向上をもたらしてくれる。
おえかきちょうを買おう。そして紙を破りガンガン最高速で物を書くという作業を実感しよう。
おえかきちょうは1セット110円で買える。
https://www.digital.go.jp/posts/kMccIpBR
論点は
「デジタル庁ともあろうものが役員人事の情報をPDFだけで公開するのはどうしたものか」
これまで紙文書として管理していたものをWordやExcelにPDFにして管理することで
無駄なプリンターでの印刷や紙媒体の保存などから脱却する、というのはデジタル化ではなくて単にペーパーレス化
デジタル化というのはそれらの文書管理されていた情報を構造化されたデータに統一し
検索可能にしたり統計処理可能にしたりすることで業務効率化や解析による知見の発見を目指すもの
単に人事情報をPDF化したり、それをHTML化したりしてもまったくデジタル化ではない
「大手企業とか政府とかならPDFやHTMLになる前にシステムに投入してるんでしょ?」
と思う人が多いかもしれないが、実体としては大手企業や政府ほどそういうシステム導入がされておらず
実質的に共有フォルダに置かれたPDFファイルで管理されていたりする
これには定期的な人事異動が関連していて、システムを導入するとシステム操作の習熟という引き継ぎが発生してしまうために業務効率が悪い
それよりも一般常識化しつつある共有フォルダに設置されたPDFやPPTを閲覧してもらったり編集して貰う方が誰でもできるし効率的、という現実があるためだったりする
こういった状況の大手企業や政府に対してデジタル化を推進してもらうために取るべき方策は下記の通り
この3つを全て進めていかないとデジタル化はただのペーパーレス化になる
よくあるのは2つ目だけが行われ、慣例的に文書管理されているPDFファイルを共有フォルダではなくシステム投入するだけのデジタル化だ
結局データ解析できないからそのPDFをOCRしようとかいう謎のムーブメントを見せたりするが
PDFに書かれている内容が構造化されていないので当然ながらデータ化できず、解析もできない
よくある領収書とか請求書とかは解析ができたりするがそういうのはそもそも電子的にやりとりされていてやる必要が無く
社員による立て替え払いの時だけ発生していたのがデジタル化されてお茶を濁される
「内部でPDF管理しているんだから公開するときはそのファイルをリンクすればいいよね」
という安易な考え方に基づいてるのがPDFファイルのWeb公開
つまり1つ目の業務単位での見直しができていないし、2つ目のデータ構造化も行われていないだろうということが予想できる
また3つ目の利用者メリットのことを考えてみても、この役員人事の情報をPDFで貰わないと困る一般人など存在しない
どうしても印刷したい人とか、どうしても自分で管理している共有フォルダに置きたい人、なんかはいるのかもしれないが
それにしてもHTML表示されているものを保存するなり印刷すればよい
それよりもスマホで見ているのにA4縦の形式で表示される方がよっぽど不利益が大きい
デジタル化することで構造的なデータにさえなれば、表示する媒体に合わせてレイアウトを変えることは難しくない(大変ではあるが)
また、もしかしたら別の省庁や地方自治体とかがPDF保存している、というのは2つ目の統一的なシステム化ができていないことを意味する
などという意見もあったりするが、そもそもPDFであれば改変できないというわけではないし
今時なら画面キャプチャしてOCRをかければほぼ同じものが出来てしまうのでほぼ無意味である
それよりもTLS化されているURLで改変されていないことを保証することの方が何倍も役に立つ
結局のところPDFでこの手の情報を公開することには何のメリットもないが、ペーパーレス化のレベルで止まってしまうとPDFのメリットばかりを主張しがちになってしまう
発足したばかりの組織が上記の3つをいきなり解決できるわけがない
この慣例的に行われているPDFファイル公開をやめる・やめさせるのは大変に骨が折れる
単純に「やめなさい」と下達的に言うだけなら簡単だが
そうなると結局はPDF管理とHTML編集の2倍の工数がかかって実務者の反発しか生まない
更にはPDFとHTMLの二重管理になってしまって不整合が発生する、なんていうのも想像できる
業務を見直し、システムを入れ、利用者・作業者にメリットを与える、という3つを同時に進めないと上手くいかない
大きな組織でこれをやるのは非常に骨が折れるだろうが頑張って欲しい
中国で商売するのはリスクがあるといって、中国本土から撤退が進んだとする。
かといって、中国以外の国からIPはドンドン輸入してくるはずだ。
小さなところだと、YouTubeやニコニコで人気の出た動画をbilibiliなどに転載といったところから、
漫画を翻訳してサイト運営して広告費を受け取ったり、印刷して販売。
ツイッターで人気の絵師の絵が出たらグッズを作って中国向けに販売なんてのは普通だ。
日本に住んでいても中国語ができれば、日本で流行っているものを中国本土に知らせて小遣い稼ぎもできる。
日本で商売せず、中国国内向けのみに限定しても消費者が多いのだから稼げる。
日本人は理解しにくいだろうが、IPまで行かなくても、日本っぽさを演出するだけで、中国語圏でも英語圏でもウケるところにはウケるのだ。
住んでる市の集団接種が始まって当日の予約枠は瞬殺
それから毎日確認して半月経ったけどいつ見ても予約枠なしのグレーアウトしたボタンが表示されるだけだった
それが今日の昼に確認してみたら緑のボタン!しかも下に小さい赤文字で残り1枠って書いてある!
モデルナだったから誰かがキャンセルしたのを奇跡的に取れたんだろうか
1回目の日にちは明日だったから問診票を印刷して手書きしたけど字が汚すぎる
とにかく予約できて本当に良かった
家計見直し中なので、一番際限なく使ってしまう同人サークル参加をどこまで切り詰められるか検討する。
・サークル参加費
・旅費
・無配ペーパー等の印刷費
やりたい装丁や印刷所の特性(自分はオンデマだが極力テカるのを避けたい)などがあるから、安い印刷所に固執しなくてもいい。逆に言えばこだわりがなければ値段重視で。
部数と単価の関係も難しい。単に出費を抑えるなら10部~20部刷ればいいが、頒布価格が跳ね上がる。(頒布価格は印刷費のカンパだから原価を割る必要はないと思う、個人的には)
かと言って部数を増やしても一時の出費が増える。会場で売れない今これが大問題だ。
印刷費はクレジットカード払いだが書店委託の売上が入るのは2ヵ月後、1ヵ月は赤字になるので他の大型出費が重なると借金する羽目になる。
会場だったら即日現金で手に入るわけだから、印刷費の支払いが来る前に口座に入れておける。
これを考えると通販しないのが最善だろう。通販は部数も読めないし、月を跨ぐと入金がさらに1ヵ月遅れる。
同人誌の感想はまず来ないものだが会場なら買いに来た人の表情が見れる。通販はそれがないので精神的なハイにもなれない。
会場分だけ刷れば印刷費は抑えられるだろう。
単価が厳しくなりそうな部数のときはページ数を増やすことだ。厚ければちょっと高くても気にならない。
もうこれはどうしようもない。固定費だ。
しいていえば1SPに収めることか。誰かと合同で割り勘というのもアリかも。
遠方を想定する。
切り詰めようとすれば安い夜行バスでいいが、もうそうも言っていられない歳になった。
それに帰りを夜行バスにするとどうしても夜まで暇だ。アフターなどの会食を断る口実としても新幹線指定席がいい。
これを当日朝にコンビニでやってしまうのが無駄遣いだ。家にプリンターがあるのだから宅配に入れるか自力搬入するのがよい。
ノベルティなんかも見込みの余剰金範囲内でやっているが、これだと常に火の車になってしまう。しかし毎度前回の余剰金からノベルティ作ると年末の確定申告で詰む可能性もあり。(冬コミ出てる人はこの辺すごいよなぁ)毎年再録作ろうかな。
無配やおまけ類はどうしても当日までにあれしたい!これも!となりがちなので、初めに予算立てるのがいいな。そういえば予算立てたことなかった。
一度荷物を減らすために布まで会場で捨てて帰ったことがあったので、そのあとまた準備しなければならず大変だった…。
今のところ必要なものは揃っているから問題ない。年末に金が余ってたら「新刊」とか「500円」とかのアクリルスタンド作ってもいいな。
Canonの同人誌支援サイトに値札やPOPのテンプレートがあって便利。大体直前にバタバタやってるけどいつも使うやつは暇だから作っとくか。
https://cweb.canon.jp/pixus/special/room/doujin/sample01.html
印刷所B:15840円(@528円)※早割最大
サークル参加費:6500円
ペーパー:インク代+紙代 5000円
遠征費含めて5万かー。
最近調べる機会があったのでまとめておく。
書いてる人は郵便局ともMicrosoftとも無関係なので情報が間違っててもなんの責任も負わないことをご了承ください。
あと勢いで書いてるので口が悪かったらすみません。
宛先(返信用封筒なら返信先)の郵便番号の情報のみ含まれている。
これが印刷してあると区内特別の送料が更に安くなる。(詳細は公式サイトを見てくれ)
宛先の郵便番号・番地・アパート等の部屋番号の情報が含まれている。これを機械で読み込んで仕分けるらしい。
3本の縦線(スタートとストップは2本)で1つの数字等を表す。
参考:https://www.post.japanpost.jp/zipcode/zipmanual/p11.html
スタート・郵便番号・番地・アパート等の部屋番号・(CC4繰り返し)・チェックディジット・ストップ
全体の桁数が決まっているので、余ればC4繰り返しで埋める。足りなければ途中でおしまい。
印刷する際の大きさや角度が決まっているので注意すること。
参考:https://www.post.japanpost.jp/zipcode/zipmanual/p13.html
まず受取人払いの申請が必要だけど割愛する。最寄りの郵便局に聞いてください。
申請が受理されると、専用の郵便番号が付与される。これをバーコード化する。申請受理された通知の紙にバーコードが印刷されてるけどデータで作りたいよね。
まず、公式サイトで作ることができる。
参考:https://www.post.japanpost.jp/send/fee/how_to_pay/uke_cyaku/barcode/
ただしここでできる画像は1つの画像になってない。1桁ずつバラバラ。これを画像編集ソフトでつなげるとかすればまあ作れる。
もう一つの手段は、ネット上で誰かが公開しているバーコードメーカーみたいなのを使う。各自ググってくれ。
そんでバーコードが完成したら、見本を作って郵便局へ提出する。その辺も郵便局によって違うと思うので聞いてください。
公式サイトでは作れない。
上記①に書いてあるような非公式のバーコードメーカー的なものでも作れるし、Wordの差し込み印刷機能でも作れる(印刷データをWordで作る前提だが)。大量に作るならWordが断然便利。やり方はググればすぐ出てくる。
以下に注意
・○番×号みたいな住所の場合、○と×の間にハイフンが必要となる。参照元データが「○番×号」なら「○‐×」のバーコードが作成されるが、「○」と「×」のセルを参照する形だと間にハイフンは入れてくれない。
・参照元データの字名(※市町村名と番地の間のナントカ一丁目みたいな部分)の先頭に「大字」が入っていると郵便番号部分のデータがおかしくなる。私の場合、「123-4567」が「123-4500」みたいになった。
・マンション等の部屋番号も自動で抽出してくれるため、マンション等の名前に数字やアルファベットが入っているとそこも拾うかもしれない。私は該当がなかったからわからない。
この辺に気を付けつつ特殊な住所は1件ずつチェックするしかないのかな。
Excel上でも作れるらしいけど詳細は知らん。ググってくれ。
あなたの会社の研修はいまだに「現場ポットンバイバイモデル」ですか?:コロナが促進する「イベント型研修」から「伴走型研修」への大変革!?
まず、研修・ワークショップが「オンライン化」されることによって、ひとつの場所に、全員を集めるコストがなくなりました。これまで研修事務局を悩ませてきた、アゴ・アシ・マクラの事務手続きも、印刷の手続きもなくなりました。
従来の研修は、言葉を選ばずにいえば、いわゆる「集中詰め込み・現場ポットンバイバイモデル」に陥ることもあった。
コストの面から、研修はイベント的に、詰め込みで、長時間・一時期に行われる。その後は、「学習者、現場にポットン・バイバイされる(研修の終了後に、現場でそれが実践されるかどうかは、学習者任せ)」というかたちになる。研修の転移を「期待される」が、それは「確認・フォローアップされないこと」が多い。結局、人事は「研修転移を祈る(pray)」というかたちになる。
進んでないですね。研修会社はいまだに教室に人を集めますし、受講票も手渡しで、受講者間にアクリル板もない、窓も開かない斜めに向かい合った島型のテーブルに、9時17時座らせます。オンラインでも、eラーニング化はせず、必ず日中フルタイム、おっさん、おばさんの話を聞き続けなければなりません。
研修ワークショップがオンライン化されると、先に述べたように、研修と研修のあいだの間隔(インターバル)ができます。ということは、そこには「研修で学んだことを実践すること(研修転移)」の「あそび」が生まれ、当然、それが目指されます。
研修で学んだことが、どれだけ現場で実践されたかどうか、すなわち研修転移は「測定」され、それが次の会の研修に行かされたり(形成的評価)、今までもよりも解像度をあげて変化を追うことができるようになります(総括的評価)。
進んでないですね。研修会社は研修の成果を何も測定していません。「9時17時、プチ出張気分で楽しかったですか」「今日初めて学ぶことについて、素人どうしで『ディスカッション』という名の雑談をたくさんできて楽しかったですか」的な「満足度」しか聞いていません。そもそもリピーターが極めて少ないので、「次の会」も「変化を追うこと」もありません。
3.研修を実施する側・参加する側のスキルセットに変化が生じた
ざっくり申し上げると、これまでは、研修講師は「教える人」「ファシリテーションする人」、研修の事務局は「事務手続き・庶務を行う人」であったかもしれません。しかしオンライン研修の普及は、彼らの仕事にも変化を迫っています。
研修講師の場合は、単に「教える」だけではなく、デジタルに強いことが求められます。また、ここが最も厳しい変化だと思いますが、「現場でのパフォーマンス・ノリ」よりも「言葉・論理で伝える力」が重視されるようになります。
これまでの研修であれば、対面で、パフォーマンスを用いて、「人となり」で伝えられたことが、オンラインではそうはいきません。狭い画角で、相手にわかるかたちで、言葉を使って、伝えなくてはならない、ということになります。
研修の事務局は、これまでのスキルに加え、デジタルに強いこと、デジタル機器の設定、オンラインでのファシリテーションなどが加わってきます。
変化してませんね。研修講師はオンラインでの情報伝達に習熟せず、いまだに「語り」と「画面に手書き」です。教材を小分けしたビデオコンテンツにすることも想定せず、無意味に伏線を張ったり、後で「実は...」とか語るための「台本」から脱却できません。ディスプレイのサイズも解像度も画面の配置も理解せず、A4縦の教材をスクロールさせ続けます。マイクもカメラもZoomも理解しようとせず、400円で買えるような残念音質のマイクで9時17時語り続けます。
研修会社のような、「成長」「学び」とか語るような人たちが、1年半経って変化した世界から、まったく学ぼうとも成長しようともしないのは、紺屋の白袴を通り越して、詐欺行為だと思います。