はてなキーワード: 助成とは
生殖医療の現状について、現行の制度がどのようになっているか調査してみました。自身が30代半ばの社会人という観点から、調べた感想を講義の内容を含めて述べます。
1.はじめに
私の住む茨城県の県北地域は、常陸太田市の様に子育て支援の充実度をPRする自治体が多い印象です。
(http://www.city.hitachiota.ibaraki.jp/data/settle/16/ )
実際、私自身は子供が二人いるので、いばらきKidsカード( https://www.kids.pref.ibaraki.jp)のようなサービスの存在は、非常にありがたいと思っています。ファミリーレストランで子供用のジュースがサービスされる程度ではありますが、あるとないとでは大違い。ジュースがあれば子供は泣き止みます。
これらはあくまで、産まれた後の話です。では、その前の段階である妊娠・出産に関してはどうなのか。子育て支援も大事ですが、子供が産まれないことには始まりません。ということで、妊娠・出産に関して、国がどのような制度を設けているのか、また、自治体がどのような考えを持っているのか、調査してみようと思いました。特に今回は、東京大学大学院の講義「問いを立てるデザイン」(尾崎マリサ准教授)内で生殖医療の現状に関して講義を受けた後ということもあり、不妊治療に関して掘り下げることとしました。
茨城県の不妊治療助成事業に関する説明は、いばらき結婚子育てポータルサイトに記載がありました。( http://www.kids.pref.ibaraki.jp/kids/birth01_1_1/xs=_.RoYzvWEN82T/ )
体外受精,顕微授精
(http://www.kids.pref.ibaraki.jp/~kids/kosodate/birth/birth01_1/stage.pdf)
■助成内容
(1)助成限度額
1回目:30万円
2回目以降:20万円
男性不妊治療を行った場合:上記+初回30万円(以降20万円)
(2)助成回数
40〜42歳まで:通算3回
■対象者
(1)治療開始時に法律上の婚姻をしているご夫婦で、夫又は妻のいずれか一方が県内に住所を有すること
(3)申請日の前年(申請日が1月から5月の場合は前々年)の夫婦合算の所得額が730万円未満であること
(4)茨城県が指定する医療機関において実施した治療であること
治療終了から60日以内(治療終了とは、妊娠または医師の判定による)
(http://www.kids.pref.ibaraki.jp/~kids/kosodate/birth/birth01_1/2019hunintiryouhijyoseijigyou.pdf)
3.所感
不妊治療制度そのものは厚生労働省主導の事業なので全国共通と思われるが、調べて一番驚いた点は、所得額の観点から、共働きで夫・妻ともにバリバリ働いているような家庭は、助成が想定されていないという事実です。また、講義中でも述べられていた通り、助成を受けられるのは、結婚している場合のみであり、同性のパートナーのようなケースはそもそも想定されていないことがわかります。
上限年齢を見ると、講義でも述べられていたリミットの44歳前後が対象上限となっています。しかし、妻の側の年齢上限が設定されているにも関わらず、男性側の年齢上限が特に規定されていない点も、講義を聴いた後だからこそ、違和感を覚える点です。講義で述べられていた値をそのまま書くと、不妊の原因の4割が男性起因とのことで、その一因が女性の側と同じ年齢にあることは容易に想像できます。
一方で、助成対象範囲内に胚凍結が含まれていることから、若いうちに予め卵子・精子を凍結し、その数年後に不妊治療を受ける、といった形は、選択可能な様です(結婚していることが前提な様だが)。
日本はこれから人口が減るわけですし、出産・子育ての問題は、これからの日本社会をどう構成していくかを考えるうえで大きな課題と個人的には考えています。将来、自分の子供たちに負担を強いることになるわけですし、それは避けてあげたい、と親なら誰しも思うはずです。幸い、私の住む茨城県の県北地域は、保育園の数も多く待機児童が少ない印象で、共働き家庭にも子育てがしやすい印象です。物価も安いですし。
「問いを立てるデザイン」内の主要なテーマのひとつであった“多様性(この場合は多様な家族)に寛容な社会”のためにも、もう少し多くの人が取り入れられる助成制度に変わっていくといいなというのが、今回制度を調べた後に感じる正直な感想です。
以上
ある自治体で精神病患者のコンサータやらストラテラやらの処方代を助成する仕事をしている。自立支援医療費助成(精神)というやつだ。
受給者証を渡すための申請書を書かせる仕事を窓口でしている程度だが、色々と思うところがあるので綴りたい。
1 助成される人の多くは…
窓口は平日だからか助成される人は高齢者、パートタイマー、被生活保護者などだ。リーマンは少ない。非政令市という土地柄もあるけど。
一般的に精神病(統合失調症、躁鬱病、発達障害等)は思考の癖みたいなのも影響していて慢性的なものだと理解される傾向があり、自分もそう思っている。いわゆる、鬱は逃げ、という考えもここから出る発想だろう。確かに、このご時世若者ほど自殺願望抱くだろうし、4人に一人は希死念慮どころじゃないと思う。マジ鬱ーとかよく聞くし。じゃなぜそんな一般的なことを病気としてしまい、税金使って(年収400万程度なら月の自己負担額が公費助成で5000円に抑えられる)しまうの?
コンサータとからそういうのは麻薬の一種だという見方がある。脳の活動に対する影響を考慮して製造されたものだから、あながち間違いとも言い切れない。だから服用しても麻薬として一時的な効果を得られるだけだろ、と。ここで思う。麻薬に税金使うの?おかしくない?
4 なんで国はそんなことに税金を使っているのか
ひとつは福祉政策としてだ。こういう世相でこれからも患者が増えるだろうことから、本人の健康のためにも、社会の平和のためにも治療が必要だ。
また、産業政策という見方もできるだろう。日本の製薬業界は競争力が高い。その業界に対する需要を国費で支えるのは問題ないだろう。
更に労働政策として、少子高齢化の中飽和市場で希望無き戦いを強いられているため、異常な労働環境を誇る日本を支えるためには、ヒロポンも必要だ。インターンとかで学徒総動員の様相を呈しているし、それでGDPが支えられるなら問題ない。例えヤク中になったとしてもだ。もちろんこの政策が頓挫する可能性はある訳だけれども。
何が言いたいかというと、もっと気軽に鬱病になって合法麻薬決めて人生を楽しもう。一億総躁鬱病だと自虐で笑えるくらいに。生活保護者みたいなクズや高齢者のような役立たずばかりにこの制度を使ってほしくない。以上、現場からのお願いでした。
ある自治体で精神病患者のコンサータやらストラテラやらの処方代を助成する仕事をしている。自立支援医療費助成(精神)というやつだ。
受給者証を渡すための申請書を書かせる仕事を窓口でしている程度だが、色々と思うところがあるので綴りたい。
1 助成される人の多くは…
窓口は平日だからか助成される人は高齢者、パートタイマー、被生活保護者などだ。リーマンは少ない。非政令市という土地柄もあるけど。
一般的に精神病(統合失調症、躁鬱病、発達障害等)は思考の癖みたいなのも影響していて慢性的なものだと理解される傾向があり、自分もそう思っている。いわゆる、鬱は逃げ、という考えもここから出る発想だろう。確かに、このご時世若者ほど自殺願望抱くだろうし、4人に一人は希死念慮どころじゃないと思う。マジ鬱ーとかよく聞くし。じゃなぜそんな一般的なことを病気としてしまい、税金使って(年収400万程度なら月の自己負担額が公費助成で5000円に抑えられる)しまうの?
コンサータとからそういうのは麻薬の一種だという見方がある。脳の活動に対する影響を考慮して製造されたものだから、あながち間違いとも言い切れない。だから服用しても麻薬として一時的な効果を得られるだけだろ、と。ここで思う。麻薬に税金使うの?おかしくない?
4 なんで国はそんなことに税金を使っているのか
ひとつは福祉政策としてだ。こういう世相でこれからも患者が増えるだろうことから、本人の健康のためにも、社会の平和のためにも治療が必要だ。
また、産業政策という見方もできるだろう。日本の製薬業界は競争力が高い。その業界に対する需要を国費で支えるのは問題ないだろう。
更に労働政策として、少子高齢化の中飽和市場で希望無き戦いを強いられているため、異常な労働環境を誇る日本を支えるためには、ヒロポンも必要だ。インターンとかで学徒総動員の様相を呈しているし、それでGDPが支えられるなら問題ない。例えヤク中になったとしてもだ。もちろんこの政策が頓挫する可能性はある訳だけれども。
何が言いたいかというと、もっと気軽に鬱病になって合法麻薬決めて人生を楽しもう。一億総躁鬱病だと自虐で笑えるくらいに。生活保護者みたいなクズや高齢者のような役立たずばかりにこの制度を使ってほしくない。以上、現場からのお願いでした。
おまえのいってるのは「恋愛しないヒト税」みたいな曖昧すぎるもの
脳の中も体の中も税務署からみて明確な区別ができない恣意的なもの
しかもすでに出産育児一時金だの扶養控除だの医療費助成だのにより子無し税(というより子供ありへの優遇税制)のようなものはかなり実現されている
不妊のヒトはそれをうけさせてとまでいってない
ただただ、その補助金つかってもあらゆるテクニックや努力をつかっても子供はできないときはできない絶望だけがある
そういう「アホ政治家」でも相当つきつめてかんがえてきている現実を見ないでなんの話してんだろと
ちがうよ。各分野の研究者たちが、近い分野でこれは新しい発見につながるものじゃないか?と判断したものに金を出す(競争的資金)ってのと、そもそもの給与基盤や、新しい発見のさらに萌芽を作る(運営交付金)ってのの2つが必要。
その競争的資金もあくまで近い分野じゃないと、根本的にわからないよ。研究者間でもやや遠い目の分野の萌芽であれば内容ははっきりわからない。
2.近い分野の研究者ならわかる
3.遠めの研究者でもわかる
4.素人にもわかる。
1から研究を積み重ねて4に移っていくが、各フェーズごとに対応した金を増やさないとならない。だけど、4に偏りすぎてるがため、1,2,3が枯渇しているのが今の日本。
そうして、4のネタすらも新自由主義化国立大学法人化が始まる20年30年前に手掛けたネタで、そのあとでは日本初では出なくなくなっている。
ましてやメディアアーティスト(笑)になんざわかるわけない。能力不足な人間が無理をするぐらいならまだしも、本当に騙そうとする詐欺師すらも紛れ込む。で、詐欺師は詐欺師で口がうまいんだよね。
技術素人でも真摯にその分野の勉強を自分でして判断する覚悟があるならともかく、忙しい合間(笑)で分野について無勉強で審査員になって上から目線で適当な質問をして終わりでしょ。
それに、どうしても革新的であればあるほど、金より時間が必要だ。だが、革新的なものを多く生み出したいがために、時間をゴリゴリ減らすがな。そもそもが短期だということと、パンダとしての扱いな。
新しい発見ってのは、今までの研究をわかったうえでここは未開拓じゃないか?というのを見極める必要がある。また、技術としての実現可能性も見る必要がある。商売としての実現可能性なんざまず技術として実現してその次の話。
だから、ピアレビュー型の最低限の助成が、結果的にはのちのトップ論文作成には効果的だ。科学立国の危機という本ののデータからも示された通り。
あとは、こういうガチで成果出した人が自分の裁量で使える金をつかんで、それで自分に近い分野の基礎研究をすることだね。どのみちがんの免疫療法はさらに多くの基礎研究が必要なのだからさ。
とある2050年に役立つ技術を開発するために数年単位1千万円程度の助成をするというプロジェクトがある。
だが、蓋を開けてみると、通ってるのは大御所方の研究ばかり。自分の分野ではあの人は大御所というのはわかる。で、他の分野でも通ってるのはほぼ教授ということは、多分その分野の大御所の方なんだろう。
こうしてみるとわかるのは、
1)素人にわかり、うまく行きそうだと感じるクラスには長年の積み重ねがやっぱり必要。けど、素人にも革新的だとわかるというのを基準にしてしまうと、「すでに積み上がった革新的研究」しか通らない。その時点では科学技術としてはもうすでに革新的ではない。実用面としてはまだ未完成の技術だから革新的ではあるのだろうが。
2)今の日本では大御所方でも研究費がなくて困ってる。だから、今までの研究の積み重ねの延長としてでは金は取れない。実用化はまだしてないから革新的という予算に応募して通らないと、大御所であろうと研究が続けられない。
3)大御所ですら金がなくて困ってる状態で革新的とやらを掲げてやっても、うまくいくかどうかわからないクラスのやつは通らない。枠が限られているから、枠の中でうまくいくようなものが優先される。自ずと、革新的だがうまくいくかどうかわからないものは落ちる。
4)更にその中で、「革新的なものにでかい予算を!でも総額は減らす。」とやると、科学技術としても革新的なものにかける予算が更に減る。
5)そもそも、新しい挑戦は失敗する確率のほうが当然高い。競争をつけて、総額を減らす。失敗したら飯が食えなくなる。というのは、日本津々浦々、革新的なものをむしろ減らすのではないか。だって失敗したら人生詰むが、手堅い研究で革新的の皮をかぶれる状況であればいきていける。まあ、故に、国際比較なんかしちゃうと、日本初革新的研究がもうでていないということが一発で明るみになるが。
とすると、総額を増やして競争的資金で、少ない額での数年程度の研究で採択率、採択数を相当あげるということじゃないと、革新的研究は起きないんじゃないか。
まあ、これは最近豊田長康先生が声を上げられていることではあるが。
ついでに、文科省系の助成は研究者本人の人件費がでない。さらに、本来人件費の源である運営交付金が削減されたとすると、そもそも、研究をする本人がいきていけない。
と言っても、新自由主義の金を減らして競争激しくして、罵声と失敗した奴の厳罰をもとめる日本社会じゃもうどうしようもないのかもしれないかもなぁ。
競争はある程度必要だと思う。だが、予算は相当数がとれるという状況じゃないと、安全のために手堅い研究しかしないし、革新的なものをすると人生詰むからやらないというのは続くだろう。
そいつ初めから君を騙して事業を奪うつもりだったのかもな。66%握ろうという時点で。かつ、無駄なことをさせて時間を使わせ、疲労させる時点で。
起業なんて危ないこと、且つ弱くなる時点でつけ込もうとするやつ、利用する奴は現れる。
2人で、片方が頑固で、片方が柔和という時点で、二人の警官戦略で君をはめ込もうとしてるような気もする。
けど、経営の素人に近いやつをそうやってはめ込もうとする時点でろくなやつじゃないような気がする。
起業するなら危ないと思ったら、未練を持たず即切る勇気がいるわ。弱いやつに漬け込もうとする奴はちらほら現れるんだし。
そもそも、200万円ぐらいで、かつその金が尽きるぐらいの短期間でできるようなベンチャーなら、政策金融公庫で金借りてやったほうがいいだろう。
期間、費用が200万ぐらいで立ち上がる範囲を越え、かつ研究開発要素が強いなら、むしろ、共同研究費100万ぐらいは捨てるつもりで大学に出して、近い分野の大学に共同研究持ち込んだほうがいい。
大学の中に入ってしまえば箔もつくし、何より博士持ちで大学の中に入り込み、研究開発要素があると、大学関連研究員としての研究助成をとれる可能性がある。
はてなーの皆さまこんにちは。今日も元気にウンコ漏らしてますか?初めて投稿します。
物心ついたころからずーっと気になっていたことがありまして。それはズバリ、「みんな作家の文体をどれくらい識別できてるんだろう?」という問題です。
気になった方は、まずは以下の問題に挑戦してみてください。
★以下の①~④と(ア)~(エ)の文章は、それぞれ同じ作家の書いた別の小説作品から、一部抜粋したものです。①と(イ)、②と(ア)...のように、同じ作者の作品どうしを組み合わせてください。
① そして彼が知ったのは、彼等の大部分が、原発というものの実態を把握していないらしいということだった。どこにどれだけの原発があるかも知らず、それが止まるということはどういうことかイメージできないようすだった。原発が止まっても大して困らないんじゃないかという意見もあれば、ろうそくを買うべきだろうかと異常に心配している声もあった。
② この人は母とは本当にお似合いだ。言葉に表現した瞬間、それが的を射ていても、本当のことを言っていても、なぜか必ず嘘っぽく聞こえ、薄っぺらい印象になる。この人のこの言葉と僕の事実とに挟まれて、僕のあの放火未遂っぽい事件は行き場を失ってしまったようだった。
③ 船長主催の晩餐会は、さんざんなていたらくであった。夕刻から、この時期には珍しい西風が吹き始め、それは次第に客船を上下に揺らした。乗客の中でもとりわけ過敏な者は、晩餐会のための服に着替える前に、すでに船酔いにかかって、各自のベッドに臥してしまった。
④ 札幌の街には今年最初の雪が降り始めていた。雨が雪に変わり、雪がまた雨に変わる。札幌の街にあっては雪はそれほどロマンティックなものではない。どちらかというと、それは評判の悪い親戚みたいに見える。
(ア): 夢の中の俺はまだ子供で野球のバットか何かを捜しに来たのだ。暗闇の中で金属バットが触れ合ってカランコロンと甲高い音を響かせる。俺は広いフロアを見渡す。たくさんの影はしんと静まり返って何も動かない。
(イ): バーは、二階に著名なフランス料理店があるビルの三階にあった。長い一枚板のぶあついカウンターと、四人掛けのテーブルが二つあるだけだったが、いかにも酒を飲むところといった風情で、助成の従業員はいなかった。
(ウ): 三人目の相手は大学の図書館で知り合った仏文科の女子学生だったが、彼女は翌年の春休みにテニス・コートの脇にあるみすぼらしい雑木林の中で首を吊って死んだ。彼女の死体は新学期が始まるまで誰にも気づかれず、まるまる二週間風に吹かれてぶら下がっていた。今では日が暮れると誰もその林には近づかない。
(エ): 十九年前にさらわれた赤ん坊がどこにいるかを、早く彼女に教えてやらねばばらない。白血病で苦しむ息子が助かる道があることを示してやらねばならない。言葉を発しようと息を吸い込んだ時、小さな疑問が彼の胸に宿った。それは瞬く間に大きくなり、やがては衝撃となって彼の心を揺さぶった。
・答えは↓
【答え】
①- (エ) 東野圭吾
②-(ア) 舞城王太郎
③-(イ) 宮本輝
④-(ウ) 村上春樹
①: 東野圭吾「天空の蜂」(講談社、2015年、p124、ハードカバー版)
②: 舞城王太郎「イキルキス」収録「パッキャラ魔道」(講談社、2010年、p193、ハードカバー版)
③: 宮本輝「海辺の扉(上)」(角川書店、1991年、p151、ハードカバー版)
④: 村上春樹「カンガルー日和」収録「彼女の町と、彼女の緬羊」(平凡社、1983年、p50、ハードカバー版)
(ア): 舞城王太郎「煙か土か食い物」(講談社、2004年、p117、文庫版)
(イ): 宮本輝「海岸列車(上)」(毎日新聞社、1989年、p162、ハードカバー版)
(ウ): 村上春樹「風の歌を聴け」(講談社文庫、1975年、p77、文庫版)
(エ): 東野圭吾「カッコウの卵は誰のもの」(光文社、2010年、p204、ハードカバー版)
いかがでしたでしょうか?
なぜこんな問題を作ったのかといいますと、自分はけっこう文体に敏感な方なのではないかと、密かに感じてきたからです。
同じドラッカーの作品でも、上田惇夫訳の「マネジメント」はすごく好きなのに、上賀裕子訳だとなぜか全然頭に入らなかったりします。趣味で読む本は、好きな著者のおすすめで買ってみたものの、文体が気に入らなくて読み進められないことも多いです。(村上春樹はすごい好きなのに、おすすめのサリンジャー「ナインストーリーズ」は受けつけない、など。翻訳版をよく読む方にはあるあるなのでは)
それぞれの作者ごとに、「この人は勢いがあって脳が活性化する感じ」とか「クールな感じで読んでいても全然感情を感じない」とか「頭の中に繊細で暖かいイメージがふわっと浮かぶ」とか、料理でいう味みたいなものがあります。
小説じゃなくても、エッセイでもビジネス書でも、どんなジャンルにも作者ごとの「味」がある。そして、これはその人の持つ「文体」が決めている部分が大きいと思っています。(本の装丁も全体の1~2割くらいは関係してる気がします。料理を載せる皿によってちょっと味の感じ方が変わる感じ?)
でもこの「味」って、大まかにはみんな感じるところがあるはずだけど、誰もが全く同じように感じていることはあり得ない。みんなで同じ料理を食べていて、「おいしい」「苦い」「熱い」などの大まかな感じも方向性は決まっていても、それをどこまで感じているかは人による。(同じ「辛い」カレーを食べても、人によってピリッとする辛さなのか、喘ぐくらいの辛さなのか、という辛さのニュアンスは異なるはず)
これって料理の味ならみんな共感できると思うんですけど、文章の「味」についてはほとんど議論されない。これって実際はどうなのか、という実験でした。
今回挙げた作家について、個人的に感じる「味」はこんな感じ。(あくまで個人の感想です。前者二人の文体は大好き、後者二人はうーむ。ストーリーはそれぞれ面白いと思います。)
・村上春樹: なんの抵抗もなくすっと頭に入って、胸にふわっと煙みたいに広がって染み渡る。イメージが幻想的ながら、ありありと脳裏に浮かぶ。もう村上春樹っぽいとしか言えない。
・舞城王太郎: 「文圧」のすごさ。リズムと勢いで、パンパン読ませる。胸が暖まって脳が活性化する感じ。文体で読ませる作家。天才。
・東野圭吾: 必要最低限の情報量。情報は伝わるが、感情はあまり伝わってこない。マックのハンバーガーみたいな感じ。
・宮本輝: いいところのお坊っちゃん。淀みなく流れる川のように流麗。美しい文章だが、あといま一歩感情が胸に迫ってこない。脳の活性化がいまいち。
最後までお付き合いいただいたはてなーの皆さん、ありがとうございます!皆さんのやってみた結果は、コメントで教えていただけるとありがたいです。あと余裕のある方、同じような問題作って自分にもやらせて...!!
https://anond.hatelabo.jp/20190122090529
の元増田です
接近戦の話はランチェスター戦略で詳細ぐぐってみて下さい
前回の話はランチェスターの第二法則、近代戦における兵力二乗の法則に従い、戦いは数だよ兄貴って話を書いたんですが
生存者バイアスだろ、と書いた増田がいたけど、というかこの増田に限らず、そもそも障害児の親になった時に生存戦略が描けない状態なんだと思います
軽度と重度、最重度では違いますが、中程度であればトリソミーでなくともこの数字です。
成人するまでに、我が家の末っ子が国や自治体からもらえるお金は、
1100万 です。
内訳は
特児 約800万
子供手当 約245万(三人目なので増額
福祉手当 約114万
成人後は?
健康保険は、年金全額控除の範囲、税金系はほぼゼロ、よって丸々使えるお金になります。
まあそのまま私の扶養に入ると思うので、
よって
私が死んだ時点で、末っ子には3400万の資産がある状態になります
どうでしょ?親がキチンとしてやれば、ここまでは誰でもできます。
生存戦略、できそうですか?
三千万じゃ足りないと思う人もいるだろうし、なんとかなりそうってひともいるとおもう
むしろ、ここまでもらえるように動いていることが生存者バイアスだーとか言い出す人がいそうなのでそこは反論しておきますが
親がちゃんと調べて申請して、もらえるお金の価値と総額をみつめられる人が親なら全員ここまでは出ます。
無慈悲な数字の話として、中程度認定なら全員がでます、親の知識不足とスキル不足で使っちゃうなら、それ生存者バイアスでもなんでもなくて、ただの戦略不足だよ。
といいつつ、障害児の親の多くは、ここまで貯められるつもりも、もらっているつもりも無いと思う
予防線もはったところで
少なくとも、トリソミーの子を授かったからといって、即座に悲観するほどなんの支援も受けられないわけじゃない事は知って欲しいなと思います。
ここまでが覚えて帰ってほしい話、以下は余談とか皮算用とか細かい助成や補助による戦略なので読まなくてもいいです。
うちは子供NISAにいれてるのでこれより増える予定、NISAだけではやり続けられませんが、色々つかって今から50年も複利効果だせます。
なお国債に移していくとマル優という療育手帳で使える別の制度で、利息や利子を非課税にできます
さらに、私が療育手帳をつかって心身障害者扶養共済に入っているので、私が死ぬと月二万円、子供が死ぬまで支払われます
上の二人は、健常児なので
それぞれ子供手当使わずいれてあげても200万しか無いですね。
まあ、こっちには自分で稼げるように教育を施していくのでそれはいいのですが。
話戻って私が死んだ後の事、
うちは持ち家なので、これを相続させるのもありですし、グループホームに入っても自分名義のお金だけで月額費用は賄えるでしょう、ただ成年後見人として上の二人どちらかには後見人として補佐を私から引き継いでもらわないとな、と思っています。
でも金額が大きいので信頼できる弁護士とも顔つなぎしておかないとな、とは考えていますけど、今活動してる弁護士は、末っ子より先に寿命で死ぬから子供が成人した後考ることにしてます。
成年後見人と補佐については今回省略。
医療費について
自治体で大分変わります、都内でも区ごとで違いますし、県だと市毎で違います
道を挟んだあっちに家を買っていたら受けれない助成とか普通にあります、通勤可能圏で転居も視野に入れましょう
うちは、現在の手帳で成人まで0割負担になるところに住居を構えました。
成人後は自己負担分がかかり、入院については医療保険頼りになりますが
前述の通り、コープのJ1900に入っているので
成人後は、健康状態に関わらずV2000に入れます(J1900から入ってないと V1000にしか入れない)先進医療と個人賠償つけても月額2240円。
65歳をこえたら、プラチナ85へ移行可能なので、おそらく一生コープ共済でしょう。
税金や補助について
医療費と同じく市によって大分違いますが、中度障害程度だと他に比べて瑣末事です
例えば、プロ野球チームを抱えてる市だと、試合を無料でみれたり、NHKや光熱費、車の税金なども安くなるところもありますが
他の金額に比べれば微々たる違いなので、ここにあまり力を入れない方がいいですよ。
まあ余す事なく福祉を使い切るゲームみたいで、考えるの楽しいですけどね
さて、
こんな面倒な事を考える事がまず健常児より大変だーって思った人もいるかと思いますが
本来はこんなこと考えないでも普通はパッケージが売り込まれるべきだと思うんですよね。
でも今って、医者からは特にアドバイスもなく、たたき台の情報はないけど夫婦で話し合ってね!しか言われません
少なくとも、末っ子が生まれる前に、あなたが死ぬ頃までにトリソミーの息子さんが中程度障害認定なら三千万以上お子さんにお金出ますよ、なんて言われてません。
まあ、子供の障害程度でこの金額は文字通り桁違いに変わるのでそりゃ言われないけどさ。
おかげで
待って待って、産むにしてもどんなコースあるの?さっぱりわからんし、色々どこにコンタクトとるの?
ってなるのが実情なわけです。
てかコンタクトとっても、ここまで詳しく計算して教えてくれた人はいませんでした。医療保険のコープの話すらアドバイスくれた人はいませんでした
てか彼らも多分もらってないし、何もしてないんだと思う
それもまた仕方ないと思う、本来ならこんなこと調べないでもそれなりの団体が作られていて、教えてくれるべきだと思う
うちは中程度なので、軽度、重度の人がどんな数字になるかは話せません。
もし、どこか他に愛の手帳4度とか1度の人がいれば、是非一度
自分が死ぬまでに出るお金の話を計算して、この増田にでもぶら下げて欲しいなぁと思います
ここまで読んでくれた人、ありがとう
いずれも症状に波があり、調子を崩したときのことを考えると、会社勤めやフルタイム勤務は厳しい。
現在の収入は月10万円前後。アフィリエイトによるもの。いつまで維持できるかわからない。
助成制度を使っても医療費はかかる。収入を増やすのも難しい。経済的自立がかなわず、もどかしい。
最近、結婚出産子育ての話を見聞きすると、反射的に「死ね」と思ってしまう。小さな子供を連れた同世代の親の姿を見るだけで悲しくなることもある。そんな自分が嫌で、落ち込む。
友人とは疎遠。順調にキャリアを築いている人や子育てママパパと話すのはつらい。
前に付き合っていた人は、同棲や結婚を提案してくれたけど、病気のことを話したら、連絡が取れなくなった。
身体科の主治医が穏やかで優しい。大学病院で働く研究者。講師。
泣けてくる。
早くかえりたい。
生きるのはすばらしい。
元気が一番。
ちなみに自分は福岡なのですが、福岡 ドナー 助成でググるとこんな状態でした。
福岡市 骨髄バンクドナー登録者への助成制度について | 寄せられた市民の声
割と大きな政令指定都市であるはずの福岡市ですらこうですから、国や県などはなかなか当てにできないのがやはり現実のようです
しかもその一方で
骨髄バンク事業にご協力をお願いします - 福岡県庁ホームページ
こんなお願いをしちゃうみたいなんで、ほんとドナーとかって善意のたまものなんだなあと悪い意味でしみじみしました・・・
自分は貧血気味で献血も一度もしたことないくらいなので、そもそも無理っぽいのもありますが
ただ、罪滅ぼしではありませんが、こんな不肖の体でよければと、免許証更新したら真っ先に裏の臓器提供オールオッケーにマルをつけてます
まー難しいところで,私としては「私の分野の若手はみんな査読論文書いてるけど? というか大御所も査読論文書いてるけど? 私が出せそうな学術誌はたいてい査読つきだけど?」と言いたい気持ちはあるし,査読論文1本で教授は流石に……と思うけど,一方で分野の違いとか以前にうちの年配のすげー学識ある先生でも昔の人だから若い頃査読論文は書いたけど最近は依頼されて書いたやつばっかり,みたいな人がいるし,でもその人の論文は面白かったり.査読なしの論集にすごく良い論文が載ってるときもあるし,そこを否定したくないという思いがあるから,
という主張をしているんだけど,同時に事実として最近の学術誌はだいたい査読つきだし若手はそこに通して一人前な風潮があったりするわけだから,
とも言い続けないと,「文系は査読してない」と勘違いする人が出てきちゃうんだよね.どっちも言うって地味に難しいことだけれど.
要するに色んな形で論文を発表するルートがあって,その過程に査読が噛む場合と噛まない場合があり,広く投稿を募っている場合は査読ありが多く,信頼できる研究者に執筆を依頼するような場合は査読がないこともじゅうぶんに有り得る,というのが私の分野の相場観かな.
まー過渡期ってやつなのかね.欧米だと著書にも査読つけることが多いっぽいし.ただ日本だと学術書と一般書のあいだの垣根って低いからなぁ.たとえば中公新書の『応仁の乱』が人気だけど,あれは一般向けレーベルで応仁の乱を一般向けに解説した一般書であると同時に,先行研究を挙げて批判し,きちんと史料と向き合って独自の解釈を打ち出しているという意味で研究書・学術書でもあるんだよね.講談社選書メチエとか,そういう汽水域がかなり広い.今日本で査読つけてる学術書って,どっかの大学の出版会だったり,査読つきの本を出版するための基金を社内で組んでたりしてて,純粋に商業ベースで勝負してる本じゃないんだよね(出版助成取ってる学術書なんて,もう学術振興会が裏打ちした自費出版とか同人誌みたいなもんでしょ利益という点からみれば).純粋に商業ベースでやってるレーベルの本にまで一律査読つけろというのはなかなか厳しいと思うけど,そのへんは商業出版側にも意識の変革が必要だよなとも思うので難しいところ.
残念ながら出版することは誰でもできるんだ、金さえあれば。
たとえば適当な査読誌をでっち上げて査読してますと謳って実質無査読の論文を垂れ流すことは同じく金があれば誰でもできますが、そうやって出来上がったものが研究者コミュニティにおいて信用を得られるか、というとまた別の問題。
著者がこれまでアカデミックキャリアを積んでこなかった人だったりしたら、「あっ……(察し)」となって黙殺ルート一直線でしょうね。アカデミックキャリアを持つ人が書いたダメな本だったら、どこかの書評でフルボッコにされた後になかったこと認定かな。学術誌って書評欄ありますよね? あそこ見るといいですよ。雑誌によるけど、権威のある雑誌だったらあれが足りないこれが欠けてる○○語も読めねえのかとか言いたい放題してます。もちろん後発の論文や本の中で批判されまくることもあるでしょうね。当たり前ですけど先行研究の批判はちゃんとやるわけで。
出版社だって、長年良質な学術書を出版してきた、ある分野での定評のある出版社、みたいなやつがあるわけですよ(cf. anond:20180828185404)。日本語圏でも英語圏でもそうです。そういうとこは慣れた編集さんがきちんとチェックするし、まあたまに事故ることはありますが基本的に変なものを学術書であるかのように装って出したりはしないわけで。あと最近は科研費の出版助成とかもあるんで、あんまりにもダメな研究は助成されないし、単著の出版に際して査読を科す出版社さんも出てきてますね。
まー、こういう評価の仕方は数量化しにくいですねえ。権威主義とか職人芸とか言われても仕方ないかもしれない。
ただ、こんな当たり前のことを説明しなければいけないのかと若干徒労感があるのですが、文系にも研究の出来不出来による評価軸というものはあり、また信頼性を重み付けしようというインセンティブも存在するわけですよ。
査読論文なら盲目的に信奉する理系の人なんていないでしょ? それと同じですよ。単著だからって無条件でありがたがったりはしない。だいたい単著ほどのボリュームのものを書く以上はどこかに土台となるような論文(群)が存在し、それは何らかの形で人目にさらされていることが多いわけで(もちろんなんの予兆もなしに単著出しちゃう化物がいないわけじゃないですけど。あとはドイツとか特殊事情がある国もあるので、まあ……)、信頼に値する業績を挙げてきた著者なら「おっ! ついにアイツが単著を出すのか!」「あの研究ようやく本になったのか!」みたいに迎えられるでしょうし、怪しい著者はその段階でお察しな扱いを受けるんじゃないですか。実際に出来上がったものの出来は、それまでの研究の出来からある程度予想つくのはわかっていただけますよね。
もしもこれが日本だけの慣行なら、あるいは社会学だけの話なら、ガラパゴスと非難されても仕方ないかもしれない。けれど実際には、アカデミックな単著を業績にカウントするのは英語圏もロシア語圏も同じです。フランス語だろうがドイツ語だろうが韓国語だろうが、単著や学術的論集の1章は立派な研究業績。私の本棚には英仏独語で出た外国人の著書が並んでますが、どれもそれぞれの国で研究業績として立派に通用しています。私は社会学だけじゃなく歴史学や文化人類学や政治学の学術書も読んだことがありますが、どれもちゃんと研究業績として扱われていますし、内容もまっとうな研究でしたよ(ハズレがないとは言いませんが)。
文系の出版したがりになんの問題もないかというとそれは違って、文系の中でも色々議論はあります。そしてその議論は非「文系」にも開かれているべきでしょう。ただ、そもそも論として、このへんの文系事情をろくに知らない人が自分野のローカルルールを振りかざして口を出してるのはほんとムカつきますね。文系の研究書を1冊でも読んだことがあるのかと。外国語の文系の論文を手に取ったことがあるのかと。文系の論文を読みもせず、英語やその他の言語での学術書を触ったこともない人たちに、文系の慣行をジャッジする資格なんてあるはずがない。
id:yuimoke ふむ。文系の論文の質的担保について。
id:n314 えっと、内容の正しさの保証は、つまりどういうこと?著書、どこかの書評、定評のある出版社、編集さん、出版助成、査読、土台の論文群、過去の業績、これらから総合的に判断するということかな?
自分で読んで判断しましょうよ……理系だって、査読を通ったんだから正しいに違いない! なんて思わず、批判的検討するっしょ? それともそういうプロセスをサボって無批判に論文の内容を受け売りしてたひとたちが文系の慣行にケチつけてるってことなんですか?
文系基準でも出版社の編集によるチェックは査読とは呼ばないです(査読をする出版社もあります。たとえば→https://twitter.com/saisenreiha/status/1049653174045270021)。一度もそのプロセスを査読とは呼んでいないでしょ? 頼むからきちんと読んでください……
id:napsucks でも批判的な観点でチェックされてるかは疑問かな。堂々と立派なところから本出してた旧石器捏造みたいな例だってあるし。
そんなこと言ったら理系の査読だって小保方晴子や黄禹錫やヘンドリック・シェーンを見抜けなかったんだから、たいした意味ないんじゃないの? って話になりませんか。この3人、NatureやScienceに堂々と載ってたんですが。
id:junmk2 金だけで動く会社から出版し専門家からフルボッコにされても、そんな情報に一般人はアクセスしないので、論文があります単著があります権威は十分通用する。「まともな」専門家と形式的には変わらない。
たとえばJournal of Nutritional and Environmental Medicineみたいに?(cf. http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20150220#p1)
id:himakao この出版不況の中、論文の中身まで編集がしっかりチェックする余裕があるようにはとても思えないんだけど、文系研究者の論文本って界隈で質が高いと評価されるとそんなに売れるもんなのか?
売れるわけないでしょ(涙)……とだけ言うのはアレなので補足すると、もちろんこれは本の内容によります。現代思想とか戦国時代とか、一般の読書家にもファンが多いテーマならひょっとしたらワンチャンあるかもしれませんが、マニアックな文化人類学研究とかだったらまあまず売れないです。だから出版助成もらうわけですけど。著者にも金銭的負担が生じることは結構あると思いますよ。
id:Dragoonriders なるほど。徒労感はあろうかと思われるけど、畑が違えば、みんなよく知らないんですよ。
徒労感があるのは、文系の評価基準を知らない人が多いことに対してじゃなくて、文系の中にも研究の出来不出来があり論文や著書の信頼性を重み付けするメカニズムはある……という至極当然のことに思い至らない人が多いことに対してです。査読が重視されないならあらゆる研究がフラットということになりその中で優良な研究を見分ける作業に時間を取られるのだから非効率だ! みたいな論を立ててる人とかね。人間社会なんだから何らかの形で評価のシステムが生まれてくる、ってことくらい、別に具体的な事情を知らなくてもちょっと想像力があればわかりそうなもんだけどなぁ。
id:hisawooo その「お前らはよく調べて論文読んでからじゃないとジャッジしちゃいけないけど俺たちは見た目だけで判断して良い」という奢りはどっからくるの?
あのなー! 俺はキズナアイの服装なんて公共の場に出して全然オッケーな露出度だと思ってるわ! 特設サイトだけじゃなくてNHKの夜のニュースに出てても批判せんわ! ラノベの表紙におっぱいを強調したチャンネーがいて何が悪いって思ってるわ! 社会学全体や文系全般を叩くやつがいたから反論してるだけ!
もうほんとふざけんな。どっち側もクソすぎて付き合ってられねえわ。
科研費は、研究者の自由な発想に基づく独創的・先駆的な研究を支援するものです。
応募研究課題の審査に当たっては、研究者コミュニティ自らが選ぶ研究者が、個々の研究の学術的価値 を相互に評価・審査し合うピアレビュー(Peer Review)のシステムを採っており、毎年7,000名以上 の研究者の協力により支えられています((参考1)審査等「1 科研費の審査について」参照)。
科研費の審査においては、平成30年度助成から新たな審査方式を導入するなどの改善を図る一方で、
近年、科研費のニーズの高まりを受けて応募件数が10万件を超えており、応募件数の増加に伴って、審
査委員として御協力いただいている研究者の審査負担も増加しています。今後、仮に審査負担が更に増加
して研究者への負担が過度になってしまうと、研究者の教育研究への影響や審査の質の低下も懸念されま
す。また、応募件数の増加については、 昨今、一部研究機関において、科研費への応募を組織の目標と
していることもその一因になっていると考えられます。本来、科研費の応募は研究者の発意に基づいて行
われるものであり、各研究機関において科研費に応募させることを目的化するようなことは望ましくあり
ません。