とある2050年に役立つ技術を開発するために数年単位1千万円程度の助成をするというプロジェクトがある。
だが、蓋を開けてみると、通ってるのは大御所方の研究ばかり。自分の分野ではあの人は大御所というのはわかる。で、他の分野でも通ってるのはほぼ教授ということは、多分その分野の大御所の方なんだろう。
こうしてみるとわかるのは、
1)素人にわかり、うまく行きそうだと感じるクラスには長年の積み重ねがやっぱり必要。けど、素人にも革新的だとわかるというのを基準にしてしまうと、「すでに積み上がった革新的研究」しか通らない。その時点では科学技術としてはもうすでに革新的ではない。実用面としてはまだ未完成の技術だから革新的ではあるのだろうが。
2)今の日本では大御所方でも研究費がなくて困ってる。だから、今までの研究の積み重ねの延長としてでは金は取れない。実用化はまだしてないから革新的という予算に応募して通らないと、大御所であろうと研究が続けられない。
3)大御所ですら金がなくて困ってる状態で革新的とやらを掲げてやっても、うまくいくかどうかわからないクラスのやつは通らない。枠が限られているから、枠の中でうまくいくようなものが優先される。自ずと、革新的だがうまくいくかどうかわからないものは落ちる。
4)更にその中で、「革新的なものにでかい予算を!でも総額は減らす。」とやると、科学技術としても革新的なものにかける予算が更に減る。
5)そもそも、新しい挑戦は失敗する確率のほうが当然高い。競争をつけて、総額を減らす。失敗したら飯が食えなくなる。というのは、日本津々浦々、革新的なものをむしろ減らすのではないか。だって失敗したら人生詰むが、手堅い研究で革新的の皮をかぶれる状況であればいきていける。まあ、故に、国際比較なんかしちゃうと、日本初革新的研究がもうでていないということが一発で明るみになるが。
とすると、総額を増やして競争的資金で、少ない額での数年程度の研究で採択率、採択数を相当あげるということじゃないと、革新的研究は起きないんじゃないか。
まあ、これは最近豊田長康先生が声を上げられていることではあるが。
ついでに、文科省系の助成は研究者本人の人件費がでない。さらに、本来人件費の源である運営交付金が削減されたとすると、そもそも、研究をする本人がいきていけない。
と言っても、新自由主義の金を減らして競争激しくして、罵声と失敗した奴の厳罰をもとめる日本社会じゃもうどうしようもないのかもしれないかもなぁ。
競争はある程度必要だと思う。だが、予算は相当数がとれるという状況じゃないと、安全のために手堅い研究しかしないし、革新的なものをすると人生詰むからやらないというのは続くだろう。