はてなキーワード: クリアとは
クリアできるまでが花
チケット転売規制法が施行されるのと刀剣乱舞の初日が一緒!見せしめで本人確認徹底して転売分を当日券に回せ!って言っている方をTwitterで多数見る。
また公式に本人確認徹底してと問合せしている人もそれ以上に見かけるが
・2枚での申し込み可能にしておきながらチケットの名義人と同時入場でないと入れないと告知していない
上記2点をクリアしていないから、本人確認の徹底は絶対に出来ないんですよね…
もしファンがチケットの高額転売を問題視しているなら、次回作決定した時点で
・入場時の本人確認の徹底
を各種チケット申し込み開始前に告知するよう公式に意見として送ってください
まぁ、興行打っているマーベラスが株主総会でチケットの高額転売に関して聞かれたときの回答が電子チケットを導入しているって回答しかない時点でそこまで高額転売を問題していないし、製作委員会方式だからいろんなスポンサーの思惑で実施されることは限りなく0でしょうけど…
https://anond.hatelabo.jp/20190405004215
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20190405004215
NTTグループの増田やそのブコメを見て思うところあったので、自分のブログに書こうかとも思ったけど増田に書く。世の中には「普通の平凡なサラリーマン」にすらなれない人がいるんだよいう観点で。
構成はNTTグループ増田のそれに合わせて書く。分量は少なめで。
「安定してそこそこの給与が保障されている」という環境に対する憎悪の声がここ二十数年ほど高くなっているが、「安定してそこそこの給与が保障されている」環境が必須な人は一定の割合で存在するのでは?そういう進路を選択したほうが貧困に陥らずに済む人だっているのでは?そこから外れた瞬間に貧困に陥ってしまうのでは?(私自身も若いころはそういう視点を持てなかった。)
「普通」の人間にすらなれない人にとっての一つのセーフティーネットが存在することを私は実感したし、それを無くすのは自分のためだけでなく、社会のためにもよくないのでは?ということを捉えていただければ。(近い将来、その「一つのセーフティーネット」が無くなって私自身が惨めに野垂れ死ぬ可能性は高い確率であると思っている。)
修士新卒で就職。40代前半。いわゆる氷河期世代ってやつです。バックエンド業務に従事。
30くらいの時にブラック他部署との仕事でメンタルを病んで療養。復帰はしたが、不信感やらいじけ根性発揮やらで30代序盤にして「この先の人生はもう余生」と決め込む。今思うと、内心そう決め込んでいても「一生懸命仕事をやろうとしているポーズ」を取ることの重要性を理解していれば年功序列レールに数年の遅れで乗れたのになあと思うのですが、当時はとにかく辛くてそんなこと考える余裕すらなった。後の祭りだし後からならなんとでも言える。
過去は変えることはできないので、節約生活と可能な限り小銭を拾う生活をするしかない生活を強いられているんだッ!!(バカの自業自得)
経営は非常に安定している、、、とみなされた時代もあったようです。
労働組合は御用です。組合の側から「労使協調」という言葉が出たときにはのけぞりました。物事には建前というものがあるのでは?そりゃあ実態が御用組合で組合出向が人事部の出世コースなのはみんな知ってるけど、、、と思わないでもないです。
私自身の年収は650万ほど。残業しまくっていた就職3,4年目の頃と同じ水準ですね(さすがに今は残業時間は減っています。というかそんな残業生活もう無理)。40歳超えてこれですので、金銭感覚が比較的幼いままでよかったなあと思っています。この先歳をとるにつれどんどん周囲に差を付けられてきつくなるんでしょうけど。
(収入が順調に上がるにせよ上がらないにせよ、生活レベルは上げないほうがいいと思います。というか生活レベルって小金が入って油断すると勝手に上がっていくものです。心身の疾患で収入が上がらなくなったときに悲惨ですし、心身に問題がなければないで貯蓄が増えていきます)
年齢や学歴の近い人は最低でも係長、早い人はとっくに課長に上がっていて当然年収1000万超えです。
30代序盤までは、普通に過ごしていても優秀であってもメンタル疾患の欠陥品(私)であってもその時点での年収差はあまりないようです。後になって響いてきます。
ヒラ→主任→係長→課長、、、と昇格していきます。「普通」の人間でいられる限りは今でも係長までは多少の差はあれど基本的に年功序列です。もちろん私はそのレールにすら乗れていません。
学歴が高いほうが昇格が早い、という傾向はあるようです。自身の反省から言うと「普通」になれなくとも一生懸命頑張っているフリくらいはしましょう。社内ニートのキャリアパスを選択するのは最低でも、(表面的な体裁を保っていればなんとか年功序列で上がれる)係長に上がってからにしましょう(自戒)。係長にすら達していない若いころからいじけて余生モードになってもいいことはありません(体験者は語る)。いじけて社内ニートになるのはいつでもできます。実際課長以上のクラスでそういう人はいます。
なお、優秀な人は異常に昇格が早いですが、「あんな奴がどうして」「女性だから優遇されているのか?」というケースは少なくとも私の視界では見たことがないです。課長以上の世界は私からは見えないのでわかりませんが。
あと、昇格に関する(暗黙・非暗黙の)ルールはあるみたいですが、他人を人事評定する立場に立ったことのない私には正直わかりません。「普通の」コミュ力があればそのへんの情報を下っ端でも聞けるみたいなんですが。
社宅や寮はあります。以前は安価で長く居られたらしいですが、年々制度改悪されて今では基本的に35歳までしか使えないようです。値段については、改悪されたとはいえ普通に借りるよりは安いみたいです。
独身者は補助を受けたければ寮に入れ、という方針です。既婚者は条件をクリアすれば多少の賃貸補助を受けられます。こちらも年々改悪されて今に至るようです。40歳超えたら補助は一切ありません(だったはず。単身赴任に関しては別)。
そんなものはない(関羽)。家やマンションを買うための財形制度はあります。
私自身が持ち家を持っていないし検討すらしたことがないので正直よくわからないです。ただ、わりと多くの人が「年相応に」家なりマンションなりを購入しているようです。まあ、私はそういうルートにすら乗れなかったので、、、
旅行とかスポーツジムとかに使えるポイント制の制度があります。小銭を拾って生きていかないといけないので、これは、、、ありがたい、、、
勤務時間帯はコロコロ変わっていました。一日の労働時間が長くなる代わりに休みが増えるとかその逆とか。ただ、最近は世間の趨勢を無視できず世間並みになっている感触です。フレックスやリモート勤務や時短勤務などがあります。
残業規制は私が入った頃はいいかげんでした。最低でも終電帰宅がデフォなのに残業は毎日20時きっかりまでとか。(若いころはそれでもなんとかこなせるんですけど、それで心身のダメージが蓄積していくということに気づいたのはもう少し後の話)
社内外の関係者(犠牲者)が捨て身で騒いでマスコミ沙汰労基沙汰にしたことや世間の流れもあって、今では残業規制はNTTグループ増田の言っている程度には厳しくなりました。ただ、一部の部署では「退勤タイムカードを押した後残業」みたいなのが常態化しているという噂も聞きます。
人件費圧縮のため残業は減らせという職場全体の方針なのに、残業時間が少ない人は暇人認定されて評定上はよろしくないみたいです。じゃあどうすりゃあいいんだよ。
あと、フレックスが導入されたので残業時間の調整はしやすくなりました。今月残業多くて今日はやることないから早く帰りますとか。まあそんなこと言ってられない時はどうにもなりませんが。
有給休暇、夏季休暇、傷病休暇があります。繰り越せる休暇はいいんですが繰り越せない休暇はきっちり消化しないと上司が怒られます。
他は、最近急にコストに関して経営陣が意識高い系になっているけど、その内容が「とにかく目先の支出を減らすこと」という、民間大企業がかつて陥った罠に数周回遅れで嵌まっている感がムンムンします。「目先のコストカットが目的化してしまい本業に支障出まくり」という余所様の失敗はさんざん話題になっているのにそういう情報に触れていないんだろうか。
低いです。が最近は若い人の離職率が上がってきています。先日部長が「若い人が離れていくのは問題だ。もっと職場の一体感を」とズレたコメントをしていたのが印象に残っています。部長まで行くような人がその分析、、、?
個人的には、ここ数年人事が欲しがるような人材(安定のためとかそんな学生は要らねえ!)が増えた結果として若い人の離職率が上がっているんでしょ?人事がそういう人材を採用している方針的に当然の帰結では?と思っています。
・将来がどうかはともかく、貧困になりたくない人(「普通」になれなくても必死になんとかしがみつけばそこそこの生活費は確保できます。今のところは)
・社会的信用を求める人(エリートでもお荷物でも外から見れば所属組織名は同じ)
・馬鹿正直な人
・ルールや決まりよりも部署の声のデカさがすべて、という現実に適応できない人
・一攫千金を求める人
私はかつて「私は普通の人間(社会人)にくらい当然なれるさ」と思っていたし、もしかしたらそれ以上の…なんてことを思っていました。
最近話題なった45歳over首切り某民間大企業が、その昔「成果主義」とか言い出して世間的にも話題になってました、当時就職直後だった私もご多分に漏れず「自分は当然成果主義で給料の上がる側」と思っていました。
今は私の職場も(年功序列の面も残っているけど)「成果主義」が進んでいますね。イチローの引退会見じゃないけど、若いころの自分に「おまえメンタル疾患で普通の人間にすらなれずに成果主義どころか年功序列レールにすら乗れてないぞ」と言いたいですね。
そんな欠陥品でも当面は生きていけることに対しては、今のところは運がよかったな、と思っています。ということで退職しません。クビになった時に備えてチマチマ小銭を貯めます。まあ実際クビになったらそんなのすぐに吹っ飛ぶんだろうけど。
ざっと見た中では毎日の記事(WTO敗訴 安全性を立証しようとの日本政府の狙い裏目に)が比較するとましだった。NHKはひどかったな。
https://www.wto.org/english/tratop_e/dispu_e/495abr_e.pdf
争点は8つほどあげられているが、主な点は以下のようにまとめられる。
1.韓国のとっている輸入禁止措置がSPS協定(SPS Agreement)に認められる範囲(妥当な水準の規制=ALOP)を超えているか否か
2.日本が提出している科学的証拠はSPS協定の例外措置をクリアするほどに頑健か否か
ここで重要な条文はSPS協定の2.3、3.3及び5.7である。
要約して書くと
2.3
加盟国は検疫措置により、恣意的・不当に同一または同様の条件の元での加盟国間の取引を差別し、擬似的な制限として利用してはならない。
3.3
加盟国は、科学的に正当な理由に基づいている場合には、自国の保護水準を、国際的な基準、指針、勧告に基づく水準よりも厳しいものに設定しても良い。ただしこの条文によりもたらされる水準はSPS協定の他の条文規定に違反することは許されない。
5.7
加盟国は、科学的証拠が不十分な場合には、他の関連国際基準や、他国の措置などの情報に基づいて、暫定的な検疫措置を設定することができる。その際もリスク評価のために必要な追加情報を得るように努め、妥当な期間内に検疫措置について見直しを行うべきである。
と言う部分。
さらに前提知識として、日本も韓国も食品による被爆線量としてCODEXを採用しており、これは国際規格なのでSPS協定の認める関連国際基準に即しているものということができる。CODEXでの食品由来被爆線量の基準値は1mSv/Yr。従来の規制値としては日本も韓国もセシウムのみを基準としていた。2013年に韓国はさらにストロンチウムなどの別の放射性物質の検査も要求し、基準値以下の放射性物質が検出された際にはさらに追加の検査をするように要求しており、日本はこの要求基準に基づいた輸入禁止措置は恣意的・不当な差別に当たるとして解除を求めている。日本はセシウムのみの検査であっても、他の放射性物質由来の被爆線量への寄与度が低いことを考慮すると、十分であるはずだと主張しており、最初のパネルではこの主張が認められていたところである。
ALARA=As low as reasonably achievable
つまり合理的に達成可能な限り、放射性物質の摂取は低い方がいいと言う原則。
韓国側は満たされるべき科学的根拠は基本的には以下の3つの要素によってもたらされると主張した。
(2)被爆量はALARA、
これに対し、日本側は(3)にフォーカスし、日本が現在行っているセシウムのみに基づく検査で3はクリアできる、と主張していた。この主張は下級審では認められていたわけではあるが、韓国側は、セシウムのみの検査では、上述のSPSAの5.7に定義された、科学的な根拠が不十分である検査とした。ストロンチウム等の実効線量がセシウムとは異なることを指しているものと思われる。セシウムが100Bq/Kgである他国の食品と、福島原発事故後の日本におけるセシウム100Bq/Kg基準が基準線量1mSv/Yrに与える影響は同一視できないという主張である。
これに対しWTOはどのように判断したかというと、ALARA原則を考慮すれば、福島原発事故ののちにおいての日本は他の地域に置ける基準線量に与える影響を考える上で、2.3に規定される「同一または同等」の条件を満たしているとは言えないとして韓国側の主張を採用し、輸入禁止措置がSPSA2.3に違反しているという下級審での結論を棄却したわけだ。その理由の一つとして5.7の科学的根拠が不十分であるとの韓国の主張に、日本側は反論しなかったというものをあげている。日本側としてはCODEXに準拠しているのであるから、(3)を満たすことによって(1)、(2)は必然的にクリアできるであろうとの読みがあったのではないかと思われるが、結論から言ってしまえば甘かったということになるのだろう。感覚的にはストロンチウム等の検査要求されている放射性物質による被爆線量が、日本とその他の地域と同等であることをなんらかの形であれ主張することができれば下級審の判定は維持されたのではないかというような気がしないでもない。
私個人としてはCODEX準拠であればその他諸々の行動による浮動的なリスクを超える範囲で、言い換えれば検知可能な範囲でのリスクの増大を招くとは思っていない。しかしながら、ストロンチウム等の食品摂取によって、実効線量がどのように変動するかについて、科学的知識が十分だとは言えないだろうと言われれば、「それはお説の通りと思います」と言うしかない。福島原発事故以前であればともかく、現実にあの事故を目の当たりにした上において、放射性物質に対して、必要以上の嫌悪感ないし、忌避感を持ったとして、さらに言えば、それを喧伝したとして、それは非難されるものでもないであろうと思っている。食というの非常にプライベートなものであり、こだわりは内面的なものでもある。
WTOの裁定は端的に言ってしまえば、1mSv/Yrが達成される蓋然性は高いとWTOも認めてはいるが、ALARA原則に基づけば科学的に安全であることを認めたわけではない(不明瞭であるとした。危険とももちろん言っていない。)日本側として、「科学的に安全との事実認定は維持」を言いたい気持ちはわからないでもないが、こういった場面でそういったことを言ってしまうところにディスコミュニケーションの原因があるような気がしないでもない。
やっていたゲーム
・ミリシタ
・メギド72
まずSEKIROをやる上で「SEKIROの時間を絶対に確保したい」というのがあった。
その時点で時間を大幅にとられてしまうシャニマスをSEKIRO中は触らないという決心がついた。
プレイ3日目
細かい通知に気を取られるのがイライラになったので、アズレンを触らない決心がついた。
4日目
0時からログインボーナスがつくゲームのせいで0時にSEKIROを終えなくてはいけないのが辛くなった。ミリシタを触らない決心がついた。
5日目
○時からボーナスタイムというのを考えた時に20時や22時や24時に1時間取られるゲームはSEKIROのプレイに邪魔だと思った。メギド72をやらない決心がついた。
8日目~
ようやくSEKIROをクリアした。
ちょっと前の話題になるが、テクテクなるゲームに社運かけてみごとに転んだことを考えて見ると、バカだなーと思う反面で
案外「多分これしかなかったんだろうな」ってのも少しわかる気がした。
ネットの批判だとニコニコ動画の使い勝手や、画質の向上がおろそかだから悪いのだって意見が多いが、
たぶんこういった着実な改善を仮に積み重ねたところでニコニコは近いうちに沈むだろう。
いろいろな理由があるが、YouTubeに勝てない最大の理由の一つは機能や規模の問題以上に、
ニコニコはグレーなMAD文化に依存しすぎていたことがあると思う。
YouTubeで人気のある動画投稿者のかなりの割合が収益化前提で活動しているので、必然的に権利的な問題が
ニコニコも収益化をある程度の時期からはじめてはいたが、依然としてかなりのコンテンツが権利的にグレーな内容のものが
かなり多く、ましてや例のアレ系統にいたっては権利がクリアであることに反発するような根強い勢力が要る。
そういう状況でYouTubeのような文化が勢力を強めれば、当然みんな金をくれる方に移動する。
彼らはお金を集めやすい動画作りに最適な行動を働くので、動画投稿の頻度が高くなり、投稿者のファンの
滞在時間も長くなっていく。
それに対してMAD系の動画は編集作業が高い労力が必要になり、毎日に近い投稿というスタイルは不可能に近い。
その上ニコニコは、当のグレーなMAD文化自体が一部の世代のものでしかないことが露わになってきて、今や淫夢も風前の灯火だ。
だからニコニコ自体を伸ばすというのはもはやムリな路線だと考えても、おかしくはない。
今後の伸びる見込みがなければどう改善したところで先は絶望しかない。
実際、AbemaTVは赤字を垂れ流しつづけているがサイバーエージェント自体は利益を上げ続けていて、
セグメント別業績を見る限り、広告事業以上にゲーム分野の利益が200億円後半から300億と
全業績の中で圧倒的に高い利益率で、メディア事業の赤字を補填している。
おそらくだが、川上量生はニコニコをサイバーエージェントのような形でニコニコを延命させるしかないと
考えたのではないかと思う。
従来型のガチャRPGではなくポケモンGO型を選んだのも、良くも悪くも川上量生自体が古いインターネット型の
この推測が正しいのか正しくないのかは外野にはわからないが、テクテクの失敗でほぼニコニコの未来は決まったんじゃないかと思う。
昨日の話だけど、新月9のメインキャスト数名が直前の番組であるネプリーグに出てたわけ。
ネプリーグだからさ、同じチームで仲良く協力して頑張るわけよ。
実際いい雰囲気のチームだった。
素の彼らを見てしまってるから、キャラクターの個性とか仲良くない設定の嘘っぷりが必要以上に感じられて(そもそも演技だから嘘なんだけれども)相当つまんなかった。
あとネプリーグのラストでとんでもねぇネタバレかましてたのもいけなかった。
最初に、自分はソウルシリーズから遊んできてイージーモードは要らないと思っている人の1人です。
そんな自分がSEKIROはイージーモードがあっても良いと思っています。
オンラインゲームで協力プレイなんかがあるソウルシリーズみたいなものだったら、不要でした。
というのも、フロムのソフトで遊ぶ人でオンラインを繋ぐ人は、それなりに自分で学ぼうとするから諦めないのでそこそこ基礎ができている。
オフラインはオンラインと違うので基礎できていないでも別に誰にも迷惑はかからない。
なので、イージーモードでクリアしようとも別に問題はないのです。
フロムのゲームだから、難しいのが当たり前という考えもオフラインゲームには別に必須ではないでしょう。
オンラインなど他人へも影響がでてしまうゲームはイージーモードは必要ないです。
難しくないと立ち回りも覚えられないし、何よりイージーモードがあったら敵のAIも変わるでしょうし余計に覚えられません。
そういった理由から、オフラインであるSEKIROはイージーがあっても良かったんじゃないかと思います。
誰にも迷惑をかけないゲームなのに、クリアすることすら許してもらえないような難易度では
耐久力のない人はクソゲーとしか言わないし、今後もソフト会社自体を憎しみの目でしか見なくなるでしょう。
そういうことにならないように、アクション性の高いオフラインゲームならイージーモードはあってもいいのではないかと思えます。
下手だから遊ぶなというのは傲慢であり、やらなければ良いという考えは、単細胞的な意見で見ていて愚かしいとも感じられます。
私はSEKIRO自体の難易度をとても楽しんでいるのでいいですが、やはりあのゲームは難しい。
イージーモードで遊ぶ人が居ても良いんじゃないかと思いました。
最後に、
人が動物の上に立つモチーフ、イルカ・アシカやイエイヌが、けもフレ1以後の「人間がいなくなってる世界」でそれを強調されることが視聴者にとって不快で、それを書くなら悲劇性や罪悪感も書くべきだ、との主張でしたね。誤解していました。失礼しました。そうするとリョコウバトは構わないのでは。けもフレ1でもトキは絶滅していますが、人が上に立っているわけではないので問題ない。リョコウバトも同じ扱いでいいのではと思います。
けもフレ2における、人間が動物に迷惑をかける点ですが、フウチョウたちが「確かにヒトのおかげで助かったケモノもいるが、ヒトが不用意に近づいたばかりに、迷惑するケモノもいたかもしれんぞ」と明確に問いかけてるんですよね。これに対するアンサーは必要であり「テーマとして昇華していない程度の示唆」で終わらせるのは無理があります。
リョコウバトとトキの比較ですが、けもフレ1のトキの場合、絶滅危惧動物であること、人間によって傷つけられたことに関する言及はないわけです。一方、リョコウバトの場合、絶滅を暗示する演出がいくつもあり、先のフウチョウの問いかけもあったわけです。
イルカ・アシカについてですが、ネットを眺めた体感では、そこまで気にされてないように思うので、これが気になるのは俺自身の問題であって、そこまで気にしなくても良いかもしれません。
ただし、フウチョウの問いかけにある通り、全体的に人間と動物の関係性の負の面に掘り下げるならば、イルカ、アシカも一緒に掘り下げたほうが脚本の完成度が上がるでしょう。
イエイヌについては、あれは監督交代のいざこざ抜きでも、居心地悪いかと。
詳しくないのですがハリウッドのヒーロー物では技名宣言は少ないのではないでしょうか。国内で閉じるローカルルールに縛られずによりリアルな表現を模索したのでしょう。
マーベルやDC映画の場合、叫び声でパワーアップはしないわけですが、強敵との戦いをどう盛り上げるか、逆転を、どう印象づけるかの工夫があります。フレンズ型セルリアンとの戦いは、あまりそうした工夫がなく、盛り上がらなかったです。それなら誰かが「野生解放!」と叫んだほうがわかりやすいでしょう。
まあファンタジーが蔑称ということもないのでしょうが、多くをノリで処理すべき寓話的世界観というほどには、けもフレ2は堕していないと思います。
まず私の立場は「多分、脚本の穴だろうが、寓話的世界観と取れないこともない」というものです。ラストバトル前の葛藤(フウチョウ)と、ラストバトル勝利のギミック(ビースト)という重要な部分の両方が、ファンタジーな流れで解決されるので、その印象が非常に強いんですよ。
しかし、たつき監督がけもフレ2をやっていたらそのカットは問題にならないわけでしょう。監督が代わるごとに構図被りに難癖つけられるなら、正解は作らない一択ですよ。俺は野生解放こそ失念していましたが、かの名シーンの存在は覚えていて、でもその被りには気づきませんでした。観客が悪意を持ってアラ捜ししていることまで計算に入れて作っていかなきゃならないなら、アニメ制作者が家に帰らない期間は年単位で増えていくでしょう。観ると決めたら、ある程度製作者を信用することは視聴者側の責任だと考えています。
点が三つあると人の顔に見える、と言う話がありますが、人間は、基本的に意味のないところにも意味を捜す生き物です。現実には意味のないことは幾らでもあるのですが、作劇でそういう部分を作ると、視聴者は無理矢理意味を見いだそうとし、結果、制作者にとって不本意な受け取り方をされることがある。それを避けるためには、意味・印象が散漫なシーンを作らないことです。
結局、セルリアン型フレンズにあまり意味がなく、戦闘も盛り上がっていないのが、あら探しされやすい大きな原因だと思います。フレンズ型になった意味もさほどなく、あまり怖い印象もなく、なんとなく倒されていくという(このへんは脚本だけでなくアクションシーンの問題でもあります)。
けもフレ1の集合シーンは、ここからフレンズが、それぞれの個性を生かした連係攻撃を開始するわけです。例えば、それを踏まえて、セルリアンが巧みな連携を仕掛けてきて、「これまでのセルリアンと違う! なんて強いんだ!」とすれば、そこには一つ意味が生まれます。
そういった点をクリアしても、ケチつけられる可能性は否定しません。結局、最終話の評価は、それまでの1~11話の評価と切り離せないものですので。視聴者に信用されるために、制作者側は信用を積み重ねる必要がありますが、そこがうまくいってないわけです。
この先奇跡的にけもフレ2の人気が反転して評価が逆転したら繰り上がって「優しい世界」になるのでしょうか。だとすると「優しい世界」は「感じが良くて人気だった」くらいの概念になってしまうでしょう。
「優しい世界」に込める意味は、人それぞれで、深く考えてない人も多いでしょう。なので、最大公約数を取れば、まさしく「感じが良くて人気だった」くらいの意味になると思います。批評として使うなら、定義が必要になるでしょう。
私自身が「優しい世界」という言葉を使ったのは、「素直なキャラで面白いドラマを作ること」くらいの意味です。
けもフレ2でギスギスが解禁されたことで、G・ロードランナーやフウチョウ、イエイヌなど、けもフレ1に収まりきらなかっただろうフレンズへの間口が開かれました。
ギスギスした作品はギスギスした作品で楽しめる人も、癒やし系作品の続編として出されると「思ったのと違う」ってなりますよね。ラーメン屋いったらサンドイッチが出てきたみたいなもんで。ギスギスを狙ったのなら、作品の出来とは別に、マーケティングのミスです。そういうのは事前に告知して心の準備をさせるのが良いかと。
逆に言うと、ここまでギスギスな作品だと受け取られる、とは制作側は思ってなかったんでしょうね。
そこはおっしゃるとおりですね。書いたことに矛盾があったので書き直します。
まず、1話からのヒキである、キュルルのおうちが、見付からなかったことに、消化不良があります。次に、キュルルが「おうち」を諦めるに至る過程が曖昧なので、ドラマが盛り上がりません。
キュルルが「おうち」を捜す動機として、フウチョウに対して、「そこには、僕にとって大事な、なんかすごく大切なものがあった……気がする……」と言ってるんですよね。この「大事な大切なもの」が不明なまま、おうちより仲間と言われても、とってつけた感が出ます。
何話か見返したのですが「キュルルの手がかりの絵が尽きた」ことが描かれたシーンが見当たりませんでした。教えていただけると幸いです。
でもそうするとセンちゃんやアルマーさんを入れる尺がなくなりませんか。誤解させるための設定も用意しなくちゃならない。というかイエイヌちゃん完全に救われちゃってますよね。
思いつきプロットですので、詳細まで詰めてないのはご容赦ください。作劇において、尺やバランスの問題は常につきまとうので、やりたいことの優先順位を決めて整理すれば良いかと。
優先すべきものがイエイヌとキュルルの関係なら、他のキャラの出番を減らして調整しますよね。逆にカラカルとキュルルが仲直りして関係性を深めるほうがメインなら、プロットが重くなりやすいイエイヌでなくて、別の困ったフレンズにしたほうが、すっきりするかもしれません。
キュルルちゃんをホテルで海に落下させるためにイエイヌ回で下げたのではないでしょうか。落ちたときニコニコ動画では「ざまああwwww」が連発されましたが、あれは制作の狙いだったと考えています。そして必然的落下からのフウチョウ説教・海底火山紹介に自然につながります。
通常、主人公とは「こいつがどうなるか見届けたい」と視聴者に思わせて、物語をドライブする存在です。そのためには視聴者を引きつける魅力が必要になります。魅力がないと、作品を見続けるモチベーションが湧かない=つまらないとなるわけです。魅力としては「いいやつ」から「かっこいい悪」「人間的欠点があるが、どこか憎めないボンクラ」まで様々です。
さてキュルルは、別に「かっこいい悪」や「憎めないボンクラ」キャラではなく、概ね、フレンズを助ける心優しいキャラとして描かれてたわけで、それをこういう下げ方したら、キュルル自体の魅力が損なわれ、作品自体への評価が下がります。さすがに制作者が意図してそういう風には描かないと思います。
キュルルが落っこちた回でニコ動のアンケートがちょっと上がったのは知ってますが、主人公がそこまで嫌われてる時点で、作品としては末期症状でしょう。
むしろ話の流れのメインだったのは”スケッチブックの最後のページの行方”だったと思います。すべてのドラマがスケッチブックに沿って展開され、最後の絵は破られていたことは最初の話で既に明らかにされていて、ホテルの海上で悩むキュルルちゃんは千切られたページの跡を見つめていました。
長い時を生きてミライさん時代からパークを見守ってきたイエイヌに対してキュルルちゃんが「おうちにお帰り」を言い、逆にイエイヌは彼女から送られた絵をみて(観念的に)おかえりを言うわけです(実際に口にはしてないけど、まあ立場的に)。キュルルちゃんはそのシーンを持って本当におうちに帰った、受け入れられた。それを最後のワンカットで示すのが強い、と思うのですがいかがでしょう。
この解釈は私が気づかなかったもので、なるほど、と、思いました。
ただ、「スケッチブックの最後のページの行方」がメインだったとすると、エピローグ的な部分で登場しても、もうその時点では、セルリアンは倒され、キュルルのおうち探しも終わっており、ドラマとして盛り上がらないかと。
イエイヌの「おうちへおかえり」と、キュルルの「おかえり」を重ねて、メインテーマに結末をつけたいのであれば、もうちょっとそこに重点を置いた作劇にしないと視聴者に伝わらないと思います。
一般的エンタメの作劇上のセオリーで評価できないというのはわかりましたが、しかしそのセオリーに従わなければいけない強い理由があるのですか。
作品の出来、不出来は、究極的には個人の好みになります。その上で、「多くの人が好む/嫌う最大公約数」というものもあります。それをまとめたのが、エンタメのセオリーと呼ばれるものです。
けもフレ2の一般的な評価が低い論拠として、そうしたセオリーを守れてないから、という点を指摘しているわけです。
もちろん、セオリーをぶっちぎって、面白い作品はあります。私から見る範囲で、けもフレ2に、セオリーを無視したが故に面白くなってる点は見当たりませんでした。ただこれは私の意見なので、「そうではない。ここが面白い」という意見は拝聴します。
https://automaton-media.com/articles/newsjp/20190408-89265/
いや、叩くつもりでも擁護するつもりでもないんだけど。
SEKIROの難易度が難しすぎてクリアできない人いるってのは、まぁ容易に想像できることではあると思う。
FROMゲーはキングスフィールドの時代からわりと難しいってのは少なくともゲーマーの間じゃ知られてたし。
アーマードコアもシリーズものだからナンバリングによって違うけど、かなり難しいタイトルもあった。
ただ、この手の西洋の記事で最近、高難易度のゲームに疑義が呈されるようになってきたのは
とか
なんていう単純な話じゃない。
もちろん、大雑把に言えばこの2項対立で間違いないんだけど。
まぁ結論を言っちゃうけど、ようは高難易度ゲーを作って障害を持ってる人とか下手くそな人を排除するのはポリティカル・コレクトネスに反するんじゃないの?
っていう話なのよ。
だからずっと向こうのゲームメディアじゃ高難易度ゲームを叩く記事が作られるのね。
全てのゲームメディアがそう言ってるわけじゃなくて、そういう思想を持ったサイトがぽつんぽつんとあるってこと。
で、それに対して反論してるのが「脳性麻痺を患った人がSEKIROのBOSSを倒した」って記事なのね。
つまりSEKIROはポリティカル・コレクトネスに反して無いよって障害者が反論した記事なわけ。
俺も俺の屍を越えてゆけ2をふつうに楽しんでクリアした後、ネットで攻略見ようと検索したらめちゃくちゃ叩かれててビビったことがある。
○朝食:ピザトースト
○調子
まあ昨日怒られたのも、このやる気がない感じが原因なわけだし、ちゃんと向き合えないなら休んだ方がましかな…… って。
お休みってか、まあもう言葉を選ばずいえばサボりました、サボリーマンです、ユマ・サーマンです。(ユマサーマンではない)
特に、安眠のためのオナニー、安眠オナニーじゃない、ガチのやつはなんか久しぶりにした気がする。
いや、ラジオネーム安眠さんでオナニーすることじゃなく、寝付けない時にするやつね。(いやラジオネーム安眠さんでオナニーすることを安眠オナニーと言うわけがないだろ(ラジオネーム?))
文章を読むゲームは好きで、かつミステリはもう大好きなジャンルなので、前々からプレイしたかったので、このサボりをきっかけにプレイ。
かなり「ベタ」な内容だったけど、キーレスポンスはいいし、イライラするようなコマンドの深さもないしで、楽しくプレイでき、一気にクリアまでプレイ。
ストーリーも、ミステリというよりは、サスペンスなノリだったけど、十分面白かった。
こういう王道な作風好きだなあ、仕事サボってまでプレイする価値があったか? と聞かれると言葉に詰まるけど、まあ楽しい休日を過ごせたから良しとしたい。
○ポケモン青(3DSVC):悪ポケないし、それに準ずるポケ縛り
タケシの突破方法は、しっぽをふるゴリ押ししかなさそうなので、コラッタをもう一匹ぐらい育てとこうかなあ。
今日は上に書いた偽りの黒真珠をプレイしてたので、あまりプレイできず。
まだトキワのもりにも入ってないので、そろそろ挑もう。
っていうか、これ深く考えずにこの縛りで始めたけど、どういう捕獲順なんだっけ。
コイキングがお月見山の手前、ニャースが育て屋の前、イーブイがタマムシ、ベトベターがグレン。
うーん、タケシとカスミさえ越えれば、ギャラドスとペルシアンでスムーズに攻略できそうかな。
○グラブル
それと、よわバハをソロで倒してみたりしてた。
先日FGOにて実装されたカーマのパッケージ詐欺を食らって引退しようと思ったので備忘録的にまとめ
まず前提として殆どのソシャゲ(アプリ含む)はキャラクターゲームであり、イラストや固有のセリフ(ボイス)、設定なんかが商材になっているということがある
FGOの場合その商材はカードイラスト4枚、セリフ(ボイス)、マテリアル(設定テキスト)に分けられる(絆礼装はマテリアル属?)
カーマの場合イラストは1:3、セリフは1:2、マテリアルは共通という形になると思われる
この比率は未プレイだと分からない話になるが別キャラクター同然に変化するという意味で分けたものになる
2臨と3臨以降を別と分ける人もいるかもしれないがひとまず同じとしておきたい
この別キャラクター同然に変化するというのが引退を決めたキモになる
カーマが実装される数日前のイベントステージにて今後の予定としてゲーム内イベントの情報がお披露目された
PVの公開やちょっとした情報の他、これが実装されますという形でカーマの初期の姿が公開されたのである
前述の比率の通り、初期の姿は全体の1/3の要素であり最終段階がいわゆる完成形の状態である以上、本質的な部分ではない
にもかかわらずイベントステージで公開されたのはそのガワであり、再臨(進化)段階で演出と宝具名称が変わるという情報のみだった
そして実装当日の告知にも同様の形で情報が掲載されガチャが実装された
私はイベントを触る前にガチャを回し、再臨させて上記の事実を知りそのままフェードアウトしてしまったが、時限式シナリオとの記載があったので恐らくイベント上でも数日はこの再臨による変化は明かされないのだろう
キャラクターを売り物にする上で「初出のキャラクターで」「宣伝に出した見た目が」「実際には別物に化ける」というのは消費者を馬鹿にしていると私は思う
過去の例で言えば同じくシナリオ上のギミックになる(と思われる)キアラの様に後から追加される、だとか
カーマと同様に別キャラクターのように外見が変化するサリエリの様に登場シナリオをクリア後に追加される、だとかなら私は何も言わない
初登場の時点でガチャという商品に追加したなら「外見で気に入る」か「なんとなく」で回すくらいしかないのにその外見を裏切る行為をまともだとは思えない
FGOというタイトルはシナリオを売りにしていることもあり、これが今回のイベント及び次の2部シナリオにおけるシナリオギミックであろうことは理解する
だがその上で提供者の「やりたい」の為に消費者に犠牲を強いることが真っ当な行いだろうか
過去の例と同様に後からの追加で良かったではないか、商業的にはマイナスでもメインシナリオを年内にやりたいからとクリスマスを前倒しにしたFGOなら出来たではないかと思うのだ
カーマの依代肉体年齢は不詳なのでキリよく10歳とするが、10歳から20歳、20歳から30歳、30歳から40歳と成長するにあたり、一番が意見変化が大きいのは「子供から大人」であるのは誰でも分かる
現実的にも成長期を介する時点で人によっては「これ誰?」くらいの変化があるのは経験しているだろう
子供から大人に変化するというのは壮年から老齢に変化するような大きな話なのだ
初見で一目惚れしたキャラクターが再臨した瞬間、老人になったら素直に「やったぜ」と言えるだろうか
リアルな人間の付き合いなら外見の変化は些細なことかもしれないが、付き合いすら発生していないキャラクタービジネスでやられても困る
正直今回の件について怒りを覚えているのはごく少数ではあると思う
大多数の人には「なにキレてんだコイツ」としか見えないだろうし理解もされないと思う
「初登場キャラクターの見た目を気に入って、無償石ではなく有償石を購入し、手に入れたものは外見が大きく別物になるものだった」などという体験は通常ほぼできないというのもある
FGOにおける再臨はごく一部のケースを除いて服装が変わる程度のもので告知にも宝具の演出と名前が変わるとあった、という「常識的にこうなるだろう」という思い込みもあった
それでも私にとって今回の事案は詐欺でしかなく、運営元の両社はこういった行いを平然とするものだと認識をしたのでこの備忘録を持って引退とする