はてなキーワード: 食事とは
クソデブ女です。
あすけんで食事管理、フィットボクシング、隣駅まで歩く生活続けて現時点で8キロ減!
まだまだ社会的にはデブだけど周りからは痩せた?って言われる!嬉しい
今までもガチの食事制限したりキツすぎる筋トレですぐ痩せようとして精神を追い込みすぎたせいかすぐ挫折してたけど、今回はゆるい内容のおかげか継続できてる
私みたいなズボラでやる気のない人間はゆるダイエットじゃないと続かんわ
せめて標準体型になれるまで頑張ろうと思います
(追記)
・間食について
今は夕方につまみ食いやめて、どうしてもお腹減ったらミニトマト食べてる
たまに菓子パンとかアイスも食べてるよ〜我慢しすぎると続かないなと思ったので!
・停滞期について
ガイドラインでは、誤嚥リスクのある宿主に生じる肺炎、と定義される。
そのうち最も多くを占めるのは高齢かつ進行した認知症患者が発症する誤嚥性肺炎である。
内科救急で最も多く経験する疾患で、入院で受け持つ頻度もかなり高い。
特異なことに、最も多く接する疾患の一つでありながら、専門家が存在しない。
肺炎だから呼吸器なのかといえば、呼吸器内科医は認知症への対応は専門ではない。
精神科は認知症診療が業務範囲に含まれるが、身体疾患が不得手である。
脳神経内科医は嚥下や認知症を専門領域の一つとするが、絶対数が少なく、専門領域が細分化されている。
そんなわけで多くの場合は内科医が手分けして診療することになる。
そういうわけだから、誤嚥性肺炎に対する統一的な見解はない。ガイドラインも2013年から更新されていない。また誤嚥性肺炎に関する文献や書籍はあるし、質の良いものが出版されているが、多くは診断、治療、予防に重きを置く。価値観に深く踏み込んだものは殆どみない。患者自身が何を体験しているかを推定している文章は殆ど読んだことがない。
病状説明も僕が研修医でほかの様々な医師の説明を聞いても、肺炎です、誤嚥が原因です、抗菌薬で治療します。改善しないこともありますし、急変することもあります、といった通り一遍の説明以上のことを聞いたことは殆どなかった。
もっともよく経験する疾患でありながら、どうするべきかの具体的な方針は大学教育でも研修医教育でも提供されないのだ。
にもかかわらず、認知症患者の誤嚥性肺炎は最も多い入院かつ、その患者は入院期間が長い傾向にある。入手可能なデータだとおおよそ一か月の入院となる。死亡退院率はおよそ15-20%で、肺炎としては非常に高い。疫学については良いデータがないが、専門病院などに勤務していなければ、受け持ち患者のうち5人から10人に1人くらいは誤嚥性肺炎が関連している印象がある。
誤嚥性肺炎は、進行した認知症患者ほど起こしやすい。そして、誤嚥性肺炎を起こすことでさらに認知機能が低下する。しばしば経口摂取が難しくなる。そして自宅や施設へ退院することが難しくなり、転院を試みることになる。
典型的には進行した認知症を背景に発症するので、意思決定を本人が行うことができない。患者は施設入居者であることも多く、施設職員がまず来院する。その後家族が来院して、話をする。肺炎であるから、治療可能な疾患の前提で話が進む。進行した認知症=治療不可能な疾患があることは意識されない。
ここでは、進行した認知症、つまり意思決定能力があるとは考えられない患者、今自分がどこにいて、周りの人がだれであって、自分の状況がどうであるかを理解できないほどに進行した認知症患者、と前提する。
退院してもらうための手段、という意味では治療は洗練されてきている。口腔ケアを行い、抗菌薬を点滴する。嚥下訓練を含めたリハビリテーションを行い、食事を早期から開始し、食形態を誤嚥しづらいものに変える。点滴を早期に切り上げて、せん妄のリスクを減らす、適切な栄養療法を併用して低栄養を防ぐ…。
そういったことを組み合わせると、退院できる可能性は高まる。身体機能も食事を再開できないレベルまで低下することはあまりない。
しかしそこまでして退院した患者は、以前の身体機能・認知機能を取り戻すわけではなく、少し誤嚥性肺炎を起こしやすくなり、活動に制限がかかり、介護をより多く要するようになり、認知機能がさらに低下して退院していく。
だから人によっては一か月とか半年後に誤嚥性肺炎を再び発症する。
家族や医師は以前と似たようなものだと考えている。同じような治療が行われる。
そこに本人の意思はない。本人の体験がどうなのかを、知ることはできない。
というか、進行した認知症で、ぼくらと同じような時間の感覚があるのだろうか。
本人にとって長生きすることの体験の価値があるのか、ないのかも知ることは難しい。
というのは逃げなんじゃないか。
状況認識ができなければ、そこにあるのは時間感覚のない快・不快の感覚だけではないか。だとすればその時間を引き延ばし、多くの場合苦痛のほうが多い時間を過ごすことにどれほどの意味があるんだろうか。
なぜ苦痛のほうが多いかといえば、状況を理解できない中で食形態がとろみ食になり(これは美味とは言えない)薬を定期的に内服させられ(薬はにがい上、内服薬をへらすという配慮がとられることはめったにない)、点滴を刺され、リハビリをさせられ(見当識が障害されている場合、知らない人に体を触られ、勝手に動かされる)、褥瘡予防のための体位変換をさせられ、せん妄を起こせば身体拘束をされ、悪くすると経鼻胃管を挿入される(鼻に管を入れられるのは、快適な経験ではない)
どちらかといえば不快であるこれらの医療行為は、治療という名目で行われる。
多くの医師は疑問を抱かずに治療する。治療される側も、特にそれに異をとなえることはしない。異を唱えるだけの語彙は失われている。
仮に唱えたとしても、それはせん妄や認知症の悪化としてとらえられてしまう。
老衰の過程が長引く苦しみがあり、その大半が医療によって提供されているとは考えない。
ここで認知症というのは単なる物忘れではないことを説明しておく。それはゆっくりと進行する神経変性疾患で、当初は認知機能、つまり物忘れが問題になることが多いが、長期的には歩く能力、座る能力、食事する能力が失われ、昏睡状態となり最終的には死に至る疾患である。
多くの内科医はこの最後の段階を理解していない。肺炎で入院したときに認知機能について評価されることは稀だ。
実際には、その人の生活にどれだけの介護が必要で、どのくらいの言葉を喋るか、笑顔を見せることがあるか、そうしたことを聞けばよいだけなのだけど。
進行した認知症で入院するのがどのような体験か、考慮されることはめったにない。
訴えられるかもしれないという恐れの中で、誤嚥のリスクを減らし、肺炎を治療するべく、様々な医療行為が行われる。身体が衰弱していくプロセスが、治療によって延長される。
医療において、患者の権利は尊重されるようになってきた。僕らは癌の治療を中断することができる。良い外科医を探すべく紹介状を書いてもらうこともできる。いくつかの治療法を考慮し、最も良いであろうと考える治療を選択することもできる。
しかし患者自身が認知機能を高度に障害されてしまった場合はそうではない。医師が何を希望するかを聞いても、答えてくれることはないし、答えてくれたとしても、状況を理解できないほどに認知機能が損なわれている場合は、状況を踏まえた回答はできない。
そこで「もし患者さん本人が元気だった時に、このような状況をどうだったと考えると思いますか」と聞くこともある。(これは滅多に行われることはない。単に、どんな治療を希望しますか、と聞くだけだ。悪くすると、人工呼吸器を希望しますか、心臓マッサージを希望しますか、と聞かれるだけだ。それが何を引き起こすかは説明されずに)
しかし問題があって、認知症が進行するほどに高齢な患者家族もまた、高齢であって、状況を適切に理解できないことも多い。また、記憶力に問題があることもしばしばあって、その場合は話し合いのたびに最初から話をしなければならない。このような状況は、人生会議の条件を満たしていない。もしタイムマシンがあれば、5年前に遡れば人生会議ができたかもしれない。
親類がいればよいが、これからの世の中では親類が見つかりづらかったり、その親類も疎遠であったり、高齢であったりすることも多いだろう。
そうした中では、理解が難しい場合も、状況を理解して改善しようという熱意に乏しい場合も、(本人の姉の息子がどのように熱意を持てるだろうか)、そして何より、医師が状況を正確に理解し彼の体験を想像しながら話す場合も、めったにない。
意思決定において、話し合いは重要視されるが、その話し合いの条件が少子高齢化によって崩されつつあるのだ。
「同じ治療をしても100回に1回も成功しないであると推定されること」
この二つを満たすことが無益な治療の定義である。この概念を提唱した、ローレンス・J・シュナイダーマンと、ナンシー・S・ジェッカーは、脳が不可逆的に障害された患者を対象としている。
彼らはいかなる経験をすることもないから、治療による利益を得ることもない、だから無益な治療は倫理的に行うべきではなく、施設ごとにその基準を明示するべきだ、というのが彼らの主張である。
高度に進行した認知症患者の誤嚥性肺炎の治療は、厳密な意味での無益な治療ではない。彼らは何かを体験する能力があるし、半分以上は自宅や施設に帰るだろう。自宅や施設では何らかの体験ができる。体験を感じる能力も恐らく完全には損なわれていないだろう。
この完全ではない点が、倫理的な空白を作り出す。
そこで死に至る疾患である印象が失われた。
専門家の不在は、価値の普及を妨げた。病状説明の型がある程度固まっていれば、それがどのような形であれ、専門家集団によって修正され得ただろう。ガイドラインは不十分である。医療系ガイドラインはエビデンスのまとめと指針である。つまり誤嚥性肺炎の診断・治療・予防であり、その価値に関する判断はしばしば言及されない。ガイドラインはないにしても、診断・治療・予防に関して役立つ本はある。ただ、価値に踏み込む場合も、基本的にはできる限り治療するにはどうすればよいか、という観点である。
人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン、人生の最終段階における医療・ケアに関するガイドラインは存在するが、そもそも高度な認知症を合併した誤嚥性肺炎が、人生の最終段階と解釈されることはめったにない。だからこのガイドラインを用いた話し合いができることは少ない。また、多くの医師は、押し付けられた仕事と認識していることから、じっくりと時間をとって家族と話をすることはなかなか期待できそうにない。多忙であればなおさらである。
さらに状況が不利なのは、個々の病院のKey performance indexは、病床利用率であることだ。
認知症患者の誤嚥性肺炎は、しばしば酸素を必要とし、時に昇圧剤やモニター管理を要するなど重症であることが多く、入院期間が長くなる。そのため、看護必要度を取りやすい。多くの病院は、その地域に病院が不可欠であることを示す必要がある。不可欠であることの証明に病床利用率と、看護必要度は使用される。そのため、誤嚥性肺炎の患者を引き受けない理由はない。救急車の使用率も高く、数値上は確かに重症であるので、病院経営上は受け入れておきたい。
介護施設に入所した場合は、誤嚥性肺炎の死亡で敗訴し、2-3000万円の支払いを命じられる訴訟が複数あることもあって、搬送しないという選択肢は難しいだろう。
介護施設から搬送された患者が誤嚥性肺炎であることは多い。その一方で、こういった場合家族が十分な話し合いの時間を割けないことが多い。片手間でやっている医師も、長い時間をかけて説明したくはないので、お互いの利益が一致して肺炎治療が行われる。
一方、最近増えている訪問診療は、誤嚥性肺炎の治療を内服で行うとか、そもそも治療を行わないという選択肢を提案できる場である。そこには期待が持てる部分もある。定期的な訪問診療でそうした話がしっかりできるかといえば難しいが、可能性はある。ただ、訪問診療医になるまでに、誤嚥性肺炎に関する専門的なトレーニングを受けるわけではない点が問題になる。しかし家での看取り、という手段を持てるのは大きいだろう。
訪問診療を除けば、医療の側からこの状況を改善することは殆ど不可能なように思える。
病院の経営構造、施設の訴訟回避、医師の不勉強と説明不足、そしてEBMと患者中心の医療を上っ面で理解したが故の価値という基準の不在、めんどうごとを避けたい気持ちと多忙さ、患者自身が自己の権利や利益を主張できないこと、家族の意思決定能力の乏しさや意欲の乏しさ、こうした問題が重なりあって、解決は難しいように思える。
現在誤嚥性肺炎を入院で担当する主な職種である内科医は、糖尿病の外来診療を主たる業務とする内分泌代謝内科という例外を除いて、減少しつつある。
専門医制度が煩雑になったからというのもあるが、ぼくは少なからず認知症高齢者の誤嚥性肺炎を診療したくないから、希望者が減っているのだと思っている。確かに診療をしていると、俺は何をやっているのだろうか。この治療に何か意味があるのだろうか、と考えることがあった。同じようなことを考えている医師は少なからずいる。露悪的なツイートをしている。しかし構造上の問題点について踏み込むことはそこまでない。
僕は構造的な問題だと思っていて、だからこういう文章を書いているわけだ。
進行した認知症患者の誤嚥性肺炎とは延期可能な老衰である、という共通の認識が広がれば、状況は変化してくるかもしれない。事実、認知機能が低下していない高齢者で、延命を希望しない方は多い。その延命の意味は具体的に聞けば、かなりしっかりと教えて頂ける。
誤嚥性肺炎の診療は、所謂延命と解釈することが可能な範疇に入ると僕は考えている。
後期高齢者の医療費自己負担額一割と、高額療養費の高齢者優遇の組み合わせを廃止することや、診療報酬改定によって、誤嚥性肺炎の入院加療の色々なインセンティブを調整することで、否応なしに価値が変化するかもしれない。そういうやり方をした場合、かなりの亀裂が生まれる気もするけど。
2階建てアパートの2階(緑多め、日が入りやすい)に女主人公と男2人が暮らしてた
多分家族
.
そこで男2人が「おれたちは戦う、お前は家でかくれてろ」と女主人公に言い、玄関から出ていった
.
一緒に暮らしていた男たちの影はない
急に男女複数人が家に入ってきて、我が物顔で寛ぎ始める
事態が飲み込めなかった女主人公はその人たちに何しに来たか問う
すると「証明書がある。ここは自分たちもいる権利がある」と全員が持ってる紙を見せてきた
紙は白いA4用紙に赤ペンでサインが書いてあるものだったが、全員バラバラのサインで紙の向きもバラバラでデタラメなことは一目瞭然だった
だが、戦いに負けた女主人公は文句も言えず、そう、と返すだけだった
.
場面が変わり、冬ではない夏の晴れた日に女主人公は一人でスキーにでかけた
コースを滑っていると、かつて惹かれていた中高の同級生が話しかけてきた
海外にいるはずの同級生に驚きながらも再会を喜んだ彼女は嬉しそうに会話していた
次の瞬間、昔家を包囲してきた組織?が周りを取り囲んでいた
同級生が自分の弱みであると組織にばれ、同級生が組織に取り込まれたことに失望し、また同級生が純粋に会いにきてくれたのではないことにダメージを負った
それでも同級生のことは諦められなかった
.
会社勤めのシーンにかわり、同じ部署ではないながらも同級生が同じ会社勤めなことは監視?抑制?されてる身のため当然のことと思えた
廊下に出ると必ず会う彼
組織ではないけど彼の上司が通りかかったときも礼儀正しくしていたし、困らせる問いかけ(なんでこんなことしているのかとか)はしなかった
しかし、第三者グループと思わしき男性が彼に、相談することがあるため彼の上司の名前を教えてほしいと言ってきた
彼はちょうどその上司の名刺を手元に持っていたが、相手に見せないよう伏せていた
だが、ごく自然な流れでふとした拍子に相手がかがみ、上司の名刺の表側を見てしまった
女主人公はその場面を隣で見ていたが時すでに遅しだった
自分がこの街に残ると彼がこのようなトラブルに巻き込まれると思った彼女は街を出ることにした
.
街の出口はラグビー会場の観客席の上の方だった
ひしめく観客の隙間を通りながら彼女は出口に向かった
上の方に向かうにつれ、観客席はラグビーの地域企業スポンサーばかりになった
偉そうなおじさんがお金に関わる自慢(時計とか株の儲けとか使い道とか)をし合って、大きな声で笑っている
会話の中にはパワハラ・セクハラもあり、聞いてはいけなさそうなものばかりだった
その横を通りたい彼女は小さくなって通ろうとしたが、ぶつかってしまった
オジサマのラグビー選手のように身体が大きくて魅力的でぶつかってしまったと謎理論を繰り返すことで、解放された
解放されたあと、同じ方向に向かっているおじいさんを見つけた
彼女に一緒に休憩しようと誘ってきた
おじいさんはどちらかというとホームレス寄りだったが、ポンサーから少し遠い上の席で一緒に休憩することにした
話してみるとおじいさんは彼女のことを知っていた
一緒に暮らしていた男の知り合いだった
おじいさん曰く、男はこの街をめちゃくちゃにしたから追放されたのだと言っていた
全く知らなかった情報に詳しく尋ねると、元々この街は賭け事も八百長もない健全なラグビーがある街だった。しかし、男が来たことで一変してしまった。地域企業スポンサーと手を組み、賭け事などの悪いことを中心となって行い、もう街は元のきれいな精神に戻れないところまで来てしまった。賭け事のおかげで、観光客は増え、観客も増えたが、マイナスなことが大きすぎた
そんな悪事をしているとは全く知らなかったが、組織に捕まって拷問されているとかではないことに彼女は安堵した
この街は人を殺すこともよくある街だったが、男はおじいさんに「人は殺すな」「彼女をよろしく頼む」と常々伝えていた男により、人を殺すことはなかった
.
電車では30前後の同い年くらいのカップルと向かい合わせの同席になった
移動時間は長く、その席でレストランのように食事を取れるとのことで、意気投合したカップルと食事を取ることにした
カップルの女性がウェイターの男性に注文をし、その流れでこの電車で女主人公と意気投合したことを話した
愛想よくしていたウェイターに「彼女、口臭が全くないのよ!すごいわよね!あなた、今度彼女とデートしてらっしゃいよ」とカップルの女性が声をかけた
女主人公は急な展開に驚いたが、ウェイターが快くOKしてくれたため安堵した
ウェイターと握手し、ハグした次の瞬間、ウェイターがあの同級生であると急に確信をもった
また再会できたことにうれしくて、でも全く違う外見になってしまったことがかなしくて、でもふたりとも自由な身になれたことがうれしくて、抱きしめたまま号泣してしまった
ウェイターも抱きしめ返してくれたまま動かない
カップルが驚いている
..
ところで目が覚めた
映画チックな夢は初めて見たので書いてみた
つら。
やっぱり好きなのかなって思う。
ちょっと話せただけで喜んじゃうし。
一緒にいたいなって思うし。
だけど、連絡先すらしらなくて…
やっぱり、興味持たれてないんだなって思っちゃう。
ひとり舞い上がって恥ずかしい。
でも、モチベーションになってるんだよ…
会えない一日が長すぎてつらい。
早く会いたい、話したい。
好きなのやめたいって思ってたのに全然やめられない
2階建てアパートの2階(緑多め、日が入りやすい)に女主人公20代後半と男2人30代半ばが暮らしてた
多分家族
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ある日、黒いスーツを着たたくさんの男たち(政府?組織?)に家が取り囲まれた
男2人が「おれたちは戦う、お前は家でかくれてろ」と女主人公に言い、玄関から出ていった
.
一緒に暮らしていた男たちの影はない
急に25歳前後の男女7人が家に入ってきて、我が物顔で寛ぎ始める
事態が飲み込めなかった女主人公はその人たちに何しに来たか問う
すると「証明書がある。ここは自分たちもいる権利がある」と全員が持ってる紙を見せてきた
紙は白いA4用紙に赤ペンでサインが書いてあるものだったが、全員バラバラのサイン(でも左右対称でデザイン性はある)で紙の向きもバラバラでデタラメなことは一目瞭然だった
だが、戦いに負けた女主人公は文句も言えず、そう、と返すだけだった
.
場面が変わり、冬ではない夏のような晴れた日に女主人公は一人でスキーにでかけた
コースを滑っていると、かつて惹かれていた中高の同級生が話しかけてきた
海外にいるはずの同級生に驚きながらも再会を喜んだ彼女は嬉しそうに会話していた
次の瞬間、昔家を包囲してきた組織が周りを取り囲んでいた
同級生が自分の弱みであると組織にばれ、同級生が組織に取り込まれたことに失望し、また同級生が純粋に会いにきてくれたのではないことにダメージを負った
それでも同級生のことは憎みも恨みもできなかった
.
会社勤めのシーンにかわり、同じ部署ではないながらも同級生が同じ会社勤めなことは監視、抑制されてる身のため当然のことと思えた
廊下に出ると必ず会う彼
組織ではない彼の上司が通りかかったときも礼儀正しくしていたし、困らせる問いかけ(なんでこんなことしているのかとか、今までの仕事はどうしたのかとか)はしなかった
しかし、第三者グループと思わしき男性が彼に、相談することがあるため彼の上司の名前を教えてほしいと言ってきた
彼はちょうどその上司の名刺を手元に持っていたが、相手に見せないよう伏せていた
だが、ごく自然な流れでふとした拍子に相手がかがみ、上司の名刺の表側を見てしまった
自分がこの街に残る限り、彼はこのようなトラブルに繰り返し巻き込まれると思った彼女は街を出ることにした
.
街の出口はラグビー会場の観客席の上の方だった
観客の隙間を通りながら彼女は出口に向かった
上の方に向かうにつれ、観客席はラグビーの地域企業スポンサーばかりになった
偉そうなおじさんがお金に関わる自慢をし合って、大きな声で笑っている
会話の中にはパワハラ・セクハラもあり、聞いてはいけなさそうなものばかりだった
その横を通りたい彼女は小さくなって通ろうとしたが、ぶつかってしまった
オジサマのラグビー選手のように身体が大きくて魅力的でぶつかってしまったと謎理論を繰り返し、解放された
解放されたあと、同じ方向に向かっているおじいさんを見つけた
彼女に一緒に休憩しようと誘ってきた
おじいさんはどちらかというとホームレス寄りだったが、ポンサーから少し遠い上の席で一緒に休憩することにした
話してみるとおじいさんは彼女のことを知っていた
一緒に暮らしていた男の知り合いだった
おじいさん曰く、男はこの街をめちゃくちゃにしたから追放されたのだと言っていた
全く知らなかった情報に詳しく尋ねると、元々この街は賭け事も八百長もない健全なラグビーがある街だった。しかし、男が来たことで一変してしまった。地域企業スポンサーと手を組み、賭け事などの悪いことを中心となって行い、もう街は元のきれいな精神に戻れないところまで来てしまった。賭け事のおかげで、観光客は増え、観客も増えたが、マイナスなことが大きすぎた
そんな悪事をしているとは全く知らなかったが、組織に捕まって拷問されているとかではないことに彼女は安堵した
この街は人を殺すこともよくある街だったが、男はおじいさんに「人は殺すな」「彼女をよろしく頼む」と常々伝えていた男により、人を殺すことはなかった
.
街を出て、別の街へ向かう電車に乗った
電車では4人掛けのボックス席に30前後のカップルと同席になった
移動時間は長く、その席でレストランのように食事を取れるとのことで、意気投合したカップルと食事を取ることにした
カップルの女性がウェイターの男性に注文をし、その流れでこの電車で女主人公と意気投合したことを話した
愛想よくしていたウェイターに「彼女、口臭が全くないのよ!すごいわよね!あなた、今度彼女とデートしてらっしゃいよ」とカップルの女性が声をかけた
女主人公は急な展開に驚いたが、ウェイターが快くOKしてくれたため安堵した
ウェイターと握手し、ハグした瞬間、ウェイターがあの同級生であると急に確信をもった
また再会できたことにうれしくて、でも全く違う外見になってしまったことがかなしくて、でもふたりとも自由な身になれたことがうれしくて、抱きしめたまま号泣してしまった
ウェイターも抱きしめ返してくれたまま動かない
カップルが驚いている
..
ところで目が覚めた
おどれ、何言っとるんじゃ!まあ、わからんこともないがの。
うなぎで勃起力向上っちゅう話もあるけど、あんま過信せん方がええじゃろ。
ニンニクも確かに効果あるが、結局は個人差があるけぇ、どれが一番効くかなんか一概に言えんのんじゃ。
いろいろ試して見つけるのが一番じゃろうけど、ちゃんとバランスの取れた食事と運動も忘れんときんさいや。
ほんなら、気張ってこいや!
昔から性依存だったので大人になってからはワンナイトの相手を漁りまくり、気に入った子をセフレにしていたが、最近そのルーチンを崩される相手ができた。
俺はあまり風俗には行かない。風俗のサービスを受けるよりナンパやアプリで出会い、タダでセックスしたいからだ。会う相手には年齢や職業を詳しく聞かないし言わない。どうせ相手も嘘をついているから。相手だって俺を値踏みしてくる。セフレを漁る市場では女の方が価値が高く、どうみても怪しい女の誘いに男が群がっている。数を打たないとやれないのが鉄則だ。クラブやバーで酔っぱらった女と目が合えば声を掛けてホテルに誘った。
男の誘いにすぐ乗ってくる女は寂しく自己肯定感が低い。女たちはどうでもよくないことをどうでもいいと思い込んでセックスをする。俺は女が我に返る前に「かわいいね」と言って褒めまくりどうにかセックスをする。なかには話好きな女がいる。女の長くどうでもいい話をうんうんと聞いてやると「優しいね」と言われる。俺を優しい人間と思うなんてどうかしているが、俺も女にかわいいと嘘を言っているからここでは真実になる。
俺にとってはセックスの気持ちよさだけが本当だった。多少乱暴にしても、終わった後ごめんと言って抱きしめればどうにかなった。セックスの後の「ごめん」も「またね」も嘘だ。かわいくてスタイルがいい女にも「またね」をいう。こっちは本当だがこんどは相手が「またね」と嘘をつく。
やりたくてたまらないのに女が捕まらないことも多い。そういう時はブスで暇な女に電話をする。「会いたくなった」と言えばたいがい喜ばれる。女が勘違いして「ごはん」や「デート」を要求してきて死ぬほど面倒くさくなるがむりやり一緒に過ごす。未来の自分がスムーズにセックスするための保険だからだ。そこまで投資していても急に音信不通になることもザラだ。彼氏ができたから、結婚するからという理由を知る権利も俺にはない。出会い系では出会っただけの分、皆が別れている。前日セックスをしたのに顔も思い出せないようになる。俺にとってセックスは食事や排泄と一緒だった。
その日のその女の印象は「まあまあ当たり」だった。俺の「セックスしたい人募集」という直球のコメントにDMを送ってきた女だったので身構えて挑んだが、会ってみると拍子抜けするほど毒気のないひとだった。会ってすぐホテルへ行き、セックスをした。ことが終わるとふいに「すごく良かったから、またお願いします」と言われ、気持ちが舞い上がった。まじで?
「セフレになってくれるってこと?」「そうですね」と短く会話をし、じゃあまた、と別れた。
彼女と別れた後に妙に気持ちがうわつき、わざわざ少し遠くのスーパーに立ち寄ってビールとつまみを買って帰路についた。女から直接セックスの感想を聞くことはめったにない。すっきりと欲求から解放された身体に「すごく良かったから…」という言葉が巡り続け、単純だが満たされた。
めでたくセフレになったとはいえ、社会人同士ではなかなか予定が合わないことが多い。三日もたてば性欲が支配しだし、次の約束の取り付けをしたかったが彼女は夜遅くまで働いているらしく、しばらく空振りが続いた。保険のブスがよぎったが、適当にオナニーでしのいだ。
結局彼女に次に会えたのは2か月後だった。会ってすぐにホテルにつれこみ、彼女の乳房やおしりのやわらかな肌にむしゃぶりついてゆさぶった。とにかく死ぬほど気持ちよく、2回射精できた。ホテルを出た後ご飯に誘うと少し驚かれたが、なんとか一緒にファミレスへ行った。俺がもう少し一緒に居たいだけだった。
会えない2か月間のやり取りの中で、多少知ったことがあった。彼女の職種、年齢、住んでいる場所、既婚者であること、子供はいないこと、夫とはセックスレスであること。俺は独身だったのに理由はわからないが自分も既婚でレスだと嘘を言っていた。
食事をしながら会話をした。飼っている犬のこと、最近見たドラマ、育てている野菜、職場でのできごと。俺もめずらしく自分の話をした。俺を知ってほしいと思っていた。自分でも彼女のことを好きになっているのを分かっていたが、頭の中で否定した。既婚者を好きになってどうする?
そのあと日を開けずに彼女から誘いの連絡があった。女性の性欲は急に来るのか、突然ねだられることが多い。いつもなら快く応じるが、彼女にちんぽとしてしか見られていない事実が俺を安心させる半面、胸を苦しくさせた。そしてなんとなくその日を誘いを断ってしまい、後悔してまたすぐ約束を取り付けた。俺が断って合わない間、他の男と会っているんじゃないかと考えるだけで死ぬほどイライラした。
バージョン1、主体性をもって週4でヒレステーキを出してくる妻
https://anond.hatelabo.jp/20240715162127
これだと対称性がイマイチな気がしたので、「主体性をもって週4ヒレステーキを却下する妻」バージョンを作ってみたお
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夫が食べたいと言うからだ
近所の肉屋で買ってきたちょっと良い肉でとても美味しいけど、段々嫌になってきた
決して飽きたというわけではない。しかし何かしらの違和感を感じるのだ。
今の日本の社会通念に照らし合わせても、何か普通ではないと感じる。
いや、社会通念とか「普通」とか、そんな定義が難しいもののことはどうでも良い。
ただ私がこれまで生きてきた中で培った価値観にそぐわないのだ。
私がこれまで日本で生きてきた中では、食事はバランスが大事との情報が大半であり、私はそれを内面化してきた。
また昨今では、科学的に証明された食事として地中海式が推奨されていて、そこでは赤身肉の摂取は少量が好ましいとされている。
ただこれも絶対的なものではない。昔のイヌイットは野菜を食べず、ほとんど生肉だけの食生活を送っていたらしい。なのでどのような食事が最適かは環境や条件に依存するものであり、絶対的なものではない。先の地中海式にしたって、アジア人に当てはめた場合は若干異なる可能性もある。この先地球の気候変動が更に進み、テクノロジーも今と異なり、私たちはまったく異なった住環境に生きているかもしれない。そうなった場合、地中海式ではない〇〇式が最適とされる世界になっているかもしれない。
そうなのだ。すべては相対的で、突き詰めれば突き詰めるほど、普通も絶対もないのだ。
またこの地中海式云々に関しても、健康に焦点をあてた場合の話であって、味やその他の事柄に価値を置いた場合、話は異なってくる。夫においては味やそのときの気分が優先されるのであろうし、腸内環境が昔のイヌイットと同じという可能性も排除できない。
一方私においては、味も健康も総合し「週4でヘレステーキは何かがおかしい」という感覚値が出力されているように思う。
ともあれ私は、私が感じる違和感、あるいは感覚値において、「週4でヘレステーキはありえない」と結論づけ、それを握りしめて夫と交渉にあたるしかないのである。
しかし夫の決めた献立に私が口を挟むと「もういい、もういい」という感じでまともに取り合ってくれずに怒る。
「もういい」の中身はまったくもって不明だ。「もういい」に具体性は1ミリもない。
私は先のように、「週4ヘレステーキ」への違和感という感覚的なものを、最大限言語化する努力をした。食事という夫婦の共同作業にあたって、夫側も同じ努力をするべきではなかろうか。
しかしここにおいても個人の自由がある。何に価値をおき、何を優先し、何を選択するかは自由である。「もういい、もういい」と言語化を放棄し感情的になる自由を(共に生活する身としては不快は拭えないが)、私は彼から奪わずにいようと思う。
そのかわり私にもふわふわした言葉で、匿名掲示板に週4ヘレステーキへの違和感の理由を明確に言語化することなく垂れ流す自由くらいはあるであろうし、それを読んだ誰かが不快になる自由もあるであろう。
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若い頃はなんてセクシーなんだ(ボッキ)ってなってたけど、今はこれを着るために毎日食事を節制したり運動したり頑張ってるんだろうなと思うようになった。
おじさんおばさんになるとめちゃ太りやすくなるんやで…。
つか元増田はなんかほんとに悩んでるのは贅沢な食事自体ではないのでは…って思う。
夫さんがやたら話を聞かないところが頻発するのが引っかかるけど、なぜかそこは話には出すけどぼやかしたい意図を感じる。
そんでそこまで始終フワフワな感じの増田だったのに、文末にきて「馬鹿みたい」「成金みたい」という強い言葉がでてくるところで、おっ?ってなる。
なんとなく夫さんに対するそこまでライトでもない負の感情が育まれてる途中って感じがする。ほっといたら取り返しのつかないことになるやつ。
そんでこれに対する批判増田は多分元増田の文章がフワフワなのに怒ってるんじゃなくて、「養ってもらってるくせに文句言うやつはクズ」っていう増田にありがちの価値観の発露なのではないだろうか。
今日は、夏祭りから帰ったあと、異常に眠くてきつかったから、もうむり、って言ったら、部屋の片付けと食洗機から皿を片付けていた夫から「今日は何もしていない」とため息つかれた。
自分だって寝ているときあるじゃん、と理不尽に思ったんだけど。
よく考えたら、今日は朝昼の食事作ったし、娘のオムツ替えや出かける準備だって私がして夫はその間寝てたし、私が何もしていないってわけじゃないじゃん!ってあとで思った。
海自のトップである酒井海幕場が一連の不祥事で19日に引責辞任するが、会見の中で言及があった
「組織文化に大きな問題がある。不正に気付いていたにも関わらず、見て見ぬふりをする体制が一部まだ残っている 」
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA125E30S4A710C2000000/
について、本当に一部なのか?という思いがあり、筆を執った。
ニュースのことを知らない人も増田を閲覧していると思うので、ここで海上自衛隊の一連の不祥事についてまとめていく
こちらのニュース動画が一連の不祥事を網羅的まとめていたので紹介する。
https://youtu.be/trZdMdzSs8w?si=JAt9pznKU4TPYBI8
適正評価未実施の隊員を特定秘密を知りえる状態に置いていることが艦艇部隊で常態化していた問題である。
特定秘密とは、「その漏えいが我が国の安全保障に著しく支障を与えるおそれがあるため、特に秘匿することが必要であるもの」を指す。
海上自衛隊でいえば、艦艇が「どんな任務をしているか」や「どこにいるのか」などの情報がある。
適正評価とは、この特定秘密を扱うに値する人間かどうかのお墨付きを与える制度だ。国籍や犯罪者歴、所得状況などをもとに総合的な判断が下される。
といった虚偽申請を行い、実際もらうべき手当よりも多く潜水手当をもらっていた問題である。
営内者や勤務上必要で指定されている隊員以外は、有料で喫食することになっている隊員食堂の食事を、申請を行わずに喫食していたという問題である。
「部下の行為を黙認しながら自分も手続きなしに飲食を繰り返していた幹部については、一階級、降任の処分が行われた」
とする報道もあるので、部隊の一部では常習的に行われていたことが伺える。
潜水艦の新造や修繕を行っている川崎重工が取引先との架空取引を原資として海自隊員に対し、金品の贈与などを行っていた問題である。
こちらについてはまだ全容が明らかになっていないが、十数億円規模の裏金が作られている模様である。
潜水艦については長年、三菱重工と川崎重工の寡占となっており、海自隊員とのコミュニケーションは密接で、癒着が起こりやすい環境であった。
「忙しい」のは当たり前だろと思われるかもしれないが、昨今の国際情勢の厳しさは増田読者の皆様にとっても多かれ少なかれ耳にしていることであろう。
米中対立の激化、地政学的に最前線に当たる海上自衛隊はその矢面に立たされている状況である。
通常任務に苛烈さが増す一方で、多国間協力を推し進めるために共同訓練も数を増している。
https://www.yomiuri.co.jp/national/20240302-OYT1T50167/
一部の部隊では、通常業務ですら手一杯で、休日も問わず出勤するような有様である。
このような状態で、ガバナンス違反の疑いがあるからといって調査に乗り出すリソースがあるのだろうか。
「後ろ向き」の作業は、隊員への聞き取り、過去にさかのぼった記録の確認、調書の作成などが発生し、解決するまで長期間を要する。
通常業務と並行して取り組む必要があるため、「休めない」どころか「寝れない」事態になりかねず、問題を指摘して是正を行うような余裕は私がいた当時にはすでになかったように感じている。
自衛隊の採用のキャッチコピーは、「国家を守る、公務員」である。
https://www.mod.go.jp/gsdf/jieikanbosyu/details/pamphlet/r5sougouannai.pdf
任期制隊員を除き、曹以上の隊員は定年まで勤めあげることが約束されている。
人生の大半を、自衛隊で過ごすのであれば周りに波風を立てずに、公務員という立場にしがみついておく方が楽だと考えないだろうか。
また、幹部自衛官であれば、候補生学校修業後、幹部名簿をみれば自分の序列がどのくらいで、最終階級はどのくらいか目算が付き、それが覆ることはほとんどない。
だが、多くの幹部は3佐、防衛大出身者や一般大出身者であれば2佐には就くことができる。これは勤務成績はほとんどかかわらず、時期が来れば自動的に昇任するのだ。
3佐であれば、副長や航海長などや艦艇の規模が小さければ艇長を任せられる階級だ。2佐といえば、艦長の重責を担う階級である。
黙って過ごせば自動的に昇進するのに、火中の栗を拾うような真似を誰が行うのだろうか。
海上自衛隊の司令部があるのは横須賀だ。陸自・空自は東京に拠点を設けている。
東京にある司令部は、20%、15%の地域手当がつき、横須賀は10%である。
このように、自衛隊の給与ベースは、「どんな勤務」をしているかよりも「どこで勤務」をしているかの比重が大きい。
また、自衛隊は残業代が出ない。激務であろうが、それを受け入れて残業をする。
地方の基地に転勤したほうが配置によっては激務となるのに、賃金が低下するなどといったことは当たり前の状態である。
これに多少なりとも不満を思っているひとはいないだろうか(私は思ったので退職したが)
ただ批判ばかりしていては建設的でないので、お世話になった海上自衛隊にささやかながらいくつか提言をしたいと思う。
奨学金制度や募集対象年齢の拡大など、自衛隊の間口を広げようとする努力は大変結構なことだと思う。
だが、中途採用はあまり活用されていない。自衛隊の採用年齢は拡大された一方で、技術職である技術曹や技術幹部の採用枠は資格の種類や人数はあまり間口は広がっておらず、待遇も民間と同等かそれ以下である。
民間人が転身しようとなると相当な覚悟が必要な状況は変わっていない。
また、実際に退職をしようとなるとかなり大変で曹士の場合は各地方総監、幹部の場合は海上幕僚長宛ての書類作成が必要である。
また、退職を切り出すとなると引き止めもかなり長く、数時間に及ぶ面談を数回実施があったり、中には
「辞めるというなら部隊の敷居は跨がせない」
逆に言うと、そういった側面が「自衛隊でも」活躍できる人材が集まるのではなくて、「自衛隊でしか」働くことができない人材を集めてしまう一因となっているのではないだろうか。
また、自衛隊では一般の資格が多数取れる一方、それ以上に自衛隊内でしか通用しない資格が存在する。
定年を終えて、退職することには自衛隊のドメイン知識のみしか持たず、自衛隊内では高給取りであった人材が、民間では使い物にならず投棄されるような実態もそこにはある。
一定の再就職のための教育はあるが、任期満了か、定年退職者に向けたもので、依願退職者向けの物はない。また、再就職教育のカリキュラムが豊富か、世相にあったものなのかは疑問が残る。
時代のニーズに合った再就職のための教育を行うとともに、素養教育としても、民間人としても生きていけるようなカリキュラムを組むべきだ。
自衛隊を「いつ辞めても大丈夫」、「戻ってきたくなったら戻ってこい」といえるような風通しのよさが必要ではないだろうか。
理由2及び理由3で述べたが、多くの幹部は年数が立てば自動的に昇任する。これは勤務に対する意欲を削ぐ大きな原因ではないだろうか。
勤務成績もさることながら、昇任の際にはその幹部が、果たして階級に値する人間かどうか、厳しくチェックをおこなうべきではないだろうか。
上記に合わせて、この基準を満たせなかった人間には早期に次の道に進む覚悟を求めていくことも大切だ。
民間のものでエビデンスが弱いが、防衛大学校・一般大卒で3佐の年齢は中央値で35才である。
https://hyakublog.net/nennrei-kaikyuu/
3佐以下の定年を45歳程度まで早めることによって、自衛隊で腐る前に優秀な人材のまま民間に還流したほうが、日本国家のためになるのではないだろうか。
特殊な技能をもったり、慢性的に激務が予想される配置にはきちんとそれに見合った給与体系をとるべきである。
業務にかかわらず特定の地域勤務者に一律で与えるような地域手当が果たして自衛隊員の働きに報いるものなのだろうか。
艦艇部隊ならば海上が主な職場である。なぜ母基地の違いが給与に反映されるのか甚だ疑問である。
十数年間務めた古巣に関することを増田に投稿することは、塩を撒くようなことであり、大変申し訳ないと思っている。
この増田を発端に、何か議論が起こればよいし、起きなければそれまでなのだとも思っている。
海上自衛隊に必要なのは伝統墨守に偏重してきた過去の文化と決別するという強い覚悟である。
海自幹部には潮気が必要とよく言われるが、今回の一件で世間の厳しい潮風をしっかりと受けながらも倒れずにしっかりと復原し、海上自衛隊が風通しのよい組織になることを切に願っている。
私は女という資質と運を活用することに成功し、今の地位を得た。
そのことに何の後ろめたさも持っていない。
なぜなら世の中、家柄や財力など、自分の努力以外の様々な資質を持って生まれ、その上に安住している人間など星の数ほどいるからだ。
否、本当のことを言えばそんなことすら気にしていない。読み手を納得させるために書いたまでだ。
食事を準備するは私であり、夫と私は生活費の調達と家事というそれぞれの役割を担う対等な関係だからだ。
ヘレステーキだろうと寿司だろうとデリバリーだろうと、自分の気分にしたがって食事の準備をする。
もちろん夫から何かしらの要望があれば協議を行わないわけでもないが、私が折れるべき明確な理由が提示されない限り譲歩することはない。
なぜならすでに、自分自身がその枠の外で暮らしており、そんな自分を全肯定しているからだ。
夫や子どもを送り出すために朝早く起き、なおかつ今の時代にあっては共働きが普通で、家事と育児と労働というマルチタスクをこなすのが一般的なライフスタイルとされているが、私はそんなものと一切無縁の生活をしている。
好きなときに起き、好きなときに食べ、好きなときにやりたいことやる。
ただ健康にだけは多少配慮すべきかとは考えるので、肉を食べすぎたと思えば他のもので帳尻を合わせるようなこともある。しかしそうでない限りは、自らの意志と自由と選択において、今後も週4でヘレステーキを出すつもりだ。
こうですか?
カフェでモーニングを食べていたら、明らかにホームレスの方が入店をされた。
店内はほどよく空いており、店員(研修生のバッジをつけていた)は人数を確認すると、空いている席どうぞ〜と声をかけて、
私が座っていた席からは入口がよく見えるので、正直なところ「おいおい...入れるのか...」と思っていた。
申し訳ないが服装等からホームレスなのは明らかであり、案の定その方が席につくとこちらにまで悪臭が漂ってきた。
食事はほぼ終わっていたので、もう少しゆっくりしたかった気持ちはあるものの、すぐに荷物をまとめて私はレジに向かった。
私の他にも何名かが急ぐようにレジに向かっていた。ホームレスの隣の席の方はまさに食事がきたところであり、こんな状況じゃ食べれないだろう...と私は勝手に感じていた。
レジで会計を待っていると、店長らしき方が退店を促しており、ホームレスの方の怒号?が聞こえたがその割にはすぐに退店をした。
ホームレスを入れてしまった研修生は、全然関係ないレジの対応で戸惑っており、その姿をみて、ホームレスを入れてしまうことに対する不満や
とはいえ、(特に研修生には)ハードルの高い対応でもありそうだよなぁといったモヤモヤを抱えていた。