はてなキーワード: 返上とは
昨日誕生日だったんすよ。
今年の4月に転職して毎日2時間残業っていうまぁブラックってほどでもないところなんですが、周り見たら皆結構ダラダラ仕事するんですよね。
それをみて「なんて志が低い所に来てしまったんだろう」と思ってたんだけど、まぁ居心地はいいから自分なりにがんばってやってたわけ。
自分の為に以前から欲しかったオーダーメイドのスーツを奮発して、昨日仕事終わりに受け取るつもりだったから、昼休み返上して仕事終わらせたのね17時の定時に。
で、定時なって昨日は終わらせて受け取りに行ったわけ。
出社したらいきなり部長に呼ばれて、「おまえ、昨日定時で帰ったよね。そういうの周りの人間からみたらどう思う?」って訳の分からない言葉をなげかけられたわけ。
いや、周りの人間は昨日、「今日は増田くんの誕生日です!」「増田くんおめでとう!」って流れの中で「今日はオーダーメイドのスーツうけとりにいくんっすよ~」みたいなこといって「お、今日はがんばって早く仕事上がらないとな!」みたいな流れになってたからどうとも思わないんじゃないかって思うんから「そうですか。昨日は早く上がるといってたし、自分の仕事は終わらせたので大丈夫だと思ってました。」っていったら「でも、周りの人間はまだ仕事してるんだから、仕事は周りにあるわけでしょ。手伝わなきゃ。」って言われた。もう何を言っても無駄だと思ったので「はい。」とだけいって席戻って先輩に愚痴ったら「ここはそういうところだから気にしないほうがいいよ」って言われた。
で、完全に理解したね。この職場の人達がダラダラするのは別にダラダラしたくてしてるんじゃないんだって。
規定上は17時が定時なんだけど、事実上の定時は19時、ないしは18時30分ぐらいなんだって。上司に小言言われるぐらいなら、2時間ぐらい残業してダラダラと仕事したほうがいいんだって。
そういうなかから、行動化を防衛機制の一つとする見方も出てきています。
本来の防衛というのは、そういう「不適応行動」をしないための手段であって、その主たる目的は「自分の内面を平穏にする」「自分の中で葛藤が起こらないようにする」「自分の内面に葛藤を抑えてもっていられる」ということなのです。
もっていられる能力は人によってかなり違いますけれども、もっていられないものをなんとか始末してしまう方法というのが防衛機制であるわけです。
(中略)
つまり、行動で発散してしまうので自分の中で葛藤を溜め込んでもっていないで済む。
防衛的な観点から言えば、そのやり方によって自分の内面の葛藤状態を予防している、または解消しているといえるわけで、
現代において、精神医学もしくは臨床心理学の対象が「葛藤を抱えていられない」になりつつあることは諸家が指摘する通りだと思う
社会的に「自由」というものが認められず、人々が単一の規律や常識などに従わなければ生きられなかった時代においては
治療者の対象は「自分を抑えてしまう」ことが成因になるような病理が対象であった
利便性と選択肢の増加は、欲求や葛藤の解消をインスタントなものへと変化させた
「辛くなればやめても良い」「苦労しなくても退屈は紛れる」「ネット越しなら誰かを批判しても、見なければ反論は来ないし直接的な被害はない」「自分の歪んだ欲望も受け入れ、肯定し、賛同・共感してくれる場所がすぐにみつかる」
しかしその一方で、いざ職場に行けば規律を守ることを要求され、規定時間以上の労働に駆り立てられ、下手をすれば休日も返上して出勤する
私生活における幼児的万能感の世界と一転して、社会生活で要求される自己への規制は非常に強いものとなっている
このアンバランスさは、時として人を分裂させる
「私生活としての私」と「社会に生きる者としての私」は、かつてないほどに乖離し始める
もはや、「社会人としての私」は「本来の自分」から離れ、自我親和的とはいえない
48時間チャレンジの記事を見て、「これ、ボーダーの子の試し行為じゃん」と思った人もいるだろうか
素直に甘えを表現することへの葛藤も処理できず、かといって甘えたい欲求を別の形で処理することも出来ず
明らかに不適応な形で自らの親密・依存欲求を満たす行為のように見える
自立と依存の葛藤を維持し、家族ではなく他者に親密さと依存の対象を広げていく過程にある青年期において
家族へ依存欲求を失踪という試し行為の形で達成するのは、どこか歪んでいるようにみえる
満員電車というのは、名前も勤め先も知らない人々が密着した状態で、強制的に一定の時間を過ごします。辛いから何も感じないように、大抵は自分の感情のスイッチをオフにした無の状態になる。そんな異常な空間の中で、ふいに女性に触れてしまうと、それが予想もしないくらいの衝撃的な体験になってしまう。
私はこれまで200人以上の痴漢常習者をヒアリングしてきましたが、彼らの多くはその最初の感覚を『身体に電撃が走った』と言います。本人が意図せずに触ってしまって、そこから『あ、こんな柔らかい感触があるんだ』と衝撃を覚えてしまう。少し言葉は悪いですが、痴漢の始まり方はこの“ビギナーズラック”のパターンが一番多いんです
公私での混同を許さなくなった社会では、時として人格の解離が状態化する
「辛いから何も感じないように、大抵は自分の感情のスイッチをオフにした“無”の状態になる」という一文は示唆に富む
私では過剰に発散し、公ではひたすらに抑圧し何も感じないようにする
自我自体は脆弱なままなのに、その空間に他者の柔らかい感触が侵入してくる
そうすると、脆弱な自我はもはや「触りたいけど触ってはいけない」という葛藤を維持できず、行動化に移る
現代においては、そうした前エディプス的な段階での病理が多いように思える
物質的に富、自由と自立が個人の裁量で賄われるこの時代においては
社会的な規律によって自我機能が助けられていた時代より、葛藤処理が個人の自助努力にのみ任ぜられるために、かえってバランスを欠いた人間性が生じやすいのかもしれない
社説:きょうから新聞週間 フェイクは民主制を壊す - 毎日新聞
https://mainichi.jp/articles/20171015/ddm/005/070/004000c
2008年4月頃から炎上し、6月に至り無視できず会社として対応する羽目になった、
毎日デイリーニューズWaiWai問題(詳細はWikipedeiaなどを参照のこと。)
その当時の責任者、常務デジタルメディア担当だった朝比奈豊氏は事件の最中に昇進して、2008年6月25日付けで社長に就任する。
一応事件の責任を取って役員報酬の一部を返上するが、最高責任者であるため処分ではなく自主的なものであった。
現在、朝比奈豊氏は毎日新聞社会長と、持ち株会社毎日新聞GHD社長を兼務している。
フェイクニュースと戦うメディアの責任者としてこれ以上の経験経歴の適任者は居ないのではないか。
信頼できるニュース報道が民主主義の一丁目一番地だとすれば千代田区一橋1-1-1パレスサイドビルディングに本社を置く毎日新聞が
その旗手となるのも頷ける。
さて、パレスサイドの名の通り皇居を見渡せる毎日本社ビルには、友好企業(子会社・関連企業というには資本関係が薄れているため)
のマイナビも入っている。就職支援サイト大手のマイナビはかつて毎日コミュニケーションズという社名だった。
CDROM付きムックの出版もしていたが、アダルト部門は分離して傘下にMC出版という会社を作ったところ
本社ビル内マイコミ会場で就活生を脱がせて独自アダルト映像撮影するという地の利を活かした臨場感と窓の外の緑のコントラストを
センスプにすっぱ抜かれて、エロ雑誌廃刊、MC出版解散の憂き目にあった。
改めて考えると、毎日新聞は、憲法で保障されている表現の自由を何と心得ているのか。
フェイク記事であろうが、フィクションアダルト映像であろうが、秀逸な作品を作った制作者には発表の期待があるはずであり
いきなり過去記事削除、コーナー閉鎖、雑誌廃刊、会社解散などと乱暴な手段で表現の場を潰されては
表現の自由の侵害、憲法を守れ、と5万円の損害賠償を求めて訴えたくなる。
などと屁理屈コネルまでもなく、毎日に限らず報道各社フェイクニュースには縁があり、多少なりとも襟を正してもらえたら幸甚。
記憶に新しいところではデイリーニュースオンライン(旧DMMニュース)のけもフレ飛ばし記事。
センスプでも事件後に取材はじめて、声優の喫煙疑惑などしょぼいネタ掴んで報じるまでに10日以上かかっているのに、
2日で出てきた製作委員会の公式発表、その翌日には何年何月には誰がああでこうでと詳細記事を書くメディアは何者なんでしょうね。
ショック当日にDMM黒田氏が、そんな話を聞いていたとツイートしたり、福原Pが役員を務めるDMM.futureworksの設立住所がDMMニュースと
同じ(DMM内だから当然だが)だったり、つんく♂主催のSHOWROOMでの声優オーディションが出来レースと炎上したが、つんく♂の
元マネが社長を務めるヤオヨロズもSHOWROOMで当初案内メールにけもフレ声優との文言があったと噂の声優オーディションやっていたり。
うーん、わかんない。
年収は低い
移民は受け入れず国内の労働環境の改善で労働力を確保すべきだしそれができない事業者は市場から退場してもらって一時的に廃業や倒産件数が増えるかもしれないが過労死よりはマシだと考える
生活保護は必要な制度だと思うしセーフティネットはこれまで以上に拡充すべきだ
高齢者の年金問題は金持ってる高齢者から税金取ればいいと思っている
原発はゼロにすべきだがその過程は議論の余地があると思っている
少子化対策は結婚可能年齢や成人年齢を下げるとともに子供を産むほうが経済的にメリットがあるような制度にすればいいと思う
教育無償化は大学まで含め貧困層に限定して行えばいいと思うし私大助成金は廃止すればいいと思う
消費税は今は上げる時ではないと思う
夫婦別姓や同性婚も別に問題ないと思うのでやりたい人ができるようにすればいい
政教分離の国なのだから信仰を持たない人への逆差別になっている宗教法人制度は廃止して黒字なら税金を払わせろ
さて今回はどこへ投票すべきかねえ
読みたくない方は帰られたし。
事の発端は社畜歴3年ほどの俺がひょんな事から先輩社員に指示を出す立場になったことから始まる。
最初はヒイヒイだった仕事も段々と(手を抜く)コツを覚え、ある程度は臨機応変に対応が可能になった頃だ。先輩社員の担当していた作業が諸事情でストップしてしまい、なんやかんやで「お前のとこで仕事何かないか」と俺のところに話がまわって来たのだった。正直一人でも対応可能だったが作業が軽くなる分にはありがたい。諸々のスケジュール調整やら、仕様書やらを割り込みで作った。
作業に入ってもらう段になった。
今までは指示をされる側だったから少し不安だったが、とりあえず自分が作業する時に聞いておきたいことを伝えときゃいいか、と思い
・データの重さの目安
・クオリティレベル(既に出している商品をサンプルとして共有済み)
等々、仕様は思い付く限り細かく伝え、他に不明な事があったら聞いてほしいと言う旨は伝えてあった。
これで「大分余裕出るぞー!」と思ったのも束の間、クライアントとの連絡で手違いがあり、仕事が急に増えてしまった。「いやぁ作業手伝ってもらってて助かった」と思いつつ作業を進めていたらいつの間にか先輩社員の下にお粗末さんが誕生してしまっていたのだ。
勿論、都度チェックを取らなかった俺が悪い。そこは完全にこちらに落ち度がある。
だから終電帰りも早めの出社も休み時間の返上も、まぁ不満には思ってない。(普段の仕事+上手く回すのも役目だと思っている。段取りが悪かった俺が悪い。)
ただどうしても「もう少しなんとかならないのか?あんたベテランなんだろ?」と思ってしまう。もう少しプロ意識と言うか、仕事に対してもう少し真摯になれないのだろうか。俺なんかは作るものには愛情というか執着というか、なんかよく分からない何かを込めてしまうんだけど、そういったモンはないのだろうか?(過度な要求なのだろうか?)
長文、乱文非常に申し訳ない。眠い中書いてるから朝読んだら支離滅裂で、読み直してジタバタしそうなきがする。(でも投稿はする)
なんかあーだこーだ書いてはいるが結局ケツ拭きも俺の仕事なのは変わりないし、そもそも他人に期待するのが馬鹿な話だっていうのもわかっている。でもさぁちょっとモヤモヤするじゃん。愚痴くらい言わせておくれよ。
どうするかは通勤時間に考える。
2親等以内で生きているのは自分と父だけだった。
その父がこないだぽっくり逝った。ぽっくりとしか言いようがなかった。いや、ぽっくり以外にも言ったな。「え、まじで?」とか言っちゃった。
いろんなアレをソレして(あまり思い出したくない)、職場に復帰して、休んでいたあいだの仕事を睡眠返上でこなし、なんとか仕上がったところで
「あ、天涯孤独じゃん」と思った。
親父が死んだとは言え、上司の同情の仕方が真に迫りすぎていたのはそのせいだったのか、とふと気づいた。
もともと家族の数が少なかった自分にとって、家族が減ることはさほどの問題ではなかった。単純に数えてもう5回人と死に別れてきたわけだから、自分が生きていれば父親もいずれ死ぬということも受け入れていた。
しかし、世間にとっていまの自分はただの「最近親をなくした人」ではなく、「天涯孤独の人」なのだ。
「最近親をなくした人」はいずれ「親をなくしたことがある人」にジョブチェンジできる。しかし、「天涯孤独の人」は、ずっと天涯孤独なのだ。
この違い。
もともと持家は処分してあり、父も自分もそれぞれに賃貸を借りて住んでいた。死に別れることに慣れていた私たちは、身軽に生きることが信条だった。
乗り鉄であること以外に趣味のない父は、形見になるようなものを残さなかった。乗り鉄という趣味はすばらしい。交通費しかかからない(それが莫大だけどな)。
もう何もない。墓といくばくかの金だけ。あと捨てられなかった調味料と酒。
天涯孤独だ。
とうとうじいちゃんも死んで二人きりになった中学の時から、二人は親子ではなく共同経営者とでもいうべきもので、対等な立場だった。
でも天涯孤独なんだな。
埼玉のイボンヌことわたくし、ついにその名を返上か。ファイナリー、効果的な対処方法を見つけ出したかもしれません。
思い返せば小学二年生、足の裏にイボができ液体窒素で焼かれ上げた断末魔。お医者さんも苦笑い、母は頭を抱えました。
時は経ち二十代。目頭にポツリと出来た小さなイボ。そこまで目立たないものの、よく見れば目ヤニのようでなんだか不潔。眼球キワのキワにあるために、液体窒素なんて恐ろしいものはお断わり。ハトムギ茶とかいう気休めは、休日に一週間の麦茶をまとめて沸かす習慣以外の何物も生まず、憂鬱な年月が流れました。
ところが数週間前にお土産でいただいたアプリコットオイル。どうもイボに効くらしいとのことで、風呂上がりに塗るようにしたところ、未だ目ヤニイボに変化は見られないものの、他のイボ(わたしはイボンヌ、イボがいたるところにある)が小さくなってるような気がします。
休みの日なんですよ。だからね、今日はシステムも稼働していなければ従業員もいないんです。
読めるのに「どうしても駄目?」ってなんでしょうか…駄目という話以前に出来ないって言っているのです。
え?「客の言うことを聞かないなんてサービスが出来てない!」ですか?
最初に言いましたでしょ、従業員が居ない、システムも稼働していません。定休日です。
その貴重な休日に無理やりやれと言われて断ったら「サービスが悪い」といちゃもんをつけられたら
笑顔で納得して休みを返上して業務を開始できますか?出来ませんよね。
出来るのなら、これからそちらのお仕事にお邪魔しますのでやっていただけますでしょうか?
本日はおやすみなんですよね?だからこちらに来られたわけでしょう?ちょうど良い機会ですので、よろしくお願いいたしますね。
え?「それとこれとは話が別」ですか?
同じことをやっているだけですが、自分は良くて相手がやるのは駄目というのですね。
「客に対してなんて言いざまだ」ですか?
ですから、同様のことをさせていただきますので、私も同じことをお返しいたしますよ。
ただの嫌がらせをしてくる不届き者。
20代後半にもなってアニメのような低俗で幼稚なものを見ている自分が許せない。
低俗で幼稚な状態から脱するどころか、アニメという生ぬるいドブに引き寄せられる自分の意志薄弱さも許せない。
同年代のほかの人は休み返上で仕事に打ち込んだり、婚活したり、子づくりしたり、家族サービスしたりといった
ライフステージに相応しい義務を果たしているというのに、自分はこの期に及んで低次元な事物に拘泥している。
小学校に入る前からうすうす気づいていたが、自分は失敗作である。
アニメを見ようとしてもそういうことが頭を駆け巡り、画面すら直視できない。
最近だと『亜人ちゃんは語りたい』と『エロマンガ先生』、『この素晴らしい世界に祝福を』を見ようとしたらそうなった。
『賭けグルイ』は1話は見られたが、「青少年に悪影響云々」という冒頭の注意テロップのせいで
見終わった後に「こんな有害作品見るんじゃなかった…」と強烈な罪悪感に苛まれた。
例示した作品が本当に低俗で幼稚な作品かについては、ほとんど視聴していないため分からない。
ただ、自分の中で「アニメ=低俗・幼稚」という図式が成立している。
ネトウヨは愛国者を名乗るが、彼の行う行為は「国旗を振り回す」「国家の斉唱」などといった、日本人目線での価値観とはかけ離れた行動をとっていることが多い。
シールズも同じ。学生運動にしては実力行使のシーンが少ない。しかも、教育的な知識にもズレがある。学生運動には暴力がつき物なのだが、彼らが暴力を行使する場面など見たことがない。
鉄道おじさんはこれまで外国を引き合いに日本の公共交通を批判したり、車社会を非難しているが、彼自身が運転免許を取得している時点で車社会に取り込まれているという自覚がない。
緯度おじさんは神奈川県の茅ヶ崎市民目線で地方を叩いているが、冷静に考えれば神奈川県茅ヶ崎市も地方都市と同等であるという認識が欠如している。
ネトウヨやシールズは薬の効かない馬鹿なのでどうしようもないが、鉄道おじさんや緯度おじさんの軌道修正は可能ではないか。前者は運転免許証、ついでにユタカな個人資産(自称)を返上し、後者は地方叩きを謝罪・撤回するか、都市圏に引っ越すことを期待する。彼の行っていることは、富裕層が貧民の代表を名乗るようなおかしな話なのだ。
はてなブックマーク - 欧州からは「日本だけが勝手にどんどん貧しくなっている」ように見えている - エストニア共和国より愛をこめて
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.from-estonia-with-love.net/entry/pjapan
そういう勇ましい事言って飛び出した人間は二度と帰って来ないで欲しい。決して、日本の医療制度のお世話にならないで欲しい。
これから、良くしていけると個人的には思っているが、それだってどうなるか判らない。けど、この手の調子乗りはさっさと嫌いな国の国籍は返上してくれないもんだろうか。
最近、部活問題だとか民営化しろだとか、教員の多忙だとか、いろいろ話題になっているから、一教員として書いてみる。
教員には、原則残業手当、休日出勤手当とかはつきません。すべてサビ残、サビ出勤。
教員の仕事は、家で教材研究したり、研修会に出たり、突然放課後生徒対応したりと、残業ってくくりで測れないからってのが理由。
そのかわり教職調整額ってのが付くけど、残業代にしたら一日当たり20分足らずの額。
まずここ押さえてくださいね。
で、当然時間外勤務は義務じゃない、サービスだから、「やらなくても良い」、もっというと「やりたい人が勝手に好きでやってる」という扱い。
土日祝日などの休日の仕事も、勤務時間外の仕事も、すべて「その教員がやりたいから勝手にやってる」という扱いで、当然残業手当も休日出勤手当もつかない。
(一応土日の部活は、特別勤務手当って名前で、4時間以上やれば4000円くらいもらえるようになってる。4時間未満だとゼロ。4時間以上なら8時間でも12時間でも4000円程度。交通費だけで足が出るから、時給換算するとコンビニでバイトしてた方がマシw)
人によるし、学校による。
今学生の人はわかると思うけど、先生たちが朝職員室で打ち合わせしてるでしょ?
はい、ここでまず一つ目の矛盾。勤務開始時間は8時15分とか8時半とかなのに、多くの教員はその前に出勤して登校立ち番とか補習とか朝練の部活とかやってる。
これらは全て、「勤務時間外にその教員が、好きで勝手にやってること」という扱い。
当然お金は発生しない。
ある人は、「生徒のため」と使命感に燃えて、ある人は「みんなやってるから」と同町圧力に負け、ある人は「やって当たり前」と何の疑問も抱かず、今日も搾取されています。うへぇ。資本主義の原則を身をもって教えてるんですね。さすが先生!
8時15分に朝の打ち合わせが始まる学校は、16時45分には勤務終了です。
当然そう思いますね。
あれは全て、「教員が勤務時間外に好きで勝手にやってる」という扱いです。
だって好きで勝手に学校設備借りてやってるんだもん。まぁ可哀そうだから、事故とか怪我があったら学校の保険適用内にはしてあげるよ、程度。
大抵の公立中学、公立高校の運動部は18時程度までは部活をやると思います。それは全て、教員のサービス残業によるものですので、あしからず。勤務時間より後、教員は部活をやる義務はありません。「その教員が好きで勝手にやってる」という扱いなんです。
これを読んでる公立学校の中高生、顧問の先生は勤務時間後はボランティアで付き合ってくれてるわけで、練習日を増やせとか、練習時間延ばせってのが、いかにわがままな要求か自覚しましょうね。
で、放課後部活があるせいで、授業の準備とか、担任だったらクラスの事務作業とかは、部活が終わってからになる。
勤務時間がとっくに終わってから、ようやく仕事開始って、ナニコレ。
「先生なんてそんな仕事あんのかよ。」って声が聞こえてきそうですが、近年どんどん増えてます。保護者にプリント一枚配るのでも、お役所的な書類作って、「これこれこういうプリントをいついつに出します」ってのを回覧して、許可とらなきゃいけない。
要はお偉方が責任取らないで済むように、何をやるにしても「事前に報告がきちんとなされていました」という事実を作るために、公務員っぽい書類を作らなきゃいけない。
学校によっては、授業一つやるにしても、その授業の案とか出さないといけないんだぜ?
正直、これら書類を勤務時間内に全部終わらせようとしたら、忙しくて授業なんてやってる暇がないってのが、教員のブラックジョーク。
さらに、まじめで頑張る先生ほど、授業の準備とか、教材の準備とか、自分のクラスのこととかに時間をかける。
当然サビ残です。
で、冒頭に「人によるし学校による」と書いたのは、人によっては「部活顧問なし」「授業準備一切しない(すべて去年使ったプリントをそのまま配るだけ。テストも去年使ったのをそのまま)」「担任してても自分のクラスのために勤務時間外に時間使わない」って教員もいるし、それで成り立ってる学校もあるから。
てか、教員が定時出勤定時退勤しようと本気で思ったら、このくらいしないと無理。
でも、ほとんどの先生はある程度の情熱を持って教員になってるので、人によりけりだけど、頑張っちゃう。だから多忙。勤務時間外になってようやく授業準備したり、テストの採点したり、家に持ち帰って頑張っちゃう。
大体、定期テスト終わってその日に部活あって、いつ採点すんだよ。土日も部活で、家に持って帰ってやるしかねーわ、ってのが多くの教員の現状。
それが嫌なら、全部○×問題とかで、速攻で採点できるテストにするしかない。
教員は民間経験者少ないから、世間知らずが多いってのは、本当。
だから上記のような状況でも「それが当たり前」だと思ってる。
ブラック度合いにかけては自信があるIT土方からの転職だけど、それ以上にブラックよ?
なにより問題なのは、「頑張っても頑張らなくても給与は一緒」ってとこ。
ブラック企業に勤めてた頃は、一応歩合なり、成果報酬があった。
土日返上で働いて案件仕上げて、納品数多くすれば、その分歩合でお金貰えた。
公立学校教員は、基本的にクビにならない。それでいて、基本的に勤続年数に応じて給与が上がる。
だから、事件になるような問題起こさなければ、どんなに仕事サボってても、やる気なくても、給与が上がっていく。
逆に、どんなに頑張ってても、やる気で休日返上で仕事してても、同期と給与一緒。
「生徒のため」を理由に労働力搾取されちゃう人は、無限に搾取されちゃうシステム。いやー、夢持って教員になっちゃったせいで、俺も順当に搾取されてますわ。
土日休みたいよ?
でも、生徒から「部活もっとやりたいっす」「全国いきたいっす」とか言われたら「よーし、頑張るか」とかなっちゃうタイプ。
「受験近いんです」「先生の教え方がわかりやすいから、教えてください」とか言われたら、「よーし、放課後と土日、補講やるか」とかなっちゃうタイプ。
予備校行けない生徒、家庭環境が悪くて家で勉強できない生徒のために、長期休業中も学校開放して自習&補習やる。
部活で全国まであとちょっとの連中のために、やりたいだけ練習やる。
あれ、気付いたら俺、去年10日しか休んでないよ? 365日中だぜ?
なのに、土日祝日すべて休んで有給休暇全て消化した人と、同じ給料だぜ?
うーん、他に類を見ない、素敵な職業ですね。
教員の給与が高いってんなら、法外な時間外労働をなくすのと引き換えに、基本給引き下げもやむなし。
でもさ、「教育」って数値で出る結果だけが目標じゃないじゃん。
指導要領でも、教育の目的って「人格の形成」とかいう、わけわかんないのが目的にされちゃってるわけで。
大学進学率だとか、就職率だとか、そんなんじゃ教育が成功したかどうかなんて測れねーのよ。
いやさ、じゃぁどうやって測るかって言われたら、そりゃ無理なんだけど。
というわけで、色んな奴が色んなように(人様に迷惑をかけない範囲内で)生きているのが面白い社会なんだから、そういう「色んな奴」を育むために「色んな教員」がいていいと思うし(いわゆる老害教員含め)、そういう「色んな大人がいる」ってのを身近に見られるってのが、学校教育の良いところの一つなんじゃないですかね、ええ。
だから民営化して成果主義効率主義とかにならないためにも、公教育ってのは必要なんじゃないかなー、と。
ただまぁ、生徒たちに「働き方」を見せる大人として、「サビ残当たり前」「滅私奉公」ってのを植え付けるのは、ちょっとなーと思うわけです。
教育にすべてをささげる熱血先生もいてもいいし、そういう人を必要としてる生徒もいると思うけど、のらりくらりの浮雲先生もまたどこかで必要とされてるんじゃないか、そういう人がほとんどいなくなっちゃったのは、物凄い損失なんじゃないか、と。
韓国となにかもめごとを起こすたびに、サッカー系のブコメに見慣れないidが増えるのホント嫌。
お前らサッカー全然興味ないだろ、素晴らしいプレーの記事とか試合結果の美しいレビューにはちっともブコメ集まらんのに。
集まるときは「ええ話」系の記事と、韓国に因縁つけられた試合があった時だけ。試合なんてどうでもいい層が多数派なんだな。
いつも見かけるサッカークラスタ入ってるidが埋もれちゃうのもすげー嫌。
自分は2002の時はまだ子供だったし、サッカーの2020五輪世代は有望な若手も多くて自分の応援してるクラブからも期待の選手が招集されそうだしで、なんだかんだですごい楽しみにしてたけど、やっぱ東京オリンピック返上したくなってきてるわ。
都内某社へプログラマの採用面接に赴く。就職斡旋屋から紹介された中小企業である。おれはプログラミングの経験が皆無だったから採用されることはまず無いだろうと考えていたが先ずは課題を解いてみろと斡旋屋は云う。食事と睡眠時間とその他日常の雑事を犠牲にして一ヶ月ほどで解き終わる。完了した旨を斡旋屋に報告するとあれよという間に面談の日取りを決めてきた。当日、朝からぱらついていた雨は、正午前には止み、蒸し暑い晴天へと変わっていた。都内のオフィスを訪れたおれは、こじんまりとした会議室に通された。ひとりのおとこが入ってきて、ここで一番えらいエンジニアだと名乗った。面接開始である。こちらが名乗ったのだからお前も自己紹介しろとおとこが云うのでおれも名を名乗り、用意してきた志望動機やキャリアヴィジョンをよどみなく述べた。斡旋屋と打ち合わせした通りの模範的な回答である。しかし面接官氏はそれが気に入らないらしくおれ自身のアピールになっていないと云う。大学で学んだことを活かして社会に貢献できるように――「それはみんなそう考えてるよね(笑)」「改めて聞きますがうちに入社してどうしたいですか?」3分ほど沈黙。「あっもういいです」おれは完全に萎縮してしまっていた。おとこは手元のVAIOをディスプレイケーブルにつなぎこのループ文の計算量オーダは幾らかと問うた。壁面にはおれが解いた課題のプログラムが映しだされている。しかし、おれは自分で書いたはずの10行ほどのfor文がどうしてうまく動いているのか、さっぱり思い出せない。仕方がないので一から考え直す。1ループ目の変数はこうなって2ループ目がこうで……ああ紙と鉛筆さえあれば。5分ほど沈黙が続くと、こんな初歩的な質問にも答えられないとは思ってもみなかった面接官氏がおれを煽る。「きみ計算量詳しいんじゃなかったの(笑)」自己紹介のときにP≠NP問題に興味がありますなどとうっかり漏らしてしまったのが運の尽きだった。それで余計に焦ってしまう。quick sortを使っているのにO(n)で解けるなどと云う妄言を口走る。頭大丈夫かこいつと云うおとこの顔。緊張は極限に達し、丸暗記してきた想定問答通りの内容を喋ることでせいいっぱいになる。このあたりから面接官氏の露骨な「アホと喋ってる時間が勿体ないんだよね」オーラを感じはじめる。今までプログラム何行書いた?課題以外に勉強したことは?研究以外の活動は?本は何冊読んだ?使える言語は幾つ?インターンの経験は?ないです。ないです。事前に考えてきた逆質問2つをもって、やたらと早いタイミングでの面接終了となった。おれは逃げ帰るように会社をあとにし、駅へと向かった。おれは自分が某大学の大学院博士課程を修了したのだとつい先程まで思い込んでいたのだが実は無職ニートの単なる妄想に過ぎなかったのではないか。あれだけ苦労した研究の日々もすべて夢のまた夢だったのではなかったか。大学の名誉を傷つけないようニセ学位を返上するべきではないのか。優良企業の貴重な業務時間を奪ってしまった罪を償うべきではないのか。半泣き。死にたい。傘忘れた。