2017-08-04

天涯孤独になった

2親等以内で生きているのは自分と父だけだった。

その父がこないだぽっくり逝った。ぽっくりとしか言いようがなかった。いや、ぽっくり以外にも言ったな。「え、まじで?」とか言っちゃった。

いろんなアレをソレして(あまり思い出したくない)、職場に復帰して、休んでいたあいだの仕事睡眠返上でこなし、なんとか仕上がったところで

「あ、天涯孤独じゃん」と思った。

親父が死んだとは言え、上司の同情の仕方が真に迫りすぎていたのはそのせいだったのか、とふと気づいた。

もともと家族の数が少なかった自分にとって、家族が減ることはさほどの問題ではなかった。単純に数えてもう5回人と死に別れてきたわけだから自分が生きていれば父親もいずれ死ぬということも受け入れていた。

しかし、世間にとっていまの自分はただの「最近親をなくした人」ではなく、「天涯孤独の人」なのだ

最近親をなくした人」はいずれ「親をなくしたことがある人」にジョブチェンジできる。しかし、「天涯孤独の人」は、ずっと天涯孤独なのだ

ただ家族が減ったのではない。私は天涯孤独なのだ

この違い。

もともと持家は処分してあり、父も自分もそれぞれに賃貸を借りて住んでいた。死に別れることに慣れていた私たちは、身軽に生きることが信条だった。

乗り鉄であること以外に趣味のない父は、形見になるようなものを残さなかった。乗り鉄という趣味はすばらしい。交通費しかからない(それが莫大だけどな)。

もう何もない。墓といくばくかの金だけ。あと捨てられなかった調味料と酒。

天涯孤独だ。

親に頼ったことなんて今までだってなかった。

とうとうじいちゃんも死んで二人きりになった中学の時から、二人は親子ではなく共同経営者とでもいうべきもので、対等な立場だった。

から親父が死んでも大丈夫だと今の今まで思っていた。

でも天涯孤独なんだな。

天涯孤独って言葉考えた人、すげーな。ぴったりだわ。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん