はてなキーワード: 草案とは
実現性は相当低いと思うが。
安倍は実際には押したり引いたりしながら憲法改正を進めてるのに、
押しているところばかり目にして、狂った様に改憲を進めてるイメージの人が多いかなと。
それとあの草案が組み合わされば、恐怖しない方がおかしいと思う。
ただ、草案への恐怖に押されて、実際に提出されそうな改憲案の条文に注目がいかないのが、
非常にまずい状態だと思う。
https://mainichi.jp/articles/20170510/k00/00m/010/125000c
これ見てもダメかな?
安倍自身が、自民改憲草案では国会での賛同を得る事すら困難と認めてる。
いわんや国民投票をや
自分も小池百合子は信頼できないけど、彼女の個別の判断まで信用できないとまでは言わないよ。小沢一郎から早々に離れる程度に鼻の利く人間の判断だから妥当な範囲でしょう。
立憲の件だけど、そもそも日本が立憲国家であり民主主義国家なのを前提として、立憲民主党って名前に特に意味は無いよね。憲法でギチギチに縛ってやる!とか憲法をゆるゆるにしてやる!とかそういう趣旨でなければ。
つまり中身のない名前の中身のない党じゃないの?と言いたかった。
あとどちらにせよ憲法を大切にするなら、自衛隊の可憲だけでも良いから改正が必要だってことね。
自民党の草案が不安ってのは自分も同じ。あれはやりすぎ。でも実際に国民の承認を得るときはもっと柔らかくなってると思う。
そうでなければマスコミが煽りに煽るだろうからいくら国会を通っても、国民投票で通らないでしょう。もし通ったなら通ったで、残念だけど国民の半分の意見を尊重しなければいけない。
自衛隊も今のままで運用したほうが自衛隊の安全を守れるけど、それはアメリカが嫌がっている。つまりこのままだと安全保障の問題が生じちゃうので自衛隊の危険と引き換えに国の安全を守らなきゃいけないのよ。
さらに言えば、戦争を起こしたいから改憲じゃなくて、戦争が起こりそうだから改憲なの。改憲すれば周辺国を刺激することは間違いないけど、万が一戦争が起こる前に準備も整えておかなきゃいけないって事情があるの。
あと、自分ももともとバランスのための反自民だったけど、今の自民党はしっかり最低賃金を上げているので、まだまだダメなところはあるけど少しずつ自分の望んでる「保守の経済左派」になりつつあるように見える点もあるし、長期政権維持が国益になるといった点もあるから、自民党に入れたいと思うよ。
うーん。社会情勢に応じて憲法を変えるという考えは賛成するけど、自民党の出していた改憲草案には共感できないなぁ。
選挙区や有事対応に関する改正項目とかには、いいなぁと思う部分もあるんです。
だけど、国民は憲法を尊重しなければならないって発想が、そもそも国の活動を制限するためにある憲法の位置付けを意図的に変えようとしているように感じて怖いのです。
政治についてよくわからない30代。今回の選挙はどの党に投票しようか。
知ってる政党と政治家についてメモ。自分の知識のなさと、頭の悪さが悲しい。
自民党→安倍さんは改憲して、戦争したそうだから嫌だな。ちょっと前に自民党が出していた改憲草案が嫌すぎる。憲法に個々人の価値観を縛られたくねーよって思う。トランプさんと仲良くしているのは評価できるけど、それ以外は信用ならないと感じている。野田さんと約束してた議員定数の削減ってやったっけ?そもそもこのタイミングで解散する意味がわからない。ゴシップが言うように、勝てそうだから解散ということだったら、国民をバカにしてるようにしか思えない。
菅さんは信用できそう。ミサイル飛んできたら朝一でテレビの前に出てくるじゃん。官僚とも上手くやれてそうなイメージ。
民進党(改め希望の党)→前原さんって印象薄い。男前、ということ以上のことを知らない。希望の党に合流するって時点で理念を感じない。
希望の党→小池さんは八方美人で、自分の立身出世のために政治をやってる印象。国政に転身したとしたら、都民ファーストという言葉を信じた都民は置いてけぼりなんですけど。
築地市場についても、二転三転して周囲を振り回してしまった感じ。築地を食のテーマパークにするってバカなの?上っ面な観光施設は寂れるのが目に見えてるんだけど。作られた観光施設には外国人観光客は来ないよ。
民主党→今日のニュースを見て、枝野さんのポリシーの強さを感じた。311のときの彼の働きはとても心強かったし、自分の1票を信任したいと思った。
無所属で出馬する野田さんも信頼できるけど、無所属じゃ投票できないよ。
共産党→志位さんは、いいことを言うけど、理想主義な感じ。党名が共産党でなければ投票してもいいかもと毎回思う。
とはいえ旧民主党が与党だったときの国政の混乱の印象はやっぱり強くって、引き続き自民党が与党を取りつつ、しっかりとした野党がいてほしいというのが自分の考え。
今回ここで、「権利」概念が放ってしまう暴力性の起源について一人考えてみる
1週間もすれば3億人近いトンチンカンたちがまた祝うことになる、近代社会の幕開け=アメリカ独立宣言に遡ってみよう。250年くらい前のことだ。後にアメリカ人と呼ばれる極西の田舎者が黒人奴隷を足置きにしながらヨーロッパの政治哲学を読みふけっていた。そして、英国議会に「植民地のくせに生意気だぞ」と言われてしまったあの時、彼らのイギリスコンプは爆発し独立を宣言してしまう。この独立戦争とその後の歴史で彼らは「国家」を生み出しその中で「所有権」というものの不可侵性を「人権」として僭称したのだった。それまでもこの考え方は常にヤバい匂いを発してきたが「独立宣言」こそが全人類の脳みそに侵入し始めるウイルスになった。彼らはこう言う。「君たち、実はな、人間は生まれながらにして権利というものを持っていたのだよ」「君たち、これは自明の真理だよ」。誠に蒙が開かれるようである。実際に驚くほどたくさんの人が啓蒙されることになる。
ところで、ここで彼らが行なった欺瞞としてまずよく言われるのは足置きにしている「黒人奴隷」についてである。つまり黒人奴隷が人間の方にではなく所有物propertyの方に組み込まれてしまったことである。ところが、今回に限ってはそこは重要ではないと私は言いたいのだ。というよりも黒人奴隷の境遇があまりに深刻な問題であるから真の問題が後景化し見えなくなってしまっている。この深刻な問題をみたとき、我々、権利至上主義者の常識的な感覚からいって、100年後、200年後に黒人へ与えられたように、人間の権利、あるいは公民権で解決すべき(解決した)問題だと思わされてしまう。
でもこれは糞の上に城を立てただけなのだ。私たちの暮らす城の中はクソの匂いが充満している。「権利」などという考え方が、奴隷制的な、暴力的支配への渇望に支えられている。私たちはクソがあるなと思ったら「あっクソだ」と言わねばならない。「あれ?この部屋なんか、うんこの匂いしない?」は常に言いづらいセリフではあるが。
つまりどういうことか。権利を「持っている」、という発想自体にその欺瞞が現れている、と言いたいのだ。一般におそらくは「所有権を持つ」という表現すらあまり違和感をもたれないのである。独立宣言の下敷きになったヴァージニアで行なわれた会議の草案にもその矛盾を観れるかもしれない
That all men are by nature equally free and independent and have certain inherent rights, of which, when they enter into a state of society, they cannot, by any compact, deprive or divest their posterity; namely, the enjoyment of life and liberty, with the means of acquiring and possessing property, and pursuing and obtaining happiness and safety.
この2つ目の下線部は独立宣言では省かれるのだが「所有権を持つ」という循環した考え方を恐れたから、ではなく国家による税金の徴収を困難にするという理由であった。
何が言いたいかといえば、奴隷、武器、砂糖の三角貿易が成立して以降のヨーロッパ社会では、「権利」が「持つ」ものとして想定されねばならなかったのである。それは単純には、ある種の人々から「奪う」こと(あるいは「捨てる」こと)のできるものでなくてはならなかったからだ。つまり「所有権」が守るベーシックな価値は「権利」概念誕生の後に、「どんな種類の権利を作ろうかなー」と考えられて作られたものではなく同時に発生しているのである。そしてそのことは隠れたのだ。独立宣言に「自明の真実ではあるのだが我らは不可侵の権利を持っているのだと信じる」としれっと書き込むことで。じゃあ所有の意味を含む「権利」概念が発生した時に生まれていたものは何か。ここが今回の主張であるが、「支配欲求自体への承認」なのである。社会の一員として我々は「ある種の激烈な支配の形」を基盤にすることで社会を成立させている。それは「所有権」だけでなく「権利」全般の話である。
propertyに対しては当然そうだろう。犬猫などは黒人同様に解放が進みつつあるが根本的に我々は自分の所有する物をどれだけ傷つけても良いのである。対象物に対して欲求したことは特別に禁止されない限り全てぶつけることを許されている。私は自分の持っている熊の人形の腹を切り裂いてもいいしそこにペニスを突っ込んでも良い。それが所有権の意味するところである。ここで、人形はなんかかわいそうだし除外しようかというのもあまり意味がない。僕が言いたいのは、我々は所有権を「propertyに対して私が欲求することならなんでもしていい力」として想像していて、思考のスタート地点にそれをおいていることだ。この認識はもう一つ重要な感覚を孕んでいる。それは「私が支配するものに他者が介入することは許されない」ということだ。この二つの感覚両方が「権利」全般に流れ込んだのだ。そして実は我々の想像する「自由」のコアイメージでもある。自由にはこの欲望と支配の感覚が流れている。
しかしながらこの「自由」の感覚は「自由」を求める奴隷たちの反乱により一つの現実的妥協を産んだ。支配者はかつての奴隷たちと約束したのだ。我々はもはや君たちを支配しない。その代わりに我々は自分の体を支配するのだと。そして君たちもそうするのだと。人間なら誰もが己の体を支配できることにしよう。我々は平等に自由じゃないか。(現実として多くの旧黒人奴隷は扱いの悪い賃金労働者として己の体を「自由」に売買した。ほぼほぼ売るだけであったが。)
上記の経路は思考実験の一つでしかなく、実際は数百年前の「権利」概念の議論でも既に流れていただろう。しかし、ここで誕生したのは一風変わった、世界と人間に対する理解である。個人は他者からの介入=他者との人間的繋がりを切断できる独立した存在だという信仰なのだ。なぜなら自分の体を自由に支配し他者はこれに関与できないのだから。(工場で死にかけながら働く黒人労働者だって「自由」に辞められると考えることはできただろう。)「権利」や「自由」というものの概念自体にこれは染みついたのだ。
奴隷製の足置きで本を読む農園主の頭の中で作られた「近代国家・権利・自由」は、国家軍隊というとてつもない力に囲われながら、同じ発想の知的エリートを再生産し、根本思想の解体は迂回しながら様々なヴァリエーションを増やしてきた。その実践形は司法や行政の場から常に吐き出され、我々パンピーの脳みそにも影響を及ぼしてきた。
「権利」概念は、「権利」とは「持つ」ものだという支配欲求の肯定に支えられている、というのが基本的な今回の主張である。これが己の身体観や対人間観に影響を及ぼしてきた。実際皆が全く違和感なく自分の持つ時間と労働力を社長さんに売り払っている。基盤にある発想はまさに「権利」は「持つ」ものだから「捨てれる(売れる)」のである。あるいは私は他人の権利を「買える」のである。なぜなら私はその「権利」を「持っている」のだから。(一応断っておくが、これによって生まれる成果を否定するものではない。「支配/排除 と 欲望」を根幹にする原理が一度は平等性/対等性 になりながらも、次の段階で一人の人間があらゆる人の時間と行動の自由を支配し皆がそれに納得していることに注目したいのだ。この一人の人間も様々な人の投資で買われていてもう少し複雑だろうけれど。)
長々書いてるのに平板な話になってるだろうか。ここに資本の燃料をぶっ込めばいくらでも非人間的な方向に暴走できるのは想像にかたくないし、読んだことないけど共産主義とかポモとかもこういう認識の型への反発からスタートしてるのでしょ。現実に非人道的支配を読み取った人たちの反発から生まれた社会「権」などは対抗力として機能しただろう。ただそのことに対しても言えるのは「権利」「自由」の枠組みがそのまま利用されたということだ。近代国家という装置がこの世界にセットされた1776年の7月4日のあの日から全人類の脳みそはハックされた。今もなお屋台骨として社会を支え続けている我らが人権万歳!自由万歳!国家万歳!
いま苦しんでいるマイノリティも、「支配と欲望」の匂い漂う「権利と自由」概念を使って「国家よ行動しろ」と闘争せねばならない。あるいは彼らがそうでない社会活動を試みていても(例えば、他者との網の目を強化したり、国家ではなくコミュニティや人々の意識を変えるために動いていたとしても)、そのように立ち上がる姿をメディアでみた我々は、そこにまた「権利と自由」闘争の型を読み取っていないだろうか。「障害者が、また支配と欲望を前面に出してるのか。今度は何を要求するのか。」と。そして人間の、恥を知らない無意識は、何かを奪おうとしているマイノリティを見てこう訴えてくるのではないか。我々はこいつらを「支配」し「排除」しなければならない、我々の「権利」と「自由」のために。
私が共謀罪に反対する大きな理由は、共謀罪が社会の様態を変えると考えているからだ。
共謀罪はテロ対策法と言われているが、その対象となる犯罪はかなり日常的なものも含まれる。
たとえば著作権法や保安林の区域内の森林窃盗(キノコ狩りなど)のようなものまで。
なぜそれがテロ対策になるのかというと、別件逮捕も想定しているからだという。
つまり対象犯罪は直接にテロ対策となりえないものまであり、また「一般人」も十分対象化されうるということである。
国会では再三その点が問われ「一般人は対象ではない」と答弁されていたが、国会でそのような答弁があったからと言って裁判官がその答弁を踏襲するとは限らない。だからこそ明文化するべきではないかと問われても、その必要はないと回答されてきた。
なぜ別件逮捕を視野に入れてまで対象を広げ、その定義を明文化しないのか。ゆくゆく拡大して利用する目的があると考えれば自然なことである。
最近再び話題に上ってきた憲法改正だが、自民党が憲法改正で目指すものはなにかというと、9条撤廃はもとより「公共の福祉」を「公益及び公の秩序」と言い換えるところにあるだろう。
共謀罪一つとれば、「共謀罪が将来的に拡大解釈して利用される」というのは憂慮しすぎのように思われるかもしれないが、自民党の憲法改正草案で「公共の福祉」が「公益及び公の秩序」と言い換えられていることとセットで考えれば、懸念すべき点も明らかになる。
今回の改正では、このように意味が曖昧である「公共の福祉」という文言を「公益及び公の秩序」と改正することにより、その曖昧さの解消を図るとともに、憲法によって保障される基本的人権の制約は、人権相互の衝突の場合に限られるものではないことを明らかにしたものです。
その「公共の福祉」を「公益および公の秩序」に変えるということは、「みんなの」というニュアンス(「public」のニュアンス)をより後退させ、「権力性」のニュアンス(「おおやけ」のニュアンス)をさらに強く前面に出す、ということを意味する。だから、これは単に言葉の言い換えにとどまらず、権力側の都合や利益による自由・権利の制限をこれまで以上に認めやすくする方向への変更となるのである。
共謀罪では「名誉毀損や侮辱等具体的な法益侵害又はその侵害の可能性」も対象となるため、組織的団体である新聞社が対象となることも十分ありえる。国会答弁では「一般の新聞社は対象ではない」と言っていたが、しかし何をもって一般とするのかは依然曖昧なままだ。
共謀罪に賛成する人は「やましいことがあるから反対するのだろう」と言うだろうが、問題は何をもって「やましい」と判断するのかということだ。「やましい」かどうかは、かなり恣意的に判断ができるようになっている現状で、安易に政権寄りに利用されてしまう可能性も出てくるだろう。
ここで私が最も懸念するのは、「体制に楯つく人や団体」を取り締まる材料にされてしまうことであり、「体制寄り」かどうかを一般市民レベルで判断するようになってしまうことである。つまり「体制に反していない」ことを市民自ら表明しなければならない空気ができてしまうことだ。
実際にテレビ局に政治的中立が求められた一時期以降、テレビ局は政治的中立であることをわざわざ断ったうえで、意見を表明しなければならないようになってしまった。我々の普段の生活レベルでも「反体制的ではないこと」を断って振る舞うことが求められるようになるかもしれない。
これがどれほど気持ち悪いことなのかは、北朝鮮という国を見れば分かることだ。言論に自由のある日本に住みながら、体制に対して媚を売らねばならない北朝鮮や中国を見ていて、抵抗感を抱かない人がいるだろうか。
要は共謀罪の成立が市民の権力闘争へと変貌しないといえるのだろうかというのが私の懸念点だ。
ネット言論ではすでに共謀罪で国内の新聞社や市民活動の取締を期待する声があがっている。本来は2020年オリンピックに向けた国際テロリズムを想定していたはずだと思うが、市民の要求によって国内の思想闘争へと刃が向けられている。
私が憂慮しているのは、この全体主義的な思考が日本を含めた東アジア地域とあまりに親和性が高いのではないかという思いが拭えないからである。
共謀罪反対派の人が困るのは共謀罪が成立しても何もないことだろうという趣旨の意見を見た。いやはや共謀罪が成立して国会答弁の通り一般人が今までと変わらず生活できることが何よりである。
共謀罪は本日強行採決により(2016.5.23 追記 / 衆院法務委員会で)可決された。これから先にこの法律をどのように運用するかは私達の良識にかかっている。(2016.5.23 追記 / 当法案がこのまま成立に向かうとすれば)正しく運用されることを願うより他にない。
https://www.j-cast.com/2017/05/11297639.html
高橋洋一先生は、安倍さん応援団の典型で、彼のどんな態度も肯定的に解釈してしたり顔で解説されている方ですが、この記事の通りなら安倍さんは今まで一体何度憲法尊重義務を怠ったことになるんでしょうね。擁護の仕方が下手くそすぎますぜ。
福島みずほ議員の戦後レジームからの脱却の意味を問われた際の答弁
憲法改正についてのお尋ねがありました。
現行の憲法は、日本が占領されている時代に制定され、六十年近くを経て現在にそぐわないものとなっております。そのため、私は、私たち自身の手で二十一世紀にふさわしい日本の未来の姿あるいは理想を憲法として新しく書き上げていくことが必要であると考えています。
舛添議員に、集団的自衛権は憲法改正で認めるべきではないかと問われて
二十一世紀にふさわしい私は日本の国づくりを始める中において国の姿、形、理想を示すものは憲法であります。その憲法を私たち自身の手で書いていくということが求められているのではないかということを総裁選を通じて申し上げてきました。自民党総裁としてこの憲法改正を政治スケジュールにのせていきたいと、このように思っております。是非また自民党、また与党、また国会において更に議論を深め、また国民的な議論を行っていただきたいと、このように思います。その中では、まずは手続法である国民投票法案がこの国会で成立をすることを期待をしています。
これなんか、自民党総裁としての立場で述べたことをまんま喋ってるし、この後もえんえん持論を語られてますぜ。
篠原孝議員に、憲法審査会の議論を差し置いて、96条の改正を連呼するのは、横道からのアプローチでふさわしくないんじゃないかと指摘されて
まさに私はさまざまな課題に正面からぶつかっているつもりでございまして、憲法改正についても、では、なぜ九十六条かということであります。
九条は憲法改正の要綱でありますが、憲法改正をするために今、三分の二の発議が必要でありまして、これは、衆議院、参議院、それぞれであります。これはいわば極めて高いハードルだというふうに考えているわけでありますが、その後に国民投票に向かうわけであります。
これは、明治の欽定憲法も昭和憲法も両方とも国民投票は経ていないわけでありますし、国民投票と同時に、いわば衆議院の解散を行って憲法改正ということを問うたわけではなくて、まさにGHQの占領下にあってこれはできたものでございます。
そこで、では、なぜ九十六条かといえば、三分の一をちょっと超える人たちが反対をすれば、たとえ国民の六割、七割が変えたいと思っていても、国民投票すらできないのはおかしいではないかという問題意識であります。
松野頼久議員による、維新が積極的に改正を求めてるのに、与党が積極的でないのが困る、との質問に対し
国民投票制度のあり方については、憲法の改正に対する国民の主権行使に関する、いわば憲法改正の土俵とも言えるものであります。
私は、与党のリーダーシップにより、各党各会派での議論を加速させ、国民に責任ある提案がお示しできるよう、早期に結論を得てまいりたいと考えております。
はい、あきらかに与党最大の党の総裁としてのリーダーシップを約束された答弁ですね。
同じく維新の小沢鋭仁議員の、他国に比べて改正回数が少ないことを受けて、憲法改正の必要性についての総理の見解を聞かれて
法というのは、国の形、あるいは未来、そして理想を語るものであろう、このように思うわけであります。
私は、従来から憲法改正を主張してまいりましたが、その理由として三つ挙げてきたところでございます。
一つは、現行の憲法は、やはり、いろいろな議論がございますが、基本的に占領軍の強い影響、同時に、原案については、事実上、占領軍がつくったものであるということであります。
そして二つ目は、もう憲法が成立をしてから長い年月がたちました。時代にそぐわない条文もございますし、新たな、大切な価値観、権利も出てきているわけであります。
そして三つ目は、やはり私たちの国の憲法は私たち自身で書いていく、この精神こそ未来を切り開いていくんだろう、こう信じるからでございます。
はい、主語私ね、個人の見解をはっきり述べられておりますな、占領軍が作ったから、という理由を述べることが憲法尊重義務をしっかり守られて、議会での発言が縛られている方のご発言ですね。勉強になる。
また、憲法改正に関する委員の御提案でございますが、ちなみに、自民党案においては、一昨年、谷垣当時の総裁のもとでつくられた自民党案によれば、第九章、一章を割きまして、自民党案の九十八条において、緊急事態の宣言を行うという項目があります。そして、九十九条において、緊急事態の宣言の効果について書き込まれているわけでありまして、自民党としては、憲法を改正した際には、しっかりと緊急事態について章を割くべきだという考えを持っているわけでございます。
はい、自民党としての見解を開陳されてますね。さすが、党総裁としての立場と政府の総理としての立場を明確に分けられているお方は違いますな。
大串博志議員が、総理の対談集の中で、GHQによる押し付け憲法だから変えなければならないというような発言をしていることを問いただしたことに対して
これは幣原喜重郎内閣でございましたが、ここでいわば憲法をつくるということになった。そこで、松本烝治氏が担当の大臣になって、いわゆる甲案、乙案というものをつくったんです。それを、先ほど新聞名が挙がりましたが、毎日新聞がスクープしたんですね。西山柳造という記者がこれをスクープしたわけでございます。それを見てGHQがこれは絶対に受け入れられないという中において、ホイットニー当時の准将がケーディス氏に、民政局の次長に指示をして、約八日間で二十五人の委員でつくったのは事実だろうと思います。そしてそれが草案になったところでございます。
そこで、私が大切にしているところは、やはり私たちの憲法なんだから、この中においてもちろん、平和主義、国民主権等々ありますよ、基本的人権、そうしたものは守っていかなければいけませんし、これは貫いていく必要があるんだろうと思います。それは私も今まで評価もしてきているわけでございます。
ただ、形成過程がそうであったという事実は私たちはしっかりと直視をしなければいけない。歴史を直視しろというのはそういうことなんですよ。そういうものもしっかりと直視しながら、そこで、では、私たち自身の憲法なんだから私たち自身がしっかりと考えてみようじゃないかという精神を失ってはならない。
指一本触れてはならないと考えることによって思考停止になる。思考停止というのは、これは悪い影響だと思いますよ。思考停止になってはならないんですよ。みんなでやはり考える。考えた末、このままでいこうということであれば、それはそれでいいわけですよ。考えることすらだめだ、天から降ってきたんだからこれはもう変えられないということにはならない。
この後でもいうんだけど、基本的には安倍さんは、与党とか維新に聞かれると自民党としての立場でもほいほい答えるんだけど、民進とか社民とかに聞かれると、「私は総理だから個々の事には答弁しない、党としての案は自民党草案をみろ」って言って答弁拒否してたんだけど、今回自民党草案と全然違うこといっちゃったからいつものセリフが言えなくて、自民党草案を見ろ、の代わりに読売新聞を読め、とこう言っちゃっただけなんだよね。それがどういう風にまずいのかも多分本当の意味では理解してないと思う。それに第一次とか第二次の最初の頃のねじれが残ってたころだと、聞かれたら一応答えて、今ほど答弁拒否はしてなかったので、単に支持率が下がらないからゆるみきって、野党、特に民主、民進をひたすらバカにする態度をあからさまにしてきてるだけだよね。
安倍さんの答弁を聞くのは本当に苦痛です。滑舌が悪くて聞き取りにくい(これはしょうがない)、無関係なことが多すぎる(体感8割)、論理的でないから意味が読み取れない、の3重苦。コレに比べたら金田大臣はまだ何を言っているのかはわかるだけまし。しかしこの1週間の安倍さんはいよいよやばいと思うんだけど、それほど一般的には共有されてないんだうか。
「何度も答弁してる」というときは大体嘘です。答えたくないから答えない理由として使ってるだけ。何度聞かれても何度でも答える義務があるんですが、安倍さんはこの辺を本当にいい加減にしてる人だよね。おととしの、臨時国会の開催要請を無視したときとかは、もうほんとにこっちとしては、怒り心頭に発すって感じだったけど、今日のもまぁひどかった、時計ばっか見てんじゃねぇよ。
「(意訳)籠池氏は、名誉校長である夫人に、業務として交渉の経緯を随時説明していたといっている。これでは名誉職はなく、ズブズブの関係ではないか。国有財産の取得をめぐって、厳しい交渉をしているときに、現職の総理大臣の夫人が名誉校長になることを不適切と思わないのか。」
「その前にですね、ズブズブとかいう品の悪い言葉は使うのをやめたほうがいいですよ。それがですね、民進党の支持率にもあらわているんですよ。はっきり申し上げて、誰もそういう姿勢は支持しませんよ。私も親切で申し上げてるんです(時間稼ぎだろ)。しっかりと野党として、中身のある質疑をして頂きたいと思いますよす。少しはですね、少しは(ニヤニヤする)。そこでですね、いずれにせよ、この問題の本質はですね、この8億円のですね、減価した、ということについてですね、しっかりと議論して、せいふとして、説明をしていくことが、大切なのだと、このように思う次第でございます(じゃあ資料出すように命令せよ)、先ほど来ですね、福島委員は、籠池さんの証言に、ですね、それを信用して、一方的、一方的にですね、(福島:それは昭恵さんを呼ばないからですよ)発言をしておられるわけですが、たとえば、安倍晋三記念小学校ということに関してはですね、私はすぐにお断りしたともうしあげましたよねー(急にタメ口感)。それにたいして籠池氏は、すぐにやめたとおっしゃって、それから1、2ヶ月だと証言が変わって、さらには1年数ヶ月つかっていたと、そうであればですね、大きな問題、これはかなり大きな問題ですよ。私は断っているんですから。にもかかわらず、その肩の証言に基づいて、かなり品の悪い言葉で非難されるということはいかがなことものかとこのように考えておる次第でございます。」←こんだけしゃべって答えてないからね。
「安倍昭恵夫人の責任については何もおっしゃらないんですよ。これ、平成25年8月26日に財務省も接受してるんです、ここ(黒塗り)が安倍晋三記念小学校だというのなら、これは総理に就任された後ですよ。私も籠池さんの一方的な主張が通るのは問題だと思ってますよ。だから夫人が出てきて説明すればいいんです。総理はゴールデンウィークの間、夫人と過ごされたと思うんですが、国会に出て説明するようにおっしゃったほうがよろしいんじゃないですか。」
「もう私はすでに何回も答弁をしてるじゃないですか。これだけ。私、何時間、何十時間、この問題を。97兆円の予算を置いといて、みなさんこればかり質問されますから、家内のことについても誠実に答弁させていただいておりますよ。誠実に答弁しているのにも関わらず、一方的にですね、籠池さんになりかわったかのように、ここで非難されるのはいかがなものかな、とこういう風に申し上げている次第でございます。」(何回も答弁した、といっているけど、安倍さんが国会に出てきたほうがいいんじゃないかということに、直接答えたことはないですよ。会計検査院がやる、というだけ。夫人の関与を明らかにする意志はないわけ)
宮崎議員は、夫人付の交通費の出所とか、夫人付の常駐の必要性について聞いていましたが、これもまともに答えないですね。夫人にも報告しているし、タムラさんが、夫人から聞いていると思うが、といったせりふに反応していないから、財務省も夫人が関与していることは承知していたのではないか、夫人の名前が土地取引の交渉に影響を与えていたと思うという、籠池氏の主張が間違っているというのならば、これは総理にはわからないだろうから、夫人に説明してもらうしかないという質問。
「(略やめる発言は取り消したらといったあとに)夫人に国会に来ていただくというのもそうですが、まずは記者会見だけでもしていただいたらどうですか。ご本人が書いたかどうかもわからないフェイスブックの説明で国民が納得という状況にはならないでしょう。籠池氏の言うことが嘘だというのならば、夫人も国民の前で話していただかないと説得力がないでしょう。いかがですか。」
「これはですね、関与、いわば関わりがあるというのはですね、このいわば学校法人の、この認可、ですが、認可はですね、そもそも政府ではありませんから。これは関与は、ない、のはこれ、宮崎議員でもわかると思いますね。そうして、もう一点はですね、もう一点は、いわば、この、8億円が減価されたことに関与していたか、これは、今まで、この関与についてはですね、今、まったく、一言もですね、具体的な関与については述べていないじゃないですか、述べてませんよね、指摘はまったくないんですよ(だからテープの中で、夫人のほうからも聞いてると思うが、といってることだよ)。」
「今、今、まったくない、すみません、ちょっと、その、質問の席でですね、やじるのはやめていただけませんか、あの、こっちでやじるのとちがって(答弁席からやじるやつがなんかいってら)、質問、もういっかいしつもんします?(宮崎:いいですいいです。どうぞどうぞ。)いいですか。つまり、まったくですね。普通はですね、具体的なものはですね、今ありませんでしたよね。ですからまぁそういうことなんですよ。そういうことで、騒ぎまくっているわけでありますが、その点においてですね、いわば、イメージを一生懸命作っておられるわけでありますが、まさに、そういうことではないか、とこうおもう次第でございます」(クソ長いけど、答えてない)
「認可に関わることは、そもそもできないんじゃないかとおっしゃったが、たとえば、夫人は大阪府の私学審議会の梶田会長とお会いになってますよね。どういうお話をされたのかはわかりませんが、働きかけをすることは十分可能であって、制度的にそもそも関与できないなんていえるわけがないじゃないですか。土地の価格についても谷さんのFAXが出ているじゃないですか。そういうことをいってるんですよ。少なくとも記者会見ぐらいはされるべきじゃないですか。(略」
3ヶ月間国内での総理秘書官のどうこうしない公務が1日もないのに、常駐の夫人付職員を配置する必要性について質問する宮崎。
「(略)私的活動に同行したり、籠池氏のような方からの陳情を処理したりするのが本来の業務になっています。公私混同もはなはだしく、あれほど批判された舛添都知事どころじゃない。私的活動の同行であれば、安倍晋三事務所の秘書とか、自民党の職員とかいるじゃないですか。総理は何億円も政治資金を集めてらっしゃるのは、こういうときのためじゃないですか。自民党には予算があるんだから、つけられないわけがない。著書の中で、完全に私的な活動であるとしている、昭恵農場の稲刈りや田植えにも国家公務員が同行していることは明らかにおかしいでしょう。ですから少なくとも、経産省からの常駐の方は廃止をされたほうがいいんじゃないか、見直しされるお気持ちはありませんか。」
「農場についての話がありましたが、その際ですね、ケネディ大使がそこにこられたわけでございます。ですから当然、その対応がございますから、外務省の、いわば、づきがいくのは私は当然のことでではないかと、このように思うわけでございまして、そういうことをはよくおこりうるわけでございまして、えー経産がどうこうという話はございましたが、しかし、その際にですね、ずっとこの同行しているものも一緒に行く、ということは、これ、あり、得る、こと、であろうと、こう思うわけでございますし、またたとえばですね、まぁその、被災地の訪問をすることも、たびたびあるわけで、非常にあるわけで、ありますが、その際、さまざま、ご質問を受けることもあるわけでございまして、そうした質問に関してですね、安倍昭恵個人ということと、同時にですね、私の妻である、安倍昭恵に対する質問もあるわけでございまして、そこで、ある程度ですね、丁寧なお答えをするのも、これ、当然、求められるのではないかと、こう思うわけでございます。ま、そういう中においてですね、これは、対応をしていただいている、とこう思うところでございます。」
「全然答えてないですよ(んだんだ)(略)」以下も同じ主張の繰り返し、繰り返し、最後に、官邸でどういう仕分けをするかについて検討していると答える。なんでこの答えが10秒でできないんだっツー話だよ。あ、あと加計学園が国家戦略特区で獣医学部作ろうとしてるのを知ったのはいつかも答えてなかったわ。
まぁあらかじめ言っとくと長妻議員は好きではないです。年金制度の無理解で見放しています。でも、この質疑は大事なことをちゃんといっていた。いずもとかの行動が、議員が聞いても政府からは答えが返ってこないのに、政府関係者のクレジットで、新聞者に詳しく報道されるというやり方はほんとうにおかしいと私も思うよ。また憲法に関する、非常に大事なことの考え方について、国会で聞いてもまともに答えないくせに、ビデオレターとかでせっせと支持者にアピールしてる姿勢はなんなんだ、国会なめてんのかっつー指摘はまったくそのとおりだと思いましたよ。それにたいして、あれは自民党総裁としての考え方で、ここには総理大臣としてたっているから答弁する必要がないとか抜かす安倍さん、ほんとにこの人なんなんだろうね。じゃあ二階さんのパーティで二階派の議員として失言した今村さんだって国会で追及される必要ねーのかよって話じゃねーのか。いらつくわー。そんで極めつけはタイトルの奴。
長妻(あのビデオレターの真意はなんだときかれて、答えず、憲法審査会でやってくれ、という安倍に対し、9条に3項を加えるだけだっていうのなら自民党憲法草案のクソさな主要な論点については取り下げるということで良いのかということを聞く。)
「あのー今繰り返しになるんですが、わたしはここで、内閣総理大臣としてたって、(長妻:前に答えたじゃん)おり、ですね、いわば私が答弁するのは、内閣総理大臣として、義務を負っているのであります。自民党総裁としての考え方は相当詳しく読売新聞に書いてあるから、ぜひ熟読して頂きたい。(長妻:そんなバカな答弁はない!新聞読めって!:野党席騒然、委員長:注意するからちょっと静かに)自民党、あの、答弁の途中ですから、ちょっとおちついていただきたい、落ち着いていただきたいと思います。答弁の途中でありますから。よろしいですか。(長妻:新聞で読めって、これは言ったらダメだ)今、言ったらダメだとおっしゃったが、これ答弁の途中ですから、答えている途中ですからね。いわば、党総裁としては、そこで述べていますから、そこで党総裁としての考え方は、そこで読んで頂きたい。党総裁としての考え方をここで縷々述べるべきではない、というのが私の考え方、でありますから、ぜひ、そこで、いわば、自民党総裁としては、知っていただきたい、あるいはその、ビデオをですね、えーこれは、ビデオでこれを述べているわけでございます。長妻議員は、今いろいろと疑問がわいてくるということでございますが、憲法審査会でご議論をいただきたいということでございます。えーまさにこれは自民党の中で議論をして出来上がったものが、現行の自民党の改正草案でありますが(長妻:取り下げるのか)、これは谷垣総裁の下で作ったものでございますが、これが歴史的な、自民党の党史的な考え方であります。そこでですね。いわば、さきほどなぜ私が新聞等を熟読して頂きたいと、このように申し上げたか、しかし、それが発端ですから、発端で質問されてるんでしょ(聞いても答えないから、新聞等の情報で聞くしかないのだが、と断ってるんですがね)その新聞記事と、ビデオメッセージを、これ、もとにですね、質問をされているわけでありますから、しかし、それは、それはですね。よろしいですか、みなさんちょっと騒いでおられますから(もう静かだよバカ)。(長妻:自民党草案を取り下げるのかと質問してるんです)ですから、そこにですね、いわば総裁としての考え方は、すでにそこに述べているわけでありまして、その中で、草案との考え方についてもですね、説明をしているわけであります。いっぽう、なぜそれを行ったのかというとですね、自民党総裁としてですね、いわば、リーダーシップ、責任を伴うリーダーシップとして申し上げているわけでございます。(取り下げるのか、と聞く声)これ、同時に取り下げるというわけではございません。もうすでに前からですね、前から何回もずいぶん皆さん野次ばっかりされているから聞いておられないかもしれませんが(与党席笑う、幇間どもが)これはですね、このまま通るとは考えていない、だいぶ、だいぶ、これ、これはですね、衆参ともに3分の2、3分の2が必要なんですから、たとえばわが党単独で3分の2は持っていないわけでございますから、発議するにはこれは、そもそも議案がそもそもそのまま通るとはならないのではないか、と、これは憲法審査会のなかで、議論が収斂していく、とこう思うわけでありまして、取り下げる取り下げないという問題ではないわけでありませんでして、自民党の考え方を、自民党の考え方を、申し上げているのでありまして、どこもですね、どこもですね、自分の考えどおりにならない、長妻さんねぇ、政治っていうのはどこも自分の考えどおりにはならないんです。そこで、えー結果を出す上においては、(長妻:ちょっと委員長!、委員長:総理簡潔に答弁願います)簡潔にもうしあげますと、結果を出す上においては、まさに議論をしていく中においてですね、議論をしていく中において、議論をしていく中で、だんだん、これは、えー収斂をしていく、という中におけるひとつの、えーこの(長妻:ちょっと委員長)考え方でございまして、その点をですね、ご理解を頂きたいと、こうおもうところでございます。」(所要時間約5分)
「その前に、総理、一部新聞社等々ありました、えーそれはこの場では不適切でございますので、今後気をつけていただきたいと思います。」
長妻
「いやー私も長年国会で質問をしておりますけども、自分の発言は読売新聞を読めと、いやーこのような答弁というのは初めてです。相当総理はほんとにちょっとどうなのかな、という風に思います。」
安倍さんが一般に憲法第63条が要請しているとされる答弁義務をバカにしつづけているのはコレがはじめてじゃなくって、とにかく答えないための理由だけは一生懸命答えるひとなので、ほんとにだいっきらいなんですよね。国会で質問されたら、何度目だって答えないといけないし、ましてや、新聞で読めとかふざけてるにもほどがあるよ。参議院では、問責決議までされてるのも、まったく効いてないんですな。もう何度目だってなるけど、安倍さんの国会軽視はうんざりしてる場合じゃなくってちゃんと非難し続けないといかんと思うのですよ。
http://anond.hatelabo.jp/20170401111105
事実誤認があるが、変な方向の反応が多いのは同意。それが朝日のせいだと俺は思わないけど。
簡潔に言えば今回の改訂で空手など5項目も新たに明記されており、当初案で銃剣道の項目が無かったのを銃剣道連盟が「不公平だ(意訳)」と反発(武道協議会加盟団体の中での不公平?)
したせいかはわからないけど、銃剣道も指導要項に明記されたって話。
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/youryou/chu/hotai.htm
・また、銃剣道連盟が「銃剣道を学習指導要項に明記して欲しい。」と要望書を出している
http://www.jukendo.info/wp-content/uploads/MX-4140FN_20170309_112723.pdf
よって増田の『「銃剣道」は9種目の一つなので、旧指導要領から存在し、新指導要領でも残った。』は間違い。明記されてるなら、明記するよう要望書なんか出さない
●もう少し細かい話
今まで武道に関して 柔道、剣道、相撲、と例外として「なぎなたなどの武道」
が記載されてた
http://www.jukendo.info/wp-content/uploads/MX-4140FN_20170309_112723.pdf
銃剣道連盟の要望書を信じるなら、他の武道8項目が明記されたのに銃剣道は明記されてなかった(と読める)
・発表された次期学習指導要項
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/__icsFiles/afieldfile/2017/03/31/1383995_3_1.pdf
『柔道,剣道,相撲,空手道,なぎなた,弓道, 合気道,少林寺拳法,銃剣道などを通して』
など5項目と一緒になって指導要項に明記された。と
経緯を見ると、当初案で忘れらていたようにも見える「銃剣道」に大きな力が働いていたにしても、働くのに時間差があってウケるw
て感じ。
今を時めくDeNA。
この会社のモラルはともかく、パクリコピペ・・・もといキュレーション事業をわずか数年で50億規模(今回炎上しなければ)に育て上げた技術力は賞賛すべきである。
そのDeNAの中の人が出てくる最近のイベントをピックアップしてみた。
ぜひ一度参加して、DeNAの技術マインドを学び取ってほしい。
決して今回の炎上劇に関する質問はしないように。やったら一発でつまみ出されるのがオチだ。
DeNAの誰かは伏せられているが、「DeNAにおける分析事情」を話してくれるらしい。今回の炎上分析の話も聞けるかもしれない。
南場さんが登壇する。ただ今日旦那さんが亡くなったばかりなので出演キャンセルになるかも。
珍しく大阪で開催されるイベント。60分で簡単なネットショッピングサイトを作るとか。
DeNAの現役アートディレクターと会話をしながら、コンセプトアートを作ることが出来るらしい。コピペアートの技が会得できるかも。インターンイベントなので学生のみ参加可能。
1つ上と同日開催のインターンイベント。ゲームの企画草案を作りながら、「おもしろく」する考え方を身に付けるらしい。
ほかにも探せばいっぱい出てくるので、気が向いたらpeatixやconnpassなどのイベントサイトを検索してほしい。
一方で、こんな残念なイベントもあった。
もう明日のイベントだが、登壇予定だったDeNAの人が「一身上の都合」で登壇キャンセルとなった。
この「渡辺」という名前でググってみたら、執行役員の渡辺氏とは別人で、メディア戦略などを手掛ける人らしい。
さらに調べたら、今回炎上した「MERY」にもどうやら関わっていたようだ・・・自業自得なので同情はしない。
DeNAは新規事業立ち上げやアジャイル開発の世界でトップランナーの1人として刮目されている存在だが、モラルのなさは会社設立当時からウォーターフォールだったようだ。今回の一連の炎上劇は、そのトップランナーだったDeNAが一気に白眼視されるところまで落ち込み、その結果起業マインドの冷え込みや、アジャイル開発の停滞が起きるのではないかとみている。