はてなキーワード: 習い事とは
最近自分が他の人より記憶力とか注意力のようなものが著しく劣っていることに気がついてそれで悩んでいる。
たとえば
・郵便物をポストに入れようとカバンに入れると家を出る時には忘れてしまい2,3日そのままになる
・普段は徒歩だが、たまに車で会社に行くと徒歩で返ってきてしまう
こういうことが当たり前のように発生する。
面倒くさいからやらないのではなく、まったく思い出すことがない。
本当なら生活に支障がでるレベルなのだが、私は物心ついたころからそうなので、自然とこういう欠点を仕組みで補うようにしていて、これが特殊だとは気がついていなかった。
たとえば
・明日忘れてはいけないものは思いついた瞬間にカバンかクツの中に入れる
・家の掃除であっても3つ以上タスクがあるなら紙に書き出す。思い出そうとすると非常にストレスになる
といった具合だ。ただ、仕組みで解決しているのでイレギュラーなことが発生するとすべてが崩壊して少なくともその日一日は無駄になる。
例えば「この時間はオフィスに居るはずだ」「この時間までには一度は手帳を見返すはずだ」という前提で行動しているので、それが変えられてしまうと約束をすっぽかしたり、なにかの提出期限を守れなかったりする。
ただ、悪いところばかりではなく、徹底して仕組みでフォローする性格がビジネス上では幸いしてうまくいっている。
それに記憶もスケジュールとか約束が覚えていられないだけで、読んだ本や映画などは人より覚えている方で、学校での成績も良い方だった。
つらいのは家族との約束を忘れてしまった時や、些細な事でも忘れてしまったことにより自分を責める時だ。
特に家族は私が家族との約束を優先順位が低くおいていると思っているのも悲しい。(土日の約束など全く覚えていないので、毎日「今度の土曜日ってなにするんだっけ?」と聞いてしまう)
発達障害などの一種なのだろうと思っているのだが、トレーニングや薬で改善することができるのだろうか。
悩みのような悩みじゃないような・・とにかく書き出せる増田があってよかった。
いわゆる大人のADHDなのではないかと思うよ。
ネット上のADHDの診断とかでは1/3ぐらいしか当てはまらないので、軽度のそういう症状なのかなと思っていました。
ギリギリで締め切りは守れるし、他人の話も聞けますが、両方共すごく苦労して獲得したスキルな気がしなくもないです。
プログラマです。
そのとおりですね。自分で気がついていませんでした。メモするようにします。
これも怖いなと思います。35年ぐらいこれで生きてきたので、別人になると思います。
私もあります!
自分の部屋とか通勤路に記憶をしていくっていうのをやってみたら驚くほどできました。
僕みたいな人は、記憶の仕方の勉強がたりないという可能性もあるのかな?
ほんとこれですね。30半ばになって、家族ができて仕事仲間も増えてやっと「あれ?俺っておかしいのかな?」と思うようになりました。
で、いざ親しい人や妻に聞いてみたら「気がついてなかったの?」と言われて驚いています。
僕はすごく普通でまともな人間だとおもってやってきていました。
みなさんの周りの「こいつ頭おかしいだろ」って人も自覚がない可能性ってすごくあると思います。
すごくわかります。海外の小説は人名が覚えられないのでメモ書きしながら読みます。日本人っぽい名前なら全然問題ないし、むしろ普通の人より読むタイプなのですが。
クツの中に入れる >ファッ!
靴の横だと忘れるのです
これのN-backやってみてー
こういうのは多分得意です。電話番号とかも覚えようと思えば覚えられます。
「覚えよう」と気持ちがなるかならないかの問題なのかもしれません。
こんなの絶対無理なので、ここ数年は「なにかのついでに」「次にコンビニに行く時に」ということは一切していないです。
まあやっぱりそうですよね。メモで改善できるところはしようとおもいます。
難しいのは、息子が水曜日の午前中に習い事に行っているのですが、私は常に「息子の習い事は水曜日だが意識しないと思い出せない」「今日が何曜日かわからない」という状態です。さらに「週に一度は習い事ででかける」ということも忘れています。なので朝ごはんの時に妻が出かける支度をしていると「今日どっか行くの?」と聞いてしまいます。
そこで、「今日は習い事でしょ」と言われて初めて、意識的に息子の習い事の曜日と、今日の曜日の2つを思い出して「あぁ、なんで忘れてたんだろう」となります。
妻も不機嫌になるのでいつも妻が出かける準備をしたりすると「これは僕が聞いたことある用事ででかけようとしているのか、それ以外ならどこに行くか聞いてもいいのか」とビクビクします。
自分も同じ症状。 予め仕組み化したことの打ち返し力はすげー高いんだよね。 自分のことだけならまだいいんだけど、PMするのには致命的な欠陥だということが判明したので半ば諦めている。 睡眠時間増やすと若干緩和す
悪い点ばっかり書くと悲しくなるので良い点も。
睡眠時間は重要ですね、私の場合8時間にするようにして集中力があがり記憶力もかなりましになりました。
仕事では、メールは「後で思い出したら返信する」ができないので5分以内に返信します。
さらに会議の内容は翌日には会議したことを覚えていないので、会議後すぐに議事録をつくり共有します。
あらゆる書類はどこに置いたか忘れるのでスキャンしてEvernoteに保存してあとから自分が検索できるようにしておきます。
名刺も電子化して、会議や懇親会・パーティー会場で知ってる顔を見つけたらすぐに検索できるようにしています。
やっぱりがんじがらめなところが書いてて悲しくなってきましたが、
これぐらい徹底的にやることで仕事は平均より多めの報酬をもらっています。
(同じ症状で仕事ができないと思っている人がんばろうぜ!私は企業内にいますが個人事業や社長などがむいているように思います。普通の組織内だと大変だとおもいます。)
やはりカバンには常に同じものをいれておいたり、日常使うものは必ず同じ場所に戻すようにしています。
さらに忘れそうなものは「忘れそうな物入れ」という箱に”絶対に”いれます。また大事なものも「大事なものいれ」にいれます。
その点は数年かけて徹底したので、物の置き場所を忘れても「あ、これは覚えてないけど大事な物入れにあるな」というところまでは思い出せます。
逆に、印鑑をポケットに入れて持ち出したり、保険証を財布に入れて持ち出したりすると本当にろくでもないことがおきるので絶対にしません。「大事なものを入れておく小袋」に入れて持ちだして帰ったらすぐに戻すようにしています。(書いてて悲しくなってきた)
仕組みでフォローするのが素晴らしい
やることリスト・・・Trello(https://trello.com/ )家族とも共有
メモ・あとで読む・・・Evernote(https://evernote.com/intl/jp/ )(寝る前の一連の手順、掃除の手順などもマニュアル化)
名刺・・・Eight(https://8card.net/ )有料プランで契約
ファイル管理・・・Dropbox(https://www.dropbox.com/home )
各種サイトのパスワード・・・1Password(https://agilebits.com/onepassword )
みなさん、コメントありがとうございました。励まされたり、一人じゃないだとか、自分の甘えにも気付かされました。
そしてなにより楽しかったです。
世界で一番乗降者数が多いらしい新宿駅。の、とある私鉄のホームの片隅の出来事である。
私が数年離れた小田急も、再び利用し始めて一年が経とうとしていた。
戻ってから実感させられたが、やはり私は物心付いた頃に生活の一部になっていた小田急に、愛着がある。
とはいえ、私はまだまだ若輩者である上、いわゆる「鉄道ファン」を名乗るには知識も足りないと自覚している。
自分が育つとともに小田急は、いろいろな思い出を私に与えてくれた。
一般的な子供と比べて、数多く電車に乗る機会があったこともその一因だろう。
自分の習い事も、父の仕事に相伴する際も、小田急に乗った。そして小田急に乗る度、1両目の一番前に齧り付いた。
そういえば、当時は運転士が前面のカーテンを降ろす理由が分からず、「そんなに子供に意地悪をしたいのか」と捻くれたこともあったと思う。
今となってはその意味を理解してしまい、ただただ当時の自分の未熟さを恥じるばかりである。
今から15年ほど前だったと思う。
疲れた父を引き連れて、当時自宅のあった小田急相模原駅まで各停で帰ろうとワガママを言った。
東北沢駅がまだ地下化はおろか改修すらもされず、2面2線(+通過線2線)だった頃。
通過待ちで止まっていた各停の中でも、ただただ前面で往く電車、来る電車を観察していた。
そんな私に運転士から声がかかる。「電車、好き?」といった感じのことだっただろう。運転士は、私と会話をしてくれた。
詳しい内容までは覚えていないが、子供だった私の心が非常に躍ったことを今でも忘れないほど、大切な思い出だ。
また、当時住んでいた小田急相模原駅は、各停と準急のみが停車する駅である。(※後に「区間準急」が新設され、停車駅に。)
それだけで、数の少ない準急がなんとなく特別な感じがして好きだった記憶がある。
(後に海外に旅立つ日、初電の「各停相模大野 相模大野から急行新宿行」なんてものに乗った時は、自分は非常に特別なものを味わっているような気がして、乗る前からワクワクしていた)
だからだろうか、後に夕方に新宿から一人で帰る機会が増えた時、あえて準急を待って帰ることが非常に多かった。
徐々に大人になっていき、前面への齧り付きもやめたが、それでも準急に乗って端の席で寝て帰り、たまに本厚木まで運ばれたりしていた。
そんなことをしていたから、新宿18:45という時間は私にとって非常に特別なものだったのだ。
感慨に耽ってしまって、まるで本題に移れない。そろそろ移ろうか。
友人と新宿で21時に約束をしていた私は、先の用事を早々に済ませてしまい、18時頃に新宿駅に到着することになる。
その時、電光掲示板にふと「準急」の文字を目にした。18時13分には、新宿駅4番ホームから町田行きの準急が出発する旨が記されている。
そして、3月ほど前から話題となっていた「夕方準急の急行への変更」のトピックも、ふと思い出す。
― 期せずして、"別れを告げる"機会を得たのではないか
そう思わずにいられなかった。
手持ちで写真を撮れるものはiPhone5Sのみという状態だったが、とにかく私は別れを告げることを決意した。
まず、18:13発の町田行きを数枚撮った。
しかし、既にこの時点でホームには数人、写真を撮る人が構えていた。
18:14、定刻より少々遅れて電車は出発していった。
このとき、15時頃に鶴巻温泉駅-東海大学前駅間で発生した人身事故の影響で、ロマンスカーの運休及び僅かな遅れを持った状態で、こんな日を迎えたことを再認識。
小田急新宿駅の18時台といえばロマンスカーも席が全て埋まるような時間であり、ロマンスカーが運休となってしまうと急行ホームには人が溢れ返る。
普段と変わらぬ日常を過ごしている人たちにとってみれば「災難な日」なのかもしれないな、などど心の隅で思った。
町田行きの準急が帰途に就くと、5段ある電光掲示板の一番下に、目当ての列車が現れる。
これを見た瞬間、私はなんとも言えない気持ちに包まれた。
ただ必死に、1本電車を見送る度に上がってゆく電光掲示板を見つめ、また写真を撮った。
そういえば、昔は向ヶ丘遊園での退避なんかなかったなとも思った。後続の快速急行からは新百合ヶ丘まで逃げ切っていたはずだ。
当然、向ヶ丘遊園で抜かさなかった時代の快速急行はノロノロ運転必至だっただろう。
効率を考えて、後にダイヤが改正されたのも当たり前の話であるのだが、なんとなく悔しいと思ったことがあった気がする。好きだった「準急」の自宅までの所要時間が、伸びてしまうのだから。
いくら好きと言っても早く帰りたいと思う気持ちは無いわけではなかった。
結局のところ、末期には向ヶ丘遊園・新百合ヶ丘・町田・海老名と、終点までに後続4本もの急行に抜かされるものとなる。
始発新宿を18:45に出て、相模大野まで60分、終点本厚木までは80分もの時間をかけて辿り着く。
これらの駅への最速達列車との比較をすると、およそ2倍ほどの時間をかけていることになる。
時の流れは案外早いもので、少し待つと本厚木行きの準急は5番ホームに到着した。
到着前、他の列車よりは少ないながらも、この電車に乗るために並んでいた大勢の人を見て、なんとなく嬉しくなった。
この頃、「撮り鉄」と呼ばれる人たちもたくさん見受けられた。
明日は、十数キロ東に行けば、南北を結ぶ大革命が起こる。そんな日。
それでもここ、小田急新宿駅に足を運び、この「準急 本厚木」を撮るたくさんの人を見た。
そんな人々は、小田急にどんな想いを抱いているだろう。問いたかったかもしれない。
18:45の準急が到着した時、私は新宿駅ホームの西口地上改札側にいたが、少々人が多かったので南新宿側に移動することにした。
しきりに写真を撮る私を横目に、運転士の一人が別の一人に「なんですかこれ?」みたいなことを訊いていたようだ。
ベテランと見受けられる運転士は「今日準急本厚木最終日だから」と言っていた。
列車を撮ることに関して、運転士を始めとした鉄道会社の方たちも、快く思う人ばかりではないだろう。
しかし、少なくとも今日、撮影する行為を止められることがなかったことに関して、本当に感謝したい。
そんなことを思いつつビデオを構えた。
程なくして、耳慣れていながら、二度と聴けないであろう、放送が流れる。
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「準急本厚木行き、発車いたします。向ヶ丘遊園で快速急行の通過待ちを致します。」
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「Plllll.....5番ホームから 準急 本厚木行きが 発車いたします」
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たくさんの人を乗せて、本厚木へ向かっていった。
私は見送った。ありがとう。
そして、さようなら。
マザーテレサじゃあるまいし
親だって人間だもん、見返りが無きゃ愛せないってのは正論だよ、多分
不慮で出来た子供とかさ
育ててみれば可愛げが無いとかさ
色々不備不満はあるとおもうんだけどさ
多少さ、出来たって分かって産もうって思ったくらいの情があったらさ
子供の事、褒めてあげてください
あと、時々抱きしめてやるといいかもしれない
当然な事言ってんじゃねぇよ馬鹿毎日褒めちぎっとるわって奴はもう読まなくていいよ
多分クソ長いしくだんねーから
そうじゃないなくて時間があるならまぁ付き合えや
お前がどんな風にどんな親に育てられたかとか知らないし、考慮できないから言及しないけど
子供ってさ、親にされたこととか言われた事、思ったより覚えてるんだよね
お前に覚えがあるか無いかは知らないよ
少なくとも俺は覚えてるし、なんでか案外忘れられないんだよ
転んだ時に泣かなかった偉いねーって褒められたこととか
代わりに作ってって言われたカレー良くできたねって褒められたこととか
無言で首絞められかけたこととか
悪いけど何もないならあんたのことなんて愛してあげられないって言われたこととか
お前も俺の事を馬鹿にしてるのかって怒鳴られたこととか
あんたが居るからお母さんはこの家にいるのよって言われたこととか
小学校の天体観測で、なんでか一人だけノートパソコン持ってきて星座のサイトみせてくれたこととか
ゲームなんて買って来たら蹴り壊すって怒鳴られたこととか
結構親としてどうなのって疑問が尽きない感じの親ではあるんだけど、なんでか嫌いになれないし
どっかで野垂れ死にしちまえなんて、間違っても思わないし
もしも自分の何かを差し出せばそれを保証してやるって言われたら、多分俺は大体の物を差し出せるんだと思う
腕とか足とか、金とか、まぁ命とか言われても困るけど
それで家族が納得してるなら、いいかなって思うのよ
でもね、時々ものすごく憎いと思うことがないって言えばうそになる
俺さ、あんまりまともに褒めて貰った事が無いのね
覚えてないだけかもしれないし、だとしたら物凄い失礼な話なんだけどさ
上に書いたみたいに、転んで泣かなかった時とか、カレー上手に出来たとか、
手放しで褒められたことって十回くらいしかないのよ
ふと気づいて、すげー死にたくなった
俺、褒める価値も無い奴なんだー
衝撃だよね
思春期まっただ中 変な万能感でたぷたぷしてたところに、驚愕の事実
俺は親に褒められる程の価値も無い奴らしい
それまでは成績などという数字では表わせない価値が自分にはあるはずだとか考えてたのに
両親っていう恐らく最も身近な存在ですらその価値を見出してくれていないよー
丁度受験前で親もカリカリしてた時期にそんなこと言ったの今となってはホント馬鹿だなって感じなんだけど
俺もその受験の当事者だったし 自信とか自認とか承認欲求とかあった訳ですよ
親の回答がこちらです
「褒めろって言うけど、お前は褒められるだけのことをしていない」
まじかよー 確かに数学3点だけどナイーブになってる受験生にそんなズンバラバッサリ言うんじゃねぇよー
流石に更なるショックを隠せなかったよね
そっか つまり俺は今までの人生、ずっとずっと、褒められるだけのことをしてこなかったのか
十数年 そこそこ手を抜いてはいたけど、それなりに人並みでやれることはやっていたつもりだったが
ちなみにそのあと現代文と古文で学年一位取っても褒められなかったからね
まぁ褒めて貰えねぇわけですよ 23点とかやべぇしな
流石にその辺りで、「あ、うちの親褒めるの無理な人なんだな」って気づいたんだけど
ちゃんとそれなりに大事にしてもらってるよ
産んでもらったし飯も食わせて貰ったり一杯世話掛けたし一人部屋も貰ったし学校にも行かせて貰ったし
習い事もいくつかさせてもらったし本や漫画も買って貰ったし下らん映画に付き合って貰ったりもしたし
服や布団で困ったことはないし文房具やノートだって切らしたことはないし今だって沢山心配して貰ってる
でもさー 今の世の中の何が世知辛いってさ
ちょっと辺りを見回すと「模範的な家族」みたいのがいっぱいあってさ
どんな家にもそりゃ大小ほころびや至らないところはあるんでしょうが、
家族はどんな時でも助け合うとか
親は身を挺してでも子を守るとか いつくしむとか 愛するとか
なんかそういう綺麗なものが当然みたいに転がっててさ
それと自分を見比べてみて、あれってなる子供がどれくらいいるんだろう
あれっ、もしかしてオレんち何か変じゃね?
いつくしむとかあんまり無くね?
「お前は最高の息子だ」とか
えっその台詞で救われるの?
じゃあ多分一生そんなことは言って貰えない俺は一生救われないの?
そっかー救われねぇのかー
じゃあ生きてる意味あんのかなー? なんて子供は思ったりするわけだよ
別にね、親に認められなきゃ生きてけないとかそんな甘ったれたこと言ってるわけじゃないよ
成人してんのにいつまで親の昔の事をって言われたらぶっちゃけぐうの音もでねぇし
でも、少なくとも俺は親にとっとと死ねとか縁切ってくれとか言えないしさ
じゃあ親が死ぬまでどうやってもそこそこ付き合ってかなきゃいけないわけでさ
俺はいいのよ もう何か慣れたし
でも俺が慣れてたって親は俺に慣れてくれないしさ
残念ながらあなた方の子供はあかん奴ですつったってそんなん認められないのまぁ分からんでもないし
何でお前はそんななんだって言われても俺はどうしようもないし
そんなに育てたのアンタらじゃねぇかとはちょっと言えないし
稼ぎはまだ無いけど、そこそこ自活できるように頑張ってる、つもりで
それだけじゃダメなのかよ無茶振りすんな とか、さすがに畏れ多くて言えないし
残念ながら俺は頭が悪いのね 厨二こじらせてるともいうんだけど
人の顔は覚えられないし、便所掃除の方法も覚えられないし、指示語を読み取れないし
冗談の意味がわかんねぇし、応用が効かないし、いまいち他人に感情移入が出来ないし
そんなだから実家帰ってきてもあまり上手に家事の手伝いやらは出来ないのよ
多分店先に立つようなバイトも無理だなってんでそれなりに仕事を選んでんのよ
親はお前それやべぇよって思ってるみたいなんだけど
俺はそんな深刻な事だとは思ってなくてさ
だって親にもまともに褒めて貰えなくったって俺はこの歳まで生きてきた訳で
今更他人にどう思われても別に死にはしないって分かっちゃってるわけですよ
そんなだから、時々なんでアンタはそんななんだと泣かれては申し訳ねぇなぁと思うんだけどさ
長くなってきたし何言いたいか分かんなくなってきたから纏めるんだけど
もしもここまで読んでくれた人で、
親になろうとしてたり、今進行形で親やってるよって奴いたら、
子供をちゃんと褒めてやってください
何にも無くても、多分探せば一個くらいはあると思うから
転んで泣かなかったとか、ちゃんとドアが閉められたとか
ちょっとでも成績が上がったとか、嫌いなもの頑張って食べたとか
ごめんちょっと思いつかないんだけど
何でもいいから、褒めてやってください
多分それがお子さんの何かをちゃんと築きます
別に叱るなっていう訳じゃないし、猫かわいがりしろとも言わんよ
変に増長するような褒め方も良くないんだろうし
その辺お前らの良心に任せとく
でも褒められるところを探すのは止めないでください
褒められなかったガキは多分、俺みたいになるし、そういうガキは親を泣かします
お前らも泣きたくはないと思うからさ
後、どんなに身体が大きくなっても、子供が嫌がらないなら抱きしめてやってください
もしも「俺も全然親に褒められなかったし、お前よりずっとヤバかったけど子供はきちんと育った」みたいな奴がいたら
俺はさ、多分子供は作らないつもりなのね
褒め方がね分からないのよ
もしも子供が出来たら、俺みたいな奴には勿論なってほしくないから
きちんと褒めてやって、駄目なことはちゃんと叱って、どうしても駄目なことはきちんと受け入れてやって、
ってすっげぇ妄想したんだけどさ
どうやって褒めてやればいいんだろう、何て言ってやればいいんだろう
褒めて、でも一言付け足して、みたいなことをしてしまって傷つけてしまったらどうしよう、とかね
虐待は繰り返すって言うけどアレマジなんだなってびっくりしたわ
これは駄目だ 時代が回るだわこれって思って
だからさ
もしも子供がいるならさ、もしもその子にちゃんとした子に育ってほしいなって思うならさ
一杯褒めてやってください
もしもお前が褒められないなら、お前の代わりに褒めてやれる人を探してください
旦那さんでも、奥さんでも、義母でも義父でもお前の両親でも、兄妹でも
出来れば家族が良いけど、無理なら近所のおばちゃんとかでもまぁ、いいから
お前はちゃんとそこそこ生きてていいんだぜって教えてあげてください
ここまで読んでくれてありがとう
暇なの?
追記
なんかすげー反応色々ありがとう
予想以上に一杯あって正直どんびきしてるんだけど、暇な奴多いみたいで俺はちょっと嬉しかったです
長いのはほんとすまんな
あと障害とか病気とかアドバイスとか有難いけど俺のことより自分の事に専念してくれていいよ
こっちはこっちでなんとかやってくんでそっちもがんばれ
3人姉弟の片田舎育ちで、平凡に暮らしていた。田舎にも種類があるけれど、イオン的な郊外型ショッピングモールがあって、公立に行ってなんぼ・私立はバカが行くところだ系田舎。
親子と祖母と暮らしていて、小さい頃は親戚と遊んだり家族旅行に行ったりもした。
異変は小学生の頃。中学生の姉が父親と喧嘩したらしく次第にギスギスし始めた。何年か経って聞いたところによると、姉の何かしらの行為に腹を立てた父が姉を投げ飛ばしたらしい。
私にも似た経験がある。あまりにも些細すぎてその片鱗さえ覚えていない。が、何かしらの悪さを私は働いた。穏やかに諭す父。まだ10歳にもならなかった私は「歯を食いしばれ」の言葉に素直に従いゲンコツ一発を頂戴した。当時はただただ驚いていたが今なら言える。対価でかすぎだろ。
姉は父と距離をとった。洗濯物どころか食事さえ別室でとった。
私も思春期さながらの「お父さんキモい」発動。昔からどこか冷静だったから、「思春期だから仕方ない。この感情に従おう。あとに残すとややこしい大人になるし」と自分の感情のままに生きた。
しかし何年経ってもそれは続いた。高校を卒業しても、成人を迎えても、働き始めてからも、今も。
大学は地元を離れた。その時やっと父を人として見る余裕ができた。
別に暴力的なわけでもなく(上記のあれは一度きりだし)、お酒もひどくないし、タバコに至っては吸わない人。
それまではとにかく嫌で嫌で、話すのも見るのも見られるのも同じ空間にいることさえも嫌だった。離れたかった。
物理的に距離ができたことによってマシになった。
祖母の葬式で久しぶりに会って少し話したが「ああ駄目だ」と思った。近づくと無理になる。家族だからといってなぜ同じ家に住まわなければならないのか。本能的に無理なのだ。いやしかし、単純に姉の影響なのかなとも思う。それでいて父との関係修復に恐れを成しているのだ。よくわかんないけど言葉にするならそんな感じ。思い込みの激しいところが昔からあるから。
家族主義のこの国においては、いやきっと地球上どこへ行ったって、非難の対象だろう。面倒くさいから死んでほしいよねと姉とたまに話している。母の前では言えない。
何かの時に父の話を母とした。母は「嫌いだとは思うけど、まさか死んで欲しいと思っているわけじゃないでしょう?」と冗談っぽく言う。ごめんね、私達そんなにきれいじゃない。
大学の時両親は離婚した。よく、離婚の原因がわからないという男性がいるが、女性の気持ちはポイント制という例えがしっくり来るのではないだろうか。母に尋ねると「確かに好きで結婚した。けど、昔からなんかこの人変だなと思うところがちょくちょくあった。その小さな積み重ねの結果だよ」と。父は病院に行くほどでは全くなかったが精神不安定な面があったようで、私が大学に入ってしばらくした頃に母と口論した際、最終的に包丁を持ち出してきたのだという。
ちがう。父を嫌いな自分を肯定する材料が欲しかっただけだ。腹を立てるパフォーマンスだった。
実際、再婚した母が旦那さんとの時間を優先させているのを見ると、すごく腹が立った。自分勝手な上に子どもだ。もっと親に甘えれば良かった。なぜだか上手く甘えられなかった。気を回す必要など全くなかったのにいつも気を回していた。勉強をしろとか、なんにも言われなかった。自由に習い事もさせてくれた。困ったら助けてくれた。優しかった。
甘えられなかった自分が悪いのかな。
外見だけ大人になって、中身はずっと子どものまんま。無責任で身勝手で自分のことだけ考えてて自意識過剰の厨二病。
なんで産んだんだ。
ずっと虚しさでいっぱいだ。
先日、娘が生まれた。
少子化とか、子どもは経済的に難しくて、とか、保育所がなくて、とか、色々言われてるよね。
でも、実際生まれてみて知らなかったこととか驚いたこととかあるから書いていくよ!
妊娠がわかれば自治体の保健センターに母子手帳をもらいにいくんだ。
何回か知らないけど、30 回分かもっとかくらい?
これを提出すればタダで診療を受けられるんだ。
これが 42 万円とかそのくらいもらえる。
病院が直接健康保険のおおもとに請求するので、自分で窓口でたてかえる必要は全くない。
もし、42 万円を超えると、その分は自分で払わなきゃいけなくなるが、まあ、順調ならほとんどない。
妻の退院時、窓口で支払った額は 1 万 2 千円ほどだった。
薬を処方されたりで、通院チケットとか出産一時金の効かなかった分、もろもろ全てあわせて、
この 10 か月ほどで病院に払ったお金は合計で 3 万円くらいだった。
半年以上も 1, 2 週間に 1 度通院して、7 日くらい入院して分娩して、自己負担たったの 3 万円。
ペットショップの犬のほうがよっぽど高い。
今朝、出生届を出してきた。
この市は小学校 3 年生まで。
春に引っ越す予定なんだが、そこでは中学生まで負担してくれるらしい。
ほんと、妊娠してから中学生まで、病院に払う額はまじで 3 万円だけでいいってことだ。
すげえな。
これはまあ、普通にかかる。
チャイルドシートも 1 万 3 千円くらい。
哺乳瓶は 1000 円しない。
生まれる準備から、1, 2 年くらいで、10 万ほどで足りるんじゃないかと思う。
初期投資が痛いと言えば痛いが。
オムツも 90 枚で 1400 円くらい、ミルクも 2, 3 週間で 1000 円くらいだ。
「人が一人増える」、ってイメージより全然かかってないことに驚く。
猫飼う方がお金かかるかもしれん。
年齢にもよるけど、毎月 1 万円から 1 万 5000 円くらい普通にもらえる。
これ、上記の食費とか消耗品うんぬんを見てわかるとおもうけど、この児童手当もらえば乳幼児期ならプラスになるんじゃね?
自治体によってほんと色々あるらしい。
子育て支援カードのようなものを渡され、スーパーで提示したら数パーセントオフとか。
うまく使えばすごい助けになる。
無償化が始まっている、って聞いてたけど、調べてみるとこんな感じ。
子供ふたりいたら、年収額面で 910 万とか、それを超えるくらいまでは無料らしい。
超えてても、授業料は月額 1 万円程度らしい。
年間 11 万でいいのかな?
負担っちゃ負担だが、これが理由で子供を産めない! とはならない程度の額よね。
東京とか、京都とか、私立にいれなきゃ死ぬ、って地域は、そもそも公立高校なんて見てないからちょっと苦しいかもしれないね。
でも、通常の田舎地域は、たいていの場合県で一番の進学校は県立高校だから、がんばってそこに押し込めば大丈夫でしょう。
問題はこれだよなあ。
学資保険に入ると、うまくやれば貯金するより率はよくて、30-40 万程度儲けられるらしい。
260 万払って 300 万返ってくる。
国立でも年間 52 万を 4 年間、入学金を入れても 300 万近くは貯めておかなきゃならんね。
俺も嫁も、大学は国立なので、娘にも国立に入ってほしいところ。
なしではかわいそうだが、つぎ込む必要もまったくないよね。
悩ましいところ。
俺の嫁は、ピアノとか習い事をがんがんさせて、塾もすごい通わせて嫁も中学から私立だったわけで、かなり金をかけて育てられている。
俺の家は、音楽教室とかプールとかは行ったけど、塾もほとんど行かず、ずっと公立育ち。
音楽とかスポーツとかはある程度お金に余裕がある範囲でさせたらいいかもしれないけど、絶対いくらいくらはかけなきゃまともな子に育たない! とかはないと思う。
専業主婦養えるほど高給、ってわけでは全然ないのだけど、嫁は倹約家で浪費はまったくしない。
不安になるほど欲がない人。
食費も、嫁がちゃんと料理したらかなり安くすむ。
俺の収入じゃ、東京なら専業主婦は無理だけど、田舎県の県庁所在地程度なら専業主婦オッケーなので保育所いらず。
保育所がー、女性への助けがー、というのも少子化対策では非常に大事だけど、土地に縛られない人なら、生活費が半額になる地域に引っ越してしまうというのも、悪くない手ではあるよね。
まあ、田舎は仕事がないってのが問題ではあるけど、土地を選ばない仕事を身につけることで解決はできると思う。
マスダに記録する。
韓国は、10才から18才までとにかく大学受験の試験勉強のマラソンが始まる。
この4年間でとにかく詰め込んで詰め込んで習い事させる。
そしてそれは、課外授業という形で学校の中で行われる。
これは社会人になってからもそうで、朝の出勤前に英会話スクールで
1時間の塾に通っている人も多いそうだ。
そして、できあがるのは、
頑丈で、早く、元気な人間。
相当な学力成績を残して帰ってくる。
之以外には無い。
ホワイトカラーとで、社会的立場が明らかに違うのもおもしろい。
興るようで、彼らはディスリスペクトされる。
情報処理をすることには長けていても
イノベーションを興したりすることは不向きだそうだ。
美しい髪をつくる美容師、さまざまな職種がリスペクトされている場合がある。
GPS(これは米国の技術)、翻訳機能、匠の技から生み出される工学機械は
両者では、労働の質が違うと言える。
いやこれはさすがに言い過ぎた。そういうわけでない。
正確に言うと、
粘り強さがなく諦めが早い弱点がある。
付加価値を創造するには、日本人的な面も必要であると言いたいのだ。
ハードワークに耐えうる体力を持つ。
子供の習い事の為に毎週イオンに行くのだけど、その度にゲームコーナーに寄るのが恒例になっている。
先週たまたま娘がプリキュアのカードゲームがやりたいというので、
比較的店の隅にあるカードゲーム(流行りの妖怪やアイカツは別の位置)コーナーに行った。
子育て世代が多い地域なので、ゲームコーナーもやり込み系の人は普段殆どいないのに
最初はプレーしているのが、中学生ぐらいの男子だったので、周りにいるおっさん達は
保護者だと思っていたのだけど、(子供と大人が半々ぐらいの6人グループ)
すぐに違うとわかった。
公共の場なので音量こそ控え目なものの、プレイヤーへの罵倒が始まり、
プラスチックのケースの角で頭を小突き、座っている椅子を蹴り上げる。
思わず店員に通報しそうになるも、こちらはまだ幼稚園の子連れ、
相手はどうみても40過ぎで中学生をたかがゲームで殴るキ◯ガイで
とりあえず彼等は良く見るとお揃いのパーカーを着ており、
ロゴに書かれた文字をググったら、このゲームのチームとやらのブログがすぐに出てきた。
何より怖かったのは、殴られている子の隣にどうみても殴っている40男よりまだ更に年上っぽい男性が座っているのに
止めもしないだけでなく、40男が両替でいなくなった時に、殴られてた子を慰めるわけでもなく、
全員黙ってカードを眺めて彼の帰りを待ったままだったこと。
ゲームごときで中学生殴る男はクズ間違いなしだが、それを黙って見ている男はもっとクズ。
殴られてる子は早くゲーム事態をやめて、そんな大人と関わるのを辞めなさい。
アイカツをする大人の男性も同じゲームコーナーで見たことあるのだけど、申し訳なさそうに、子供の邪魔にならないように気を使っていて非常に好感が持てたのだけど。
わかりきっているけど、やっぱ低い。
やって思ったのは、選挙に関わっているのは、みんなおじちゃんおばちゃん以上。
選挙のバイトに応募するのも、運営するのも、来るのも、みんなおじちゃんおばちゃん以上。
土地柄とか、配置された場所とかもあるのかもしれないけれど、市役所から応援にくる職員もおじちゃんおばちゃん以上なのは、なんだかなあ、と思った。
閑話休題。
年齢を気にせず仲良くするのだが、みんな見事に政治に興味が無い。
というか、新聞に載っているようなことには、ほぼ興味が無い。
家に集まって、飲んで泊まった明けの午前中。
みんなボケーっとしてるから、取り敢えずテレビをつけているんだけど、やってるのはニュースぐらい。
ボケーっとするぐらいなら見りゃいいのに、全員みない。
選挙期間も、住民票移したばっかで遠隔地投票になるやつは「めんどくさいからいいや」。
確かにめんどくさい。気持ちはわかる。
でも、それでいて先日「何で選挙したのに消費税あがんの?」とか「消費税上がって生活良くなるんならいいけど」と言っていた。
多分、そいつはこれからも政治ニュースとかに触れないまま、次回も投票に行かないで、政治への不信感を持ち続ける。
他にも「期日前も仕事で行けないわあ」と言いつつ、そもそも行く気がなかったりとか、俺がTwitterで選挙のこととか呟いてると「難しいこと呟くよね」って言ってたりとかする。
ああ、本当に興味ないんだなあ or 信用ないんだなあ、と思う。
別に、悪い、って言ってるわけじゃない。
ただなんとなく、これ大丈夫? と思った。
母はわたしを生まなければよかったと言った。わたしが中学一年の春だった。私立中学に入り、馴染めなくてすぐ不登校になって、逃げ出したわたし。逃げた先は玄関で、ドアの前、押し倒されて、ぐっと絞められた。頭がチカチカして目の前が白くなる。もがいてようやく放してもらえたとき、わたしも母も泣いていた。
わたしの人生はたぶんあそこで終わったのだと思う。
まず、どうにも生きている実感がない。
わたしはいわゆるオタクで、しかも喪女に分類される。オタクだ喪女だ、とバカにする人は数多くとも、それなりに楽しいことができていると思う。ツイッターでアホのようなことを垂れ流しているときは頭を使わなくてすむし、ばか笑いができる。楽しいと思う。
ただ、実感がない。本当にこれがわたしなんだろうか、という感覚がある。普段から猫を被っているせいもあり、ツイッターとのギャップが激しい、とは言われるが、果たしてSNSでばかな話をするわたしとは一体誰なんだろうか。それは本当にわたしなんだろうか?では、現実のわたしも同じわたしなのか?実感がない。
色々あって大学に行くことはできた。奨学金を借りて通っている。そこそこ裕福な家庭で、色々な習い事をさせられ、常識と呼ばれるものを詰め込まれてわたしは作られた。
けれど生まなければよかったと言われた。言われたのはもう10年近く前のことなのに、わたしはまだあの言葉を引きずっているし、ここまで作ってもらったけれど、たったひとつのあの言葉を思い出すだけで、結局終わっている人生なのだ、と思ってしまう。
母はわたしを生まなければよかったと言ったが、5つ下の弟に対しては生んでよかった、と言う。前述のとおりわたしは猫を被っていて、現実でもSNSでも実感というものがわかないから、周りから何を言われても「どうせ嘘なんだろうな」「どうせ自分なんて」と思ってしまう。だからせめて、わたしを生んだひとであって、どう向き合っても本当のことを言わざるを得ない親からぐらいは肯定されたかったのだと思う。弟のように。同じ親から生まれたのに、わたしはでき損ないで、弟は優秀なのだと言う。わたしのように歪むこともなく弟は健康的に育っていて、みんなから愛されている、とわたしは見ていて思う。わたしは人に恵まれているけれど、それがイコール愛されていることだとは思えない。
誰でもいいから愛されたいし、誰かに肯定がされたい。わたしの終わってしまった人生はきっとまだやり直しがきくはずで、けれど他人に何かを求めないとはじめられない、と思っている現状が変えられなければ、終わったままで死ぬんだろう。
大学時代、海外旅行はよく行っていたが英語を勉強したいと思ったことは一度も・・・無かったと思う。
高校の時アメリカにホームステイする企画があって、周りの友人が何人か行って英語やアメリカに感化されている時私は「彼氏と離れる方が嫌」と視野の狭い恋愛脳だった。
大学を卒業してちょっとニートな時期、「あ〜もう死にたいなぁ」とスレスレの時、超ポジティブな母親から習い事でもしてみるといいと言われ、格安英会話に通う。
そこでは英会話を嗜むご婦人がたくさんいて、いろいろ吸収した。
英会話と言ってもマンツーマンではなくグループレッスンだったので一人の持ち時間は数分の時も。それでも全く興味がなかった私からすればかなりの進歩を遂げたと思う。
そこで知り合った友人、そこから広げた輪はどんどん勢力を増し、今周りにいるのは英語や外人さんが好きな人ばかり。
見た目B系やクラブで踊るパーリィ系ではなく、一見外人になんて興味なさそうな人達ばかり。
そんな輪に入って4、5年。 本当に外専は多くなったなぁと思う。
色んなパターンの外専軍団が居るんだろうけど、私の周りは本当に普通の人達ばかり。
はっきり物事を話したり、遠く離れた日本に来る位の視野の広さを持った横並び安定志向ではない空気を持っている彼らを好んでいる。
〜〜の日本人妻や行ってみたらこんなところに日本人・・・など、今この手のテレビ番組が多いように思う。
英会話で働く知人に聞いてみたところ、この番組を見て「外国に住みたい」「外人と付き合ってみたい」と女性の生徒が増えているとか。
面白いなぁ〜と思う反面、外専の人口が増えるのは非常に困る。ただでさえ外人さんはモテるから遊び倒してる人も沢山いるわけで、良い人を探すのは日本人でもどこの国相手でも難しい事。
母親の家庭には問題があったようだ。母は姉妹の姉だった。私にとって叔母の妹は、容姿が母より整っていて美人だった。母は私に、父親(祖父)が妹(叔母)ばかり可愛がり、習い事をなんでもやらせていたのに自分は何もさせてもらえなかったと言っていた。
父親(祖父)は酒癖が悪く、飲むと暴れて殴っていたようだ。その度に外に逃げ出さなくてはならず、本当に父親が嫌いだったと、何度か聞いた。
叔母は統合失調症にかかった。祖母もその気があり、子供の頃良く、私の悪口を言っているだとか、物を盗んでいくだとか話していて全部信じていたがあれは被害妄想だったんだ。母はそこまで酷くないと思う。でも正直分からない。
母と祖母は親子なのに仲が悪く、10年近くは話していない。
ひとつ嫌になると何もかも嫌になる僕はまた家から出られなくなった。
4限の授業はおそらく中間テストがあるので行かなきゃまずいなあと思いながらこれを書く。
大学生になった今、中学高校を思い返しては「あのときああしていれば」「ああするんじゃなかった」と思っている。
思い返せば、高校生の頃は「中学の時ああしていれば」中学生の時は「小学生の時ああしていれば」と思っていた。
そんな考えは何も生み出さないことはよーくわかっている。
だけど、そう考えずにはいられないんだ、いつも、なぜか。
毎日30分くらい弾いていた。嫌いなわけではなかったけど特別好きなわけでもなかった。
たぶん親にやるように言われていたからやっていたんだと思う。
中学生の部活で、オーケストラ部に入った。そこでバイオリンを始めた。
オーケストラ部の中には、ピアノが上手い人がたくさんいた。自分なんてヘボだった。
それまで近所や自分の出身の小さな小学校の中では多少うまい自信はあったけど、そんなの比べ物にならなかった。
聞けば毎日2時間とか練習していたらしい。絶対音感もある。和声やなんちゃらもよく知っている子ばっかりだった。
好きで、楽しくってやっている感じだった。
でもそのとき僕はそんなことには気がつかなかった。
そのとき僕は「小学生の時もっと真面目にピアノを練習していたらなあ」と思った。
「なんでもっとちゃんとやらなかったんだろう」と思った。
それからオーケストラ部で5年間(中高一貫だったのだ)バイオリンを弾いた。
大学オケの中ではそこそこの伝統がある方からなのか、(アマオケなんでたかが知れているが)レベルが高い良い環境なオケだ。
中高では比べ物にならないくらい、すごい人がいた。ほんとに学力でこの大学に来たの?と思うくらいの人が普通に居る。
自分は13歳の頃から部活でこのバイオリンを弾き始めたけど、高校始めとか、大学はじめの3年生のとかの方がよっぽどうまかった。
そう、お察しのとおりここでもまた僕は思ってしまったんだ。
「中高生の時もっと真面目にバイオリンの練習をすれば良かった」
「なんでもっとちゃんとやらなかったんだろう」
「あの5年間もっと真面目に取り組めば良かった」
自分のために言い訳するならば、確かにこの5年間も真面目に練習していたわけではなかった(と思う)
オーケストラ部は小さなゆるい部活で、はじめの1年こそ先輩に時々見てもらえたものの後はただ個人で練習して合奏をして発表をしていた。
大半の部員は部活より趣味やらほかの習い事と両立したくてこの部活に入っているようなもんだったから、切磋琢磨する雰囲気なんて、正直なかった。サボりたいやつは勝手にサボり、練習中もお話している方が楽しかった。
だけど、たしかに友達の中にはぐんぐん上手くなったやつもいた。上手くなりたいやつはレッスンに通ったり地元のジュニアオーケストラに入ったり、独学で上手くなっている奴もいた。
僕はたしかにバイオリンの練習をするのは好きで、部活にも真面目に参加していた方ではあったと思う。
でも、そういう積極的な人たちを「すごいなあよくやるなあ」と思いながら何もしなかった。
…なにか矛盾している気はするけど、自分はそういうスタンスだった。
僕は、そういうぬるい環境の中で生きていた今までとは違い、真面目に練習したくてこの大学オケに入ったのだ。
実際入部してからもう半年以上経ったわけだけど、それなりに真面目にやってきたのだ。
だけど、練習するにつれ、他人とのレベルの差に嫌気がさしてくる。
そのたびに思うんだ。「中高のときに真面目に練習していれば」って。
過去を考えてもしょうがない。いまできないから、できるようになるために、練習するのにね。そんなことは分かっている。
だけど、どうも、そんなうまくいかないのだ。
そうしていま家に引きこもっている。
タイトルは広く付けちゃったけど、書くにつれ音楽の話に偏ってしまった。いま自分の心を占めている話題がこれだからだろう。
だけどこの話題に限らず、僕はどうも「ああしていれば」と考えてしまいがちのようだ。
今うまくいかない原因を、全部過去のせいにして、逃げている。
だから僕はいつも自分の過去を肯定して生きることができない。どうりで生き辛いわけだ。
…音楽に関していば、もっと楽しむということをしたほうがいいんだろうけど、どうやったら楽しめるのか全然わかんないんだよな。
まあ、単に、向いていないのかもしれない。