2014-12-17

愛されたい、甘やかされたい

母はわたしを生まなければよかったと言った。わたしが中学一年の春だった。私立中学に入り、馴染めなくてすぐ不登校になって、逃げ出したわたし。逃げた先は玄関で、ドアの前、押し倒されて、ぐっと絞められた。頭がチカチカして目の前が白くなる。もがいてようやく放してもらえたとき、わたしも母も泣いていた。

わたしの人生はたぶんあそこで終わったのだと思う。

まず、どうにも生きている実感がない。

わたしはいゆるオタクで、しか喪女に分類される。オタク喪女だ、とバカにする人は数多くとも、それなりに楽しいことができていると思う。ツイッターでアホのようなことを垂れ流しているときは頭を使わなくてすむし、ばか笑いができる。楽しいと思う。

ただ、実感がない。本当にこれがわたしなんだろうか、という感覚がある。普段から猫を被っているせいもあり、ツイッターとのギャップが激しい、とは言われるが、果たしてSNSでばかな話をするわたしとは一体誰なんだろうか。それは本当にわたしなんだろうか?では、現実のわたしも同じわたしなのか?実感がない。

色々あって大学に行くことはできた。奨学金を借りて通っている。そこそこ裕福な家庭で、色々な習い事をさせられ、常識と呼ばれるものを詰め込まれてわたしは作られた。

けれど生まなければよかったと言われた。言われたのはもう10年近く前のことなのに、わたしはまだあの言葉を引きずっているし、ここまで作ってもらったけれど、たったひとつのあの言葉を思い出すだけで、結局終わっている人生なのだ、と思ってしまう。

母はわたしを生まなければよかったと言ったが、5つ下の弟に対しては生んでよかった、と言う。前述のとおりわたしは猫を被っていて、現実でもSNSでも実感というものがわかないから、周りから何を言われても「どうせ嘘なんだろうな」「どうせ自分なんて」と思ってしまう。だからせめて、わたしを生んだひとであって、どう向き合っても本当のことを言わざるを得ない親からぐらいは肯定されたかったのだと思う。弟のように。同じ親からまれたのに、わたしはでき損ないで、弟は優秀なのだと言う。わたしのように歪むこともなく弟は健康的に育っていて、みんなから愛されている、とわたしは見ていて思う。わたしは人に恵まれているけれど、それがイコール愛されていることだとは思えない。

誰でもいいから愛されたいし、誰かに肯定がされたい。わたしの終わってしまった人生はきっとまだやり直しがきくはずで、けれど他人に何かを求めないとはじめられない、と思っている現状が変えられなければ、終わったままで死ぬんだろう。

愛されたいし、甘やかされたい。許されたい。生きていてもいいのだと肯定してほしい。誰でもいいから

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