はてなキーワード: 生態系とは
それはまあ、屠殺場を即刻閉鎖するのは無理だよね。働いてる人もいるし。
(代用肉が安くなれば自然とそうなるという楽観視がないわけではない)
それもある程度同意できる。
人間は野生から始まって、炭水化物に依存した状態など、様々な栄養上の問題を克服してきたし、産業としての食肉文化から脱却することは可能なはずだ。
これは端的に事実だけど、同時にこれを理由として食肉文化に倫理的な利点を見いだすのは、マッチポンプであろうとも思う。
人間は家畜化した動物たちに明確な責任がある。彼らを野生状態に返すべきではないだろう。
一番の問題は、「食べるために殺す」ことよりも、「殺すために産まれさせる」ことだと俺は思ってる。
あと飼ってる猫とか犬に肉をあげないのはやめたほうがいいと思う。
それはそう。ジビエとか狩猟を俺は否定しない。交通事故で死んだシカとか、むしろ食ってやったほうがいいと思う。動物愛護系のヴィーガンには狩猟をやめろっていう人もいるからややこしくなるけど。
あと、野生の大型動物による生態系の破壊は、そもそも人間がその土地のバランスを崩したために起きてる場合が多いはず。
ヴィーガンは人間の幸福を減ずることを推進しようとしている。すなわち、人間の幸福を軽視している。なぜそうなのか? 貴方がたがありのままの人間を愛せないからだと思う。
他の種を搾取することによる一時的な幸福は正しくないし、必ず代わりが見つかると思ってる。
それはわからないし、ありのままの人間でいたいのもわかるが、そうするには人類は進歩しすぎてると思う。
ペット虐待反対運動なら、俺も賛成するよ? フェイクファー推進や象牙禁輸もまあゆるすわ。しかし社会的な肉食の禁止とは!自分と自分以外の他者の人生を嫌悪してないとその発想は出ないんじゃないか。
その間にあるのって「自分に利益があるかどうか」だけじゃない?
他の人のことはわからないけど、俺はハンコ作るために殺されるゾウは減ってほしいし、死ぬために生まれるオスひよことかにも減ってほしいよ。家畜たちにも幸せになってほしいんだよ。
>>無理である。
>努力はすべき。
よろしいでしょう。そこは同意できる。
強いて言えば、可能であるかどうかの線引きはしてくれないと困る。例えば「屠殺場の閉鎖」などという主張はダメだ。今はまだ代用肉の開発までにとどめてくれ。
>>失われるものが大きい。
>それが何かわからない。
まず人類の健康である。大豆とサプリ食ってればタンパク質は足りる、などという主張は「毎日20キロ走れば毎食マクドナルドでも太らない」に近い欺瞞だ。筋肉は健康の資本であり、ヴィーガン食は筋肉を減少する。すなわち健康を害する。
あと文化である。言うまでもなく料理は文化の重要な地位を占める。子牛が使えないフランス料理、寿司が食えない日本料理に何の意味が?また、代用食がそれらを担えるというのは楽観的すぎる。ハンバーグやサラミや溶けたチーズの代用食なら、まあ100年もすればできようが、しかし刺身は無理だ。分子アセンブラが必要なレベルだ。
そして上記二つによって重要なものが毀損される。人類の幸福である。
>>苦痛が消えない。
>そうだが、やる価値がある。
一定の同意が得られたが、ここでも程度問題で認識の違いがあるように思われる。「恐れ」ではなく、殺さないことで明確に新たな苦痛は生まれる。
例えば、蚕という虫は、いまや人間に家畜化された状況でないと生きていけない生物であるとして有名だ。実は多くの家畜というのはその水準に達している。牛、豚、鶏卵らは、野良に放されればたちまち絶滅する。
あと、兎、鹿、猪、熊、象、鯨などの生き物は、むしろヒトが狩らなければ生態系を破壊することがよく知られる。
>違うし
違うともちろん貴方がたがは言うであろう。
これは僕の持論だ。先に述べたように、ヴィーガンは人間の幸福を減ずることを推進しようとしている。すなわち、人間の幸福を軽視している。なぜそうなのか? 貴方がたがありのままの人間を愛せないからだと思う。
特に、今回やようなデモで極端な主張に走る人たちはそうであるはずだ。ペット虐待反対運動なら、俺も賛成するよ? フェイクファー推進や象牙禁輸もまあゆるすわ。しかし社会的な肉食の禁止とは! 自分と自分以外の他者の人生を嫌悪してないとその発想は出ないんじゃないか。
安心してちょうだい元増田ちゃん。あなたは死ななくていいわ。誤解なのよ。
あなたがどういう道筋でその“正しいヴィーガン”にたどり着いたのかはわからないけれど、私の知る範囲で(倫理的)ヴィーガンの主張のなかにその結論を肯定するものは無いわ。早まらないで。
功利主義に基づく倫理的ヴィーガンの観点から、あなたの誤解についてお答えするわ。
功利主義的には「苦痛の総量を減らす、または苦痛と快楽の収支がプラス(快楽が苦痛を上回る)になる」のが倫理的に良いことなのね。最大多数の最大幸福。
細かく言えば「苦痛と快楽」とは別の指標を用いた功利主義もあるけれど、動物倫理の場合はもっぱらこれ。
したがって、畜産において“飼育、屠殺による動物の苦痛”が、人類の得る利益(快楽または苦痛の低減)を上回る場合、“畜肉を食すべきではない”と判断できるわ。
逆に、動物の苦痛が人類の利益に比して十分に小さい場合、それは倫理的に許容されうるわ。
同上
ただし、たまごや乳製品はそれ自身が苦痛を感じる能力を持たないため、畜肉と比べると倫理的ハードルは低いわ。
例えばジャイナ教は非暴力が重要な教義の一つなので必然的に菜食主義だけれど、苦痛を与えずに絞った乳は飲むわ(ラクト・ベジタリアン)。
同上
衣料品の場合、動物を苦しめずに済む代替品が豊富にあるならば、あえて動物性の衣服を着るのは倫理的に肯定しがたいわね。
医薬品の場合、主に動物実験に関する問題ね。この領域は動物倫理的にかなりホットよ。
功利主義的な動物倫理においては、動物実験は必ずしも否定されないのよね。まあ論者にもよるけど。
動物実験における動物の苦痛と、完成した医薬品による人間の苦痛の低減。これの比較で後者が十分に大きければ正当化され得るってわけ。
もたらされる苦痛や死が“意思に反して”いるかどうかは、功利主義的には必ずしも重要ではないわ。
“意思に反”することで、苦痛がより増えるのであれば考慮に値するといった程度かしら。
例えば、糧を得る唯一の方法が狩猟であり、それをしなければ(人が)死んでしまう場合、狩猟による動物の殺害は倫理的に正当化され得るわ。
植物は(少なくとも痛みが神経系によって発生するという生物学的知見を踏まえれば)苦痛を感じないため、功利主義的には道徳的考慮の対象ではないのよ。
ちなみに、倫理的な考慮の対象となる立場を「道徳的地位(Moral standing)」と言うわ。
「何が道徳的地位を持つのか」というテーマは分野や論者によって異なっているわ。功利主義の場合、「苦痛を感じる能力を持つ」ことが道徳的地位を持つ条件ね。
厳密に言えば動物でも苦痛を感じない、例えば海綿動物(きわめて原始的な動物群。神経を持たない)、も功利主義的には道徳的地位を持たないと言えるのね。
また、道徳的地位は持つ/持たないの2択ではなく、強弱も存在しているわ。功利主義なら苦痛を感じる能力の程度ね。
例えばエビ1匹を殺すより、ヒト1人を殺した方が倫理的に悪いと判断できるわけ。
これは個々の人間にも適用でき、健常な成人を殺すより新生児や重度の知的障碍者を殺す方が倫理的に悪くない(もちろん両方悪いが、比較すればそうなる)。
功利主義者がリベラリスト(の一部)、特に障碍者支援者などから嫌われるのことが多いはこれが理由ね。
同上
命を奪うかどうかにこだわってるようだけれど、功利主義的に重要なのは苦痛よ。死は苦痛の一形態たり得る資格を持つというだけ。
自然破壊につながる水道水やミネラルウォーターを飲むべきではない わかる
んー?ここら辺は倫理的ヴィーガンよりも環境主義的ヴィーガンの主張に似てるかしら。
でも環境主義的ヴィーガンの場合、畜産や養殖(の一部)による環境負荷を語ることが多いから、ヴィーガンの主張としてはあまり見ないわねこれ。
水資源の利用による環境破壊はあるにせよ、この書き方だと曖昧過ぎるのよねえ。元増田ちゃんもうちょっと具体的にお願い。
なお、功利主義的に答えるなら、その営為で発生する苦痛が人間の快楽(または苦痛の低減)を上回らない限りOKってことになるわ。
地球温暖化に寄与している二酸化炭素は化石燃料などの地下資源由来で、地上で吸って吐いてした分はほぼ無関係よ。
陸上の炭素循環は(長期的に見れば)収支が釣り合っていたのだけれど、地下に封印されていた(炭素循環の外側にいた)分の炭素が放出されたことで、プラスに傾いちゃったわけ。
家計で言うなら年収200万円(手取り)で年間支出が200万のご家庭に、月々1万円の副収入が加わって年12万円の余裕ができましたって話よ。呼吸は年収に含まれ、支出は炭素固定(主として光合成による)で、化石燃料が副収入。
ちなみに、畜産による温室効果ガス放出(主としてメタン)への寄与はけっこうな割合(確かCO2換算で全体の約14~18%くらい)。あなたが牛ならゲップをやめるのは倫理的かもしれない。
全部わかる
あら?もしかして徳倫理学の方だった?功利主義は結果主義の一分野なので“気持ち”なんてほとんど関係ないもの。
徳倫理主義は、雑に言うと「動機が善ならば善」というもので、良かれと思ってやれば善であるっていう素朴な倫理なのよね。
最近は見直しが進んでるって話だけど、あまり勉強してないから詳しくないのよ。この分野。
呼吸し、水を飲み、命ある動植物を自然から奪い、貪る者は悪魔だ
みんな死のう
死なない者は悪魔だ
功利主義からはまず導かれない結論なので、やっぱり徳倫理主義なのかしら。
でも、良かれと思って“呼吸し、水を飲み、命ある動植物を自然から奪い、貪る”なら、徳倫理主義的には善なのよね。
ここまでは功利主義の観点から答えてきたけれど、やっぱり本人の倫理的観点も考慮しなきゃ片手落ちよね。
でも困った。元増田ちゃんがどんな倫理的基盤でヴィーガンになったのか、わからないわ。
最初の方の考えは倫理的ヴィーガンに対するよくある誤解またはジャイナ教当たりの非暴力主義とPlant thoを混ぜこぜにした感じ。中盤は環境主義っぽいけど問題視する部分がズレてるし不明瞭、後半はさっきも言ったけど徳倫理学っぽいけどなんか違う。
うーん、ネットからいろんな主張(誤解や曲解を含む)を集めてきてパッチワークした感じなのかしら。
ヴィーガンへのバッシング目的で書かれたなら「藁人形乙」で済むけれど、真剣に悩んでいるなら誠意ある回答が必要よねえ。
けっきょく“正しいヴィーガン”が何なのかはわからなかったけど、変な結論から脱却するための私的おすすめ方法を3つほど挙げてみたわ。
良ければ死ぬ前に試してみてちょうだい。チャオ!
辛いならヴィーガンなんてやめちゃっていいと思うの。割に合わないわ。もし心苦しいなら減肉食主義(Reducetarian)くらいから始めてみたら?
私も環境主義的観点(スパイスとして功利主義も一振り)からSemi-vegetarianやってるけど、あまり縛り無いから楽よ?
ヴィーガンからは偽善だなんだ言われるかもしれないけど、まあいいじゃない。自分が納得すればいいのよ。
(2) 勉強する
ヴィーガンやるなとは言わないけれど、何かしらの倫理的または論理的支柱がないと厳しいと思うの。
元増田ちゃんの考えを見るに、あまり一貫した基盤を持っていなさそうだし、環境問題についても詳しくなさそう。体系立てて学ばないと混乱して変な結論にたどり着いちゃうものよ。
いろんな視点、論者ごとに調べてみて、自分に合う立場のものを探してみるといいわ。まずは模倣からよ。
おすすめはピーター・シンガー。「すごいなあ。ぼくにはとてもできない」ってなるわ。
(3) 食生活的ヴィーガン(Dietary vegan)になっちゃう
食事だけヴィーガン。健康目的が多い。一番気楽なタイプのヴィーガン。動物倫理とかうっちゃってる(またはつまみ食い)。毛皮のコートも着ちゃうかも。時たまニセ科学に両足突っ込んでるから注意。
やめたいときにやめられるし、始めたいときに始められる。亜種として一時的ヴィーガン(Part-time vegan)なんかもあるわ。
「ちょっと一週間くらいヴィーガンになるかー」とかできちゃう。「それヴィーガンなの?」という気持ちに蓋ができるならおすすめ。
飼育、屠殺は動物を苦しめるから畜肉を食すべきではない わかる
同様の理由で動物を利用する衣料品や医薬品を使用するべきではない わかる
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意思に反して命を奪ってはいけないので狩猟された肉や魚も食すべきではない わからない
ここに一つの壁がある
狩猟された肉や魚を食べないのはその動物が絶滅する恐れがあるからであって、
肉食動物と同じように狩猟して肉を食うことに倫理的な問題はない
狭いところに閉じ込めて移動の自由を与えず、生まれたばかりの親子を引き離し、食べたくもない餌を大量に詰め込まれ、
生殖の自由を謳歌する前に殺されることがシステム化されているからだ
そしてなぜ植物食が許容されるかというと、植物の命を奪うかどうかではなく、
作物を育てて食べることが彼らの苦痛につながらないと判断できるからだ
もちろん植物の主観など分からないが、植物の生態系から論理的に考えればそうなる
食事や呼吸などエレメントの消費を否定してしまうと、生物そのものが悪ということになる。
そうなると「生態系」がそもそも悪の存在になるので、生命は全て滅ぶべきであるとなる。
生命が悪なのであれば動植物を根絶やしにすることが正義で、そのための方法としてベースとなる「環境」を破壊する必要がある。
現状の地球で「環境」を破壊し得るのは人類のみなので、人類はメシアであると言える。
実は論の展開が間違いで生態系を是とすることが本来の意図ならば、エレメントの消費は正当であることにすることになり、問題は消費の仕方となる。
動植物のおこなう消費を是と仮定する場合、人類がとるべきは死滅でなく、
・生態系の一部として「自然に帰る」(ルソーの言うものでなく、文字通り文明文化の放棄)
・完全に浪費/消耗のない完全環境を構築する
のどちらかとなる。
飼育、屠殺は動物を苦しめるから畜肉を食すべきではない わかる
同様の理由で動物を利用する衣料品や医薬品を使用するべきではない わかる
意思に反して命を奪ってはいけないので狩猟された肉や魚も食すべきではない わかる
同様の理由で採集することによって植物の命を奪う野菜も食すべきではない わかる
落ちた果実を採集することによって本来その栄養を得るはずだった生物の命を奪うことになるので食すべきではない わかる
自然破壊につながる水道水やミネラルウォーターを飲むべきではない わかる
地下水の利用は自然破壊につながるので湧き水は飲むべきではない わかる
川の水や雨水を利用するのは生態系に影響を与えるので飲むべきではない わかる
酸素を吸収し二酸化炭素を排出するのは生態系に影響を与えるので呼吸すべきではない わかる
全部わかる
呼吸し、水を飲み、命ある動植物を自然から奪い、貪る者は悪魔だ
みんな死のう
死なない者は悪魔だ
ご忠告ありがとう。確かに健康系の話題は似非科学的なものが多いですよね。
似非科学でなくとも後々になってから悪影響がでる、という類のものもあるので安易なことはできない。
この間も納豆の食べ過ぎで納豆菌が腸内細菌を全滅させてしまい、便移植するはめになった、という話もありましたっけ。
元増田の話も細菌を扱っているので、慎重になる必要があると思っています。
でも、話としてはめちゃくちゃ面白そうじゃないですか!
真偽はもちろん限りなくグレーですけど(元増田スマン!)、口内環境がどういう生態系をしていて、
どういう風に健康を維持しているのかを知る、いいとっかかりになると思いませんか?
あの規模の設定をまとめようとしたらたとえ30年時間与えられてもわちゃわちゃーとなってしまう気がするんよ。
でも一応形になってるじゃん。
定期的にアップデートが入って色々組み替えられたりしてるっぽいけど。
「超強いです!」←「それで?」
「えっ?!超強いモンスターがいるんですよすごーい!」←「生態系への影響とかは?」
「うーんまあ……近くに普通のモンスターは近づきたがらないですねえ」←「そんだけ?崇拝とかは?」
「えっ?モンスターっすよ?崇拝とかされないでしょ」
みたいなスッカスカの奴ばっかなのが駄目だと思うんですよね。
そういうの作り込みましょうよ。
別に作中に登場させなくていいですよ。
作り込んだ上で、作中で全部の設定を慌てて使い切るわけじゃなくて、でも誰かに見せれる状態にはなってる。
そういう世界観が欲しいですねえ。
調べればわかることだけど、「バランスが崩れない程度にとって食べる」捕鯨文化はIWCも認めてるどころか、むしろそうするように要求してたのを日本が拒み続けた、というのが問題。
日本の捕鯨が批判されるのは「絶滅危惧種を遠洋で捕るから」で、「鯨が頭いいから」はそれに付随する話であって全然問題の本質ではない。
シーシェパードが世界中から支援されて日本に来るようになったのも、絶滅危惧種の捕獲が世界中に衝撃を与えたことが原因。
数が減ったから獲る量を増やすとか、日本人でも鰻やサンマの例を出されたらわかるように水産庁がクソすぎるだけの話なんだけど、何故か鯨ではそこが話題にならない。
鯨肉の需要は一部地域以外にはほとんどなくて、消費しきれず在庫が積み上がるのをわざわざ税金を使って消化させてる実態がある。
つまり獲るのも食うのも、予算がもらえる水産庁しか得をしない構造になってる。
ネトウヨネトウヨ呼ばれ続けて、自分でもネトウヨだと思ってきたが、
何か最近、本当にネトウヨなのかどうなのか判らなくなって来たんで、ジャッジしてほしい。
・支持政党について:なし。ただ、記録の隠蔽・改ざんは、国民から判断基準を奪う行為で看過できないので、次は自民以外(多分、立憲民主)に入れる。もし自民党が2つの党に分裂したら、多分迷う。
・経済政策について:わからない。しかし、上がり続ける消費税と、遠ざかり続ける年金受給年齢と、負け続ける日本企業と、増え続ける国債残高と、全く示されない将来像を見るに、まともな経済政策が行われているとは思えない。政権ガチャを引きたい。
・原発について:反対。コスパとか技術力とかでなく、とにかく管理してる組織が全く信用できないし、事故は起こるもの、という認識なので。即時でなくても速やかに全廃に向けてロードマップを開示して確実に進めるべき。事故を問題なく処理する技術ができたなら、賛成に回ると思う。
・普天間基地の辺野古移転について:賛成。本来、普天間の街は米軍基地の周りに後から作った物なので、米軍に移れと言うのは筋が通らないが、街を移設する事ができないので仕方ない。本土移転については、米軍がそれでいいなら、その方がいい。
・移民政策について:反対。難民を人道的見地から受け入れるのならともかく、労働力不足解消のために受け入れるというのは、明らかに「対等な立場の国民を受け入れる」姿勢ではなく、将来に渡って酷い害を発生させるだろうと思うので。
・天皇制について:廃止すべき。皇族への人権侵害が酷すぎるし、「国民の審判や掣肘を受ける事が無い権力者」がトップにいるのは民主国家とは言えないと思う。
・女系天皇について:上の項目により、無い方が良い。但し、天皇制が存続するなら女系だろうが男系だろうが同じなので、そこに拘る事はない。
・慰安婦問題について:絶対解決しないので、後は放置しとく方向で。
・自衛隊について:軍なので、軍と呼ぶべき。憲法9条は国防目的の軍事力行使を認める方向で改憲するべき。現状追認が良いとは思わないが、実態と原則(憲法)の違いが大き過ぎて詐欺になってるし、原則の方には合わせられないと判断している。
・大きな政府か小さな政府かについて:小さな政府を目指すべき。年金とか国債とかの運用を見るに、大きな政府をやり切るだけの体制はない。
・親米か親中かについて:親米。たとえ米国のやり口にどれだけ不満があろうと、国民が政府を掣肘できるという一点のみで、米国の方が遥かにマシ。
・韓国について:恨みつらみがあるので仲良くできるとは思わんが、米中対立や対北朝鮮については概ね同陣営である事に留意し、ビジネスライクに付き合うべき。
・LGBTについて:恋愛は自由。ただし子供作らない人たちが結婚したがるのは、たとえ異性間だろうと図々しいと思う。ただでさえ一人暮らしより同棲二人暮らしの方が経済的に楽なのに、この上税制優遇を受けさせるべきではない。
・女性の社会進出について:進出は積極的にすれば良いと思う。医学部問題のような差別的扱いは話にならないが、アファーマティブアクションについては個々人の努力を蔑ろにするものと考えており、現状においては導入するべきではないと考えている。
もし女性側に強い問題意識があるなら、女性有権者が女性議員をガンガン当選させているはずなので、大多数の女性は大して問題意識を持ってないのではないかと薄っすら考えている。
保育園については、いっそ小学校と同様に全員入所くらいで良いと思う。
・第二次大戦について:侵略なんて大抵の国でやってるし、およそ戦時中ならば虐殺もレイプもどこの国でもやってると認識している。戦争をするべきだったとは思わないが、際立って悪かったとも思わない。普通の戦争と普通の軍隊だったと認識してる。無能だったとは思うが、無能もまた日本だけの話じゃない。
・原爆について:威力が大きい爆弾という以上の意味はない。原爆で死ぬのも焼夷弾で死ぬのも同じ。核軍縮に倫理的な側面はなく、単に「相手に使われるとやばいから減らしたい」以上の意味はないと判断している。
・捕鯨について:他を獲ってるのに鯨だけ取らないのは生態系のバランス上望ましくないと考えている。もしその問題がないなら、バランスが崩れない程度に獲って食う分には文句言われる筋合いはないと考える。鯨は家畜よりは幸せな一生であろう。
・就職氷河期の中年無職について:バイトでもしろ。定年過ぎた老人でもバイトする時代だぞ。他の世代よりは楽じゃないかもしれないが、衣食住と読み書きそろばんと健康な身体があるなら、全然詰んでないだろ。
・政治活動について:ネット上でコメント書いたり、家族友人とブーブー言う以上の事はしない。
ズラズラ書いてきて思うに、ネトウヨというのは、「全体としてネトウヨか」というより、
数多ある問題についてどれか一つでも該当したらネトウヨと呼ばれるものなのかもしれんな。
追記:
ただこんな質問する以上、主張の理由くらい書いとかなきゃ何が何だか判断のしようもないでしょう。
そうだろうなーとは思うが、そこは気にしない事にしている。
確証バイアスについては自覚しづらいから何とも言えんけど、そういう事もあるだろうね。
とはいえ自分で全てを経験して考えるなんてできないんだから、せいぜい聞いた話から自分の経験に照らして比較的信用できそうな話をピン止めする程度の事しかできませんよ。
あまり時間をかけてないので、個人ブログを複数読んである程度信用できそうな記述を選んだだけなのは容赦願いたい。
なお、検索キーワードは「普天間 歴史」や「普天間 どっちが先」等。
・普天間の場所には、戦前は集落があった(サイズについては主張が別れており、「田んぼがある程度で町は無かった」説から、「1万人位住んできた」説まであるので、概ね100人~10000人の間と思われる)
・戦時中は、疎開や日本軍による作戦等により、無人化した。(その場所には、まず日本軍が飛行場を作ろうとした、という主張するブログもあった。真偽不明。)
・戦後、元の住人は捕虜として隔離されており、その間に米軍が基地と飛行場を建設した。
・元の住人が解放された。(ここで、行く場所のない元の住人たちは基地の周りに住むことを余儀なくされた、と主張するブログもあった。真偽不明。)
・米軍は基地の規模を拡大するために、周りの土地を接収し、そこの住人を追い出した。(真偽不明。これを「銃剣とブルドーザー」と呼んでいるブログが複数あり)
・米軍基地の周りには、基地の仕事や経済をあてにした街が形成された。(これについては、航空写真によりほぼ間違いないと思われる)
・米軍は交渉を通じて何度かに分けて基地を縮小・土地を返還しており、そのたびに返還された土地には街が形成され、今のように街に囲まれた基地が作られた。(本来、安全を確保するために山林のままにしておくべきだった土地が街になってしまったため、大変危険な基地になった)
※これ以降については、色々な主張が入り乱れていて全く真偽不明。
・基地の形成に際して(人が死なない程度ではあるが)強引且つ悲劇的な方法が取られた。
・基地の周囲に街が作られたのは、元住んでいた数千人を除き、ほぼ自己都合によるもの。
・基地が危なくなったのは、安全についての見境なく周囲に街を作ったため。
1:「普天間の土地を返還せよ」というのは、元住んでいた数千人及びその子孫に限り正当な主張であると言える。
ただし、先祖伝来の土地である可能性を考慮しても、既に土地が基地となって久しく、その場所が元々は彼らの物であった事を除いては主張するべき権利がほとんどないため、金銭による補償を以って解決する事は不当とは言えない。
2:移転が必要となった原因である「基地と街が近すぎる」については、ほぼ自己都合で移り住んで来た人達であるため、その責任は住人自身にある。米軍の責任は「危ないから街を作ってはいけない地域」を設けなかった事に限定される。
従って、「土地を返せ」というのは正当な主張だが、「危ないから他へ移れ」というのは止むを得ない部分はあるにせよ大部分の責任が住人側及び行政にある。
こういっちゃなんだけど、世の中、沖縄より重要な問題なんて沢山あるし。
っつーか、id:hagakuress氏もそうだったけど、
自分の見解も書かずに「勉強しろ」と主張するのは余り感心しないね。
あんた、自分の満足する回答が出てくるまで相手を不勉強扱いする気じゃない?
議論なら応じるにやぶさかでないが、教育に付き合う気はないよ。
とはいえ、それはネトウヨであるかどうかとは関係しない点だと思う。
えー。
これまでの皆さんのトラバ及びブコメを拝見させていただきました結果、
多くの気づき及び啓発を得られましたが、
あえて焦点を「俺はネトウヨなのか?」に限定して結論を出しますと、
「ほぼほぼ右派である事については意見の一致を見るものの、観測者によってネトウヨであったりなかったりするシュレディンガーのネトウヨである」という結果となりました。
同時に、ネトウヨの定義とは人によって様々なのだなあと思った次第です。
「45歳以上はリストラしたい」+「高技能の若者が欲しい」=「子どもが増えない」
https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20190424/1556094600
ただこの記事で書かれているように社会や企業に責任があると主張するつもりはない。
そして同時に、家庭や個人がそれぞれの幸福を追求するのが悪いという意図もない。
雑に言えば今の社会構造は家庭で個人を管理生産し社会経済がそれを利益に変えお互いに還元するということが根底にある。
だが今はもう家庭にも社会にもそれらを循環させる力がない。力がないというより、生態系が崩れかけているといった方が近いかもしれない。パイプがやせ細っている。
このポストアポカリプスってどのくらいまでが許容範囲なんだろう。
がっこうぐらしってこのくらい?
北斗の拳くらいを想定。
∀ガンダムくらいを想定。
文明を崩壊させたものを分析して新たな文明に利用していたりする。
けもフレあたりを想定。
あるいは猿の惑星とか?
「ゆがみ」の実態が女性の社会進出だとしたら、両立させる事は不可能だ。
社会の維持を犠牲にしてまで「女性の機会」を維持しなければならない理由とは?
「証明されてない」といわれてるのになぜ証明されてない事で返すの?
・資本主義だけが競争じゃないし、資本主義でも人口は圧倒的アドバンテージだったりする。
もうちょっと考えてくれ。
イエイヌはキュルルちゃんとのやり取りの中で、このおうちには「ずっと昔」何人ものヒトが居た、彼らと一緒遊んでいたと言っていた。ある日居なくなった彼らを待ってずっとお留守番していたんだと。かつての経験をなぞるように、フライングディスクを投げるさまを指示したり、紅茶をよく飲んでいた、とも言ったりした。俺は今期9話を観たとき、なるほど、イエイヌは飼い犬だったんだな、と読み取った。博士曰く、サンドスターを奪われてフレンズ化が解かれたら、再びフレンズ化しても、前にフレンズだった時の記憶は戻らない(といっても少々の例外はある。ミライさんとともにいる先代サーバルの声を聞いて涙したり、ともに旅したかばんちゃんの後ろ姿を思い出したり)。しかし、フレンズ化したときに、どうぶつ時代の記憶がどうなるのかは明言されていない。飼い犬が飼い主が去ったあとにフレンズ化して、むかしを回想しているのだと、勝手にそう考えていた。だがこれはミスリードだった! 飼い犬だったならあるべきは犬小屋で、人間の手の位置にドアノブがある部屋が自室のはずがない。そのようなドアはヒトか… フレンズのためのドアだ。だから結論は明白だ。イエイヌのフレンズはヒトと共に暮らしていた。「ずっと昔」と言ったが、カラカルもサーバルがかばんちゃんと旅していた時期を「むかし」と表現している。フレンズの言う「むかし」はせいぜい10年・20年というオーダーではないか。この伏線はパークに割と最近までヒトがいたことを意味している。
三代目ペパプ結成の後にヒトがパークに来ていたとすると、どうなる? イエイヌはかばんちゃんを知っていたが、ヒトと再び会ったのはキュルルちゃんが初めてだったようだ。キュルルちゃんがパークに現れたときイエイヌはただちに探偵を派遣した。ペパプ復活後にヒトがパークに来ていたとすると、彼女をイエイヌが捕捉しなかった理由はなんだ? そのときにはイエイヌの村にはまだヒトが居たのだ。満足していたなら更に求める理由はない。つまり三代目ペパプ結成 → パークへのヒトの来訪 → イエイヌの村からヒトが消える → 十数年経過? → 今、という順になる。しかしペパプ結成後に村からヒトが居なくなったとするのは無理がある。当時パークではかばんちゃん率いるセルリアンハンターが巨大セルリアンを退治するという事件があって、そのときに四神のサンドフィルター装置を修理したのだった。それでセルリアンの騒動は一旦は収束したはずである。ふたたび大型セルリアンが出るようになったのはかばんちゃんが助手の博士らと共に研究するようになった、最近のはずだ。イエイヌは飼い犬ではない。考えてみてほしい。一緒に暮らしていたヒト同様の知性を持つ家族であるべきフレンズを放置して、当の飼い主だけが逃げなければならないのはどれほど切羽詰まった状況だろう。セルリアン強襲以外に考えられるのはもうひとつ、”うみのごきげん”の悪化、すなわち海底火山の噴火だ。遊園地が水没するほどの大災害、逃げられる人数が限られてる、だから家族であるフレンズを置いていかざるを得ない。その判断は… かなりキツイが、ありえないとは言い切れない。しかし安心してほしい。この結論もおかしいからだ。リョコウバトは以前にもジャパリホテルに来たことがあると言っていた。パーク中あらゆるところを旅するリョコウバト。前回の来訪が最近であるはずがない。リョコウバトは言っていた。「これほど変わったホテルは他にない」。ジャパリホテルの変わっているところはもちろん、支配人のオオミミギツネが売りにしているように、水没した風景が美しいというところだ。すなわちリョコウバトが前回ジャパリホテルを訪れたときにはすでにホテルは水没していた。海底火山の大噴火は最近ではない。飼い主だったヒトが消える理由はなくなった。すなわち前提が間違っているということだ。ヒトはパークに来ていないのだ。
…しかしここで推理は頓挫してしまっていた。時系列がバラバラだがルート上に並んだ絵(写真?)。しかしヒトはパークに来ていない… これら矛盾して見える伏線を結びつけるラストはどのようなものなのか… 本当に可能なのか? わからない。だが信じろ、木村監督を信じろ。
そうやってウンウンうなりながら過ごしていた休日だった。前置きが長くなったが、俺が支持する仮説はこれである。「ラッキービーストのフレンズ説」。
キュルルちゃんはヒト、これが最初から仕組まれた罠だ。キュルルちゃんはガイドするラッキービーストに、ヒトとして認識されている。だがラッキーさん達は何を基準にヒトを判定するのか。前期でかばんちゃんも初見からヒト扱いだった。かばんちゃんとキュルルちゃんの見た目上の共通点はなにか。帽子である。羽をつけた帽子を画像認識して、ラッキービーストはパークの客だと判断するのではないか。赤と青の羽をつけたかばんちゃんを暫定パークガイドとして認定したシーンを思い出してほしい。イエイヌはヒトを求めたが、アルマーさんによるとかばんちゃんでは駄目だと言っていたらしい。かばんちゃんはフレンズを命令対象ではなく対等の存在として扱うからだ、というのは聞こえの良い理屈だが、しかし現状の助手の博士と助手の博士の助手の扱いはほぼほぼ従僕である。ジャパリパークは実際には厳しい世界だった。パークの掟の元で自律するフレンズ達は親切ではあるがエゴイスティックに振る舞うことがある。危険なビーストもいる。フレンズたちと渡り合い、パークの長を従わせるためにはある程度強い態度をとっていく必要があったのだろう。イエイヌとかばんちゃんの相性は良いように思われる。なぜかばんちゃんでは満足できないのか。かばんちゃんは自分が「ヒト」そのものではなく「ヒトのフレンズ」だと公言していると思う。だがキュルルちゃんの情報はイエイヌの耳にどのように届いたのかを考えていて気がついた。キュルルちゃん本人は自分がヒトだとは実は一度も宣言してない。最初にそういったのはカラカルだった、カラカルは推測でそう言った。ロバはそれを聞いていた。カルガモも。うわさはパークに広がりやがてイエイヌの耳に届いただろう。パークにヒトが現れた、と。
キュルルちゃんは「おうちを探すためでなく、フレンズが好きだから絵を描いている」と言ったが、スケッチブックに元から描かれていた絵には、しかし奇妙にフレンズの姿がない。キュルルちゃん本人は楽しそうにしているフレンズを描くのが画風である。ジャングルの絵の中のゴリラは背中を向けてさえいる。画風の違いは何が原因か。ラッキービーストは有事でない限りフレンズと積極的にはかかわらない。ヒトをガイドする仕事や配給、各種設備の保守管理以外には。「生態系の維持が原則だからね」は前期最終話のラッキーさんのセリフである。最初の旅路での荒野の絵はなんだかわからない残像だった。残像でぶれて映るのはシャッター速度の遅いカメラの特徴である。ラッキービーストは高速で接近するフレンズを察知するセンサー、レーダーのようなものを備えている。メインカメラの性能に頼る必要はない。
あるラッキービーストは持ち場を離れ、ふたたび旅を始めた。かつての任地、ジャパリホテルへ向かって。風車の写真を撮った、竹林で公園の写真を撮った、ジャングルでゴリラの写真を撮った。シッポを振って歩いていくゆっくりとした旅の間に、いろいろなことが起こった。過剰に放出されたサンドスターの影響で気候が変わり、パークの荒廃が進み、海底火山が噴火しホテルが沈む。ペパプが再起し、かばんちゃん達が旅に出る… ようやく桟橋にたどり着くも、ホテルは海水の向こうだ。ラッキービーストは足を滑らせ、海に投げ出される。やがて海底火山に至り… サンドスターの温かい光に包まれる。ラッキービーストの旅の写真はランダムに吸い上げられて、スケッチブックとして顕現した。
俺は読めないけど。
還元主義的階層論は次のような仮定に基づいている。全体の性質は部分の性質に還元できる。すなわち部分と部分がいかなる関係をもつかは部分自身の性質により決定される。これに対し全体主義的階層論は、部分と部分の関係性は他に還元することができず、関係性自体を実在と看做さなければならないと考える。さて、構造主義的階層論は、構造は下位の構造に還元できないと考える点で、明らかに全体論に近い。しかし全体論が成り立つのは同一構造の内部に限られると考える。ここに全体主義的階層論と構造主義的階層論の決定的な違いが顕わになる。前者はこの世界のすべての部分-全体関係はそれ自体が一つの構造であると暗黙理に前提する。すると宇宙全体を最大の全体、最小の粒子(いまのところクォークやレプトンのようなもの)も最小の部分とする、全体-部分の構造階層系列に、この世界はすべて包摂されてしまう。素粒子から始まって原子、分子、高分子、細胞内小器官、細胞、組織、器官、個体、個体群、群衆、生態系、地球、太陽系、銀河系、宇宙と連なる壮大な形態的部分-全体系のどの一つをとってみても、部分と部分の関係性自体は、部分の性質に還元できない何らかの実在と看做される。これに対して構造主義的階層論は、全体主義的階層論あるいは還元主義的階層論によってア・プリオリに措定された、形態的部分-全体系列の連続性の仮説を放棄して、水平面には構造の相違による、垂直面には構造列の相違による不連続面を構想する。たとえば構造主義生物学は、生物を形成する空間には無生物からなる空間とは異なる生物固有の上位構造が具現していると考える。したがって単一の細胞や単一の個体が同一の構造(列)下に包摂され、この空間の内部に関する限り全体論的な部分-全体関係が成立することを擁護する。
ついに念願がかなった! これでお姫様やエルフや牝ドラゴンとイチャイチャしたり、モンスター相手に無双できる! と思ったのだが、実際は悲惨だ。
わかるか? 俺は「異世界に転生した」んだよ。
つまり、スライムになったとか、蜘蛛になったとかじゃなくて、俺が異世界そのものになったんだ。
「それって神になったってことか」と思うだろう? 微妙に違う。
俺の腹の上で勇者がお姫様やエルフとイチャイチャしても、俺はそれを観てるだけ。
何だよそれ? もとの世界で、観客としてアニメやラノベを消費してたのと変わらんじゃないか。
世界全体の命運は左右できる、でも、個々別の人間の命運には介入できない。
言うてみれば、自分の体全体は自分の意志で動かせても、体内の白血球の一粒一粒やら、シナプスの1本1本は自分の意志でコントロールできないのと似ている。
そんなわけで、世界そのものである俺にできるのは、たまーに天変地異を起こして生態系と文明をリセットするぐらい。
そう、俺の腹の上で勇者がドラゴンと戦ってる風景を傍観できるとこまで来るのにも、本当に気が遠くなるほど手間がかかった。
旧約聖書じゃ「光あれ」の一言で全部できたみたいに書いてるけど、ありゃ詐欺だな。
最初の数億年は、まず生物を発生させるので手一杯だった。本当にいろんなことをやったよ、宇宙空間から数少ない炭素を集めたり、水を精製して増やしたり、何度も何度も雷を起こしたり、それでやっと、何億年もかかってバクテリアしかできない。
さらに人類誕生まで数億年かかったわけだが、途中でうっかり、アノマロカリスが異常進化して知性を備え、このまま俺の世界は節足動物人類の世界になるのかと焦った時期もあったなあ、数千万年ぐらいで終わったけど。
恐竜時代まで来たら、「やっとか!」と思ったけど、また異常進化した爬虫人類ができちまった。はじめは「ドラゴン娘萌え☆」なんて思ったけどさ、ああいうのは普通の人類がいるからそれとの差異で萌えるのであって、恐竜型人類しかいなかったら、これはこれで飽きるぞ。
でまあ、さらに十億年ぐらいかけて、何度も文明と生態系のリセットをくり返して、ようやく、中世ヨーロッパレベルの人類と、モンスターやドラゴンが同時に生存する世界になった。
でも、それも数万年も続けると飽きるんだよな。
結局、「魔法もモンスターもドラゴンもなくて、人類の科学文明がそのまま発展し続けたらどこまで行くか」に興味が移ってきた。で、今はその世界を数千年ほど続けてる。こないだやっと核兵器の発明まで来た。
そろそろまたリセットすっかな……。