はてなキーワード: 最期とは
祖母が99歳。両親が世話ができなくなって特養に入った。
待ちが多いと聞いていたが割と待たずに入れた。
父の兄弟は本人の了承はとったのかと聞いているみたい。
面と向かっては批判はしないけど、長男である父に最後まで面倒見てもらいたいようだ。
というか特養に入れるのが納得いかないらしい、その気はわかる。
あなた方は遠くにいて年1、2回しか会わないからそうなんだよ。
財産は確かに両親が引き継いだ。財産というほどでもないけど土地と家はある。
取引というものでもないんだろうが、最期までよろしくというのはあったと思う。
でも99歳まで元気とは思わなかったでしょ。
耳がもうあまり聞こえなくなって会話にならない。下が駄目みたい。そしてたまにあっちに行ったりする。
ほかは医者が驚くくらい元気らしい。
母が嫁いで来てすぐ、祖父は駄目になった。20代の新嫁がいきなり下の世話。そんなに長くはなかったが。
それから40年。祖母の世話。小姑はたまに顔出すだけ。世話と介護は母任せ。
母は祖母を特養に入れた後ろめたさと、そのような環境に祖母をおいてしまったことに
悩んで泣いている。それは小姑たちは知らない。ねぎらいの言葉もない。
長く生きるって何だろう。
母親ががんで死んで一年が経った。父親は認知症が進んで施設にいる。
母親が入院して、みるみる痩せて、他愛のない話をしていた時から、それはそう遠くないとは思っていた。しかし、何の準備も始まらないうちに別れの時は容赦なく訪れた。
母親にあと余命半年でもあったら何ができたか、と考えても、いい答えはでてこない。母は特に裕福でもなく、特に才能があったわけでもなく、特別なことはほとんど何もない、ただ自分を立派に育ててくれた偉大な母親であった。母の残した家財が少しある。遺産はほとんどない。家には体調を記した頃の日記や、昔の年賀状や、住所録や、友人に宛てた手紙が少し残っているが、それ以外にはもう僕らの記憶の中にしかいない。
母に余命があったら、母はこの世に何か形に残るものを遺そうとしただろうか。たぶんしない。みんなの記憶に残るような事をしたり、言ったりするだろうか。たぶんない。じゃあ、余命があるうちに母が経験したかった何かをしたいと言っただろうか。思えば、好きだった穴子ずしを食べたいと言ったぐらいのことである。
この余命期間に何ができたかを考えると、それは人が生きる目的っていうことじゃないかと思うようになった。つまり、余命期間に著作物を残そうというひとは、それを遺すことを生きがいとしているのである。だったら、母は何の生きがいもなかったのか。いや、僕ら子どもたちがいて、孫達がいて、その成長を楽しみにしていた。ただ、子供や孫の成長はきりがない。いつまでも成長し続けるので、いつか途切れることになる。
そういう意味では、母は最高の状態だった。僕はアラフォーで、会社員で、家庭がある。嫁さんは愛想がよくないが、笑顔を絶やさない孫達がいたのだ。祖父母は先に他界している。他に特別なんの生きがいもなく、父の世話ばかり焼いていた母の最高の記憶はこうして何の心配もなく家族が元気に成長していたことに違いない。
一方で、父親は認知症が進んだ。丁度母親が亡くなる頃にはもう母親の死を認識できないようになっていた。幸せ者である。空き家になった実家に連れて帰るたびに「あいつはどこにいった?」と聞いてくるので、毎度同じようにもう死んだんだよと伝えると、「それはえらいこっちゃなあ」と少しさみしそうにするが、すぐにそれを忘れてしまう。
記憶を作るのが生きる目的だとすると、父親はもう目的を見失っている。だんだん子供のような行動をとり、最近のことは何一つ覚えていない父親を見ると、こういう終末もいいなと思えてくる。あと何年か、何十年生きられるかわからないけど、父の最期がたとえちょっと苦しいことだとしても、本人はすぐに忘れちゃうんだと思うと僕は気が楽になる。
さて、僕はこれからどんな記憶を作ったり、何かを遺していくんだろうか。時間は限られている。僕は目立ちたがりの性格なのだから、こうしていろいろ著作物にしておいて、みんなの話題になりそう、っていうのが自己満足にちかいかな。
毎週木曜日、職場から少々離れたところにあるコーヒーの自販機で行われるメンテナンスを見ることが、私のちょっとした楽しみだ。
エンジニアの端くれとして、普段はお目にかかれない機械の内部をのぞくのは、それが"マシン"である限りどんなものでも心が踊るものだ。ましてや、その機械を弄るメカニックが軽巡長良型の可愛い(たぶん)溌剌系姉ちゃんなら尚更。
缶コーヒーに迷うふりをして、ちらちらと横目に眺める正味1-2分は一日のスタートを切るには最高のひと時だ。彼女がメンテナンスを行う木曜日の10-11は、ヤニでうっすらと汚れた休憩室がオアシスに変わる。彼女は乾ききった男やもめの研究棟に湧いた水に違いない。
彼女の容姿だけではこんなに愉しい気持ちにはならなかっただろう。ここまで盛り上がれるまでになったのには、個人的なとある発見があった。
あれは二ヶ月前のこと、この頃はちらっと眺める程度だったのだが、ちょうど彼女が後ろに下がったところで接触してしまった。頭を下げてすみませんと向き合ったところで、たまたま、はねたコーヒーが所々染みをつくる作業用手袋が目に入った。
『この染みの色がもう少し濃ければ、重油で汚れているように見えないか?』
その瞬間、私の脳裏に爆雷が投下された。彼女は機関部で外国製の変速ギアのメンテに一人奮闘する女子メカニックなのかもしれない。川内が出ないと半泣きになりながら2-2を繰り返していた私が、その設定から、長大な脳内プロットを書き起こすまでさほどの時間は掛からなかった。彼女が海軍の機関学校を卒業し、沈みゆく船と最期を共にするまで。その最期を思い浮かべた瞬間、私の目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
設定とは、かくも力強いものだろか。妄想するようになってから木曜日が待ち通しくてたまらない。工廠から我が艦娘が一日をかけて修理されようが、一週間の長さに比べれば短いもの。
今日も今日とて、眺めていたら、何を思ったのか彼女から声を掛けられた。試飲させてくれるという。観音開きのまま、言われるがままにボタンを押すと初めて動いているところが生で見られた。蓋をつけて手動で渡してくれた。燃料缶が心強い。そんなことを思いつつ、お礼を言って後にした。
自分個人がもし増田の伯父さんだったら、そんな遠くに住んでいる甥の一家がわざわざ訪ねてきてくれるのは嬉しいだろうが、訪ねて来なかったとしても別に何とも思わない。要するにどっちでもいい。入院しないということだから、もし最期に親族に会っておきたいという気持ちが出てきたら、体の動くうちに自分から増田の家へ遊びに行くか電話でもすると思う。
増田個人として伯父さんに会いたい、顔を見せておきたいという気持ちが強いなら無理せずスカイプでもやったらいいんじゃないか。
別にそういう気持ちはないが、実際に会って義理を通しておかないと申し訳ない気持ちがあるのなら、それは伯父さん自身の心じゃなく増田の心の問題だから自分とよく相談汁。
共産党とかの左翼って、同じ日本人でも改憲派とかは同じ民族どころか「人間」とすら認めてない感じがあるよな。右翼が言うところの「ヒトモドキ」としか見ていない気がする。
お前さんはお肉になりたい豚だからな。人間の心を捨てた家畜の群れに相応しい最期を迎えるのだよ、日本は。そのような所詮豚共でも一応姿形は人間である以上、人権は護持されるべきものなんだよ。
ネオナチとかの例ひとつとっても、お肉になりたい豚の群れは日本だけではないことくらいはわかってるよ。「「外国人」という存在を理想化してる」例をあげてごらん。「外国社会」ではなくて「外国人」をな。
留年しとけばよかったんかなー
やりたい事をやるために大学院まで行ったのに
でも入社月10月を目前に控えた9月の頭にまさかの内定切りに遭う。
世の中は不況とか関係なく既卒より新卒が重用される現実を知った日だった。
仕方がないからインターンシップや派遣社員に逃げようと考えた。
日々のルーティンワークもさることながらきっちり8時間労働でハロワにも行けず
転職サイトも、選考日のズレで応募すら出来ず、結局5月まで身動きが取れなくなった。
ちょうど2月頃から既卒を含む就活ラッシュだったのにその波に乗る事が出来ず
結局5月以降のどこかの零細ばかりが目立つ就職説明会に参加する羽目になった。
何かおかしくなりそう。
なんでどうして大学院まで出たのにクチがないんだろう。
昔の人の話を聞くと修士から教授になった人の話なんていくらでもいるっていうのに
今は博士の学位を取っても非常勤にすらなれないというし、大学院の存在意義がなくなってきた気がしてならない。
ああ、何で大学院に進んだんだろう。
何で大学に進んだんだろう。
同期の友達が社会人として立派に仕事をやってるのを尻目に僕は毎日ハロワと就職サイトのルーティンワーク。
小学生の時、公園のベンチで疲れた顔してぼんやりするサラリーマンのおっちゃんを見て、こうはなりたくないって
思ったはずの僕も現状がこれじゃもう駄目だ。言いようのない社会への失望と責任転嫁を考える。
それなのに、心のどこかではこの状況に喜んでさえいる。
異常だ。
異常事態だ。
もう誰も頼れないし、自分の力じゃどうしようもないのが分かってるのに
何も考えたくない気持ちでいっぱいになってしまっている。
それなのに、もうこれでいいやって楽しんでる自分がいる
鬱ってなりたくてもなれないんだね。
人生に絶望して死にたいと思ってもいつか自分を認めてくれるという微かで当てのない希望的観測を抱き続けているのだから、
鬱になりようがないんだって。
僕を知り僕を欲しいと言ってくれる企業はどこかに必ずあるはず、だって既卒でも一年目は内定取れたじゃないか。
もしかしたら11卒や10卒で内定一社も取れない人がいるかもしれない。
そんな人にしょうもない優越感に浸ってる自分に気付いて僕もクズだなと実感する。
景気が回復しても僕の景気は不況のまま、これからもこの状況が続くんならいっそ人を殺して
刑務所に入った方が気が楽かもしれんね。
「子どものこと、ちゃんと考えたほうがいいよ」という暴力 - キリンが逆立ちしたピアス
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障害児を産むのが恐い http://anond.hatelabo.jp/20130613094716
両親が子供を作れば、子供は生まれてきて様々な体験をする可能性があります。
子供がどうなるかはまったくわかりませんが、それを作るかどうかを最終的に決めるのは両親です。
作りたければ作ればいい。作りたくなければ作らなければいい。
子供を作る人たちの多くが見落としているか軽視しているであろうと思われる、子作りに対する「ある観点」。
これは子供を作る上でしっかりと念頭に置いた方が良い重要な観点であると思われます。
この増田を読んで何か思う事がありましたら、自分なりによく考えてみると良いかも知れません。
特に将来子供が欲しいと思っている人は、事前に考える機会があっても良いかと思います。
というわけでこの増田は、読んだ人に考える切っ掛けを提供するための増田です。
よ く 考 え て く だ さ い。
また、どんな目に遭う可能性がありますか?
想定出来る事だけでも不幸苦痛の雨あられですね。
想定外の不幸も起こり得る事をお忘れなく。
本当にそうでしょうか。よ く 考 え て く だ さ い。
生まれなければ、それらを 全 て 回 避 出 来 ま す。
どんな場合でもハッキリ言える事は、
親が産まなければ子供もそんな目には遭わなかったという事。
親 は 直 接 の 原 因 だ ろ う が。
この問題から逃げないでください。
何故子供が欲しいのか、よく考えてください。
考えればわかりますが、全 て 自 分 の 都 合 で す。
即ち、親の目的は己の利益。利益を得られるかどうかは運に依存する。
賭け物は子供。
要するに、子供(賭け物)を用意して利益を得ようというのが子作り。
賭けに勝てば(運が良ければ)親は利益を得る。
賭けに負ければ(運が悪ければ)親はその身を削る事になる。
(当然、勝ちとも負けともつかないケースもある)
(当然、勝ちとも負けともつかない人生もある)
この博打の性質として、一つ目の博打も二つ目の博打も常に絶えず打ち続ける事になる。
その博打を打つ点(つまり人生)が無数に繋がり線となったものが人の一生である。
せめてこれ位は理解した上で子供を作るかどうかを決めるのが望ましい。
そして、実際に交尾をして作るわけだ。
では仮に、とてつもなく幸福な気持ちで生き、幸福なままの気持ちで死ぬ可能性が90%、とてつもなく不幸な気持ちで生き、不幸なままの気持ちで死ぬ可能性が10%の人生があるとする。
交尾によって子供にこの人生を負わせるとした場合、親は子供が幸福になる可能性を容認すると同時に、子供が不幸になる可能性も容認している事になる。
可能性を容認するという事は実際にそうなる事を容認するのと同義であり、親は『子供が不幸になる事も容認した上で』子供を作っているのだ。
その辺は理解出来るよな?
例えば、日本人の1/3はガンで死ぬ。日本人の男女が子供を作る場合、その男女は「自分の子供がガンで苦しみ抜いて死んでも良い(仕方が無い)」と思って子供を作るわけだ。
例えば、人間は必ず死ぬ。どこかのカップルが子供を作る場合、そのカップルは「自分の子供が死んでも良い(仕方が無い)」と思って子供を作るわけだ。
例えばこの世では、病気、障碍、事故、犯罪、災害など様々な危険が降り掛かる可能性がある。
子供を作る者は、当然の事ながら「自分の子供が病気になっても、障碍者になっても、事故に遭っても、犯罪に遭っても、災害に遭っても良い(仕方が無い)」
と思って子供を作るわけだ。
「子供が欲しい」という親のエゴを充足させるために、膨大な危険を子供に「無理やり」背負わせるのだ。
子供への思いやりが無いからこそ、こうして子供を作る事が出来るのである。
別に法的な話をする気はない。
出産というのは、相手が死ぬとわかっていながら子供を作る行為だ。
生まれてすぐ死のうと80年生きてから死のうと、人の死ぬ原因が「両親がそいつを作ったから」であるのは確実だ。
事故で死のうが事件で死のうが病死だろうが災害で死のうが、そもそも死ぬのは「両親がそいつを作ったから」。
人が殺された時って「殺した犯人」が非難されるが、そもそもの問題として「親が産んだから」子供は死ぬ。
出産というのは殺人よりも根本的な意味に於ける人殺しじゃあないのか。
人が何らかの理由で死んだ時、その理由というのは死の時期を決定するものだ。
だが、親はその時期に子供が死ぬ事も容認して子供を作っているはずなので、親が犯人を責める事は出来ない。
そして、子供に死という結果そのものを喰らわすのは他でもない親だって事。
「人生(子供にとっては非常にリスクの大きなギャンブル)」と「死(これは確定している)」。
この2つを他人に無理やり押し付けるのが子作りなんですよ。
それが善いとか悪いとかではなく、「わかっててやってんの?」って言ってんの。
わかっててやってるなら私は「鬼畜」だと思うし、
そんな事すらわからずに子供を作ってるなら私は「バカ」だと思うのね。
「子供を作りたいから作る人」に対して私があれこれ言う事は出来ません。
しかし、「子供を作る事を正当化しようとする人」については批判します。
どんなに悲惨な状況であっても
その通り。逆に言うならば、
どんなに恵まれた状況であっても
それを不幸に感じる子供も居るかも知れん。
「子供が不幸になる可能性」とは、
エゴですよ。
ここではそういう話をしているのだ。
まず「不幸」の定義をはっきりさせろ。
「本人が不幸だと感じたら不幸」だ。
本人の主観に依存する問題なので、細かい定義をする事自体がナンセンスである。
強いて言える事があるとするなら、不幸とは「絶望感」に苛まれている精神状態である。
絶望感に対して積極的な気分で向き合えないのなら、それが「不幸」だ。
つまり、「本人が不幸だと感じたら不幸」という事だ。
将来設計も無計画で、自分たちに子育ては困難なのも知っている。
だが、一時的な感情の高ぶりを抑えるのが生まれつき苦手で
他人への迷惑行為は抑えられないような「人間味」である場合が多い。
「子供でも産めば何か変わるかもしれない」という
手っ取り早い一人前扱いにすがる。
ようするに「母親になるという大いなる名目」を周囲に突きつけることで
これは「親になれば一人前」という風潮を作った社会にも責任はある。
駄目だった奴の遺伝子で頑張らなければいけないのだから子供は楽じゃない。
いくら期待をかけても、結果も親そっくり。
子供は自分の所有物という意識が強く、自分の為に子を利用するタイプ。
自分の趣味を押し付けたり、芸能界に入れて下品なことをさせる親もこのタイプ。
彼らが愛しているのは子供ではなく、個性的なパパママを演じている自分自身である。
上記のような理由だけではかっこ悪いから
社会貢献などを持ち出して、さも自分が先見の明があったかのように装い
という問題は「考えると暗くなる」と不問にし、
「子は親を選んで生まれてくる」と思っているタイプ。
なぜ時空を超えるほどの存在が、極めて人間臭い修行に励むのでしょうか?
人間でさえ「罪を憎んで人を憎まず」と言っているのに
何もしないだけでゴミのように扱われ、自殺するのすら苦痛を伴う
頑張ってこの世で生きていく道を選んだとしても
最期は大半の人間が病気やなんやで苦しみながら死に、それまで築き上げてきたもの全てを失う
こんな苦行みたいなもんに自分たちの都合で強制参加させる親は自己中
自分たちの幸せのことだけで、子供のことなんてまったく考えていない
でも、いざ生きていく事に耐えられ無くなって来て生きるの辛いねといえば、みんなはもっと辛いんだ甘えるなと返される。
別に成長して行く子供も守られてる訳ではなく誰も助けてはくれない自己責任。
でも誰もが何時も子供を守ってると言うしそれが正しいと思ってる。
助けを求めれば当然誰も助けてはくれない。
支えてる振りして子供を操ってるのと、何もしてないのに守ってる恩を与える。
親には、なぜ、私を産んだのか。何度も聞きました。
その理由が私にとっては納得のいくものではなくて、余計に腹の立つものでした。
傷つける気持ちがあったというより、腹が立ったので言ったんだと思います。
そのあと、あんたが産まれてくると分かっていたら産まなかった。
とも言われました。
自分だけを食わせて生きいる強さのある人間は凄いなあ。と思います。
そういう人が、何を思って生きているのか知りたい。
そもそも子供を産まなければ何も起きなかった
頼んでもいないし産む必要もない
親を責めないことでちょっとでも自分の評価を高めようという姑息な考え?
この世界の地獄っぷりは日々ニュースでも目にしてるはずなんだがな
自殺スレをまわって少しでも苦しまずに死ぬための情報を集めてると
心底怨みがこみ上げてくる
親が産まなければこんなことしなくても良かったのに
「どうして私の子がこんな目に」
という場面をテレビなどでよく見かけるが理解出来ない。
”こんな目に”あう可能性が充分ある世界という事は既に分かっていたはず。
何も不思議じゃない。普通に想定出来る範囲の悲劇が起きてしまっただけ。
運が悪い?そうだな。この世界に生まれた事が既に運の尽きだ。
”どんな目にも”あうかもしれないという事を想像、覚悟するべきだ。
でもこれらを全て受け入れて
それでも産もうとする人間なんてそれこそ、理解出来ないけどな。
・そういう考えはネガティブ思考だ
・人間苦労して成長する
・こんなこと言う人は頭のネジが足りないんじゃないの
・うつ病じゃないの
と、偉そうなことを言うのである。
「どうして私の子がこんな目に」
「どうして私がこんな目に」
とこうである。
子供を作ったやつがその人生で苦しんだとしても同情することない。
「ポジティブ思考で苦しんでください」
「人間苦労して成長する」
と言ってやればいい。
いつ子供に自殺されても「親不孝」などとは決して言わないで欲しい。
自分の意思以外で産まれてくるのだったら、せめて不幸になった場合は
親はそれをたまに起こり得る「織り込み済み」のこととして納得してください。
子供が自分で死ぬ、これもまた自然のうちだと認識してください。
生きる事は辛い。死ぬ事も辛い。
両方とも辛いのだから、現時点でマシな方を取ればいい。
「死んだ方がマシだ」と思うようになるまでは生きる。
最期までそういう風に思う事が無ければ自然死するまで生きてもいい。
それで何の問題も無い。
生きるも死ぬもクソだが、マシな方を選べばいい。
生きる事が素晴らしいと思えるならば、そう思っても別にいい。
ただ、言える事は、
生まれて来たヤツが人生をどう捉えるようになるかはわからない。
人生を肯定出来るヤツになるかも知れんし、
子供を作るという事は、「生まれる子がどっちになるかはわからないけど取り敢えず作りますよ」という事だ。
何故作るかと言えば、それは「作りたいから」。つまり自分のためだ。
この事を変に美化しようとするから、子作り賛美の醜悪な風潮が出来上がる。
美化などしなくていい。
「子供がどうなるかは知らんが、俺は子供が欲しい。それだけだ」
子供の事を自分よりも優先させたければ、子供を作らなければいい。
この「子供を作らない」という事に関しても、自分がそうしたいからそうするだけだ。
その点が異なる。
と言ってるだけで、これは紛うことなき事実で真理だろ?
どんな心理でか考えて見ればいい。
の都合しか出てこない。
子の為に子を作るんじゃなく、自分の為に子を作るんだ。
そこには別に善も悪もないし、求めてもいない。
子供を作るなと書いてる訳でもない。
これがあるよね、ってだけだ。
それだけ
矛盾が無い否定論を正しいと見て置き、作りたい馬鹿は勝手にすればいいだけ
不条理も込みでね
かって私らはある膝したから足の指までが動かなくなった男性の歩行補助を
頻繁に手伝っていた 仕事ではない 当然の事として
なると信じて杖を支えとして一人でそこら辺を歩きまわろうとして
明らかに降れない段差にもチャレンジして頻繁に
転倒することを繰り返していた
転倒の度に大人3人がかりで助け起こすのだが
食欲旺盛なので助け起こす側はたまらなかった
周りに歩行補助してもらえるのが当たり前だと思っていた
一人で助け起こせない時は、近くの人を呼んだり、周りに手伝えそうな体力を持った
そんなことがずっと続いて疲れていた 家の人は周りから
また一人で歩こうとして転んで助けてもらったと聞くたび
気が疲れた 長年に渡る介護で疲弊していた 男性の態度や振る舞いに迷惑してた
入口をバリアフリー化しても、一人の時に目を離したら別の段差の高い場所に
チャレンジされてはどうにもならない 一人では助け起こせない無理
男性が別の病気で亡くなった時に、家族は介護から解放され家族を失う悲しみと共に
ホッともした その手助けの時間分自分のしなければならない事に削く時間が
かなり削られていたから 綺麗事を信じて他人に押し付ける人の陰では支えている人達の
辛さなど軽視されがち 男性は最期まで自分は再びどこにでも行けるようになると
信じていた
そんなことを思い出すのも真夜中だからだろうか
それと大抵の人がネットで成長する過程で抱える黒歴史(あんな事言っちゃった書いちゃったという後悔)が
成長を見守られず批判も適度に切り上げられず、大衆が他人を見下すネットコンテンツとして
頻繁に消費されるようになってしまったのはいつからだっただろうかはてなと首をかしげる
紅茶にマドレーヌならぬ、コーンスープに麩みたいな棒状の駄菓子を浸して
かじれば失われたヲチを銀の鍵の門を越えて再び取り戻すことができるのだろうか
甦った悲しみを封じる為にこの日記記事をあえて記し
熊本県の蒲島と安倍晋三、おまえらが選挙対策で反省したフリをしただけだってことは、こっちはお見通しだよ。死んだ人の命は永遠に帰ってこない。企業と県と国のエゴに殺された水俣病患者の冥福を祈る。
熊本県水俣市出身の大阪の女性を水俣病と認定するよう遺族が求めていた裁判で、最高裁判所が先月、水俣病と認めなかった2審のやり直しを命じたことを受け、熊本県は裁判を終結させて女性を水俣病と認定する方針を明らかにしました。
この裁判は、水俣市出身で大阪に移り住み、ことし3月、87歳で亡くなった女性の遺族が、女性を水俣病と認定するよう熊本県に求めていたものです。
最高裁判所は先月16日、「複数の症状がなくても、総合的に検討したうえで認定する余地がある」と指摘し、女性を水俣病と認めなかった2審を取り消し、高裁で審理をやり直すよう命じました。
もとの2審は、1審が女性を水俣病と認定したため、熊本県が控訴して行われましたが、熊本県の蒲島知事は2日午後、会見を開き、控訴を取り下げて裁判を終結させたうえで、女性を水俣病と認定する方針を明らかにしました。
蒲島知事は、この理由について「最高裁の判決を厳粛に受け止め、原告や遺族にこれ以上心労をかけ続けるのはしのびがたいと考えた」と説明しました。
一方で、今回はあくまで「個別ケースの判断だ」と強調し、最高裁が判決で求めた認定基準のより弾力的な運用については「国の検討に、積極的に参加する」と述べるにとどまり、認定審査を担う県として、独自の改善策を取る考えは示しませんでした。
環境省の特殊疾病対策室は「知事が熟慮のうえで政治的に判断されたものと承知している。今後の手続きについては、熊本県において適切に行われるものと考えている」とのコメントしています。
熊本県が女性を水俣病と認定する方針を明らかにしたのを受けて、女性の遺族の弁護団が記者会見し「ここまで非常に時間がかかったが県の対応を評価したい。ただ今回の対応は、個別判断ということなので、今後も国に認定基準の見直しを求め、抜本的な解決を目指したい」と述べました。
また、女性の長女は、NHKの取材に対し「母の写真に手を合わせ、『苦しいことばかりだったけど、本当によかったね』と報告しました。母は最期まで判決を気にしながら亡くなったので、生きていれば喜んだと思います。あすの月命日にはお寺に行き、一緒に喜びを分かち合いたい」と話していました。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130502/k10014335321000.html
量販店はゲームを家電の撒餌に使ってるだけだから、可能な限りまだゲームを売り続けている町のゲーム屋で買いたいと考えていた。
職場が変わったことやゲーム市場の変化により、近場に支えるべきゲーム屋が無くなってしまったからだ。
否応なく町のゲーム屋を殺す側に加担せざるを得なくなってしまった。
「買ったゲームは未開封で積まない」
ゲームを遊ばずに積むなんてゲーマーの風上にもおけない下衆な行為なので買ったゲームは必ず遊ぶべし、と考え実践していたものの
過酷な職に転職したためゲームを遊ぶ時間が取れず、帰宅すると心はゲームを遊ぼうとするも身体が休息を求め寝てしまうという状態となり
やむなく下衆の仲間入りを果たした。
今では職を変え時間に余裕はできたものの、一度下衆に成り下がって折れた矜持は戻らない。
かつて支えようと誓った町のゲーム屋の敵にまわろうとも、下衆にまみれて積ゲーしようとも、せめて興味を持ったゲームぐらいは発売日にフルプライスで買い
ゲームの作り手だけではなく、そのゲームがこの手に届くまでに携わったすべての人に報いようと思っていた。
興味のないタイトルならいざ知らず、興味を持ったタイトルぐらいは安売りや投げ売りを待つような腐ったマネはするまいと心に決めていたつもりだった。
昨日ふと、興味があったのに何故か買っていなかったゲームがタイムセールになっているのを知り、気がついたら買っていた。
あとから冷静になって振り返り、「このゲームを発売日に買わなかった時点でゲーマーとしての自分は死んでいたんだ」と気付いた。
社会人になって十数年、自分の稼ぎでゲーマー気取ってきた日々がこうも簡単に終わるとは夢にも思わなかった。
なにより、この事実に昨日まで気付かなかった自分が情けなかった。
「あぁ、自分はもう死んでたんだ」って感じ。
シックスセンス見てない人はごめんなさい。
これからはゲーマー気取らずにちょっとゲーム好きなおっさんとしてひっそり生きていきます。
これだけはまだ保ててる。
ゲーマー気取ってるクセにチャリンカーみたいな不様な真似死んでもしないと思ってた。
でももう流石に500本ぐらいあって邪魔になってきたし、これも限界近いと思う。
すべてのゲーマーがこうあるべきとは考えてません。
家の苗字と猫の名前と電話番号が記された首輪は、契約のしるしみたいなものだと思っていた。
契約内容は、こんな感じ。
わたしたち家族は、猫に対し適切な居住空間とご飯と愛情を提供すること。期限は、神様の定める時間まで。
猫は、同じ家に住んでくれればいい。期限は、神様の定める時間まで。
昨日の朝、よろよろとだけど歩いていて、母にいつにないくらいかわいい声で「にゃん」と言ったらしい。
そのあと、わたしが起きてきたときは、ちょっと歩いては床の上にじっと伏せっていた。
寒くないのかなと思っていたら、よろよろとコタツにかけてある布団のうえにたどりついて、横になっていた。
そこから何度か起き上がろうとして、なんとか前脚と頭は起こしたけれど
立ち上がることは出来なくて、パタっとまた横たってしまった。
そして、それから2時間もしないうちに、変なセキみたいなのを小さく何度かして脚をちょっと動かしたのを最期に
もう二度と動かなくなってしまった。
猫の体を拭きおわって、母が「首輪をはずしてやろう」というので、はずした。
猫をかわいがっていた、ジジババが迎えにくるといいなと思った。
インターネットで見たような、ペット葬儀トラブルが頭をよぎったけど、そんな心配は無用だった。
お別れ前に、なでた体は、当たり前だけど冷たくて、やっぱり死んだんだなと思った。
肉球も冷たくなっていたけど、ぷにぷにしていて、まだその感触を思い出せる。
家に猫がきたのは、高校に入学した年。そんなわたしも今は、結婚して隣の県に住んでいるんだけど
夫が数日家をあける予定だったので、たまたま実家に帰っていたこと。
父は、とくに予定がなかったからいいとして、母は予定があったんだけど
たまたま前日お風呂で椅子に座りそこねて、たいしたことはないものの
予定をキャンセルして家にいたこと。
たまたまかもしれないし、自己満足かもしれないけど、家族で見送ることができてよかった。
らんまの隙間から出てきたり、ふすまをサッと開けたり、ウンチはいつも埋めない、
台所に人がいるとゴハンを要求してくる、猫好きの親戚のおじさんのあぐらの上で寝たり、
ばーちゃんの股のあいだに寝たり、父の背中に乗ったり、シーチキンの缶を開けたら目をらんらんとさせたり、
なでていてゴロゴロいってると思ったら噛んでみたり、毛玉ゲロってたこととか、
他にもたくさん思い出すと悲しいんだけど、猫と暮らせた時間はすごく幸せだった。
眠くないし、ちょっと気持ちの整理に。
1.これははてなが用意したお前の日記帳だ。承認欲求が人並み以上に高くなければ無料!はてなってふとっぱらじゃね?
2.パスワードなんて適当でいいよう、どうせ下らないことしか書かねえだろうから。他のサービスとは変えといたほうがいいと思うけどな。
3.これは一応ブックマーク。つけたらできるだけコメントを書いたほうがよくね?リンク先を見て何を感じたかまではクリックひとつじゃ記録されねぇし。
4.学校に行っている、行っていない、仕事をしている、していないなど、くだらない理由で喧嘩するな。活動時間一つじゃ何の証拠にもなんねぇからな!
5.複数のIDを使ってブクマを増やしたりすんなよ!手間かかるけどね、中身ないと結局そこまで効果ねぇしな。
6.スパム行為しちゃった時は自己責任だし、運営に正直にメールでごめんなさいしたら、1回くらいは解除してもらえっかもよ?ちゃんと正直に言えよ?
7.ブクマコメント上で、嘘をついたり人を馬鹿にしたり傷つけたりする自由はあるけど、相手も同じ自由があること忘れんなし。
8.ネットは自由だ、親にも友達にも言われたことのない言葉を浴びせられる事もある。まあ全部浴びとけ浴びとけ。
9.時には多くの人達に責められることもある。でも自分と同じ考えの人は沢山いるからそこまで凹むな。
10.ポルノはどうなんだ、シモネタ書いて消されたのとか見たことがないな。気が向いたらぜひ下ネタ垢バン1号になってくれ。
11.一応公共の場だから、いざというときには通報されちゃうってことも覚えておいて損はない。
12.うっかりでも相手の大切な場所に踏み込んでしまったらガチで殴り合いが始まると思え。ネットの喧嘩は「最期まで立っていれば勝ち」だ。
13.ブクマの流れとか見えてきても気にしすぎるな。基本ここはお前の日記帳。お前がどう感じたかを書けばいいんだ。
14.時々はブクマや増田のことは忘れて下さい。目の奥が青色でチラチラしてきているんじゃないですか?
15.音楽ネタはみんなが一番平和になれるネタです。安心してブクマして。ただ著作権ネタには注意してね。
17.書き込んだら、書き込む前に、上を見て下を見て。面白いコメントには☆揚げよう。お前がされて嬉しく思っただろう?
18.暇があったら、お前がつけた記事のブクマをじっくり読んでみるといい。自分と同じ記事を読んだ記事もこんなに色々な見方が出来るんだ、そういう発見が出来れば、ブクマも浮かばれるんじゃね?
自動でマッチングしてチャット相手を見つけてくれるマッチングチャットや、すぐにチャット相手を見つけてくれるフリーチャット、コミュニティチャット、フレンドチャットなど、とにかくチャットがメインのSNSです。
■自分について
昨年の4月から、プログラムを学び始めた素人。22歳。札幌在住。
FaceBookがウザい。というか嫌い。
これがきっかけ。
顔本が良いSNSだと話題になっていたので、実名登録してみた。大学の知り合いが見つけてくれて、友達登録などが増える。(ほとんど話したことがない人からも友達登録が来て、「おぉ!これで俺も友達が増えるんだ!」とワクワクしていた)。
が、流れてくるのは自慢ばっかり。
コミュ障で彼女はおろか、女友達もほとんどいない自分にとって顔本で「飲み会行ってきたぜウェーイw」とか、「○○ちゃんの誕生日会なう!」とか、「○○勉強会行ってきたました! みんな熱い人ばっかりで最高!」とか書いてあるのを見て「こんなSNSは嫌だ……」と思った。
ようするに嫉妬です。
で、自分の好きなようにSNSを作ってみたいなぁ。と思いました。
自分の趣味がレトロゲーなので、自分と同じ趣味の人と話せたら素敵だな。ということでチャット式のSNSを思いつく。
が、Webサービスを独力でつくるのはこれがはじめて。というより、プログラム自体がはじめて。
案の定、前途多難だった。
そして私はアホだった。
■とにかく計画を立てる。
ざっくり、どんな機能が欲しいか考える。自分の力じゃ無理そうでもOK.とにかく妄想を爆発させる。
メッセージ機能、コミュニティ機能、あしあと機能、日記機能、コメント機能、つぶやき機能など。
コミニティ専用のチャットルーム、アカウント専用のプライベートチャットルーム(鍵をかけられる)、自動でチャットが開始されるフリーチャット、自分の指定した条件にあう人を自動で見つけてきてくれて、チャットができちゃうマッチングチャット。
などなど。
妄想するのは簡単だ。でも、全くわけがわからない。何から手をつけていいのかわからない。
「うはwwww これで勝つるwww」と思ったけれど、どうやってチャット機能を追加して良いのかわからなかった。改変しようにも謎の記号がめちゃくちゃにならんでいてどうして良いかわからない。
しかも、改変したら改変したでそれを全世界に公開しなくちゃならないらしい(オープンソースというらしい)。
無理だ。
とにかくサーバーサイドの言語と、データベースについて勉強しろや! とのことだった。
■使う言語について。
サーバーサイドを扱える言語はたくさんあって、PerlとかPHPとかPythonとかRubyとか色々あるらしいのだが、色々悩んだ結果
PHPにした。WebサービスならPHPが良いらしい。レンタルサーバーなどでも簡単に扱えるらしい。
後でPHPがクソ言語という話も聞いたが、とにかく最初に選んだのがPHPだったので。
・PHP
よくわかるPHPの教科書。http://www.amazon.co.jp/dp/4839933146/
MySQLとかについて一通り書いてあるので良かった。二週間くらいでなんとか全部こなした。xamppなども触って、ローカルサーバーで色々試した。
これが終わったら、
パーフェクトPHP http://www.amazon.co.jp/dp/4774144371/
パーフェクトって書いてあるから、パーフェクトなはずだと勝手に思い込む。
実際かなりすごい内容で、胃もたれ起こした。一ヶ月くらいで三回くらい読んで、大体のところを理解した。
フレームワークにCakePHPを使ったので、MVCについてのくわしい記述は大変参考になりました。
基礎からのMySQLで勉強。 http://www.amazon.co.jp/dp/4797344385/
最期に
ハイパフォーマンスMySQL http://www.amazon.co.jp/dp/4873114268/
とりあえず掲示板くらいはつくれるようになったので、チャットについてリサーチ。
ajaxとかよくわからん技術やnodejsを使った非同期処理などがあると知る。
nodejsはC10K問題という問題を解決するすごいものらしく、かっこいいらしいのでこれを勉強することに。
ついでにnodejsと相性の良い、mongoDBも勉強することに。
よくわかるjavascript http://www.amazon.co.jp/dp/4839941874/
終わったら、
パーフェクトjavascript http://www.amazon.co.jp//dp/477414813X/
パーフェクトjavascriptはnodejsについてものすごく詳しく書いてあったので、とても参考になった。このあたりで、LINUXというOSを扱わなくてはいけないと気付き、自宅PCをウィンドウズから、LINUX(ubuntu)に変えた。
これはとにかく触ってなんぼでした。MySQLと感覚が違い、苦労しました。
https://github.com/ichikaway/cakephp-mongodb
という素晴らしいものを利用させていただきました。
■このへんで一回限界がきた。
なんとなくnodejsを扱うこともできるようになり、それなりに楽しいと思ってはいたものの、「SNS作ったる!」と思ってから六ヶ月以上が経過していた。
さらにWebサービスを公開するにはデザインもそれなりにしなくてはいけないらしく、CSSなどについて勉強しなくてはいけないと知る。
一人でWebサービス作ってる「ゆーすけべー」さんとかすごいなと思った。
勘違いサブカル野郎だと思っていた「家入一真」とかもやっぱりすごい人なんだと思った。
自分はなんもできないなぁ。と痛感した。
で、悩んでても仕方ないので、デザインはバッサリあきらめることにした。
もうなんでもかんでもやるのは無理なので、捨てるものは捨てることにした。
基本的に Initializr http://www.initializr.com/ (テンプレートエンジン)
と
TwitterBootStrap http://twitter.github.com/bootstrap/ (Twitterっぽい今時な感じのデザインが簡単に使える)
を使うことに。
でも、これだとまさにTwitterそのまんまっぽかってので、
http://bootswatch.com/ (きれいなデザインテンプレートがあるサイト)
も使うことに。デザインについてはこれだけ。
無理はしないことに。
■大体できたら、あとはセキュリティ。
セキュリティは大事。自分のサイトでは一応、登録制なのでフリーメールアドレスなどを預かる。これは流出させたら困るし、なによりユーザー様が安心して使えないなんてだめなので。
これにはかなり注意したつもりです。
まず基本的なことは 『体系的に学ぶ 安全なウェブアプリケーションの作りかた』 http://www.amazon.co.jp/dp/4797361190/
で勉強。
本番環境に公開する前には グーグル先生が公開している skipfishというツールでチェックをしたり、
Dos攻撃対策に、
http://up-point-server.info/?p=54
などに書いてある
mod_dosdetector などを利用。
これははてなさんが公開しているものです。この場を借りて感謝します。ありがとうございます!
あとはSSHへのブルートフォースを防ぐために、DenyHostというツールを利用するなどした。
クラウドサービスを利用しているので大丈夫だとは思うのですが、一応rsyncコマンドでバックアップを定期的にとることに。
サーバー上の別の場所にGzipで保存し、それを自宅サーバーのCentOSで保存するという形式です。深夜にcronで自動的に実行しています。
参考サイトは、
http://mukaer.com/archives/2012/03/14/vpscentos/
です。
■パフォーマンス向上のために少しだけ
はじめはサーバーはapacheだけだったのですが、今は画像ファイルなどはNginxというサーバーを使うのが良いそうなので、Nginxを使いました。
あとはPHPの中間キャッシュを利用するAPCなども利用することに。
このへんについては、
このような解説記事がたくさんあったので、参考にさせていただきました。
■ようやく完成。
で、なんとか完成しました。
使ってみた感想や、ダメ出しなど頂ければ狂喜乱舞します。よろしくお願い致します。
■モチベーションを維持するためにやったこと。
あっさりと書きましたが、実際は失敗の連続でやる気が萎えてばっかりでした。
疲れて帰ってきて、なにもやる気の起きない時もありました。
そういう時は、とにかくサポートページのQ&Aの1文でも良いから書いてみるとか、とにかくパソコンとエディターだけ立ちあげてみるとか、していました。
ものすごーく覇気のない目でキーボード打ち続けていましたが、それでもなんとか完成することができました。惰性だろうとなんだろうと、少しずつは進むのだとわかりました。
やはり1から完全自作をするのは無謀だった。でも、プログラムをやったことのない素人でも約一年頑張ればそれなりのSNSもどきを作ることができた。
これも先人たちの作ってくれたフレームワークや様々なツール、そして参考書などのおかげ。
私のようなアホでも頭の良い人の力を借りればなんとかなりました。ありがとうございます!
そしてプログラムは一人でも出来るので、私のように非コミュでも楽しめる素晴らしい趣味である。
■現在。
今はRubyに夢中です。くり返し処理がすごくきれいにかけるので素敵な言語だと思っています。あと、javascriptも面白いので毎日いじくって遊んでいます。PHPももちろん触っています。
非コミュはあいかわらずですが、プログラムが楽しいので前より幸せです。
使用言語 PHP,Javascript
最初に言っておこう。
失ったものに対しての取り返しのつかなさを感じるのは、そこから多くの物を得ていたからだ。
愛し合った分、憎み合うように。
すべての物は、そうやって釣り合いを取っている。
父を亡くしたのは、14歳の時だ。
2度目の癌で、1度目は胃で、2度目は喉だった。
告知の是非がまだ争われていた時代、彼は知ることを望み、
一時帰宅のときに、家族の食卓で自分は癌だと、必ず治して帰ってくると、そう告げた。
(なんとも日本人とは律儀な性格だ。正月は自宅で迎えたいらしい。犯罪者でも、末期の患者でも。)
すぐに目に見えて容態は悪くなった。
皮膚は乾き、黄色くなり、骨と皮だけになっていく自分の肉親を見る機会は何度もあるものではない。
だけど、そんなことは何も珍しいことではない。
どんなにひどい事も、どんなに素晴らしい事も、この世の中では起こりうるのだ。
何よりも、見た目以上に思い知らされたのは、人が内側から段々と腐っていくその匂いだ。
甘くすえた、その匂いを今でも覚えている。
今でも、何年かに一度ぐらい、町中でその匂いをさせている人にすれ違うと懐かしく思う。
もうすぐ死にゆく人の、その匂い。
そのためには、どんな事象も誤魔化せるのだ。
たとえば、肺に穴をあけて血と膿の混ざった水を吸いだしたり、真っ黒な血を吐いたり、
意識がなくなった父に看護婦が話しかけながら直腸に手を入れて汚物を掻きだしたり、
そんなことを目の当たりにしても、家族は信じるのだ。
「これで悪いものが全部出たから、あとは良くなるだけだ。」と。
廊下に面する個室のドアが閉じられたら、それは隣か、その隣の患者が死んで運ばれるサインだ。
癌病棟の個室は、治療のためのそれというよりも、順番を待つための場所に近い。
不思議なもので、どんなことにでも人間は慣れ、希望を持つことができるのだと思う。
癌病棟でもまた然りだ。
それでも意識を取り戻さない父親の横で、ポパイの「ぼくたちのセックス」特集に夢中になった。
どんなことも、釣り合いが取れているのだと思う。
こんなにも悲しいのは、きっと、こんなにも愛されていたからなのだと。
静かに、いつの間にか彼は死んでいた。
母親と弟が仮眠を取っている間に。
わたしが、介護用のベットで7月の雲の流れているのを見ていた間に。
最期には、痰も腹水も出なくなり、人間は乾いて死ぬものなのだと知った。
何のために、あの8か月は必要だったのか。
何でもないと、今ならば思う。
すべては、私たち自身を慰める、その鎮魂の前払いのようなものだったと。
少しずつ、少しずつ、わたしたちは覚悟を重ねてきたのだ。
見たくないものを認めるために。
後悔をしないために。
誰のせいにも、しないために。
すべての物から得ることはある。
そうだ。わたしは怖くない。死は既に、自分の中にある。
だから、弟が事故で死んだ時も、私は比較的冷静さを保つことができた。
私はもう、14歳ではなく29歳になっていた。
馬鹿みたいなその死因を聞いた時も、少しだけ安堵した。
事故で良かったと。
それなら誰も憎まないですむ。
大きく腹部を膨らませて、全身の穴から血の混じった体液を流す弟の体を拭き、
検死後にドライアイスを置いていかない警察の不親切を苦々しく思った。
仕方のないことだ。警察は葬儀屋ではないし、五月に死体は長持ちしない。
(いつか覚えておくと役に立つかもしれない。)
2度目の―今度はあまりに突然な―身内の死に途方に暮れながらも、
誰も憎まないでいいことに、少しだけ安堵した。
誰かのせいにすること、
誰かに責任を見つけること、
憎しみを将来に繰り延べることは、
死をポケットに入れて。
棺に入れた弟の好きだった詩集は、灰となってなお文庫の形を保ち、火箸で突くと粉となって崩れた。
20代の、5月の生の盛りに(flower of life)、弟は死んだ。
途方に暮れる母を支え、喪服美人妻を気取り、
火葬場で弟の骨を見た時は、とても申し訳なくて笑うしかなかった。
どこも損なわれていない、こんなに立派で太い骨なのに。
どうしようもないことは、どうしようもないことだと思う自分は、どこかおかしいのだろうか。
私は、釣り合いをとるために、手放すことを選んだのだ。
今でも、ふと思う。
自分の中の死を。
自分の周りの死者を。
どうしようもない、役割とか、病とか、不正とか、エゴのことを。
昼間の汗や尿と同じように、夜中の暖かい布団の中で流す涙のことを。
何かを失ったと思っている人へ。
失った分、同じ大きさの何かを得ている。
何かを失ったと感じたのであれば、それは既に、それだけのものをあなたが受け取っていたからだ。
あるいはその痛みは、あなたとあなたの亡くしたものだけで組成されたものだ。
まだ生物とも呼べないような、たった8ミリの物体の写真を見て、少しだけ、泣いた。
大きな喜びと、大きな喪失の両方の可能性を持ったものを、私は孕んでしまった。
だけれど、ともに時間を過ごし、それを失った時に、
わたしは自分を壊さずにいられるだろうか。
死は、私の中にもセットされている。
その事を怖いとは思わないが、少しだけ、祈るような気持ちになる。
どうか、どうか、私が愛する人たちに、沢山の何かを与えることができますように。
釣合いなんて、とれていなくていいから、
たくさんの、―できれば喜びを―、残すことができますように。
死に際の人は声を掛けられて何を思うのだろう?
聴覚は最期まで残ると言われていますから声掛けてあげて下さいねー
と言われても何を言えば良かったのか
余命1日の父に
何か話し掛けようとしても、声を出すより先に涙と嗚咽が漏れてしまいそうで全く無理だった。
病室に詰めている家族誰も涙を見せず、明るく努めていた。泣けるものか。
父が危篤前日まで結局余命や死後の話を一切せず、ひたすら治癒を語っていたのも一因だ。
病・死をただ敵視して、生きる未来を語っていた。そんな父に今までありがとう…とは言えない。涙を見せられない。
親戚が「長丁場だから」と貸してくれたiPadでゲームをしつつ、軽口を叩きつつ、荒い呼吸と酸素吸入器の音が響く病室で夜を明かした。
もう呼吸が止まる時も結局声を掛けられなかった。
「お父さん」と声を掛ければ涙があふれてしまう。半ば絶叫のようになってしまう。
そうすれば良かったのか。悪かったのか。
父が死んでもう8ヶ月になるが、ある小説を読んでその時を思い出したので書いてみた。
たとえば、質感じゃない。iPhoneはガラスだが、ソニエリは基本プラでしょ? 質感が悪い。
もともとAndroidは低価格向けでコストダウンが主流だから 本体の質感が悪い。
あとはソニエリはAndroidのワンオブゼムだから、周辺機器が少ない。iPhoneはiPhoneに対して様々な周辺機器メーカーがパーツを出してる。
細かいところを言っていけば、ソフトの作りこみも違うな。iPhoneは数多くのソフトウェア特許を持っていてバウンシング特許なんかもそうだけど 他社はそういうルック&フィールを使えない。
たぶん、作ってる方もなぜこれでダメなのか?わかってないレベルなんじゃない?研究が足りてない。
最期に、やっぱり サードの話になるけど、iPhoneはiPhoneに向けてチューニングできるけどAndroidはメーカーごとにチップセットも違うし液晶のサイズもまちまち
ようするにAndroidはマチマチでトータルコーディネートができていない。チグハグ バラバラ 高級品のポン付けフランケンシュタイン。
正直iPhoneじゃなくAndroidにする理由は 価格 が1番だけど・・・日本ではAndroidは高いからAndroidにする意味が無い。
正直 iPhoneがほぼ同じ値段で買えるのに、iPhone以外を買う理由が ほぼ存在しない状況。どっちでもいいなら、iPhoneでいいだろ。
飼い猫を先日安楽死させました。
6月下旬に顔の腫れに気がついて動物病院に連れて行った所、上顎に悪性の腫瘍があってもう手遅れだと言われました。
下顎ならば切除することももしかしたら出来たかもしれない、と言われたけれど、そんな事を言われてもどうしようも無い事だと家に帰って泣きました。
悪性な上に進行が恐ろしく早い癌で、半月程経った頃には顔の半分が変形して常に口からはヨダレが流れ腫瘍が腐って部屋中が酷い匂いになりました。
何件もペットショップやホームセンターを周り食べられる餌を探し、少しでも食べてくれと祈るような気持ちで何個も何十個もパウチを開けては捨てる毎日を続けました。
見るからに痩せ衰えた猫は、それでも私が帰宅するとフラフラと玄関までやってきてか細く喉を鳴らすのです。
夜も眠れず流れ落ちるヨダレと涙を拭ってひと月ちょっと。
ある日帰宅すると猫の頬に穴が開いていました。
その穴から黄色い血膿が流れ出て猫の顔は真っ赤になっていました。
抱きかかえると猫はいつものように小さく喉を鳴らしじっとこちらを見つめていました。
もう猫の体は骨と皮になっていて、子猫よりも遥に軽く薄っぺらで、私はわんわん泣きました。
タオルにくるんで抱きかかえ病院へ連れていき安楽死をさせて欲しいと先生に頼みました。
「先生、安楽死はつらくないですか。猫は苦しみませんか」と私が聞くと先生は「つらくない、眠ってそのままだよ」と言いました。
安楽死の準備は時間がかかるのかと思ったのですが、あっけないほどすぐに始まって、あっけないほどすぐに猫は死にました。
処置室から出てきた猫の目には明らかに光りが無く、呼吸は止まっていました。
と言われて抱きかかえると確かに僅かに心臓が動いていました。
何度も名前を呼んで撫でてみてもやっぱりもう猫は入れ物みたいになってしまっていて、私は人目もはばからず待合室で泣きました。
目を開けたまま死んでしまったので、泣きながら目を閉じさせてやると、本当に眠ったようにキレイな姿でした。
あれだけ苦しんでいた面影がすっかり消えてしまったのが不思議なくらいでした。
安楽死をさせた事を私は後悔していません。
ただ私は猫が苦しんでいるのを知っていたしこれ以上苦しめる事は出来ませんでした。
猫が死んで二週間が経ちました。
もう平気と思っていても猫の名前を口にするだけで鼻の奥がつんと痛くなるし、これを書きながらもう顔は涙と鼻水でひどいものです。
もっとああしてやればよかった、こうしてやればよかったと悔やむことは多々あります。
でもそれは結局二度と叶わない事です。
その叶わない願いの中で最たるものは「もう一度だけ猫に会いたい」と言う事。
もう一度だけ撫でて抱いてやりたい。もう一度だけあの喉を鳴らす音を聞かせて欲しい。
無理だと分かっていても願ってやまないのです。
もともと内気で友人はいなかった。両親も仕事で家にはほとんどおらず、保育所に私は預けられていた。
そこにはフィリピン国籍の10歳前後だと思われる未就学児が何人もおり(今思うと法的に大丈夫なのかどうか怪しい)、常に暴力を振るわれていた。
保育士はいつもひとりかふたりで、業務そっちのけでタバコを吸いながらマンガを読んでいたり、私が助けを求めたりすると大抵は無視されるか、最悪の場合その人からも暴力を受けた。
両親も私の置かれている状況の異常性は、保育士の行動以外は把握していた様で、私が「行きたくない」と泣き喚き叫んでも「仕方のない事だから」「仕事があるから」と言って無理矢理私を置いてどこかへ行ってしまうのであった。
この生活は私の記憶が正しければ3歳から5歳までの2年間続いた。
その後、父親の仕事の都合で引っ越す事になり今住んでいる場所に至る。
一連の経歴でほとんど人間不信になっていた私は、引越し後の幼稚園での生活でも、病的に寡黙で、内向的で、友人などできるはずはなく、更に悪意を持った人に目を付けられ、またも私に対する虐めが始まった。
そこは田舎の過疎化・少子化が進んでいる土地だったため、ここから中学卒業までの面子は転校して行った人、転校して来た人を除いて殆ど同じだった。義務教育期間が終わるまで虐めは続いた。
しかも厄介な事に母親の家系が「ほんみち」というカルト宗教を信仰していて、私が他人の害意に晒された時はいつも「お前は(前世の)因縁が悪いから虐められるんだ」と私だけを一方的に悪者扱いし、更には「お前が虐めに遭う事によって前世での因縁が浄化される。抵抗すれば因縁は深まるばかりだ」と意味不明な考えを押し付け、「お前を産んだのがいけなかった」と包丁を向けられた事も何度かあった。
学校での成績は全て悪かったため、高校には進学できなかった。
今は障害者2級の認定を受けて、障害基礎年金で細々と暮らしている。自分では覚えていないが、後で父親から聞かされた話によると私は、「大人になったら自殺する」とよく口走っていたらしい。
今年で年齢は22になる。秋葉原通り魔殺傷事件や、附属池田小事件の実行犯並みに私に行動力があれば最期を覚悟した復讐はしていたと思う。今はもう無気力で、何もする気が起きない。