16. ソーゾー君
日朝国交正常化をしたら即解決する。
中露朝と日本の通商が強固になったら韓国は経済面も外交面も孤立する。
日本が在日米軍に「もう必要ねーから自国の国防に専念してねw今までありがとねーw」と言えば止めになる。
尖閣を日本の領土と今認めたら海底資源開発再開の主導権は日本政府に奪われる・・
日本政府=行政府=司法に主導権を奪われたら海底資源開発は100%御破算になり
中日のエネルギーは欧米エネルギーメジャー依存まっしぐらになる。
国際司法でやり合ったら韓国も中国も勝ち目はないしメリットもない。
北方領土は普通に交渉したら返還出来る・・それは鈴木宗夫が証明している。
まー要するに「日本政府=行政府=司法が妨害してるってこった・・」
http://blog.livedoor.jp/z400kai/archives/18824700.html
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1341436809/l50
いきなり共有しなくてもいいけどまずなにが良いと思ってるのかはっきりさせることだわな
そこをぼかしてメタ議論するのがなによりくだらん
色んなことを重く受け止めるのやめてみたら?
バイト先の塾長に「(うるさくしている生徒を)グーで殴っていいから」と言われました。
でもほんとに殴ったらそれはそれで問題になりそうです。
そのくせ塾長はそういう生徒に甘い顔をしているので、ペーペーの私が怒ったところで大した効果はありません。
どうすればいいでしょう?
なんというかね、出会い厨を恐れず積極的に交流を広めた知人を見てると妬みと言うか裏山と言うか、自分自身がここまでヘタレとは思わなんだ。
オイラは出会い厨と言うレッテルに怯え、ここ数年特に変化もなくただブラックな企業で惰性で過ごしてきたのに、彼は出会い厨レッテルに恐れずと言うか、積極的にSNSで交友を広げ、昨日今日と転職に伴う余暇を謳歌してる。
セックスボランティアとか、韓国の歴史。
以前そんなことを考えていたけども、これ現代にも言えるのかもなーって思った。
「性欲」を「消費という欲求」に置き換えると、だいたい同じ流れで説明できる。
いまどきの人は生まれながらにして「消費生活」という欲求を植えつけられる。
誕生日にはケーキとプレゼントが出る(出さなければならない)し、ゲームソフトやケータイはどんどん出るし。
いまどきの小学生には、ニンテンドーDSやソフトを買ってあげなければ輪に入れないっていう話もあるし。それはまた消費欲求とは別の、日本的な同調圧力の話も混ざってくる。個人が感じる快として植え付けられた消費という欲求と、消費を"みんなやってる"からやらなければならないという同調圧力とが悪循環してそれらを加速させている。
でも収入は減っていくし税金は増えていくし年金はもらえないし生活保護は減る。
ひどい。
だからレイプと等価のことがおきる。つまり売春とか。カネ欲しさに犯罪を犯す。
または、収入がなくなったり、会社をクビになったりすると死と同義であると思い込み自殺する。消費者金融が増える。
だから、これから生まれてくる子には、どうか「消費生活」なんかを植えつけないでほしい。無欲に低コストな生活を植えつけてほしい。そのためには、なにか宗教や信仰を利用するのが効率的なのかな。お坊さんのような。でもアメリカとか中国とか、消費に突き進む国と付き合ってるし、そんなの無理なのかな。
補足しておく
「欲求があるのにそれが満足できないという状況でこういうことが起きる」
ということを言いたいのがこの文章の主旨であって、
これを考えていた中でウヨクとかサヨク的な要素は一切ないです。
そこをお間違いのないよう。
君には強引さが足らないんだよ。最後の一線超えを彼女にさせようなんて男は物足りない。時には、強引にきてほしいもんなんだ。
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Amazon.co.jp: 禁酒法と民主主義 (社会の科学入門シリーズ)
日本とは違う韓国の食事マナーを紹介!残しても片膝ついても大丈夫ってほんと? 韓国では全く逆!お茶碗を持ち上げるのはマナー違反
「原爆投下は正しかった」アメリカ人の56% しかし若者を中心に徐々に減少(調査)
ttps://www.huffingtonpost.jp/2015/08/10/atomic-bomb-injustice_n_7963898.html
どちらの政府が良い? 大きな政府「高福祉高負担」 小さな政府「低福祉低負担」
良い人? 良い行い? 良い振る舞い? 良いマナー? 良い区別? 良い差別? 良い戦争? 良い原爆投下? 良い絨毯爆撃? 良い軍事? 良い政治? 良い外交? 良い税制? 良い福祉? 良い宗教? 良い芸術? 良い本? 良い絵本? 良い小説? 良い音楽? 良い広告? 良い宣伝? 良い店? 良い料理? 良い接客? 良いサービス? 良いアフターサービス? 良い値段? 良い観光地? 良い企業? 良い職場? 良い仕事? 良い趣味? 良い友人? 良い知人? 良い先生? 良い医師? 良い中絶? 良い胎児殺し? 良い殺生?
右翼が理想とする「良い」日本 中道が理想とする「良い」日本 左翼が理想とする「良い」日本 国粋主義者が理想とする「良い」日本 リバタリアンが理想とする「良い」日本 リベラルが理想とする「良い」日本 社会主義者が理想とする「良い」日本 共産主義者が理想とする「良い」日本 独裁者が理想とする「良い」日本 無政府主義者が理想とする「良い」日本
たとえ「日本を良くしたい」という点で利害が一致していても、
ある日、ぼくが行きつけのバーに足を踏み入れると、こんな会話がなされていた。
「わたしって○○が好きなんだよね」
「ああ、××ってやつですね」
「おー、わかっているじゃん!(握手を求める)」
バーのカウンターには5、6人の客がいたと思う。その店は小さくてカウンターしかなく、みんなで話題を共有するところだった。それにも関わらず、二人は二人だけに通じる言葉で盛り上がっていたのだ。
池下チエの元カレである田無タクミに、新しい彼女ができた。チエはその手助けをしてくれたため、タクミはお礼がしたいと食事に誘い、タクミの彼女とチエの彼氏の西尾みのるも含めて4人でご飯を食べることになる。
みのるとタクミは初対面。なおかつチエと肉体関係がある同士ということで微妙な間柄なのだが、会話をしていくうちにお互い百人一首が好きだということがわかってくる。そして、二人で相手が口にした上の句を聞いて、下の句が当てられるかというゲームをしだすのだ。
チエは百人一首がわからない。そのうえ、タクミの新しい彼女まで、このゲームに参加しだしてしまう。
一人取り残されたチエは……怒って部屋を出ていってしまうのだ。
『婚前特急』と冒頭のバーの会話に共通しているのは、「限られた人間で知識の確認をしあう」というのと、それによって「阻害」が生まれているということだ。
ぼくはこの手の会話は世界で一番醜いと思っているし、参加しないようにしている。なんの発展性もなく、周囲を排除するような排外的な会話になんか加わりたくない。
そうして、ぼくはバーで一言も口を開かず、朝までずっといた。
こうした会話はサブカル好きのあいだで頻繁に行われている。彼らの会話は本当に幼稚で、頭がくらくらしてくる。ずっと「知識の確認」に終始しているのだ。
A「○○って知ってる?」
B「知ってるよ」
A「すごい! ××は?」
B「知ってるよ」
A「すごい!」
そんな会話を横で聴きながら、ぼくはどうやったら世界が平和になるかについて考えていた。結論だけ言えば、サブカル好きを文化シーンから早急に退場させるしかない。
2010年に芥川賞を受賞した小説『苦役列車』はこんな話だった。
中卒で家を飛び出し、日雇いの肉体労働で生計を立てている貫多には、長らく同年代の友人がいなかった。稼いだお金もソープで使い潰すような毎日を送っていた貫多だったが、仕事現場に専門学校生の日下部が働きに来るようになる。二人は年齢が近いこともあり、現場終わりに飲みに行くような仲になっていくのである。
貫多にとっては久々にできた友人だったが、二人の関係は突然終わってしまう。日下部が貫多との飲みに女友達を連れてきたのが原因だ。
二人は貫多を置いてきぼりにし、二人だけで趣味の話題に盛り上がってしまう。
一人取り残された貫多は……怒って店を出ていってしまうのだ。
サブカルの醜さを浮き彫りにしたこの小説は、見事日本文学のトップの称号を得た。なんていったって石原慎太郎が認めたのだ。
サブカルとは要するに安易な優越感を売る「ファストフード」でしかない。
町山智浩や吉田豪、菊地成孔などをフォローし、発言を真似すれば、自分も「わかっている」側にいられると考える浅ましさ。実際は、自分で何の価値判断もせずに、彼らの美学にフリーライド(タダ乗り)しているに過ぎない。ファストフードを貪り食い、自分は「グルメ」なんだとドヤ顔をしている。結局は、他人の真似事でしかないのに。
たまに「大槻ケンヂが好き」と公言するアイドルが出てきたりして、何がメインなのかさっぱりわからない中途半端な雑誌で対談したりしている。そんな人間ははっきり言って「信用できない」。
なぜなら「オーケン」が取り上げられるのが、必ず「主流とはちょっとズレたものが好きな私」という文脈だからだ。
大槻ケンヂなんて、メジャー中のメジャーだ。「サブカル」でのなかで一番目立つものを手にとっておきながら、「一般的な女の子とはちょっと違ってマイナーな趣味嗜好を持つ私」というブランディングを展開している。
安易そのものじゃないか。本当に自分だけの美学を持っていて、それに合致するマイナーなものが好きなんだったら、大槻ケンヂなんか手に取るはずがない。ネットの片隅にしかないような、誰に言ってもわからないものを偏愛しているはずだ。
「大槻ケンヂ」に手を出す時点で、安易なエゴイズムが芽を出している。
雑誌『TokyoGraffiti』を開いてごらんよ。「消費」を、あたかも「経験値アップ」だと思っている連中が大集合している。彼らはサブカル文化人やサブカル雑誌が誉めそやしたものをコレクションすれば、自分の「レベル」(「ステージ」と言い換えてもいい)が上がっていくと思っている。
ドラゴンクエスト6には「かっこよさ」というパラメータがあったが、すぐに次作で消えている。堀井雄二はわかったんだ。「センス」だとか「オシャレさ」だとかいうのは、決して数値化できないし、競うことでもないってことを。
「美学」っていうのは外にあるものじゃない。自分の内側にしかないのだ。ぼくらはそれを孤独と向き合いながら、井戸を掘るようにして、少しずつ深めていくしかない。美学っていうのは他人の真似事で生まれるようなものじゃない。
他人の美学に安易に乗っかって、得意顔をするのは、結局のところ、滑稽でしかない。
じゃあ、この現状を打破するにはどうすればいいのだろうか?
彼らに間違いを気づかせ、正しい道(自分だけの美学を磨く旅)に向かわせるにはどうしたらいいだろう?
ぼくは『小説の読み方の教科書』(岩崎夏海)を読むことでしか解決できないと思っている。
この本は「本当の読書」とは何かを教えてくれる。ぼくらはあまりにも汚染されてしまった。誰よりも詳しくなきゃいけないだとか、センスが重要なんだとか、これを理解できるのは頭がいいからなんだろう、とか。
岩崎夏海はそんな現状を正しく認識し、解毒剤を処方してくれる。
誰かを仮想敵とするような読書はやめなさい、と。「本を読む」っていうのは孤独な作業であり、作者の「問い」と「自己」を真摯に向き合わせることなんだ、と。
これはすべての消費行為に言えることだと思う。「誰かに勝つための消費」をサブカルはしてしまっている。
そして、それはすべて他人の価値観に基づいているのだから、始末におえない。「あの人が褒めていたから、これを見れば周りに勝てる」って具合にね。
誰かの価値観に依存して、他者を阻害して、そうやって得意顔になっているエゴイストたち。
こんな人間が蔓延っているようでは、日本の文化は早晩終わってしまうだろう。そうなる前に、彼らの目を覚ましてあげなきゃいけない。ぼくはそのために生きるよ。
それぞれが、それぞれの美学を成長させ、それに乗っ取って生きていけば、ぼくは世界がもっと楽しくなるに違いないと、信じている。中沢健の美しさを、ぼくらは見習わなきゃいけない。
人類の歴史を紐解けばわかるように、自分だけの美学を磨いた人間だけが、世界を驚かし、未来に名を残すことができるんだ。
そう、紀里谷和明のようにね。
http://anond.hatelabo.jp/20121020130051
よく「私人と公人ではプライバシー保護のレベルは違う」と言うけど、
公人の出身地であることを理由に被差別部落の地名を実名で報道しても許されるのだろうか。
最近ポルノアニメのおかげで性犯罪が減ってるという言説を聞かなくなったな。
たまにnakamukaeみたいなのが煽ってるの聞くぐらいで、はてな界隈では大人しくなったな。