2013-07-30

母親ががんで死んで一年が経った

母親ががんで死んで一年が経った。父親は認知症が進んで施設にいる。

母親入院して、みるみる痩せて、他愛のない話をしていた時から、それはそう遠くないとは思っていた。しかし、何の準備も始まらないうちに別れの時は容赦なく訪れた。

母親にあと余命半年でもあったら何ができたか、と考えても、いい答えはでてこない。母は特に裕福でもなく、特に才能があったわけでもなく、特別なことはほとんど何もない、ただ自分を立派に育ててくれた偉大な母親であった。母の残した家財が少しある。遺産はほとんどない。家には体調を記した頃の日記や、昔の年賀状や、住所録や、友人に宛てた手紙が少し残っているが、それ以外にはもう僕らの記憶の中にしかいない。

母に余命があったら、母はこの世に何か形に残るものを遺そうとしただろうか。たぶんしない。みんなの記憶に残るような事をしたり、言ったりするだろうか。たぶんない。じゃあ、余命があるうちに母が経験たかった何かをしたいと言っただろうか。思えば、好きだった穴子ずしを食べたいと言ったぐらいのことである

この余命期間に何ができたかを考えると、それは人が生きる目的っていうことじゃないかと思うようになった。つまり、余命期間に著作物を残そうというひとは、それを遺すことを生きがいとしているのである。だったら、母は何の生きがいもなかったのか。いや、僕ら子どもたちがいて、孫達がいて、その成長を楽しみにしていた。ただ、子供や孫の成長はきりがない。いつまでも成長し続けるので、いつか途切れることになる。

そういう意味では、母は最高の状態だった。僕はアラフォーで、会社員で、家庭がある。嫁さんは愛想がよくないが、笑顔を絶やさない孫達がいたのだ。祖父母は先に他界している。他に特別なんの生きがいもなく、父の世話ばかり焼いていた母の最高の記憶はこうして何の心配もなく家族が元気に成長していたことに違いない。

一方で、父親は認知症が進んだ。丁度母親が亡くなる頃にはもう母親の死を認識できないようになっていた。幸せである空き家になった実家に連れて帰るたびに「あいつはどこにいった?」と聞いてくるので、毎度同じようにもう死んだんだよと伝えると、「それはえらいこっちゃなあ」と少しさみしそうにするが、すぐにそれを忘れてしまう。

記憶を作るのが生きる目的だとすると、父親はもう目的を見失っている。だんだん子供のような行動をとり、最近のことは何一つ覚えていない父親を見ると、こういう終末もいいなと思えてくる。あと何年か、何十年生きられるかわからないけど、父の最期がたとえちょっと苦しいことだとしても、本人はすぐに忘れちゃうんだと思うと僕は気が楽になる。

さて、僕はこれからどんな記憶を作ったり、何かを遺していくんだろうか。時間は限られている。僕は目立ちたがりの性格なのだから、こうしていろいろ著作物にしておいて、みんなの話題になりそう、っていうのが自己満足にちかいかな。

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