2012-10-24

悲しくて

死に際の人は声を掛けられて何を思うのだろう?

聴覚最期まで残ると言われていますから声掛けてあげて下さいね

と言われても何を言えば良かったのか

余命1日の父に

何か話し掛けようとしても、声を出すより先に涙と嗚咽が漏れしまいそうで全く無理だった。

病室に詰めている家族誰も涙を見せず、明るく努めていた。泣けるものか。

父が危篤前日まで結局余命や死後の話を一切せず、ひたすら治癒を語っていたのも一因だ。

病・死をただ敵視して、生きる未来を語っていた。そんな父に今までありがとう…とは言えない。涙を見せられない。

親戚が「長丁場だから」と貸してくれたiPadゲームをしつつ、軽口を叩きつつ、荒い呼吸と酸素吸入器の音が響く病室で夜を明かした。

もう呼吸が止まる時も結局声を掛けられなかった。

「お父さん」と声を掛ければ涙があふれてしまう。半ば絶叫のようになってしまう。

そうすれば良かったのか。悪かったのか。

父が死んでもう8ヶ月になるが、ある小説を読んでその時を思い出したので書いてみた。

悲しみの記憶はまだまだリアルで生温かい

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