2013-06-13

子供を作るのは鬼畜所業。それか馬鹿

子どものこと、ちゃんと考えたほうがいいよ」という暴力 - キリン逆立ちしたピアス

http://d.hatena.ne.jp/font-da/20130612/1371012059

http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/font-da/20130612/1371012059

障害児を産むのが恐い http://anond.hatelabo.jp/20130613094716

子供を作るのは鬼畜所業

両親が子供を作れば、子供は生まれてきて様々な体験をする可能性があります

子供がどうなるかはまったくわかりませんが、それを作るかどうかを最終的に決めるのは両親です。

作りたければ作ればいい。作りたくなければ作らなければいい。

この増田趣旨

子供を作る人たちの多くが見落としているか軽視しているであろうと思われる、子作りに対する「ある観点」。

この観点から子供を作るという事について述べます

これは子供を作る上でしっかりと念頭に置いた方が良い重要観点であると思われます

この増田を読んで何か思う事がありましたら、自分なりによく考えてみると良いかも知れません。

特に将来子供が欲しいと思っている人は、事前に考える機会があっても良いかと思います

というわけでこの増田は、読んだ人に考える切っ掛けを提供するための増田です。

「子作り」とはどういうことか。「子作り」とは全て自分の都合。

「子作り」とはどういう事か。

よ く 考 え て く だ さ い。

生まれた子供はどういう目に遭いますか?

また、どんな目に遭う可能性がありますか?

想定出来る事だけでも不幸苦痛の雨あられですね。

また、親の想定外幸福も有り得ますが、

想定外の不幸も起こり得る事をお忘れなく。

自分の子に限って…」とか「ウチは大丈夫」とか…。

本当にそうでしょうか。よ く 考 え て く だ さ い。

全ての苦痛は生まれる事によって生じます

悲惨な状況を色々とイメージしてください。

生まれなければ、それらを 全 て 回 避 出 来 ま す。

子供悲惨な目に遭った時。原因は誰にあるのでしょうか。

どんな場合でもハッキリ言える事は、

親が産まなければ子供もそんな目には遭わなかったという事。

親 は 直 接 の 原 因 だ ろ う が。

この問題から逃げないでください。

子供が欲しい方へ。

何故子供が欲しいのか、よく考えてください。

考えればわかりますが、全 て 自 分 の 都 合 で す。

子作りは2つの意味博打である

一つ目はまんま、「子作り=博打」。

即ち、親の目的は己の利益利益を得られるかどうかは運に依存する。

賭け物は子供

要するに、子供(賭け物)を用意して利益を得ようというのが子作り。

賭けに勝てば(運が良ければ)親は利益を得る。

賭けに負ければ(運が悪ければ)親はその身を削る事になる。

(当然、勝ちとも負けともつかないケースもある)

二つ目は、「人生博打」。

即ち、子供人生がどうなるかは博打的要素(運)に依存する。

生まれた子供博打に強制参加させられ、

勝てば(運が良ければ)幸福人生を。

負ければ(運が悪ければ)苦痛に満ちた人生を送る。

(当然、勝ちとも負けともつかない人生もある)

子作りとは、この2つの博打を別々に行う事と理解して欲しい。

この博打の性質として、一つ目の博打二つ目博打も常に絶えず打ち続ける事になる。

その博打を打つ点(つまり人生)が無数に繋がり線となったものが人の一生である

まとめると、

己の利益を求めて親が子供を作る。

の子供は「博打人生」に強制参加。

せめてこれ位は理解した上で子供を作るかどうかを決めるのが望ましい。

子供への思いやりが無いからこそ子供を作る』

子供を作る事を決定するのは両親である

そして、実際に交尾をして作るわけだ。

では仮に、とてつもなく幸福な気持ちで生き、幸福なままの気持ちで死ぬ可能性が90%、とてつもなく不幸な気持ちで生き、不幸なままの気持ちで死ぬ可能性が10%の人生があるとする。

交尾によって子供にこの人生を負わせるとした場合、親は子供幸福になる可能性を容認すると同時に、子供が不幸になる可能性も容認している事になる。

可能性を容認するという事は実際にそうなる事を容認するのと同義であり、親は『子供が不幸になる事も容認した上で』子供を作っているのだ。

その辺は理解出来るよな?

例えば、日本人の1/3はガンで死ぬ日本人の男女が子供を作る場合その男女は「自分の子供がガンで苦しみ抜いて死んでも良い(仕方が無い)」と思って子供を作るわけだ。

例えば、人間は必ず死ぬ。どこかのカップル子供を作る場合、そのカップルは「自分の子供が死んでも良い(仕方が無い)」と思って子供を作るわけだ。

例えばこの世では、病気、障碍、事故犯罪災害など様々な危険が降り掛かる可能性がある。

子供を作る者は、当然の事ながら「自分の子供が病気になっても、障碍者になっても、事故に遭っても、犯罪に遭っても、災害に遭っても良い(仕方が無い)」

と思って子供を作るわけだ。

子供を作るとは、そういう事である

子供が欲しい」という親のエゴを充足させるために、膨大な危険子供に「無理やり」背負わせるのだ。

子供への思いやりが無いからこそ、こうして子供を作る事が出来るのである

『子作りは子供への死の強制である

まり子作りは殺人であるという点について。

別に法的な話をする気はない。

出産というのは、相手が死ぬとわかっていながら子供を作る行為だ。

生まれてすぐ死のうと80年生きてから死のうと、人の死ぬ原因が「両親がそいつを作ったから」であるのは確実だ。

事故で死のうが事件で死のうが病死だろうが災害で死のうが、そもそも死ぬのは「両親がそいつを作ったから」。

人が殺された時って「殺した犯人」が非難されるが、そもそもの問題として「親が産んだから子供死ぬ

出産というのは殺人よりも根本的な意味に於ける人殺しじゃあないのか。

人が何らかの理由で死んだ時、その理由というのは死の時期を決定するものだ。

だが、親はその時期に子供死ぬ事も容認して子供を作っているはずなので、親が犯人を責める事は出来ない。

そして、子供に死という結果そのものを喰らわすのは他でもない親だって事。

『つまり…』

人生子供にとっては非常にリスクの大きなギャンブル)」と「死(これは確定している)」。

この2つを他人に無理やり押し付けるのが子作りなんですよ。

それが善いとか悪いとかではなく、「わかっててやってんの?」って言ってんの。

わかっててやってるなら私は「鬼畜」だと思うし、

そんな事すらわからずに子供を作ってるなら私は「バカ」だと思うのね。

子供を作りたいから作る人」に対して私があれこれ言う事は出来ません。

しかし、「子供を作る事を正当化しようとする人」については批判します。

ありがちな反論に対するあらかじめの反論

反論

何を不幸と感じるかなんて子供主観次第では無いのか。

どんなに悲惨な状況であっても

それを幸福に感じる子供も居るかも知れないだろう。

反論に対する反論

その通り。逆に言うならば、

どんなに恵まれた状況であっても

それを不幸に感じる子供も居るかも知れん。

子供が不幸になる可能性」とは、

子供が置かれる環境に対しての言葉では無い。

子供主観が不幸を実感する可能性を指した言葉である

反論

子供を作らない事もエゴなのではないか

反論に対する反論

エゴですよ。

子供を作らない場合

自身のエゴによって子供が不幸になる事は無い。

子供を作る場合

自身のエゴによって子供が不幸になるという事態が起こり得る。

あなた子供自分エゴ犠牲になる事を容認するのか?

ここではそういう話をしているのだ。

反論

まず「不幸」の定義をはっきりさせろ。

反論に対する反論

「本人が不幸だと感じたら不幸」だ。

本人の主観依存する問題なので、細かい定義をする事自体がナンセンスである

強いて言える事があるとするなら、不幸とは「絶望感」に苛まれている精神状態である

絶望感に対して積極的な気分で向き合えないのなら、それが「不幸」だ。

まり、「本人が不幸だと感じたら不幸」という事だ。

よくある出産のケース

世間体タイプ

自分の考え、例えば「子供が欲しいか、いらないか」などを

自分たちで真剣に考え、きちんと相談し合ったことが無く、

子供作らないの?」「孫の顔を見せろ」などという外圧

ただ流されるままに子供を作ってしまタイプ

感情的タイプ

避妊具の存在も知っており、使い方も知っている。

将来設計も無計画で、自分たちに子育ては困難なのも知っている。

だが、一時的な感情の高ぶりを抑えるのが生まれつき苦手で

己の「ほとばしるもの」におまかせのタイプ

自分では情にあつく、人間味があると思い込んでるが

他人への迷惑行為は抑えられないような「人間味」である場合が多い。

現実逃避タイプ

感情的タイプの親戚のような存在

子供でも産めば何か変わるかもしれない」という

何の根拠もない理論に任せて出産するタイプ

「今自分がすべきことは他にある」という現実からは逃げ

手っ取り早い一人前扱いにすがる。

たいそうな目標を持って海外留学に旅立ったはずなのだ

留学先で男を作り妊娠、当初の目的も半端のまま帰国し

シングルマザーになるような者もここに分類される。

ようするに「母親になるという大いなる名目」を周囲に突きつけることで

己の人間としての中途半端さをごまかすわけである

これは「親になれば一人前」という風潮を作った社会にも責任はある。

無能連鎖タイプ

自分が駄目だったか子供に期待するタイプ

駄目だった奴の遺伝子で頑張らなければいけないのだから子供は楽じゃない。

いくら期待をかけても、結果も親そっくり。

そんな基本的なこともわからず、無意味連鎖を繰り返す。

自己実現利用タイプ

子供自分の所有物という意識が強く、自分の為に子を利用するタイプ

おかし名前をつけてみたり、下品なブランド物を着せてみたり

自分趣味押し付けたり、芸能界に入れて下品なことをさせる親もこのタイプ

彼らが愛しているのは子供ではなく、個性的なパパママを演じている自分自身である

お国の為タイプ

上記のような理由だけではかっこ悪いか

社会貢献などを持ち出して、さも自分先見の明があったかのように装い

己の人生歴史を美しく書き換えようとするタイプ

子孫を残したことしか自慢するものがない冴えない男親や

子供を育てたことぐらいしか自慢するものがない主婦に多い。

科学者タイプ

「何億もの精子の中で自分が選ばれ生まれてきた」

生命神秘「奇跡」などと、現象の面白さばかり取り上げ

「そうして生まれてきたもの果たしてどれだけのものなのか」

という問題は「考えると暗くなる」と不問にし、

ただ己の好奇心にのみ生きてるタイプ

・番外編・ オカルトタイプ

「子は親を選んで生まれてくる」と思っているタイプ

自身の信仰する宗教宇宙観を押し付けるのもこのタイプ

よくオカルト世界では「人生は魂の修行の場」と言います

なぜ時空を超えるほどの存在が、極めて人間臭い修行に励むのでしょうか?

前世の罪を償う為」という理屈もよく聞きます

善悪なんてものは元々人間ルールとして決めたものに過ぎず

人間でさえ「罪を憎んで人を憎まず」と言っているのに

魂を管理する神はずいぶんと粘着体質ですね(笑)

私が神ならもっと良い修行方法を考えますがね。

よくも産みやがって

強制的にこの世に産みだして、面倒見るのは可愛い子供の時だけ

大人になれば人生の大半を労働に費やすことを義務とされ

何もしないだけでゴミのように扱われ、自殺するのすら苦痛を伴う

頑張ってこの世で生きていく道を選んだとしても

最期は大半の人間病気なんやで苦しみながら死に、それまで築き上げてきたもの全てを失う

こんな苦行みたいなもんに自分たちの都合で強制参加させる親は自己

自分たちの幸せのことだけで、子供のことなんてまったく考えていない

生きるの辛いねといえば、みんなはもっと辛いんだ甘えるなと返される。

生まれる事幸せ、みんなで子供を守る見たいな倫理観。

でも、いざ生きていく事に耐えられ無くなって来て生きるの辛いねといえば、みんなはもっと辛いんだ甘えるなと返される。

みんな辛いのか・・・矛盾

基本、生るの幸せしか言ってはいけない。

別に成長して行く子供も守られてる訳ではなく誰も助けてはくれない自己責任

でも誰もが何時も子供を守ってると言うしそれが正しいと思ってる。

助けを求めれば当然誰も助けてはくれない。

支えてる振りして子供を操ってるのと、何もしてないのに守ってる恩を与える。

あんたが産まれてくると分かっていたら産まなかった。

親には、なぜ、私を産んだのか。何度も聞きました。

その理由が私にとっては納得のいくものではなくて、余計に腹の立つものでした。

から、そんな理由で産むな。と言ったことがあります

傷つける気持ちがあったというより、腹が立ったので言ったんだと思います

そのあと、あんたが産まれてくると分かっていたら産まなかった。

とも言われました。

この負の遺伝子はここで終わらせるべきだと思っています

でも産まれてきてしまったので、自分死ぬのは怖いです。

怖い思いして自分死ぬ為に産まれたのなら、

最初から産むな。って気持ちです。

寿命いっぱい、希望も無いのに、自分だけの為に働いて

自分だけを食わせて生きいる強さのある人間は凄いなあ。と思います

そういう人が、何を思って生きているのか知りたい。

産まなければ何も起きなかった

そもそも子供を産まなければ何も起きなかった

頼んでもいないし産む必要もない

根本の問題から目を背けるのはなぜだろうな

自分も将来同じ罪を犯すつもりでいるから?

親を責めないことでちょっとでも自分の評価を高めようという姑息な考え?

この世界地獄っぷりは日々ニュースでも目にしてるはずなんだがな

全て消化され記憶に残るのは成功例だけか

中絶される胎児が羨ましい

自殺スレをまわって少しでも苦しまずに死ぬための情報を集めてると

心底怨みがこみ上げてくる

親が産まなければこんなことしなくても良かったのに

自殺しなくても、どうあがいたって最後死ぬ

そのとき自殺よりもっと苦しむかもしれない

子供を産むことは人殺しと変わらない

どうして私の子がこんな目に

子供がひどい事故や事件、病気などになり

「どうして私の子がこんな目に」

という場面をテレビなどでよく見かけるが理解出来ない。

 

”こんな目に”あう可能性が充分ある世界という事は既に分かっていたはず。

何も不思議じゃない。普通に想定出来る範囲の悲劇が起きてしまっただけ。

運が悪い?そうだな。この世界に生まれた事が既に運の尽きだ。

 

子供を産む行為、それは子供がこの世界で”こんな目に”いや

”どんな目にも”あうかもしれないという事を想像覚悟するべきだ。

「私の子に限って」なんてのはそれこそ身勝手な妄信。

でもこれらを全て受け入れて

それでも産もうとする人間なんてそれこそ、理解出来ないけどな。

 

ああ、だから麻痺して思考停止状態で産めるのか。

それが人間の、種の本能的な仕組みなんだな・・・残酷すぎる。

同情することない。

子供を産んだら生まれてくる子供が苦労する。親も苦労する。

から子供を産むべきでない」と主張すると子産み派は、

  ・そういう考えはネガティブ思考だ

  ・人間苦労して成長する

  ・人生には苦しいことばかりじゃなく楽しいこともある

  ・頭でっかち

  ・こんなこと言う人は頭のネジが足りないんじゃないの

  ・うつ病じゃないの

と、偉そうなことを言うのである

しかし、実際に苦難・災難が子供自分自身に降りかかると

  「どうして私の子がこんな目に」

  「どうして私がこんな目に」

とこうである

本当に都合のいいおめでたい頭してるわ。子供産む奴って。

子供を作ったやつがその人生で苦しんだとしても同情することない。

  「ポジティブ思考で苦しんでください」

  「人間苦労して成長する」

  「人生には苦しいことばかりじゃなく楽しいこともあるでしょ」

と言ってやればいい。

子供自殺する、これもまた自然のうちだと。

親の都合と自然の欲求で子供を作るのだったら

いつ子供自殺されても「親不孝」などとは決して言わないで欲しい。

自分の意思以外で産まれてくるのだったら、せめて不幸になった場合

子供の意思で死ぬのを許容してほしい。

確率でも自殺はあるので、どうかお願いですから

親はそれをたまに起こり得る「織り込み済み」のこととして納得してください。

子供自分死ぬ、これもまた自然のうちだと認識してください。

不良品は廃棄されるものなのですから

生きる事は辛い。死ぬ事も辛い。

生きる事は辛い。死ぬ事も辛い。

両方とも辛いのだから、現時点でマシな方を取ればいい。

「死んだ方がマシだ」と思うようになるまでは生きる。

最期までそういう風に思う事が無ければ自然死するまで生きてもいい。

それで何の問題も無い。

生きるも死ぬもクソだが、マシな方を選べばいい。

生きる事が素晴らしいと思えるならば、そう思っても別にいい。

ただ、言える事は、

生まれて来たヤツが人生をどう捉えるようになるかはわからない。

人生を肯定出来るヤツになるかも知れんし、

人生を悲観して絶望しながら生きるヤツになるかも知れん。

子供を作るという事は、「生まれる子がどっちになるかはわからないけど取り敢えず作りますよ」という事だ。

何故作るかと言えば、それは「作りたいから」。つまり自分のためだ。

子供の事なんか考えちゃあいない。

この事を変に美化しようとするから、子作り賛美の醜悪な風潮が出来上がる。

美化などしなくていい。

子供がどうなるかは知らんが、俺は子供が欲しい。それだけだ」

と思えるヤツだけが子供を作ればいい。

子供の事を自分よりも優先させたければ、子供を作らなければいい。

この「子供を作らない」という事に関しても、自分がそうしたいからそうするだけだ。

どちらにしろ自分のためだが、

自分のための行動に子供を巻き込むのか、巻き込まないのか。

その点が異なる。

子供を作る事が一番子供の事を考えてない

子供を作る事が一番子供の事を考えてない」

と言ってるだけで、これは紛うことなき事実で真理だろ?

自分子供を作った時or作るとしたら

どんな心理でか考えて見ればいい。

どう足掻いたって自分(親、今生きてる側の人間

の都合しか出てこない。

子の為に子を作るんじゃなく、自分の為に子を作るんだ。

そこには別に善も悪もないし、求めてもいない。

子供を作るなと書いてる訳でもない。

ただありのまま事実として

子供を作る事が一番子供の事を考えてない」

これがあるよね、ってだけだ。

不条理

子供を作ることを是とすると不条理が生じる

子供を作ることを非としておくと不条理が説明できる

それだけ

矛盾が無い否定論を正しいと見て置き、作りたい馬鹿勝手にすればいいだけ

不条理も込みでね

作ることを是とするために正しい見解を捻じ曲げてはいけない

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