2013-04-18

緩やかに衰弱していた「ゲーマーとしての自分」 が昨日遂に死んだ

自分なりのゲーマーとしての矜持

量販店ゲームコーナーではなく町のゲーム屋で買う」

量販店ゲーム家電の撒餌に使ってるだけだから、可能な限りまだゲームを売り続けている町のゲーム屋で買いたいと考えていた。

しかしこの矜持は一番最初に折れた。

職場が変わったことやゲーム市場の変化により、近場に支えるべきゲーム屋が無くなってしまたからだ。

否応なく町のゲーム屋を殺す側に加担せざるを得なくなってしまった。


「買ったゲームは未開封で積まない」

ゲームを遊ばずに積むなんてゲーマーの風上にもおけない下衆な行為なので買ったゲームは必ず遊ぶべし、と考え実践していたもの

過酷な職に転職したためゲームを遊ぶ時間が取れず、帰宅すると心はゲームを遊ぼうとするも身体が休息を求め寝てしまうという状態となり

やむなく下衆の仲間入りを果たした。

今では職を変え時間に余裕はできたものの、一度下衆に成り下がって折れた矜持は戻らない。


「少しでも興味のあるタイトルは発売日にフルプライスで買う」

かつて支えようと誓った町のゲーム屋の敵にまわろうとも、下衆にまみれて積ゲーしようとも、せめて興味を持ったゲームぐらいは発売日にフルプライスで買い

ゲームの作り手だけではなく、そのゲームがこの手に届くまでに携わったすべての人に報いようと思っていた。

興味のないタイトルならいざ知らず、興味を持ったタイトルぐらいは安売りや投げ売りを待つような腐ったマネはするまいと心に決めていたつもりだった。

でも、最期に残った矜持もあっさりと折れてしまった。

昨日ふと、興味があったのに何故か買っていなかったゲームタイムセールになっているのを知り、気がついたら買っていた。


あとから冷静になって振り返り、「このゲームを発売日に買わなかった時点でゲーマーとしての自分は死んでいたんだ」と気付いた。

社会人になって十数年、自分の稼ぎでゲーマー気取ってきた日々がこうも簡単に終わるとは夢にも思わなかった。

なにより、この事実に昨日まで気付かなかった自分が情けなかった。

シックスセンスラストみたいな感じ。

「あぁ、自分はもう死んでたんだ」って感じ。

シックスセンス見てない人はごめんなさい。


これからゲーマー気取らずにちょっとゲーム好きなおっさんとしてひっそり生きていきます

そういや、ゲーマーだった頃の矜持一つ残ってた。

「買ったゲーム中古に売らない」

これだけはまだ保ててる。

ゲーマー気取ってるクセにチャリンカーみたいな不様な真似死んでもしないと思ってた。

でももう流石に500本ぐらいあって邪魔になってきたし、これも限界近いと思う。


最後

ここに書いた矜持は全て「ゲーマーとしての自分のものであり

すべてのゲーマーがこうあるべきとは考えてません。

自分の金の使い道は自分で決めるものですしね。

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