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はてなキーワード: 帰宅部とは

2021-12-19

孤独だという自覚

から人と違っていて、独りだった。

勉強はできた方だったが、運動が苦手で周囲から浮いていた。

高校進学校だったが、塾にも通わず帰宅部ので親しい友人はいなかった。

高校先生から進学校からやっていける、周囲とのコミュニケーションが苦手な生徒だと思われてそうだ。

マンガアニメゲームもそんなにしない方だった。

勉強読書で外に出ないことも多かった。

大学に進んで、サークルに入ってみて親しい友人ができたが、

サブカル系話題についていけなかったり、人との関わりの下手さを感じていた。

また、合わない学科に入って失敗した。

この時、自分に合った学科を選べていたら、その道に進めたか、友人もできたのかと後悔している。

そんなことから自分は人と違う、普通人生は無理だという諦観がある。

そんな感じだから就活もうまくはいかなかった。

定職にはついて、職場でのコミュニケーションは取れているが、

友人と呼べる人はなく、社外のつながりもない。

今の会社を離れると人とのつながりがなくなってしまいそうである

頭では、独りで生きていくことはできない。

人間関係重要だということは分かっているが、それを実行できていない。

やり方が分からない。

2021-09-24

キモい男のTwitter

最近知ってしまった知人のTwitterがヤバすぎて吐きそう。

まるでおまえら

炎上したらアカウント貼ってやるわ

フォロワー数150人以下

特に有名人でもない

●それなのに俺が実名つぶやくことに意味があるといってリベンジポルノに近い発言実名で繰り返す

●私の事についても、個別相談した内容を書く。鍵垢でもないのに書く。

関東人。しかしゴテゴテの関西弁を使う

Fラン大学

帰宅部のヒョロヒョロ根性なし

哲学が好きでやたら難しい言葉を繰り返す。簡単言葉で難しいことを伝える技術がないらしい。

2021-09-21

anond:20210921222129

まともに部活やるような層であれば、ほぼ大学慶應義塾高等学校塾高)と部活交流あるし、遊んでばかりの帰宅部合コンしてるから田舎進学校(実質男女交流なし)と比べたら全然まし。

しかも、慶應の中でも親金持ち率高い。

幼稚舎から上がってくる奴、中高受験で入る奴と、男子以上に偏差値いから、親がしっかりしてるからそれなりのが多いし。

2021-08-17

部活離婚

って言葉があるのを教員(夫)と結婚してから知った。

その原因は主に部活動ということも知った。

私が生まれからずっと文系帰宅部一直線で生きてきたので、部活まじで意味がわからない勢というバイアスを隠す気もないけど、それにしても確かに部活顧問って滅私奉公だな~とは思う。

今令和だよ?っていうか平成ですらない、昭和システム

うちは子供がいないのでギリギリ離婚危機はまぬがれてきたけれど、もし子供がいても顧問継続してたら確実に離婚騒ぎになってたと思う。

からの話は最近コロナ禍下での部活の状況についてで、傍から見ていてめちゃくちゃストレスを感じる。

緊急事態宣言発令中の自治体に住んでるんだけど、夏休み中の部活は「1日3時間まで」って制限のみ。むしろ毎日やってるし、土日は大会ですってよ? 

しか部活命の体育会系学校ってわけでもなく、ベスト8、16も入んない程度のゆる部活でそれをやってるのが意味からなすぎてつらい。

100歩譲って生徒さんは休む自由も退部する自由もあるだろうけど、教員は生徒がいる限り見守る義務がある。

しかも、夫の環境では職域接種なにそれ?っていうのもひどいなーと思う。

ぼかしますが40~50代の教員がノーワクチンで生徒はマスクなしの体育館にいなきゃいけないのって晒し者にもほどがあるのでは?

実際ちょいちょい感染者の話も聞こえてくるらしい。

どうにかならないかな、ほんと!

2021-07-23

帰宅部ガチ勢だった時の話をしようか

もうかれこれ10年ほど前の話だ。

親の決めた糞つまらない私立一貫校に行かされたことを不満に思い、こんな学校には一秒たりともいたくないと帰宅部を選んだ。

だが、当時早熟だった私は部活に入らないことでコミュニケーション能力上下関係、体力が身につかないことを恐れたため、帰宅部ガチ勢になることを決めたのだった。

まずは体力面。幸い近所にテニスクラブがあったため、祖父お金を出してもらいスクールに通うことにした。これが週3回。自主練や筋トレもしていたので、テニス部連中と同じくらいには上達したし個人大会にも出ていた。

次にコミュニケーション面。学校では部活に入っていないと人間関係希薄になりがちだ。そこで、ピアノ書道など、学校で何かしら賞が取れそう&活躍の機会がありそうな習い事継続し、年始書初めで賞を取ったりピアノ伴奏をしたりと、そこそこ存在感アピールした。

上下関係も学んでおかなければまずいと思ったので、

高校に入ってからとあるチェーン店バイトをした。団体競技がしたくなったのでテニスをやめ、ダンスを習いに行っていた。

大学でも似たような生活をしていたので、私は人生で一度も部活動をやったことがない。

就活では習い事部活と偽ってエピソード捏造したが、内定は貰えた。

結論帰宅部でもなんとかなる。

だが、苦楽を共にした友達というもの学内存在しないので、中高時代友達で今でも仲がいい人は一人もいないし大学にもいない。

それに関して何か思うところがあるかと言ったら特にない。むしろ、学外で色々できたので良かったと思う。

2021-07-21

anond:20210721202320

おっそ?お前は仕事終わりと

増田開く時間同義なのか? (笑)

流石帰宅部、いい教材だなお前は

anond:20210721183259

煽りがつまらんな (笑)

馬鹿にしてるだけだろうが

帰宅部なんかひょろいの

しかいないだろう

毒でも使うのか?

2021-07-19

婚活勉強

26歳独身女、正社員OL都内住み。

私は今人生の帰路にいる。

私は元来極端な、それもものすごく極端な性格だ。

良く言えば一つの目標に向かって突っ走る性格で、

悪く言えば一度決めたらそれしか見えなくなる、かなり視野の狭い人間だ。

ただし、自己完結できるものに限る。

ここは重要なのでどうか忘れずに以下を読み進めてほしい。

26歳という年齢をむかえ、私は残りの20代をどう過ごすべきなのか悩んでいる。

単刀直入にいえば、婚活するか勉強するかだ。

婚活すると決めたら徹底的に婚活する。

まず脱毛サロンに通い、エステにも通う。

シェイプアップのためジムにも通い、より完璧スタイルに仕上げる。そのあとはありとあらゆる方法を使って男を探すだろう。

次に勉強

わたしには密かにめざしている難関資格がある。

仕事以外の時間はその勉強に費やしているが、なにせそこそこブラック会社時間がない上理解力があまりよくないので20代合格にもっていけるか怪しいなと思い始めている。

私は学生時代にほぼ帰宅部で、人との関わりをほぼ避けて生きてきた。故にコミュニケーション能力が皆無で、営業をやっているが会社では干され気味で仕事全然できない。なぜ営業職に受かったのかといえば、私は学生時代少しだけだが声劇部に所属しており、明朗快活な陽キャの演技で面接官を騙したからだ。

就活の仕方とか全然からなかったので、受けたのはここ一社のみ。役作りと同じ要領で設定シートをつくり演技をしたらなぜか受かってしまった。詐欺まがいの演技にだまされガチクズ採用してしまい、人事はさぞかし怒られたのではないだろうか。なにせ所属していた部活もやっていたバイト創作なのだから

唯一好きなことといえば勉強だが、根があまり頭が良くない(親戚も両親も頭が悪く従兄弟は中卒)

そもそも勉強が好きな理由も、一人でできてそこそこ達成感があるからで、ほかに大きな理由はあまりない。

今後の人生を考えた時、婚活勉強か、どちらに邁進したほうが食いっぱぐれずにすむだろうか。

とりあえず現会社で一生過ごすにはあまりにも人間関係が宜しくないのでどちらにしろ転職視野に入れている。また、かなりのコミュ障で人に嫌われる性格なので職を点々とする未来も十分にあり得るなと思い、何か資格でも持っておいたほうが良いだろうと暇を持て余した学生時代とある資格を取っている。(明言は避けるが使えばそこそこ食いっぱぐれない類のものだ)

婚活に邁進したとしても結婚できるとは限らないし、

だったら勉強すればいいのではとは思うが、最近は私のような人間正社員で働いていること自体会社にとって迷惑なのではと思い始めた。とにかく仕事が出来ず協調性がなく全くと言っていいほど向上心が持てないからだ。

答えは出ない。とりあえず残業に戻ることとする。

2021-07-16

初恋が終わった話

好きだと気づいたのはクラス替えの後だった。

小学5年生でクラス替えをした時、アヤトくんとクラスが離れ離れになってひどく落ち込んだ。

そこでわたしはアヤトくんのことが好きだったんだと自覚した。

特にかかわりのないまま夏を迎え、校外学習に行く準備が始まった。もう10年以上も前のことなので記憶曖昧だが、なぜかご飯時間に私の班だけがアヤトくんのクラスと合同でグループを組むことになって、たまたまアヤトくんと同じグループになれた。

一緒にカレーを作ってる写真卒アルに載っているので卒業後もたまに見返したりしてた。

放課後に通っていた書道教室が一緒だったので、たまに書道教室で会うことが密かな楽しみだった。

5年生の時はそれくらいしか思い出はなく、ひっそりと思いを抱えたまま6年生になった。

6年生になると、またアヤトくんと同じクラスになれた。毎日楽しくて、勉強なんか身に入らずアヤトくんだけをみていたし、2日間会えなくなるから金曜日が大嫌いだった。

告白も何も出来ないまま時間けが過ぎていった。

そもそも、付き合うことの意味も分かっていなかったわたしは、気持ちをどこに向ければいいのかもよく分かっていなかった。

それでもアヤトくんの優しさに触れる度に好きでどうしようもなくなっていた。

私は漢字ドリル計算ドリルを進めるのが好きだったのでみんなより早く1周して、勝手に2周目を進めていた。そんな時、アヤトくんも同じく2周目に進んでいることが分かって、なんとなく、どっちが先に2周目終わるか勝負ね!なんて言って幼いながらも接点を増やしていった。

ほとんど同じくらいのペースで2周目がおわって、私たちドリル3周目を迎えた。もはやドリルへの執着ではなくアヤトくんへの執着だった。

3周目がおわるころに、担任が私とアヤトくんの異常なスピードに気づいて、クラスメイトの前で褒めてくれた。どっちが先に3週目終わるかな?と先生が言ってくれて、先に終わったら金ピカのシールをくれると言った。金ピカのシールなんて別に興味がなかったけど私とアヤトくんだけの特別勝負が公になって嬉し恥ずかしの気分だった。

もうすぐ3周目がおわるころ、アヤトくんはなぜかスピードを落としてしまった。そして私は先に3周目を終えて金ピカのシールをもらった。

何も言ってなかったけどアヤトくんはわざと負けてくれたんだと思う。その優しさでまた心がぎゅっとなった。

アヤトくんはこんなに優しいから、結構人気な男の子だった。クラスメイトの中には他にもアヤトくんのことを好きな子がいた。

の子は、3年生の時に理科でアヤトくんが作ったモーターカーを間違えて踏んで壊してしまったらしい。小学生にとって、自分作品を壊されたら阿鼻叫喚してもおかしくないが、彼は笑って許してくれたらしい。それで好きになってしまったと話を聞いた時、私もまた好きが大きくなってしまった。

そうこうして卒業の時期を迎えた。中学も同じなので特別寂しさはなかったが、アヤトくんと1番近くで話せたのはこの時期が最後だった。

3月11日卒業式が間近に迫った寒い日だった。

帰る準備をしてる頃、視界が揺れた。

人生で初めて経験した大地震だった。

花瓶も、窓ガラスもわれ、ガタガタと物音が落ちる音とみんなの叫び声が響いてこわくてこわくて仕方なかった。

揺れが落ち着いてグラウンド避難する時、怖くて立ち上がれなかった私に、アヤトくんは手を差し伸べてくれて一緒に歩いてくれた。

この日がアヤトくんの一番近くに居れた日だった。

卒業して、中学生になった。

サッカー少年だったアヤトくんはなぜか帰宅部になっていた。帰宅部の怖そうな友達とつるむようになったアヤトくんをみてなぜか寂しくなった。

ほんとはアヤトくんめちゃくちゃサッカー上手いのに、なんでってずっと思ってたけど聞く勇気はなかった。

クラスも遠くて接点もなかった。しばらくして放課後にアヤトくんのクラスに用があって行ったら、アヤトくんは髪を伸ばしてチャラくなっていた。そしてリュックにはピンクのよく分からないキャラクターキーホルダーを着けていた。その隣に全く同じキーホルダーを着けている女の子がいて心臓がばくばくした。

一瞬で彼女だと悟った。

中学から一緒になった、出会ってそんなに時間もたってない子にいとも簡単に取られてしまうことを初めて学んだ。思いの長さは強さじゃないんだと知ってどん底に落ちた。

この彼女は私とアヤトくんがドリル競争を繰り広げてたことなんてなんも知らないのに、もう彼女になれてるんだ、ってよく分からない嫉妬をした。

結局アヤトくんへの気持ちを諦められないまま中2になった。アヤトくんは彼女と別れたらしい。

それでも自分から告白する勇気はなかった。

ずっと好きだと思いながら何も言えず、冬になった。

バレンタインを渡そうとして渡せなくてゴミ箱に捨てたのも確か中2の冬だった気がする。

同じ頃、修学旅行で隣の部屋で恋バナしてるからおいでと言われてるんるんで向かうと、ギャル女の子がベッドの上で楽しそうに話をしていた。

「それでー、ちゅープリ撮ったの!」

そう言ってギャルは顔を赤くしていた。

キスなんてしたことない私は、ギャル大人に見えて仕方なかった。その後まもなくしてちゅープリを見せてもらうとアヤトくんが映っていた。

その後の記憶はほぼない。帰りのバスは心が虚無だった。もうあの頃のアヤトくんはいないんだとわかって、それなのに自分はあの頃で止まっているのが悲しかった。

中3になると塾が忙しくなって、次第にアヤトくんのことを考える時間はほぼ無くなっていった。

アヤトくんの志望校すらも知らなかった。

でも、6年生の時にあれだけドリル一生懸命やってたんだから勉強は嫌いじゃないだろうしそれなりの高校に行くんだろうなあと思っていた。

卒業間近に、アヤトくんが市内のバカ高に進むと知って、ああそうか、と思った。

もう何もかも変わってしまったんだと思った。

高校に入って、私は別の人を好きになった。

アヤトくんのことはもう頭の片隅にもなかった。

時は経って、

18歳になるころ、アヤトくんはデキ婚した。

大学には行かず、就職して養っていくらしい。

もうずっと別の世界人間になっていた。

アヤトくんがパパか。そう思ったものの羨ましいの感情特になかった。

私は都内大学に通い、それなりに自分生活を楽しんでいた。成人式でアヤトくんに再会すると「俺の事覚えてないよね〜?」と声をかけられた。いや、覚えてるよ!と話して、今私は大学に行ってるよ、と話したら別の世界にいる人を見るような目で「すげ〜な!しっかりしてるんだな」と言われた。

それからまた時が経った。

アヤトくんは離婚したらしい。

ふーんくらいにしか思っていなかったが、意外なところでまた再開する。

出会いがなくマッチングアプリインストールして適当スワイプしていると、アヤトくんがいた。

同い年なはずなのにすっかりおじさんになったアヤトくんの姿があった。

子供もいるし結婚歴もあるのに、結婚歴も子供がいることも隠したプロフィールになっていて心底引いた。

わたしはこんなおじさんが好きだったんだと思うとどうしようも無い気持ちにおいやられた。

2021-05-08

体育会系のオリンピック選手が反対できるわけないだろ

から命令絶対体育会系オリンピック反対なんて口が裂けても言えるわけない

帰宅部おまえらにはそんなこともわからないのか

2021-04-26

中・高とやる気なしをこじらせて帰宅部だったから、

部活に打ち込んでどうこうっていう思い出もないし

学生時代の忘れられない出来事なんていうのもない。

もったいなかったよなと40間近にして思うし、青春マンガとか読むと

どんなに面白くてもちょっと悲しくなってしまう。

私のように自業自得青春を棒にふってしまったならまだしも、

今、部活はおろかまともに学校に行くことすらできない学生たちは気の毒だ。

「何かを始めるのに遅すぎるということはない」ってよく聞くけど、遅すぎることっていっぱいあるよね。

2021-04-12

はてなー幸福からかけ離れている理由

32年の追跡調査でわかった「幸福な人生の秘訣」 | WIRED.jp

成人してから幸福度に最も結びついていた要素は、若年期における「社会とのつながり」だった(その方面に詳しい人向けに言っておくと、相関係数は0.62)。これに比べて、「学業成績」は幸福度の予測因子としてはるかに劣っており、相関係数は0.12だった。

この研究では、「社会とのつながり」について、「社会愛着の質」「組織的クラブグループへの参加」「主観的能力または長所」「生活への満足度」の4つの尺度評価している。


以下、WIRED記事ポイントごとに考えていく。

両親が嫌い・学校が嫌い

第一に、十代の若者にとって、社会愛着の大きな部分を占めるのは「両親との関係」だ。十代のころに両親との関係が良好であるほど、幸福度の高い成人になる可能性は上昇する。また、十代の若者にとって、自分の親を好きであることと同じくらい重要で、なおかつ同じくらい想像しがたいことは、彼らが学校を好きであることだ。

毒親」なんて単語が入った記事で、3users以上のはてブを獲得しているものは3000件を超える程度あり、その関心の高さがはてなーには見られる。そして、その基本論調は語るまでもなく、ここぞとばかりに毒親批判する。あまり批判したい気持ちが先行していて、ブラック企業カルト宗教のようなやり口に自覚なく手を出してしまうこともある(久しぶりにこんな胸糞案件を見た)。当たり前だが、はてなーで「10代の頃に両親との関係」が良好であることはない。

また、「公立中は動物園」と言い放ったブコメトップで星を集め、それが問題視されても「公立動物園擁護ブコメ一番星を集めるのが、はてなだ(はてなリベラルやばすぎ)。学校をあまりにも憎んでいるので、地毛黒染め校則の件については保護者たちの強い要請や生徒集客公立中の統廃合といった諸事情をろくに考慮することなく、ファビョってしまった(「子供を小学校に通わせなくてもよい」という意見に対して、元教育者として言いたいことは山のようにある)。校則だけでなく、エアコンデマにも引っかかる有様(はてなブックマークが学校のエアコンデマに対抗できなかった件について思うこと)。学校制度とは別の学校生活の方も、「教室アルバム」の反応からすれば、ダメダメなようだ(今どきの卒業式はこんなに進化している!「教室アルバム」が超楽しそうでグッとくる)。当然、はてなーは「学校が好き」なわけがない。

ひどい相談相手

ただし、社会とのつながりや学校を好きであることが重要からといって、その子どもが「人気者」でないと幸福大人になれないということはまったくない。花形クォーターバックであることより重要なのは、「何か悩み事があったり、怒りを覚えたとき相談できる相手」を持つことだと、研究チームは述べている。また、所属するクラブスポーツである必要はない。幸福につながるのは運動への熱心さではなくグループに属することだ。

「何か悩み事があったり、怒りを覚えたとき相談できる相手」は、はてなーにとってはてな匿名ダイヤリーを通じたはてブだろうが、鬱病の人をはてブフルボッコするぐらいには凶暴だ(鬱病の人をはてブでフルボッコにしたら亡くなってしまったという事例)。あのネガティブ執拗攻撃を繰り返す感じは、実社会で考えたら完全にパワハラ上司のそれ。ゴールポストを動かして、粗探しして、ひたすら攻撃を続ける様は、部下とかをメンタル不全に追い詰める有様とどう違うのだろうか。企業ハラスメント問題最上から批評しつつ、加害者という立場に片足突っ込んでいる人たちが相談相手として適切だとはとても思えない。

非常に不幸な大人になる可能

そしてもうひとつ重要なのは、32歳になったとき幸福度を予測する因子は、10代の若者客観的事実としてどのような生活を送っているかではなく、その若者自身自分生活をどのように評価しているかだという点だ。その若者は、自分の将来について楽観的で、自立していて、おおむね忙しい毎日を送っているだろうか? もし答えがイエスなら、その若者は、西洋社会における若者ステレオタイプを覆す存在であり、かつまた将来、非常に幸福大人になる可能性が高いということだ。

はてなー10代の時に「自分の将来について楽観的で、自立していて、おおむね忙しい毎日を送っている」なんてちょっと想像ができない。移民AIに将来仕事が奪われるんだと悲観的で、リタリンネット依存していて、帰宅部で暇な毎日を送っているんじゃないかな。

2021-03-07

最初アスペ性格悪い人かと思ったけど

元増田が書いたつもりのこととはずれるからトラバはしないんだけどさ、

あれ、元増田運動部でされた事がトラウマなんじゃない?

だって昔の話にしては、運動部での苦しみや暴力を伝える描写が多すぎるし詳し過ぎる。

 

あれ読んで「運動部に入ってない人の言う事は信用ならないな!運動部に入ってた人は信用できるな!」とはならないじゃん。そんな事書いて推敲してる本人が1番わかってるはずじゃん。

 

しろ自分はこんなに嫌な事をされた」って訴えてるように見える。

嫌だと思う気持ちに蓋をしすぎて自分でも気付けなくなっちゃってる感じ。

不幸自慢になってることに気づいてない。

 

自分がされた事を無意味暴力だったと認めるのは辛すぎて「あの暴力には意味があったんだ。あのお陰で自分は肉体的にも精神的にも強くなった」と思い込もうとしてるだけじゃない?

その考えを補強する為に

運動経験がある人とない人は基本的に話が全くかみ合わない」

とか

自分の肉体を追い込んだ経験がないか常識的判断をする経験ベースがない」

って考えたり

「鬼滅の作者(自分にとって凄い or 偉い人)は運動部に入った事がある(自分と同じ経験をした事がある)んじゃないか(だから自分も同じように偉いしあの苦しみには意味があった)」って想像したりするんじゃないか

 

元増田が書いてる

個人的な恨みを地域性に結び付けて晴らしたい話のように見える

これは本当にその通りで私も地域差別には反対。

これに関してはツイート元の弁護士おかしいと思う。

 

でもそれ以上に、元増田個人的トラウマを、ツイート批判という偽装をして吐き出してるように見える。

 

まりにも「運動部経験が無い人は自分より弱くて話が通じない」って考えで人を見下してると、もしも「運動部経験が無いのに話が通じて元増田より強い人」が周りに現れだしたら、それからずっと、「運動部経験が無い人より、自分ダメな奴だ」って見下しながら生きてかなきゃいけないよ。

 

もし元増田尊敬してる人が「部活?いや学生時代帰宅部でしたwwやりたい事あったんでwww」って言ってるのを見たりしたら、自分を恨む事にもなるよ。

 

今は「運動部経験があって強い人」にしか出会った事がないかもしれないけど歳とったらわかんないよ。

 

自分トラウマに気付けないと、同じ事を悪気なく他の人にして不幸の再生産をするので書いておく。

こう書かれても元増田はわからないだろうけど、トラウマに振り回されてる人から迷惑を被った身としては書かずにはいられない。

2021-03-06

anond:20210306093924

これで鬱だったら自分も鬱だったなあ…何でもかんでも精神科へ、と言いすぎじゃないかなあ?すごく普通感想だと思うよ。

現代は「働く」=「奴隷労働」だという文字情報が多すぎる気がする。実際は部活動文化祭屋台に似てるのにね。

中学高校帰宅部とかじゃない限りは会社所属して働くなんて言うのは普通にその延長なので、そういう雰囲気をひた隠しにして「キラキラビジネス★」みたいな雰囲気にして、説明会だなんだとこれから就職するであろう子供に向けてアピールしてしまっている社会のほうが大人げないよねと、たまに思う。

2021-03-05

anond:20210305172151

ゲーム部だな。

チームで何か頑張った、自分はそのチームでこういう役割をしていた系の話は面接官の大好物から

帰宅部だとそういうネタを作りづらい。

2021-01-30

心室中隔欠損症をもって生まれた。の続き。

https://anond.hatelabo.jp/20210130055110

中学生時代

高校生時代

大学生時代

2021-01-07

anond:20210107163654

文化系帰宅部系だった人?

運動量脳内セロトニン濃度の比例関係

脳内セロトニン濃度と射精時間の比例関係論文で発表されてるんだけど

もしかして身の回りの男ひょろかったりしない?

2020-12-10

弟がアスペで辛い

最近、「多様性」だの「マイノリティ尊重」だの、綺麗事をよく聞くようになった。

全くバカバカしい。そういうことを言える人は、周りの人物に恵まれているのだと思う。

弟は典型的アスペだ。

全く空気が読めないし、関係を構築できないか友達ほとんどいないし、こだわりがとても強い。

入学半年運動部を辞め、以降は帰宅部

暇でしょうがないのか、私や両親の神経を逆なでするようなことばかり言ってくる。

にもかかわらず、両親は彼に激甘。

買いたいと言われたものは何でも与え、命令にはすぐ従う。

私がバイトで稼ぐ金額の数倍に等しい小遣いを、すぐに浪費してしまう。

不愉快しょうがない。

かわいげがあったころはまだ我慢できた。

しかし、高校生になっても全く成長しない彼に、最近では殺意すら覚えるようになった。

家族なら何を言ってもいいのか。迷惑をかけてもいいのだろうか。

家にいる時間を減らせばいい。

そう思う人もいるかもしれないし、実際私も行動に移した。

だが、今はコロナ流行っている。外出するだけで目くじらを立てられる。

そろそろ我慢限界だ。

私は差別主義者ですか?

2020-12-03

俺イケイケな若者だけど、匿名ダイアリー老害ぜんいん死んでほしい

ほんと死んでくれねぇかな

スクールカースト底辺帰宅部が何者にもなれず年だけとって

「〇〇なんだよなぁ」「Evil」じゃねーんだよ

クラスにいた陰キャ長崎君思い出すわ

普段ぼそぼそしてるくせに、モンハンやる時だけ罵声はいたり

休み遊戯王してる時だけ声くそでけーの

美術時間作品発表のときになんかわけわからん哲学思想を語って、

たいそうなこと言う割にクソみたいな作品出すのよな

カースト頂点でふざけてるだけの俺の方がぜんぜんうまかった

おまえ長崎だろ

まだ遊戯王やってんの?

2020-11-14

よく「細いね!羨ましいなあ」って言われるけどさあ

そりゃあ…何だかんだ自分に甘く好きな時に好きなもの食べてる人たちとは違うんで…

現在168センチ、53~54キロ(夏はもうちょい痩せる)。アラサー既婚子持ち。

毎日1回は体重計に乗る。

甘い飲み物は基本飲まない(コーヒーブラック紅茶ストレート)。

口に物を運ぶときは常に一日のカロリー摂取量を超えないよう意識してる。

例えば昼に外食したら夜ほぼ食べない、夜に飲み会あるなら朝昼はサラダスープのみとか。

ストレッチ筋トレ(ゆるいやつ)もやってるけどこれは気休めだな…

私、食べたら即吸収する体質なんですよ。

高校生の頃は最高73キロありました。帰宅部です。

別に今はダイエットしてる訳じゃないけど、24時間365日上で書いたことを守って生きてます

ちなみに夫は食べても太らない家系の人。身長175㎝で体重は私と同じくらい。

そんな彼は毎晩晩酌して、甘いものも大好きで常にお菓子買ってくる。

痩せすぎて保険加入するときに優がつかなかった。

人生不公平だな~~~

子供はどっちになるんだろうね…

2020-08-20

暴力的子どもだった話

父は瞬間湯沸かし器みたいな人で、些細なことですぐキレて手が出る。

私も物心ついた頃から殴られたり床に倒されて踏まれたりしていた。

父は人とのいざこざで殴ったり恫喝したりしたこと武勇伝としてずっと話していた。

小中学生スポーツチームの指導なんかもやっていて、今だったら問題になるレベル体罰の話も自慢げにしていた。

父の友人達もそれを持ち上げ、「さすがだなあ」「それが正しい」とかっこいいことであるかのように扱っていた。

私は幼少期からから殴られ、暴力自慢話を聞き、周囲の反応を見ていたので、力で相手ねじ伏せることはかっこいいことで、ためらわないでよいことだと思い込んで育った。

それから色んなマンガで男よりケンカが強い女キャラを見てかっこいいと思い、ごくせんドラマ流行っていたので「男を殴れて勝てる女はかっこいい」とどんどん思い込んでいった。



漫画ドラマでは「女を殴るなんてありえない」というシーンがあったりするので、女の子暴力をふるおうとは思わず男子とよく取っ組み合うようになった。なぜか女である自分が殴られることに抵抗はなかった。

取っ組み合いにきっかけや理由なんてない。小学生男子なんて暴れたい盛りだし、意味もなく突進してくるやつとか、私がすぐ手が出るのをわかっててからかいに来るやつが同級生にたくさんいて、私はいちいち応戦していた。

父は人を殴って相手の歯を折った時の傷が指に残っており、それを勲章のごとく自慢していたので、私は男がケンカで体や顔に傷をつけることはかっこいいことだと本気で思っており、男子と取っ組み合うと顔面にも容赦なく蹴りを入れたりしていた。

休み時間放課後にはだいたい男子たちと暴れ、殴ったり殴られたりする毎日で、これが普通だった。ドッチボールとかサッカーとかで遊ぶのと同じ感覚ケンカして遊んでいた。

ある日の休み時間、いつも通りに男子たちと取っ組み合う中で1人の男子の頬に回し蹴りを入れた。結構クリーンヒットだった気がする。

特に気にせず他の男子さらに取っ組み合っていたら、数分後「何やってんの!!!」という担任の金切り声が響いた。

当時の担任先生20代後半~30代くらいの女性だった。

いつも「危ないよ!」くらいの注意しかしなかった担任だけどその日は様子が違った。

担任の横にさっき私が回し蹴りをくらわした子がいて、泣いているので「え、何?何?」と手を止めて近寄ると

「何じゃないよーーー!!もういやーーー!!!」と担任が泣き叫び、膝から崩れ落ちた。

担任の横で泣いている男子の口内が血まみれになっていた。

それから校長室に呼ばれ校長事情を話し、それぞれの保護者を待ち、帰った。

日登校したら担任に呼ばれ相談室のようなところで「これを読みなさい」と手紙のようなものを渡された。

私が回し蹴りした男子のお母さんが担任に宛てたもののようで、口内を切ったのと歯茎への衝撃?で出血が多かったがとりあえずは大けがではないこと、

けがではなくてもどうしてうちの息子がこんな目に遭わなければならないのかということ、男の子相手ならやんちゃ同士で許せるかもしれなかったが女の子にやられたなんて信じられないということ、

相手の親から謝罪がないことなどが書かれていた。

担任は私が手紙を読んでいる間ずっと泣いており、その後数日学校に来た後は長期の休みに入ってしまった。

手紙に書かれていた通り、私の父親は件の当日に私を迎えに来たけど、担任から事の顛末を聞いたくらいで後は私に何も言ってこなかった。

怒るでもなく慰めるでもなく事情を聞くでもなく。ガストで夕飯を食べて帰った。その日も帰宅してから別件でキレられ、殴られた。

数日後、男女数人で公園鬼ごっこか缶蹴りかをして遊んでたと思う。

1人の女子を後ろから手で目隠しし数を数えていたら、知らない女の人がすごい剣幕でやってきて「やめなさい!」と怒られた。

危ない遊びはやめて!こないだの〇〇くんの時もだけどあなた暴力性は信じられない!あなたおかしい!女の子にも乱暴する気!?

みたいなことを言われ、めちゃくちゃ怒られた。

私は知らない人だったけどたぶん同級生母親とかだったんだと思う。私がクラスメイトにケガをさせたことを知っているようだった。

取っ組み合いのような遊び方よりははるかに優しい遊び方をしていたと思うんだけど、自分が少し相手に触れるような遊び方をしているだけで大人はこんなに取り乱すんだ、と少しショックだった。

危険人物である、悪である、と人に思われていることを急に自覚して、なんだかとんでもない気持ちになった。

今考えたら子どもを育てている親からすれば暴力的な子が自分の子の近くにいれば怖いし叱るべきなのはわかる。

どう考えてもあの頃の私はおかしかった。

それから私は取っ組み合いや殴り合いをやめて、普通の子どもになったと思う。(体育や休み時間にやるスポーツは派手にやっていたけど、普段生活では大人しくなった)

腹が立つことや納得いかないことも話し合いでなるべく穏便に解決することを学んで、大声を出して主張する人や嫌なことがあると物にあたる人、手が出る人を見ると嫌だなあと思うようになった。

子どもながらに自分のしてきたことを棚に上げたり棚から下ろして飲み込んで吐きそうになったり、ぐるぐる悩みながら中学生になった。

小学校には私以外にも男勝りをアイデンティティーにしているような女子が数人いたけど、中学校にはボーイッシュな子はいてもそんな暴力的な子はいなかった。

制服スカートのままで毎日男子とのケンカを楽しんでいる豪快な女子なんてマンガ世界しかいなかった。

中学校までは同じ小学校出身も多かったが、高校はなるべく遠く、同じ小学校の人があまり受験しない学校を選んだ。

穏やかでにこやかに、口の悪いこともなるべく言わないように過ごし、友人も文化部帰宅部の和やかな雰囲気の子が多かった。

父は相変わらずスポーツチームの指導に勤しみ、家にはたびたび非通知で電話がくるようになった。

「うちの子がそちらのコーチに殴られて倒れた後蹴られたそうですが」「1人だけグラウンド20周以上走らされ吐いたと聞いた。家に帰って来ても体調が戻らず、もうクラブ練習行きたくないと言っている」

知らずに電話を取ってしまった時は人の憤りと恨みを直に感じてしまい1人で泣いた。

母がそういう電話を取った時は「名乗りもせず言いたいことだけ言って失礼じゃないですか?」と応戦していた。

父はそもそも電話が鳴っても取らない。家主は家では自分の席から動かず、家族は家主が動かないでいいように働くべきだそうだ。

鳴る電話は父が暇で電話の一番近くにいても必ず誰かが取らされ、電話が取れなかった時ややむを得ず父が取った時などは殴られた。


大学進学を機に家を出て、就職実家から離れた場所でした。

偶然小学校同級生男子会社で同期となったので、2人で飲みに行った。

当時殴り合いをしていたうちの1人だったので、お互いに「お前落ち着いたなあ」と言いながら飲んだ。

私が男子を流血させて担任を取り乱させたことも覚えていたし、今でもその男子と交流があるという。傷は残っていないし、私の話が悪い意味で出ることもないらしい。

それでも「あの時はごめん」と謝った。涙が出た。

何と言っても私がしたことやあの時の自分の考えが変わるわけじゃないのに、女の私が泣くのはずるいと我ながら思った。

「俺も暴れる問題児だったかお互い様だ」と言われた。今度は件の男子も連れて飲もうと言ってくれた。

同期は父の教えていたスポーツチームにも所属シバかれていたので、「父は理不尽に怒るし体罰もするし嫌いだったでしょう」と聞くと、苦そうな顔で「ま、あの頃は子どもから……」と言われた。

私も父を好ましく思っていないはずなのに、そう言われて少し胸が痛かった。




かっこよくない。自分の気分だけで人を大声や暴力威圧することなんて何もかっこよくない。

子どもの頃だけど自分が思い込んでいたことにぞっとする。

父は父母の署名により数年前にスポーツチームの指導者を辞めさせられた。

誰に言うということでもないので、増田に書き捨てておく。

2020-08-17

anond:20200816132256

当時の中学部活動に参加必須だった。

その中でバレーボールを選んでしまった。

ここはオレといっしょだな。オレはロスジェネじゃなくて、バブルの一歩手前くらいの、就職楽々世代だったのだが。

クラスの中では1番か2番くらいに背が高かったので、小学校の時に2〜3回喋ったことがある程度の薄い関係センパイ

「お前、背が高いかバレーボールやれよ、エースアタッカーになれるぞ!」って誘われて、まぁ運動嫌いだし運動神経も平均以下だけど、どっか入部するのが義務からしゃーないか!って気分で入った。

球拾いが8割がただったが、パスとかレシーブとかの練習もそこそこやった。

生来運動音痴なので、スパイク練習があっても、5回に4回は空振り。まともに当たって相手コートボールが飛ぶことは皆無だったね。

で、1学期の終わりくらいにはもうだいぶやる気を無くしていて、そこで新入部員が新しいユニフォームを買うことになった際に、

番号が1から10何番までついてるやつで、「4番」という縁起の悪い数字押し付けられたのがイヤで、退部したw

その後、1年くらいは、どこにも所属してない「帰宅部」で、のらりくらりした。

2年生の2学期くらいに、いろいろ説得してくるセンセーをかわしきれなくなって、吹奏楽部にこれまたイヤイヤで入部、一番「容易」とされるパーカッション担当で、タンバリンとか木魚とかトライアングルとか叩きまくるw

その後、センパイ卒業して欠員ができたティンパニ担当となり、メキメキ頭角を現さなかったが、出場した地区コンクール審査員評で

ティンパニ音程はなかなかしっかりしている」との評価を受け、それが中学時代の最良の思い出であるw

おわり

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