はてなキーワード: 帰宅部とは
小学生~中学生にかけて、毎月親の友達とその子供との食事会があった。
テーブルは子供と親に別れて、親は親同士で話をし、子供は子供同士だった。
子供同士も毎月会っているし、昔から知ってるし、同じスイミングスクールに通ってるしで、仲は良かった。
会えばわーキャーしゃべっていた。
ルッコラが苦い、小エビがとりすぎなんていいながら皆で食べた。
お互い住んでいる市が違うので中学も違う。
向こうは荒れている中学だったらしい。
一人がそのうちに学校に行かなくなり、そして食事会にも来なくなった。
親はそれを私にだけ黙っていた。
それが今も悲しい。私は知っていたから。
また私が中学生になる年に父が亡くなった。
突然の死だった。
なんとなくいつも通りに遊んで、帰りに
と誰かが言い始めた。
みんなでとまりたい!泊りたい!!
と親に言っていた。
これは30歳になった今でも覚える。なんでなんでなんでなんでなんでば
涙ながらに見ていた。
親は「ごはんなにたべよっかー?」とこっちの気も気にせずに聞いていた
私はぶすくれていた。行きたかった。いまも
今もお泊り会に行きたい。でもいけないことも分かっている。
みんな大きくなって、みんなそれぞれあって、もう無理なのはわかっている。
同じ味がした。一人なのにね。
ついでに青豆も食べた。衝撃のうまさだった。
昔から人と違っていて、独りだった。
高校は進学校だったが、塾にも通わず、帰宅部ので親しい友人はいなかった。
高校の先生からも進学校だからやっていける、周囲とのコミュニケーションが苦手な生徒だと思われてそうだ。
サブカル系の話題についていけなかったり、人との関わりの下手さを感じていた。
また、合わない学科に入って失敗した。
この時、自分に合った学科を選べていたら、その道に進めたか、友人もできたのかと後悔している。
そんなことから、自分は人と違う、普通の人生は無理だという諦観がある。
友人と呼べる人はなく、社外のつながりもない。
今の会社を離れると人とのつながりがなくなってしまいそうである。
頭では、独りで生きていくことはできない。
人間関係が重要だということは分かっているが、それを実行できていない。
やり方が分からない。
その原因は主に部活動ということも知った。
私が生まれてからずっと文系帰宅部一直線で生きてきたので、部活まじで意味がわからない勢というバイアスを隠す気もないけど、それにしても確かに部活顧問って滅私奉公だな~とは思う。
うちは子供がいないのでギリギリ離婚の危機はまぬがれてきたけれど、もし子供がいても顧問継続してたら確実に離婚騒ぎになってたと思う。
からの話は最近のコロナ禍下での部活の状況についてで、傍から見ていてめちゃくちゃストレスを感じる。
緊急事態宣言発令中の自治体に住んでるんだけど、夏休み中の部活は「1日3時間まで」って制限のみ。むしろ毎日やってるし、土日は大会ですってよ?
しかも部活命の体育会系学校ってわけでもなく、ベスト8、16も入んない程度のゆる部活でそれをやってるのが意味わからなすぎてつらい。
100歩譲って生徒さんは休む自由も退部する自由もあるだろうけど、教員は生徒がいる限り見守る義務がある。
しかも、夫の環境では職域接種なにそれ?っていうのもひどいなーと思う。
ぼかしますが40~50代の教員がノーワクチンで生徒はマスクなしの体育館にいなきゃいけないのって晒し者にもほどがあるのでは?
実際ちょいちょい感染者の話も聞こえてくるらしい。
どうにかならないかな、ほんと!
もうかれこれ10年ほど前の話だ。
親の決めた糞つまらない私立一貫校に行かされたことを不満に思い、こんな学校には一秒たりともいたくないと帰宅部を選んだ。
だが、当時早熟だった私は部活に入らないことでコミュニケーション能力や上下関係、体力が身につかないことを恐れたため、帰宅部ガチ勢になることを決めたのだった。
まずは体力面。幸い近所にテニスクラブがあったため、祖父にお金を出してもらいスクールに通うことにした。これが週3回。自主練や筋トレもしていたので、テニス部連中と同じくらいには上達したし個人で大会にも出ていた。
次にコミュニケーション面。学校では部活に入っていないと人間関係が希薄になりがちだ。そこで、ピアノや書道など、学校で何かしら賞が取れそう&活躍の機会がありそうな習い事は継続し、年始の書初めで賞を取ったりピアノ伴奏をしたりと、そこそこ存在感をアピールした。
上下関係も学んでおかなければまずいと思ったので、
高校に入ってからはとあるチェーン店でバイトをした。団体競技がしたくなったのでテニスをやめ、ダンスを習いに行っていた。
大学でも似たような生活をしていたので、私は人生で一度も部活動をやったことがない。
就活では習い事を部活と偽ってエピソードを捏造したが、内定は貰えた。
だが、苦楽を共にした友達というものが学内に存在しないので、中高時代の友達で今でも仲がいい人は一人もいないし大学にもいない。
私は今人生の帰路にいる。
悪く言えば一度決めたらそれしか見えなくなる、かなり視野の狭い人間だ。
ここは重要なのでどうか忘れずに以下を読み進めてほしい。
26歳という年齢をむかえ、私は残りの20代をどう過ごすべきなのか悩んでいる。
シェイプアップのためジムにも通い、より完璧なスタイルに仕上げる。そのあとはありとあらゆる方法を使って男を探すだろう。
次に勉強。
仕事以外の時間はその勉強に費やしているが、なにせそこそこブラックな会社で時間がない上理解力があまりよくないので20代で合格にもっていけるか怪しいなと思い始めている。
私は学生時代にほぼ帰宅部で、人との関わりをほぼ避けて生きてきた。故にコミュニケーション能力が皆無で、営業をやっているが会社では干され気味で仕事も全然できない。なぜ営業職に受かったのかといえば、私は学生時代少しだけだが声劇部に所属しており、明朗快活な陽キャの演技で面接官を騙したからだ。
就活の仕方とか全然分からなかったので、受けたのはここ一社のみ。役作りと同じ要領で設定シートをつくり演技をしたらなぜか受かってしまった。詐欺まがいの演技にだまされガチのクズを採用してしまい、人事はさぞかし怒られたのではないだろうか。なにせ所属していた部活もやっていたバイトも創作なのだから。
唯一好きなことといえば勉強だが、根があまり頭が良くない(親戚も両親も頭が悪く従兄弟は中卒)
そもそも勉強が好きな理由も、一人でできてそこそこ達成感があるからで、ほかに大きな理由はあまりない。
今後の人生を考えた時、婚活か勉強か、どちらに邁進したほうが食いっぱぐれずにすむだろうか。
とりあえず現会社で一生過ごすにはあまりにも人間関係が宜しくないのでどちらにしろ転職は視野に入れている。また、かなりのコミュ障で人に嫌われる性格なので職を点々とする未来も十分にあり得るなと思い、何か資格でも持っておいたほうが良いだろうと暇を持て余した学生時代にとある資格を取っている。(明言は避けるが使えばそこそこ食いっぱぐれない類のものだ)
だったら勉強すればいいのではとは思うが、最近は私のような人間が正社員で働いていること自体が会社にとって迷惑なのではと思い始めた。とにかく仕事が出来ず協調性がなく全くと言っていいほど向上心が持てないからだ。
答えは出ない。とりあえず残業に戻ることとする。
好きだと気づいたのはクラス替えの後だった。
小学5年生でクラス替えをした時、アヤトくんとクラスが離れ離れになってひどく落ち込んだ。
特にかかわりのないまま夏を迎え、校外学習に行く準備が始まった。もう10年以上も前のことなので記憶が曖昧だが、なぜかご飯の時間に私の班だけがアヤトくんのクラスと合同でグループを組むことになって、たまたまアヤトくんと同じグループになれた。
一緒にカレーを作ってる写真が卒アルに載っているので卒業後もたまに見返したりしてた。
放課後に通っていた書道教室が一緒だったので、たまに書道教室で会うことが密かな楽しみだった。
5年生の時はそれくらいしか思い出はなく、ひっそりと思いを抱えたまま6年生になった。
6年生になると、またアヤトくんと同じクラスになれた。毎日楽しくて、勉強なんか身に入らずアヤトくんだけをみていたし、2日間会えなくなるから金曜日が大嫌いだった。
そもそも、付き合うことの意味も分かっていなかったわたしは、気持ちをどこに向ければいいのかもよく分かっていなかった。
それでもアヤトくんの優しさに触れる度に好きでどうしようもなくなっていた。
私は漢字ドリルや計算ドリルを進めるのが好きだったのでみんなより早く1周して、勝手に2周目を進めていた。そんな時、アヤトくんも同じく2周目に進んでいることが分かって、なんとなく、どっちが先に2周目終わるか勝負ね!なんて言って幼いながらも接点を増やしていった。
ほとんど同じくらいのペースで2周目がおわって、私たちはドリル3周目を迎えた。もはやドリルへの執着ではなくアヤトくんへの執着だった。
3周目がおわるころに、担任が私とアヤトくんの異常なスピードに気づいて、クラスメイトの前で褒めてくれた。どっちが先に3週目終わるかな?と先生が言ってくれて、先に終わったら金ピカのシールをくれると言った。金ピカのシールなんて別に興味がなかったけど私とアヤトくんだけの特別な勝負が公になって嬉し恥ずかしの気分だった。
もうすぐ3周目がおわるころ、アヤトくんはなぜかスピードを落としてしまった。そして私は先に3周目を終えて金ピカのシールをもらった。
何も言ってなかったけどアヤトくんはわざと負けてくれたんだと思う。その優しさでまた心がぎゅっとなった。
アヤトくんはこんなに優しいから、結構人気な男の子だった。クラスメイトの中には他にもアヤトくんのことを好きな子がいた。
その子は、3年生の時に理科でアヤトくんが作ったモーターカーを間違えて踏んで壊してしまったらしい。小学生にとって、自分の作品を壊されたら阿鼻叫喚してもおかしくないが、彼は笑って許してくれたらしい。それで好きになってしまったと話を聞いた時、私もまた好きが大きくなってしまった。
そうこうして卒業の時期を迎えた。中学も同じなので特別寂しさはなかったが、アヤトくんと1番近くで話せたのはこの時期が最後だった。
帰る準備をしてる頃、視界が揺れた。
花瓶も、窓ガラスもわれ、ガタガタと物音が落ちる音とみんなの叫び声が響いてこわくてこわくて仕方なかった。
揺れが落ち着いてグラウンドに避難する時、怖くて立ち上がれなかった私に、アヤトくんは手を差し伸べてくれて一緒に歩いてくれた。
この日がアヤトくんの一番近くに居れた日だった。
サッカー少年だったアヤトくんはなぜか帰宅部になっていた。帰宅部の怖そうな友達とつるむようになったアヤトくんをみてなぜか寂しくなった。
ほんとはアヤトくんめちゃくちゃサッカー上手いのに、なんでってずっと思ってたけど聞く勇気はなかった。
クラスも遠くて接点もなかった。しばらくして放課後にアヤトくんのクラスに用があって行ったら、アヤトくんは髪を伸ばしてチャラくなっていた。そしてリュックにはピンクのよく分からないキャラクターのキーホルダーを着けていた。その隣に全く同じキーホルダーを着けている女の子がいて心臓がばくばくした。
一瞬で彼女だと悟った。
中学から一緒になった、出会ってそんなに時間もたってない子にいとも簡単に取られてしまうことを初めて学んだ。思いの長さは強さじゃないんだと知ってどん底に落ちた。
この彼女は私とアヤトくんがドリル競争を繰り広げてたことなんてなんも知らないのに、もう彼女になれてるんだ、ってよく分からない嫉妬をした。
結局アヤトくんへの気持ちを諦められないまま中2になった。アヤトくんは彼女と別れたらしい。
ずっと好きだと思いながら何も言えず、冬になった。
バレンタインを渡そうとして渡せなくてゴミ箱に捨てたのも確か中2の冬だった気がする。
同じ頃、修学旅行で隣の部屋で恋バナしてるからおいでと言われてるんるんで向かうと、ギャルの女の子がベッドの上で楽しそうに話をしていた。
「それでー、ちゅープリ撮ったの!」
そう言ってギャルは顔を赤くしていた。
キスなんてしたことない私は、ギャルが大人に見えて仕方なかった。その後まもなくしてちゅープリを見せてもらうとアヤトくんが映っていた。
その後の記憶はほぼない。帰りのバスは心が虚無だった。もうあの頃のアヤトくんはいないんだとわかって、それなのに自分はあの頃で止まっているのが悲しかった。
中3になると塾が忙しくなって、次第にアヤトくんのことを考える時間はほぼ無くなっていった。
アヤトくんの志望校すらも知らなかった。
でも、6年生の時にあれだけドリルを一生懸命やってたんだから、勉強は嫌いじゃないだろうしそれなりの高校に行くんだろうなあと思っていた。
卒業間近に、アヤトくんが市内のバカ高に進むと知って、ああそうか、と思った。
もう何もかも変わってしまったんだと思った。
高校に入って、私は別の人を好きになった。
アヤトくんのことはもう頭の片隅にもなかった。
時は経って、
18歳になるころ、アヤトくんはデキ婚した。
アヤトくんがパパか。そう思ったものの羨ましいの感情も特になかった。
私は都内の大学に通い、それなりに自分の生活を楽しんでいた。成人式でアヤトくんに再会すると「俺の事覚えてないよね〜?」と声をかけられた。いや、覚えてるよ!と話して、今私は大学に行ってるよ、と話したら別の世界にいる人を見るような目で「すげ〜な!しっかりしてるんだな」と言われた。
それからまた時が経った。
アヤトくんは離婚したらしい。
ふーんくらいにしか思っていなかったが、意外なところでまた再開する。
出会いがなくマッチングアプリをインストールして適当にスワイプしていると、アヤトくんがいた。
同い年なはずなのにすっかりおじさんになったアヤトくんの姿があった。
32年の追跡調査でわかった「幸福な人生の秘訣」 | WIRED.jp
成人してからの幸福度に最も結びついていた要素は、若年期における「社会とのつながり」だった(その方面に詳しい人向けに言っておくと、相関係数は0.62)。これに比べて、「学業成績」は幸福度の予測因子としてはるかに劣っており、相関係数は0.12だった。
この研究では、「社会とのつながり」について、「社会的愛着の質」「組織的なクラブやグループへの参加」「主観的能力または長所」「生活への満足度」の4つの尺度で評価している。
第一に、十代の若者にとって、社会的愛着の大きな部分を占めるのは「両親との関係」だ。十代のころに両親との関係が良好であるほど、幸福度の高い成人になる可能性は上昇する。また、十代の若者にとって、自分の親を好きであることと同じくらい重要で、なおかつ同じくらい想像しがたいことは、彼らが学校を好きであることだ。
「毒親」なんて単語が入った記事で、3users以上のはてブを獲得しているものは3000件を超える程度あり、その関心の高さがはてなーには見られる。そして、その基本論調は語るまでもなく、ここぞとばかりに毒親を批判する。あまりに批判したい気持ちが先行していて、ブラック企業やカルト宗教のようなやり口に自覚なく手を出してしまうこともある(久しぶりにこんな胸糞案件を見た)。当たり前だが、はてなーで「10代の頃に両親との関係」が良好であることはない。
また、「公立中は動物園」と言い放ったブコメがトップで星を集め、それが問題視されても「公立中動物園」擁護ブコメが一番星を集めるのが、はてなだ(はてなリベラルやばすぎ)。学校をあまりにも憎んでいるので、地毛黒染め校則の件については保護者たちの強い要請や生徒集客、公立中の統廃合といった諸事情をろくに考慮することなく、ファビョってしまった(「子供を小学校に通わせなくてもよい」という意見に対して、元教育者として言いたいことは山のようにある)。校則だけでなく、エアコンデマにも引っかかる有様(はてなブックマークが学校のエアコンデマに対抗できなかった件について思うこと)。学校制度とは別の学校生活の方も、「教室アルバム」の反応からすれば、ダメダメなようだ(今どきの卒業式はこんなに進化している!「教室アルバム」が超楽しそうでグッとくる)。当然、はてなーは「学校が好き」なわけがない。
ただし、社会とのつながりや学校を好きであることが重要だからといって、その子どもが「人気者」でないと幸福な大人になれないということはまったくない。花形クォーターバックであることより重要なのは、「何か悩み事があったり、怒りを覚えたときに相談できる相手」を持つことだと、研究チームは述べている。また、所属するクラブはスポーツである必要はない。幸福につながるのは運動への熱心さではなくグループに属することだ。
「何か悩み事があったり、怒りを覚えたときに相談できる相手」は、はてなーにとってはてな匿名ダイヤリーを通じたはてブだろうが、鬱病の人をはてブでフルボッコするぐらいには凶暴だ(鬱病の人をはてブでフルボッコにしたら亡くなってしまったという事例)。あのネガティブで執拗に攻撃を繰り返す感じは、実社会で考えたら完全にパワハラ上司のそれ。ゴールポストを動かして、粗探しして、ひたすら攻撃を続ける様は、部下とかをメンタル不全に追い詰める有様とどう違うのだろうか。企業のハラスメント問題を最上段から批評しつつ、加害者という立場に片足突っ込んでいる人たちが相談相手として適切だとはとても思えない。
そしてもうひとつ重要なのは、32歳になったときの幸福度を予測する因子は、10代の若者が客観的事実としてどのような生活を送っているかではなく、その若者自身が自分の生活をどのように評価しているかだという点だ。その若者は、自分の将来について楽観的で、自立していて、おおむね忙しい毎日を送っているだろうか? もし答えがイエスなら、その若者は、西洋社会における若者のステレオタイプを覆す存在であり、かつまた将来、非常に幸福な大人になる可能性が高いということだ。
はてなーが10代の時に「自分の将来について楽観的で、自立していて、おおむね忙しい毎日を送っている」なんてちょっと想像ができない。移民やAIに将来仕事が奪われるんだと悲観的で、リタリンやネットに依存していて、帰宅部で暇な毎日を送っているんじゃないかな。
元増田が書いたつもりのこととはずれるからトラバはしないんだけどさ、
だって昔の話にしては、運動部での苦しみや暴力を伝える描写が多すぎるし詳し過ぎる。
あれ読んで「運動部に入ってない人の言う事は信用ならないな!運動部に入ってた人は信用できるな!」とはならないじゃん。そんな事書いて推敲してる本人が1番わかってるはずじゃん。
むしろ「自分はこんなに嫌な事をされた」って訴えてるように見える。
嫌だと思う気持ちに蓋をしすぎて自分でも気付けなくなっちゃってる感じ。
不幸自慢になってることに気づいてない。
自分がされた事を無意味な暴力だったと認めるのは辛すぎて「あの暴力には意味があったんだ。あのお陰で自分は肉体的にも精神的にも強くなった」と思い込もうとしてるだけじゃない?
その考えを補強する為に
とか
「自分の肉体を追い込んだ経験がないから常識的な判断をする経験のベースがない」
って考えたり
「鬼滅の作者(自分にとって凄い or 偉い人)は運動部に入った事がある(自分と同じ経験をした事がある)んじゃないか(だから自分も同じように偉いしあの苦しみには意味があった)」って想像したりするんじゃないか。
元増田が書いてる
これは本当にその通りで私も地域差別には反対。
でもそれ以上に、元増田の個人的なトラウマを、ツイート批判という偽装をして吐き出してるように見える。
あまりにも「運動部経験が無い人は自分より弱くて話が通じない」って考えで人を見下してると、もしも「運動部経験が無いのに話が通じて元増田より強い人」が周りに現れだしたら、それからずっと、「運動部経験が無い人より、自分はダメな奴だ」って見下しながら生きてかなきゃいけないよ。
もし元増田が尊敬してる人が「部活?いや学生時代は帰宅部でしたwwやりたい事あったんでwww」って言ってるのを見たりしたら、自分を恨む事にもなるよ。
今は「運動部経験があって強い人」にしか出会った事がないかもしれないけど歳とったらわかんないよ。
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