はてなキーワード: 同性愛嫌悪とは
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
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00 | 133 | 20516 | 154.3 | 43 |
01 | 89 | 14807 | 166.4 | 45 |
02 | 87 | 26068 | 299.6 | 56 |
03 | 44 | 6698 | 152.2 | 48 |
04 | 23 | 6853 | 298.0 | 62 |
05 | 28 | 7244 | 258.7 | 59.5 |
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12 | 255 | 26539 | 104.1 | 35 |
13 | 261 | 20083 | 76.9 | 36 |
14 | 272 | 29491 | 108.4 | 41 |
15 | 185 | 26878 | 145.3 | 47 |
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18 | 206 | 32486 | 157.7 | 44.5 |
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23 | 166 | 30032 | 180.9 | 46.5 |
1日 | 3777 | 477528 | 126.4 | 41 |
むつ市(6), プロペト(13), JINRO(6), ミネバ(5), 幸区(4), 観光業界(10), 同性愛嫌悪(4), gate(6), ふざけろ(6), 太極拳(4), ガビガビ(4), キャンペーン(71), カップリング(15), 腐女子(112), 観光(31), 長文(68), 化粧品(13), BL(52), 腐(13), 低賃金(14), 旅行(65), 自分語り(13), 嗜好(13), 推し(47), 女性向け(19), 二次創作(30), 舞台(24), お気持ち(55), ポリコレ(28), フォロワー(21)
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初めに、僕は同性愛者ではありません
同性愛者ではありませんが、以前精神的BLのTS作品で主人公の同性愛蔑視と思われるモノローグに非常に強いショックを受けた事があります
作品名は伏せますが 『……元男なのに野郎を好きになるとか、オレも頭がおかしいな。それでも、もっともっと一緒にいたかった。』(原文ママ) という物でした
恐らくこの作品を書かれたのは女性であると僕は思っていますし、内容も「女性になってしまった元男性の主人公がその事実を隠したまま一人の男性と恋に落ちる」という精神的BL作品の変種?みたいな感じでした
僕はBLやGL作品で「俺は男なのに(私は女なのに)同性を好きになるなんて変だよね…」という台詞が人気があって使われる事がある、という話を聞いた事があります
なので『精神的には同性という障害を乗り越えてそれでも愛しあう二人』という二人を描くために自分の事をヘテロセクシャルだと認識している男性にこういう台詞を言わせる事が必要だったのかもしれないとは思います
ですが、差別的な意図は恐らく全くないそのお約束的な台詞を、女性の作者がBLを描くために男性主人公に言わせてしまった事に上手く言語化出来ないのですが…何て言うのか、とてもモヤモヤした物があります
言うなれば身長などの身体的なコンプレックスを持っているキャラクターにその事を気にしている台詞を言わせるような物で、それが一種の「萌え」みたいな物である事は分かるのですが…
やっぱりBLを嗜む人も『同性愛は異常な事であり同性愛者は異常者である』という認識の下でBLを愛好しているのでしょうか?どうなんでしょうね…僕はBLを嗜まないので未だに良く分からないままです…
そう思ってしまうのは増田が同性愛者だからである、と安直に決めつけて見ると、なんか鬱屈感がスッキリする。決めつけは楽しい。やめよう決めつけ
というブコメをいただきました。まあ本当に同性愛者なら同性愛嫌悪的な描写にショックを受けても仕方ない…という気がします。
僕も「BLを嗜む人は同性愛を異常に思った上で愛好しているのではないか?」とある作品を読んで疑問に思い、ここで吐き出した結果不快に思った人は居るかもしれません。申し訳ありません。
僕は女性が好きだと自分で認識しているので、やっぱり誰かに決め付けられると鬱屈感はありますね。よし!やめよう決めつけ
【追記】
少しBLとホモフォビアに関してBLを愛好している人達がどう思っているのか調べてみたんですが
「俺はホモなんかじゃない!」はホモフォビアかもしれないな…これはいけない、段々減らして行こう。と思った人達が大勢居ていつの頃からか徐々に減っていったみたいです。これはとても凄い事だと思います。
中にはBLへの批判=ホモフォビアという理論でBLを批判する事は同性愛者差別だぞ。という考えを持っている人も居ましたが、僕が見た限りでは少数で多くの人はBLのホモフォビア表現を気にしているようでした。
今回僕が読んでショックを受けた主人公の同性愛蔑視と思われるモノローグがある作品はそういう意味では少しノリが古い作品だったのかもしれませんね。
ゲイを嫌悪する男性は、自分が全ての女性を性的に見ているから、同じ様にゲイにも自分は性的に見られていると思い込んでいるんだろうな、と思う。
自意識過剰だよね。その気持ち悪さは日々女性が感じているものだよ。気を付けようね。
ビアンを排除しようとする男性、これは自分の居場所がなくて悔しいからだと思うんだけど、どう?どんだけ女体に執着してるんだよ。そもそもお前らのものじゃないけどね。
仲良くしていた女友達にカミングアウトされても、そうなんだ、としか思わなかったし、それまで一緒にお風呂に入ったり同じ布団で寝もしたけど、嫌悪感なんてなかったよ。
だってそんな素振り見せなかったから。言われるまで気付かなかったし、彼女は友達としていてくれたから。
告白されたりしたらそりゃあ困るけど。
カミングアウトされて真っ先に狙われる!気持ち悪い!なんてならないよ。普通ならないでしょ。
周りの友達に言いふらす?しないでしょ。逆に今まで男紹介しようとしたりしてごめんねって思うよ。どうかしてるよ。
噴き上がった腐女子のツイートが流れてきたのでまーた我々こそゲイの守護者!みたいなツラしてんのかと元を辿ったけど
発生源自体は話のまとめられないオタクが延々と延焼してるだけで割とどうでもよかった。
本当にお前ら毎回暇だな。
そんな事よりこういう話になるとほぼ毎回フェミ垢のBL好きが
BLを否定するのは同性愛差別でミソジニーだとか大騒ぎする流れが気持ち悪くて仕方ないんだよ。
フェミ腐女子にありがちな女だって性的な話を伸び伸びしたいBLを伸び伸び楽しみたい気持ちが有り余って
こっち側、つまりゲイ当事者にまでツバ飛ばしてくる仕草いい加減やめてほしいんだが。
誰かわかってくれる人居ない?
中には自称ビアンの腐女子までいるのになんでこの不快さがわからないのかね?
お前ら百合豚が百合を伸び伸び楽しみたい気持ちが有り余ってレズを俺たちが守るぞってなツラしたら百発百中キレるでしょ?
わかるんだよこっちは。
ケチつけられてつまらないからやり返すためにゲイの人権持ち出してるだけだって。
印籠よろしくゲイの人権を盾にすればこっちが正義になるとしか思ってない事なんて。
でも腐フェミの人達は普段から男をバカにしてるからその辺見抜かれてるとわからないんだろうか。
男の描いた女子高生はクソミソにバカにして女の描いた同性愛者はホンモノ以上の価値がある
リアルな男の苦しみがよく書けていてすばらしいと平気で言うのが腐フェミのみなさま。
そんな腐女子の喧嘩で旗色が悪くなるとなーんで一々ホモが引っ張り出されなきゃならないの?
こっちからすりゃ男バカにしてるオタクの女のマンズリのネタにされて気持ち悪い以外の感想あるわけないだろうが。
海外俳優好きの腐フェミがいきり立ってまた腐女子無罪説で大騒ぎ。
ここら辺のやつら普段から人権意識がお高い割にBLの事になると急にバカになるのはいつものことだけど
お前らお得意のいつもの生身の人間の性的消費許すまじはどうしたよ?
これこそ立派な性的消費じゃないの?
いつもは女性をオカズにするのを公言する男を罵倒しておきながら
腐女子が腐マンズリの邪魔されたら「同性愛差別!!」と毎回わめき散らすの
腐女子が嫌われてるのは嫌われ者の同性愛者をマンズリのネタとして愛好してるからじゃない。
お前らがお前らだから嫌われてんの。わかる?
そういう事にしておきたいのはわかる。それなら悪いのはホモって事にできるから。
でもそれなら所謂ゲイ向けも同じ目にあってるはずだけど実感としてそういう事はない。
実際ゲイ向けがなんで腐向けと同じ目にあってないかについてはまた別件になるが
自分の実感としてはどこででも我が物顔で振る舞わないがポイントだと思ってる。
でも腐フェミのみなさまは原因が同性愛嫌悪じゃなければミソジニーと言うんだろうね。
はいはいミソジニーミソジニー。もう魔法の言葉だなミソジニー。
同じくらい自身のミサンドリーについても振り返ってほしいもんだ。
話がずれたがそういうわけでいちいちゲイを引っ張り出さないでくれる?
ましてや自分たちを正当化するためにゲイを嫌うのか!!とかトンチンカンな騒ぎ方しないでくれる?
こうしてカミングアウトもしていない俺のようなゲイがTLに潜んでいて
お前らに勝手にゲイを守る会ごっこされて苛々している事に気づきもしない。
御自慢の想像力をここにも使ってもらえませんかね。
世界中で進む同性婚の合法化の潮流。日本でも同性パートナー制度が各地の地方自治体で制定され、遂には大阪市という第2の都市までもが同性カップルを認めるまでになっています。
しかし、安倍首相とも繋がりの深い極右団体「頑張れ日本!全国行動委員会」やカルトの「統一教会」、
産経新聞などを筆頭に、同性愛嫌悪(ホモフォビア)を丸出しにして攻撃を加える勢力も存在していました。
もちろんこうした同性愛嫌悪はもちろん日本だけに存在しているわけではなく、世界中で問題となっています。
こうした中でオーストラリアのクイーンズランド大学の研究者らは知能と同性カップルへの態度の関連を調べました。
この研究はIQの低さと同性愛嫌悪や人種差別との関連性を調べた先行研究を踏まえたもので、ジャーナル「Intelligence」に掲載されています。
研究を主導したFrancisco Perales博士は「重要で普遍的な主題であるにもかかわらず、
これまで認知能力とLGBT問題との関連性に特化した研究はほとんどなされてこなかった」と指摘しています。
この研究は11564人のオーストラリア人を対象としており、研究者らはIncome and Labour Dynamics in Australia(HILDA)が行った調査を分析しています。
2012年のHILDAの調査では認知能力を査定しており、また2015年の調査では対象に平等の権利についての質問を行っています。
ちょうどホッテントリになってたけど
http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/i_poti/status/955476631287513088
「女性は男性に依存しなければ生きていけない」事を否定される事に異常な憎悪を抱いて
逆に男性同士で楽しくやってるのを見て怒り狂ってそれを否定したがる女性なんてほぼいないのに。
アナ雪が男性に異常に嫌われた現象って、海外でも起こってるんだろうか。
(海外(欧米)だと「同性愛者肯定の映画」と解釈されたようだから、同性愛嫌悪の人には否定されてそうだけど。それ以外に)
どうも腐女子です。
痛いファンです。
あの二人は中野腐女子スターズと事務所一緒だったりして売れる前から腐女子文化は知ってたっぽい。売れてからは彼らも知るところ、ご覧の通りで痛いファンがたくさんだ。こんな風に。
いやでも彼らの腐女子ファンの割合が他のお笑いコンビと比べて有意に多いかどうかは分かんなくて分母が多いだけではとも。ピクシブ芸人1000users入りでの彼らがしめる比率を思ってもそもそも普通のファンが多いからファンアート創作ファンも多くなりさらに痛い二次創作ファンもどうしても多くなるというだけの話だと私は思ってるけど。
あの人(便宜上四文字熟語で司会専念と呼ばしてもらう)は2010s初頭の腐女子にとっては革命的だったんだ。卑屈で等身大で顔が可愛くて死ぬほど才能がある人たらし。そして彼(便宜上私たちの初恋)は今も昔もダメスパダリだ。
余談だが最近、初恋の思想に時代が追い付いたなと感じる。初恋は絶対に相手を悪いようにはしないお笑いをやるから、一昔前の悪口全盛バラエティじゃ映えなかったけど、そのじつ、今の寛容な時代を用意したのは、初恋ですよ。
話は戻るが彼らの普通のファンで「私はBLに嫌悪感がわくのだが最近彼らの活動を見ていてひょっとしたら実際にそうなのかもしれないと考え始めた、万が一そうならば私のこの嫌悪感は差別なのかと悩んでいる」と仰っておられた人を見たことがある。まあ、あの二人、正直仲いいんすよ。
で、嫌悪感にも種類があって、
①単純な同性愛嫌悪
②はあって当然というのが今実際現実問題共有されやすい感覚だろう。
ただ②も①にもとづくあれでアレなんちゃうかと混ぜ返されたら黙ってしまう。アレなんかな?いや、そんなつもりちゃうんやけど、でも(万が一)^2実際ホンマにそうやったら?
まあそんな悩みを仰っておられる人もいたなあということを思い出した。そういう悩みはただの悩みとして終わった。
楽しい杞憂は杞憂で終わって私はなんだかこざっぱりした気分だ。ちょうど、そう、10年だった。
めちゃくちゃいい夢からさめた。
それにしても、引用は法律で認められた権利だ、と主張すると、研究者は傲慢だーとか言う人出てくるけど、心配するポイント間違ってるよな。
研究者が引用できるってことは、新聞記者も雑誌記者も、新書や文庫の著者も漫画家も引用できるんだよ。
っていうか、アフィブログが引用したとしても、それが法に従った適正な引用なら拒否できないんだよ(あいつらがそんなマジメなことやるかというのは別だけど、もしマジメモードでやられたら合法になる)。
そこで研究者側に自己規制求めたって、研究者側のルールがマスコミや一般書の書き手に通じるわけないじゃんね。
そして、研究論文というのはまあPDFで一般公開されることがあるので破壊力クソデカなのだが、これが「本」となると、研究者の書いたマジメなサブカル研究の本と、小規模書店でも平積みされる新書・文庫の、どっちが破壊力でかいと思ってんのかね。
研究者側に自制・自重すべき点があるのは間違いないし、研究者側のウカツな行動が腐女子に不信感を植え付けてきた歴史なんかを考えると、お前らもうちょっと自浄作用見せろよと思うし、研究者というだけで胡散臭がるのはよくわかるんだが、研究者に自重を求めることが最優先になってる人を見かけると、なんか、こう、それでいいの? って感じになる。
やるべきことは、絶対に引用されない場所への潜行か(まあ数十人単位の読書会で自分の作品を見せ合うとか数十人のマイピクしか持たず細々と活動するような規模になるよな)、引用してるやつを見かけたら全力で袋叩きにするという圧力団体を組織するか(ってこれ、今やってることか。けどまあそれ地獄だよな)、引用されるのは仕方ないという文化を新しく作っていくか、どれかじゃないの?
最後の選択肢は、腐女子だけではどうしようもなくて、社会の他の人たちの意識変革も必要になるけど(女性の性的創作へのまなざしとか同性愛嫌悪とか)、漸進的に変えていくことはできると思うし、そういう意味で今回撤退戦が選ばれてしまったことはあのPDFの不意打ち具合を考えれば仕方ないと思うんだけどやっぱり今後の発展のためにならないよなー、という感じがする。
恋愛工学の方と同一されることにかなり不名誉を感じましたので最後の反論をさせてもらいますね(笑
いえ、恋愛工学を唱える方は自由ですしそれで性交渉ができる人の可能性を広げることがでるのでよいことと思いますよ。
この手の議論をしていると必ず反論として出て来るのが「そんな意見を認めたら世の中めちゃくちゃになる」「既存のきまりを全部破壊するのが目的か」といったことですが、それは少々過剰反応というものです。
婚外子よりもわかり易い例としてLGBTの例がありますが、データによって差異はあるもののLGBTを自認している人は全体の約1/10~1/13とされています。
よく同性愛嫌悪者から、「LGBT(実際はもっとひどい差別用語ですが)の権利を認めたら世の中めちゃくちゃになる」という意見を聞きますが、そもそも性自認というのはストレートと言われる異性愛がマジョリティであるわけで、それは外部からの影響で増減するものではありません。
私は婚姻制度に問題点は感じていますが、それを全否定しているわけではありません。
LGBTの権利獲得のために活動している人は、全人類がLGBTになるべきと思っているわけではないのです(いるかもしれませんがね)。
別に従来の婚姻制度で精神的安定を得られ、安心して子育てができるという人はそれはそれで幸せを享受していればよいのです。
ですがそうした社会規範的なロールモデルから外れた子供は「廃棄(中絶)」すべき、という風潮は作ってはいけないというのが私の意見です。
現行の婚姻制度というのは、あるべきロールモデルの子供を最上段としてそれ以外を下に見るというふうに作られておりますので、そうではない選択肢をとった場合も同じように社会生活を送れるようにするべきというのが理想論です。
その場合現行の婚姻をしている人のインセンティブが働かないという問題もあるのでしょうが、それは「従来の価値観に守られている」という幻想に過ぎません。
現行の婚姻制度は「法的に貞操義務をつけられる」程度のいわば「過去に存在する人」の権利を守るものでしかありません。
それはこれから生まれてくる人間の可能性を広げるためには阻害要素となると、まあ・・・
わかってもらえないでしょうね。
とんでもない作品だった。とんでもない体験をした一週間であった。
それは原作が推理小説にカテゴリーされているからとか、原作者が江戸川乱歩だからとか、そういう理由じゃない。
私はその解説、および回答を以下に記すのだけど、それは完全なるネタバレです。
もう知らなかった頃には戻ってこられない、作品を殺す系のネタバレ。
なので、未観劇の方には本当に読むことを勧めません。
本作は素晴らしい完成度の傑作だし、舞台演劇でここまでのミステリーを作り上げるのは絶対に容易じゃない。
また、私はエグいほど容赦なくネタバレしていますので、正直自分ももう二度とミステリー演劇は鑑賞できない脳になってしまったのでは…と震えております。
(なので、読んでほしい気持ちがあって増田に書いているものの、観劇済みの方も生半可な気持ちではネタバレを読んでほしくない。六道の辻で迷い不幸だと感じている方にだけ、光が届けば良い。)
つまり未観劇でネタバレを読むということは、人生の楽しみを自らの手で一つ潰すということ。尋常じゃない損失です。
本作はDVDの発売が決定しています。
公式DVD予約サイト:http://www.shop-ep.net/east_park/shopping/a04020102/iid/0000000001746/
(発送日未定。予約は3月末まで)
めちゃくちゃ好評だったので、あなたの周りにも購入している人が居るはず。そして恐らく「見せてほしい」と頼めば喜ばれるはず。布教したくなるタイプの作品なのです。なので数ヵ月後DVDを鑑賞してから、是非また読みに来てください。
「数ヵ月なんて待てねーよ!」って方は、妥協点として2015年に他の演出家さんで上演されたものを見ることができます。
こちらは未観劇のためなんとも言えませんが、おそらく2015年版は絶対解けない「超ハードモードの『ミステリー演劇』」か、『ミステリーではない普通の演劇』の可能性が高いと予想しています。でもまぁ全く観ないでネタバレ読むよりは絶対良い。
たぶんDVD売ってるし、3月になれば我らがdアニメストア殿が配信してくれます。
https://anime.dmkt-sp.jp/animestore/CP/CP00000660
高いチケット買って劇場に行くか高いDVD買うかしか選択肢がなかった時代を生きてきた作品の取捨選択にすごい苦しんできた勢なので、dアニさん月額400円でこんだけ見れるとかマジ神過ぎ。最初目を疑った。(WOWOWさんにも感謝していますが、うちTV無いから見れないんですよ…そもそも家にあんま居ないし。お金なら払うのでスマホでもWOWOW見れるようにしてください。)
原作「孤島の鬼」を読むのも手ですが、本作はある意味では『原作の本質を描いている』けど、ある意味『原作とは全くの別物』です。だから舞台版のネタバレは、舞台版を観てから読んでほしい。
そして、せっかく未来の楽しみを潰してまでネタバレを読んでしまうのだから、その前に『ミステリー演劇』の推理に挑戦してほしい。
一人で解くのは超ハードだと思うので、できれば仲を深めたい方と一緒に。(私が今回の回答に至るのに協力してもらった友人の数は4人です。内1人は原作を読み込み一緒に推理してくれました。)
ぼっちの方も安心してください。本作はめちゃくちゃ面白かったので『2017年版の感想』も、ネットの海に転がっています。そこから辿り着くことも不可能じゃないはず。鮮度のいい印象論の良さも、一晩寝かせた感想の良さもあるので、いろいろ漁ってみてください。
あと私は推理した一週間の思考ログをほぼすべて残しているので、トリックがわかってからログを読み返してみたら翻弄されている自分がめちゃくちゃ面白かった(当時は睡眠不足の神経衰弱で瀕死でしたけどね)。間違ってはいないけど騙されている。そんな楽しさもあるので、ぜひ推理に挑戦してみてください。
そして私がまだ解いていない謎の答えを見つけられたら、ぜひ教えていただきたい。
また、運良く本作を劇場でご覧になられた皆さま。感想はもう書き残しましたか?
公式がwebでアンケート回収もしています。送ると抽選で非売品舞台写真もらえます。私もとても欲しい。
本作は、『感想を残す』ところまでを含めて作品です。せっかく運良く観劇できたのだから、140字で良いから書き残しておきましょう。
できれば思いの丈をすべて書き出しておくと良いです。『他者に感想を伝えようとした人だけが、謎解きの後に得られる感動』があります。(※個人の感想ですが!)
この感動を、本作品が本当に素晴らしい江戸川乱歩の原作舞台化であったことを伝えたくて、読んだら作品を殺すことになるようなネタバレを恥を忍んで書いています。
私はソワレ観劇後、徹夜で翌昼に感想書き上げました。これが私の沼への一歩だった訳ですけれども、これを書き残しておいたお陰で、謎が解けた時に私の回答を出すことができました。
一度ネタバレを読んでしまうと、もう観劇で感じた感想書けなくなると思いますので、本当に一言で良いから感想書き残しておいてください。ついでだから公式アンケートに答えて非売品写真当てましょう。当たったら私にも見せてください。
最後に公式各位。
ネタバレにあたる部分は私の個人的なミステリー体験なので、これが公式解とは主張断言しません。
と言うか、理由なき見落しと、自分の能力ではどうしても咀嚼できなかった部分(言葉がスムーズに脳に入ってこなくて読解しながら観劇することができなかった原作には無いシーン)があったので、私のネタバレは不完全です。他にも拾い損ねている箇所がポロポロ出てくる。逆転する可能性が大いにある、お粗末な推理。
ですが、キャストの皆さまが最後までネタバレに配慮されていたのに、ネタバレを公開し誰かに読んでほしいと願うことが、浅間しいようにも感じています。
ネタバレ注意喚起に約2000字程裂きましたので、どうか堪忍してください。
p.s.オリジナルマグボトル購入しました。作中に赤い色が無かったのでデザインも綺麗だし購入したのですが…紐解いてみるとなかなか意味深なグッズですね。とても良い記念品になりました。
それでははじめます。
無人の屋敷に風が吹き込む
暗転
まったく光のない深い暗闇から男性の声が聞こえる
「不幸ということが、私にもよくよく分って来ました。本当に不幸という字が使えるのは、私だけだと思います。遠くの方に世界とか日本とかいうものがあって、誰でもその中に住んでいるそうですが、私は生れてから、その世界や日本というものを見たことがありません。これは不幸という字に、よくよくあてはまると思います」
暗転明け
無人だった屋敷に白髪の男性が立っており、書物を音読していた。
彼……『私』を語り部とした、物語がはじまる。
http://anond.hatelabo.jp/20170206104211
ミステリーとして解いた今読み返すと相当ブッ飛んだ納得の仕方をしている。自分の妙さについて今までなんとなく感じていた部分が浮き彫りになりすぎである。こわい。
当時も気持ち的にスッキリはしたけども、<もやもやした原因が『認知を歪められている感覚』だったのに、「それは作者の願いだよ!」という犯人と動機の『妄想』では、『論理的解決』にまったくなっていない>ので、悶々とはしていた。
作り手側は演劇を魅せるプロだが、観客は演劇を観るプロだ。伊達や酔狂でやっているわけではない、こちとら真剣に観ている。
『認知を歪められている感覚』なんて中途半端なものは見過ごせない。
そこからずるずると私は沼に嵌まっていき、推理のためにガチで眠れない一週間を過ごすことになる。
そもそも、舞台「孤島の鬼―咲きにほふ花は炎のやうに―」の何がミステリーなのか。
それは、本作品が叙述トリックを駆使し、とある『真意』を隠しているということにある。
しかし私の目下の推理動機は、トリックを逆手に取った『簑浦も諸戸も幸せになれる最適解』にあった。どうしても二人を幸せにしたかった。
そのために以下のことを行った。
そしてひたすら二人が相思相愛ではないという可能性を潰し、相思相愛である可能性を見つけ出す作業。
二人の愛の一番の障害は、箕浦の白髪化=「箕浦は同性愛を『生理的』に受け付けられない」という点。
これが諸戸が箕浦の前にあらわれることがなくなった原因だと思う。彼がどんなに誠意を尽くそうとも、これだけはどうにも覆すことができない。
しかし、実は原作では白髪化したタイミング=直接的な原因が諸戸に襲われたことのみだとは明記されていない。
そして舞台でも、実はめちゃくちゃぼやかされている。
冒頭、語り部である『私』が自身の体験した恐怖について語ろうとする。その時にまるでトラウマが呼び起こされるかのように喉元を掻く仕草をする。
後半井戸の奥、深い完全なる暗闇の中、水位が増して死の恐怖に襲われた時。『私』佐藤箕浦も、諸戸と石田箕浦と同じマイムを行って移動し、水位が増しだすと喉を掻いて苦しみ悶絶する。
これは、白髪化するほどの『生理的』な恐怖が、諸戸に襲われる前から強烈にあったという解釈にできる。
では逆に、諸戸に襲われた後の恐怖はどうだろう。助八さんの救助が来て、生死の恐怖は去った。丈五郎の恐怖も去った。では諸戸に犯される恐怖はなくなるか? 普通に考えれば、自分を襲ってきた相手が側に居るなんて恐怖しかない。第三者が居るから安心だなんて暢気になれる訳がない。(学術的根拠を略していることは恥じています)
箕浦は、諸戸に襲われた時にあれほど恐慌したのに、襲ってきた相手が側に居てもケロっとし過ぎなのである。脱出できた時なんて笑いあっていたりする。
これらによって、「箕浦は同性愛を『生理的』に受け付けられない」ということを否定できる可能性が、十分にある。
『生理的』に受け付けられない訳じゃないのなら、箕浦の同性愛への拒絶はどこからくるのか。
諸戸が触れるままにさせ遊戯を楽しんでいたと言っているが、これってちょっとエッチではないですか? 私は『もてあそぶ』というよりも、遊廓でのお戯れみたいな印象の方が強かった。エロかった。
ましてや「あつい手だね」というセリフは、諸戸と佐藤箕浦の両方が同時に口にする。
これは原作では諸戸が言い、簑浦も『私も同時に、火のような相手の掌を感じた』とある。
あの夜、諸戸と箕浦は、本当は同じ気持ちであったのではないか。
しかし大人になった箕浦…いや『私』佐藤箕浦は、頻繁に同性愛を拒否する。
そして井戸の中、「今こそ、僕の願いを容れて、僕の愛を受けて」と請い願う諸戸を「あさましい!」とはね退ける『私』佐藤箕浦。
実はこのセリフ、原作には無い。そして学生時代のあの夜は諸戸の方が言っていたセリフなのだ。
「君は浅間しいと思うだろうね」と。
箕浦に『同性愛を持つ者は異人種』だと一番最初に植え付けたのは、他ならぬ諸戸であった。
そしてあの夜、「『私』は諸戸との関係はこれで終わったと思った」。
もし、もし諸戸が、自分で自分の気持ちを否定してしまわなければ、二人が結ばれていた可能性もあるのではないか?
あの夜の後、箕浦が大人になりSK商会に勤める場面から「過去の『私』」石田箕浦が登場する。
大人になった『私』佐藤箕浦は同性愛嫌悪の感情を見せるが、石田箕浦は同性愛を嫌悪していない。
諸戸が自分に恋していることを頭では理解しているが、そもそも同性愛をわかっていない。だから諸戸からの熱視線(性愛アピール)をまったく感知できないし、諸戸からの接触に応えること・握手を求められた手を握り返すことができる。
(スポットライトが当たらないところでの石田箕浦と諸戸は、まさしく「諸戸と簑浦は何か変だ」状態。熱視線を送ったり触れようとしたり羞恥の色を見せたりする諸戸に、石田箕浦はまったく気付かない。A.T.フィールド固すぎ)
原作の簑浦とはかなり印象が違うそう(私は一度推理完了するまで未読を貫く主義のため世論であるが)。
簑浦と箕浦、原作とは名前の漢字が異なるし別人か? いや、そうじゃない。無意味な改変は絶対に起こらない。「虚偽の事柄を事実として書くことはアンフェア」だからだ。印象が違うなら、『変えた理由』と『変えても原作の簑浦を成立できる理由』がある。
石田箕浦が登場する前。佐藤箕浦が諸戸との関係は終わったと思ったあの夜。諸戸が泣きながら請うた内容は以下だ。
「君は分っていてくれるだろうね。分ってさえいてくれればいいのだよ。それ以上望むのは僕の無理かもしれないのだから 。だが、どうか僕から逃げないでくれたまえ。僕の話し相手になってくれたまえ。そして僕の友情だけなりとも受け入れてくてたまえ。僕が独りで想っている。せめてもそれだけの自由を僕に許してくれないだろうか。ねえ、簑浦くん、せめてそれだけの……」
諸戸が願った内容、これまんま石田箕浦じゃん……
石田箕浦は諸戸を友人として深く信頼しているし、井戸の中でなんて一緒に死ぬことすら受け入れている。諸戸の願いを、字面通りに叶えている。
しかし周知の通り、諸戸が心の内で望んでいたのは、彼の『死にもの狂いの恋』を受け入れてもらうことだった。
諸戸は自身について怖れている描写が多々あった。それは自分の素性と性愛対象が『普通と違う』ことでもあったし、『父に命じられたから行っていたはずの不気味な研究にいつしか諸戸自身も不思議な魅力を感じはじめていた』ことも大きいと思う。
我と我身を醜いと卑下すればするほど、美しいものを強烈に求め、美しくあるべきだという観念に囚われる。
諸戸の心の内の葛藤が『手記の秀ちゃんと吉ちゃん』そのものに見えた。諸戸の望み(イド)と願い(超自我)は大きく解離している。
箕浦が写し取ってしまった『同性愛を持つ者は異人種』という価値観、『親友という姿』は、諸戸が持つ美意識の刷り込みだった。箕浦にとって諸戸は、本当に「美しい青年」だったのだ。
石田箕浦は本当にクセのない、まっすぐな好青年だった。諸戸の理想とする『普通』がそこにあるように見えた。そして原作の簑浦とは印象が異なる存在…
これはつまり、簑浦のイドと超自我のようなものが、『私』佐藤箕浦と石田箕浦に分かれて表現されているのではないか。一人の人間を二人で演じ、二つの存在(語り部の『私』と、簑浦のイド)を一人が演じているのではないか。
彼らの箕浦の分担は、紀州の孤島に着いてから大きく変動し反転してゆく。
井戸の中で諸戸に襲われ、完全に石田箕浦から佐藤箕浦に替わったのは、諸戸が望んだ存在が友人ではなく恋愛対象としての箕浦だったこと、そして諸戸の手によって「諸戸の理想とする『普通』」が壊されてしまったこと…『私』になった石田箕浦にも諸戸の姿は獣のようだと評されている。学生時代のあの夜に諸戸が否定をしてしまったこと、それの繰り返しだった。
そして秀ちゃんへの恋心を諸戸に恥ずかしいものと責められる場面。実はあれは原作だと簑浦のモノローグによる言い訳タイムとなっている。諸戸はそもそも丈五郎に捕まって、島に到着して以降会っていないというのだ。正確にセリフを覚えていないが、原作未読の私でも、最初に秀ちゃんから手紙を受け取ったシーンに諸戸が居ることに強い違和感を感じた(そして友人が原作では諸戸が居ないことを確認してくれた)。
よくよく考えれば変なのである。箕浦に恋慕を寄せる諸戸に責められる筋合いはない。初代に操を立てるなら諸戸の恋に応えることも恥ずべきことだし、諸戸に気を遣う必要だって本質的には無いのだ。(まるで『アイドルは恋愛しちゃいけない』理論だ。)
ではなぜ超自我のポジションである石田箕浦ではなく、諸戸が責め立てるのか。
箕浦の美意識は諸戸の影響を強く受けているから諸戸の姿をしていたとも捉えられるが、それ以上に、常識的な葛藤だという以上に、箕浦の心の中に諸戸を慕う側面も幾ばくかあったから、秀ちゃんに恋する自分と、諸戸を慕う自分で対立したことを表現していないか。
佐藤箕浦はもちろん初代にも秀ちゃんにも惹かれているが、彼が箕浦のイドのポジションであるならば、諸戸のことも結構好きだった。(イドでなく単なる『私』なのだとしても、諸戸を見つめる視線に愛憎のような熱が込もっていたし、)諸戸との会話に深山木が入ってきたとき「早くないですか!?」と驚くのは二人の箕浦で、石田箕浦一人だけが言うと単純に時間が早かっただけに聞こえるが、佐藤箕浦も合わせて言うことで「諸戸との会話に邪魔をされた(もっと諸戸と話したかった)」かのような邪推ができてしまう。
そして諸戸が握手のために差し出した手を『箕浦が握り返さなかった』時。諸戸は驚愕の表情で『私』を見る。見つける。実は、物語の始まりを告げる運命が廻りだすような音楽が流れて以降(犯人だと疑って諸戸の家を訪ねて以降)、諸戸が『私』を初めて見たのが、この『箕浦が握り返さなかった』時。
握り返さないのは、握り返すことに意味が生じてしまうから。石田箕浦は諸戸の恋をまったく感知しない。そんな石田箕浦が握り返さないわけがない(実際に、諸戸に見つかってしまった『私』が顔を背けた瞬間、石田箕浦は手を握り返す)。つまり学生時代のあの箕浦が、心の中にまだ居たということ。
諸戸にとってはそりゃあ嬉しいことだろう。彼はそれ以降箕浦に話しかける時、佐藤箕浦を見てから石田箕浦を見る。ここからどんどん、『箕浦』の行動を表現するのが佐藤箕浦へ移行してゆく。
一度は友人として、諸戸と共に死ぬことも受け入れた箕浦。
しかしその結末を自らの手で潰す諸戸。
逃げながら箕浦は吼える。「死んでたまるか!」と。箕浦は白髪化するほどの生死の恐怖を体験したばかりだ。
諸戸に襲われるも未遂に終わり、命が助かることに深く絶望する諸戸。
井戸を出た二人は笑いあう。諸戸は箕浦が白髪化するほど生理的に同性愛を受け付けないのだと認識したように、箕浦の白髪を見て泣いているように笑う。
そして箕浦の前に現れなくなった諸戸は、気持ちを遺して逝くことで最期にまた箕浦へ大きな傷を残す。
先述の通り、私の推理動機は叙述トリックを逆手に取った二人が相思相愛であったことの証明にある。
からくりが解ってみると、どうってことない・ただ上演されているものそのままに過ぎないのだけど、ここに辿り着くまで本当に一週間ひたすら睡眠時間を削って悩んだ。二回目に観劇した時などは、とにかく正確に推理するためにありのままを最前列からガン見してきたのに、どうあがいても悲恋という現実に心が折れそうになった。マジで。実は二回目に最前列で観測した時よりも、初見H列サイドから観劇した時の方がイイ線いってたよな(納得の仕方はブッ飛んでるけど)と思う。
で、共に推理していた友人が先に原作の叙述トリックに気付き、簑浦と諸戸のBLは成立しているという解を出してくれたので、二回目の絶望した記憶で観劇を終えるのもなんだし推理はやめて初見のつもりで観劇しようと思って向かったのが三回目の観劇。最後尾辺りの補助席。
しかし驚くほど新たな発見がまたどんどん出てきたうえ、深山木のセリフによって私は舞台も叙述トリックを使ったミステリーなのだと確信してしまう。
これは原作にもあるセリフらしいのだが、深山木がトリックについて思わせ振りなことを言うシーン。そのセリフが完全に『叙述トリックの説明』になっていたのだ。聞いた瞬間、震えが走った。
本作がミステリーであると気付けるように、最初から以下の違和感と解法が提示されていた。
さて。ここで疑問に思われることがあるだろう。なぜ叙述トリックを使用しているのか? 隠したいものは何なのか?
この件について私は非常に貴重な体験をする。
本作の大好評っぷりと、推理に明け暮れ神経衰弱している私を心配して、友人が本作を観劇してくれた。三回目観劇の日、偶然スケジュールが合って友人2人(友人Aと友人Bとする)と一緒に観ることができた。終演後、私はわくわくしながら二人に感想を求めた。
友人A「箕浦殴りたい……不快過ぎて体調悪くなってきた……」(※意訳)
当時、箕浦殴りたい勢は最大勢力に感じた。過激箕浦擁護派も0ではないが、大多数が箕浦(おそらく『私』のみ)に不快な感情を持っていた。冗談ではなくガチで友人Aが苦しそうにしており、私も初見後は物凄くモヤモヤしていて苦しみがよくわかるので、少しでも気が晴れないかと友人Aと対話することになる。
不快感を分解していく。
友人Aは非常に言いに難そうに、しかし押しかかる不快感から助かるため、意を決して打ち明けてくれる。
友人Aも不快の対象は『私』にあり、その根源を追ってゆくと友人自身が「『拒絶』されるのが本当に無理」だから、諸戸を拒絶しているのに側に居た『私』を悪だとした。
増田「拒絶することを『悪』だとするなら、今『拒絶を拒絶』している友人Aも悪だということになるでしょ? 友人Aは悪なの?」
結局友人Aには私の初見感想を読んでもらい、加えて私の心の闇()もひっかかった話をしたことで、とりあえず翌日出社できるレベルには不快感が晴れたと言ってもらえた。良かった。
さて、私は友人Aと対話して思った。「もしかして江戸川乱歩のやりたかったことってこれでは?」
感想を書いた方ならわかると思うのだが、感じたことや思ったことの根拠を話そうとすると、自身についての話、しかも心の闇()の部分を語らないとどうにも説明できなくなってしまう。
私も推理ログ含め大量に書き残したが、心の闇()を除いても、暗闇マジ怖い体験とか、無意識下の生理的拒絶は実在するよ体験とか(思えばこいつが二人の恋の一番の障害だった)、とにかくネガティブな体験談がバンバン出てくる。
共に推理し原作解読した友人も、舞台の感想を書こうとしたら闇にぶち当たって、書くのを控えようとしていた。( Permalink | 記事への反応(0) | 22:47
一旦投稿
毬が転がった後の暗転が、すごく暗闇。DVD撮影日、最前列、と見たので、今まで実はそんな暗くなかった。
ほぼ最後尾だったので、暗闇がすごかった。
その暗闇から「不幸という言葉が…」という一説(長い)(日本どうこうまで入るよ)が聞こえると、井戸の中で亡くなったものの嘆きに聞こえます。
場所は紀州の孤島。「ここが最後の場所」と言う。物語の最後の場所であるらしい。
ちなみに舞台では紀州の孤島の諸戸屋敷を改装しているとやはり最後に言っている。
亡くなられた方が、私たちのいる現代に帰ってこられて、語られているようす。
鬼のことは姿が見えないという。
どうにも諸戸の最後の手紙に苦しんだという旨かのような発言に聞こえる。暗記できない…
なんというか簑浦と諸戸やはりお亡くなりになっていて一緒にいる。
私は学生時代の簑浦が「あつい手だね」と言ったこと、~`,+@~若いから嫌悪感なかったということなど、『私』の簑浦は諸戸との恋愛にどうしても繋げてしまう。
というか、学生時代の終わった恋の簑浦、諸戸との友情の箕浦というのは、状況的にはスッキリする。いや心理的にもそうなのだけど、後半の解釈がうまくゆかぬのだ…
箕浦「ここからは僕の物語」が、おそらくセリフとして正しいはず。毎日稽古しているようだけどセリフ変わってたらどうしよう…見る回によって難易度違うのは勘弁してほしい…
よくよく聞いてないと本当に流してしまう…
諸戸との再会は初代さんちで深山木さんもいる時でしたね。
作中で声が重なるのは4回。
「早くないですか」は、もっと諸戸と話したかった(のに邪魔された)という意味?
ヒグチは初代と秀子…あ~
言葉に二重の意味がある時に同時に話すのか? いや、私は原作からも「あつい手」を二人が同時に感じる相思相愛エロチシズム表現だと解釈している。これはハッピーエンドを目指すときに絶対に揺るがせない。
私>箕浦って世界への権力差は確実にある。これがな~どこまでを私とし箕浦とするか、というのが厄介にさせている。
いや逆か。おそらくどこかに数式の解があって、それであるならすべて説明可能になるように設定の証拠が上演されているのだ。
『私』と諸戸だと共犯関係のような雰囲気を感じるけれど、箕浦と諸戸は親しく親密にしていてもどこか絶対の別個体感があったんだけどなぁ。う~ん…印象に補正かけている気もする。
諸戸と箕浦に萌えるのって、それこそ不倫の恋のように感じて抵抗がある。初代から秀ちゃんに心変わりすることを「恥はないのか」と責めることと、まったく同じ事象が「箕浦が諸戸に心変わりした」という場面でも発生すると思うのだ。
諸戸と箕浦の身長差であるとか、近い距離感であるとか、激情を秘めた哀しみのHSK×鈍感素直な陽属性ノンケという組合せだとか、萌えなくはないのだけど…ってあーーーー!
これが「諸戸と簑浦は何かへんだぞ」か! そして箕浦は完璧なノンケの態度しかとっておらず、盗み見たり接触しようとしたり近い距離にドキドキしていそうなのは、変なのは諸戸の方だ!
そうだ、二回聞いたなと思っていたのはここだ。学生時代の思い出語りで諸戸の友愛や親切に感謝していると『私』は言い募るのだ。セリフの仔細はちがうだろうけど、井戸で襲われかけている時も『私』はそう募る。
どうにも『私』は諸戸と恋愛できる可能性を抱えているように見えてしかたなく…やはり手を握り返さない箕浦に驚いて『私』を見るシーンの解釈が…
あれ?もしかして再会してから、諸戸が初めて『私』を見たのがあの時か!?
ねえそれなら、諸戸は「手を握り返されられない」ことに『私』=簑浦の中にある恋の種に気付いたのではないか?
だから諸戸に見られた『私』は顔を背けその瞬間箕浦は手を握るんじゃないか?
ああそうか、もし諸戸が自分の身を恋に燃えるイドと美しい友情の超自我に分けられたなら…
丈五郎に滞在していけと言われた時、諸戸は先に『私』を見て「だってさ。」と言い、それから箕浦を見ている。
秀ちゃんが吉ちゃんの手を自分の胸にやるシーン。あそこは死んでしまいたいというセリフだっけ? 井戸の中で諸戸と死ぬことを受け入れた箕浦は、抱き締める諸戸の手をどうした?
あの時は吉ちゃんは発情していなかった。だから胸に手をやるのは凌辱表現ではなく、秀ちゃんによる吉ちゃんの受容だったのでは。セリフはなんだったか?
《みのうら》している箕浦は、諸戸の回想とか見えていない。だから語っている諸戸を見ている。『私』には諸戸の回想が諸戸と同じように見えている。
そう、秀ちゃんに恋したところを見咎める諸戸、めっちゃ非難する諸戸、あれって諸戸よりももう一人の自分みたいだったんだ。ある意味箕浦に似ていた、諸戸とは少し違わなかった?
私、簑浦が同性愛を否定するようになったのはあの夜以降で、その倫理形成は諸戸だったのではと思うの。超自我は教育で培われるでしょ、簑浦の同性愛嫌悪はそのまま自己否定する諸戸のようだと思うの。
「君は嫉妬しているの?」ってセリフ、あれはああ言うしかない会話の流れででもそしたら嫉妬しているって答えるしかなくてじゃあ今こそ受け入れてくれるの?って流れになるに決まってて…って思うんだけど、そこでも簑浦は友情しか受け取らない…「うん秀ちゃんが無事で嬉しい」って言えばよかったの?
異性愛でも、同性愛でも、両性愛でも、人が人を愛するということは変わりないじゃないかと思う。
今の社会は寛容なようでいて、寛容じゃないんだなと思う。
私は同性の恋人と手を繋いで歩くことに、まだどこか抵抗がある。
普通のこと、とされていることを正義として受け取るタチなのかもしれない。
彼氏のこととか、将来の結婚願望について語る友人たちのことを羨ましいと思ったし、自分もいつか異性を好きになれるって思っていた。
でも好きになるのは女性ばかりであれ?って感じてた。
ずっと誰にも話せなかったし、悩んでいた。
親や友人にバレたらアウトだという意識があった。
でもそんな状況自体がよく考えたらおかしいんじゃないかと思い始めた。
自分も結局は、同性愛者である自分自身を差別してるんじゃないか。
それがとてつもなくショックだった。
その差別意識は、異性愛者であることが当たり前な社会の中で無意識に植え付けられたものだと思う。
異性愛者でも同性愛者でも、自由に生きられるような心地よい社会になればいいと思う。
「〇〇くんが好きなんだ〜」「私は〇〇ちゃんが好きー」と軽く言い合えるような環境なら。
セクシュアリティに悩む人が、減るんじゃないだろうか。
気持ち悪いと思いましたか?自然に感じましたか?2人は友達だと思いましたか?
気持ち悪いと思いましたか?自然に感じましたか?2人は友達だと思いましたか?
同性愛者である私が同性愛嫌悪を根底に持っているというのもおかしな話。
メディアや雑誌で笑い者にされてる姿を植え付けられてさ、それを見て自分もそうなんだってすんなり肯定できる?
私にはそんな強さはなかった。
人に何か言われたくらいで、大切なものを失いたくないって思えたから。
好きなものを好きと言える世の中って、本当に大切だと思う。
わざわざ、「今の段階ではストレートです」とは名乗らないでしょう。
なるほど、ただの自分の属性情報をなるべく開示したかっただけね。
いやなんか、ストレートって書く必要のある文章に見えなかったのと、「寛容」という単語で、異性愛を誇っている理解ある風の同性愛嫌悪者じゃなかろうか、と疑った次第です。
失礼しました。
そうですね。
その手のからかいが面倒なら、なるべく素っ気無く素で返すのが効果的と考えてます。
「笑いものになりたくない」だけなら、ホモフォビアではなさそうですね。
ただ「ゲイって笑われるもの」という認識を、「持たない人もいる」「自分はそうは思わない」であるなら、ですが。
「ゲイって笑われるもの」ってそもそも主語がでかすぎですよね。
この主語のでかさに気づいてないなら、ホモフォビアの可能性があります。
心でそう思っているなら、同じことですね。
ちなみに、笑いものになるのは、嫌なのですか?
私も学生までは嫌だと思ってましたが、社会人(大阪勤務)になってから、「おいしい」という感覚を得たため、笑いものになるのが嫌じゃなくなりました。
ムッとくるからかいを利用して周りの爆笑を上手く引き出せると、してやったり、と思います。
わからなくはないです。
でも「私、異性が好きなんだ」という異性友人の発言とどう違うのでしょうか?
「これまでどおりの関係」に、一緒の布団で寝る、とか、二人っきりで風呂に入る、とかがあるなら確かに難しいかもしれません。(私は異性愛の同性友人ともお断りですが)
一つ言うと「私のように寛容であろうとしている人」は、表現上問題があります。
Google先生に伺うと「心が寛大で、よく人を受けいれること。過失をとがめだてせず、人を許すこと」って返ってきます。
「同性愛を過失だ」と言っているように受け取られる可能性があります。
あと「ストレート」は言葉狩りしたい人が噛み付いてくるので、どうしてもカタカナにしたいなら「ヘテロ」とか表現した方が無難です。
つい最近隣接分野でこんなやりとりがあったけど結局真摯に文献提示しても「気にいらねーから読まない」って態度とるのはなんなんですかね。
http://d.hatena.ne.jp/miyakichi/20150208/p1
このエントリで触れた、同性愛の病理化の歴史についての主なソースは、風間孝&川口和也著『同性愛と異性愛』(岩波新書)です。平易で、かつ情報盛りだくさんで、いい本ですよ。おすすめ。
http://kyoumoe.hatenablog.com/entry/20150209/1423489280
文献に関してですが、トランスジェンダーの方の意見がブクマにありました。
はてなブックマーク - 「どこかの同性愛コミュニティから『ノーマルは差別的だ』っていう意見が出てきてるわけじゃなく」? デマを流さないでくださいよid:kyoumoeさん。 - みやきち日記
岩波新書の同性愛と異性愛を推奨みたいだけど、あれはひどかった http://blog.goo.ne.jp/kuborie/e/0bf72de60958fb338400532e9a3d73e9 読む価値あまりなし。少なくとも絶対に読み返さないと思って、無償で人にあげた
またこういう意見もありました。
はてなブックマーク - LGBTの方に質問です。「異性愛をノーマルと呼ぶこと」及び「同人…
「LGBTの方に質問です」ってところでカチンとくる炎上案件。十把一絡げにすんな/言葉でいちいち目くじら立てないけど、この質問の仕方はダメよ。まず、Tの人はノンケだってことに留意すべきですねー。
「どこかの同性愛コミュニティから『ノーマルは差別的だ』っていう意見が出てきてるわけじゃなく」? デマを流さないでくださいよid:kyoumoeさん。 - みやきち日記
「ノーマルカップリング」「ノマカプ」「NL」などの語について、ブログでだってTwitterでだって、批判しているLGBT当事者はいっぱいいるよ。id:kyoumoeさんの特殊アイに、そういう意見を極力見ないようにする回避機能がついてるだけなんじゃねえの。
「LGBT」という表記一つでこれほどの意見の相違が出てきます。
議論の踏み台として提示された文献を自分で吟味もせず他人の書評に乗っかって価値が無いと切捨てて見せてるわけですよ。
http://d.hatena.ne.jp/miyakichi/20150210/p1
最後に、同性愛イシューやLGBTイシューを本当に「わかりたい」と思っていらっしゃる方々のために、おすすめ書籍のリストを挙げておきます。カーリル | 日本最大の図書館蔵書検索サイト等で探してみられてはいかがでしょう。本は怒らないし冷静だし、情報量も多くて、うちのブログなんかよりよっぽど有益ですよ。
『同性愛と異性愛』(風間孝&川口和也、岩波書店)(レビュー)
『図解雑学 ジェンダー』(加藤秀一 他、ナツメ社)(レビュー)
『<同性愛嫌悪(ホモフォビア)>を知る事典』(ルイ=ジョルジュ・タン編、明石書店)(レビュー)
『LGBTってなんだろう?--からだの性・こころの性・好きになる性』(藥師実芳 他、合同出版)(レビュー)
『ステレオタイプの社会心理学 偏見の解消に向けて』(上瀬由美子、サイエンス社)
『セクシュアリティの多様性を踏みにじる暴力と虐待』(アムネスティ・インターナショナル編、現代人文社)
『同性愛者における他者からの拒絶と受容』(石丸径一郎、ミネルヴァ書房)
『Biological Exuberance: Animal Homosexuality and Natural Diversity』(Bruce Bagemihl、St. Martin's Press)(レビュー)
『Homosexual Behaviour in Animals: An Evolutionary Perspective』(Sommer, V. & Vasey, P. L. 編著, Camblidge University Press)(レビュー)
『It Gets Better: Coming Out, Overcoming Bullying, and Creating a Life Worth Living』(Dan Savage & Terry Millor [編]、Dutton)(レビュー)