はてなキーワード: 合格とは
全員ではないけど、観光ビザで入国して、不法就労したり家族を呼び寄せたりしている人を移民と呼ぶべきではない。
難民申請も強制送還を避ける便法として使われているだけなので、難民と呼ぶのも不適当。
日本の外国人受入制度は、欧米の移民政策の失敗を踏まえて制度設計されている。
大まかにいうと、ブルーカラー系労働者とホワイトカラー系労働者で違う。
ブルーカラー系の場合は、転職も大変だし、日本で働ける期間も上限が決まっている。
上限なしでとどまりたい場合、そうとう高度な試験に合格しなければならない。
一方、ホワイトカラー系の方はわりと緩やかで、人によっては永住権も取りやすい。
今後はブルカラー系労働者の比率が増えるけど、不正申請やごまかしが多いので、国側の仕事は増える。
また、ウクライナなど、難民条約上の難民には当たらない(出身国の迫害を受けていない)場合でも、在留を認める法改正があった。
認定されれば難民に準じて日本語教育などの支援が受けれるし、どこで働いてもいい。
別に平成の国家に敵対しているわけではなくて、生活のために、体育と部活動だけしっかりやりこませて、勉強の方は、よかれと思ってやらない方がいいと思っているわけではなくて
単にやりたくないから実施していないだけなのがばれた、メゾンときわ台の4階に住んでいる老衰した40代の男がうざくて仕方がない。
それともう一つなんか、理科一類の後期試験に合格して採用されたので、その理科一類の後期試験の問題を解いたときの感想を述べない永山悟という男の頭が理解できない。
裁判官が必要ないから捨てたというのならなんで警察官は使ってんだよと言う話になる。なおかつ、ときわ台メリーガーデンの中に住んでいるババアって、何で 警察行政か消防行政の話ばかりで
法学部だから法学部がいいと言い続けていたら、次の経緯で審査があって今のようとなった。
平成12月4月1日 井上修二 1年 独走状態であり他の生徒と大きく成績をあけている。
平成15年3月10日 東京大学教養学部 14日 合格しましたので通知します。3月下旬開催の健康診断に出席し手続きを経てから
入学を許可する。健康診断の手続きを経由しない場合は入学させない場合がある。
平成17年4月1日 東京大学法学部 進学を許可。理由、 前期課程の単位を全て取得し、進学許可事由に該当するため。
平成19年4月 東京大学法学部 卒業を許可しない。理由: 本来ならば年度末に90単位をそろえる必要があるが、
9月28日 東京大学法学部 卒業を許可する。 理由: 卒業要件となる90単位を取得しているため、卒業を許可し
学位記を授与する。
平成19年10月13日 東大法学部の事務の女 いらねー、燃やす
平成25年11月1日 黒羽刑務所処遇部門 受刑者類級 5級から3級へ
平成26年2月 森脇進一 ねえからな、一部の奴がやっているだけだからな
長谷川順一 おわりだ
平成28年11月16日 加藤恵子のむすめ 10分 だめー、だめー
平成29年3月29日 佐藤もぐら 30分 あー、検察官、今日は帰ってください
平成29年7月13日 携帯電話の不審な女 5分 鼻の手術許可
平成30年3月28日 富澤佳代子
平成30年12月25日 ナヴィ蓮根の男 仲良しのしるしに乾杯
平成31年2月14日 真夜中の運動会の開催決定 ( @ 朝霞水門、朝霞大橋、和光高校 )
令和元年11月12日 高野伸 25分 定年退官発令日を、令和8年10月とする。それまでの間、月額16万円を支給する。
令和6年2月13日 縣人と美帆 次の一覧に記載する期日において性交を許可する。
(1)2月13日
2月23日
3月1日、9日、16日、30日
もうかなり前です。
留学した当時は,その大学はスポーツ推薦はありませんでした。それが誇りでもあったと聞いたことがありますが,さすがにコンファレンスでいい成績が出ない。僕が帰国してからだったと記憶しますが,スポーツ推薦を始めたようです。
ただし,その大学だけじゃなく,最近バスケットボールで留学した渡邊君も言ってましたが,学期ごとに成績がある基準を下がると試合には出られなくなります。
ですから,そうなりそうな学生は,同級生の中からチューターを雇用して(もちろんお金がかかります),夕食後に図書館などで深夜まで勉強を教えてもらっていました。スポーツができるだけでは卒業はできない仕組みです。
さて,講義レベルのことですが,まず米国の入試では,共通テスト (SAT) 等以外に筆記試験がありません。
つまり日本の一般入試というシステムではなく,日本のAO(今の総合型)入試が,米国入試を真似たシステムです。
そして,共通テストの内容は,日本人の高校3年生が受ければ,多分簡単です。中学校レベルに毛が生えたくらいだと言われることもあります。これは,米国の中等教育の
しかし,SAT の成績がいいから合格するってわけでもありません。MIT も昨年度までは,入試の合否で SAT などのスコアを使っていませんでした。つまり面接や応募書類の中身で合否判定をしていたわけです。
しかしとうとう,今年からだったか MIT も共通テストのスコアを参考にすることになったようです。
秋ごろの日本の全国紙に,ハーバード大学が調査した大学卒業率の記事がありました。
米国の全国大学平均で,卒業率は50%,つまり二人に一人は退学になって卒業できないんです。これが入試に筆記試験が無いからなのかどうかは,記事には書いてありませんでしたが,さすがにハーバード大などの研究型大学の卒業率はもちろん90%を超えます。当たり前です。
さて,そういう事情ですから,例えば米国の研究型大学1年生と,東大の1年生に,東大の理科 I 類の1年生の数学の中の線形代数の試験を受けさえると,東大生が80%は合格するのに対し,米国大学の学生は20%しか合格しないかもしれません。
僕は留学先で,試しに1・2年生を対象とした複素関数の講義の一回目に(ひやかしで)座ってみました。日本の大学の数学の講義よりも丁寧で,分かりやすいです。
ところが60分の講義が終わった途端にひとりの学生が挙手をして質問しました。「先生,この時間内でしょっちゅう出てくる i って何ですか?」です。
日本の大学生なら,文系の学生でもこの発言にはびっくりしますよね。
つまり虚数単位を知らない学生が,世界大学ランキングで東大よりも上位の大学の1年生に,少なくとも一人はいたわけです。
これが,米国の高校までの教育目標と日本のそれが異なることの一例ではないでしょうか。
ところが,例えば工学部3年生以上の講義科目の内容を日米で比較してみましょう。ほぼ同じです。実際僕は,その両方を履修していますから,これは本当のことです。
僕の知人が勤めている日本の旧帝大工学部のある学科は毎年のように優秀な学生で英語で不自由しない3年生を,1年間の交換留学させていて,米国で取得した専門科目の単位を持ち帰ること(読み替えること)が可能でした。
ところが,東大よりもランキング上位の大学に留学した旧帝大学生の成績があまりにも悪いということが数年続いてしまいました。
講義内容は,3年生なら日米ではそんなに違いがありませんが,quarter 制度のあの詰め込み講義と毎週の宿題と,応用問題が出される期末試験でいい成績をおさめられないってわけです。
卒論は,オプションです。やる学生は圧倒的に少ないと感じましたが,これについては統計も何も持っていません。
僕が勤めていた大学では,工学部3年生の応用数学や力学などの一部の講義をすべて英語で実施しています。
これは,交換留学の公式のプログラムに,欧米やアジアの成績がいい3年生が半年か1年留学受け入れがあり,その学生が,日本人に提供している講義を一部だけ全部英語で実施しているものです。
僕の英語があまりにも上手だからでしょうか,日本人の学生には不評な講義でしたが,日本人の学生も80%は70点以上をとります。80点前後にピークが来ます。70点あたり
断っておきたいが、俺は女たたきをしたいわけではない。
会社の研修で「貴方はストレートな男性で管理職であるから、社会的には強者である。社会的な弱者である女性のことを考えましょう」みたいなことを言われて、不意打ちにあったような気持ちになった。
俺は在日三世である。まず、在日差別はある。おじいさんや父親が苦労してきた話(教師が親父の書いた絵に「朝鮮人で最も絵がうまいで賞」と書いた花をつけて廊下に張り出す、など)を聞くとやるせない気持ちになるし、今でも同世代との飲み会になるとザイニチが!みたいな罵倒語を吐くやつは目にする。
なので、正真正銘ゴマカシなしの社会的弱者であるウチは、在日であることを完全に秘匿しながら、日本において唯一無二の後天的に取得しうる強者性=学歴を息子や娘に身に付けさせることが長期的な戦略となった。豊かではない父母は持てるリソースのすべてを我々に注ぎ込んでくれ、果たして俺は東大に合格した。
ただ、どんなに努力を重ねても、やはり特に大阪に帰ると無意識の差別のオブラートは社会を包みこんでいるように思えてならない。帰化申請を自分で行ったときに、半ズボンで来るようなマトモじゃない人は審査で落とすけど、君は大丈夫。普通だよ。でも普通じゃない人ばっかなんだ、とヘラヘラ宣った法務局のHとかいう奴の顔は一生忘れないし、梅田の地下歩いてただこの親父が免許書を見せた瞬間に顔色変えて根掘り葉掘り聞いてきた警察官のことを俺は許さない。妹の元彼の親が朝鮮人とは結婚されられないと挨拶の場で断って、それにそれもそうだなあと言っていたらしいアイツらは妹の流した涙のぶんの毒薬を地獄で飲ませたい。
なので、俺がしてきた努力は、親子三代に渡り投入し続けたリソースは、この日本社会で生きていくために絶対に必要なコト/モノだったし、その結果としての社会的強者然としたこの姿は、弱者性の超克の志向の当然の帰結である。
それを、社会的強者である日本人女性から、生得的に男性であるからという言葉だけで強者と形容されるのはとても気に食わない。俺は、俺等弱者は、本当に死ぬ思いをしてここまで来てるんだ。生得的なんて言わないでほしい。
借金玉氏は高校生の頃の俺の希望だった。いじめでドロップアウトした先にて発達障害と診断され絶望の中をぷかぷか浮かんでいた俺にとっての灯台だった。自分は信じられなかったが、氏を信じる自分なら信じられた。
発達障害という病は心を殺し、自信を奪う病だ。あらゆるタイミングで道を阻み自己肯定感は潰される。曖昧ゆえに決まった治療法はなく、すべては自己責任とされてしまう。「おれは発達障害だから人生積んだのだ、何をしても無駄だ」諦念の中、世界を知らない俺がこうした結論に行きついたのも不思議ではない。
そんな時、借金玉氏と出会った。これが転機だった。発達障害者でも何かを為せるという当たり前の事を氏を通じて知れたのだ。それはある種の信仰でもあった。
発達障害者でも早稲田大学に合格できるし、起業だって、営業の仕事もできる、就活も成功できる、そしてきっと、仕事もできる。その気づきが、実感が、希望が、どれほど尊かったか!「俺でも人生何とかなるんじゃないか」と少しだけ思えたんだ。そして、実際そうだった。
俺は借金玉氏を信じて、勉強を始めた。当然のように不登校だったから、中学校一年生用の参考書を高校生にもなって勇気だして買って、勉強した。これは偉業だった。「何かをできるようになる」ができるようになり、「俺は不可能を可能にした」という小さな光が俺の胸に灯っていった。
物事をするには、人生を生きるには、希望が、光が必要だ。希望があって初めて努力ができる。「可能である」と信じて始めて人間は動く。消えてしまった光を蘇らせた俺の二度目の希望の光は、きっと借金玉氏からの分火だった。そして、一度灯った光は大きくなり、もう分火とは言えない一つの光になった。
未だに光が消えそうになる事もある。けれど、もう俺は子供じゃないから、どうにかこうにかやってきていた。そんな中、氏のニュースを知った。
俺は何も言えない。言う言葉を思いつかない。氏のこれまでの流れをやっと今詳しく知った程度の人間が、何を言えるというのか。
けれども、苦しんでいるあなたにどうか光がありますように。この文章が光になれなんてこと言えないが、昔救われた人間の一人として、身勝手ながら、あなたに希望が救いが幸福がありますように。祈っています。
PCのリースなら許可いらない。けど古物商は取っといて損しない
https://kyoninka-support.net/43/
子供向けについて
案外、エクセルのショートカットを壁に貼って覚えましょうねみたいなのもウケるかも?
最近だと情報の授業で基礎=低レイヤのことも学ばせるみたいな話がある。勉強し直さなきゃ
大人向けについて
PythonとJavaScriptでいいだろ
既に動く環境を貸出PCに作っちゃって、講師の助けいらなくなったら貸出料だけもらって…みたいにしちゃえば解決すると思った
最近はスマホ持ってるけどPC無いみたいな人も多いしいけると考えてる(個人で細々やる分には)
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自分の中の知識を外の人に伝えて、知識の希少価値を下げ、自身を希薄化させたいのかもしれない
身内に不幸があった2日後に泣きながら講師労働をした経験があり、自分に向いていると感じている
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あとで考えとく