はてなキーワード: デザインとは
最初の頃こそ、無駄な飲み会に使わない分自分のために好きなもの買えるじゃん!最高!とか思っていたわけだが、後も何ヶ月も経つとそもそもそんなことすら思わなくなる。
元より欲しいものはすぐに買ってしまうタイプではあるので、普通の人よりは物欲がある方だとは思う。
サブスクサービス課金や電子書籍なんかはすぐに手を出すし、自粛期間になってからPC環境や家電なども新調した、取り寄せのご当地グルメを楽しんでいたりもした。
しかし、同じ機能の家電品はそういくつも家には必要ないし、飯も1日に食える分量は限られている。勢いは最初の頃だけだった。
真新しいものに興味を持つきっかけである友人たちからの刺激も激減していったし、使いみちも殆どないなという結論が出てしまった。
特に自分は街に出た際の衝動買いへのハードルが上がったと感じる。
例えば、以前であれば良い服を見つけたときに「そういえばあのTシャツはもう古いし新調するか」と思って買ったりもしたが、今だと「別にヨレヨレのTシャツを着てても宅配の兄ちゃんくらいにしか会わないし、出かける場所もたかが知れているし新調しなくてもいいか…」となる。
顕著だったのが靴・鞄で、在宅勤務の割合が増えると靴も鞄も消耗しないので、結構高価なこれらへのコストがめちゃくちゃ減った。通勤電車とかで、他人の持ち物を見て「いいデザインだな、こういうのを持ちたいな」と思う機会も減ったからそもそも新調したいという欲求も消えた。
また、出先でちょこちょこ買いしてしまうペットボトルとか目薬とかそういうものもほぼなくなった。この後の予定ないし家まで我慢すればいいじゃんという状況が増えたからだ。
とにかくちょっとした買い物に対して不要のジャッジを下すまでの速度がとんでもなく早くなってしまったと感じる。
生きるための最低限で良いでしょ、なくても暮らせるでしょといった思考は自分にとっては恐れるものだ。
欲や現状を変えたい気持ちがなくなるということは、人生が打ち止めになってしまっているし、頑張る意味がなくなってしまう。
今は減った支出を溜め込んでおいて、将来何かまた活気が付いた時の資源にするべきなのか、もう活気がつく日なんてこないのか。そんなことを考えている。
中学で同じ部活だったっていうのもあってまあまあ親しかった。同じ高校に入ることになって超ラッキー!と思ったのもつかの間、2人とも帰宅部になるわクラスは違うわで接点がゼロになり、話すこともまれになった。
すると思春期特有(?)の拗れた自意識みたいなのが絡んできてがぜんコミュニケーションが取れなくなってくる。視界に入るだけで心臓が良くも悪くもバクバクし、話しかけるなんて夢のまた夢みたいな感じになった。
同じ中学だから最寄駅も同じ、田舎だから電車は2両、帰宅部だから帰るタイミングはおおむね同じ。となると普通に帰ると結構高い確率で近接することになる。もともとは交流があったんだから完全に無視するのは人間として異常だ。でも俺的に彼女はもはや気安く話しかけられる対象ではなくなってしまっている。
どうするか?
授業が終わるなり早歩きで学校を出て、駅まで走るようになった。まあ体力ないから走るつっても休み休みなんだが、それでも電車を一本ぶんくらい早くすることは可能だった。時刻表をみて、普通に帰ったらこれだというのを確認して、その一本前に乗れるように走る。
今思うとマジで何やってんだ、バカか?という感じがするんだが、まあ拗らせた非モテの考えることはよくわからない。
どうでもいいけどひとつ思い出がある。冬のある日、いつものように走って帰ってる途中、ちょうど休憩として歩いてるところで通行人のオバちゃんに話しかけられた。「今日は寒いねえ」俺はわりと走ってきたところだったので身体が暖まっていて全然寒くなかった。「そ…そうですね」イヤ寒くないっスなんて答えるのもヘンだと思ったから話を合わせたが、つかなくていいウソをついている、なんで今その話を振ってくるんだ、間が悪すぎる、いや別にいいんだけど…と世間話にしてはたくさんのことを考えさせられた。クソみたいなエピソードだな。
偶然他校に行ったほかの吹奏楽部の同期なんかと出くわしたときは、駅でしばらく立ち話をすることが多かった。そうすると俺も彼女も同じ駅を通るんでほぼ確実にふたりとも輪に加わることになる。そうすると昔に戻ったみたいに(というか気まずくなったっていうのが俺の妄想だったんだと思うが)普通に話せる。ある時は俺が言ったくだらないダジャレに彼女がすごい反応してツッコミとしてベシベシ叩いてきて、「実は俺のこと好きなのでは?!」と思った。ある時は制服の体育服の話になって、俺が「ウチの高校の体育ズボンすげえブカブカなんだけど女子のやつはあんまりそう見えない、なんでだろう」というようなことを言ったら彼女が「そもそも男女でデザイン違うよ」つってスカートをたくし上げて下に履いた体育ズボンを見せてきて、周りにたしなめられていた。
仲べつに悪くなってなかったんだろうな。そうでもねえのかな。ああ……
でも青春時代の淡い思い出性が高くていいと思う。というかヘタに彼女とよく話す関係になってたらうっかり告白なんかして本格的に気まずくなってたんじゃないかと思う。走ってまで避けてたからこそ俺は暴走せずにすみ、致命的なふるまいに出ないで済んだのかもしれない。
人形が好き
私が何をしても何をしなくても変わらない、その表情が好き
持ち上げた時のだらんと垂れ下がる手足のだらしなさが好き
私はファンレターをよく送るし、ファンレターのことをよく調べるのだが
たとえば漫画家の漫画の連載終了後に出版社からファンレターを受け取ったという話
「ファンレターは嬉しいけど連載中に受け取って、仕事の糧にしたかった。漫画の連載中にファンレターを読みたかった」と当然のことを言ってて
漫画の編集部か担当かよくわからんがファンレターのチェックをしている人間は人の感情が想像できない酷い人間なんだと思った
世の中の多くのファンレターは滞りなく送り先の表現者に送られていると思うが中にはこういう悲しい事例が存在する。
今日は漫画家が「ファンレターが届いたけどファンレターを確認する人がファンレターを確認後に手紙の封筒を処分してしまって中身だけ受け取った。それで住所がわからなくてファンレターの返信ができない」と言ってて自分は「はぁぁぁぁぁ!?💢💢💢」と怒りが沸いてきてしまった。
ファンレターは漫画家のもので、中傷が書かれていたわけでもないのに何で勝手に処分していいと思っているんだろう。他人のくせにファンレターの所有権が自分にあると錯覚しているのかな?読者がレターセットを使う人だったら便箋と封筒のデザインもこだわりがあるものを選んでそれを両方見てもらいたいと思っていたかもしれないのに。
世の中にはファンレターと表現者が結び付いて幸せなときがたくさんあるのに。ファンレターには少数ながらこういう悲しい出来事が起こってしまうのか
本当に悲しい
『りぼん』異例の付録“婚姻届”狙いは読者開拓 結婚憧れる“女子あるある”共感
https://www.oricon.co.jp/news/2166030/
@skywalker_o0
@863degrees
@yuchi_pipi
今の時代、女だって結婚以外にも楽しいことたくさんあるのに子供のときから結婚を意識させるなんてどういう狙いなのかしら。
@jvs_b
これからの社会を担っていく女性に、異性との結婚という価値観を押し付ける少女雑誌は時代遅れなのではないでしょうか?
結婚が全て、歳を重ね少女から女性になったら結婚しなくてはいけないという社会の圧力を感じます!
@koto_no_ha_hira
小学生の姪がいる身としてはりぼんの婚姻届が付録なのはやっぱり気持ち悪いと思う。
「婚姻届か~wwwww」ってなるには日本の女性を取り巻く環境と幼児への異常犯罪がもっと改善されてからじゃないとあまり良い心象にはなれない。
りぼんは昔からチャレンジ傾向があったけど、今回はあかんと思うよ。
@z53aVWon2xyYYzw
りぼんに婚姻届、読者層の女子の多くは結婚したら改姓しなければいけないし、したくないって言ったらそれは理解するけどわがままだよね、
そんな女は選ばない、とか圧倒的にしない側に言われるし、同姓との婚姻は認められないし、なんでこんな制度を子供に堂々と見せられるのか謎。
@arg_0
りぼん付録の婚姻届、グロテスクだなぁと思う。そう言うふわっとした夢で契約なんてしちゃダメ。自立した女性が先にないと。
結婚生活バラ色なんて人はほとんどいない。ジェンダーギャップ、LGBTとか取り上げてんのかな....?
@kouta_igarashi
『りぼん』の付録が婚姻届っていうニュースを見て、自分が未成年だった頃、大人になったら結婚して出産しないといけないっていう
プレッシャーをずっと負担に感じていたことを思い出した。集英社は『りぼん』の読者にセクシュアル・マイノリティがいる可能性とか
全然考えてないんだろうな😣
私はセクシュアル・マイノリティじゃないけど、それでも少女漫画の95%ぐらいを占める異性愛規範やロマンチックラブイデオロギーが息苦しくて仕方なかった
@tiyu312
りぼんの付録が婚姻届かぁ…うわぁ…と思ってしまった…オモタイ(눈‸눈 )
昔ちゃおだったかりぼんでウェディングドレスのデザインできるノートがあってめちゃくそデザインしまくった記憶はあるなぁ…あれは可愛いし楽しかった_(:3」 ∠)_
@2525sugarmonste
りぼんの付録が婚姻届…はん?ゴールの設定を強要されている気がする…
なんか押しつけな気がする…若年層に付け込んでる気がする…思い過ごしかもしれないけど
今頃って、企業がゲームの攻略wikiを作って、SEOを略奪し、「未定」で埋め尽くしたり他からパクってきてアクセス稼いで個人wikiを壊滅させるのが常なんだけど、艦これだけは生き残ってて、有志のwikiの方が強い
これってなんでかなと思ったんだけど、結局は、二つ理由があって
イベントなんてRTA勢の血反吐を吐くような40時間ぶっ続けプレイなどで情報が組み上がっていくので企業で担当が数人頑張ったところで、百人単位で走ってるRTA勢と個人ユーザーの情報量に勝てない
艦これは普段動きがない分、イベントでは怒濤の情報量が短時間に必要になる。企業系の社員もそれなりにやってはいるようだが、熱量もスキルもRTA勢とは段違いなので更新が遅れる
あの手の企業掲載とは両脇にリンクやら、広告があって、真ん中に縦長に記事が表示される
つまりスクロールが多くて、1ページに入る情報量が少なく、画像は小さい。
ソシャゲなら、アクセスするのがスマフォやタブレットなので特に問題にならないだろうが、艦これはブラゲーなのでみんなPCの前にいる
なら横長で最大限表示される有志wikiの方が圧倒的に見やすいし、分かりやすい
なんじゃないかと思っている
ただでさえ、企業攻略サイトばっかりに汚染されているゲーム業界なので、艦これの有志wikiが今も頑張っているのはとても嬉しい
最近なんて企業サイトは、自力攻略を諦めたのかRTA勢から画像をお借りして編成を出すとか、プライドもクソもないことをやりはじめていて、自分たちで攻略もできねえなら攻略サイト名乗るなよと言いたい
滅びろ
おっしゃる通り、オッサンの感覚では缶ビールのパッケージにアルミ色というのはありえなかった時代に、むき出しのアルミ色の缶という大胆なデザイン戦略が若い世代を中心にウケて、大ヒットしたのだ……と、デザイン界隈ではよく、革新的なパッケージデザインの例として出される。
それまでの缶ビールのパッケージは、ビールの金色と泡の白をあしらうのが当たり前だった。
これはデザイン畑の偏った視点であって、ほかにも色々とヒットの要因はあるんだろうけど。
缶ビールだと瓶のように割れる心配がないから、アウトドアにもって行きやすい。暑い夏とか運動したあとだと、重くてコクを味わうビールより、ガブガブと流し込むように飲む炭酸の強いのがよかったとか。
まあ、とはいえ。
ドライビールと自称してるけど、実質的には'70~'80にアメリカで流行ったライトビールのマネなんだよね。
金属色をむき出しにしたパッケージデザインもバドライトが1984年にやってるわけで。
1987に誕生したスーパードライは、そのへんのデザイン戦略とか販売戦略をうまいことパクれただけという気がしないでもない。
「極度乾燥wwwwwww」
などと笑われる始末だし。
私は今日、エレベータを待っていると、奥の部屋に人影があるのを見つけた。昼も過ぎてとっくに閉鎖されたビジネスホテルの朝食会場。ビルの陰となって、日の差し込まない薄暗い空間には、整然と並んだテーブルと椅子たち、コップ、皿、カトラリー。その隅の席に、女性の影があった。
その人は、じっと動かずになにか書いている姿勢に見えた。いや、こんな時間にあんな場所に人がいるだろうか......。見つめ続けても、その影は動くことがなかった。
「なんだ、私の見間違い......」
私は目的だったコンビニへ行き、またホテルへ戻り、エレベータを待っていた。ふと、先ほどの人の影があるのか確認したら、その影はなくなっていた。
私は、この間、こんな夢を見た。
雑踏に紛れる、近年新しく進出したコンビニ。年々、出店の勢力を上げていた。私の街にも当然そのコンビニはあった。ある日から、そのコンビニは、今までに見たことのない暗い極彩色と不明の言語でデザインされたのぼりを飾った。その違和感に宗教じみたものを感じた。なにか強いメッセージを感じるものの、私には何も読み取ることはできなかった。
いつの間にか、そのコンビニの外装や商品もそのデザインに変わっていった。私は、そのコンビニが平然と街に馴染んでいくのが受け入れられなかった。
そのような夢であった。
私は、小さい頃、サーカスや劇が嫌いだったことを思い出した。そんなふうに、芋づる式に自分の不快が思い出されて、こうして文章に書くことにしたのだった。
サーカスは暗くテントで覆われ内密に行われる。広くぽっかりとした空間を丸く観客が取り囲んでいる。暗いテントの中で、中心がライトで照らされている。調教された熊や犬が芸をする。人間たちも張り付いた笑顔で曲芸を披露する。観客たちはそれを見て拍手する。
小さな頃の私には、これの何が楽しいのかわからなかった。嫌な感じがする、けれど、拍手しなければならない。楽しいフリをして拍手した。
劇の不快について。
学校の体育館で、いつものステージが劇場に変わり、見させられる劇。年上の大人たちが、何かを演じている。独特の演劇口調と衣装を纏って、役になりきっている。確かに、物語に没頭はできた。その役の人物を好きになってしまうことさえあったくらいに。
しかし、終わってしばらく経つと、とても虚しい気持ちになってしまうのだった。映画やアニメを見たのときには感じない虚しさがあるのだった。
演劇には特有の陰湿さを感じていた。湿っぽいような、なにか滞っているような。劇が喜劇的であればあるほど、その落差を感じた。
小さい頃、両親が休日に朝から連れて行ってくれたディズニーランド。
一通りアトラクションを楽しんだ後に、人々の帰路を意識し始めた焦燥感をじわり感じながら、陽の沈みかけた園内でパレードを待つ。
そのうちに電飾で彩られた巨大な装置と、それに乗ったキャラクターたちが現れる。大音量で音楽となにかセリフが聞こえる。
また、大勢の人たちが拍手をしている。私もそれに合わせて拍手をする。もしかしたら、拍手をする大多数は、私のように周りに合わせて拍手をしているだけなのではないか。大音量で煌びやかなパレードを見ながら、その音や景色が頭の中で遠ざかっていく。
その画は西洋の宗教画の並びにあった。一連の草原、道、淡い色の空。そんな印象をかき消すかのように、白に近い水色と鮮烈な赤で彩られた円い曼陀羅か魔法陣のような物体。ぽっかりとした空間にそれが浮かんでいる。
どんな絵だったのか、よく覚えていないのだが、その独特の色彩が頭から離れないのだ。
中学生の頃、部活帰りの夜に、誰もいない真っ暗な田んぼ道を自転車を押しながら、ふとそのイメージが思い出されてしまって、動けなくなってしまった。
あの色彩は、人間の神経と血管を想起させるのか。それとも、自然界での毒を想像させるのか。この画はずっと私の頭の中にあるというのに、作品名を忘れてしまったため、その作品の存在さえもはやわからなくなってしまった。
[B! デザイン] デザイナー間の隠語「アーティスト:好きな物しか作らない未熟者」「センスあるね:技術がないヤバい奴」「カッコいいね:表現偏ってるね、他にできないの?」 - Togetter
言葉の使い方を勝手に定義するやつはクソだって、繰り返し言っていきたい
「いえばわかるだろ」みたいにピンときてないやつもいるらしいが
はがきやポストカードを使いたいと言うとポスクロをオススメして頂くのだが海外にいる人より日本にいる人とやり取りしたい。ポスクロも楽しそうなんだけど、日本語が使えないのが不満
年賀状が年々減っていて売上が落ちているのだがら、郵便局がポスクロ国内版の仕組みを作れば63円切手の売上が上がるだろうに!
私はアンチ年賀状だから郵便局は年賀状の売上を伸ばすことよりもこういう63円切手の売上を少しでも伸ばす努力をしてほしい。いや、郵便局は切手のデザインをがんばることによって既に切手の売上を伸ばす努力をしているのかな…
ポスクロみたいな大きなシステムを作るのは私のような個人では難しい。しかし、郵便局が組織でこれをやってもものすごく手間がかかるし、それなら63円切手のデザインの方に人員をさくべきだからやっぱり無理なんだよね
また教えてください。
☆今週読んだもの
推理小説を趣味で書くお父さんがその知識を総動員し、娘のために裏組織と戦う話。
今まで読んだミステリ?漫画中でもダントツに面白い。息もつかせぬスピード感と展開。読み終わるまで眠れない。
お父さんがすごすぎて悪漢がかわいそうになるレベル。絵が細密でうまいしキャラの性格に沿った描き分けがいい。
この作の方、推理小説とか書いてないのかな。最新刊読んだら検索してみる。面白い。
【異世界失格】
ハーレムというとそんな都合いい女いるかという気分になるが転生者が太宰治というだけで納得いく。
いやこんな女いるなー。私が間違ってた。絵は綺麗。内容はちょっと薄め。あんまり濃くできない理由はわかる。
同時期に太宰治が転生してると聞き検索して見たけど多分なろう連載小説かな?
こちらは文体から凝ってて読み応えありそう。一緒に読むと2度おいしくていいと思う。
書籍化は川端康成サイドとの折衝にかかってると思うけど難しそうな気はする。
【応天の門】
まだ学生の菅原道真と在原業平が今日の都で起こる問題を解決する推理もの。
大河ドラマの時代考証やってるプロがついてるらしく、挟まれる講釈がためになって面白い。
漫画としての面白さよりなんかこう、知的好奇心で読むと良さそう。エンタメとしては薄味?
絵はざっくりした感じで好みは分かれそう。
幼馴染が都会にでて歌手になるのに利用され、貢いで尽くした挙句捨てられた少女が自分もアイドルになって見返そうとする話。
エキセントリックで体当たりなヒロインが自力で成り上がる姿が清々しい(?)
この作者さん、全作通して普通の王子様を待つ少女漫画なぞ描かないわよ、という気概があって、あんま少女漫画好きじゃなくても楽しく読めてたんだけど、最近はちょっとヒロイン上げが鼻につくような。典型的はわわヒロインになってる気がする。
でも夢小説が大流行だからそういうヒロインの方が世間受けはいいのかもしれない。仕方ない時代の流れ。
【ゴールデンカムイ】
あらすじ書くまでもない人気漫画。
最新刊読んだ。杉本かっこいい。妙に乙女なおっさんなだけではないところをたまには見せてくれる。
敵味方入り乱れすぎて似たような顔のキャラはどこ陣営なのかよくわからんくなってきた。
【ファブル】
なにわ友あれの作者の漫画。前回タイトル間違えててすいません。
殺し屋ファブルがボスの命令で一時休業し、一般社会で一般人として暮らそうとする話。
正体を隠したファブルが悪漢に囚われた美女を救う話で、こういう話を嫌いな人間がいるだろうか、いやいない。
相棒の小悪魔美女が暇つぶしにヤリチン男をうんちに沈める回も楽しい。
増田ではマイナスな話題でよく出されるゲームだが、普通に大人気で覇権だから何が面白いのか知りたくて興味本位で遊んでみた。
ストーリーをよくよく読み込んでみると、やはり主要人物が全員悪役由来だからか
「ガチャも回してもらえる愛されるキャラクター」と「ヴィランとしてもヒール行為をさせる」ヘイト管理の両立バランスが難しいのか、
どの章もガランと何か大切な穴が空いたみたいな印象を受ける。章ごとに起こる事件は最後に解決するが、実質的には何も解決していないのだ。
可哀想と思ってもらうために章ごとに用意された可哀想要員のキャラクターたちは可哀想になったままというか…
また、教訓や寓話で理解してる現代人にとっては、どれもただただ自業自得すぎるお話に見えてしまうというか。
でも女性だけ向けのアプリゲームとしては演出がお洒落で丁寧であるし(ディズニー様様かもしれない)、
キャラの中でもラスボスめいたマレウスの登場の仕方を始めストーリー中で個々のキャラクターを知る過程は楽しめた。
でも総評を考えると、ストーリー(というかプロット)がそんなに…となる。
このゲームが大好きで、毎日このゲームを考えてるプレイヤーはどういう部分にのめり込んでいるんだろうといろいろ考えてみた。
ストーリーは未熟だが、キャラクターはどれも親しみやすい設定と突飛な設定が融和して魅力的に思えるし、キャスティングに驚く(こんな声だったのか、という)キャラクターもいた。
題材が題材だし、読める空白や行間が多くていわゆる「考察」が容易なんだろうが、それがこのゲームを楽しんでる人たちが一番好きな要素なのかと推察した。
要はキャラクタービジネスなんだな…キャラクターがよくないと売れないんだろう。(ディズニーでありかつ枢先生を起用してる時点で売れる要素があるのはともかくとして…)
あとはお洒落なところも大事だと思う。そういう趣味でもあるかと思われそうだが、このゲームが流行る前に覇権だと教えてもらった魔法使いの約束とかいう女性向けソシャゲも遊んだが、
衣装がとにかくモードさがあるというか、流行をうまく取り入れてかつリッチに仕上がった服飾ばかりだった。
ツイステの枢先生はその辺に関しても評価が高い漫画家だったろうこともあるし、とにかく小洒落てデザインが凝ったものは売れるんだろうな
農家してる田舎の実家に引っ混んで仕事とか手伝いながらニートしてる女なんだけど、未経験再就職にインフラエンジニア系ってどうなんだろ。
前職はウェブデザイナーという名のオペレーターで無職期間はそこそこ長い。20代後半。グラフィックからむデザインはもう仕事にしたくない。
「新機動戦記ガンダムW」という作品がある
1995年から1996年まで放送された、従来の「宇宙世紀」の世界観を一新し新たな世界観を構築・定着させた「機動武闘伝Gガンダム」に続く、まったく新たな視点から《ガンダムワールド》を描く新世代ガンダムの二作目である
人類がコロニーに住むようになって百数十年。地球を巣立った人類は、宇宙コロニーでの生活に新たな希望を求めていた。しかし、《地球圏統一連合》は宇宙での権益を確保するため、非武装を解く指導者を暗殺。正義と平和の名の下に、圧倒的な軍事力をもって各コロニーを制圧していった。アフターコロニー195年。作戦名オペレーション・メテオ。連合に反目する一部のコロニー居住者たちは、流星に偽装した新兵器を地球に送り込む行動に出た。それは、五体の最新型モビルスーツ「ガンダム」。そして、それらを操る五人の少年…戦闘のプロフェッショナル…彼らこそが、コロニーから送り込まれたエージェントだった。というあらすじだけど、Gに負けず劣らずこちらも非常に斬新だと思う。
僕はこの作品の存在を視聴する前から知っていた。ゲーム作品によく登場していたからだ。ガンダムWは放送中は勿論の事、放送が終わってからも非常に高い人気を誇り、長い間ロボットが登場するゲームには引っ張りだこだった。
そこで僕はこのガンダムWという作品に一目惚れをした。「こんなに美しいロボットが居るのか!?こんなに主題歌がカッコいいのか!?このヒイロって主人公クールすぎるだろ!」ともう好きになる要素しか無かった。何もかも好みだった。
厳密に言えばその作品は「Endless Waltz」というWの続編だったけど、事情をよく知らない僕はこういうサブタイトルなんだろうなと勘違いしていた。「ビーストウォーズ」の「超生命体トランスフォーマー」のような副題だと思っていた。
ガンダムシリーズを取り扱ったゲーム作品において、このガンダムWの人気の絶大だった。どの作品にも五人の少年と五機のガンダム達は登場していた。その中にTV版を取り扱った物もあったので、そこでやっと僕は勘違いに気付いた。
ガンダムWの主題歌はどれもカッコ良かった。「JUST COMMUNICATION」も、「RHYTHM EMOTION」も、「WHITE REFLECTION」も、そして「LAST IMPRESSION」も。原曲の良さがゲームのアレンジ曲から伝わってきた。
そして、本編もカッコ良かった。「お前を殺す」「死ぬほど痛いぞ」などWを視聴する前から知っていた有名な台詞を実際に聞く事が出来た。「50階建てのビルから飛び降りても骨折するだけで死なない」「骨折を自力で治す」「鉄格子を素手で握り潰す」などあまりにも有名な主人公ヒイロの逸話も全て真実だった。まさかGガンダムの後とはいえガンダムでこんな事を出来るキャラクター達が登場するとは。宇宙世紀の強化人間でもここまで人間離れしてない気がする。
Wといえばカトキハジメ氏が手掛けた数々のMSも忘れられない。古くからのガンダムファンの中には「GとWはガンダムとして認められない」と否定的な人間も昔は少なからず居たらしい。そんな人でもMS「トールギス」のデザインに関しては唸らずにいられなかったそうな。デュアルアイや特徴的なV字アンテナなど所謂「ガンダム」的な記号は無いのに、あれほどまでにヒロイックな印象を放つMSはそう無いと僕も思う。非ガンダムライバル機の頂点の一つではないだろうか。
ゲーム作品ではあまり出番の無いヒロイン「リリーナ・ドーリアン」の動向も気になった。序盤で父親を殺された彼女は父を殺した犯人への復讐を目論んだり、物心付く前に生き別れた兄と再会したり、とある王国の王女として国家再興のため学園を経営する事になったり、その国が攻められ再び滅びたと思ったら今度は世界国家の元首に祭り上げられた後すぐに辞めさせられたり。MSにも乗らないというのに何と波乱万丈な人生だろう。Wって4クールの話なのに。
設定記録集に抜粋された放送開始前の企画書によると「新機動戦記ガンダムW」という番組の最大の特色は、息をもつかせぬドラマ展開らしい。確かに、主人公達の立ち位置も倒すべき相手も次々に移り変わるガンダムWという作品は非常に目まぐるしくスピーディーな展開だった。勢力図の複雑さは歴代ガンダムNO.1と言っても良いと思う。Zガンダムにも同じ事が言えるけど、一度見ただけでストーリーを把握出来た人はきっと居ないんじゃないだろうか…?
物語の終盤、遂にコロニー側革命軍ホワイトファングと地球側世界統一国家軍は激突する。ガンダムのパイロット達は、どちらにも与さず双方を否定した。未来とは強者の支配によって訪れる物ではない、自分達の手で掴む物だと。
このガンダムWの終盤の展開は本当に熱い。それまで世界各地で戦っていたガンダムのパイロット達が、遂に5人全員肩を並べて戦うのだ。全49話のアニメでチームが結成されたのが44話目だと言うのだから堪らない。待ちかねたぞ、ガンダム!後期OPもラスト10話でようやく解禁された!その後期OPの映像が完成したのは何とラスト2話!最終回のTVシリーズとは思えない超絶作画といいガンダムWという作品のクライマックスは最高に面白かった!!傑作だ!
そしてこの「新機動戦記ガンダムW」という作品は前述したように非常に人気が高かった。宇宙世紀でない所謂「アナザーガンダム」であったにも拘らず翌年にはOVAが製作され、後にOVAを一本に纏めた劇場版も公開された。
僕はTV版を見終えた後すぐにこのOVA作品「Endless Waltz」を見た。この作品に僕が初めて「ガンダムW」の存在を知った時から恋い焦がれていた。ここまで長かった。そして…冒頭の戦闘シーンから度肝を抜かれてしまった。
「何だこの超絶作画は!?量産機の動きがTV版と全然違う!しかもこのMSの描き込み!!あ、ガンダムのデザインもEW版になってる!スゲー!!」とTV版から圧倒的に向上したOVAクオリティにもうテンションが上がった。
舞台はTVシリーズから1年後。地球と宇宙の戦いが終わり平和になった世界で突如何者かに誘拐されたリリーナを連れ戻すために、世間はクリスマスだというのにヒイロ達がまた働くはめになるという内容だった。いかにも続編物らしい。
何と言っても超絶美麗な作画が特徴で、90年代OVA作品としては「ガンダム0083」や「マクロスプラス」と同じくセル画ロボットアニメの極致の一つだと言えるかもしれない。その美麗な作画でカトキハジメ氏が新たにデザインを描き下ろしたガンダム達が戦う。この所謂「EW版」の機体はガンダムファンから絶大な人気を得ており、一時ガンダムWのガンダムといえばこの「EW版」を指す事もあった。現在でも定期的に新商品が出続けている。何という人気だろうか。
Endless Waltzでは最終的に『平和と自由』を自らの手で掴み取るために立ち上がる民衆の姿が描かれる。弱者たちの代弁者として戦っていたガンダムのパイロットは役割を終え愛機を爆破した。彼らは自分の道を歩いていった。
こうして、ガンダムWというお話は綺麗に終わった。TV版で完全平和への道を模索し様々な人達が戦った。EW版でその平和を維持するためには一部の人間が戦うだけでは駄目なのだと民衆が立ち上がり声をあげる姿が描かれた。
TV版では描き切れなかった問題とその解決までを描いた見事な続編だと思う。「Endless Waltz」の数十年後の世界を描いた「Frozen Teardrop」という作品もあってこちらでも何らかの事件は起きているらしいが、僕は恒久平和の実現は非常に難しいと考えているのでそういう続編があっても良いと思う。まだ最初の方しか読んでいないけど結構自分好みだったので僕は好きだ。古くからのガンダムWファンにはあまり評判が良くないなので人には薦めないけど…。
この「新機動戦記ガンダムW」という作品は非常に個性的で面白い。キャラクターのエキセントリックな言動や行動からギャグアニメという人も居るけど、平和と戦いについてキャラが哲学を続ける内容は硬派である、と高い人気がある。
ここからが本題なんだけど…実は「ガンダムW」という作品の結末は企画当初に予定されていた物から変更されたらしい。これは「ガンダム」に限らずどんな作品で起こりうる事なので悪い事ではない。変更した結果面白くなる事も多い。
TVアニメではラストに亡き父と同じ外務次官の任についたリリーナがヒイロから贈られた手紙とぬいぐるみを発見し、その手紙をヒイロの前で破り捨る所で話が終わる。1話でヒイロはリリーナからの手紙を破り捨てたのでお相子だろうか。
一方小説版とコミックボンボンでときた洸一先生が連載していた漫画版では微妙に異なる結末が描かれる。TV版ではヒイロ達5人の少年の顛末は描かれずその後幾つかの外伝を経て「Endless Waltz」に繋がるのだが、この二作ではヒイロ達は火星地球化計画に参加し開拓者として火星へ向かう事となる。ガンダムWで火星が舞台となるのは「Frozen Teardrop」なので、大分先取りしている事になる。というよりEWが無ければ即FTが始まるのだろうか。
これは完全に僕個人の好みなので良い悪いの話ではないけど、僕はTV版のラストより小説版やボンボン版で採用された企画当初に考えられていた終わり方の方が好きだ。ガンダムWという作品でTV版だけでは「ヒイロ達はこの戦いの後何をするんだろう?」という疑問が残るけど、当初の構想では彼らは火星に赴くと断言されている。また小説版でヒイロは《戦いしか知らない俺たちは今の世界にはすぐには適応できないだろう。俺は戦いの中に身を置く事に慣れきってしまったのかもしれない。赤い惑星には俺たちの戦いが待っている。俺は再び戦いの中に身を投じるつもりだ。だが、今度の戦いは死への戦いではない。生きるための戦いだ。俺は必ず生きてみせる》と語っている。幼い頃からエージェントとして戦闘訓練を受けてきた彼らが日常生活にすぐ適応できるかは分からない。実際で「Endless Waltz」においてガンダムのパイロットの一人であった「張五飛」は平和な世界で無用な存在であると切り捨てられた兵士のために立ち上がり、自らが「悪」になる覚悟でヒイロ達と戦った。ベトナム戦争でPTSDを負いどうしても平和な生活に馴染めなかった「ランボー」のような兵士がきっとあの世界にも沢山居たんだと思う。ヒイロも、トラウマに苦しめられていた。
僕がこの終わり方が好きなのはヒイロ達の戦いがまだまだ続く所にもあると思う。ヒイロはTV版で《地球圏統一連合》を裏から操る秘密結社「OZ」の企みにより地球と宇宙の和平を望む平和論者であり連合軍最高司令官でもある《ノベンタ元帥》を殺害してしまう。ヒイロは己の犯した過ちの審判を仰ぐため、元帥の一族すべてに面会する旅に出る。己の罪を告白した後相手に拳銃を手渡し「ご家族の怒りと無念だった元帥の魂が引き金で静まる事」を願う。
ノベンタ元帥の孫娘・シルビアは「こんな事させて自分だけ楽になろうなんて!!卑怯だわ!」とヒイロに怒る。僕も少しそう思う。僕は続編でヒイロが生きている事を知っているので、彼が元帥のご遺族に殺されない事を知っている。
「命なんて安いものだ。特にオレのはな…」という台詞にあるように、ヒイロ・ユイという主人公はとても自分の命を安く見ている。1話で民間人に顔を見られて早速自害しようとしたが死ねなかった。2話でも機密保持のために自殺じみた行為を行ったが死ねなかった。3話では飛び降り自殺を図ったが死ねなかった。10話ではガンダムをOZに渡さないために機体を自爆させたが死ねなかった。物語の序盤でこれだけ自殺を図った主人公は他に絶望先生くらいだろうか。
そんな死にたがりの彼にいきなり拳銃を手渡されて「貴方のご家族を私が殺しました。許せなければ撃ってください」と言われても大半の人は困惑すると思う。怒った相手に殺されたとしても死にたいヒイロからすれば願ったりだろうし。
そのヒイロが、最終回でついに「俺は死なないっ!!」と生きる意思を見せるシーンは感動だ。これまで手にかけた相手の事で内心ずっと悔やんでいたヒイロが、EWの終盤戦いを終え「オレはもう誰も殺さない…」と呟くシーンも良い!
つまり自分の行いを悔やんでいるヒイロには、火星開拓への従事という初期の終わり方は前向きな贖罪になったんじゃないだろうか?と僕は思うんだけど…その終わり方だと「Endless Waltz」という作品は生まれなかったろうな…。
続編の製作が決まる事で現在進行中の物語の結末が変わる事はきっとよくあるんだろうけど、それはつまりその作品の続編が生まれるという事だから良い事だ!と僕は思う。ガンダムW、今年で放送終了25周年らしいです!
先程夢見の悪い夢を見たので聞いて欲しい。
まず出だし。プーさんかミッキーとハイエナ(ライオンキング)とインコが掛け合っている。
私はある旅館に仕事で用事があったのだが、旅館のすぐ手前が水没しており旅館に辿り着く事ができなかった。
奥の座敷から入るよう勧められたが、
ハイエナはインコをおとり(?)にミッキーとプーがドジを踏んでるのを見て笑っていた。
ミッキーが何かを考え、腕時計をインコに持たせる。ハイエナはインコの持つ腕時計欲しさにインコに飛び付くようにして付いていき、インコは何処か遠くへと飛び去っていった。
「こちら◯番機、異常なし」
どうやら先ほどのインコを捜索してるらしい。
「◯バンキカックウチュウ」
と割り当てられた数字で応答した。
「なんだ!?今の声!」
パイロットが驚いてる所に私は「その無線に応答して!」とオペレート室から指示を出した。
私は駅にいた。
何故か遮断機が駅のホーム内にしか無く、外からホームを行き来するには遮断機のない線路を渡る必要があった。
「ここは結婚式場だ」と思い、駅の姿は大きく変容した。
ここからは少し覚えていない。
僕は彼女と結婚して、青年を設けた。その青年の結婚式のようだった。
式には神前婚や教会式などではない(座席の配置図的には教会式が近いかもしれない)。
相手の親族はおらず、どうやら斜め前にいた車椅子に乗った男性が相手のようだった。
「生まれ変わっても僕は貴方の息子である事に変わりは無い」と僕に抱き付いた。
私は何故か祭壇のど真ん中の台車に横たわり祝いの歌を歌う。(覚えてないがメジャーな曲だった気がする)
それを車椅子の彼が笑って見守ってくれていた。
結婚式場は吹き抜けになっていて、空には先ほどのインコが飛んでいた。
「そのインコを捕まえて!」話が戻る。
私は仕事を中止させる訳にはいかなかったが、どうしてもそのインコを確保しなければならなかった。
パイロットに応答して誘導するよう伝えるが、電車の方で重大なミスがあり、大事故が発生したようだった。
ぺらりと一枚垂れ幕が下がる。
背景は真っ黒で、「そういう演出だった」と言われれば納得するものだった。
おみくじの垂れ幕がちぎれて落ちると、瓦礫、人の山のような高い壁の間をグレーのぐちゃぐちゃなものが遠くから歩いてくる。
劇団イヌカレーみたいだったものは近寄るほど人型になりそれが少年だと気付いた。
燃え盛る火の手から逃げているようで、カメラは少年の正面から背後にシフトする。
歩き去って行く少年。
車を運転する父の窓の向こうに目玉を描いたカラス除けのような頭の妖怪が藁笠を被って佇んでいた。
「お父さん、お父さん、外、お父さん、お父さん、お父さん、」
何度父を呼んだかわからない。
私の異常に気付いた父が宥め、抱き締めてくれたのだが、その父の顔も目玉の模様になっていた。
ここで目が覚めた。
私がいまいるのは、何処なのだろうか。