はてなキーワード: スタンスとは
10年くらい勤めたメーカーだが、最近2年くらいはずっと転職が頭に浮かぶような状況で過ごしていた。
管理職でもないし当然管理権限もないのに裁量労働制というただ待遇が悪くなっただけの制度に同意しないといけない。
しかしいつまで経っても周囲含めて80h超/月の残業続き、深夜の呼び出し、休日出勤は当然。
業務は増えるのに人は増えない。
異動・転勤の頻度も高く家庭環境にとって辛いことばかり。
これはもう無理と思い転職活動を始め他メーカーから内定をもらった。
またメーカーかよ!って思うかもしれないが、ジャンルは違うしメーカーで技術やってるとメーカー以外では年収も上がらないものだ。
とはいえ、私の配属先では予想外に雰囲気はよく技術的にもおもしろい内容もあって
怒られても進歩の実感もありそれなりに生きていけそうだなと感じた。
ただ、入社同期の話はなかなか酷い話が増えてきた。
ブラック企業を絵に描いたような話が社内で多発していることを知った。
残業代は月20時間までとか工場を見る人たちは揃って長時間労働・深夜呼び出し・休日出勤の話。
そしてちょくちょく精神が病む人、辞めていく人が出てきた。
そして私も例に漏れず、配属先の日々も呆気なく終わりあっさり転勤。
そこから私も工場側へと変わった。そこからは同期の話が自分に降りかかることになった。
工場の現場の技術的な仕事をしたが、工場は24時間稼働なので当然トラブルはいつ発生するかわからない。
現場の人間は責任持てないから、とすぐ大卒以上の人たちへ電話をかける。
電話だけで済むこともあるがそうなるわけもなく結局出社がザラ。
家にいる子どもが小さいのにこんな労働環境でやっていけるわけがないと思い心が折れた。
そういった労働環境を想定せず家を選んでいた。
「お前工場近くに引っ越せよ。自腹で」
と脅しのようなことを言われた。結局引っ越さなかったけど。
やれる範囲でやっていこうと思うこともあったが仕事以外何もできないような状況になり始め
私があまりにいないぶん妻へ育児の辛さが集中するなど自分以外への影響が大きくなった。
私も私で子どもの見れるときはだいたい寝顔と夜泣きで身体がおかしくなるかと思った。
でも上司含めた会社側は各家庭は無視し続けるように仕事しろというスタンス。
理由は「今までみんなそうやってきたから」ということで、法律は無視。
と思い、退職以外ないと決意した。
一応最近は働き方改革の名の下、本社通達で改善しようと展開が始まったが
実際は単に声掛けしているだけであとは勤務時間管理(PCの電源ON時間)の入力で過小申請してその場凌ぎの途中。
その流れに逆らう話で、世間の検査不正の影響を受け不正がないよう各部署のチェック項目や管理フローが雪だるま式に増えていき実態としては労働時間が増えるというおかしな状況に。
今まで適当だった(不正とまではいえないが正確な検査になってないとか管理体制がザルだったりとか)ツケが今の現場に回ってきているのだが、上司らはお前ら頑張れみたいな態度。いやいや君たち偉そうなこと言えないでしょって話。
あとは、意識高い系の言い方をするとキャリアパスとして成長を感じられない。
全然技術的な業務でもないし、あまり頭使わないような業務が多く自分の進歩が何も感じられなかった。
工場でやることも限られているし、外との接触もあまりなく閉鎖的。会社に最適化された人間にしかなれないと思った。
当然、「この会社がなくなったときどうするの?」と不安にもなる。
加えて、周囲の管理職の人たちを見ててもああなりたいとか尊敬できる人が本当に一人もいない。
もう少しまともな人がいないの?って思う。最初の配属時はもう少しマシな人がいたはずだが、そういう人に限って辞めていく。
ここまで書いてアレだが。
この会社は知名度もそこそこある大規模なメーカーのはずなのだがなぜだか社会から労働に関して御咎めがないのが不思議。
一方、若手の退職は増えるばかりで同期に限らず自分より若い人が続々と辞めている。
ついでに中途で入社した人も1年足らずで辞めたりする。
社内でも
と言われたりもするが、そうだとしても今の業務は二度とやりたくないのは変わらないしそれは結局自分で確かめたい。
しかしまあ同じなのが本当だとしたらメーカー含め日本で働くことすらダメなのかもしれない。
アイドルとか、いい大人が何言ってるんすか、そんな暇あったら仕事してください、
みたいなスタンスだった自分が正月毎日見るくらいハマったので、今更感ありますが気づきを増田に投稿してみました。
アイドルが現代社会における、壮大で、贅沢なエンターテイメントだなんて正直思いもしなかった。
ライブに行ってもないし、Youtubeくらいでしか追っていないけれど、これまでの乃木坂の軌跡を記した動画には不覚にも泣いてしまった。
https://www.youtube.com/watch?v=BiuRtIVJgWk&t=2962s
(まあそういわず・・・!笑 言っている意味が感じられるはず・・・長いけど、編集が秀逸!笑)
世間ではスキャンダルみたいな一面だけを切り取って報道されたり、レコ大はやらせだとか、最後の受賞の際の生歌は聞くに耐えられないとか、
まあ最後に関しては、全くもってその通りだと思うが、コンテンツの質と量はDAPUMPのそれよりも、確実に届けたい人たちには
要は批評する人たちで、乃木坂の提供するコンテンツの理解の深度がおそらくまちまちなので、コンテンツの文脈とか内容が
ちゃんと伝わっていないように思うから自分が思う魅力を書き出して見る。
早い人だと、中学生くらいから、20歳の中盤くらいになるまでアイドルになるという夢に向かって、
一人の女の子が、自立して女性になるまで、夢を叶えて輝くという体験を一緒に応援している感覚でいることができて、
圧倒的な映像美や、衣装、音楽で彩り、乃木坂に関わる大人の人数だけでも相当な数であるはず。
夢を叶える目標のため、人生をかけている少女たちの成長を見守っている感覚になり、
ライブで発露して感情を爆発させる姿、ライブ終わりの仲間との絆に、見ているこちらも涙させられる。
これほどまでにプロ意識の塊なのかとハッとさせられる瞬間もある。
だって20歳とかですよ?大学で女の尻ばっかり追いかけていた私とは違うんです。
何万人という中で、自分の目標を達成して、人生が認められるような体験を、
おそらく人の人生で最高の瞬間が、20歳前後で経験するというのはどういう気持ちになるのだろう。
人の人生に寄り添いながら、これを追いかけられるのって、すごく贅沢なエンターテイメントと思いませんか。
ただ、あくまでエンターテイメントなので、浮き沈みのあるストーリー性のある内容になっているとは思う。
一回で何億円とかかるプロジェクトにセンターという形で、急に非常にプレッシャーのある立場に抜擢されたり、
明確に順位をつけられて、他のメンバーがライバルになったりと、理不尽さや、各自が生まれ持ったものと折り合いを
つけながら、強制的に成長させていく。
組織にいる身は相当に、ストレスフルな環境なんじゃないかと思う。
多分、象徴的なメンバーが昨年複数卒業を発表したこともあり、ここからどこまで持つかは、
正直わからないし、秋元プロデューサーの興味関心が別のグループ移るかもしれないけれど、
興味ない人にも、多分今ピークなので、騙されたと思って見て欲しい。
アイドルとか、いい大人が何言ってるんすか、そんな暇あったら仕事してください、
みたいなスタンスだった自分が正月毎日見るくらいハマったので、今更感ありますが気づきを増田に投稿してみました。
アイドルが現代社会における、壮大で、贅沢なエンターテイメントだなんて正直思いもしなかった。
ライブに行ってもないし、Youtubeくらいでしか追っていないけれど、これまでの乃木坂の軌跡を記した動画には不覚にも泣いてしまった。
https://www.youtube.com/watch?v=BiuRtIVJgWk&t=2962s
(まあそういわず・・・!笑 言っている意味が感じられるはず・・・長いけど、編集が秀逸!笑)
世間ではスキャンダルみたいな一面だけを切り取って報道されたり、レコ大はやらせだとか、最後の受賞の際の生歌は聞くに耐えられないとか、
まあ最後に関しては、全くもってその通りだと思うが、コンテンツの質と量はDAPUMPのそれよりも、確実に届けたい人たちには
要は批評する人たちで、乃木坂の提供するコンテンツの理解の深度がおそらくまちまちなので、コンテンツの文脈とか内容が
ちゃんと伝わっていないように思うから自分が思う魅力を書き出して見る。
早い人だと、中学生くらいから、20歳の中盤くらいになるまでアイドルになるという夢に向かって、
一人の女の子が、自立して女性になるまで、夢を叶えて輝くという体験を一緒に応援している感覚でいることができて、
圧倒的な映像美や、衣装、音楽で彩り、乃木坂に関わる大人の人数だけでも相当な数であるはず。
夢を叶える目標のため、人生をかけている少女たちの成長を見守っている感覚になり、
ライブで発露して感情を爆発させる姿、ライブ終わりの仲間との絆に、見ているこちらも涙させられる。
これほどまでにプロ意識の塊なのかとハッとさせられる瞬間もある。
だって20歳とかですよ?大学で女の尻ばっかり追いかけていた私とは違うんです。
何万人という中で、自分の目標を達成して、人生が認められるような体験を、
おそらく人の人生で最高の瞬間が、20歳前後で経験するというのはどういう気持ちになるのだろう。
人の人生に寄り添いながら、これを追いかけられるのって、すごく贅沢なエンターテイメントと思いませんか。
ただ、あくまでエンターテイメントなので、浮き沈みのあるストーリー性のある内容になっているとは思う。
一回で何億円とかかるプロジェクトにセンターという形で、急に非常にプレッシャーのある立場に抜擢されたり、
明確に順位をつけられて、他のメンバーがライバルになったりと、理不尽さや、各自が生まれ持ったものと折り合いを
つけながら、強制的に成長させていく。
組織にいる身は相当に、ストレスフルな環境なんじゃないかと思う。
多分、象徴的なメンバーが昨年複数卒業を発表したこともあり、ここからどこまで持つかは、
正直わからないし、秋元プロデューサーの興味関心が別のグループ移るかもしれないけれど、
興味ない人にも、多分今ピークなので、騙されたと思って見て欲しい。
自分からぶつかっといて相手にキレられたらやりかえすから♪とかマトモな思考回路じゃない
万が一結婚考えてるなら、いずれ妻は空気みたいな存在になるんだから、そいつが自分以外の他人に対してどんなスタンスでいるかはマジでよく見ておいたほうがいい
よくできたまとめ。
かくいう自分はロストメビウスあたりで離れた組(※と、いいつつ結局今でもどこか目の端で作品群を追いかけている)
このあたりの解説もまさに増田の言うとおりで、作品のテーマが難解になって、作者の言わんとしているところと作品読了後の自分の得たいカタルシスが一致しなくなったため。
自分がブギーポップに求めていたのは第一に『笑わない』のような多重構造のミステリーを通して語られる世界というものの複雑さと適当さに圧倒される閉塞感。
第二に『パンドラ』『ホーリィ&ゴースト』『冥王と獣のダンス』『ビートのディシプリン』『ナイトウォッチシリーズ』で示されるような、閉塞的な世界において個々の人生という名の運命=<試練に立ち向かう戦士>の話。
第三に、前項ふたつの要素が組み合わさって終幕を迎えた物語におけるカタルシス。
初期作品は間違いなくこの三つの要素で形作られていたといっても過言ではない。
そして著者のあとがきで語られる分析と考察と独白みたいな結論(通称:上遠野節と言われる)がこのカタルシスに絶妙な味を与えてくれて、二週目以降の読破にも興が乗る。
このカタルシスだが、二期後半以降かなり薄れる、
具体的にはまさに増田が触れているとおりで、ロストメビウスとそれ以降の作品群。
『世界の謎要素』が強くなった二期以降のブギーポップにおいて、ロストメビウスは作品群として重要な位置づけにはなりえても『戦士』よりも『世界の謎』を優先したために作品単体としての完成度が低い。
そのわりにロストメビウス以降も大筋でブギーポップの世界観に進行があったということはないので、かなり肩透かし感がある。
そして二期作品以降はこの傾向が加速して、世界観に一切進行のない肩透かし感(「結局あれはなんだったのか」)が続く。
その原因について、ブギーポップを含む作品群についてを含めてこのblogがすばらしい考察を書いているのでリンクを張っておく。
http://gentleyellow.hatenablog.com/entry/2019/01/03/135038
もともと上遠野氏の作風はストーリー自体がもともとスタンドアローンで、ストーリー同士をつなぎあわせることで全体が見えてくるというミステリーみたいなスタンスだった。
つまり最初期における『笑わない』で用いられていた手法が、今度は作品群全体において用いられるというスケールアップが面白かった。
したがって、巻が進むごとに世界の謎が徐々に解き明かされるというミステリーっぽさが熱狂的なファンを生んだ。
しかし二期後半くらいから過剰になってきたために、年単位で放置されてきた伏線が増えてきたことで、作者の中でネタの賞味期限が切れてきた、というのが正直なところではないだろうか。
この賞味期限の切れ具合から起こったネタの在庫整理が、そのまま上遠野氏における二期、三期の切り替えの時期に一致している感じがある。
したがってこの賞味期限切れの結果、世界の謎要素は徐々に手仕舞いしなければならなくなる。この手仕舞いが「ヴァルプルギスの後悔」である。
ではそれ以降のブギーポップはどうなるのかというと、作品全体を覆う世界の謎がなくなってしまったので、あとにはスタンドアローンになったストーリーしか残らない。
筆者が特にこの傾向を感じたのは「沈黙のピラミッド」あたりであり、確信したのが「化け猫とめまいのスキャット」あたりである。
この辺になってくると、もはや世界に謎がないのでスタンドアローンで作品を見ていく以外に楽しみ方がない。
もともと外伝作品とスピンオフのかたまりだけで構成されていたブギーポップシリーズが、それでもシリーズの体を保っていたのはブギーポップの存在と世界の謎だったのだが
世界の謎がなくなったことで(※まぁ、振り返ってみるともともとそうではあったのだが)ブギーポップシリーズが明確に単純なスピンオフの塊シリーズとなった。
類似作品としては「地獄少女」みたいなものだと思ってもらうと分かりやすいだろうか。
ブギーポップの魅力が一番詰まっているのはやっぱり原点である「笑わない」とそこに連なる初期9作品、ロストメビウス手前までの二期前半だと思う。筆が載ってた時期が一番面白かった。
個人的には「ビートのディシプリン」シリーズこそ真骨頂だと思っている。<世界>と<戦士>の構図をカタルシスと共に描くことにかけては著者の作品でいまだ右にでるものがない。
時系列的にも世界の謎がもっとも沸騰していた頃だったので、ここまでは大きな流れが見えて面白かったように思う。
二期後半以降から作者はたぶんブギーポップ関係とは別作品を書き始めて、ブギーポップの位置づけが自分の中で変わってしまったんだと思う。
やりたいことをやるために別の枠が用意されているなら、ブギーポップではもはやそれをやる必要はない。特に<ヴァルプルギスの後悔>という大仕事を終えてからはそれが顕著である。
したがって初期作品に見られたカタルシスは二期作品と並行で書かれた著者の別作品できちんと得ることができる。
たとえば<戦士>と<世界>の構図の代表作であれば『冥王と獣のダンス』や『ビートのディシプリン』『ナイトウォッチシリーズ』
そして<世界の謎>=ミステリーであれば『しずるさん』『ソウルドロップ』があげられる。
つまりこの辺から上遠野さんは、やりたいことがいろいろとできちまってブギーポップについてはとっちらかし始めた感じがあり、最終的にもともとそうであったようにスピンオフとスタンドアローンストーリーの寄せ集めに落ち着いた感じがある。
すでに二話まで見てみたが、まぁこんなもんなのか?という感じ。
もっとカットを多様してキーワードとなる台詞にはキャラクターの口元を映したり、必要なシーンを瞬間的な回想で一瞬だけ挿入させるなど、雰囲気を出すためにシャフト的演出が必要なのではないか。
シーンごとのつながりは見た人に分かりやすいつくりにはなっていると思う。
ただ木村君を出さないのはどうかと思う。「笑わない」を読んだことがある人にはわかると思うが、通しで読むと途中までは単なる青春ストーリーでしかなかったものが
木村君のチャプターから徐々にストーリーの肝へと近づいていく、いわば切り返しのチャプターなのだ。
というよりそもそも三話か四話程度で「笑わない」をやってしまう今回の計画自体に無理があると思うのだがどうなのか。
聞くところによると中盤から後半は「vsイマジネーター」をやる予定らしい。
上遠野氏にとって間違いなく重要な存在だったイマジネーターだが、多分筆者の雑感ではおそらくまだこのテーマは著者の中ですっきり終わってないまま放置されている。
原作がまだすっきりと終えていないものをアニメ化したところで面白い話になるはずもない。
個人的に監督に対する批判としては、アニメ化するなら上遠野氏の作品のなかでもスタンドアローンできれいに完結しているものを選ぶべきだった、と言いたい。
何かと話題になる『笑わない』とか『イマジネーター』ばかりに目をやるのではなく、形としてワンクールに綺麗に収めやすい初期の作品なら
『ペパーミントの魔術師』『ホーリィ&ゴースト』『エンブリオ侵食・炎上』『パンドラ』があったではないか。
初期作品の趣を正当に継承しつつ、ワンクールという短い話数でまとめやすくきちんとカタルシスを与えられるストーリー強度を持っているのは間違いなくこの四作品だ。
三期以降の著者の作品は手にとっていないので分からないというのが正直な感想だが
懸念していることとして何点かあげておきたい。
成熟期~衰退期にある現在の日本は、当時の熱狂からの急速の冷却時期をある種越えて、落ち着いた感じがある。
またITの広がりを受けて知識を得ることが一般かつ容易になったために、今まで知らなかった社会の謎や不満、不安が解き明かされつつある。
少なくとも「自分の感じていること」が何なのかを社会的な構造や論理できちんと説明できるようになった。「何がなんだか分からなかったもの」から、少なくとも「原因はこれなんじゃねえか」と言えるような、手触りのあるものにまで落ち着いてきた。
そしてエヴァで示されるような自分自身の心理的な問題や、ガンダムのような社会と自分との対決ではなく、もっと普遍的なある種受け入れざるをえないような構造上の問題として理解されつつある。
働き方も人生に対する考え方も将来に対する展望も、今の若い人たちはよりリアルで現実的だ。
自己実現の形も身近で多様になってきた今、閉塞感を主要な題材として手探りで作品を作る事は普遍的とはいえやや共感が難しい。
ある種のカウンターカルチャーから始まっているとはいえ、ストーリーの路線はもっと王道的なものへ回帰する必要があるのではないか。
いまの若い子たちのほとんどは迷いがない。情報がたくさんあり、そのことに慣れているので、彼らのほとんどは過去90年代に存在していたような迷いや苛立ち、先行きの見えなさというものからきちんと卒業している。
先行きが見えないレールとして見るのではなく、多くはレールを立派に相対化して統合評価し、少ない選択肢のレールの中から自分の納得のいく選択を手にして自分の人生を生きている。
平凡ではあるが、意思ある存在としてその平凡さを選んでいるのだ。わけもわからず梯子を登り続けた90年代を背後から俯瞰して「だいたいこんなものだ」という感覚を肌で分かっているのが00年代だ。
したがって、振り落とされて振り回される世代ではない。また将来に対する不安はあれど、道しるべや指標、解析ツールは探せば手に入る時代に、無理をして多くを手に入れようとはしない。
したがって、ピート・ビートが感じていたような不安感は、物語の没入のためには役立つが、そこに共感を感じさせる要素は見つけにくいだろう。
過去SFは現実の社会を映すものであり、社会の謎を解き明かす鍵があると考える読者も多かった。それがカルト的信者を生んでいた一面もあった。
しかし現在の若年層にとって、SFが提供する社会の謎はエンターテイメントの一部でしかない。
したがって<世界>と<戦士>の構図も同様に、エンターテイメントとしての構図に終始するか、あるいはこの時代における新たな<世界>と<戦士>の構図を再度見つけなおさなければならないだろう。
一言で言ってしまえば、セカイケイはもう終わってしまって古くなった。
人々は自意識というものについての興味を、以前ほどにはもっていない、ということだ。
したがって、意識というもののあり方が大きく変わってしまった以上、<世界>と<戦士>のあり方も本質は変わらずともあり方を変えて描かざるを得ないのではないか。
知っての通り、上遠野氏はジョジョの熱狂的なファンであると同時に、洋楽から多数の引用を行う。
これはあとがきに書かれている通りだ。
これはこれで悪くない選択だとは思うし、古典に学ぶことが創作の近道なのだが、現代のサブカルチャーとその源流についてももう少し学んでいいのではないか。
現代っ子が引用するサブカルチャーのほとんどはpixivはニコニコ動画が主流である。
そして引用のされ方にも傾向がある。
売れ筋に寄せろといいたいわけではないが、そもそも主戦場がライトノベルであるから、ハードな戦い方(※つまり正統的なSFとミステリ)をしていても遠巻きに眺められる終わるのがオチではないか?
もう立派な大御所なのだから売れるための本を書く必要はないのかもしれないが、もっとキャラクターがきちんと動くストーリーを書いてくれたっていいのではないか
ファンサービスのありかたも商業小説のあり方も変化してきたのだから、もうちょっと寄せてくれてもいいのではないか。
そんな気がする。
> コミケでの中核派参加問題、「韓国人・中国人お断り」張り紙問題
https://kamiyakenkyujo.hatenablog.com/entry/2019/01/03/201858
彼の理屈は「『コミケは表現の自由を守護する立場として最大限寛容であるべき』というスタンスを取っているようだが張り紙問題はヘイトスピーチ対策法に引っかかる。(暴力組織排除や性差別とは違い)法律違反をしているのだから対応はするべき」と言う理屈のようである。
だが、女性差別は憲法14条で禁止されている話であり、確かに言っている通りレベルの違う問題ではあるが、それは「韓国人・中国人お断り」より遙かに重要な問題という意味においてであり、この場で性差別の問題をスルーしてこちらに触れるのは明らかに偏向的な物の見方である。差別が許せないと言う立場なら、ここをスルーすることはあり得ない
また、どちらも理念法であり罰則は存在しない。理念法のもたらす効力とは要するに『法律に違反したことをしている団体はカッコ悪ー、信用出来ねー』というイメージを持たれたくないという抑止力であり、コミケはこのライターがおそらくは物心が付く前から、憲法に抵触するかしないかのレベルでこの抑止力と表現の自由に対して問題を乗り越え、特定のスタンスを確立しているのである
「あくまでも自分の意見であるが」「もしぼくがコミケの運営の独裁者になって運営のあり方をデザインするとしたら」というほどのもの、などと強調しているが、「あくまでもこの手の運営などやったことのない法律もちょっとかじっただけの何も分からない素人である僕の意見」と言うことを強調するべきである
私はアラサー技術系リーマン。日系大手メーカーの研究開発職だ。ひょんなことから転職を検討するようになり、年始から転職活動をしようとしているところだ。
私自身、他社から欲しがられるような人材かも分からない。辞めるかどうかなんて通ってから現職と天秤に掛ければ良いという考え。したがって、気軽に転職活動を進めるつもりだが、ひとつ壁がある。
タイトルの通り、義父だ。
義妹の旦那が転職した際、義父に事後報告したところ、しばらく小言が続いたそうな。
俺はこうやってきたという自負があり、そこから外れるようなことはプラスに映らないようだ。
加えて、どうも義父自身に相談が無いこと自体、気に食わないらしい。
というわけで、類似災害防止のためにと、正月に妻の実家でかくかくしかじかと相談という名目で転職活動始める旨を打ち明けた。
・・・まーあ怒られた否定された止められた。これがブロックか。。
妻は転職に対して反対はしておらず(私が働きやすそう&待遇悪くなり過ぎないならOKというスタンス)、義父に対しても私をサポートする意見を述べてくれた。しかし、義父は土地柄×年代×本人の気質により女性軽視傾向にあるため、妻の意見は右から左。
https://anond.hatelabo.jp/20190102174908
自分のことを思い出した。
もう20年前の話。
親の仕事の都合で引っ越しの多い幼少時代だった。そのせいか内向的で、休み時間には教室に置いてある児童文庫の学習漫画をよくよんでいた。地球が太陽の周りを回っていると書いてあったから、影が1日の間で移動する理由をテストで問われて「地球が太陽の周りを回っているから」と書いたら、正解は「太陽が動いているから」だと言われた。テストでは僕の答えも丸になっていたが、動いているのは地球の方で太陽は動かないはずだと僕はずっと首をかしげ続けていたと、母親は保護者面談で先生から言われたそうだ。なぜか母親にとってそれは自慢話のネタらしい。
中学受験に向けて猛勉強する同年代の子どもたちの映像をテレビで見たことをよく覚えている。そのときは僕は「ずるい」と感じていた。みんなが学校で同じように平等に勉強の機会を得るべきで、塾で勉強するのは抜け駆けをするずるだと感じたのだ。そのせいか僕は塾に行くことなく大学受験まで過ごすことになる。
親は放任主義というかのんびりしているというか、子どものすきにさせるというスタンスで一貫していた。ファミコンをどんだけやっても怒られないし、勉強しろと言われたことは一度もなかった。そのせいか、どの高校や大学を受けるかにあたって僕が出した唯一の基準は「自由なところ」だった。
高校は県内でも自由で名高い公立を選んだ。私立優位な地域だったので、東大京大に受かるのは3年に1人くらいの高校だった。そんな高校で僕はずっと学年で「2番」の成績をとり続ける。どんなに頑張ろうと常に2番。1番の子は一体どんなやつなんだろうと思わないでもなかったが、実は顔も知らない。1学年10クラスもあって、どのクラスにいるのかを探すのも大変だったのだ。
高3に模試を受けてみると、京大の合格圏に入らないでもないくらいだった。調べてみると京大は、自由そのものの校風ではないか。それなら受けるしかない。塾には行ってなかったが、通信教育は受けていた。コースを京大向けに変更して、家で課題を解き続ける日々。子どもの頃に中学受験をずるいと感じたくせに、大学受験ではそのど真ん中に身を投じているのだから勝手なもんだ。つまりは自分が認識すらできない時点で人生に差をつけられてしまうようで、抵抗を感じていたのだ。
受験の当日、母親がホテルについてきた。「私は観光してくるから、あんたは受験頑張りね」と。どこに観光してきたかは知らないが、そのときの写真やお土産はひとつもなかった。どこにいたんだろね。
試験はよく集中できた。何問解けたのかはよく覚えてない。目の前にある京大らしい問題に、自分の知識と知恵で格闘した。いつも通りの自分でいられた気がする。
自分の番号を見つけた瞬間の感想は、あーそっかあという安堵のようなものだった。ここに受かるということは、親元を離れて暮らすということだ。その新しさへの不安と期待が少しずつだった。
噂によると、学年でずっと1番だった彼も京大に受かったらしい。が、いまだに会ったことも話したこともない。全く自由というか無頓着なのだろう、2人とも。
僕も親のように、人生の岐路になりうる場に子どもを平常心で立たせてあげることができるだろうか。まあきっとできるだろうと、ポケモンをやり続ける子どもを見ながら思うのだ。
荒れる話題なのは百も承知だから一応スタンスを明確にしとくと、自分は「一期好きだったしとりあえず3話までは観てから判断しよう」派。
荒れるのわかってるなら黙ってろって言われるのはわかってる。だから俺は沈黙を貫いてきた。でも、流石にちょっと我慢できなくなってきたんだ。
今日発表されたのだけど、どうやら二期のEDはカゲロウデイズとかで有名な「じん」が担当するとのこと。
なんか違うんだよな〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
去年中旬あたりから感じてたんだけど、「とりあえずニコニコに媚びとこ」みたいな姿勢出しすぎじゃない?
いやじんのことは別に嫌いなわけじゃないよ?(曲聴いたこと無いから好きでも無いけど)でもさ、その起用の理由は?
今の運営的には「けもフレ一期が流行ったのはニコニコで話題になったからだ、今回はターゲット絞っていくぞ」って思ってるんだろうけど
はっきり言ってそれは正直読み違いも甚だしいと思うよ。
例えばさ、プリキュアが突然ネットスラングとか使い出したらどうする?
一瞬話題にはなるかもしれないけど、子供だけじゃなくて今プリキュア観てる大人のお友達層も間違いなく離れていくでしょ。
けもフレも同じでさ、あのあくまで子供向けに作ってる雰囲気が良かったんじゃん。
夏休み朝に再放送できるくらいの児童向けを意識した作りがウケた原因の一つじゃん。
余計な論争生みたくないけどさ。
少なくとも一期の監督はオタク・非オタク、大人・子供無関係に全ての人が楽しめるように、って考えて作ってたと思うよ。
実際それは大成功したわけで。
なーんでこんなに良い素材を持ってるのに「ニコニコのオタク」にターゲット絞っちゃうかなあ。
あとさ、タダでさえ「動物ファースト」ってスローガンに疑問符が立ってるのに
動物をリスペクトしたアニメでじん(自然の敵P)なんて名前の人使ったらそれだけでネタにされるとか分かるじゃん。
いや他にいくらでもいるでしょ。炎上コントロールする気あるの?それとももうここで最後の花火を上げるからどうでも良いの?
100年続くコンテンツってなんだったんだろうな。
ゲーム愛とディズニー小ネタ良いなー、
インターネットの世界をあのように表現するとか考えたこともなかったな(3Mbps以下のクソ回線はシュガーラッシュでは罰金です)、
1も2も面白いとか珍しいじゃん?とか思っていたが、
以下、ストレートにメッセージをぶっ込んでくる中盤以降についてのネタバレ
正直、とてもよくわかる。と言うか、自分とリアルの友人も、仕事へのスタンス/住む場所/経済レベルが異なる
・完璧なハッピーエンド
・危惧していた危険もご都合よく無くなった
言わんとしていることは非常に健全で正しい
しかし、マッチョであるし、(ラルフ目線では) ハッピーエンドではない
弱肉強食の社会なので、日本よりも圧倒的に「現状維持」or「前へ進むか」のシーンがリアルでも多いのかもしれない
そして、米国で弱さ?を見せることが許されるのは、
この2しか無いんじゃね?という印象すら受けた。それとも見たサイトが悪かったの?
自分がいた劇場では女性客が途中で何名か帰ってしまった。またエンドロールの最後まで劇場に残ったのは10人もいなかった
ヴァネロペは別の場所で新しい仲間(お友達)を得るのだけど、自分はそうはいかなかった
前に進もうが深い付き合いの出来る相手は生まれ育った場所の友人だけ
というか自分も友人も『友達』に対する認識がラルフがごとく重く、
食べるに困る、事故災難、家族恋人友人とのトラブルの際は、何度も経済的にも精神的にも助け合った
会えば、変わらず心地良い時間を過ごせるのだけど、心地良いと同時にすごく退屈なのだ
距離が近ければお互いのあるあるを話せるし、一緒に出掛けて、共通項目を作れるが作れない、
経済力が近ければ、お互いのあるあるネタを話せるが、違うのであるあるしない、
仕事の価値観が違うので、お互いであるあるしない、
結局、「お!」というビックイベントや突飛なことをやってやったぜ!がない時は、
会えたことに感謝しつつも、モヤっと終わる
どんまい。まあ悪いのは自分というよりも、ソシャゲ的な悪質な心理的ビジネスモデルでゲームを作り続ける企業やスマホゲーム業界の側だよ。悔いても仕方ない。
でも、FGOくらいのビッグタイトルなら、ストーリーなんてきっとYouTubeに誰かがアップしてるんじゃない?そういうので十分なんだよ。
自分の人生の貴重な時間やお金をかけてフル体験のプレイをすることに、今の時代そんなに意味はないよ。そもそも引けなかった分の体験は得られないんだからさ。
自分で、という事にこだわらなくていい。他人が楽しんでいる様子を見て「おおっあれ持ってるとああなるんだ」って間接的に楽しめばいい。
むしろそのスタンスの方が、作品の楽しいポイントをより網羅できるとすら言える。ゲーム内の作業に追われる時間を、感動の収集に充てた方が幸福の総量は増える。
別に無課金を勧めるわけじゃないけど、運営開発への感謝として、あくまで常識的な範囲でお布施程度の額を定期的に入れるくらいでいいと思うね。
そのお布施課金で入手した石とかを使うことにはあまり執心しないほうがいい。そういう付き合い方をする人が増えれば、きっと業界の売り方も変わってくるはずだし。
ただね、微課金だけど俺が似たような感じでストーリーに魅入られて惰性で続けてるゲームは、音と魔法の学園RPGなんだけど、
自分がプレイしてなきゃストーリー動画アップするどころか撮ってる人もいないような状況で、アクティブプレーヤー4000ないだろうというレベルなんで、辞められない。辛い。
社長はよくもわるくも技術だけの人です。経営に関しては疎い。会社として守らないといけない労働基準法の社内規定を読んどいてくれという感じで自己管理、自己責任。後は管理職の人に丸投げです。
自分は技術者で、経営に関しては知らないというスタンスでコードをかいているだけです。だけど、数字を求められます。
観ていた限りエンジニアで自社サービスに取り組んでいるだけで、社内施策をしているようには観えなかったです。会社の環境を変えずにただ数字を求めるような人で、独りよがりな経営で社員はただの駒としてしかみていなく、使えなくなったら他の人という感じです。技術職の人もその背中を観ていることもありコードモンキー的な存在で、コードをかく以外興味ないよという感じです。結果、人の入れ替わりの激しい環境です。
管理職の営業の人は、技術をあまりわかっていなく現場に入れ込むだけです。結果、高単価の案件にただ入れこみすぐに現場に合わなく離れる事が多々あります。そのため、心身ともに体調を崩します。
アサイン後に今の現場に合っていないと営業の人に話しますが、もうちょっと待ってくれというだけで改善されません。その後、担当していた営業は変わり、また一から説明するが同じような対応の繰り返し。
前担当の営業の人に話しても、こちらはポテンシャルに合わせてチームで提案をしたが、できなかったの一点張り。悪気すらなく、むしろお前そんな要求するなよと煙たがられます。
さらに、目標設定で設定項目の対応をするが、スルー。それなのに、提出物の期限や社内規定には細かく言及してきます。社内環境が良くなっていくのは難しいですが、それでも薄給です。中途経験者でも手取り20万で、賞与も1年目はでません。
それは無理。だから、「弱者側のスタンスを瓦解させて再構築しないとならない」わけで、「どう再構築させるか」の説明がいるから。
ついでに言うと、強者側は、経済を良くすることが望ましいが故に強者優遇をという立場だが、新自由主義は間違いなくそれにかなってない。「どう再構築するか」の説明が必要。
一度説明したから補足としては短くてすんでるが、一度目はきっちり説明しないと。党派同士で棍棒ぶつけあっても何も生まれない。
冷笑主義を「今ある枠組みを批判する立場」であり、それは良くない。かつ、現状を変えるために9割の庶民の立場になって立ち上がれという立場ともとれる。
そうするととすると、「今の右翼左翼の枠組みを維持したまま、弱者=左翼の立場で立ち上がれ!」となってしまう。
それはよくない。9割の庶民の立場になるにしても、現状の弱者側のスタンスを一度瓦解させて適切な形にさせないとならない。どう瓦解させるかを説明するとこう長くならざるを得ないのよ。
「何について旗色鮮明にするか」なんだわ。
今の右翼だの左翼だのというのは第二次世界大戦のことだとか、それに由来する海外との付き合いだとか、少数弱者の扱いだとか、大多数の国民とかけ離れた点を論点にしてる。
むしろ、対立軸があって、国民生活とかけ離れた点に取り込み、生活に関連することから目をそらさせるためにやってるかのような。
で、なぜか、経済だとか、国民の生活を守るための規制については新自由主義。つまり、どんなものも自由放任にせよというスタンスにさせられてる。
自由放任が故に、ブラック労働でも国からの保護はなく、かつ、金の動きを止めるようなところを減税して金が集まってそのまま貯めこんで金回りが悪くなってもそのまま放置されてる。
しかし、経済史的には、自由主義を、ケインズ(右)、マルクス(左)が批判して、その2つに移って、その後マルクスが負けたが、ケインズもオイルショックの一時的な停滞を元に新自由主義に乗っ取られたという形がある。
ケインズはマルクスより優れていたが、そのケインズの手柄を新自由主義が乗っ取って、マルクスより素晴らしいのだから、新自由主義は素晴らしいのだ。というねじ曲げ方をされている。
ケインズ乗っ取り新自由主義VSマルクスの対立軸で、新自由主義が素晴らしいとやるためにも右左なんて安易な軸は望ましい。故に、安易な軸で語ろうとするやつ自体を馬鹿にしてかからないとならない。
ネットに居ていろいろ仲良くなった人達がいる。リベラルに属してるタイプだ。
みんないわゆる学識のあるタイプ。
一流と言われる大学を出てたり、いまも院に居たり、教員をやってたり、ネットニュースに記事が掲載されていたり、まあインテリと呼ばれる人間だ。
僕のような三流大出の地方での介護職、200万ギリで働いている人間とは、リアルだったら関わらない人間だったと思う。
ひどく冷酷に見える事がある。
彼ら彼女らは普段はとても礼儀正しい。非常に紳士的だ。とても優しい。同じ価値観を共有している間は。
少しでも安倍晋三の政策で、僕の暮らしが楽になったことを匂わせると、「それは間違いだ」とか「錯覚だ」と論破しにかかってくる。
それで僕は「まあ、そうなのかなあ」とおとなになったふりをして引くのを繰り返すわけだ。
ただ、ここ最近、あまりにも彼ら彼女らと、感覚が違うことに驚く。
彼らは「この会社を追い出されたら次がない」とか「ブラック企業で安月給で追い込まれる」とか「無能故に300万の仕事につけない」とかの感覚がないということを最近悟った。
そういう状況に追い込まれても「自分ならうまくのりきれるし、その知識がある」と信じてる。
大学も親の金で行ったり、仕送りしてもらったりで、奨学金が1000万返済の人間がいるとは知識で知ってても感覚では理解できてない。
僕は安倍政権の何が許せないかというと、消費増税をしようとしているところだが、彼らはいわゆる「戦争法」が決定的に許せなかったみたいだ。
ただ、問題はそうじゃない
あらゆる問題について僅かな誤差も許されない同調を求められる。
韓国の徴用工については「日本の企業は100%補償すべきで安倍内閣は国際社会の敵だ。韓国政府に非はない」というスタンスを求められる。
女性の権利については「日本はレイプ大国であり、男は原罪を負ってるから、女性の告発は100%信じなくてはいけない」という同調を求められる。
安倍晋三については「あらゆる政策が無能で裏目に出ているが、国民が馬鹿だから好景気の錯覚に惑わされているが、君は賢いので本当は気付いているんだろう?」というスタンスを演じなくてはいけない。
5年ほど前まではここまで極端な人たちではなかった。
そんな極端な同調を求められるものだから、仲間内の中から脱落者が出る。ついていけなくなるのも当然だ。
そうなると、ネトウヨになった、冷笑主義者に堕ちた、承認欲求が彼を狂わせた、とか敵認定されて100%の敵になってしまう。
「ああ、物言えぬ空気ってこういうのか」と。