2018-12-26

失恋ならぬ失友 (シュガー・ラッシュ2)

ゲーム愛とディズニー小ネタ良いなー、
インターネット世界をあのように表現するとか考えたこともなかったな(3Mbps以下のクソ回線シュガーラッシュでは罰金です)、

1も2も面白いとか珍しいじゃん?とか思っていたが、

以下、ストレートメッセージをぶっ込んでくる中盤以降についてのネタバレ

 

ラルフとヴァネロペが離れ離れになる

現状維持」か「住んでいた世界 を離れ前に進む」か

正直、とてもよくわかる。と言うか、自分リアルの友人も、仕事へのスタンス/住む場所経済レベルが異なる

 

ラルフとヴァネロペを親子としてみた場合

完璧ハッピーエンド
危惧していた危険もご都合よく無くなった

 

ラルフとヴァネロペを本作の描写通り『友達』としてみた場合

言わんとしていることは非常に健全で正しい

しかし、マッチョであるし、(ラルフ目線では) ハッピーエンドではない

 

モヤモヤしたので米国での本作の感想をチラ見

 

マッチョォォォォォォォォォォォォォ

 

弱肉強食社会なので、日本よりも圧倒的に「現状維持」or「前へ進むか」のシーンがリアルでも多いのかもしれない

そして、米国で弱さ?を見せることが許されるのは、

 

  1. 伝統否定された、傷つけられたことへの悲しみを伝える
  2. フェミガー(中身なし)

 

この2しか無いんじゃね?という印象すら受けた。それとも見たサイトが悪かったの?

  

自分が観た劇場での反応と日本の本作の感想をチラ見

自分がいた劇場では女性客が途中で何名か帰ってしまった。またエンドロール最後まで劇場に残ったのは10人もいなかった

そして感想サイトには、

「ヴァネロペはワガママ」「ヴァネロペは失礼」「いつまでも友達と言っているけど、やっぱり疎遠になると思う」

うん・・・日本って弱さに寛容だし、正直ですこ

 

自分とお友達

ヴァネロペは別の場所で新しい仲間(お友達)を得るのだけど、自分はそうはいかなかった

前に進もうが深い付き合いの出来る相手は生まれ育った場所の友人だけ

というか自分も友人も『友達』に対する認識ラルフがごとく重く、
食べるに困る、事故災難、家族恋人友人とのトラブルの際は、何度も経済的にも精神的にも助け合った

ゆるーく軽く繋がるというのは『知人』という認識である

 

で、こんな重たい関係だったのなら、『距離』や『世界 (価値観経済力)の違い』は障壁にならないか?と言えば、フツーになります。少なくとも自分場合

会えば、変わらず心地良い時間を過ごせるのだけど、心地良いと同時にすごく退屈なのだ

距離が近ければお互いのあるあるを話せるし、一緒に出掛けて、共通項目を作れるが作れない、
経済力が近ければ、お互いのあるあるネタを話せるが、違うのであるあるしない、
仕事価値観が違うので、お互いであるあるしない、

結局、「お!」というビックイベントや突飛なことをやってやったぜ!がない時は、
会えたことに感謝しつつも、モヤっと終わる

 

■ じゃあどうしましょうね

・ヴァネロペのように別の場合でもお友達を作りましょう

・お互いの場所が違っても「お前、面白いじゃん」ってなるモノを提供出来るよう、日々を楽しむ (増田やってちゃダメじゃん)

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