はてなキーワード: エクスタシーとは
まあ禁煙とセックスレスは産まれてからパーフェクトゲームだがな。
試しに今回は全部一度に禁止しみてどれが最後まで残るか試したい。
追記:
プールもトイレも どんな撮影現場(ばしょ)でも パンパンパンパパン
風邪のベッドイン 汗まみれでFINISH!
チンポ 咥えたい
いつでも ゼン・ゼン・全力変態!
つながって 感じエクスタシー
ビクビク はじめてで止まらない
だから ガン・ガン・ガン掘れ!
そうさ 処女膜も NO LIMIT!
全力変態!
JKJC 幼稚園児も
恥丘 剃ろうぜ
見てろよ ゼン・ゼン・全部の変態!
想像も パっと超える奇怪
だから ガン・ガン・ガン掘れ!
大人のナミダ DOTEI GOODBYE!
おなじ射精感(おもい)分かち合うのさ
それがお宝
いつでも ゼン・ゼン・全力全開!
つながって 感じエクスタシー
ビクビク はじめてで止まらない
だから ガン・ガン・ガン掘れ!
そうさ 処女膜も NO LIMIT!
全力変態!
いや、わかるよ
エロ絵がなくて健全なイラスト(攻めてるのもあるけど)しかなくて
自分の好きなキャラがあんな目やこんな目に合うイラストに触れる心配がないからとっつきやすくなるよね
でも、それって女性だけじゃなくて男性もそうなんだと思うわというか俺がそうだからな
いやエロを否定するんじゃないし俺もたまに二次エロでエクスタシーに達するよ
でも平常時でもエロを見たいとは思わないしむしろギャグ寄りの二次イラストの方が見たい
ウマ娘はエロがなくて俺も安心してイラストを漁っているし人によって作風も何だかんだで違ってて面白い
だから俺もこうして安心してウマ娘というコンテンツを楽しめている男性の俺でもだ
それで何が言いたいかというとエロを無くせば女性人気は出るという偏見に対してモヤってんのね
ぶっちゃけると女性だってBLでエロを描いているけどそれはいいの?って思うし
ジャンプの作品もそりゃ男性向きのエロ絵もあるけれどそれでも女性人気が高い作品だと女性の方が圧倒的に多いんだよね二次創作エロは
これは実際に経験しないとわからないけれどジャンプのアンソロジー系でいかにも健全ですコメディですって感じの表紙にしておいて
実際に中を見てみたらめっちゃBLBLしていてトラウマを抱えた少年も少なくともいるはずなんだよね俺がそうだからな
それで何が言いたいかと言うと女性も結局エロを描いているし求めてるしばらまいているじゃんっていう事
そして俺はそういうBLのエロは流石に免疫は出来てないから受け入れがたいし、そうといってすぐに裸にするような男性向きのエロも常に求めてはいない
だからってエロを取り締まれというんじゃない女性もエロを出しているし求めているしそして女性も女性のエロを見るのも好きな層もいるはず
虫歯を放置して神経を抜いた。(虫歯放置はだめゼッタイ)針みたいな器具を歯の神経にぶっさし、歯の根本を消毒する必要があった。その感覚はまるで不思議だった。神経がないので痛みや感覚がないのかと思いきや、生きている他の神経が刺激を感じ取って針の感触を伝えてくる。針はエロ漫画のようにズブズブと神経の細い管に侵入しし、ピストン運動を開始する。奥にある消毒のターゲットに届かせるため、針は緩急を付けて動かされる。神経迷路は複雑で奥にピッタリと届かせることは難しいらしい。ピストンを続ける針のヌメヌメとした感触がじれったく、「ああん奥、奥をついて」という感じになってくる。奥にヒットした瞬間はまさにエクスタシーであり、正直なところ、勃起しないようにするので大変だった。必死に漫☆画太郎のババアの垂れた乳を思い出していた。
歯の神経でこれだ。マンコにチンコを入れられる快感とはいかほどだろう。自分にマンコが備わっていないことが悲しいと思うときが来るとは思わなかった
anond:20210210062305 (クラシック曲ガイド) を見やすくしたよ。
§1600年代前半
§1600年代後半
§1700年代前半
§1700年代後半
§1800年代後半
§1800年代終盤から1900年代初頭 (後期ロマン派・印象派音楽)
§1900年代中盤以降 (第一次大戦終了によってロマン主義と印象主義が古くなった時代に真価を発揮した作曲家たち)
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1664833
↑このブコメで賞賛されている表がかなりデタラメなので修正してみた。
とりあえず同じように1600年代から始めます。「オケゲム、マショー、パレストリーナ、ジョスカン・デ・プレがないぞ」とかいう意見もあるようですが、それはもっと以前だから書いていないだけです。
作曲家の「生まれた年」ではなく「主に活躍した時代」で書きます。これに文句を言っている方もおられるようですが、何故かと言うと例えば生まれは1600年代終盤だけれど音楽家として活躍し世に認められたのは1700年代になってから、といったような例があるからです。
「あれは記憶だけで描いてるから素晴らしい」とおっしゃる方もいらっしゃいますが、これも資料などは参照せず、ほぼ脳内の情報だけで書いております。
モンテヴェルディ(みんな知ってる「私を死なせて」)、カッチーニ(「アヴェ・マリア」が有名だが実はソ連の音楽学者ヴァヴィロフの贋作。真作で有名なのは「アマリッリ」)
シュッツ(「ドイツ音楽の父」として有名)、シャイン、シャイト(以上3名は「ドイツ三大S」として有名)
コレッリ(「ラ・フォリア」が有名)
ヴィヴァルディ(「四季」の人)、アルビノーニ(「アルビノーニのアダージョ」が有名だが贋作。真作で一般に有名な曲は無い)、ペルゴレージ(「スターバト・マーテル」が有名)
クープラン(チェンバロ曲で有名)、ラモー(音楽理論とオペラ)
バッハ(名曲多数)、ヘンデル(日本では「音楽の母」などと呼ばれたが女性ではない。「メサイア」「オンブラ・マイ・フ」「水上の音楽」など)、テレマン(「食卓の音楽」で有名)
以上1600~1750年が「バロック音楽」の時代。欧州における「絶対王政」の時代とほぼ重なるという見解があります。
「古典派音楽」の時代。啓蒙思想によって理性が重視され、それが音楽に影響を及ぼした時代です。
チマローザ(オペラ「秘密の結婚」)、パイジェッロ(「うつろな心」)、ボッケリーニ(「女ハイドン」の異名を持つが男性)、サリエリ(オペラの巨匠)
音楽における「ロマン主義」は文学や絵画よりも遅れて1800年代になってから現れます。この時期は古典派音楽からロマン派音楽への過渡期です。
ロッシーニ(オペラ「ウィリアム・テル」「セビリアの理髪師」など)、ベッリーニ(オペラ「ノルマ」など)、ドニゼッティ(オペラ「愛の妙薬」など)
シューベルト(未完成交響曲 D 579、歌曲集「冬の旅」など)
メンデルスゾーン、シューマン、世代的にはワーグナーもここに入る(この時期はオペラ「リエンツィ」「タンホイザー」「ローエングリン」など)
リスト(本人はハンガリー人を自認したが実際はドイツ系オーストリア人で本来のハンガリーの民族要素は無いのでドイツ・オーストリア音楽として捉えるのが正しい)
グリンカ(オペラ「ルスランとリュドミラ」)、ダルゴムイシスキー(オペラ「石の客」)
1848年革命の失敗により、ヨーロッパ音楽の雰囲気も暗くなって参ります。
ヴェルディ後期(オペラ「椿姫」「アイーダ」「オテロ」「ファルスタッフ」など)
ブルックナー(交響曲では4番と7番、8番が有名だが初心者に聞きやすいのはむしろ1番と6番だと思う)
ブラームス、ブルッフ(ヴァイオリン協奏曲第1番が有名)、ワーグナー後期(楽劇「トリスタンとイゾルデ」「ニーベルングの指環」「ニュルンベルクのマイスタージンガー」)
オッフェンバック(オペレッタ「天国と地獄」など。実はドイツ人)、グノー(オペラ「ファウスト」)マスネ(オペラ「タイス」など。「タイスの瞑想曲」)、サン=サーンス(長生きしたので今年没後100年)、フランク(バッハの対位法、ベートーヴェンの劇的構成、ワーグナーの和声を融合した究極の交響曲を作曲したが実はベルギー人)、フォーレ(「レクイエム」「幻想の水平線」)
スメタナ(連作交響詩「我が祖国」その中の一曲が「モルダウ」)、ドヴォジャーク(「新世界交響曲」e-moll op.95 など)
ボロディン(オペラ「イーゴリ公」、交響詩「中央アジアの草原にて」、交響曲第2番など)、バラキレフ(東洋幻想曲「イスラメイ」)、ムソルグスキー(オペラ「ボリス・ゴドノフ」、ピアノ組曲「展覧会の絵」)、リムスキー=コルサコフ(交響組曲「シェヘラザード」など)、チーコフスキー(バレエ「白鳥の湖」、交響曲第6番「悲愴」など)
グリーグ(ピアノ協奏曲、劇判音楽「ペール・ギュント」、ピアノ曲「抒情小品集」、歌曲「最後の春」など)
プッチーニ(オペラ「トスカ(星は光りぬ)」「蝶々夫人(ある晴れた日に)」「トゥーランドット(誰も寝てはいかん)」など)、マスカーニ(オペラ「カヴァレリア・ルスティカーナ」映画「ゴッドファーザー PART III」のあれ)、レスピーギ(交響詩「ローマの松」などローマ三部作)
マーラー(11曲の交響曲と歌曲)、ヴォルフ(ドイツ語歌曲の頂点として非常に有名)
リヒャルト・シュトラウス(交響詩「ツァラトストラはかく語りき」〈映画「2001年宇宙の旅」のあれ〉オペラ「サロメ」〈裸踊りで有名〉「薔薇の騎士」〈少女漫画オペラ〉)、レーガー(変奏曲と室内楽の達人。歌曲も秀逸)
ダンディ(「フランスの山人の歌による交響曲」は初音ミクが歌った冨田勲の「イーハトーヴ交響曲」の元ネタ)、ショーソン(「詩曲」、フランクの影響を受けた1曲だけの交響曲など)、ドビュッシー(オペラ「ペレアスとメリザンド」、交響詩「海」など)、ラヴェル(バレエ音楽「ダフニスとクロエ」、ピアノ協奏曲ト長調など)
フェルステル、ヤナーチェク(オペラ「利口な女狐の物語」、村上春樹のせいで何故か有名になった「シンフォニエッタ」)、スーク(アスラエル交響曲などが有名)
シマノフスキ(「スターバト・マーテル」など)
グラズノフ(ロシア浪漫派交響曲を集大成した作曲家として有名)、ラフマニノフ(無伴奏合唱曲「晩祷」で非常に有名)、スクリャービン(神智学に陶酔した交響曲第4番「エクスタシー」と、「神秘和音」を駆使した妄想ピアノソナタで非常に有名)
エルガー(「威風堂々」が有名だが真の傑作は交響曲第2番)、ディーリアス(「春始めての郭公を聴いて」は英語圏では誰もが知る名曲)、ヴォーン・ウィリアムズ(「田園交響曲(3番)」と「南極交響曲(7番)」が有名だが5番も捨て難い)
ヒンデミット(オペラ「画家マティス」と、その音楽をまとめた交響曲が有名)
シェーンベルク(無調音楽、12音音楽の創始者。彼が最初に12音音楽による楽曲を完成したのが1921年なので今年はシェーンベルク式12音音楽の100周年。まず聴くばきは「ピアノ協奏曲」「ヴァイオリン協奏曲」「弦楽四重奏曲第3番、第4番」)、ベルク(無調音楽、12音音楽に調性音楽的要素を取り入れて聴きやすくした人。オペラ「ヴォツェック」「ルル」、器楽曲では「ヴァイオリン協奏曲」が有名)、ヴェーベルン(12音音楽の究極として有名)。以上の3人は「シン・ヴィーン楽派」として20世紀音楽を語る上で非常に重要です。
いわゆる「6人組」の時代。現在でも有名なのはプーランク、ミヨー、オネゲル(交響曲第2番と第3番はカラヤン盤もあるので聴いて下さい。このほかオラトリオ「火刑台上のジャンヌ・ダルク」も泣けます。実はスイス人)。現代音楽史的により重要なのはメシアン(「トゥーランガリラ交響曲」「世の終わりのための四重奏曲」「彼方の閃光」オペラ「アッシジの聖フランチェスコ」などが非常に有名)。
プロコフィエフ(大人は「ピーターと狼」みたいなガキ向けの曲は聴かず「交響曲第2番」の暴力的激しさにヒャッハーしましょう)、ハチャトリアン(「剣の舞」とかいう曲は子供の頃運動会で聴いたでしょうから、そんなものより「交響曲第2番」でファシストとの激しい戦いを体感しましょう)、ショスタコーヴィチ(世間一般では交響曲第5番が知られていますが、高く評価されているのは4番、8番、10番、14番など偶数番号の交響曲です。真髄はオペラと弦楽四重奏曲です)
20世紀後半以降は省略。
私既婚者
相手既婚者。年齢同じ。同じ会社の人だけど海外の子会社駐在員で単身赴任中。初対面。
数ヶ月にわたる長期海外出張先で駐在員が受け入れやらホテルの手配やら手伝ってくれるのだが、独身者は有志で日帰りや週末旅行に出かけてた。その時に出会った。
何回かグループ旅行で一緒になった後、私と相手のみ希望する行先があり、2人だけで旅行することに。行き先は国境を越えるので必然的に泊まり。
ただ以前も同室で泊まった事があり違和感は無かった。
個人的には、世代が同じだし生い立ちに共通点があって会話は比較的あったけど、正直好みの顔と体形じゃなかったので、異性として意識はしてなかった。
一泊目はツイン取ったはずなのにダブルだったりとトラブルもありながら何もなく、二日目の夜、二次会の店で2人でボトルを一本空けた後から雲行きが怪しくなって来た。
最初は偶然に体の一部が触れたのがきっかけだと思う。何となく身体の話になり、お互いの夫婦生活の話に。
知り合って間もない人に自分の内面を話しちゃってることに興奮し、性的対象として見始めたんだと思う。おそらく相手も。
雰囲気が変わったあとは早々に切り上げた。旧市街のレストランから中央駅ちかくのホテルまでの道のりはどちらからともなく手を繋いでいた。ああ、今晩この人とセックスするんだろうなと思った。家族の顔は思い浮かばなかった。
ホテルに着いたらすぐに交わった。
最初はお互い下半身だけ裸で。次にシャワー別々に浴びて全裸で。
相手は脱いでも好みの体じゃなかったけど、不思議と嫌悪感はなく、かえって好感を抱いた。
今回はしっかりツインの部屋だったんだけど結局ベッドは1つしか使わなかったのと、朝起きたら部屋のドアの鍵がしっかり閉まってなかったことを発見して焦ったのが印象に残ってる。
出張期間中は付き合いたての恋人みたいだった。相手のアパートに転がり込んで毎日ヤってた。ホテル不足もありバラけて宿をとってたりしたので周囲に不審に思われることはなかった。
日本の家族と電話して、その数時間後には平気でハメてたりした。安全日には生中出しもした。
帰国後は、社内ツールでweb会議のインビをおくり、自分は個室会議室を予約してイチャイチャ電話会議したこともあったが、仕事環境の変化でそれも難しくなり、時差もあり、3ヶ月ほどでほとんど連絡をしなくなった。
その後相手も日本に帰任したが、所属事業所が離れているし、この状況で会うような流れにもなってない。物理的にも時間的にも、距離や時間が空いてしまったことで、相手個人に対する男女としての好意は離散してしまったと正直に思う。
けれども、自分が不倫してからというもの、配偶者とのセックス中に想像するのは、不倫のシチュエーションばかり。自分でする時も含め、不倫ネタでしかエクスタシーを感じられなくなった。
コメントにぶら下がってる、不倫は麻薬、という言葉にひどく共感してこんな長文になってしまった。不倫の罪悪感、背徳感、非日常感、それらがすべて快感を増幅させて脳内の快楽の閾値をオーバーシュートさせたと思う。
アムステルダムのコーヒーショップで人生で一度だけ吸った葉っぱもこれ程までまた吸いたいとは思わなかった。仮に機会があっても自制できると感じる。
一方で不倫の快感は忘れられないし、また機会が目の前に現れたら快楽に負けてしまう自信がある。
天使のように可愛い息子と娘が寝静まった後、芸能人の不倫の話題をYahoo!ニュースで見かけると、身体が疼いてしたくなって来てしまうのを止められないのが自己嫌悪だ。
何で書き込んだかというと、自分も体験を吐き出したいという衝動に抗えなかったのと、後戻りできるところにいるなら、立ち止まった方がいいと表明したかったから。
一度壊れた身体の感覚は戻らない。世の中の忌とされてることは、先人たちが身をもって体験し、倫理的価値観や法に落とし込んできたものなんだなあ、と身をもって感じる。
小島慶子のことは嫌いではなかった。むしろ好きな部類に入る方の有名人なのだが、このエントリ(https://fujinkoron.jp/articles/-/2959)はホント胸糞だ。
正しそうな、何一つ彼女の論理に破綻がなさそうに見えるのに、読後感が半端なく胸糞なのだ。その証拠に、何が胸糞なのか整理するのに3時間も彼女の言い草が脳内を反復し、ゲロを吐くのを我慢しながら考え、時間を浪費してしまった。
その整理してみたけれど、きっとまだ整理しきれていない胸糞の原因は以下の通りだと思う。きっとこれから、もっとその原因が浮かんでくるとは思うが、いま書き出さないと脳が爆発、というより腐りそうだ。
匿名だから敢えて断っておく必要もないだろうが、決して売春や風俗を肯定する気はないし、女性の方が歴史上自由から迫害されて、総じて不幸せな環境にあったことも認めるし、自分自身もその加害者であったことがあることも認める。しかし、しかし、だ。あまりにも気持ち悪い理由は:
(1)夫が風俗で遊んでいたことに対して、すごくインテリ的な立場で非難している点。
前述したように、男性が風俗で遊ぶ際、女性性をモノ化して消費している側面はある。そのことに嫌悪感を感じる人も少なくないだろう。風俗やポルノが一般に忌避されているのは、人間味が損なわれて、消費の対象のように感じられるからであろう。しかし世の中には男性が男性を、女性が男性を、女性が女性を物質化して消費するような需要も少なくない。物質化された側が被害者意識を持つことは直感的で、痛みを感じることは、個人的に理解できる。しかも小島が感じた痛みはそんなインテリ的な、形而上の概念が原因であるはずがない。自分を物質化しないと生活ができないような同性に配偶者を一時的に寝取られた悔しさや、嫉妬、さらには低俗なサービスに欲望の解消を頼ってしまうような弱いオスを選んでしまった自分に対する憐憫や敗北感があるのではないか。もっと言えば、自分が腹を痛めて産んだ子供の父親がさほど強くなかったことや、腹を痛めた子供の育児中に欲望を一人解消していたことに対する妬みや、自分よりも低収入な夫がそんな贅沢な遊びをしていたことに対する嫉みも入り混じっていることを小島は自覚していない。
(2)インテリ的な非難をするのに値しない、低レベルの自意識。
配偶者は自分のDNAを後世に残すための精子提供者という一面を持つ。自覚できるかどうかは置いておいて、DNAレベルの判断を私たちは動物的に行っている。だから、理由なく異性を意識したり、性的魅力を感じたりする。そこには「異性を物質化」しているかどうかの理屈の入り込む余地はない。異性を異性化しているだけだ。女性が出産後、配偶者への愛情が低下するのも育児にエネルギーを手向けられるように進化の過程でできた適応だ。その適応の結果、DNAを未来に繋ぐために選んだ配偶者は、モノ以下になる。しかも夫の方が収入が低いとなれば、夫は生は、ほぼ用なし状態だったはずだ。自分は男をモノ化しておきながら、棚に上げ非難するのは完全に最も小島が非難している「自分に向き合っていない」ことにならないのか?自分に向き合っていない小島が自分に向き合えず結婚生活の継続だけを求める夫を非難できるのだろうか。小島は、収入こそ妥協したかもしれないが、健康的で異性として魅力的な顔立ちや体つき、一緒に子育てのできそうな精神的な安定に魅力を感じて配偶者を決めたはずだ。これこそがDNAとしての異性選択ではないのか、自分に問いてみるべきだろう。
(3)息子たちの性教育が終わったと断言できる浅はかさ。
性教育という概念はまだ新しい。しかも、その歴史を見ていくと、内容も時代とともに変わっている。つまり、「性」についての答えはまだ出ていないと考えるのが普通だろう。出産後の夫の不誠実さを悲しく感じることと、それと性教育との関係性はあまりにも薄い。生殖の仕組みについては、科学的な見解があるが、同性愛の問題も含めて性衝動や性的な魅力、恋愛感情についての科学的な理解はまだまだ一般的な正解はない。きっと小島が言っている「性教育」は「現代における社会的に容認できる性行動教育」だ。同じ科目が50年前に存在していたとすると、まったく内容は異なるし、それこそ男女間で大きく異なる。50年後も大きく違っていることだろうと予想する。こんな母親に育てられた息子たちが不憫でしょうがない。性は、表出化する行動であるだけでなく、人類がここまで繁栄、繁殖してきた原動力であり、私たちが幸せやエクスタシーを感じる手に取って誰もが感じることのできる能力なのに。初恋の気持ちや、愛する人を求めてしまう情動、そんな相手に振り向いてもらえなかったり、離れた時の悲しみは理屈ではなく、他ならぬ人間が持つ感情である。何度も言うが、小島が感じた悲しみや絶望を非難しているのではない。気の毒に感じる。小島に原因があったと言っているのでもない。
(4)今も夫に続けられる公開処刑。
現在別居状態にあり、風俗も禁じられているとすると、夫は極度の禁欲生活にあるに違いない。夫も極度の絶望状態にあることは想像に難くない。息子たちに過去のみっともない姿をバラされて、世間にも暴露され、それでも専業主夫を続けるのはもはや生存戦略でしかないだろう。私はキリスト教徒ではないが、罪をもって生まれてきた人間が幸福を目指して生きるには、欲望や邪念、煩悩をある程度昇華していくしかない。それを一人胸の内に閉じ込めたまま、矮小化された欲望だけが吊るしあげられた状態で生きていくのはかなり辛いだろう。小島には欲望は存在しないのだろうか?有名になりたい、モテたい、社会に貢献したい、子供が欲しい、お金が欲しい、自由な時間が欲しい。そんな欲望を本人は十分に発揮しているにも関わらず、あまりにもおぞましく強権的な攻撃ではないだろうか。それを恥ずかしげもなくモラハラになるかもしれない、などと言って経済的な支援だけを行っている気になっているとしたら、それこそ風俗で満たされるような支配欲を自分の夫で果たしたことになると言える。偉大な権力を持っていることに無自覚な罪だとすればバカでしかないし、知っていて快感に浸っているとしたら、一応ファンもいるのでやめてほしい。
専業主婦やハイクラス主婦をターゲット読者とする婦人画報は、ある意味女性性を売り物にして、収入の高い男性と豊かな生活を送るための情報を提供してきた。そんな中、夫の不貞や遊びで苦しんできた女性も少なくないはずだ。不倫に関する記事も読まれやすいだろう。不安を煽るビジネスはメディア業界の常套手段である。しかし小島のこの記事は不安ではなく、怒りを煽っている。つまり炎上商法だ。小島のライフスタイルをカッコよく憧れの対象と見せつつ、「女性の物質化」という尤もらしいが、誰も幸せにならない概念を売り込んでくる。小島の家庭事情を少しずつ切り売りして、そのネタとして夫の風俗通いがオチというのはあまりにも貧相な結末としか言いようがない。
女子アナとして知名度を持てるほど、メスとして魅力があるのが小島だ。メスが魅力的に映るには生殖能力も必要だが、優れたDNAを育み育てるための知性が必要だ。それらを存分に自覚し発揮し、その影響力を利用したスマートな生き方を体現しているのが小島慶子だと思っていた。昨日までは。
小島はスマートだと思っていただけにこの文章にはがっかりした。スマートであれば、どこかで自分の無知や認識の浅はかさを知って、愛する人を失う悲しみを乗り越えてほしい。人間が何に喜びを感じ、何に絶望を感じるかを知れば、きっと幸せになれる。
中学のとき好きだった子が音楽に強くて、ピアノを数音同時に鳴らしたらその全部の音がなんなのか分かるっていう能力をもっていた。
経緯はあまり覚えてないけど、音楽室で彼女と一緒になったことがあって、おれは鍵盤を叩いて「これ何?」と聞き、彼女は「ミ、レ、ソ」みたいに答える、っていうのをやった記憶がある。
すげーすげーと素直に言いつつも、正直自分がなんの音を弾いているかも分からなかったから凄さがよく分からないという側面もあって、そう言ったら彼女はなんじゃそりゃと笑っていた。
そういう甘酸っぱい(これ甘酸っぱいですか?)思い出があるのに明日で、というか今日で36歳、恋人はいつも右手、おれどうしたらいいですか?べつにどうっていうのはないねえ、死ねばいいと思うよ(シンジくん)、よかないでしょ、べつにモテたくもないしもはや恋愛にもセックスにも興味はないはずなのになんなんだこの感じは、幻肢痛か?でも幻肢痛ってかつて有ったものが無くなったことによる痛みですよね、おれの場合なにも無くしてないというか、得てないっていう話だからそれは違いますよ、おれどうしたらいいですか?(2)、ハッピーバースデートゥーユーという気持ちが完全に摩滅してしまった、ハッピーではないので、そういえばメリークリスマスのメリーってなんなんだ、メリークリスマスとメリーバッドエンドのメリーって同じか?定期的に意味調べてる気がするんだけど一向に覚えないからどうせつまんない意味なんだろうな、メリーバースデーみたいな言い方もできるんだろうか、できるんならこれまで一回くらい聞いてるだろうけど全然聞いてないってことはできないんだろうな、どうでもいい、おれどうしたらいいかって言ってんだよ、殺すぞ、何がソルフェージュだ、あのときおれの心臓が奏でていた音の高さを彼女が聞き取れていたら、また違う未来もあったんだろうか、無いんだよな、というか彼女のせいみたいな感じにするのはカスすぎる、彼女元気にしてるかな、わりとガチでどうでもいい感じあるな、初恋ってはかな〜い、おれってどうしたらいいですか?(3)、おれってどうしたらいいですか?(4)、中年クライシスってこれか?でもクライシスとか言われるともうちょっとカタルシス感というか、クライマックス感というか、エクスタシー感というか、そういうミクスチャーを期待しません?こういうジメジメしたゴミみたいなのじゃなくてよ、せめて花火のように散りたい、でも花火いうてもいろんな金属粉の寄せ集めじゃからな、彼ら自身にあまり華々しい最期って自覚はないんちゃうか、勝手に知らんやつと抱き合わされた上に燃やされとるわけやし、ふざけんなと思いながら死んでるのでは、そう思うと勝手にキモい顔に産まれた上にいずれ死ぬことが確定してたおれも花火と同じ境遇かもしれんな、もうダメだ、ダメです
帰ってお母ちゃんのおっぱいでもしゃぶりながらコーランでも暗唱してろ
違うか?天皇の写真焼きながらムハンマドの爆弾ターバンで爆死しろ?
岩戸の前でキリストを火炙りにして、出てきたアマテラスをノアの方舟に入れるんだっけ?
あけぼのが生き返って最後の審判を下してアポカリプスになるんだっけ?
とにかく、お前が神の存在を信じるのは勝手だが、神は実在しない。
神が実在する前提で話をすすめるな!
あと教祖は神じゃねぇ。そこからか、そこから説明しないとだめなのか。
その程度の雑い知識で宗教活動なんかするんじゃねぇよバカ。先祖崇拝も同じだ墓石なんかぶち壊せ!
な~にが守護霊だクソか。子孫のアナルオナニーやら尿道オナニーを見守る霊体とか悲しすぎるわ。
久々に会ったら「コロナよりインフルエンザの方が死者が多い」とか「老人が死んだのは寿命」とかネットでよく見る反自粛派の声のでかいやつが言うことを言ってた。
そんで最近は虎ノ門ニュースとかをみるらしい。完全にドブに腰までつかっとるがな。
や、ネトウヨに偏っちまったから「コロナなんて」っていうようになったかは因果関係は知らん。
しかしどうやら、その系統のYoutubeとかで得た情報をすげえどや顔で語っとったから、勝手にそんなんかと思っている。
叔母はめちゃくちゃヒートアップして「自粛なんて必要ないんだ」「指定感染症から外せばいいんだ」「飲食業とかの人が苦しんでる」と演説しとった。
ほんで自粛なんてしなくていい。すると経済が回らないみたいな、
「それ進●ゼ●で5億回みた」みたいな、Twitterでゴロゴロ転がっとるようなテンプレを机バンバン叩きながら語ってた。
酒も入っとらんのに。血圧上がるぞ。
そんな白熱して語っていただいたが、結局ただの意見の押し付けで、結局「ほんとにコロナが怖い人」のことは全く考えとらんわけだ。
私は大したことない風邪をこじらせて熱が39度でて日がな吐き倒して会社2週間休んだことがあるので、コロナに罹ればヤバくなりそうだと思ってる。
あの「重症化しません」の「重症化」って、人工呼吸器が必要なレベルのことで、熱とかめっちゃ出ても「軽傷」って扱いなんでしょ?お医者さん的には。
友人には喘息もちがいるし、父親だって生活習慣病の塊みたいな人間だし、もちろん祖父母には健康でいてほしい。
なので、感染者が多いから外に出るのやめようかな、という人間は一定数いるわけだ。いるわけなので、あまり感染者がボンと出られると困る。
いや、自粛いらん、って人からしてみれば「そんなこと気にしてるやつの頭がおかしい。インフルエンザの方が人は死んでる」みたいに言うんやと思う。
あほほど聞いた。けど、私はインフルエンザと比べても…と思っている。だってインフルエンザ関連の数字って自粛とかしてない数字じゃん。同じ状況下での数字じゃないと比較対象にならないじゃん。
そんな感じなんで、叔母の言うように「自粛なんてせんでええねん」ってのにはいまいち賛同しかねる。出来れば感染者は減ってほしいわけだ。
私には叔母の行動を制限する権利はない。ないので、「ほな私とは意見がちがうなあ」っていうしかない。それしかないから仕方ない。
仕方ないと思うので、それで手打ちにしてほしいわけ。なのに意見をバンバンと人に押し付けてくる。それはどうも困る。
ほんで「自粛する奴はおかしい」みたいなレベルの話までし始める。こっちからしてみればお前のほうが怖いが……。という感じ。
というのも、「感染数が多くても重症者が少ないからいい」みたいな意見に対してはちょっと怒っているのだ。
そういう持論展開する人間の社会ってマジで日本だけなんか?視野バリセマ??って思ってしまう。
ヨーロッパとかアメリカとかほかの国ではぼかすか死者が出とるわけで、この病気については日本だけの問題ではないわけだ。
Twitter上ででかい声で「コロナを指定感染症から外せ」みたいな運動おきとったが、そういうのは困るわけだ。
だって、欧州でコロナの感染減ったねよかったねってなったときに、
日本が「重症者いないから感染者普通に出してるよ~ん」とか言ってたらさ、どうよ。
仮に日本では死者が少なかろうが、海外では人が結構死んだウイルスなので、その感染をほっといてる国の人間を受け入れるか?っていう。無理やろ。
オリンピック開催できたとして、人来ると思う?来んやろ。インバウンドは死んだままやろ。
そこんとこ叔母は考えとるんやろか?考えとらんと思うんよな。
あと二言目には「老人は死んでもいい」とかいうからってのもある。ヤバない?
いや、思うのは勝手よ。思えばええわ。医療費削減になるわとか思ってとるならそれで。けどさ、言う?それ。
老人であれ誰かの身内であって大切な人間なのに、そんなことケロっと言い切ってしまえるその神経が怖い。
「そんなことを悪びれなく言う人間が信用できん」っていう理由も相まって、私は叔母を含め「自粛しないで経済回せ」っていう人間を信用できない。
その、経済回せって気持ちはわかるわけ。お気に入りのお店あるし。つぶれたら嫌なところ。
私だって、感染者出てるけど簡単に緊急事態宣言だせとは思ってない。飲食業とか観光業の人たちが大変なことも知っとる。
けどコロナで死ぬ人間がいることだって事実。もはやこれってトロッコ問題じゃないか?どっちが正しいとは言えん。
言えんのやけど「老人は死んでもいい」みたいなことを言ってしまえる叔母は自分がその、トロッコの切り替えポイントを握らせれてることに気づいてなさそうで怖い。
もしくは、人間を人間として見てないか、びっくりするほど想像力が貧困かどれか。どれも私にとっては「ちょっとヤバイ人」に分類されるから、どういう思考をしていただいてもいいが。
白熱する叔母のことを見ていて思ったんだが、「自粛なんていらない、新しい生活様式なんていらない、経済回そう!」って言って、手軽に正義の味方気分に浸って気持ちよくなってるだけなんじゃないか?
ていうのも、Twitterで「閉店ラッシュが続いたのはバカみたいに自粛続けたやつが悪い」みたいな書き方する人見たけど、責任のすり替えがすげえなって思ってしまう。
自粛が解除になった後に外食しようが警戒して家で飯食おうがそんなもん個人の勝手なので、それで飲食店がつぶれたとして店に行かんかった人間のせいではない。
そんなもんちょっと考えりゃわかるだろうよ、って思うんだけど、責任の所在を「自粛してた人」になすりつけることで、誰かを悪者に、そして自分を正しい人間にしたいんだろうと思った。
いや、もとをたどればコロナのせいですわ。まあ政府の補償がどうこう、という主張もあるがそれはいったんおいておいて、別に店がつぶれたのは自粛してる人間のせいではない。
叔母もそういう思考回路してそう。
結局「あ~あ、だから私自粛いらないって言ったじゃん。自粛してるやつらのせいで店がつぶれました~」って言っとるヤツはそうやって正義の味方ぶってオ●ニーしとるんや。
いやいや、勝手に人のこと使ってオ●ニーすんなや。それなら自分でめっちゃ飲食店で金使って「貢献してる~~」ってエクスタシー勝手に感じといてくれ。
別に「コロナは自粛せんでいい大したことない」と思ってくれるのは構わない。
けどそれを押し付けるのは心底やめてほしい。やめてほしいがびっくりするほど人の話を聞かない人間でほんとうに困った。
騒ぐだけ騒いで満足して帰っていく。こわ。ちな母親に聞いたところ、反論して自分の意見が通らんかったら泣き出すらしい。
叔母が共通の知り合いの高齢マダムに「コロナなんて大したことないですよ~」って言ってた。
老人は死んでもいいって言ってたその口で。サイコパスか?
5Gがどうこう言いだしたらどうしような。
アナニーをやってみたいという気持ちがあっても、浣腸やローション挿入など面倒くさいし、腸を傷つけるのは怖いという思いから、なかなか実践出来ない人も多いだろう。今回は、面倒な事をせずとも、誰にでも簡単に、安全にアナニーの世界を覗く方法を教えよう。この記事は、全くのアナニー初心者向けのレクチャーである。
ペニスの快感をアナルに伝える初心者向け、ペニアナオナニーである。
ちまたでは(前立腺)は男の最高の快感である!等と言われていて、アナニーの根拠となっているのだが、それは間違いだ! 腸は元々性的快感を感じる場所ではない。繊細で傷つきやすい場所。だから、ペニスの様にディルド等で上下に刺激しても快感が出てくる事は有り得ない。そこをまず理解してくれ。だから闇雲にアナルを刺激するのは止めてくれ。大事な肛門と腸を傷つける事になる。
ではアナニーで快感を得るようになる秘密は何か?それは、ペニスの快感をアナルに(覚えさせる)事で、アナルを(性感帯)に変身させる!という事なのだ! アナル大変身である! ケツマンコの由来でもある。
その変身のテクニックを教えよう。
風呂場が最適な場所だ。用意するのはローションだけでいい。無ければ石鹸でも代用してくれ。片手はペニス、片手はアナル周辺を、両手、同じ動きになるようにマッサージしてくれ。恐らく最初はアナル周辺は全く何の快感も覚えないだろう。もし、最初から強烈な快感が湧き上がるとしたら、君は、選ばれたアナニストだったのだ。この記事を読む必要は無い。好きにしてくれ。
しかし、そうでない殆どの諸君は、ペニスの快感がゆっくりと高まるように、マッサージを続けてくれ。アナル表面の周辺も同じ様に刺激するのを忘れないでくれ。大事なのは、決して激しく動かさない事だ。あくまでも、ソフトに柔らかくペニスとアナルを刺激してくれ。 するとペニスの快感とアナルが一緒になる様な電気が流れる様な瞬間が訪れるだろう。これが訪れる時期は個人差があるのだが、ポイントは(ゆっくり、やさしく)刺激していくという事だ。それを忘れないでくれ。そして、ペニスとアナルの快感が一致した瞬間、ペニアナオナニーの超快感がやってくる!まず、初心者の君達はこのペニアナ感覚をマスターする様にしてくれ。
しばらくは、ペニスとアナル同時に刺激しなければ感じないだろうが、やがて、ペニスを少し触っただけで、アナルが反応する様になる。そして、ペニスの快感をだんだんアナルが覚えてくると、ペニスを刺激しなくても、アナルだけでペニスが勃起してくる様になる。しかし、ここまですらはたして何人のチャレンジャーが辿り着けるだろうか。
この先にも更なる快感のレベルがあるのを忘れないでくれ。究極には、このアナニーは、アナニーすら超越して、エナジーエクスタシーにまで辿り着くのである。しかし、今は、ペニアナオナニーを楽しんでくれ。これだけでも、普通のオナニーの何十倍もいいぞ。テンガなんて比べ物にならないよ。それでは諸君、頑張ってくれたまえ。
これ本当だったよ。俺50歳だけど、全然老けた感じがしないのよ!エネルギーが湧き出てくる感じかな!大事なのは射精しない事なのよ!そしてアナルオナニーだけでイク事を続ける事かな!俺の事今、変態オヤジだと思っただろ!まあ判るよ!そう思われても。だけどな、性はいやらしい事じゃ全く無かったのよ。生命のエネルギーなのよ。本来は子孫を作る事の為に、自分の生命エネルギーを分け与える儀式なんだよ。だから、あまり頻繁に射精すると命が削れるんだよ。だから、俺の様な女と縁の無い人間は、射精なんて捨てて、もっと純粋なエナジーエクスタシーを身に付けるべきなのよ。その為のアナルオナニーなのよ。そして、アナルオナニーもいらなくなるよ。幸せな意識だけで快感を感じるようになるんだよ。それが俺の様な人間に必要不可欠な(幸せ)なんだよ。結婚出来る普通の幸せを謳歌出来る、幸運な人達は、俺の事を(変態オヤジ)と呼ぶかもしれないが、それはそれで良いんだよ。俺が伝えたい相手は、俺と同じ様な奴らなんだから。世間一般の幸せから隔絶された俺達は、アダルトビデオなんかでセックスの代替をする惨めさから逃れたいんだよ。そして、それはもっと生命の根本にある(幸福感)を体感する事にあるんだよ。それが、童貞だけが手に入れられる(魔法)だったんだよ。仲間達よ、もっと性の本当のエネルギー、生命のエネルギーを探求してくれ!それは、いつでも俺達の中に存在しているんだよ!例え一生、女達に認められなくても、俺達の精子が役立たなくても、俺達の中には、素晴らしい性の生命のエネルギーが存在しているんだ!みんなそれを体験してくれ!そして、生きることを輝かせてくれ!