はてなキーワード: アフリカとは
id:chuunenh 日本では女性のほうが幸福度が高いので、労働問題を解決する必要はないという考え方。タイトルからもわかるように幼稚な考えだけど、こういう本音の人は意外と多そう。
はあ、どうやらこういう↓オヤジ共と同類に見られているらしい。
http://allabout.co.jp/gm/gc/12462/3/
社会進出する意味があって、社会進出するだけの態勢が整った女性だけ社会進出すればいいんじゃね?ってスタンスだよ。
出産する気がない人はずっと働いたらいいし、出産と正規雇用を両立させたいなら実家の親世代ヘルプを使うしかないでしょ。
正規雇用と育児の両立は無理だから、共働きの多い地域は親を活用している。 http://allabout.co.jp/gm/gc/12462/4/
託児施設などの整備は出来ないと思う。これまで通り。予算もなければ政治家にとっての利権的な旨味もあんまりないよね。
化粧品会社とか医療福祉とかアパレルとか、昔から女性が主導権を握っている特定の業界以外で
女性が既存の男性労働者よりも付加価値をつけて社会進出するには、産休育休で休んでも職場に残って欲しい人物である必要がある。
すなわち特殊な技能を持っているとか、男性よりも高学歴ハイスペックだとか、そういう人じゃないと無理じゃね?
東大京大一橋出たとか元国税庁出身の税理士だという女性に誰も専業主婦やれとは言わんでしょ。
多くの企業にとっては男性よりも女性を正規雇用しづらいのは法律諸々の事情で仕方ないことだし、
http://anond.hatelabo.jp/20140615175333 にも書いてるけど。
企業も政府も形だけ音頭は取るけど、おそらく何も変わりはしない。
女性のためじゃなくお金儲けのために企業は存在しているんだし、
ラガルドとかいうオバハンあたりからギャーギャー言われているから女性の待遇改善に政府は動いているように見えるが
そもそも総理とその取り巻き自体が何で多くの女性が出産後も正規雇用で社会進出出来ないのか仕組みすらわかっていないだろw
建前では女性の待遇を改善すりゅ!って言ってるけど、日本の偉い人の伝統「現場に投げっぱなしジャーマン」かまして終了。
現場で無茶して魔改造しまくり、上の人間は何も状況がわからないゆえに統治能力がないのが日本の様式美ってものだよ。
おそらく今のままで困っていないから変える気がない。だから男女の賃金格差は20年以上も変わらない。
アフリカの子供が飢えていると言って、助けに行く日本人は少ないでしょ?
女性が困ってようと男性は困らないし、当の女性自身も困っていないんだから。http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2473.htm
お上に女性の待遇を改善しろって言ってもおそらく変わらないから、これまで社会に進出してきた年上世代の女性のように上手く立ち回るしかないんじゃないっすか?
正直奴隷制は細かく分けるといろいろあるからアレだけど、代表的なのは異民族狩りや戦争でまけたとかで奴隷が賄われる奴隷制。比較的新しい話だと、アメリカのアフリカからの奴隷船とか有名か。これは単純にこき使うために連れてきた人たち。
もう一つが農奴。これは土地に縛り付けられた奴隷で、自分の農地がある場合とない場合がある(ある方が多いと思う)。これは元々あった共同体のような農耕社会に征服者がかぶさったパターンと、共同体的な社会の中で突出した人がでてきて覇権を握るパターンがある。為政者のテーマは「生かさず殺さず」なので、どちらにしても残酷ではあるけど、「殺さず」(搾り取りすぎない&防御)という局面を見れば、為政者にそれなりの意義はある。また農奴は土地から動かないので、「殺さず」が守れれば安定的な社会に適合的。農奴制は共同体的な要素と奴隷制としての要素が重層的になっているので理解が面倒。
最近増田でも打線組む投稿が散見されるので、マイナーどころのファミコンクソゲーで組んでみよう。
家庭用ゲーム機の出現から30数年、携帯ゲームの嚆矢となる携帯アプリの出現から10数年。クソゲーを語る文化もまた成熟しつつある。
そうした文化にこの文章が影響を与えられるとは到底思えないが、まぁ見て楽しんでもらえたら嬉しい。
擬似的な3D空間を探索するゲーム。主人公が腰の悪そうな歩き方をし、移動も遅い。上にしかビームを出せないくせに敵が横からもくる。ヒントも意味不明で音楽も気持ち悪いし壁が目に悪い光り方をする。タカラが生んだ先駆的クソゲー。
https://www.youtube.com/watch?v=tL71-Hsh9lo
坂本竜馬を操作して明治維新をおこそう。前半がアドベンチャーモードで薩長同盟を締結し、後半が戊辰戦争シミュレーション。アドベンチャーモードは中岡慎太郎が強すぎて竜馬を使うことはない。シミュレーションモードは新政府軍が弱過ぎて板垣や伊藤が隣の藩の雑兵に殺されるレベル。そして何故か生きて戊辰戦争に身を投ずる坂本。史実とは?
http://nicoviewer.net/sm4286007
糞。ゴーストバスターズのロゴがあるだろ。禁止マークにゴーストが収まっとるあれだ。あれを動かすゲームなんだぜ。これ。
https://www.youtube.com/watch?v=YxJNXahpPHc
ノストラダムスの大予言後の世界を旅するRPG。最終的に天道という実在する新宗教に帰依せよ、という結論に至る怪奇的ストーリー。宗教的、神秘主義的な世界観は独創的ですらあるが戦闘は連打ゲーであり移動は何故か恐竜で行なう。1989年という時代性、今よりももっと精神や信仰や信奉というものが身近だった、すなわち「オウム」以後に忌避されるようになった若者のスピリチュアルなものへの傾倒の時代を象徴するクソゲー。こうした意味で、もう現れない時代性を反映した記念すべきクソゲーなのだ。
https://www.youtube.com/watch?v=H_rYG_ZM4Oo
ファミコンのパスワードは長い。特に長いものにこの『覇邪の封印』と『ドラゴンクエスト2』とがあるが、その評価には著しい格差がある。主人公に付いてる妖精の性格が悪く、ヒロインを憎悪しておっさんを贔屓する。悪徳商人を殺す王道ファンタジーRPG。
https://www.youtube.com/watch?v=aKe7yIqj4TY
すまんこれは名作だ。ゲームの歴史上、「攻撃して倒すゲーム」が主流のなか「最後まで守りきる」ゲーム。そしてかなり難しい。それゆえクソゲーと揶揄されるが、本当はとってもソリッドなゲーム。女の子はかわいいし、実際難易度も凝りに凝っている。
https://www.youtube.com/watch?v=cBmHNRZBZsY
マップと実際の道路が合っていない。マップ見ないで画面で覚えようにも、道路が変なところどうしで繋がっている。プレイヤーはマップと実際の画面とを総合して、自分の心の中でゲームの空間をイメージせねばならない。
https://www.youtube.com/watch?v=L2ABLQKHHCU
プーチンが領土欲を露骨に発露する2014年現在、再評価も求められるゲーム。なぜか水道管を東京モスクワ間で結ぶ。石油じゃねえのかよ。このゲームゴルビーあまり関係ないのにゴルビーの肖像権をロシア大使館に申請し、許可されている。なぜロシアも許可したのか。失敗すると可愛い女の子が投身自殺する。
https://www.youtube.com/watch?v=AC0IKZet0Ds
パリダカに出るために車を調達するところから始める。途中野生生物を倒したり、内戦中と思しきアフリカ国家を通る。荒唐無稽な出来なのだが、どこか「これがパリダカの雰囲気か」と思わせる説得力があるクソゲー。もちろん現実のものとは全然違うんだけど。音楽がかっこいい。
キリスト教など西洋型宗教は人は神の子であると考え、また祖先を崇拝した延長線上に神がある。
一方、東洋型の神道などでは、神は人間とは別の階層に存在すると考える。
我々がID論など西洋型の宗教観を理解しようとしても、無意識のうちにこのような隔絶を前提としていると、うまく消化できない。
これらの国では国粋主義を叫ぶことが流行しているが、その旗振り役に居るのは西洋型の一神教的価値観の持ち主達である。
彼らが「伝統」を口にしてもどこか空しいのは、彼らがそもそも東洋的な宗教観や価値体系を持っていないためだ。
アフリカへの奴隷制、中東への「ぬれぎぬ侵攻」、そして東京・広島・長崎に代表される、人を人とも思わぬ、計画的で悲惨な国際法違反行為、同じ価値観を持った西洋人同士でも果たして行ったのだろうか。
彼ら西洋人の価値観が、我々の伝統を軽んじ、書き換えようとしている、これらを黙って見て、伝統を重んじる者たちは心が痛まないのだろうか。
その国の伝統をうまく把握できない者が、困難を抱えた時に国民を一致団結させることなど無理であり、統制で誤魔化すのが関の山であろう。
大学が忙しくなったので定期的なバイトのシフトが組めなくなり、仕方がないので日雇い派遣の会社に登録して働く事になったが実に最悪だ。
基本的に糞な点を挙げると
1、働いている人間が糞。基本的に怒鳴る、キレる、等でしか人とのコミュニケーションができない人が多い。
「アレやっといて」「アレってなんでしょうか?」「んなこともわかんねえのかよ!」な感じ。
2、現場に統一されたマニュアルがない。誰かの言うことを聞いて仕事をすると別の誰かが「なんでそのやり方でやってんの!」とかキレる。
基本日雇い相手なので育てるという発想がなく、牢名主みたいな連中が我が物顔で仕切っている為行き当たりばったりにしかならない
3、それでありながら給料が非常に安い。最低自給な870円とか。しかも余計な人件費使うまいと、早く終わるとその給料分はケチをつけて払わなかったりする。
4、1~3が相まって職場にはものすごい負の空気が漂っている。
今までの週4のテレアポの仕事をつらいと感じていた自分が懐かしい。
コンビニはじめ日本の便利さってこういう奴隷産業が支えているんだとしみじみした。
そんな仕事場に電車賃すら惜しくて自転車で一時間かけて通い、食事に270円の牛丼を食ってると「ああ、俺は本当に奴隷なんだな」と思って涙が出てきて、仕事が終わるとまずくて気持ちが悪くなるのを承知で氷結果汁でも飲まずにはいられなくなる。
僕はこの生活が期間限定であることがわかっているからまだ耐えられるが、もしずっと続けなければならないとしたら本当に寒気がする。
赤木智弘が「31歳フリーター。希望は、戦争」を書いたときに左系の知識人から「それは結局体制派を利するだけの感情論に過ぎない」とか批判されたが
もしこの生活を一生続けざるを得ないとして、その時にレーニンやヒトラーでもいいが、このやり場のない憎しみをまとめ上げて指向性を与えてくれる人間がいたら非生産的なのを承知で自分はあっさりついていくだろうなとも思う。
さて先日、伊東乾先生が村上春樹を「所詮は経営の苦しい己のジャズ喫茶の赤字黒字を思いつつビールをなめつつ書いた原稿であって、しらふの本気の人間には最初からキャンてなもんで太刀打ちも出来ない」等とdisっていた。
まあご立派な環境で作ってらっしゃる伊東先生の音楽は「あっ前衛的っすね」で済ませとけばいい現世と没交渉な退屈極まりないものだとは思うけど、その一方で「人間の大半を決定する多感な10代20代をどう送ったか」が創作をする人間は非常に重要というのはうなずける点がある。
村上春樹自身がジャズ喫茶経営の経験から書いている事だが、絶え間ない肉体労働と貧困というものは人間を絶え間なくすり減らしていくものなのだ。
奴隷に仕事をやらせて哲学談義にふけったギリシャ人のように、文学なんてものはそういうのものと離れ余裕を持った人間でもない限り、難しいだろう。
肉体労働者から小説家になった西村賢太にしろレイモンド・カーヴァーにしろ例外中の例外だからこそ目立つのだ。
世の肉体労働者が心をすり減らし、アルコール等に逃げざるを得なくなりどうなっていくのかを見たければ山谷なり黄金町なりにいけばいい。
腐るほど日本の成長の為に使い捨てられた先輩奴隷たちの末路を見ることができる。
そして貧困を逃れられた人間でもその憎しみをかつての自分の同類に向ける渡邉美樹のような人間もいる。
「貧困や苦労が人を立派にする」などと言うのは自分と同じ苦しみを味あわせるためか、苦労を知らず貧困にロマンを持つ馬鹿のたわごとに過ぎない。
正確を期するなら「貧困や苦労を抜け、その苦しみを自らが相対化できるだけの余裕を持てたとき、人は立派になることもある」とでもいうべきだろう。
とりあえず、僕はこの生活で自分から余裕がなくなり、憎しみをため込んで、嫌な人間になりつつあることを自覚している。
おそらく数年間続ければ自分達最下層奴隷を意味なく怒鳴り散らしているベテラン奴隷になるのだろう。
「日本は社会の格差の増大に苦しむという。 そういう人は、電気のない干ばつのアフリカ、砂漠の続く酷暑のアラビアで、まずほんの短時間にせよ、生きてみたらどうか。 そして飢えに苦しむ人々に自分の食べるパンの半分を割いて与えるという人道の基本を体験したらどうか、ということだ。」とかほざいている金持ちの家に生まれた曽野綾子。おまえは一年くらいここで働いてみろや。
あと人道の基本ってのはお前ら持っている人間が持たざる人間に対して与えることだろうが。
お前みたいに「うちの奴隷はよその奴隷に比べて待遇がいいから耐えろ」とかいうことじゃねえ。
この十年の大学の学費の異常な値上がり、不況による仕送りなんかの減少で自分みたいな大学生は多いだろう、というか周りを見回してもたくさんいるし、学費がはらえずに脱落していった人間も多い。
そして窮状を訴えれば団塊だのバブルだので好き勝手やった連中が「甘え」だのと言い、アホな学者は「牛丼福祉」なんぞとほざき、弱者の味方のはずの左翼のみなさんは「脱成長」だのイデオロギーありきな「脱原発」なんぞにかまけててこっちを見ない。
ほんと、どうにもならねえよ糞ッタレ。
とりあえずこれからツタヤで100円で借りたアメドラの「スパルタクス」で奴隷が蜂起して主人達を皆殺しにするシーンでも見ることにする。
あと金がないっていう事について非常に参考になるまとめをはっとく。
追記
さらに追記
こんな駄目大学生が書いた文章を多くの方に読んでいただき恐縮です。
あとブコメでnetcraftさんという方のお名前が出ていましたが、その方と僕とは関係がありません。
さてこの文章を書いた意味、と言うようなものは正直特にありません。
本来なら「不況なのにシャレにならないレベルで上がった学費をどうにかしてほしい。お金持ちでない家の大学生でもある程度勉強に専心させてください。世間に対して影響力のある人が現在の若者の状況をろくに調べないで自分の脳内のみで考えた若者像で批判ですらない中傷をしないでください。」等と書くべきなのかもしれません。
ですが残念ながらこういった状況を改善しようとする意見が、自己責任だの甘えだのといった安い言葉で個人の内面の問題に矮小化され冷笑されるのをずっと見てきましたので今更そんな事を言おうとも思いません。
書いた事に意味がなくとも理由があるとすれば「主人の見ていないところで文句をたれる」という奴隷にも残された自由でストレスを解消したことと、これから大学生になろうとする人に家がお金持ちでなければ、学費と学部の選択や就活等によってこのような事態は容易に起きるという事を知ってもらえればということくらいです。
僕は自分が今している仕事は奴隷であり、心底糞だと思っていますが、所詮期間限定であり、ずっとこのような環境で働き続けて消耗し、抜け出そうという気力すらなくしてしまった人々のつらさには比ぶべきもありません(まあ脱落して戻ってくるかもしれませんが)。
ただ現状こういった労働は「無敵の人」を大量生産する工場として機能し始めていますし、その問題を社会問題として対策をとるのではなく個人の問題として切り捨ててきた以上、ツケは社会全体に回ってくるとは思います。
兎にも角にも読んでいただいたみなさん、ありがとうございました。
ここ
http://ja.wikipedia.org/wiki/MIHO_MUSEUM
と
ここ
仏所御念会
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%9B%E6%89%80%E8%AD%B7%E5%BF%B5%E4%BC%9A%E6%95%99%E5%9B%A3
実害経験者。
白昼堂々と行い何のお咎めないのがすごいよね。
その中のひとつに、「福島への差別だ」というアホな意見が数多くあったのが嘆かわしい。
あれが「差別」だと? 差別と言ってる奴こそ差別意識があるんだぜ?
差別とは、たとえば「全国にいる福島出身の子供をのけものにするような行為」だ。
もっと例を出すと、「あのエンジニアのAさんは韓国人だからレイプしそう」とか、
「バイトで入ったアフリカ出身のBさんは黒人だから危険」とか、そういう類のものだ。
決して「アフリカ旅行で犯罪に遭う旅行者が多い」という言動が差別では無い。
もう一度言う。
「アフリカで犯罪に遭った旅行者が多い」発言が差別ではなく、そこから
「あの調理場のアフリカ人留学生も犯罪起こしそうだよな」と結びつけることが差別なのだ。
アフリカで犯罪に遭った事を報告した人間が「アフリカに対する差別者だ!」と弾圧されるなんて恐怖の社会。
そもそも、「公共の損失を防ぐ目的」のために、別の不利益が生じるケースは差別とは根本が異なる。
例えば「ある地方の魚を食べると病気になる可能性がある」場合、ある地方に対する不利益よりもまず
その際に必ず「不確定な情報を流すな!」と言う人間も出てくる。
だが確実に学者が証明してくれるまで「その魚を食べて病気になった」と
非常にマズイぜ、この社会。
「え、でも低線量の放射能で鼻血出るわけねーじゃん、馬鹿か、無知野郎が」と反論する輩もいるだろう。
だが「放射能×鼻血発言=叩いてもいい」という刷り込みが強すぎて、
ここぞとばかりに正義感を振りかざして叩いた人間が殆どじゃないのか。
実は放射性物質による鼻血の可能性は完全に否定はできないんだよな。
確かによく言われる「急性障害」としての鼻血は、大量の放射線を浴びないと起きない。
福島に行くだけで「急性障害」が起きることはまず無いだろうから、「鼻血」をトンデモという人間はこの「急性障害」について言ってるのだろう。
だが、空気中のホコリや花粉に付着した放射性物質が鼻の粘膜に付き蓄積していった場合、
鼻血が出やすくなる可能性は「統計を取るとわかるレベル」である可能性はある。
この鼻血が重大な病気を引き起こすかというと、急性症状の鼻血とは違い、可能性は低いとは思うが。
ちなみに俺は2011年の3月21日〜24日くらいに10年ぶりに鼻血がドバっと出た。
会社などでは「鼻血が出た」って発言しただけでトンデモ扱いされるから絶対言わないけどね。
当然ながらこれはたまたま出た鼻血の可能性が高く、放射能と直接結びつける気はない。
こういった報告の統計を調査していって、数%ほど高くなってるかもしれない、とようやくわかるレベルだろう。
あとは、今回鼻血が騒がれたが「甲状腺がん」の問題提起がもっと行われるべきだとは思ってる。
被害の可能性としては一番大きいからね。
チェルノブイリと状況が全く同じではないが、あの事故を参考にするべきだし、この問題提起を潰してはいけない。
それと原発問題を話すときに「福島」とひとくくりにしているので、
もっと実情に合わせて狭い範囲の地域名で呼ぶようにしたほうがいい。
今いいネーミングが思い付かないが、フクイチ付近を限定した地域名をつけるべきだろう。
まぁこう言うとまた「その地域を差別する気か!」という輩も出るんだろうが、
これによって起きる農家の売上の損失などに関しては、
食べたい人は食べていいし、食べたくない人は食べなくていいし、それを批判してはならない。
そしてそれによる特定地域への損失は、東電か税金による補填でされるべきだ。
俺が言いたいのは以上なんだぜ。
みんな信じたい情報を信じる、それでも構わないが、
「公共の損失を防ぐための問題提起」自体を潰す社会なんて、糞だろう?
■追記
というのも俺や俺のまわりで当時、鼻血が出た人間がいるからってのもあるとは思う。
わたしが小さい頃、母はわたしをこうやって諭したり慰めたりした。
「世の中にはこんなに不幸な人がいるんだよ。それに比べてあなたは恵まれてるのよ。」
テレビでアフリカの貧しい人が映った時、湾岸戦争の時、駅の柱の下にうずくまっていたホームレス…。
わたしの家は貧しかった。父はわたしが生まれた直後に亡くなり、母はわたしを女手ひとつで育ててくれた。そのことは、本当に感謝している。何の技能も持っていない女が、社会に出てお金を稼ぐことの難しさを、わたし自身も社会人になってから身に染みて実感することができた。何度も心がくじけそうになったのだろう、そしてその度に母は上の言葉を自分にも言い聞かせていたのだろう。今ではそれがわかる。そうやって自分を奮い立たせ、わたしを育ててくれたのだ。
でも、当時のわたしはその言葉を聞きたくなかった。辛く悲しい気分になったからだ。自分より下の人間を見て、自分の幸福を噛み締める。では、もしわたしよりも恵まれている子(クラスの大抵の子はそうだった)が、わたしを見て同じことを思っていたら?
わたしに向けられた強烈な蔑みの目に、その架空の目に幼いわたしは怯えざるを得なかった。
「レナードの朝」という映画がある。原題は「Awakenings」といい、嗜眠性脳炎という不治の病を扱った実話にもとづく映画だ。数十年間昏睡状態にあり、石のように固まってしまった嗜眠性脳炎の患者たちに、新薬のL-ドーパを与えたところ一時的に意識を取りもどすが、次第に薬に対する耐性ができてしまい、また昏睡状態にもどってしまう。L-ドーパによって数十年ぶりに朝を迎える患者たちの”目覚め”と、この平凡で退屈な世界に対して驚き感動する患者たちが、周りの人達に与えた”目覚め”、この二つの”目覚め”が原題の複数形たるゆえんだ。
わたしはこの映画そのものはとても好きなのだが、ふたつ目の”目覚め”が言わんとするメッセージに、どうしても違和感を覚えてしまう。自分より不幸な人を見て気づか”された”幸せは、本当の幸せと言えるのか?もし幸せという状態があるとするならば、それは相対的なものではなく、絶対的なものでなくてはいけないはずだ。
2年前に早くして亡くなった母へ。
あなたの人生が、他の誰にも邪魔されることなく、幸せなものであったのなら嬉しい。だってわたしは、あなたの娘であるというだけで幸せなのだから。
板越ジョージ『結局、日本のアニメ、マンガは儲かっているのか?』 当事者から見るアニメビジネスの問題点とは?
http://blog.livedoor.jp/toratugumitwitter/archives/36671006.html
要するに
1、マーケティング
2、知的財産
3、ナショナリズム
1、マーケティング部門が弱い。マーケティングにかける金が少ない。
>アメリカでは、制作スタッフとマーケティングスタッフの割合は3:5。対する日本は、7:1。
だそうだ
つーか、アニメに限らずサッカーもそうだし(日本代表のユニフォーム欲しいと海外で言われたことあるが、サイトが無い)、日本の伝統的なものもそうだけどな。着物とかもっとマーケティング部門ガッツリ国で力入れたりしろよ。もうアメリカのマーケティングの専門家呼んできてガッツリ関わらせろよ。
>エンターテインメント関係を専門にしている弁護士は2万人もいる(アメリカは弁護士多すぎると思うけど)。対して、日本は知的財産を専門にする弁護士はやっと1000人ほど、と言われる。
つーか、海外で勝手に字幕つけたアニメの視聴サイト作られてるなら、日本で自前でサイト作れよ。あと、違法ダウンロードとかでやられるなら、iTunesでいいから売れるようにしろよ。iTunes出来てからどれだけ違法ダウンロード減ったと思ってるんだ。まあ、アダルト関係駄目だから、しずかちゃんのパンツとか見えるアニメなら自前でサイトでも何でもプラットフォーム作って売れよ。SonyでもNTTデータでも何でもいいから国と協力して作れ。iTunesだと結構Appleに利益持ってかれるだろうが、Appleは違法行為とかは見逃さないから安心はできるだろ。
3、ナショナリズム
要するにポケモン映画が売れすぎて興行ランキング一位とか取っちゃったから、やべえ!と危機感もたれて、人気が下火になったら売り場を削られたと。まあ、まずはネット販売でいいからさ売れよ。DVD,BDだけじゃなくてグッズとかさ。販売店はAppleみたいに足場作ってからだろ。順序間違えんな。サッカーの例だが、公式サイトでユニフォーム注文すれば世界中に届くからな。割高でな。好きなら多少割高でも買うんだよ。
アニメ売れないとアニメーターの給料上がらないし、アニメーター辞めると技術が無くなるだろ?給料ガンガン上がるまではいかなくても、食費と家賃はアニメ会社が負担できるくらいになると理想だな。アニメーターが住む、寮的な。一階はアニメグッズやら原画置いて一般人から金取って、二階から上は居住区で。
なんというか、アメリカと、、あとはイタリアかな?そこらへんがブランドイメージだったりマーケティングだったりめっちゃ上手いんだから、そこからノウハウもらって日本の評価もらってるものを売り込めよ。
ああ、完全に忘れたけどマンガもな。英語だけでいいから販売しろよ。アフリカカバーするならフランス語。南米カバーするならスペイン語ポルトガル語。まあ、とりあえず英語だけでいいからまず頑張って売ろうぜ。
まあ、こんなとこでいくら書いても、何も変わらないけどな、金持ってる奴が政治家に働きかけたり実務を行なう官僚なりがその気にならないとな。アニメ会社もつまらないアニメ量産するなら、マーケティングに人を割け。成功したらだいぶ変わるぞ。あー何とかならないかなー。マジ日本人、商売下手くそ。
普通の人が、昔ながらの小さな個人商店(お花屋、雑貨屋、ケーキ屋、など)を開いて、のんびり仕事をする事が出来ない。
普通の人がどんどん貧乏になるから、そうした個人店で物を購入する事ができなくて、大量生産格安の大型店でしか物を買えなくなる。
で、大型店の経営陣に巨万の富が一極集中する。この悪循環をどこかで止めないと世界は崩壊すると思う。
言いたいことは分かるが、タイトルに「幸せ」とかいう曖昧な言葉を使うから、本来言いたいこととは関係ない批判がいっぱい飛んできているように思える。こういう議論をするとき「幸せ」とか言うワードを使ってはいけない。
幸せかどうかはともかく、個人商店が成り立たなくなって、amazonとかイオンとかに一極集中、寡占状態が進みつつあるのは事実。そして、これが長期的に世界の崩壊を招く可能性があるというのも、決してありえない予想ではない。
オートメーションとITによって仕事がなくなり、失業者が溢れる社会は、急にはやってこなかったが、確実に進行している。たとえば、普通の会社でネットビジネスをやっても、amazonが扱うような商品を扱っている限り、コスト面でamazonに太刀打ちできない。これは、「ソフトウェアはコピーのコストが低い」というものすごく基本的な事実に由来している。ビジネスの多くがIT化されると、規模が力となり、弱小勢力は淘汰されるようになる。イオンがITを使って経営を物流を効率化している傍ら、中小スーパーはそれよりも何世代か前のシステムで効率の低い経営をせざるをえない。
こうした中、寡占が進み、人々の「労働」が大きな変化を強いられるのは間違いないだろう。新石器革命や、産業革命を誰も止めることができなかったと同じように、この流れはもはや誰も止めることができない。こうした流れが、新しい形態の経済への緩やかな移行を意味するのか、劇的な世界の崩壊を意味するのかは誰にも分からないが。
模造品ビジネスのことだけじゃないぜ。
いや、それだって凄いけど。
たとえば、中華系企業が役員とか顧問とかにアメリカの元政治家を起用するとかさ。
そんでもって下請けのブラック企業とそこの労働者まるごとアフリカに輸出して、開発援助の見返りに独占契約っていう名の資源強奪とかさ。
しかもそれが元国営企業だったとか聞くと、もうクラクラするよ。
死刑囚つかって新薬の臨床実験とかやってるのって、アメリカと中国くらいだろ。
既存のジャンルでこれだもん、ITとかバイオとか、前例も法も追いついてない分野でアメリカ企業対中華系企業のガチ喧嘩がみれると思うと胸熱だよ。
※以下に書くことはサッカーファンにとってはほとんど常識と言って良い内容だが、そこまでのサッカーファンでない、日本代表の試合くらいは見るけどJや海外サッカーまで追ってないような人たちのために書いている。
日本代表の長友が所属していることでもおなじみのインテル・ミラノというクラブ(一応断っておくが、半導体屋のインテルとは無関係。インテルナツィオナーレ=英でインターナショナルの意)には2014年1月現在、イタリア人が4人しかいない。
というのを聞いて「えっ、セリエAって外国人選手でもいくらでも獲得して良いの?」と思う人がいるかもしれないが、そうではない。
ボスマンという選手が移籍を巡って提訴した裁判の判決が1995年に出て、「EU内での労働者の移動の自由」はサッカー選手にも適用されることになった。
だからそれ以降、セリエAやリーガ・エスパニョーラに存在するのは『外国人枠』ではなくて『EU外選手枠』に改められた。
逆に言うと”EU加盟国の選手であれば外国人でもいくら取っても可能”ということになり、2010年にはとうとうイングランド・プレミアリーグの試合なのに両チームでピッチに立っている選手にイングランド人が1人もいない試合という事態も発生した。
『インテルに多いのはEU出身者じゃなくてアルゼンチン人じゃん!』という話は後で触れる。
とはいえ、ここまで来ると『チームのアイデンティティとは何か』という概念にも関わってくる。スポンサー料や放映権料も重要だが、クラブチームにとっては入場料も決して無視できる収入ではない。
そして、入場料を一番多く払い、あるいは国内向けの放送を熱心に見てくれるのは、自分のクラブを『おらが街のクラブ』として長年応援し続けてくれる人たちだ。
(余談&完全に増田の私見だが、この『おらが街のチーム』として熱心な固定ファンを掴むのに最も成功している日本のスポーツチームは、プロ野球の阪神タイガースである)
そういう人たちが『外国人ばかりのチームでは自分たちのチームと思えない』と思うのは地域密着の理念から当然のことであるか? それと排外主義の差別主義者か?
少なくとも簡単に答えの出せる問題ではないし、『自分たちのクラブと思えないから”自分は”スタジアムに行かない』というのを止める権利は誰にもない。
だがそんなことが多く起こるようになったらサッカーの将来にとってあまりプラスにはならない。スタジアムに観客が少ないとやはり盛り上がりに欠ける。
そういうわけでここ数年「ホーム・グロウン」という制度ができた。欧州のカップ戦(チャンピオンズリーグおよびヨーロッパリーグ)に登録できるシニア(22歳以上)の選手は25名までで、
そのうちの最低8人までは、21歳までに3年間は『自国内のクラブに所属した(≒育てられた)』選手でなければならない。国籍で問うとEUの判例に引っかかるので『育った場所』を基準とすることになった。
チャンピオンズリーグやヨーロッパリーグに出ないクラブには関係ない(プレミアリーグのように、同様の制度を自国で用意したリーグを除く)が、
資金力が小さくヨーロッパのカップ戦に届かないクラブほど自国出身選手が多いのが常なので問題は少ない。
これも「EUの理念」からは後退なのかもしれないが、「地域に根ざしたスポーツクラブ」という理念からはむしろ正常化とも言える。
とはいえ、アメリカ大陸やアフリカやアジア出身の選手から見れば『EU外選手枠』の中で争うよりは『EU内のどこかの国の市民権持ち』扱いになった方が色々と有利なのも確かだ。
そういう時に有効活用(?)されるのが先祖の血統だ。南米やアフリカの選手の場合、先祖を少したどればどこか西欧の国に行き着くことは珍しくない。
そういう場合は血縁を理由に先祖の国の市民権を取得し、代表は変えず(というかFIFAのルール上変えられない)にEU内選手として潜り込むということが多い。インテルにアルゼンチン人が多いのはそういう理由だ。
日本や韓国の選手はそういうことが基本的に出来ないから不利ではある。ハーフナー・マイクや酒井高徳はもしかしたら可能なのかもしれないが……。
少しFIFAのルールに触れたが、現在のサッカーではA代表(年齢制限のない代表)で試合に出たら他の国の代表として試合に出ることはできない。
オリンピックだと、前の大会で卓球の中国代表として出場していた選手が次の大会ではアメリカ代表として出ていたりするが、サッカーでそれはできない。
もちろん、ユーゴスラビアのように国そのものが分裂した場合は別である。クリミア出身のウクライナ代表選手(いるのか?)の扱いはどうするのかな。
今度のブラジルW杯ではウクライナ代表としてしか出られないと思うけど。
逆に言うと、『A代表で試合に出ていなければ』2つ以上の国を天秤にかけて代表を選ぶこともできる。
マンUで香川真司からポジションを奪ったヤヌザイはアルバニア、ベルギー、イングランド、トルコ、セルビアの代表になる可能性があるらしく、先日ブックメーカーが賭けの対象にしていた。(※2014年6月追記:その後ベルギー代表を選んだ)
ヤヌザイの系図についてはよく知らないが、そういうこともあり得る。
(ちなみに以前カタールが『代表に選ばれない程度の、ブラジル人などの有力選手(カタールとは縁もゆかりもない)』
に声をかけてカタール代表にし、手っ取り早く代表を強化しようとしたこともあった。流石にFIFAがそれをさせないルールを作ったが)
だが一方で、フランスが若手の育成組織を整備して1998年にW杯を制して以来、どこの国でも多かれ少なかれ”サッカー選手の育成”に金をかけて取り組んできた。目的はもちろん、自国代表の強化だ。
そんな中で上述したような『南米やアフリカと、EUの国の多重国籍』の選手が、必ずしも自国の代表を選ぶとは限らない。
2000年前後にトルコが強かったのは、『ドイツで生まれたトルコ移民の子孫が、トルコ代表としてプレーする』ことが多かったからだ。
最近ではドイツ代表にもトルコ系の選手が出てきたが、今度は”国策育成の本家”フランスの方で問題になってきている。
2011年、フランスサッカー協会の技術委員会役員が『アカデミーに入れるのは白人を中心とし、黒人やアラブ人は25%以下に抑えるようにできないか』と委員会で発言したことがリークされて物議を醸したが、
そのような発言が出るのは委員個人が極端な差別主義者だったからではなく、『フランスの金で将来のフランス代表として育成したのに、最終的には母国のアフリカ諸国の代表になる』
選手が無視できなくなってきたからだ(もちろん、だからといって許される発言ではないが……)。
アフリカ諸国の協会とEU諸国の協会ではEU諸国の協会に金があるのは成り行き上当然のことであり、最終的には才能なのかもしれないが育成のために金があった方が効果的なのは事実だ。
そんな中で協会としては『アフリカの協会は欧州の金で育てた選手に”ただ乗り”している』という被害者意識が出てきている。
あるいは国が抱える民族問題の縮図のようなことが代表チーム内で起こることも今後増えることはあれど減ることはないだろう。