はてなキーワード: アフリカとは
「ブラック企業の経営者はサイコパスのキチガイで、社会の敵。」
という風潮についていけない。
「ブラック企業を叩かない奴は悪だ。」とでもいうような
そりゃあ、実際にブラック企業で働いてる人は大変なんだろうけど、
どうにも身近にある切実な労働問題として考えられないんだよな。
むしろブラック企業が存在することによって、安く服が買えたり、
安く居酒屋で飯が食えたり、安くエステに通えたり、そっちの方が
庶民が毎日毎日安い牛丼食えて助かってるわけで、「働いてる人が大変」
というだけで、悪と断罪して本当に良いのか?
ブラック企業の経営者は悪人なのか?どうにも、そう思えないんだよな。
小数の人の苦しみで多数が救われてるなら、それは一つの善だろ。
ブラック企業の生み出す価値は、日本の大切な福祉で、シングルマザーの味方で、
年金じじいの友。
これを今更なくすとかありえない。(すき家の牛丼値上げしちゃった……。)
日本人は貧しい国を搾取してるけど、それについては見て見ぬふりしてるじゃん。
アフリカの資源とか格安で手に入れてるじゃん。それと一緒だろ。
アフリカのとある途上国では、救援か何かで訪問してきた先進国の人間たちを神様だと思っていたとの話があるね。
キリストも、当時その国より文明の進んだ外国から来たおじさんかもしれないよ。いろいろ困ったことをなおしちゃったから、これはすごいぞ!と。そして、現地人や伝聞によって尾ひれはひれついていった。
意図的に権威づけして、儲け話(聖地化して土産屋とか宿屋とかが儲かる、聖書を印刷・流通・販売する人も、彫刻家・教会などの建築家も、講師(=牧師)も)につなげたり、自分の権威や国威発揚に利用した連中もいただろう。お釈迦さんについても、草場の小さな密教みたいなものが国威発揚に利用されて、仏教としてここまで大きくなった経緯があると専門家は言っているようだし。
モーゼもムハンマド(モハメット)も、ごく常識的かつ高度な知識や技能をもつ人が実在していて、おみこしとして担がれていったのではないかな?
と私は思いますね。
なんかやけに必死だけどさ
差別の意図があったかは本人に確認しないとわからないけど、相手がフロンターレであるならば、差別ではない様に思う。フロンターレとバナナは縁が深い。http://www.frontale.co.jp/diary/2013/1114.htmlを見てもらえればわかるかと
差別の意図があったかは本人に確認しないとわからないけど、相手がフロンターレであるならば、差別ではない様に思う。フロンターレとバナナは縁が深い。http://www.frontale.co.jp/diary/2013/1114.htmlを見てもらえればわかるかと
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差別の意図があったかは本人に確認しないとわからないけど、相手がフロンターレであるならば、差別ではない様に思う。フロンターレとバナナは縁が深い。http://www.frontale.co.jp/diary/2013/1114.htmlを見てもらえればわかるかと
海外の事例からも「アジア系/アフリカ系選手にバナナを持ち出して猿扱い」ってのが人種差別にあたるのは既に周知のことで
いくら川崎とバナナに関わりが深かろうが、「ハタから見てそう見えたらアウト」だと思ったからマリノス側も迅速に動いたんでしょ(浦和のこともあったしね)
この後も他のニュースサイトにこのコメント付け続けんの? スター貰えるかどうかの実験か何か??
id:mfigureさんもなかなかどうして
http://suminotiger.hatenadiary.jp/entry/2014/08/07/112306
http://b.hatena.ne.jp/entry/suminotiger.hatenadiary.jp/entry/2014/08/07/112306
の話。
「夫が妻にお茶を入れさせる光景なんて見た事ないからそんな発想がなかった」「お茶に呼び掛ける声だと思ってた」
って人が増えたのは、時代が変わったという意味では良い事だけども、
リアルで見た事が無い世代でも「かつてそういう時代があり、おーいお茶のネーミングはその時代のその光景が由来である」と言う知識は一般教養の範疇だろ。
それを知らないのは、決して自慢げに語るような事ではないよ。
少し前に「アフリカの貧しい国の少女は学校に行かず12歳くらいで結婚・出産する」と言うのは
「アフリカの少女はDQNな怠け者なので、勉強を嫌がりさっさと専業主婦になって遊びたいと考えるから学校に行かず早く結婚する」からだと思っていた人を見て
そりゃ日本に住んでいれば「アフリカの貧しい少女」の現実を実際に見た事がある人は殆ど居ないだろうけど、
それでも「アフリカの少女が学校に行かず早婚早産な理由」はそんなもんではないという事は一般教養として知っているべき常識だろう。
でも世の中にはそれすら知らないのもいるわけだ。
ある意味アフリカにおける貧困や差別の方が日本人からすると他人事なせいか、日本におけるそれより語られる事が多いのに
それすら知らないって事は、当然「おーいお茶」も知らないんだろうなあ。
上のブコメで
「おーい、生活費」「おーい、金」と専業主婦の妻に言われて怒らない男だけが、「おーい、お茶」論争を叩けば良い。「言われなくても生活費が出てくるのが当然なのに出てこないので怒ってる」妻ね。
と言うのが人気コメになっている辺り、これで上手い事言い返してやった!と思っている人が多いようだけど、
現実ではその時代の専業主婦が「おーい、生活費」「おーい、金」などと夫に言ったらぶん殴られて終了だと言うのも知らないらしい。
この手の話題に必ず付くこの手のブコメは、「本人も無茶苦茶言ってるのを分かってるけどとにかく言い返したいから書いてる」だけだと思っていたけど、
マジレスすると社会維持できなくなるかアフリカ化するかじゃなくて、生産力に比べて多すぎる人口を、維持できなくなって今のアフリカがあるんだけどな。
白人社会だった頃、家畜扱いで増やされた彼らは、自身で生産力を維持できるノウハウを奪われていた。
差別を解消して独立した途端、多すぎた人口を維持できなくなってぐちゃぐちゃになった。
http://anond.hatelabo.jp/20140709171128
今は、外資系金融と言うところで働いている。そういえば、おれが新卒のころは金融系でこんな記事ばっかり見た気がするなとも思う。金融日記とかそういう胡散臭いのがあって優秀なほにゃららは日経じゃなくて外資行けみたいなノリが嫌いだった。
世界は金融バブルでゴールドマンサックスのトレーダーがUSD100milのボーナスをもらったとか話題になっていた。
大学同期で外資系金融に行った奴もいたななんて思い出す。俺は、何だか胡散臭くて信じられなくて日経金融に行ってしまった。あぁ、新卒で外資入っていれば、もうちょっとボーナス貰えたかもしれないのにななんて今は思う。
俺は、そのあと日系が肌に合わない気がして転々として最後に外資系金融に来た。はっきり言って、俺が入れたところなんて超弱小企業だ。きっとはてなの人たちならば俺の貧相な文章をみて察してくれるだろう。でも、年収は1000万以上は貰っている。来年クビになるかもしれないわけだけれどもw
で、業界は違えどバブルを味わった後の業界にいる身として、バブル後の外資の生活についてとかを淡々と描きながら、この記事に書かれている日系企業との違いについて話してみたいと思う。
ていうか、給料高くなかったらやめた方がいい。
ちなみに、外資系は2社目だが最初の会社は給料が高くなかったから辞めた。「いつか給料を上げるから」と最後まで言われたけれども俺は信じられなくなった。
今の外資系の流行は、安く雇える人材をどこまで騙して安く使い倒すかと言うことなんだと思う。金を貰える奴らと言うのは、大体がバブル前入社組でそれなりに会社にとって重要なポジションで、いなくなったらビジネスを閉じる必要があるとかそう言う奴らになっている。そう言う奴らは、稼いではいなかったりもする。稼いでいない置物みたいな存在だけれども、居なくなるとビジネス閉じるの面倒だからと言う理由で生き残っていたりする。そして、稼がない奴らのために、稼ぐ若者は労働力を搾り取られて、日系並みの給料で働かされたりする。
就労環境をよくするか否かは自分次第だと思う。WFHとかカッコよく言っているけれども言い方変えれば、24時間どこに居ても仕事が付きまとうということだから。会社に居残りさせられるよりはましだと俺は思うけれども、夜中の1時とかにメールの対応をするのは辛いときもあるよ。取りあえず、上司にも部下にも誰にも彼にも言っているが、給料がそんなに上がんない今は、時間当たり賃金を上げる最大限の努力をするために5時帰りを目指すと公言している。
グローバルな人材ってなんじゃ?多分、グローバルに一番多くて世界中で働ける人材ってアフリカあたりで農業やっている人なんじゃないのかな?この人の言っているグローバルと言うのはアメリカ系企業で働ける人材と言うだけだと思う。または欧州系企業か。
まあいいや。グローバルと言うのは欧米系企業だけだとしよう。そう言う奴らは、裏を返すと、日系では働けなくなる。これはガチでそうだよ。俺、日系で働いてたけれども、もはや戻ってあそこの派閥争いだの誰の学歴がどうだのと言うのを覚える気力がわかない。それに、最初から日系行っている奴の中にしかエリートコースは生まれないもん。欧米系で働いてキラキラネームが付きましたとか言っても日系に戻ったら部下の反感を買ったり、上司の反感を買ったりする。そうして退職していく人たちを最初に居た日系企業でいっぱい見てきた。日系企業から見たら中途なんざ人柱だからね。
でも、外資系も海外の人材のほとんどは人柱だと思う。外資系の方がみんながみんなして自分は人柱だという意識があるから、あまりエリートコースだの人柱だの意識しなくなる。その点は楽だと思う。
ようは、シリコンバレーっていうところがバブっているんだと思う。だからいいところしか見えなくて夢の国に見える。
>ちなみに念の為に言っておくと,リストラもない.数として0ではないが,よほど仕事しない限りない.
こんな文章を見ると、本当にいい環境なんだと思う。逆に言えば、こいつは不景気をまだ知らないだけだと思う。優秀だとか優秀じゃないとか関係なく、会社が傾けばレイオフは来る。レイオフされるのは給料が高すぎる奴と優秀じゃない奴。基本的には、マネージャー以外の高給取りと新卒が切られる。で、余った仕事が中堅どころにやってきて、中堅は給料上がらないけれども負担が増える。ごくたまにマネージャーが切られることもあるけれども、こういう時は下っ端としては途方に暮れたい気持ちにもなる。
と言うわけで、嫌な話ばかり書いたんだけれども、個人的には、若い人若くない人どちらも共に、是非ともやりたい環境で頑張ってほしいと思う。
景気が悪くなって、金融バブルが崩壊した今となってはどう考えても日系にいた方が安定はしただろうなと思うけれども、外資系に行かないとできないことはいっぱいあったし、これはこれで悪くないと思ってはいる。不安定だし、不満はあるけれども。でも、そういうネガティブなところを分かったうえで、何をやりたいのかをはっきりさせて勝負するべきだと思う。
あと、外資じゃなくて、日系に居る人でスーパーマンみたいな人はいるよ。でも、うまく組織が生かしていないこともある。じゃあ外資系が活かしてくれるかと言うとそうでもないんだけれどもさw あ、逆に外資に居る人みんながスーパーマンじゃあないからね。
ただ、何を学ぶとか得るとかと言う意味ではどちらも同じぐらいの素晴らしい環境なんだとは信じている。あとは、何をやりたいのか、そして自分が今いる場所があっているかどうかだけだとも思う。俺も外資系来てまだまだ短いわけなんだけれども、嫌なことにいっぱいあったけれども、やりたいことをやれてよかったと思うし、新しく目標が見つかった気もしている。
日系だろうが外資系だろうが、シリコンバレーだろうがベンチャーだろうが、自分がやれることやりたいことを是非チャレンジしてほしいなと思う。
そういった目に見える世界は、大きく7つにわけられる。
アメリカ、中国、インド、ヨーロッパ、アラブ、アフリカ、南米だ。
それ以外はまあ、誤差みたいなもんだ。
インドはパキスタンと揉めがちだし、アフリカと南米は相変わらずの貧困状態だ。
世界はまだ美しくはない。
信念は規律に繋がり、規律は暴力を抑制するが、暴力無くしては理念は貫けない。
世界は殴り合いを続けながらそれぞれの信念に基づく正常な状態を目指している。
結局のところ、誰も殴りかかってこなければ、正当防衛の権利など必要無い。
目指す理想無くしてはそこへ向かう階段はつくれないし、魔法を唱えても階段は出来ない。
多大な時間と、恐らくは相当な犠牲を伴って、信念を基に長い石階段は作り上げられる。
そして、無情な時間は記録しない物事を押し流し、今ある事物から物語は逆算される。
例えば、日本ですらガンディーが非暴力を主張していたことは知られている。
しかし、インドは世界でも有数の軍事力を持ち、そしてその当初から構成員は志願制だ。
「ガンディーは国家を独立させた偉大な人物だが、夢想家で非現実的」というのが、
インド北部におけるインテリ層の多数を占める意見だと聞けば、驚くだろうか。
さて、日本が少子高齢化社会だということは、概ね同意を得られるだろう。
第二次世界大戦が終わりベビーブームが訪れて以降、一貫して合計特殊出生率は右肩下がりだ。
人口置換水準と呼ばれる「人口が減らない基準」を、1974年以降ずっと下回り続けている。
より正確に言えば、丙午の反発を含めた、いざなぎ景気期間ですら、ぎりぎり上回っていただけだ。
団塊の世代が思い描く古き良き昭和の時代も、全体の出生数が多く、個人の出生率は低い。
改正高年齢者雇用安定法で、企業は定年後も年金支給までは人を雇い続ける事が義務になりました。
政府は、投票権を含む成年の定義を引き下げて、18歳以上にしようとしています。
国立大学法人化から10年、国から給付される大学の予算は減り続けています。
貸与奨学金の実態は学生ローンと変わらず、悲惨な現実が増えています。
国際比較で日本の15歳の学力レベルは、トップクラスを誇っています。
一家族に子供が3~4人で当たり前な社会にするには、裕福な生活に慣れすぎた。
目の前には、人口が減り続け、大学が増え続け、膨らみ続けた大学生250万人が見える。
憲法第九条は、フィリピンの憲法と同じく戦争放棄を宣言しているし、
侵略戦争を放棄したスペインやフランスと同じく、我々は平和を求めている。
アイスランドやコスタリカも日本と同じく常設の軍隊はなく、武力を持たない。
だから国連に明記された集団的自衛権についての報道で、徴兵制を懸念する声を上げたくなる気持ちは良く判る。
だが、山頂にある寺院に向かう石階段は、赤鬼が一晩で作り上げたのではない。
多大な時間と、恐らくは相当な犠牲を伴って、信念を基に長い石階段は作り上げられる。
政府はいつから短時間労働者の果たす役割の重要性が増大していると言っていた?
「アメリカは間違ってる」なんて言ってどうすんの。
それに、アメリカ内にだって賛成派と反対派はいるし、本当に意味無い戦争だったら、政権倒れてアメリカ自体「アメリカ間違ってた」になるじゃん。
つまり戦前への回帰、過去の戦争犯罪の否定、太平洋戦争の正当化、改憲による平和憲法の撤回、自衛隊の軍隊化を目指す国より、
アフリカやヨーロッパにばんばん金を落として味方につけて、アジアの周辺諸国を自国の秩序に組み込みつつある国のほうが有利と。
「つまり戦前への回帰、過去の戦争犯罪の否定、太平洋戦争の正当化」これは俺も反対ね。靖国参拝とか反対。
過去は反省しつつ、中韓にも「ごめんなさい」っていいつつ、他国と同様の権利は行使できるようにして、経済だけでなく軍事面でも協力できる国を増やすのがいい。
ニコニコしていればよいと昨日夫にも言われた。
でも私の性格は親しみやすくも愛嬌もない。あまり意識していないけれども、平均的女性より性格も堅く暗くて重いんだろうと思う。
美容院で沖縄の特集を見た。キラキラした明るい海が眩しかった。
でもそういうのは私の性格に似合わない。
私は何か黒い海とセイウチやオタリアみたいな海獣と、無愛想な海鳥しかいない、強風のあまり樹木もないような寒冷地の島が似合うんだろう。そうに決まってる。
子供の頃は、親は私のイメージがアフリカと言っていた。象やライオンやキリンみたいなのが闊歩する動物番組がすきだったから、この子はアフリカに行くような子だと。
ごめんねお母さん。私ちょっと違う子に育ったらしい。というか、着目してたとこがずれてたみたいよ。多分私は人の手が加わらない荒々しくハングリーな野生が好きだっただけで、アフリカはどうでもよかったのかもね。
今更ながら、どうでしょうアフリカ編を最後まで見た。一応最新作ということでいいのかな。もー、これはどうしようもない駄作。全盛期に比べて近年の企画がまぁそんな面白くないというのは感じてたんだけど、今回はそういうレベルじゃなく、もうケタ違いに面白くない。もしかすると信者たちはどうでしょうはゆるさがいいんだからこれはこれでいいんだなんて言うのかもしれないが、ダメだよクソはクソだって言わなきゃ。これはどう考えても普通の、どこの地方局でもある、普通につまらない番組でしょう。初期からずっと見てきた大好きな番組なのに残念すぎる。あまりにつまらなかったんで途中で見るのをやめたかったんだけど、一応最後まで見ないで結論づけるのもどうかなとおもって、何度も興味を失いながらもなんとか最後まで見た。
どうでしょうの面白さの重要な要素の一つにディレクションが素人な点にある。むちゃな企画、スケジュールの詰めの甘さ、普通のスタッフなら行う事前調査やロケハンなどをしないスタイルが行く先々で想定外のトラブルをうみ、それが大泉のぼやきのねたになったり、ケンカのくだりに発展したり、視聴者の予想を超える展開が起こってきた。
ところが今回は、企画やコーディネートをプロが担当した、というか丸投げしたと番組の中で語られている。その理由は不明確だったが、これが本っ当に大失敗だったと思う。プロがしっかり企画しちゃってるんだから当然動物も絶景も見れるし、それによるトラブルやケンカも起こらない。出演陣も見慣れない絶景を見せられてただすげーすげーと連呼するしかない。絶景を前に出演者は感動するものの、相変わらず撮影のテクニックや機材はないもんだから、視聴者にはいつものホームビデオなみの映像をみせていて、これがものすごい温度差。正直言ってアフリカの動物っていうのは生で見るから感動的なんであって、視聴者にとっては他の番組でもっと鮮明な映像たくさん見てるんで散々見飽きてるわけ。この温度差はほんと致命的で、見ていてどんどんしらけていく一方でした。こういうところは2秒くらい使ってばっさり切る、とかさ。そのくらいの初期の編集やってほしい。アフリカ行ったのに動物の映像全くないとかさ。そういうくらいじゃないと。
コーディネータがついた企画は今までもあったと思うんだけど、企画の部分はちゃんと自分たちで考えないと、こういうことになる、ということをご本人たちにわかってほしい。最近のあの4人は、とにかく4人が集まれば、企画が何であろうとなんか面白い方向にころがっていく、と思っているように感じるんだけど、そういうことじゃないということに今回で気づいて欲しい。企画から丸投げするならロビンソンみたいな人にお願いするとかじゃないと。
そんなわけでもー今回は1回1回の30分が本当に長く感じた。これまでのどうでしょうなら「え、もう終わっちゃうの?」「早く続きがみたい!」って思ったものだけど、今回はまだやるの?みたいな感じ。感覚としては友人が作ったホームビデオを延々見せられているような退屈さに近い。ただのアフリカ旅行記。本の宣伝のくだりとか1,2回やれば十分じゃないの。床屋に行くっていう冒頭の展開も意味分かんないままだしさ。こういうのも使うのは2秒だけでいいよ。あーもう細かいこと言うときりがないのでやめる。全編通して俺がちょっとクスッとしたのはミスターがカメレオンを頭にのせたシーンのみでした。
番組内でもう40や50にもなって無茶できない的なことを藤村が何度も言ってたけどさー、はっきりいってそのくらいの年齢でむちゃやって挑戦して面白いもの作り続けてる人はたっくさんいるっつーの。アホか。勝手に老けこんでないで、もう一度面白いもの見せてくださいよ。次つまらなかったら俺はもう見るのやめるよ。