はてなキーワード: 携帯とは
メタボ解消のため思い切って20万超えのカーボン製ロードバイク買った。
楽しくて毎週走ってるけど、ある程度快適に走ろうと思って周辺のツール等々そろえていくと、思っていた以上に金がかかった。
ざっと挙げても以下のとおり(実際はもう少し細々としたものも買ってる)
■ウェア類
ヘルメット \25,000 (命を守るため)
サイクルキャップ \6,000 (ヘルメット取ってもカッコ悪くならないように)
財布(ナイロン製) \1,300 (普段使いの革の財布は汗でボロボロになるので)
グローブ \1,000 (手の平が痛い)
ジャージ \6,700 (なんとなく)
シューズ \19,000 (速く走りたい/遠くまで走りたい)
サイクルコンピュータ \6,000 (モチベーション維持のためGPSでどこ走ったか見たい)
サドルバッグ \3,200 (予備チューブ等を携帯するため)
SPDペダル \6,500 (速く走りたい/遠くまで走りたい)
鍵 \8,600 (盗難防止、軽くても丈夫なやつ)
ベル \4,900 (道路交通法対応、見た目ダサくならないやつ)
■メンテナンス用品等
グリス \900 (ペダル交換のため)
合計で 15万弱
幸い、独り身で自由に使える金はそこそこあるので大きな問題はないんだけど、こんなに金かかると思わなかった。
ロードバイク乗ってる人ってだいたいこんな感じなのかな?
「うちの両親がやたらと一緒に観たがってさ。僕はそこまで観たいと思ってないのに」
「あ、あた、おれもそんな感じ。『タメになる』とか、『あなたにとって、いいものだから』とか何とか……」
しかし物語だとかキャラクターについてだとか、アニメの内容に関することではなく、それを観ている親についての愚痴に近かった。
「まあ、あれって如何にも女子向けって感じだしな。俺たちが観るもんじゃない」
「あ、あれ……意外だね。タオナケは好きそうなのに」
「私、その言い方すごく引っかかるんだけど、どういう意味なのかしら? 女子の大半はああいうのが好きだと見くびってるわけ? それとも私個人に対するイメージの押し付け?」
「おいおい、ドッペルにそういう絡み方してやるなよ」
こんな調子で、本来想定されているであろう層への評判がイマイチという状態だった。
「私、うまく言えないんだけど……あのアニメって大人の顔色うかがいながら作ってる感じがするの。しかも……うちのママみたいな一部の大人の顔色」
明け透けにモノを言うタオナケが、なんとも歯切れの悪い言い方をしている。
「な、なんか変な感じだね。子供よりも大人の方が熱中してるだなんて……」
「いや、むしろそのせいだろ。大人がマジになればなるほど、俺たち子供はヒくんだよ」
弟の指摘がどこまで的を射ているかはともかく、実際『キュークール』の子供ウケはお世辞にもいいとはいえなかった。
しかし大抵の子供は、そういったリアクションを上手く伝える術を持たない。
俺も弟たちも、『キュークル』の面白さがイマイチ理解できないでいた。
観ている人がいるってのは分かるし、彼らが何に熱中しているかってのも表向きには分かるんだけど。
こうして大人と子供の間で意識が剥離していくなか、『キュークール』は“流行って”いった。
父の周りでも、やや特殊な状況ながら『キュークール』の話題は盛んだった。
だけど、少し状況や認識が違う。
「『キュークール』の15話、ネットですごい話題のようですね」
「そうらしいな。オレは何が面白いか分からんので観ていないが」
「シューゴさん、監督なんですから話題の作品はチェックしといた方がいいですよ。そもそも、観なければ面白いかどうかも分からないでしょ」
「理屈なんていらねえ。オレくらいになると、観なくても面白いかどうか分かるんだよ。オレが観たいと思えない作品はイコール面白くない、これが名実。他の奴らがどう思うかなんて関係ないね」
「……まあ、個人の自由なので結構ですが、それをインタビューとかで誇らしげに言うのはやめてくださいね。分かる気もないのに、分かってるようなことを言ったらまた火傷しますよ」
父の職場はアニメのスタジオなので、同業の話題には注目せざるを得なかった。
「あ、お二人方、おはようございます。『キュークール』の15話、すごかったですねえ。1話から出ていたモブキャラが満を持して変身を……と思いきや、まさかの拒否。『誰でも魔法少女になれる』っていうコンセプトのアニメで、あの展開をやるなんて。個人の自由意志を尊重しているというメッセージが、これでもかと押し寄せてきますね!」
だが、それを抜きにしても同僚のフォンさんは格別だった。
作品の動向をチェックしているというよりは、ただファンになっているようだった。
「ワタシ感動しちゃいましたね。とうとう子供向けアニメも、ここまで来たかと。感動のあまり『キュークール・クーラー』買っちゃいましたよ。ほら、魔法の力で、いつでもどこでもチョー涼しい! これでもワタシも魔法少女!」
夫が不倫している。もうずっと。
夫は毎日のように飲み歩いて、たくさんいるセフレとデートしてた。
性欲を他で発散しても、一番大事なのが私ならそれでいいと思ってた。
こっそり携帯見てる。全部見てる。
付き合ってる当時、結婚したいって言ってもなかなかしてくれなかった。
そうこうしているうちに、夫はひとりの女の子に恋したみたい。
若い、かわいい子。乃木坂にいそうな子。乗り換えられちゃうと思って焦った。
結婚してって大泣きした。
気づいたらセックスレスで4年も経ってたけど、結婚したかった。
困りながら引きつりながら、婚姻届だけ出してくれた。
夫はまだ、恋してるあの子と会い続けてる。
毎日LINEしてるし、旅行も行くし、毎週平日と、土日のどちらかはデートしてるみたい。
努力家で、天真爛漫で、明るくて、そんな子身近にいたら恋、するよなあって思う。
私のことは、尊敬できる同居人みたいな感じだってこの前言ってた。
それでもいい。
私はよく忘れ物や落し物をする。昔からよく携帯や弁当箱を忘れたり落としてきたりしては親や友達に叱られていた。
それでも忘れたり落としていたものは必ず戻ってくる。ん?あ、いや、そうじゃない。必ずじゃなくて戻ってくることが多かった。だった。
なんで多かった、と過去形なのかはこれから説明というか少し話すと。
最近私は財布を落としたか忘れたかはたまたどこかに置いてきてしまった。
四月の後半にどこかにやってしまった財布は未だに謎のままだった。電車かバスで落としたか、それとも盗まれたか。
私は財布を無くした。
大事なものがいくつか入った財布は、警察に電話しておいたから見つかったら届くはず。なのに見つからない。今までならもう見つかってもおかしくないのに。
胃が痛い。辛い。
なんというか油断大敵。
こういうのって治るんでしょうかね。
書いてる今も涙が止まらない。
よくボーっとするからケガもする。
この間は足をくじいて、指を刃物で傷つけて。これは心の病気なんでしょうかね。
なんかよくわからないし、すごい涙は出てくるし。
まるで子供みたいですね。もう大人なのに。荷物1つに1GPSってか。これはお金がかかる。でもここまでしないと出来ないぐらいもう自分はヤバイのかもしれない。
財布1つで私は今すごい泣いています。
大事な財布なんです。
とりあえず、見つまみかったらもう泣かなくなるかな。とかなんとか考えながら寝ます。
もしここまで私のぐちゃぐちゃした文を読んでくれた人がいたら、ありがとうございます。もし読んでいやな気持ちになったらごめんなさい。
それじゃ、またいつか。物を無くしたりするのには気をつけて。
河原の大きな石をひっくり返したような、汚泥にまみれた実話です。
だというのに今の私は、まさにその"面白くない"社会人になってしまいました。
私のゴミみたいな半生が少しでも皆さんの娯楽になれば、ちょっとは報われるかもしれません。
私はこの4月から晴れて新卒で一般企業に就職する事になりました。
しかし、訪れた新社会人としての生活は、想像を遥かに凌駕する程過酷なものでした。
人間の悩みというのは、将来、人間関係、金、の3つに集約されるそうです。
経済的な問題で否が応でも家から近い公立の高校に進学しようと本気で勉強した、その程度の事が一番辛かったと語れる程ぬるま湯に浸かったようなこれまでの人生の中で、人間関係に悩まされた事など一度も無かったのです。
私は人と話す事が好きな部類の人間でした。
希薄な人間関係を築くのは割と得意な方で、逆に関係を持続されるのが極端に苦手。
進学や就職で環境が変わればまた新たな人間関係を構築すれば良いという発想の私にとって、離れた環境の友人と無理に関係を継続するというのは、意味の無い事に思えました。
薄く広い淡白な人間関係、典型的な連絡先だけ沢山持っていて本当の友人が1人もいないタイプの人間です。
私が入社した企業は、業種も考慮すると今時珍しいくらいに体育会系の人間ばかりで構成されていました。
自分に甘く、ストレス源となるようなものから逃れ続け自分の生きやすい環境だけを構築してきてここまでやってきた私のような人間にとって、呑みの席というのは甚大なストレスになります。
私も流石に1年目の社会人のはしくれですから、毎朝入浴して身だしなみを整え清潔感を心掛けて毎朝出勤していますし、幸い人前で喋る事も然程苦ではないタチなので明るく爽やかな印象を持ってもらえるように自分を偽っています。
スーツを着ている時の自分は完全にスイッチが切り替わっているので、会社にも上司にも従順な人間でいるのですが、流石に「呑み会の出席率」のお話を訊いた時は笑顔が曇ってしまいました。
入社1年目はどんなに仕事ができなくても、呑み会の出席率で社内の心証が大分変わってくるから、呑み会には絶対来ておいた方がいいよ、という旨のお話。
ふざけるな、と思いました。
ただでさえ業務時間外の中、自由参加という体の惰性みたいな呑み会に無理矢理連れてこられている身分なのに、まだ私を拘束したいのか、と思いました。
入社歓迎会だとか、社内の行事であれば流石に意図を汲んで参加しようと思うぐらいの社会性は持ち合わせているつもりでした。
先輩方が何の気もなしにする発言一つ一つが、刺さってしょうがない呑み会であった事をよく覚えています。
私がスーツを着ている時に演じている人格が私の素であれば、先輩方の言葉は全てありがたいアドバイスです。
しかし私の根はどうしようもない程の"陰"。
実際、全て私が悪いのは分かっているのです。
社会的にどちらの方が正しいのかは明白であり、会社行事でも呑み会でも優しくもてなしてかわいがって頂けるこの環境をありがたく思えない私が悪いのです。
ただ私は上昇志向だとかそういった意識の高い言葉とは無縁な人生を歩んできたので、ギラギラした先輩方と同じ卓で美味しいお酒は呑めない。
その日の晩、ギラギラした先輩と沿線で分かれるまで電車でご一緒し、最寄り駅に着いてから私はずっと死ぬ事を考えていました。
Bluetoothイヤホンから流れるMOROHAが、かつてない程遠く感じていました。四文銭の最後の熱いメッセージでさえ、もう二度と私に向けて歌ってくれないのだと理解しました。
そこから抜け殻みたいに出社してなんとかGWを勝ち取り、山形まで先祖の墓参りに向かったり、気を許せる数少ない親友に誘ってもらって遊びに出掛けたり、引きこもってゲームしたり、好きに過ごして今に至ります。
「皆辛いけど、乗り越えてきたんだから」
なんて、色んな人に言われてきました。
他の皆が乗り越えられるから、私も乗り越えられる保証なんてどこにもないのに。
"辛い"なんてのは平均でしかなくて、研修から既に優秀で何の苦労もせず頭角をメキメキ表している友人だって、まして辛すぎるあまり誰にも相談できず電車に飛び込んだ同志だっている筈なのに。
自分の抱えている悩みや葛藤なんていうのは後ろ向きなもので、聞く人が多かれ少なかれ不快な気持ちになってしまうのを理解しているので、仲の良い友人であればある程話せないものです。
私を心配して送ってきてくれるLineだって煩わしくて、でも折角気を遣って送ってきてくれた文章だしな、と返信を考えているうちに休憩時間が終わって、また仕事が舞い込んできます。
その内全てがどうでもよくなって、携帯に入っている全ての連絡先を削除しようと思って、そうしてしまえば私が生きてきた意味が一緒に全部消えてしまうみたいで消せなくて。
そんな自分が情けなくて、使いもしない117の人脈を眺めて、それに縋るしかなくて。
私は4月に社会人になってから、死に対して真摯に向き合っています。
でもあと一歩が踏み出せなくて、こんなどうしようもない袋小路でも無職になって親に縋るよりはマシだと考えると環境を変えるのすら怖くて、退職届1つ提出できずに、自分で死ぬ事もできず、多分明日もミイラみたいになりながら朝6時に家を出ます。
死にたがってるのに行動に移さない人たちの「死にたい」は、「生きていて幸せになりたい」と同じ意味だと思っている。
と言っていて、腑に落ちてしまいました。
死にたいです。
死にたくないです。
幸せになりたいです、
私は一体何のために筆を取ったんでしょうか。
こんな惨めな人生を笑ってやってください。
誰か私を救ってください。
3일
3日目
日本でいうところの令和2日目。
光州の朝は晴天だ。
香港で見た夢は習近平と麻生太郎が出てくるというぶっ飛んだものだったが、光州で見たのは同僚に「韓国旅行どうでした?」と聞かれて「良かったよ」と答えるという現実的なものだった。
今の所、インプレッションは上々だ。
今日はまず光州で起き、映画「タクシー運転手」のテーマにもなった民主化運動の記念碑が立つ、5.18記念公園に向かう。
オシャレだが簡素なhotel stay 53では朝食もない。
行きすがら何か食べようと、街を歩くが、朝9:30の光州では空いている店もまばら。歩いている人も多くない。
やっぱりノンビリした街だなぁ。
韓国ではキャッシュカードやT-money、普及中のバーコード決済でキャッシュレスが進んでいるという。
光州の街は人口で言えばちょうど京都市と同じくらいなのだが、緑が多さと人口密度の薄さを考えると、札幌市の印象に近い。
しばらく歩くと公園に到着した。
民主化運動の聖地というが、緑豊かな市民の憩いの場という感じで、丘状の公園の中腹にある人場では、設置された宙に浮いて足踏みをするタイプの運動器具でオバちゃんが健康づくりに励んでいた。
予想外に日常的で平和な光景に少し驚いたが、公園をグルリと一周すると、3人の男性が宙に手を伸ばす民主化運動のモニュメントに出会った。
筋骨隆々としていて、さすがにちょっと理想化されてるんじゃないかと思ったが、その自由を求めて闘う表情には迫力があった。
中に入って一瞬目を見張った。
この闘争で亡くなった人か。
平和な光景の地下に、この日常を目指して亡くなった人たちの記憶が眠っている。
さすがに空腹になったので、近くの店に入ってソルロンタンで昼食をとる。
オバちゃんの指摘は優しく控えめな感じだった。
エネルギッシュな印象のある韓国人だが、光州の人はどこか柔和な感じがする。
8000ウォンを支払い、歩いて行けそうなカラフルな集落、「青春発散村」に向かった。
20分ほど歩くと、川沿いの坂道にカラフルな集落が出現した。「青春発散村」だ。
坂道に張り付くような民家がカラフルなペンキアートで彩られている。
らしいと言えばらしいのだが、パステルカラーの家々ではどう見ても普通に生活が営まれており、どでかい少年のコンクリ像のすぐそばの家からは小学生程の少年が飛び出してくる。
学習塾か何かだろうか?
メルヘン大盛りの集落で少年時代を過ごしたあの子達は、どういう記憶でこの日々を振り返るのだろう。
路線番号518
当初の予定には無かったが、時間的に間に合いそうだったので、光州事件の犠牲者が眠る5.18民主墓地に向かう。
外国の市内バスは何が何だかわからないのだが、このバスに限っては間違いようがない。多数の路線の中でただ1つの3桁ナンバー、ズバリ518なのだ。
緑豊かな山の上に、モニュメントが建っている。
天を衝く槍のようなその下に、民主化に立ち上がって倒れた人々が眠る墓があった。
仄暗い空間を見渡す限りの壁一面に、額に入った遺影が並べられていた。
歩いたし、衝撃も受けたので腹も減っている。
コーヒーでも飲みながら友達とSNSで話そうかと思ったが、夜に早い光州のこと、急がないとまた行きたい店が閉まってしまう。
バスを降りてすぐに光州松汀駅に向かった。
途中、T-moneyカードをチャージしよう思ったが上手くいかない。
身振りぶりで行き先を示すと、切符の買い方や乗るべきホームまで教えてくれた。
相手が何語だろうと自国の言葉で臆せず押し切るのは、万国共通のオバちゃんフォームなのかもしれなかった。
俺は一体この旅行記で何回「オバちゃん」というワードを書いたのだろう。
店に入っても日本語メニューなどは無かったので、壁のハングルを指差して注文、相手はもちろんオバちゃんだ。
やがて、10皿ほどの小皿おかずと、牛モツ煮込みスープ、山盛りの青菜がやって来た。
やがて焼きたてのトッカルビがやって来た。
小皿のキムチなどをつまみながら、トッカルビを青菜に包んで食う。
トッカルビは肉の味なのか、一緒に練りこんだ調味料の味なのか、少し甘い。
いい意味で見た目通りの味がする。
そしてキムチは辛い。
全羅南道のキムチは辛いと聞いていたが、辛さのアタック力が日本で売られているキムチとは違うし、もっとシンプルな味がする。
韓国人からしたら、日本のキムチは辛くない上にしつこく感じるだろう。
テーブルに乗せられた料理は一瞬圧倒されそうな量だったが、空腹のためか、ついでに頼んだビールの作用かどんどん食い進めることができた。
食の都といわれる光州、これだけ食えば上出来だ。
いきなりすぎて今でも信じられない。
その事実を受け入れた瞬間、すべてが過去になるから受け入れられない、みたいな屁理屈をこねている。
だってもう死ぬまで会えないとか全然信じられない。こーやってぐちゃぐちゃ言ってたら、おーごめん、そんなに心配かけた?とか平気でメッセージ送ってきそう。
だってついさっきまでそこにいたし。ちょっと長い旅に出てるだけで。携帯水没させたとかなんかで連絡取れないだけで。
ふだんべつにいつもその人のことを考えたりしてない。むしろまったく。(ごめん)
たまに会う時、連絡する時、フェイスブックで見かける時とかそのくらい。
でも、他のことも全然考えるし普通に笑えるしごはんも食べれるし夜も寝れる。テレビも面白いしラインだって返せる。
だから。考えるだけ考えて、悼んだら忘れちゃう。それが嫌だから認めて過去のことにしたくない。
過去のことだいたい覚えてられないもん。もう会えなくなる君のことをいつまでもちゃんと覚えてられないと思う、私のちっぽけな脳みそと心じゃ。だってそういう冷たい人間だもん。薄情な友人でごめん。
でも勝手だけどいきなりいなくなった君に責任があると思ってる。いなくならないで欲しかった。おじさんになってお腹出てハゲたりしていくのを見るもんだと思ってた。結婚してこどもの話とかしたりさ。たまーに会って仕事の愚痴とか言って、俺はこう思うよとかさ、まじめに言ってくれたり。バカなことして周りを笑かしたりしてるのを、しょーもないなって笑いながら見てるはずだった。
ずっとそこにいると思ってたから、ただただわがまま言ったり愚痴言ったり振り回したりとかしかしてない。
思い出すのはいつも私が自分勝手なことしてるときそばにいてくれたこと。
不安な時自己嫌悪に陥りまくってる時、無理すんなよとか頑張れ!とか俺は信じてるよ、とかいつもどストレートに言ってくれた。私はただただ自分のことしか考えてなかったけど。そんで、照れ隠しで、いつもまともに受け止めることすらできなかったけど。ありがとう、とか、どれだけ助けてもらったか、嬉しかったかとかちゃんと伝えたこと一度でもあっただろうか。
結局今もなんでかわからない、全然理由も聞かなかったけど、いつも気にかけてくれていたと思う。
適当なやつに見えて、めちゃめちゃ懐が深くて、人に優しくて。案外かなり面倒見が良くて。どんな人でも、なんだかんだまっすぐ向き合ってて。結構いいやつだった、一本筋が通ってて結構かっこよかったの、本当は知ってたのに。面と向かったときは、からかうようなことしか言えなかった気がする。
付き合わない?って言われた時、なんか意味不明な理屈をつけて、ばっさり断ったことがある。
あの時私はそれがお互いのためだと思った。
自分に向けられる好意に戸惑って、調子に乗って、自分が良いように利用する姿しか思いつかなかった。付き合ったりしたら自分が嫌な人間になると思った。好きかどうかわかんなかったけど気になる人もいた。
今でもたぶん出す結論は変わらないけど、それを言ってくれた彼にそもそもちゃんと向き合えてはいなかったんじゃないかと今は思う。自分の恥ずかしさいたたまれなさとか謎のプライドが勝ってて、真正面から気持ちを聞けてなかったんじゃないか。そのあとも、ずっと気づかないふりしたり、向けられてる優しさも誤魔化してはぐらかしたり乱暴な言い方したり。
ずいぶん前のことだから今は付き合ってる人とか好きな人がいたかもしれない。そのあと、付き合っている人がいたのは聞いたし。
でもだからと言って切り捨てたり、気にかかるのをやめたりはしてなかったんじゃないかな。自意識過剰上等。
そう考えてみると、ほんと、実は甘えまくってるよな、としか思えない。
なにひとつ返せてないよ。そもそも返すつもりも、こんなことになるまでなかったけど。
なんかよかったところしか思い出せないのも癪にさわる。
べつに聖人君子でもなんでもなく、普通の生身のただの男の子だったのに。
もっとダメなとこ迷惑かけられたこと思い出すでしょ、ふつう、生きてる人間なら。美化してしまってるとしたら、もう会えないことを認めてるからなんじゃないのか。
恋愛的な意味で好きだったわけではないと思う。でも別に好きな人とか友人とかそういうカテゴリ以前に、君の場所にいれるのは君しかいなかった。しいて言うなら、めちゃくちゃしても最後まで味方してくれる戦友、感情表現が苦手な私が下手くそに甘えられる人、というか。本当、都合のいいことばっかり言ってて自分が嫌になるけど。
あーー生きててお互いもっといろいろあって、そんな過去のことなんてうわーそんなことあったよな、なんでそんなこと言ったかもはや思い出せないわとか言えるくらい風化してどうでもいいことになっててほしかった。むしろお前そんなん気にしてたのかよ、意識しすぎ、今俺めちゃめちゃ好きな人いるし、くらい上から目線で言われるくらいでよかった。
こうやって整理することですっきりなんかしたくない。穴を埋めたりなんかしたくない。
でも吐き出さないとこの複雑な気持ちごと忘れてしまいそうだ。ほんと、薄情な人間すぎるな。
ばーーーか。
早く帰ってこいよ。聞きたいこと話したいことたくさんあったのに。良い話なんかにしたくないんだこっちは。
俺はSONYカメラ信者だからSONYカメラ信者の戯言だと思って聞いて欲しい
「今のSONY製カメラはカメラ市場で覇権を得てる」んですよ!最強なんです最強!
フラグシップの大きなイメージセンサーを持つフルサイズミラーレスα9を筆頭に、フルサイズでミラーレスありながら小型の高性能機α7RⅢ、そしてフルサイズ普及機のα7Ⅲ
APS-Cミラーレスに目を向ければ画質や携帯性、コストパフォーマンスの高いα6500やα6400があり、更にもっと安いα6000がデジタル一眼の入門機としてライナップされている
そしてコンデジでは元増田も詳解してくれたRX100Ⅵがコンデジ界で無双をしている状態。今のライバルなんて全く方向性の違うRICOH GRⅢですよ?ライバルっていうよりもコンデジ界を盛り上げる盟友ってなもんです!
更にコンデジのライナップには「事実上のアクションカム化」と言われている超小型コンデジのRX0Ⅱがあるわけですよ!
ビデオカメラだってハンディカムFDR-AX700を筆頭に、FDR-AX100、FDR-AX60、FDR-AX45があり、すべてが空間光学式手ブレ補正搭載かつ4K動画撮影可能っ!
正統なアクションカムのFDR-X3000やHDR-AS300にも空間光学式手ブレ補正が搭載されてるんですよ!他のアクションカムはデジタル手ブレ補正なので画質が下がっちゃうがSONYは下がらない!
月120円の掛け金で、外出時に携行品が破損したり盗難にあったら10万まで金がでるって保険。
「これ掛ければiPhoneのアップルケアいらなくね?落としてガラス割ったときの修理代とか10万以下だよな」
と思ったけど、よく読んだら携帯とか通信機器は対象外って書いてあった。
うまい話ってないな。
iPhone 3GSが日本で発売されて以降、カメラ市場(特にコンパクトカメラ市場)はスマートフォンに搭載されるカメラに苦戦を強いられてきたという現実がある。
ただ実は昨今、スマホカメラからカメラ専用機へ回帰するユーザーが徐々に増えているのをご存知だろうか。
スマホカメラの利点と言えば誰しもが想像するであろう「1つのデバイスで撮影から編集、そして他のユーザへシェアすることの出来る総合力」が挙げられる。
いわゆる"写メ"に代表されるガラケーの頃から培われたこのソリューションは、ライトにカメラ撮影を楽しむユーザーを多く取り込み、市場を(現在も)席巻しているというのは常識的であると表現しても過言ではない。
スマホ登場以降のカメラメーカーの誤りを挙げるのであれば「ユーザーは画質をシェアしているのではなく思い出をシェアしているのだ」という現実を見ず、スマホよりも高画質であることを喧伝することへ終始してしまっていた。
この流れが変わるのは奇しくもカメラメーカーの努力のみではなく、ユーザーの需要の形態に変化が起きたからであった。
何を切っ掛けにユーザーの需要は変化したのか?と言えば、それは"Youtube"や"SNS"へのシェアだ。
Youtubeへ動画を投稿するユーザーが増え、様々な環境や目的でのカメラ撮影を考えたとき「スマホカメラでは性能不十分である」という気付きがユーザーの中で起きた。
明るい環境でも暗い環境でも何が起きているのかを伝えたい、小さなグッズをより良く見せたい、より画角を自由にコントロールしたい、そんな需要から明るいレンズやマクロ、広角に対応できるカメラ専用機に需要が起きたのだ。
更にこれまたiPhoneが示したポートレートモードに代表される美しいボケ味を常に得たいという需要も起きた。
スマホカメラは間違いなく進化している。より手軽により美しくより幅広い表現力を少し前のスマホと比較しても得ている。
しかしながら"一歩先"を意識したユーザーがカメラ専用機へ目を向けた際、カメラ専用機の進化幅はスマホカメラのそれを圧倒していた。
そもそもを言えば、例えばスマホカメラで高画質と評価されるiPhoneやGalaxy、Xperiaで採用されているイメージセンサーはSONY製であるというのはカメラ業界では有名な話である。
そして昨今急成長を遂げた中国新興スマホメーカーでもSONY製イメージセンサー採用がユーザーの購買理由になるほどの流行を生んだ。
そんなSONY製イメージセンサーである裏面照射CMOSのExmor Rや進化型である積層型CMOS Exmor RSはカメラ専用機にて先行採用されスマホへ技術転用されるという流れを持っている。
手ブレ補正も顔認識オートフォーカスもスマイルシャッターもカメラ専用機が先にあり、昨今のムーブメントを起こしている顔認識オートフォーカスの進化型である瞳オートフォーカスも新型Xperiaで採用されることが予告されているが、これもカメラ専用機で採用されているものだ。
つまり、スマホカメラの未来のスタンダードはカメラ専用機にあり、一歩先を意識したユーザーがカメラ専用機の進化に新鮮な驚きを示している。
カメラ専用機は邪魔という意識もGoProがアクションカメラというジャンルを開拓したことにより低減されつつある。
アクションカメラというラフに扱っても良い安心感と、小型なのに驚くほどスムーズな手ブレ補正は、カメラ専用機を経験してこなかったユーザーにとって敷居を大幅に下げる役割を持った。
SONY RX100Ⅵは前述した積層型CMOS Exmor RSを採用し美麗な画質を得つつも、コンパクトカメラの小型さ、自撮りも可能なフリップ可動液晶、光学ズーム、光学手ブレ補正、瞳オートフォーカス、価格が熟れてきた4Kディスプレイに対応した4K HDR動画撮影、ハイアマチュアユースのRAW静止画やLOG動画撮影が可能というコンパクトカメラなのに全部入り。
更に言えば、女性が嬉しい美顔モードを搭載している上、撮影したデータはスマホ連携機能により無線接続でスマホへ保存できる(流石に有線接続よりは遅いが写真数枚撮って転送程度ならばそう待たされる感覚もない)。
重ねてしまうが昨今のカメラ専用機において特筆すべきなのがスマートフォン連携機能であり、撮影したデータはスマホへ無線転送できるので、片手にカメラ専用機、片手にスマホなんていうことが起きないようになっている。
「Instagramのあのアカウントのキレイな写真をどうやって撮っているのか?」という疑問への解答はココにある。カメラ専用機で撮って無線転送してスマホでシェアしているのだ。しかもそのカメラ専用機は小さなカバンにも入るコンパクトカメラ。
こんなムーブメントをリードしたのは一体どこのカメラメーカーなのだろうか?
前述した通りカメラメーカーの努力のみではなくユーザー需要が変化したからであるが、その需要へいち早く反応したのがPanasonicであり、Youtube専用機とまで言われたPanasonic LUMIX GH5だ。
GH5はコンパクトカメラではなく、ミラーレスデジタル一眼と呼ばれる従来よりも小型化されたレンズ交換式デジタル一眼だが、面白いのはビデオカメラではないのに動画撮影機能を意識したデジタル一眼であるという点。
4K動画撮影機能や自撮りも出来る可動液晶を備え、ビデオカメラ以外では難とされていたデジタル一眼の4K動画撮影ではありがちな熱暴走を抑える優れた放熱性能を持つ(デジタルカメラは熱暴走すると撮影が自動停止する)。
GH5が登場した時期はヒカキンなどで注目され始めていたYoutubeが盛り上がっていく時期と重なっており、Youtubeという需要へ上手くマッチしたのだ。
これを見た他のカメラメーカーも自社デジタル一眼製品の4K動画撮影機能を採用または既に採用していたカメラメーカーは強化するという選択を迫られた。
それでもデジタル一眼は写真機という意識を強く持ってるカメラメーカーは多いが、カメラメーカーの大御所であるキヤノンはEOS KISS M、フィルムメーカーの富士フイルムはX-T100、SONYはα6500やα6400で4K動画撮影機能や自撮り可能な液晶を備えている。もちろんスマホ転送可能だ。
そんなムーブメントに、よりライトなユーザーを対象とするコンパクトカメラが追わないはずがなく、前述したSONY RX100Ⅵやキヤノン PowerShot SX740 HS、ニコン COOLPIX A1000、コンパクトなミラーレスデジタル一眼カメラPanasonic LUMIX GF-10などがムーブメントを体現している。
GH5でも注目したPanasonicのビデオカメラでは可動式液晶へ可動式サブカメラを搭載させたワイプ撮りやマルチカメラ撮りに対応しておりコレもYoutube需要へ訴えかけている。
SONYハンディカムはレンズ自体がグリグリと可動する空間光学式手ブレ補正によって手持ちして全力で走っても驚くほどブレない映像を得ることができ、激しいシーンをフレーミングするユーザーに高い評価を得ている。
空撮を一般ユーザーの手中にしたDJIのドローンシリーズ、VRにも対応した360°カメラのRICOH THETAシリーズやInsta 360シリーズはそもそも撮影時のフレーミングという束縛からユーザーを開放させた。
決してスマホカメラの需要は無くならないだろう。無くならないどころかカメラ撮影のメインストリームは今後もスマホカメラのはずだ。
しかし、スマホカメラが席巻してきた需要の一端がカメラ専用機へ回帰し始めていることをキャッチアップしないと時代に乗り遅れることは間違いないと強く表明したい。
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現在のVLOGで人気の一端を担っているデジタル一眼はGH5であることは間違いない。
これはヒカキンを代表に一部の人気Youtuberたちが使っているからだ。
しかし、VLOGで使われているのはGH5だけでなく、それこそiPhoneやGoProも使われており、他にはOSMO Pocketと呼ばれるジンバル一体型小型ビデオカメラも使われている。
画質へこだわりのある層はGH5の後継機であるGH5sへ移行している。
更により画質へこだわりのある層はGH5sよりも画質的に有利なSONYのα7Ⅲを使っている。
α7Ⅲを使っている層はハイアマチュア以上だという認識で間違いない。最早VLOGとは言えない映像作品レベルのものを公開しているビデオグラファーに採用例が多い。
最近は手軽にVLOGを撮るという需要から携帯性や画質とコスパを考慮してCANON KISS MやSONY α6400が使われるようになっている。
コンパクトデジタルカメラならばSONY RX100Ⅵがなかなか強いが、4Kが撮れて自撮りできるコンデジならば様々に選ばれている印象はある。
ただ、VLOGで最も使われているカメラは間違いなくiPhone、そしてGoProだ。
VLOGを頻繁に撮影しようと考えるようになってくると動画撮影のためiPhoneのバッテリ残量が気にかかってくる。
カメラ専用機を導入すると当然ながらiPhoneのバッテリ残量を気にせずとも良くなる。
そこでカメラ専用機を(ググったりして)最初に検討へ挙がるのがGoProであることが多いのだ。
GoProはアクセサリが豊富で自撮り棒は当然あるし、自動車や自転車、バイクにマウントできたり、ヘルメットへマウントすることも可能であり、カバンへのマウントや自身の首へネックレスのようにぶら下げることだって可能。
しかもGoProはiPhoneやiPadとの連携にも強い。専用アプリがあるので撮影中の映像をiPhoneやiPadでリアルタイムプレビューすることもできる。そのまま編集へ移行することも可能。
自身の撮影スタイルへ合わせやすいのでGoProが選ばれやすい傾向にある。
「GoPro女子」なんていう言葉を見かけた時は「またカメラ業界のごり押しか・・・」と怪訝さを持ったものだが、個人的な感覚では「半分嘘ではない」くらいの印象。
海や山、観光地などへ行くと確かにGoProを構えている女子は居る。圧倒的にiPhoneの方が多いけれど「まぁ・・・嘘ではないかな?」と思える程度には居る。
このような状況なのでiPhoneやGoProと比較するとGH5は人気がないと言って良い。
GH5は人気Youtuberを志す極一部のユーザーから一種の神格化を受けている印象がなくもないのだ。
GH5にはGH5sという後継機がある上に、後継機であるGH5sよりもKISS Mやα6400の方が設計が新しいので、GH5信者か特定のYoutuberへ憧れを持っていない限り旧世代のGH5を選ぶ理由があまりないのである。
従って「GH5が人気」なのはVLOGをやっているユーザーの中でも極一部のユーザーに人気ということになる。
これからVLOGというか「動画による思い出の記録をしたい」と考えるのであれば候補として以下を羅列しておくので検討に活用して頂きたい。
○一番お手軽
○高画質デジタル一眼
上記は単純に「4Kで撮影できて自撮りがしやすい」という独断と偏見的な基準で抜粋したもので、上記から選んでおけば大きな失敗はないという程度のもの(撮れるっちゃ撮れるけど思ってたのと違ったくらいの失敗はあるだろうが)。
つまり、自撮りを考えなければ他にいくらでも候補は挙がり、例えばBlackMagick PocketCinemaCamera4Kのようにデジタル一眼の形態を持ちながらも動画撮影へ強くフォーカスした製品もある。
別の増田がホームビデオ=VLOGと表現していたが大幅に間違ってはいない。語源はVideoLOGだがビデオBLOG的な感覚の言葉なのだからオシャレである必要もなく、BLOGで書きたいことを書いたようにVLOGで撮りたいものを撮れば良い。
妹に対する束縛がひどい(携帯を確認する)のもなんだかなと思ってたけど、暴力ではなくモラハラ泣き落とし系なので鬱陶しいけど無害だろうと思ってた
が、妹が母の実家に子供連れて遊びに行く、というイベントに自分が誘われなかったからと拗ねるというのはどうなんだ
嫁の実家というだけで普通は面倒なのに、嫁の親の実家に行きたがる神経も理解できない
100歩譲って行きたいという気持ちを理解したとしても、嫁の血縁の集まりに誘われないことが仲間外れと感じる発想も、参加を遠慮しない発想も分からない
自分だったら配偶者の親の実家との親戚づきあいなんて行く理由もないし、誘われたところで気遣いを感謝しつつも辞退する
まったくの部外者である自分が混ざっても楽しくないし、あちらも負担だろうと思うからだ
しかもそれくらい不参加で当たり前の場に参加したいと主張する方法が 拗ねる であることが何より面倒くさい
「結婚式に来ていただいたおばあちゃんのお宅だよね、久しぶりにご挨拶差し上げたいので」とか
「嫁ちゃんが2人の子供の面倒見るの大変だよね、子供の面倒見で自分もついて行こうか?自分が行くことでご親戚に気を遣わせてしまうようなら控えるけど」
とか
いくらでも言い様はあると思う
けど義弟の態度は「嫁ちゃんが親戚の家に行くのに自分は誘われてない!俺、仲間外れにされた!」。
なんか本当に面倒な人なんだなあと今更ながらに思う
10連休だけどどこ行くにもリュックにはパソコン(会社メールがいつでも見れるように)、会社携帯を定期的に確認(着信がないか)してる。
休みだけど完全に休みではない。しかたないのはわかってるけど、一気に仕事モードに戻される瞬間ってなんともいえない血の気を感じる。
確実に寿命が縮んでる。
ここからが本題だが、文芸部の人が今どうしているのか気になる。
高校卒業後10年ぐらいたつが、色々わけあって卒業後高校時代の同級生とは一切連絡を取っていない。
携帯番号とかメールアドレス、SNSのアカウントも一切わからない。
そのため文芸部の人と連絡を取るためには実家に電話をするしかないが、不審電話扱いされて切られるのがオチだろう。
仮に連絡先を教えてもらって電話をしても、宗教の勧誘か選挙のお願い扱いされて相手にされないのは火を見るよりも明らかだ。
そもそも10年間連絡を絶ってきた人がいきなり電話するというシチュエーション自体胡散臭い。
それに文芸部の人と休日遊びに行くということもなかった。休日1日10時間ぐらい勉強しないと授業に追いつけない高校だったので遊ぶ暇すらなかった。
文芸部の中でも孤立していたし、携帯電話を持っていなかったので(今も持っていない)メールのやりとりをするということもなかった。
消費税にしろなんにしろ、やってることは公的オレオレ詐欺っつか、老年世代(のうち、特に裕福な人)になんとか気づかれないようにお金だしてもらう策なんよね
若年層がかわいそうだなんて政府もわかってるよ
もっと面倒なたとえ話だけど
たとえば新規加入者に50%キャッシュバックするキャンペーンやってる携帯会社があっても
もとからその携帯会社を使ってる人や株主にとっては「おれらは新規じゃないからキャッシュバックしてくんないの?なら余計なことすんな基本料金下げろ」ってなるでしょ。
でも利用者が増えないと今の利用者が老齢化して減るばっかりで先々たちゆかないことは経営陣には見えてるわけ
そうなると外圧(他の会社もやってるから負けちゃうとかのいいわけが立つ状態)とかじゃないと古い顧客に不利なことが一切できないわけ
それが日本政府でもアメリカとかの外圧利用して内政うごかす状態になってる
外圧利用して内政改善、内政から汲み上げてうまく他国への外圧かけるのに利用
これがうまくできるのがいい政府だけど
若い連中は内圧になる気がさっぱりなくて
国民健康保険の値上げについて、自分はIT健保なので直接影響は受けないが、医師から処方された薬を片っ端から無駄にしてる叔母を見ると思うことがある。
叔母の話はこんな感じだ。
・三大疾病でここ7〜8年通院している
・もらった薬の中でも胃薬、高血圧の薬は一度も飲んだことがない。しかし、貰えるものはもらっておきたいので飲んでないことは言わないし、要らないとも言わない。
・飲んでないけど数値的には何も変わっていないらしい
・身の回りで薬が必要そうな人がいたら譲っている(イソジン、ヒルドイド、胃薬、抗生物質、ロキソニンあたりっぽい)
・月に2、3度通院、スーパーの中袋くらいのビニール袋パンパンに処方されている
・一粒数万円するような薬ももらっている(流石にそれは飲んでるらしいが)
会う度に『先生がさ、あれも追加しますか?とか聞いてくるからウンウンいっておくんだよね、またこんなにもらっちゃった!捨てるだけなのにねぇ』みたいなことを誇らしげに言っている
私も私の兄弟も『使わないなら断ってよ。その無駄にしてる薬は私達の保険料から出ているんだよ』と言うのだが、医師から毎回何かを処方されている=心配されている=寂しさを紛らわしている、という状態なのだろうか、全く聞く耳持たず毎回薬捨てた自慢が繰り広げられる。
飲んでいなさそうなら、処方しすぎないような仕組みを望むし(例えば、飲んだ後のゴミを持ってきた分だけ処方するとか)、医師には服用しているか意識的に聞いてもらえないものだろうかと心の底から願う。
会う度に体調不良自慢と、薬自慢をきかされて、『使ってないのに使えなくなった!』と携帯とパソコンのサポートばかりさせられて帰省が少し億劫になるそんなゴールデンウィーク。