河原の大きな石をひっくり返したような、汚泥にまみれた実話です。
だというのに今の私は、まさにその"面白くない"社会人になってしまいました。
私のゴミみたいな半生が少しでも皆さんの娯楽になれば、ちょっとは報われるかもしれません。
私はこの4月から晴れて新卒で一般企業に就職する事になりました。
しかし、訪れた新社会人としての生活は、想像を遥かに凌駕する程過酷なものでした。
人間の悩みというのは、将来、人間関係、金、の3つに集約されるそうです。
経済的な問題で否が応でも家から近い公立の高校に進学しようと本気で勉強した、その程度の事が一番辛かったと語れる程ぬるま湯に浸かったようなこれまでの人生の中で、人間関係に悩まされた事など一度も無かったのです。
私は人と話す事が好きな部類の人間でした。
希薄な人間関係を築くのは割と得意な方で、逆に関係を持続されるのが極端に苦手。
進学や就職で環境が変わればまた新たな人間関係を構築すれば良いという発想の私にとって、離れた環境の友人と無理に関係を継続するというのは、意味の無い事に思えました。
薄く広い淡白な人間関係、典型的な連絡先だけ沢山持っていて本当の友人が1人もいないタイプの人間です。
私が入社した企業は、業種も考慮すると今時珍しいくらいに体育会系の人間ばかりで構成されていました。
自分に甘く、ストレス源となるようなものから逃れ続け自分の生きやすい環境だけを構築してきてここまでやってきた私のような人間にとって、呑みの席というのは甚大なストレスになります。
私も流石に1年目の社会人のはしくれですから、毎朝入浴して身だしなみを整え清潔感を心掛けて毎朝出勤していますし、幸い人前で喋る事も然程苦ではないタチなので明るく爽やかな印象を持ってもらえるように自分を偽っています。
スーツを着ている時の自分は完全にスイッチが切り替わっているので、会社にも上司にも従順な人間でいるのですが、流石に「呑み会の出席率」のお話を訊いた時は笑顔が曇ってしまいました。
入社1年目はどんなに仕事ができなくても、呑み会の出席率で社内の心証が大分変わってくるから、呑み会には絶対来ておいた方がいいよ、という旨のお話。
ふざけるな、と思いました。
ただでさえ業務時間外の中、自由参加という体の惰性みたいな呑み会に無理矢理連れてこられている身分なのに、まだ私を拘束したいのか、と思いました。
入社歓迎会だとか、社内の行事であれば流石に意図を汲んで参加しようと思うぐらいの社会性は持ち合わせているつもりでした。
先輩方が何の気もなしにする発言一つ一つが、刺さってしょうがない呑み会であった事をよく覚えています。
私がスーツを着ている時に演じている人格が私の素であれば、先輩方の言葉は全てありがたいアドバイスです。
しかし私の根はどうしようもない程の"陰"。
実際、全て私が悪いのは分かっているのです。
社会的にどちらの方が正しいのかは明白であり、会社行事でも呑み会でも優しくもてなしてかわいがって頂けるこの環境をありがたく思えない私が悪いのです。
ただ私は上昇志向だとかそういった意識の高い言葉とは無縁な人生を歩んできたので、ギラギラした先輩方と同じ卓で美味しいお酒は呑めない。
その日の晩、ギラギラした先輩と沿線で分かれるまで電車でご一緒し、最寄り駅に着いてから私はずっと死ぬ事を考えていました。
Bluetoothイヤホンから流れるMOROHAが、かつてない程遠く感じていました。四文銭の最後の熱いメッセージでさえ、もう二度と私に向けて歌ってくれないのだと理解しました。
そこから抜け殻みたいに出社してなんとかGWを勝ち取り、山形まで先祖の墓参りに向かったり、気を許せる数少ない親友に誘ってもらって遊びに出掛けたり、引きこもってゲームしたり、好きに過ごして今に至ります。
「皆辛いけど、乗り越えてきたんだから」
なんて、色んな人に言われてきました。
他の皆が乗り越えられるから、私も乗り越えられる保証なんてどこにもないのに。
"辛い"なんてのは平均でしかなくて、研修から既に優秀で何の苦労もせず頭角をメキメキ表している友人だって、まして辛すぎるあまり誰にも相談できず電車に飛び込んだ同志だっている筈なのに。
自分の抱えている悩みや葛藤なんていうのは後ろ向きなもので、聞く人が多かれ少なかれ不快な気持ちになってしまうのを理解しているので、仲の良い友人であればある程話せないものです。
私を心配して送ってきてくれるLineだって煩わしくて、でも折角気を遣って送ってきてくれた文章だしな、と返信を考えているうちに休憩時間が終わって、また仕事が舞い込んできます。
その内全てがどうでもよくなって、携帯に入っている全ての連絡先を削除しようと思って、そうしてしまえば私が生きてきた意味が一緒に全部消えてしまうみたいで消せなくて。
そんな自分が情けなくて、使いもしない117の人脈を眺めて、それに縋るしかなくて。
私は4月に社会人になってから、死に対して真摯に向き合っています。
でもあと一歩が踏み出せなくて、こんなどうしようもない袋小路でも無職になって親に縋るよりはマシだと考えると環境を変えるのすら怖くて、退職届1つ提出できずに、自分で死ぬ事もできず、多分明日もミイラみたいになりながら朝6時に家を出ます。
死にたがってるのに行動に移さない人たちの「死にたい」は、「生きていて幸せになりたい」と同じ意味だと思っている。
と言っていて、腑に落ちてしまいました。
死にたいです。
死にたくないです。
幸せになりたいです、
私は一体何のために筆を取ったんでしょうか。
こんな惨めな人生を笑ってやってください。
誰か私を救ってください。
こんばんは
とてもわかる。今の若手は増田みたいな人多いと思うよ。 ロスジェネ位まではサラっとした人間関係とか、個人主義に理解がある感じがするんだけど、バブル世代がそういうの汲み取れ...