はてなキーワード: 遺体とは
「お前の推しがリヴァイみたいに生存するとは限らないぞ、マルコみたいに死んでグロい遺体が鮮明に描かれたらどうする?スクールカーストみたいな平和な公式パロディネタですらグロい死体の幽霊として登場して弄られる救われない展開になったらどうする?」
「誇り高いキャラでもミケみたいに死に際にカマホモみたいな叫び声上げさせたりするかもな」
「ヒストリアとユミルを忘れたのか、同性愛描写で釣って片方をあっさり殺してもう片方がいきなりモブと結婚して子作りとかやる作者だぞ」
新しい絵師も良い感じではあるが
でも変わるの悲しい気持ちもある、出版社変わると仕方ないのかな
Missingが新装版で絵師変わったのは、そもそも旧絵師が上手いが書き込み多すぎる繊細な絵柄で工程も多いのでかなり遅筆で
ついには絵師がMissingして絵抜きで発売にまで至ったという事情があった
でもノロワレは違う出版社で続編出した時も絵師は続行してたんだよなあ
ヒロインは片腕がリスカ痕だらけで腕中を血の滲んだ包帯で常に覆っているやべえメンヘラのように見えるのだが
実は彼女は痛みをトリガーにした発火能力者であり、人々を守る戦いの中で、敵を燃やして殺すために自分の腕を切り刻むのでそうなっている
戦闘の主翼であるヒロインは毎回バトルの中でリスカしまくっており、腱が切れてもう指が動かないなど描写がとても痛い
戦いの後には治癒能力者がある程度治してくれるので日常生活できる程度には戻るが、完全に治すことはできず常に腕が傷まみれのやべえ人になっている
事件解決後の遺体処理班には、大量のゴキブリを召喚して全部食わせて消す能力者とかもいる
彼らの能力は過去のトラウマが影響しており、ヒロインは火災事故の生き残りで、ゴキブリの人もゴキブリにまつわるトラウマを持つ
お前、ちょっと冷静になれよ。アリの問題でそんなにイライラするなって。歴史をちょっと学べば、今の状況なんて全然大したことないって気づくだろうよ。
まず、アリってのはまさに「生態系のリーダー」だぜ。お前の車内に現れたアリたちは、むしろ自然界の壮大なシステムの一部だって思ってみろよ。古代エジプトの時代だって、アリは人々に尊敬されていたし、神々にさえ例えられていたんだぜ。エジプト神話では「アリの女王」が神々に仕える存在として語られてるし、そもそもアリの社会って非常に高度な協調性を持っているわけだ。
で、今お前の車の中でアリたちが遺体を運んでるって? それ、別にお前だけが異常なわけじゃないんだ。アリの社会にとって、死体を運ぶことはむしろ当たり前。これは「死者の埋葬」行為と見なされることもある。日本の「死者の魂を大事にする」という文化や、古代ローマの「死後の世界」に対する畏敬の念にも通じる部分があるんだ。アリたちが死者を運ぶのは、その「魂」の一部を「自然に還す」ためだと思えば、少しは気が楽になるんじゃねぇか?
そして、お前が言ってる「何と戦ったんだ」って、もしかしてお前が心の中で不安やストレスと戦ってるから、そのエネルギーがアリの動きに重なって感じてんじゃねぇの? 16世紀の哲学者、ミシェル・ド・モンテーニュも言ってたけど、「我々が恐れるものは、実際には自分の内なる恐怖である」ってな。アリの動きに過剰に反応してる自分を客観視してみな。
さらに言うと、お前が「車内にアリがいるのは許せない」と感じてるその気持ち、自分の所有物に対する過剰な執着って「物質主義」的な考え方そのものだろ。世界の歴史的な知恵、例えば仏教の教えや、ストア派哲学を思い出してみろよ。「ものに執着しないこと」がいかに重要か、理解してるか? 物質的なものに対して過剰に反応しても、それは一時的な解決にしかならないってことを肝に銘じろ。
それに、アリの問題を「俺の車なのに」なんて言ってるけど、車だって一つの「生態系」だぞ。お前が支配してるわけじゃなくて、アリたちの社会がそこにあるわけだ。アリたちが車を一時的に「自分たちの領土」にしてるだけだろ。それはそれで「自然」だって理解しろ。
最後に、こういう小さな問題で腹立ててる自分に対して、ソクラテスの言葉を思い出してみな。「人生で本当に重要なのは、物事をどう見るかだ」ってな。アリたちがいることをどう受け入れるか、その態度こそが「自分自身」を形作るんだよ。
大学生の久能整(菅田将暉)は、朝から自宅アパートでカレーを作っていた。そこにアパートの大家が大隣警察署の刑事、薮鑑造(遠藤憲一)と池本優人(尾上松也)を連れて現れる。昨夜10時の行動を薮に問われた整は1人でカレーを作っていたと答えた。すると薮は付近の公園で寒河江健(藤枝喜輝)の遺体が発見されたことを整に伝え、警察署へ任意同行を求めた。
整は薮、そして青砥成昭(筒井道隆)の聴取を受ける。公園で殺害された寒河江は整と同じ高校の出身で同じ大学に通っていた上、寒河江が殺害された時刻に整と争っているのを見た目撃者もいるため、整は容疑者となっていたのだ。だが、薮たちの追求に整は淡々と無実を訴える。目撃情報もはっきりと自分だと言えるのかと理屈を並べて返して行く。
音信不通の親が孤独死した時、どのようなことが起こるのかについて記録する。
昨年、父が死んだ。
父とは30年近く会っていない。母は離婚後も父と連絡を取っていたようだが、父に私の連絡先を決して伝えないようにとお願いしていた。
5月頃、母のところに、父の知り合いから父が死んだようだとの連絡があった。
その人も遺体は見ておらず、父の住まいを尋ねたら大家さんから死んだと伝えられたとのこと。
私はそれを聞き、一番最初に思ったのは、相続放棄の手続きを一刻も早く終えたいとのことだった。
市の無料法律相談に行き、相続放棄の手続きの仕方や困ったことが生じるおそれがないか等を確認した。相続放棄の手続きは、家庭裁判所によって若干違うので、事前に確認してから行く方がよいとアドバイスを受けた。
孤独死した人間の特定をしなければならないので、DNA検査をするとのこと。
これは兄が対応してくれた。
父の死はまだ確定していない。
DNA検査をする費用が出ないため、兄の顔を見て特定することにしたと連絡。
父が孤独死した場所と母の家は新幹線で1時間ほど離れているため、出張のついでに寄るので少し先になるとのこと。
兄が取った唾液はなんだったんだ。そんなことを市民にお願いする前に、予算があるかどうかの確認はできるだろうに。警察っていい加減なところなんだなあ、という印象を持つ。
11月 兄から戸籍抄本にて父の死亡が確認できたと連絡をもらう。父はおそらく5月に亡くなっているのに、書類上の死亡は11月になっている。
12月 有給を使って家庭裁判所に行き、相続放棄の手続きをする。郵送でも手続きできるが、不備があると嫌だったので、窓口で手続きした。窓口の人は手慣れた様子で、相続放棄したい理由の書き方等を教えてくれた。
12月末 手続き完了の封書が届いた。この半年間の気持ちの重りが取れて、ほっとした。
まとめ
・事件性が薄い孤独死に対して、警察は費用を割かない。そのため、最寄りがない人間が孤独死すると、死が確定するまでに時間がかかる。
この文章を書こうと思ったきっかけは、下記の文章を読んだからである。
https://inukawatama.com/father/
読んでまず、うらやましいと思った。
私は父が死んだことに対しては、特に何の感慨もない。
馬鹿な生き方しかできなくてかわいそう、まともに生きていれば子どもや孫の成長を見ることもできたのに、という一般的なことを思うだけである。
父との思い出は記憶のどこかにあるのだろうが、思い出したくないことばかりであり、考えるのを停止するようにしている。
相続放棄の手続きを一刻も早く終わらせて、父と無関係になりたいという思いは、母を呆れさせ、くだらない喧嘩に発展した。
大人になって、母に感情的に声を荒げたのは初めてで、お互いにダメージを受けた。
母に対してはいろいろと思うことがある。
父に対する思いの欠如は、私の人間としての欠如なんだろうと思う。
私は、父と自分を切り離さないと、「普通」の枠の中で生きていくことができなかった。
毎回、どうしてこの人たちは、「毒親」と縁を切らないのだろう?と思う。
結局のところ、この人たちは「毒親」と詰りながらも、親のことを愛しているんだろう。
核汚染された地球を捨て火星へ移り住んだ人類のうち、富裕層の間では防護服を来て地球に降り立ちゴルフをするのが流行っていた
主人公もゴルフをしながら荒廃した地球を歩き、やがてある場所で立ち止まる
人類の9割を見捨てて一握りだけが火星へ移る計画とは知らされないまま、かつて主人公はその地で好きな女性とまた会おうと約束して別れ、宇宙船を操縦した
移住プロジェクトに貢献した一人として讃えられるも、知らなかったとは言え好きな人を裏切って死なせた負い目があった
地球に残された人類のほとんどが死んだ中で、子供は突然変異で環境に適応し野生児として生きていた
主人公は子供と共に暮らすようになり、文字の読み書きを教え、やがて放射能に蝕まれ死んだ
仕事の際には激しく戦闘する一方で、日常はなんの刺激もなく虚無
不眠症を抱えているが薬の乱用も禁じられ、決められた眠る時間まであてどなく淡々と街を散歩する
そのマルをつけた日を迎え、男は自室で自分の頭に銃をつきつけ、自殺する
両親の離婚後、疎遠になっていた父が亡くなり、父がオーナーをしていたホテルの検分をすることになった主人公
離婚の原因は、父が主人公と同い年の当時16歳の少女レイチェルと不倫していたせい
不倫が発覚したのは、レイチェルが飛び降り自殺し、遺体から妊娠していると判明したため
けっこう期待して観に行ったのだが、こんなにも中身のない映画だとは想像もできなかった。
従軍写真家・ジャーナリストの視点から、近未来のアメリカ内戦を描く映画ということらしい。
IQの低い自称ジャーナリスト連中が、ロードムービーのような構成で、馬鹿っぽいセリフと行動で、頭の狂った兵士に殺されかけたり、立ち寄った街のブティックで写真家たちが試着して、それを写真に収めたりして、これは何を表現しようとしているのだろう、俺は一体何を見せられているのだろうと自問する時間が少なくなかった。
タイトルにある「内戦」勃発の経緯も、何が問題なのかも、どこに向かっているのかも不明である。メッセージ性が全くといっていいほど見当たらなかった。
強いていえば一点、これから大統領に返り咲くであろうトランプへの脅し映画だということはわかった(トランプ再選の可能性が高いのだということもわかった)。
ただ、事前にどんな映画なのかを知らされていたならば、決して観ることはなかった(映画評論家のレビューは意味不明な賞賛であふれている)。わざわざIMAXで、安くない対価を支払って観る価値のある映画ではなかった。
(以下ネタバレ含む)
西部軍事勢力が、ワシントンD.C.に侵攻して、ホワイトハウスで大統領側近たちと大統領を虐殺する映画である。
ラストシーンが、銃殺された大統領の遺体の周囲で兵士たちが笑顔で記念撮影をするというもの。イスラエル兵士のパレスチナでの振る舞いを思い起こさせた。
大統領側近(報道官?)が兵士どもと交渉しようとする場面がある。それを兵士は聞く耳持たず撃ち殺す。その流れで大統領を銃殺する。その大統領がトランプに似せられている。
ここまであからさまなヘイト映画をつくる監督とは一体どういう人間なのか。アメリカの映画産業には、トランプを忌み嫌う(殺したいと念願する)勢力が、浸透しているのだとわかった。逆に言えば、トランプはこれほどまでに既存勢力から嫌われているあたり、悪くない大統領候補なのだろうと感じさせるものがあった(実際、トランプ任期中は、戦争狂いのアメリカが新たな戦争を始めなかった。FRBに好き勝手することも許さなかった)。
後で知ったのだが、この映画をつくった監督(アレックス・ガーランド)が、日本で行われたインタビューで、作品に込められたメッセージとは、と問われて答えたのが、「トランプには投票するな」であった。
がんだった。
長く病みつつも7月まで働いていたが、8月には歩けなくなり、10月には入院もした。
父は家で過ごしたいと言って、自宅介護が始まった。
余命宣告は年内もつかどうか、だったが、3月の誕生日も越えて、4月に父は身罷った。
深夜だった。
訪問看護師さんに連絡し、看護師さんから主治医に連絡してもらい、主治医から死亡診断書を受け取って、
深夜に叩き起こされただろうに嫌な顔ひとつせず、頑張りましたね、と父を労うように支度してくれた。
死に化粧だけはどうしても苦手で……お嬢さんが手伝ってくれないだろうか、と申し訳無さそうにいうので、
わたしは死んだ父の顔に化粧水を塗り、乳液を塗り、下地を塗ってファンデーションを塗った。
チークをほんのりいれると、寝ているだけのように見えた。
火葬場が混んでいるそうで、葬儀までに予想外に間が空いたのだった。
父に遺産はなく、借金のほうが多そうだったので、相続放棄もしなければいけなかった。
引き出したら相続を承認したことになるので、父の口座にあるお金はもう使えない。
両親は同居してはいるが離婚済みで、色々あって元サヤに戻ってはいたが籍は戻していなく、当面の相続人は私だけだった。
役所へ行って、年金事務所に行って、法テラスに行って、信用情報機関へ負債の照会に行って、
火葬を済ませて、相続放棄の手続をして、親類に連絡をして、父名義の各種契約の終了をして、
相続人でない母がこのままこの家に住み続けられるような手続きもだ。
会社を休んだ数日でしなきゃいけないことが多すぎた。
父が本籍を居住地に移しておいてくれたことを感謝した。出身地が他県なので、そのままだったら戸籍類の取り寄せだけでえらい目に合うところだった。
今は全国から取得できるようになったんだっけ?今後手続きする方が少しでも楽できるといい。
余命宣告されてから探して相談しておいた葬儀屋さんにお願いした。多分すごく安く済んだ部類なんだろうが、相場がまったくわからない。
お金がないのでずっとどきどきしていた。払えてよかった。
親の死に目に金をけちるなんてと悲しく思う心もありつつ、この先暮らしていくだけの資金だって必要だった。
火葬場へ遺体を持ち込むための自家用車と、火葬日まで遺体を安置できる場所があればもっと安く済むんだろうか。
DIY葬したよという方がいたら聞いてみたい。
もう数年経つけど、未だにお父さんどうして死んじゃったんだよと寂しく思う。
こういうのは順番だから、いつかはお別れがくるのだとわかっていても、なんでだよ、と思う気持ちが消えない。
最晩年の寝たきりの頃でなく、元気だった頃の父にまた会いたい。
今でも家を訪ねれば居そうなのに、もうどこにもいないことが寂しい。
お父さんの作った唐揚げが食べたい。
秋の静けさが漂う東京の一角で、異様な緊張が走った。歴史学者、宮内敬一と考古学者、佐伯真一の変死体が発見されたのだ。二人は、かつて共に百済本紀の存在を追い、その謎を解き明かそうとしていたが、彼らの研究は突如として闇に葬られた。
警察による初動捜査は、外部からの侵入の形跡がなく、殺人であることを示す証拠はほとんど見つからなかった。二人の遺体には目立った外傷もなく、死因は心不全とされたが、その背後には疑念が残された。まるで何かを隠蔽するかのように、彼らの死は「自然死」として処理されることとなった。
宮内と佐伯が追い続けていた「百済本紀」は、二人の死と共に消え去り、今やその存在すらも「無いもの」とされた。学術的に重要であったはずの資料も、調査に使用されていたすべての記録は抹消され、百済本紀の存在を証明するものは、どこにも残されていなかった。
「なぜ二人は殺されたのか?」
その疑問は、学界のごく一部で囁かれるだけであり、公にはまったく注目されることはなかった。二人の研究は、韓国や日本の学術界ではタブー視され、まるで百済本紀という存在そのものが、二人の死を消し去るかのように扱われた。
宮内と佐伯が見つけた百済本紀――それは、朝鮮半島南部がかつて倭人の支配下にあったことを証明する決定的な証拠だったかもしれない。しかし、その真実は深く闇に葬られ、二人の死によって全てが消えた。そして、世間は彼らの死を追うことなく、ただ静かに時が過ぎていった。
その後、韓国の学術界では新たな説が次第に台頭し、支配的な理論となっていった。朝鮮半島南部に点在する「前方後円墳」――それは、かつて日本との関係を示す重要な遺跡と考えられていたものだったが、韓国の考古学者たちによって「方墳の誤解」だという新説が唱えられ、広く支持されるようになった。
「これは、単に方墳が重なり合って造営されたものに過ぎない。倭人の影響を示すものではない」とする学説が一般化し、朝鮮半島南部における日本との関係性は次第に曖昧なものとされた。
韓国のメディアや教育機関でもこの説が広まり、前方後円墳が日本由来であるという主張は「誤り」であるとされるようになった。この新しい歴史認識は、韓国社会において広く受け入れられ、かつての日本との関係を強調する要素は薄れていった。
そして、その流れはやがて日本にも影響を及ぼす。
日本国内でも、宮内と佐伯の死後、百済本紀にまつわる話は完全に封印され、朝鮮半島に関する歴史的議論は一切なされなくなった。むしろ、日本は再び「謝罪するだけの国」としての立場を強化し始める。歴史問題については、韓国や他の近隣諸国に対して従属的な姿勢を示し、過去の過ちを認める方向へと舵を切っていった。
朝鮮半島における日本の歴史的な関与については、批判的な論調が強まり、過去の征服や影響についての議論は「日本の侵略」という一面的な見方に統一されていった。日本国内でも、戦前の行いに対する反省と謝罪が繰り返され、歴史認識をめぐる議論は沈静化した。
百済本紀に関する研究は「なかったこと」とされ、二人の学者が追い続けた真実は、学会の表舞台から消えてしまった。
宮内と佐伯が命をかけて追い求めた「百済本紀」は、表向きには消え去った。しかし、その存在が完全に忘れ去られることはなかった。わずかながらも、彼らの研究に触れたごく一部の者たちが、裏でその真実を守り続けようとしていた。
日本国内の地下の一部では、失われた資料の断片を手に入れようとする者たちが密かに動き始めていた。彼らは、百済本紀が消えた理由を探る中で、政府や国際的な影響力を持つ陰謀の存在を疑い始めた。そして、宮内と佐伯の死が、単なる偶然ではなく、何らかの計画的な犯行であった可能性が高まっていると考えていた。
この裏で動く影たちは、「なぜ彼らは殺されたのか?」という疑問に取り憑かれていた。
彼らの手に渡る断片的な資料は、百済本紀に書かれていた可能性のある、朝鮮半島南部が倭人――つまり日本人の支配下にあった事実を示唆するものだった。もしその真実が公にされれば、日韓関係、さらには東アジア全体の歴史認識が根本から揺るがされるだろう。しかし、誰かがそれを望まなかった。
「前方後円墳が倭人の影響を示すものだと証明されれば、朝鮮半島南部は日本の故郷だと認識される。だが、それは今の世界秩序にとってあまりに危険な真実なのかもしれない…」
彼らの声は、闇の中で囁かれるのみだった。
宮内と佐伯の死の真相は今も解明されていない。百済本紀は闇に葬られ、朝鮮半島南部の前方後円墳はただの方墳として再解釈され、失われた倭人の故郷は再び歴史の深淵に埋もれてしまった。
だが、どこかでその真実を求め続ける者たちがいる。彼らは、いつか再び歴史の光の中に百済本紀を取り戻し、宮内と佐伯の死の意味を解き明かそうとするだろう。
だがその日はまだ、遠い未来の話だった。
日本の電車が病人や事故が発生した際に停止し、その結果ダイヤが乱れたり再開に時間がかかるのにはいくつかの理由があります。以下に主な理由を挙げます。
日本の鉄道システムは安全を最優先にしています。事故や急病人が発生した場合、鉄道会社は乗客の安全を確保するため、徹底的な確認と対応が求められます。事故の状況や急病人の状態を確認し、必要に応じて救急隊や警察と連携するため、その過程で時間がかかることがあります。
特に人身事故が発生した場合、現場検証や遺体の搬送、安全確認などが行われます。この手順は厳格に行われるため、通常の運行に戻るまでには時間がかかります。また、警察や消防、鉄道会社の職員が一斉に動員されるため、それぞれの調整にも時間がかかることがあります。
電車内で急病人が出た場合、まずは車掌が急病人の状態を確認し、必要であれば駅での応急処置や救急搬送を行います。急病人が発生した場合、次の停車駅まで運転を続けることもありますが、状況によってはその場で電車を止めることもあります。救急対応が迅速に行われる一方、乗客の安全を最優先にしているため、再開に時間がかかることもあります。
日本の鉄道は非常に精密なダイヤで運行されており、少しの遅れでも全体のダイヤに影響が出やすいです。特に都市部では多くの路線が密接に連携しており、一つの列車の遅延が他の列車や路線にも波及するため、運行再開後もダイヤの乱れがしばらく続くことがあります。
急病人や事故が起こった際に、混雑した車内で乗客が動揺したり、車両から降りるために混乱が生じることがあります。このような場合、再乗車や案内に時間がかかり、ダイヤの乱れに繋がることもあります。
まとめ
日本の鉄道が停止する際に時間がかかるのは、安全確認や対応措置を徹底するためです。また、鉄道の運行ダイヤが非常に精密であるため、事故や急病人への対応がダイヤ全体に波及しやすいことも、遅延の原因となっています。
この内容がひとつの当事者の声として、実際に関係者に届いてほしいのか、
それとも自分の心情を吐き出す場所がほしいだけなのかはわからないが、
書かないと、どうにかなってしまいそうなので書く。
彼女の訃報を知ってから半日経つが、率直に言ってかなり精神的にまいってしまっている。
普段は物事に対して必要以上に感傷的になったり、映画などを見ても大泣きしたりはしないタイプの人間なのだけれど、
このあまりにも唐突で受け入れがたいニュースに触れてからというものの、
仕事や大学の授業が終わり一人になると、納得できない気持ちや言葉がどんどん頭の中をめぐって、
私生活に特別な不満もなく、心身ともに健康に日々を過ごしていた自分でさえこうなるのだから、
希死念慮を抱えて生きるような人々にとって、著名人の自殺報道がどれだけ影響を持ちうるだろうか、ということも考えてしまう。
自分が彼女に心酔する大ファンだったかと言うと、多分そうではない。
ただ、家で一人作業している時に流すiTunesのプレイリストの数%は彼女の曲であり、
人生で彼女の曲を聞いた時間を一つにつなげると、大抵の友人や家族と過ごした時間よりよっぽど長いのではないと思う。
彼女の楽曲は、巷で「生きづらさ」として語られるような感情をベースにしたものが多くて、
それが彼女の内なる思いの発露なのか、商業作家としての生存戦略であったのかはわからない。
彼女に対しての感情は同年代ならきっと抱くのだろう「共感」とはすこし違っていて、
突出した作家性で、歌声で、演奏で、唯一無二の音楽を聞かせてくれる存在だった。
記憶にすがるように罰が下るのを待っていたように
僕が僕自身をこの部屋に閉じ込めていた
という歌詞だ。鬱屈して閉じこもる心を「罰が下るのを待つ」と表現する感性。
彼女にとって自分の内面とは、けして外界とのつながりを断つための境界や手段ではなく、
それはまるで彼女の内側に広がる「世界」であり、それを統べる神様とさえ繋がる場所だとでもいうような、
強烈な自意識のあり様、彼女の作家性の一端に触れた時は、まさに殴られたような気分だった。
自分のプレイリストの中には、自分が今まで出会ってきたアーティスト達と並んで、高確率で彼女が入るようになった。
(この曲を含め、彼女の歌詞には「君」や「あなた」という表現がよく出てくるが、
彼女にとってはそれもまた客体化された、向き合うべき自分自身であり「神様」であるように思えてならない)
一度だけライブにも行った。
コロナ禍の中、東京で名古屋まで遠征して、人もまばらな新栄町のライブホールで彼女を見た。
落ち着いた会場の中で見た彼女の印象は、楽曲の持つ強烈な存在感とは裏腹に、
どこか年相応で、満員の観客と向き合うには何とも頼りなく見えた。
路上ライブ時代の楽曲なども含めた弾き語り中心の穏やかなセットリストと、
苛烈さを秘めた内容に対して、いつでも「聞いて下さい」から始まるあまりにも低姿勢で飾らないMC。
大満足と言うよりは、次もまた見に行こう、というような気持ちになったのを覚えている。
あまりリアルタイムでアーティストの動向を追うこともないタイプなので、
彼女の結婚や病気、活動休止といった直近のニュースはまったく知らなかった。
ただ、毎日の在宅デスクワーク、その時の気分で音楽を延々と流す日々のワンシーンに彼女がいる、
好きなアーティストの死に触れることは初めてではない。
1970年代の洋楽もよく聞くので、ルー・リードやデビット・ボウイが死んだ時もショックだった。
ただ、、寂しくはあってもどこかで覚悟していた大御所の死とは違い、
彼女の死に直面して、色々な感情が駆け巡って、最終的にたどり着いたのは「納得がいかない」という思いだった。
音楽の歴史の中で、若くして死ぬ事によって、伝説的に昇華されてしまったようなアーティストはたくさんいるが、
もはやそんな時代ではないと思う。
生み出された作品とその作者の人生や生活は切り離して考えられるべきであって、
劇的な死に方をすることで、楽曲の意味が何らかの方向性を持って印象的に底上げされる、
なんて事は受け入れてはいけないと理性では思っている。
「自死」という究極の自己決定と紐づけた時に、そのありかたが容易く変質してしまう類のものだと個人的には思う。
彼女自身の感性で研ぎ澄まされた強さと繊細さ、息苦しさがたどり着いた結果が「それ」だとしたら。
到底受け入れられない。結びつけてはいけない。
彼女がどんな人生を辿ったとしても、彼女が楽曲に込めた表現の意味は変わらないはずで、
自分にとって、これから先も、生活の一部として聞き続けるであろうたくさんの音楽の一つとして、
年月が移り変わっても、変わらないものとしてありつづけてほしい。
彼女が言葉と歌声と音楽で生み出した、暗くもあたたかい世界は、私自身の居場所でもありました。
自分だけの、二人だけの、生まれながらに全てが正しくて、善であるのだと強く歌ったはずの世界を、
彼女自身が、自ら”指パッチン”で終わらせる対象として塗りつぶしてしまったのではないか。
彼女が歌の中で生み出して、繰り返したモチーフのひとつひとつが、
彼女が選んでしまったかもしれない現実の結末と、それを知った自分自身の類推に過ぎないイメージで上書きされてしまう事があまりも怖くて、
自分はいま、彼女の死を知ってからまだ一度も彼女の楽曲を聞くことが出来ずにいます。
ここまで来てやっと本題です。
今回の「死因非公表」というご遺族の意向による報道内容によって、自分は落とし所を見つけられずにいる。
まず大前提として、著名人の死に当たっては、今回コメントを出した彼女のパートナーを初め、最も近しい人達が、
彼女の死という重大な出来事に対して向き合い、たとえ時間がかかっても心の折り合いをつけていく、
そのための時間は絶対に必要で、「ファンのお気持ち」なんて物とは比べるまでもなく優先すべきで、
ニュースやその視聴者が、それが興味本位であっても切実な悲しみであっても、
彼女の死の原因のあれこれを詮索して、彼らに必要な時間を踏みにじるような事はあってはならないと思う。
その意味において、詳細な死因を公表しない、と決めたご遺族の判断は第一に尊重したい。
ただ、それと同時に、自分を初めとして、彼女の楽曲に日常的に触れてきたファンも、
突然の訃報のショックと抑うつ、行き場のない感情、彼女の楽曲を以前と同じように聞けなくなった辛さを抱えています。
その中で、彼女の死がはたして「自殺」なのか「病死・事故死」だったのかを知ることは、
いや、大きな意味など本当はないのかもしれない。
あるのは、彼女の死が、病死や事故死といった本人の意志によらないものであってほしいという祈り。
でもおそらく報道コメントが暗に示すように、もし彼女が死を選んだという事が真に明らかになったとしたら、
自分の中で、彼女の楽曲に対する「受け入れがたい変化」がより決定的な物になってしまうだけなのかもしれない。
ただ、海や山で誰かが遭難して数ヶ月が経ち、たとえ見つかるのが遺体だとわかっていても、
長い人生の中で避けられない大切な人の喪失を受け入れるにあたって、
その理由や結果を知ることは、たとえ残酷な結論だとわかっていても、必要な過程なのではないでしょうか。
今まさに現在進行系で心の行き場と日々の平穏を失ってしまった自分にとっては、
彼女の死因を知ることが、とても切実な問題であるように思えてならないのです。
自殺報道が最大限の配慮を持ってなされるべきだ、ということももちろん承知しています。
その一方で、ペットロスといった身近な死を乗り越えるためのサポートなども社会課題として捉えられる時代においては、
一定の社会的支持を持つアーティストの死に対して、ファンが重要な事実を知ることも、
私達が「大切な存在の死」という逃れられぬ現実を乗り越えるためには必要な手続きなのではないかという事を、
いままさに行き場のない思いを抱える当事者として切実に感じています。
自分は、彼女の死を知って以来、まだ彼女の曲を一度も聞くことが出来ていません。
いつかまた彼女の曲たちを、これまで同様に、そして私の生活を彩る他の数多のアーティストとも同様に、
自分の人生にとってかけがえのない存在として共に過ごしていく日々がまたいつか来ることを切に願っています。
長くなってしまいましたが、
■FF14が原因で命を絶った妻
ヤフーニュースで有名配信者がFF14について苦言を呈している記事を見て、嫌な記憶が蘇った。
オンラインゲームであるFF14は、見知らぬ人と複数名で行くダンジョンのようなものがある。
そこで敵のグループを個別で倒すか、複数のグループをまとめて倒すかという「敵をまとめるか、まとめないか」という問題が長らくあった。
個別で倒せば確実で簡単だが時間がかかり、まとめて倒せば早くクリアできるが求められるプレイスキルが跳ね上がる。このどちらが好みかは人によっててんでバラバラだ。
妻はゲームがうまくなかった。まとめて敵を倒そうとした他の人に合わせられずに全滅した際に、叱責を超えた暴言を吐かれた。
記憶が明瞭ではないが、「死ね、クソヒーラー」ぐらいストレートなものを延々と言われたと語っていた覚えがある。
あの時の表情は今でも忘れていない。散々泣いた後の虚ろな瞳。ゲームが主な趣味だった妻はそれ以降ぱったりと止めてしまった。
その兆候は、私には分からなかった。日々衰弱していく、などの変化があればもっと寄り添うこともできたのだろう。妻は、身を投げた。
これ以上のことは語らない。語りたくない。凄惨な遺体を思い出すだけでも胸が苦しくなる。
本文はFF14が遂にヤフーニュースにまで出てきて私の嫌な記憶が蘇ったというだけの下らない内容だが、どうにも他の有名配信者もこの「「まとめ狩り」で物議を醸しているらしい。
ヤフーニュースで有名配信者がFF14について苦言を呈している記事を見て、嫌な記憶が蘇った。
オンラインゲームであるFF14は、見知らぬ人と複数名で行くダンジョンのようなものがある。
そこで敵のグループを個別で倒すか、複数のグループをまとめて倒すかという「敵をまとめるか、まとめないか」という問題が長らくあった。
個別で倒せば確実で簡単だが時間がかかり、まとめて倒せば早くクリアできるが求められるプレイスキルが跳ね上がる。このどちらが好みかは人によっててんでバラバラだ。
妻はゲームがうまくなかった。まとめて敵を倒そうとした他の人に合わせられずに全滅した際に、叱責を超えた暴言を吐かれた。
記憶が明瞭ではないが、「死ね、クソヒーラー」ぐらいストレートなものを延々と言われたと語っていた覚えがある。
あの時の表情は今でも忘れていない。散々泣いた後の虚ろな瞳。ゲームが主な趣味だった妻はそれ以降ぱったりと止めてしまった。
その兆候は、私には分からなかった。日々衰弱していく、などの変化があればもっと寄り添うこともできたのだろう。妻は、身を投げた。
これ以上のことは語らない。語りたくない。凄惨な遺体を思い出すだけでも胸が苦しくなる。
本文はFF14が遂にヤフーニュースにまで出てきて私の嫌な記憶が蘇ったというだけの下らない内容だが、どうにも他の有名配信者もこの「「まとめ狩り」で物議を醸しているらしい。
わたしの母は実家が大好きな人で、子供の頃はよく泊まりに生かされたものだった。
母の生家(わたしから見た祖父母の家)は川の堤防沿いにあった。
そこは中々の田舎で、家にたどり着くまでの10m程の細道には雑草や低木が我が物顔で生い茂っていていたし、そこを歩く度に一枚の羽しかない黒胡麻の様な虫が何匹も脛にくっ付いた。
玄関を開けるとすぐ鏡張りの棚があって、そこには昔懐かしい黒電話がどんと置かれていて時々けたたましく鳴り響くのが怖くて堪らなかった。
そして夜は最悪で、日本昔ばなしに出てきそうな古ぼけた畳の部屋に寝かされて、それだけでも嫌なのに遠くないところを新幹線が走るから中々寝付けなかった。
良いところなんて焼き魚を焼くと匂いに釣られた野良猫がにゃあにゃあ鳴きながら勝手口に集まってくるところぐらいだった。
わたしはそんな母の実家に泊まるのが嫌で嫌で泊まるのをよく嫌がったが、わたしが嫌がることを母は許さなかった。
「あの家には思い出がいっぱいあるんだから!」
これが母の口癖だった。
なんだか母はわたしの実家より自分の実家の方がずっと好きなようだった。
というより、父と母はお見合い結婚だったらしく仲も良くなかったから、ただこの家が全然好きじゃないだけかもしれないとも思った。
すぐに徘徊と暴言が始まり、祖母はいつも「家に帰りたい!」と泣きながら電話をかけてきて、祖父はおむつを履かせてもゴワゴワすると言って勝手に脱いでは糞尿を部屋中に撒き散らした。
母は仕事をしながら、自宅から母の実家(祖父母宅)に通って二人の世話をした。
そのうち精神的に限界が来てわたしに愚痴る様になったが、それでも母は二人のことを決して否定せず、相変わらず好きでいるようだった。
わたしは心が冷たい人間なので、母が同じようになっても愛せないだろうなあ、なんて思いながら愚痴を聞き流していた。
その後母は二人を施設に入れ、それからまもなく祖父が亡くなった。
葬儀には祖母も訪れ、自分の名前も分からないぐらい全てを忘れてしまっていたはずだった祖母は祖父の遺体を覗き込んで「お父さん、今までありがとうね、すぐにそっちに行くからね」とボロボロ涙を流した。そんな祖母を見て母もボロボロ泣いた。碌に介護に関わらなかった母の兄はヘラヘラ笑って泣きすぎだ、と母を揶揄いながら、トイレに行くと言って廊下で静かに泣いていた。
それからまもなくして祖母が亡くなった。母は祖母が火葬される瞬間獣の様に大声を上げて泣き叫んだ。施設なんかに入れてごめんね、家に帰りたがってたのにごめんね、と謝りながら泣いた。いつまでも泣いた。
そして祖母が骨になった頃ようやく泣き止んで、しゃくりあげ鼻水を垂らしながら骨を箸でつまんで骨壷に入れた。そして兄弟の中で一人だけ全く泣く素振りを見せないわたしを恨めしげに睨んで「やらんでいい」とわたしから箸を奪い、業者に止められるまで箸で骨を摘み上げ続けた。
それからすぐに母の実家をリフォームすることが決まり、余分な物を処分することになった。何故か他の兄弟でなくわたしが付き合わされ、わたしは実家で味噌汁の匂いがこびりついたお椀や傘や服など、売ってもお金にならなそうなものを集める係をさせられた。
何年かぶりにくる祖父母宅は記憶より随分と暗く静まり返っていて、ナフタリンと線香の匂いがする部屋の中、窓の向こうには昔と変わらず新幹線が轟音と共に走り去るのが見えた。
わたしは新幹線が走り去るのを見送ってから祖母の古いドレッサーの整理に取り掛かった。
もうとっくに使用期限の切れていそうな化粧水やら髪の毛だらけの木の櫛やらをどんどんゴミ袋に入れていると、ドレッサーの鏡の部分がパカッと開いて収納スペースになっているのを見つけた。
そしてそこには古びた青いお菓子の缶があって、中を開けると手紙が数枚入っていた。
【⚪︎⚪︎トヨコ様】
トヨコ(仮名)は祖母の名前だった。ひっくり返してみると愛媛の住所と知らない男の人の名前が書いてあった。
中を見たら、達筆すぎて読みにくかったけど、その男の人から祖母へのラブレターだとすぐに察した。
【たとえ引き裂かれようと、ボク達の愛は永遠です。貴方が誰と結婚させられようと、一生貴方を想います】
数枚文の手紙の内容を纏めると、ざっくりこんな感じの内容が書かれていた。わたしはそれをゴミ袋にしまってやるべきか、それとも一応母に見せておくべきか迷って、結果後者を選んだ。
「ねえお母さん、おばあちゃんのドレッサー見たらラブレター隠してあったんだけど笑」
こんな感じで冗談混じりに見せると、母はパッと手紙を見てすぐに奪い取った。そして無言でクロックスを履くと外に出て、ポケットから取り出したマッチを擦って躊躇いなく手紙に火をつけた。
手紙が燃えて黒い灰に変わっていく間、母は手紙の上部を人差し指と親指だけでつまむ様にして持って、燃え尽きる直前にパッと手を離した。
それを繰り返し、数枚あった手紙はあっという間に燃えて無くなった。
その間わたしは無言で母の丸まった背中を見つめていただけだったけれど、結局母はわたしに何も言わずに家に入っていってしまった。わたしも何も言わずに家に入った。玄関に入った途端気配を感じて振り返るとそこには未だ黒電話があって、黄ばんだ丸いダイアルがじっとこっちを見てる気がした。
いくら大人になってもわたしはやっぱりその電話が怖くて嫌いで、今まで散々怖がらされた仕返しとばかりに母に無断で捨てるもの用の袋に突っ込んだ。黒電話は半透明の白いゴミ袋に収納されてもなお黒い塊をここにあるぞと見せつけてきた。これだから嫌いなんだ、と思った。
その後あらかた片付け終え、帰ることになったわたしと母は玄関の外に出ていた。母は最後に一度振り返って、家の中に向かって手を合わせた。
「ごめんね、お母さん。愛媛に帰してあげれんかったのに」
母がそう小さな声で呟くのが聞こえた。愛媛は祖母の故郷だった。
帰りの車の中で母は無言だった。わたしも無言だった。母は遠くを見つめたままずっと何かを考えているようだった。
家まであと数kmのところまで来た時、踏切に捕まって車が停止した。カンカンと遮断器の煩い警報を聴いていると、母がふいに口を開いた。
わたしは黙ったまま母の方を向いた。母は前を真っ直ぐ見つめて言った。
「でも親に無理矢理お見合いさせられて、それでおじいちゃんと結婚したんだって」
「へえ」
「でもね、きっと幸せだったんだよ、お母さん」
「うん」
「そうだね」
わたしはそれだけ相槌を打った。それしか言えなかった。遮断機が上がるとさっきより沈黙が耳に痛かった。
その後家に帰ってから、母がこの話題を出すことは二度となかった。
数年経って、母が父と離婚し、リフォームした母の実家に住んでいると兄弟から聞いた。わたしはもう母と縁を切ったので知らなかった。
私はもうリフォームしたあの家に訪れることも、あの日のことをもう一度聞くことも二度とないのだろうが、母の好きなひとたちはきっとそこにしかいないんだろうな、と思った。
毎年被害者の命日に周辺情報について語っていた地元民ブログが報告
判決が2105年で5-9年の不定期刑だから、報告の真偽はともかく出る時期だろう
2013年8月25日に起きた事件で、当時18歳だった少年が通りすがりの面識のなかった15歳少女を強姦目的で襲い、首を絞めて猥褻行為に及ぶ中で殺害
4日後に発見された遺体は腐敗しており、下着以外が剥がされ、身につけていたシャツとスカートが捨てられていた
腐敗が進みすぎて遺族が遺体を見ても実感が持てなかったが、足の爪に塗られたペディキュアは死亡前に姉や母とお揃いで塗ったものだった
遺体が遺族に引き渡された同日、検死した大学病院は「屍の死体検案に関する文書作成費用として5000円」と請求用紙を渡した
遺体から検出されたDNAは、その数年前に近隣で起こった器物損壊事件の際に検出されたものと一致
少年は高校3年生で、現役高校生を逮捕するのは可哀想という警察の配慮によって卒業式を迎えた翌日に捕まった
それまで少年はごく普通に日常生活を送り家族や友人も事件との関与を疑っていなかった
Twitterでは少年は事件に触れて他人事として怖がっているかのような投稿をしていた
@FALOS7
手の震え止まらん。