はてなキーワード: 萎えとは
まだ夏本番前なのにマスク辛い
暑いし蒸れるし息はしづらいし保湿されるかと思いきや乾燥するし辛い
この間気温も湿度も高い時にずっとマスクして働いてたら、えげつないくらいベースメイクは崩れるしアイメイクもぼろぼろだし萎えた
こんな辛いんだからさすがにみんなマスク外し始めたか?と思っていたけれど街中歩いてるとマスクしてないのは50人中1人くらい
もうウイルスを防ぐとか度外視で通気性の良いマスクにしたいけど、ピッタマスクとかはまだまだ売られておらず、がさがさした出所不明の通気性最悪なマスクしかない
助けてくれ
元増田? じゃあこんどからABなんかやめちまえCBのがおもしろいし原作の良さも表してるのにきまってんだろって「リアタイ感想」を書くわ
正直感想でコントロールされながら書いてあげてるウエメセは自主的に機械になってるだけじゃん。
感想があろうがなかろうが、
原作のCやBから受けた熱量(それは自分だけがうけたものだという思い込みこみで)をどうにかして発散したいという気持ちで描かれたものとは全く質が違うよ
正直こういう経験がある
有名作家さんがCBにいよいよ進出といわれてCのかっこよさがお目当てで買ってみたものの
ふたをあけてみたらCの顔がグズグズにぼやけてて見られたもんじゃない
なんで原作でちょうどいい位置にいたからってCつかったんだよってものすごい萎えた本にもであったことがあるよ
Cのかわいさが一個もなかった
これは混入じゃなくて内容表示と中身の違いかもしれんけど
3DプリンタやARが目立つようになった時、初音ミクが出た時、ドリームキャストが出た時、パソコンが出た時、パソコンが有名になった時、バザールでござーる。
いつだって元年、今でも元年。
だって人間の意思はいろんなことで折れるから、それを繋ぐ熱意は表通りの冷たい雨で冷やされている。
たかだかVTuberが思った以上の動きをしなかったことなんて、VR機材がオタク達の家に届く世の中になったことに比べたらまだまだ屁のかっぱ。
本気でVRMMOが始まって、RMTやらがスムーズに行われて家に電話一つで欲しい商品が送られてくる時代に比べたら、こんなもんまだはじまってすらもいない。
ある程度読んでいる人前提の記事であり、ネタバレの要素が含まれています。
もしこの記事を先に読み、興味が湧いたという方がいらっしゃいましたら、是非漫画も読んでみてください。
タイムパラドクスゴーストライター/ジャンプ本誌新連載マンガ試し読み - 市真ケンジ/伊達恒大 | 少年ジャンプ+
週刊少年ジャンプにて連載中の漫画。2020/24号から連載開始。
2020/07/17時点(2020/32号)で9話まで連載されている。
漫画家志望の青年・佐々木哲平は週刊少年ジャンプ編集部に何度もネームを見せるもボツ続きの日々を送っていた。
ある日、落雷の影響で電子レンジから10年後の未来の週刊少年ジャンプが送られてきて、
そこに載っていた新連載漫画「ホワイトナイト」に感銘を受ける。
それを盗作し、連載を勝ち取るが、そこに本来の作者である藍野伊月(PN:アイノイツキ)が現れ、
ひょんな事から藍野伊月が哲平のアシスタントに加わることとなる。
ホワイトナイトが未来のアイノイツキからの盗作である事を隠しつつ、哲平は毎週送られてくる未来のジャンプを参考に連載を続けるが、
そこには
という旨が書かれており、哲平は戸惑いながらも藍野伊月を救う決意を固める。
未来からのメッセージから半年後、藍野伊月はANIMAの連載をスタートさせるため、アシスタントを卒業する。
佐々木哲平vs藍野伊月がついに始まろうとしていた。
第3話 同類
第4話 贋作
第5話 本物の偽物
第6話 ストップ!
第8話 メッセージ
第9話 白紙の続き
未来のジャンプは1の世界線から2の世界線に向けて送られてきている。
で未来から佐々木哲平に向け、砂鉄を利用したメッセージが送られてきた。
送っているのが人なのか何なのかはまだわからない。
哲平がお前は誰だ?何者だ?と聞いた時、
√144や藍野伊月が頭に付けているヘアピンのマークが表示された。
・ ANIMAを藍野伊月が連載する事を知っている
・ 佐々木哲平が藍野伊月に負けると藍野伊月が死亡することを知っている
この事から
・ すでに藍野伊月の死亡を一度は確認している
・ ホワイトナイトを失った藍野伊月がANIMAを執筆する事を確認している
・ 藍野伊月を救う方法を分かっている
さらに
「藍野伊月を救う方法を確認しているという事は、すでに何度か藍野伊月の死を経験しているのではないか」
という事も推測できる。
と逆説を考えると
ANIMAを知っているはずの未来からのメッセージを送っている人と、ホワイトナイトの連載がある未来のジャンプを送っている人の世界線が異なるため、別人である可能性がある
ということも付け加えておく。
現在は死因について全く触れられていない。
どうしたら辻褄が合うか考えてみる。
・ホワイトナイトを執筆し続けた場合、10年後に熱狂的なファン(ストーカー)に殺される
・ANIMAを執筆した場合 人気投票1位を取る ー> インタビューに答えるなどをし作者の顔が世間に知られる ー> 熱狂的なファン(ストーカー)に殺される
こんな死因ではないか?と考えると
「漫画の人気投票で1位を取ることが無ければ、世間に注目される事が無く、殺されないのではないか」
とも導き出せる。
この推測があっていた場合は佐々木哲平がANIMAに勝ち続ける必要はない。
ANIMAが一位を取ったとしても世間の注目さえ浴びなければいいので、個人情報は絶対晒さないなどでも回避できるが、
美少女漫画家などマスコミからすれば良いネタなので藍野伊月の性格から考えると難しいだろう。
佐々木哲平が勝ち続けると注目が佐々木哲平に移るという事も考えられる。
その場合、
なんてという展開も考えられる。
もしその時は
ジャンプを腹にでも入れていて命が助かった
という展開でジャンプをヨイショするのもアリだろう。
事故や病死だった場合、漫画の勝敗は余り関係がなくなってしまうし、別の要因を排除するのが自然だろう。
過労死という展開も考えられるが、漫画が描きたくて漫画家になり、漫画を描いて人気絶頂で死ぬ。
これを止める権利は誰にもない。人気で勝ち、萎えさせろ!なんていう後ろ向きな死の止め方はため息しか出ない。
この藍野伊月の死因については不明な点が多いため、さらなる情報を求めたい。
ハッキリとした理由は不明だが、現在までの哲平の想いを羅列すると
などがある。
藍野との関係性は漫画家-アシスタント(現在は作家仲間)の間柄程度で、
良くて友人レベルまではあるが、恋仲といった描写は今の所無いようだ。
2030/24号から2031/21号まで佐々木哲平の手元に存在している。
月曜日の16:59に毎週届くが、例外として合併号の翌週は届かない。
また2031/20号はホワイトナイトの掲載がなかったため、届かなかった。
また、最初に届いた2030/24号は一度消えたと思っていたが、隙間に落としただけで残っている。
その他の号はコピーしていたり、本棚に置いてある描写があることから保管しているものと思われる。
10年経っているため、哲平の知っている作品は一つも無いとのこと。
ホワイトナイトは2031/19号の45話が最終話になるという旨が合わせて記載された。
時が進むのがめちゃくちゃ早い。(9話にして劇中ではすでに一年が経過した)
存在しないホワイトナイト46話以降のネーム苦労していたような描写があったが、
霧散してしまったり、別の漫画のキャラみたいな下目にクマが描かれるようになったり
と親指噛んだりとツッコみたい所一杯ある漫画ですが、憎めない。
超えてくるような展開をしてほしい。
「女も男もそれ以外もオタクも非オタクも読んでいってくれないか」(anond:20200714091214)に答えますね。
男の子は小学校中学年にもなればエロに興味を持ち出すころかと思うが、男の子をお持ちの男性のみなさんは何歳くらいからどんな作風なら触れてもいいかなみたいな漠然とした指標があるのだろうか。とらぶるならいいよ、とか、どんな性的嗜好だろうがフィクションはフィクションって割り切れるから自由にさせとけとか。
自分の子供時代を考えてみると、小学校低学年のころに、うちに遊びにきた友達がどこぞで拾ったと思しき女の人の肌色が非常にカラフルなお雑誌を持ってきたことがあった。それは祖母に見つかり、後日学校で女教師に呼び出され「そういうのはいけないんだよ」という丁寧な説明を受けた。私は自分が何を見ているのかも何でお説教(いやすげえ優しい口調だったが)を受けているのかもわからずどちらの場でもポカンとしているほかなく、当然私の小さなちんちんは勃ってはいなかった。
それが中学生になるとエロ本の回し読みなんぞをしてシコシコするようになるわけだが、男どうしの会話とはいえあまりに露悪的な嗜好の持ち主だとなかなかそれを表には出しづらく、いろいろな作品が収録された短編集や雑誌のうち1本に陵辱ものが混ざっていれば欣喜雀躍、結局のところインターネットで陵辱ものが好きな同士にたくさん出会えて、同好の士がネット上にはたくさん存在していることに気づけて安堵したりするわけである。
だから元増田が挙げた、モブレやら体調不良やらでキャッキャウフフする若き腐女子たちには、素直に羨ましさを感じる。自分の好きなオカズを同年代の友達と共有する経験なんて私にはなかった。同好の士はいつもネット上の見知らぬ誰かで、彼らと会話を交わしたことなんてなかった。自力で探しだしたエロ画像はあっても友達と本当に好きなオカズの回し読みなんてできなかった。私には彼女たちがまぶしく見える。
「レイプされて虚ろな目になってる女の子いいよねー」みたいな会話をリアルの思春期男子のあいだでやったらドン引きされるだろうし、モブレでキャッキャウフフしている女子たちもおそらくリアル友人とのあいだでそんな会話はできないだろう。あくまでもネットで同じ趣味の相手を探して語り合うくらいは、男も女も別にいいじゃないか。私はそんなふうに語らったことはないので、語らえる子たちの気持ちはよくわからないのだが……
で、倫理についての話。
正直、あまり心配しないでいいと思う。というのは、陵辱もの好きな男として断言するが、私は自分がそういうものが好きな傾向があると自覚した幼き日から今日までそれを現実にやっていい行為と誤認したことはただの一度もない。当たり前だ。嫌がる女の子を拘束して猿轡噛ませて犯す、この過程がどうやれば合法で倫理に則っていると勘違いすることができるのか。現実にやったら犯罪であり、被害者を苦しめる外道な行為であることなど自覚している(いや苦しんでいるから興奮するんだけど)。だから漫画に頼るのだ。
ここで勘違いするようなやつは、はっきり言って元々倫理観がぶっ壊れているのでゾーニングがどうこうの話ではない。エロが綺麗にゾーニングされていたとしても別のやらかしを犯すに決まってる。
だからモブレだの殴られるだの飛び降りだの、露骨に倫理に反する表現はむしろ安牌に近いだろう。だって、推しが殴られているBLを読んで、そうか、男を殴ることは倫理に反してないんだ! って勘違いしちゃう小中学生なんている? いないでしょ。仮に勘違いしちゃう子がいるなら、それはもうBLの責任どうこうじゃなくて本人にマトモな倫理観が備わっていないことの表れでしかない。そういうやつはBLがなくても別のことをやる、絶対にだ。
危ないのは、むしろ一見して倫理に反しているとは思えない表現の方だろう。
男向けのエロ表現が「現実に影響する」として近年問題になっているのは、陵辱やロリペドではなく、むしろ和姦ものの表現だ。たとえば、ガシガシ手マンすれば女は喜ぶとか、感じたときには潮が吹き出す、とかそういう演出だ。AVを見て「そうか! こうすれば女は喜ぶのか!」と勘違いして彼女に同じことをやって性器に怪我をさせる男というのは一定数いて、こちらは性交の実務に携わる人たちの間では問題視されている。はっきり言って一部の頭でっかちなフェミ連中が陵辱ものやらロリペドやらで騒いでいるのは頭がどうかしているとしか思えない。そんなのが現実に影響するなんてのはごくごくレアケースであり(ないとは言わない)、本当に問題なのは、こういう善意による勘違いだ。
これをBLに当てはめて考えるとどうか。危ないのは、むしろ増田のような思考ではないか。増田は、「政治的な正しさ、ポリコレに照らし合わせて考えること」が重要であると主張している。しかし、本当にポリティカリーにコレクトなBLを目指すなら、女が創作していたり、作中のゲイたちが差別を受けずのびのびと暮らしているだけでポリコレ的な問題をはらむのだ(anond:20200712223432)。露悪的な嗜好の腐女子たちは自分たちが倫理に反していることなど百も承知だろうが、増田のように倫理を重んじる腐女子は、果たしてそのあたりに自覚的だっただろうか? 結局のところそれは「多数派の考える倫理」に過ぎず、勘違いした善意を性的少数者に押し付けているだけになってはいないだろうか?
たかが十数年、されど十数年である。十数年というのは、他人を強姦してはいけないとか、他人を殴ってはいけないとか、そういう規範を育むには十分な時間だと思うし、十数年も生きていれば支部のゾーニングをかいくぐる技術くらい身につけるものである。
積極的に子供たちにセンシティヴな創作を見せびらかしていくべきとは思わないが、小さな人たちが自分でセンシティヴ表現に積極的に触れようと思ったら、表現者の側でそれを阻むことなんてできない。だからまあ「うるせえ自由に創作させろ」でいいんじゃないでしょうか。男向けのゾーニングはそういう発想で動いているように思う。子供の前にわざわざ出したりしないけど、子供が自力でたどり着いた分にはニヤリと笑って不問に付す、的な。あれだ、一種の通過儀礼だな。
あれ、「オタクだけど」と名乗った割にオタクとは関係ない話になっちゃった。だからオタクと関係ある話を最後にしておくと、ワイ好きな作品のエロ同人ってほとんど買わんのよね。好きな作家さんがエロを出したら買うけど、基本的には全年齢向けのプラトニックな恋愛ものとかギャグものとか日常ものを買って読んでる。だっていちゃラブじゃいくらガッツリ性交を描写されても私は勃たないし、私が勃つようなひどいプレイを好きなキャラ相手にするのなんてひどすぎてかわいそうで見ていられないし、ということでエロはオリジナルに限りますね。思い入れのない架空人物ならいくらでもかわいそうな目に遭わせられて最高。だから好きな作品のエロ同人買ってNTR掴まされてキレてるオタクの気持ちはよくわかんない。エロ同人を買わなければNTRを掴まされることもないのでは……? なぜ好きなキャラのエロを読みたがる……? というか和姦ものを買う以上一定数NTR掴まされることは覚悟しておくべきじゃない? ガチの陵辱スキーは途中で女が喜びだしだり犯してきた相手のことを好きになるとかいうクソ萎え展開を日常的に掴まされているんだぞ! 安易なレイプファンタジーを蔓延させやがって! NTRくらい甘受しろや! あ、これただの八つ当たりだわ、すまん。
ゆにちゃん様は好きだけどひまりちゃんはそこまで好きじゃないんだ、すまんな(単に興味がないだけで嫌いというわけではない)
"ガチの陵辱スキーは途中で女が喜びだしだり犯してきた相手のことを好きになるとかいうクソ萎え展開" わかりみしかない。少し理屈をこねると、加害行為を被害者から肯定される展開は二重に正しくないだろって思う。
いやそういう理屈は割かしどうでもよくて、心底嫌がっているのを無理やり……というのが良いのになんで途中から愛が生まれてるの? は? って感じで萎えてしまうんや。萎えの機序としてはメガネっ娘がメガネを取るアレに近い、というかコスプレAVの衣装を脱がすな問題と同じ。
この増田があげてる「陵辱で相手が受け入れちゃうケース」はよろしくないと思う(ただ現在のゾーニング対象になっているとも思う)。
なんか勘違いしてるかもだけど「陵辱されて気持ちよくなる/陵辱してきた相手を好きになる」展開に特化したゾーニングはないよ?
ゾーニングといっても色々あるわけだけど、たとえばpixivでは、性行為や乳首・性器の直接的な描写の有無でR-18かそうでないかが決まり、その中でグロやスカの描写があればR-18Gになる、という感じなので、いちゃラブ和姦でもモロに性器やら何やらが描かれてればR-18で、陵辱してきた相手を好きになる展開でも描写が朝チュンなら一般向け。
「陵辱されて気持ちよくなる/陵辱してきた相手を好きになる」展開、個人的には別ジャンルということにしてほしいんだけど全部ひとまとめに「陵辱」扱いされてるのが現状だねえ。いずれおねショタとおねガキみたいにジャンル分化する日が来るんだろうか(でもこれは物語のオチを明かすに等しい区分だから無理だろうなぁ)。
で、勘違いされると困るので言っとくと、私がそういう展開を嫌いなのは性暴力を正当化しているからとかそういうどうでもいい理由ではなくて、単純に萎えるからです。嫌がってるのを無理やり陵辱する展開が性的な意味で好きなのに途中で受け入れられるとドッチラケなわけ。
でも、それは私のちんこに反しているというだけで、そういう展開が正しくないってことじゃないからね。そういう展開が好きな人には私の好きな展開は刺さらないんだろうし、好みの問題であるものを正邪の話にしないでほしい。
増田は「表現による心的ストレス」という影響を軽視してるな。ホラーを見てトイレに行けなくなるのは皆通る道だ。フェミやNTR嫌いの根幹はそこだし、オタクも住み分けには賛同する。自由の代償は他人が支払ってるよ。
アホらし。ホラー見ておトイレ行けなくなるのもNTR掴まされてショック受けるのも自己責任でしょ(もちろん私が嫌いな展開の陵辱ものを掴まされるのも)。私もうっかり寝る前に『ゴーストハント』読み返しておトイレ行くの怖くなるときがあるけど、それはそんなのをそのタイミングで読んだ私の責任。支部や即売会でエロ同人を漁るならNTRが一定数混じっていることを覚悟すべきで、展開に怒るなら好きなだけ怒ればいいけど(作品をdisるのは読者の表現の自由に属するので)そのストレスの責任は自分で負うべき。
自由に表現して自由に手に取って自己責任で怒ったり傷ついたり笑ったり泣いたりすりゃいいんですよ。
みんながまともなら問題ないけど、こういう極端な設定の作品は「これは現実ではない」注意喚起や一般には簡単に見えないよう棲み分けが必須 澁澤龍彦とか
ばっかじゃないの。ガッツリ性行為のシーンがある陵辱ものは当たり前だけどとっくにR-18で~す。R-18といっても広い世界なので、わざわざ「陵辱」とか「レイプ」とか「(自重)」とか「(自主検閲)」とか「(禁則事項)」とかそういう検索ワードを入れないと出てきませ~ん。あのさ俺が理想の陵辱ものを探すためにどれだけ検索ワードを工夫してきたと思ってんの?(血涙)
全然関係ないけど今テキトーに「R-18」で画像検索したらむっちゃBL出てきて草。R-18で検索したら男向け作品が出てくるという先入観はある意味ジェンダーバイアスだよなぁ。
だるま、欠損好きの友人と比べたらセーフかと思ったけどそれはそれで感覚狂ってるな。ところでなるほどなあと読んでたらいきなりゴーストハントが出てきてビックリした
だるま、作中で切断される場合だと「その傷が塞がるまで何日かかるんだ?」みたいなことが気になってしまうんだよな(いや、包帯巻いてる場合が多いだろうけど)
『ゴーストハント』は家人が寝静まって暗くなった家でうっかり読むとマジで怖いから困る。コソリが来るよ……『残穢』はおトイレ以前に家そのものが怖くなるからダメ(好き)。うっかり寝る前に『残穢』を読んでしまい家を焼き払いたい衝動に駆られたときは『営繕かるかや怪奇譚』で中和するのがいいと思います(そもそも寝る前に『残穢』を読むな)
中高生くらいの男の子に「正しい性癖とは何か」を教えられるのは同年代のホモソーシャルしか無い。ホモソを悪としか捉えられないフェミには都合の悪い話だろうがな。
「堂々と公言できる性癖」や「合法的に実行できる性癖」はあっても「正しい性癖」はなく、「公言するとドン引きされる性癖」や「実行に移すと犯罪になる性癖」はあっても「間違った性癖」なんてこの世にないんだよなあ。
なんで若い女が男湯に!と思ったら付いてた。
そこ以外はけっこう若い美人でモジャっとパーマのセミショートボブ、色白、スタイルよし、美乳、ピンクの乳首で小さすぎず大きすぎずとパーフェクトボディだったのでかなり混乱した。
まず、私は死ネタが嫌いではない。
むしろ好んで読むことすらある。
人によって作品の確信や結末にあたる【ネタ】部分は心に刺さることが多い。死ネタは地雷として表現されることが多いと考えてタイトルに表記した。人それぞれ、地雷とされる【ネタ】は様々だと思う。取捨選択して、素晴らしい二次創作ライフを楽しんで欲しい。
もしも、作品に注意書きがなく、自分の思う内容ではなかったとしても、目くじらを立てずスルースキルを発揮する力を養うべきだ、と。そこそこ長くオタクも腐女子も経験した身としては、蚊帳の外からそっと思っていた。
今回、どうしても、どうしても、言葉を綴りたくなってしまった。
私だけが?と思う推しキャラクターを巡る世の流れや趣向の違いを飲み込めない意固地なオタクだとわかっているのだが、やるせない孤立感が大きい。
私の推しキャラクターは、唯我独尊タイプだが信念のある支配者然とした男性キャラクターである。知性も理性も備えている。また、彼自身遊び心も持ち合わせており、絶え間なく変わる姿に心の底から引き込まれてしまう。正直、作品の中で、1・2を争う完璧な生物であり、私の語彙程度では正しく表現できないことが悔しいが男前なキャラクターに分類されると思っている。
当然のように、支えている部下たちも一流の男たちである。完璧な仕事ぶり、所作・言葉使いまで、各人員が要所に個性や気品があると思う。
かなりこの方々は人気がある。
私は推しキャラクターには多大なる恩義があるので、もう一生推す・この人で最後、と本気と書いてマジで思っている。盲目的であることを許してほしい。
ここから少し推しを巡るカップリングの話をしたい。私の推しキャラクターとその側近のような部下がいる。人により捉え方は変わると思うが、複数人いる部下の中で、この2人だけ作中で別次元の描かれ方をしていたように感じた。ここにストンとおさまってしまった腐思考の方々も多いのではないだろうか。実は、私もその口だ…
そんなあっさり、おまえ。と思うかもしれないが、視覚と音の効果は絶大で逃れようがないんだ。世界中に見せたい、これできてるよな?と、10億人思うはず。
私はその推しキャラクターを単体で推して長いが、今までカップリングで考えることは、稀にある、程度の頻度であった。
推しキャラクターをとにかく彼らしく描いていて欲しいという願いを持っていたので、二次創作よりも公式に傾倒していた事もある。ここで書く彼らしいは、公式を逸脱しない設定でという意味で捉えて欲しい。それも、わたし個人の主観によるものなので、人により解釈は変わるだろう。簡単に考えれば二次創作に重きを置いていなかった、公式最重視型オタクだったのだ。
でも、拗らせ方がひどい時期は
と、ここまでは流石に思っていなかったかもしれないが、人間活動としてのリアルな事象はなるべく想像したくなかった。神様レベルの信仰対象に限りなく近かったのではなかろうか。また、夢女子的な思考はなかったが推しキャラクターへ心酔に近い考えを持っていたために、ドリーム思想の方々とは相入れないとわかっていた。住む畑が違うならば耕さなければいい、ノータッチを貫いた。
そして当時から最近まで、確信的な推しのえっちなシーンを想像するのはギリギリのラインに留めたいという気持ちがあった。やってもいいけど直接的には見たくない。暗転希望、事後描写にしてくれ。反して、支配者タイプの成人男性なのだから、女は抱いてていいと思っていた。
みたいものが少ないと判断していたためか、二次創作を進んで読むことは少なかった。
そして、
2020年7月現在、これは全く当てはまらない。公式からの新しい情報投下により私の世界は一変した。
部下(攻め)×推しキャラクター(受け)がめちゃくちゃ読みたい。毎日読みたい。沢山読みたい。朝起きてからおやすみまで読みたい。作中まだ幸せそうに見えない推しキャラクターを幸せにしてくれ、部下!と願いながら広大なネットの海で神々の作品に溺れさせてくれ。
そして根っ子には腐った女を飼っているので求めるところは以下である。
メタクソ読みたい。
洗浄からきちんと見させていただきたいですし、わたし、上に乗るのが好みです。
できたらステイさせられるのは攻めがいいし、女王然としていて欲しい。
貴方の優位は揺るがない。で、お願いしたい。
これ。
今回、自分の認識が変わり、二次創作を楽しめるようになった。ブームにのり溢れてくる作品群、雲が晴れたように私の世界は明るかった。とても喜ばしい日々が続いていた、自分も作品をかきたいという気持ちもあった。少し前まで創作意欲も創作物にも触れる事が怖かった時期があったので本当に感謝の気持ちで、推しに五体投地して過ごしている気持ちだ。
意識的に、自分が読み飛ばしているシーンが、だんだんと、だんだんと、増えていくことに。
その頻度が増えていることに。
これだ。
あまりにも唐突に、コーヒーいれたよー!みたいな感覚で呼び捨てにされる推しキャラクターと、唐突に呼び捨てにする部下という図に思考回路が追いついていなかった。
頭の中のシナプス伝達が出来てない、言語中枢が真っ黒に塗りつぶされたのか、拒否してるとしか思えない。視覚からも受け付けてはくれない、意図して目を滑らせる。これは、これはダメかもしれない…のみこめないのだ。素直にびっくりしてしまった。
私は、オタクとして自覚をもつ頃には、読めないものが少なかった。漫画も小説もとりあえず読んでから考えるスタンスで生きてきた。そして、殆どが多様性をもった【ネタ】として別時空のキャラクター達として読み進めることができた。ハッピーエンドもバッドエンドもそれぞれの解釈を楽しむことが作者の世界観を知り楽しめる、そこに幸せを感じていた。
勿論、記憶に残らないものや、私には難しいかもしれないという世界観もあったがそれほど気にせず受け流していたのだと思う。
わたしの二次履修背景からしてこんなことになるとは思わなかった。しかしながら今回に限り頭の中を占めるのは、
推しキャラクターを呼び捨てにするという身に余る行為を軽率にしている部下。
なぜか?という疑問が拭えない。なんでなんだ部下…なぜ敬意を払わない。お前にとって、唯一無二のお方ぞ。
(わたしは冷静ではないので、細かな前後描写や文脈から作者の意図を汲み取ることができない、また読み返してもできる自信がない。)
補足をしておきたいが、全ての部下→推しキャラクター(上司)への呼び捨て行為が受け入れがたい訳ではなかった。
ストーリーの流れで呼び捨てる行為がスムーズまたは、必要とされれば受け入れられた。
そこに至る設定というのはとても大切で、呼び捨てる行為にスイッチや理屈があることが重要な鍵となっているようだった。
人によって、なんとないことかもしれない。名前の先に付ける敬称が無いだけだ。
推しの事を呼び捨てる行為について、部下は許しを得ているのか。
不敬であろう、なんて、不敬なのだろうか。
そもそも部下はこんなことをするだろうか。そんな信念でお仕えしているのか、望むだろうか。
推しはあっさりと呼び捨てることをさせるだろうか、高貴なあなたが!?
いや、無理だなぁ涙涙涙
しかしながら、界隈の流行があるようで、ポンポンポーンとお名前を呼んでいる部下。
呼ぶにしても、推しからの許可や切羽詰まった懇願をしてからにと切望してしまう。推しキャラクターは受けだが完全生物なんだ。オメガバ○スならαだろうし、セクヒ○スなら重種だ。マーメイドかも。メタくそ美しいんだ世界が傾く美貌なんだ。
ひとり四面楚歌に立たされている中、追い討ちをかけるように、客観的な作品への同意マークが増えていくことが不可思議でならない…みんな呼び捨て呼称は気にならないのか、この方をあっさりと名前で呼んでいいの…様つけないの…
自らの中に警備員を飼っていたことにも驚愕し、同時に作品を創作してくださった方への罪悪感や裏切られた気持ち、受け入れられない自分への失望が一気に流れ込んできていた。相反する感情で潰れそう、きつすぎる。
ただ、推しキャラクターが好きでたまらなくて、カップリング趣向を楽しめるようになったのに、このような感情を持っている自分への悲しみ呆れ。でも、やはり受け入れられない真理。
萎えるのだ、受け止められない。呼び捨てるという行為を見た瞬間に、サッと血の気がひく、どんな行為の最中だろうと冷静さを取り戻してしまう。その後には、怒りすら覚えてしまう。どうしようもない…
そして、恐ろしいのがこれは記載される可能性が低い、無いだろう地雷なのだ。
私自身は作品を読むうえで地雷を気にしたことが殆どない、読んでから考えるタイプだった。対して、過去自身の創作に関しては慎重で注意記載は多すぎる方だった。だからわかる。
という至極丁寧な記載をしていただけるだろうかと言えば、私にはそこまで求められない。小説ならば数千数万の作品を書いてくださる偉人たちにそこまでさせるか、と言えばできない。自身も攻めが受けの呼称を変えますと、表記したことはない。もしかしたら、私も誰かの脳にダイレクトアタックをキメていた可能性もある。なんてことだ。
自営したいのに、とても回避が難しいことに頭を抱えている。
つらいつらいつらいつらい。
読みたい!!!なんでこんなに面倒なことになった
素直に推しのえっちシーン読めよおおおお!拗らせないでくれマイブレイン!
でもやっぱり呼び捨ておがじぃ!
冷静では無い。
素晴らしい作品に出会い読み進め、いざこれから本番です。きたきたきたあああああ盛り上がってまいりましたっ!という時に突如として推しが呼び捨てされる行為、いともたやすく行われるえげつない行為。
すべてが止まる、静寂が訪れる。
でも悪いと思って、萎えてないフリをする。考えないようにする、別のことを考えるみたいに
向こうもそれに気付きながらも、気付かないフリをしてくれる
それをこっちも気付いてしまい、相手の気遣いをあえて気付かないように無視をする
ぎりぎりで行える行為、肉体のほうはなんとか萎えておらずとも、精神のほうはずいぶんと萎えてしまっている
だから何も考えないようにする。それでようやくできる。
でも、そんな風に自分をないがしろにして、肉欲ばかりに意識を向けて、自己を見失ってまで行う行為は酷く寂しく感じてしまう
それだと自分である必要は全然ないんじゃないか?って思えてしまうから
今はきっと若いからできるのであって、これから歳をとって、肉体のほうが萎えに対して顕著に反応するようになったらできるかわからない
腐女子のお気持ち表明や学級会が盛んだが、私には原作者様公式様の褌こと攻めちゃん受けちゃんでオナニーをすることしかできない。
私はひたすら、心のちんこ、あるいはクリトリスが示す方向へ進む。受けの尻に攻めのちんこを突っ込む。突っ込むまでの物語を補強する。
腐女子たち、おけパに言及したりお気持ち表明に精を出している場合ではない。受けに攻めの精液をぶっかけるんだ。攻めに受けの精液をぶっかけるのだってもちろんOKだ。
腐女子なら、腐女子ならオナニーに全力になれ。他人にお前のオナニーを任せるな。
お気持ち表明に使う筆力をオナニーにぶつけろ。学級会をする時間をオナニーに充てろ。他人のオナニー事情を気にするなんて自分のオナニー以上に生産性がない。
攻めちゃんと受けちゃんが早く番とお話をさせてくれと、セックスさせてくれとお前を見ているぞ。
プロット段階では存在した、攻めが受けのちんこ舐める描写がまるまる抜けていることに今さっき気づいて絶望したところだが、まだ心のちんこは萎えていない。私はオナニーに戻る。
尿(にょう)の陳鎮(ちんちん)の都に住む短小(たんしょう)という男が、天下第一の陰茎の名人になろうと逸物を勃てた。己の師と頼むべき人物を物色するに、当今男根をとっては、名手・飛精(ひせい)に及ぶ者があろうとは思われぬ。百歩を隔てて女体を見るに即刻絶頂するという達人だそうである。短小は遥々飛精をたずねてその門に入った。
飛精は新入の門人に、まず萎えざることを学べと命じた。短小は家に帰り、妻の股座の下に潜り込んで、そこに仰向けにひっくり返った。陰茎とすれすれに女陰が忙しく上下往来するのをじっと萎えずに見詰めていようという工夫である。理由を知らない妻は大いに驚いた。第一、妙な姿勢を妙な角度から良人に覗かれては困るという。嫌がる妻を短小は叱りつけて、無理に股を開き続けさせた。来る日も来る日も彼はこの可笑しな恰好で、萎えざる修練を重ねる。二年の後には、遽だしく往返する女陰が陰毛を掠めても、絶えて萎えることがなくなった。彼はようやく股の下から匍出す。もはや、鋭利な錐の先をもって陰茎を突かれても、萎縮をせぬまでになっていた。不意に火の粉が尿道に飛入ろうとも、目の前に突然灰胡座(ばいあぐら)が立とうとも、彼は決して陰茎をしぼませない。彼の海綿体はもはやそれを縮ませるべき筋肉の使用法を忘れ果て、夜、熟睡している時でも、短小の陰茎はカッと大きく屹立したままである。ついに、彼の睾丸と睾丸との間に小さな一匹の蜘蛛が巣をかけるに及んで、彼はようやく自信を得て、師の飛精にこれを告げた。
それを聞いて飛精がいう。萎えざるのみではまだ射精を授けるに足りぬ。次には、視ることを学べ。視ることに熟して、さて、貧を視ること巨のごとく、微を見ること爆のごとくなったならば、来って我に告げるがよいと。
短小は再び家に戻り、肌着の縫目から乳首を一つ取り出して、これを己が陰毛をもって繋いだ。そうして、それを南向きの窓に懸け、終日睨み暮らすことにした。毎日毎日彼は窓にぶら下った乳首を見詰める。初め、もちろんそれは一つの乳首に過ぎない。二三日たっても、依然として乳首である。ところが、十日余り過ぎると、気のせいか、どうやらそれがほんの少しながら大きく見えて来たように思われる。三月目の終りには、明らかに乳房ほどの大きさに見えて来た。乳首を吊るした窓の外の風物は、次第に移り変る。煕々として照っていた春の陽はいつか烈しい夏の光に変り、澄んだ秋空を高く雁が渡って行ったかと思うと、はや、寒々とした灰色の空から霙が落ちかかる。短小は根気よく、陰毛の先にぶら下った哺乳類・催淫性の小乳頭を見続けた。その乳首も何十個となく取換えられて行く中に、早くも三年の月日が流れた。ある日ふと気が付くと、窓の乳首が馬のような大きさに見えていた。占めたと、短小は陰茎を打ち、表へ出る。彼は我が目を疑った。陰茎は高塔であった。睾丸は山であった。陰毛は森のごとく、包皮は城楼と見える。雀躍して家にとって返した短小は、再び窓際の乳首に立向い、男根の綿に精液をつがえてこれを射れば、精液は見事に乳首の中心を貫いて、しかも乳首を繋いだ毛さえ断れぬ。
短小は早速師の許に赴いてこれを報ずる。飛精は高蹈して金玉を打ち、初めて「出かしたぞ」と褒めた。そうして、直ちに射精の奥儀秘伝を剰すところなく短小に授け始めた。
男根の基礎訓練に五年もかけた甲斐があって短小の腕前の上達は、驚くほど速い。
奥儀伝授が始まってから十日の後、試みに短小が百歩を隔てて女体を見るに、既に瞬間射精である。二十日の後、いっぱいに精液を湛えた盃を右肱の上に載せて剛直を扱くに、狙いに狂いの無いのはもとより、杯中の精液も微動だにしない。一月の後、一本の陰茎をもって速射を試みたところ、第一射が的に中れば、続いて飛来った第二射は誤たず第一液の染みに中って突きささり、更に間髪を入れず第三射の精液が第二射の溜まりにドッパとなだれ込む。精精相属し、発発相及んで、後射の精液は必ず前射の精液に喰入るが故に、絶えて地に墜ちることがない。瞬く中に、百発の精液は一本のごとくに相連なり、的から一直線に続いたその最後の一滴はなお剛直を銜むがごとくに見える。傍で見ていた師の飛精も思わず「逝く!」と言った。
二月の後、たまたま家に帰って妻となかよしをした短小がこれを威そうとて黄金の陰茎に白銀の精液を溜めきりりとしこって妻の目を射た。液は妻の睫毛三本を射切ってかなたへ飛び去ったが、射られた本人は一向に気づかず、まばたきもしないで亭主を罵り続けた。けだし、彼の至芸による精液の速度と狙いの精妙さとは、実にこの域にまで達していたのである。
もはや師から学び取るべき何ものも無くなった短小は、ある日、ふと良からぬ考えを起した。
彼がその時独りつくづくと考えるには、今や陰茎をもって己に敵すべき者は、師の飛精をおいて外に無い。天下第一の名人となるためには、どうあっても飛精を除かねばならぬと。秘かにその機会を窺っている中に、一日たまたま吉原において、向うからただ一人歩み来る飛精に出遇った。とっさに意を決した短小が陰茎を取って狙いをつければ、その気配を察して飛精もまた男根を執って相せんずる。二人互いに射れば、精はその度に中道にして相当り、共に地に墜ちた。地に落ちた精が軽塵をも揚げなかったのは、両人の精液がいずれも実に粘っていたからであろう。さて、飛精の精液が尽きた時、短小の方はなお一射を余していた。得たりと勢込んで短小がその精を放てば、飛精はとっさに、傍なる野次馬の陰茎を折り取り、その粗根の先端をもってハッシと液を叩き落した。ついに非望の遂げられないことを悟った短小の心に、成功したならば決して生じなかったに違いない道義的慚愧の念が、この時忽焉として湧起った。飛精の方では、また、危機を脱し得た安堵と己が巨根についての満足とが、敵に対する憎しみをすっかり忘れさせた。二人は互いに駈寄ると、吉原の真中に相しごいて、しばし美しい師弟愛の摩羅をかきくれた。(こうした事を今日の道義観をもって見るのは当らない。性豪の精(せい)の乱公(らんこう)が己のいまだ味わったことのない珍々を求めた時、厨宰(ちゅうさい)の液牙(えきが)は己が息子を蒸焼にしてこれをすすめた。十六歳の少年、秦のシコシコう帝は父が死んだその晩に、父の男根を三度襲うた。すべてそのような時代の話である。)
精涙にくれて相扱きながらも、再び弟子がかかる企みを抱くようなことがあっては甚だ危いと思った飛精は、短小に新たな目標を与えてその気をせんずるにしくはないと考えた。彼はこの危険な弟子に向って言った。もはや、伝うべきほどのことはことごとく伝えた。爾がもしこれ以上この道の蘊奥を極めたいと望むならば、ゆいて西の方大硬(たいこう)の嶮に攀じ、掻山(かくざん)の頂を極めよ。そこには甘勃老師とて古今を曠しゅうする斯道の大家がおられるはず。老師の技に比べれば、我々の射精のごときはほとんど児戯に類する。爾の師と頼むべきは、今は甘勃師の外にあるまいと。
短小はすぐに西に向って旅立つ。その人の前に出ては我々の技のごとき児戯にひとしいと言った師の言葉が、彼の海綿体にこたえた。もしそれが本当だとすれば、天下第一を目指す彼の望も、まだまだ前途程遠い訳である。己が業が児戯に類するかどうか、とにもかくにも早くその人に会って摩羅を比べたいとあせりつつ、彼はひたすらに道を急ぐ。裏筋を破り亀頭を傷つけ、陰茎を扱き精液を出して、一月の後に彼はようやく目指す山顛に辿りつく。
気負い勃つ短小を迎えたのは、羊のような柔和な目をした、しかし酷くよぼよぼの爺さんである。年齢は百歳をも超えていよう。腰の曲っているせいもあって、陰茎は歩く時も地に曳きずっている。
相手が聾かも知れぬと、大声に遽だしく短小は来意を告げる。己が技の程を見てもらいたいむねを述べると、あせり勃った彼は相手の返辞をも待たず、いきなり股間についた陽根摩羅を露出して手に執った。そうして、玻璃の我慢汁を出すと、折から空の高くを飛び過ぎて行く渡り鳥の群に向って狙いを定める。陰茎に応じて、一射精たちまち五羽の大鳥が鮮やかに碧空を切って落ちて来た。
一通り出来るようじゃな、と老人が穏かな微笑を含んで言う。だが、それは所詮射精之射精(しゃせいのしゃせい)というもの、好漢いまだ不射精之射精(ふしゃせいのしゃせい)を知らぬと見える。
ムッとした短小を導いて、老隠者は、そこから二百歩ばかり離れた絶壁の上まで連れて来る。脚下は文字通りの大木のごとき茎立千仭、遥か真下に糸のような細さに見える精液渓流をちょっと覗いただけでたちまち勃起を感ずるほどの淫らさである。その断崖から半ば宙に乗出した猥石の上につかつかと老人は駈上り、振返って短小に言う。どうじゃ。この石の上で先刻の業を今一度見せてくれぬか。今更引込もならぬ。老人と入代りに短小がその石を履んだ時、石は微かにグラリと揺らいだ。強いて気を励まして陰茎をしごこうとすると、ちょうど崖の端から小石が一つ転がり落ちた。その行方を目で追うた時、覚えず短小は石上に伏した。男根はワナワナと顫え、我慢汁は流れて踵にまで至った。老人が笑いながら手を差し伸べて彼を石から下し、自ら代ってこれに乗ると、では射精というものをお目にかけようかな、と言った。まだ勃起がおさまらず蒼ざめた陰茎をしてはいたが、短小はすぐに気が付いて言った。しかし、陰茎はどうなさる? 睾丸は? 老人は去勢済だったのである。陰茎? と老人は笑う。男性器の要る中はまだ射精之射精じゃ。不射精之射精には、金剛の陰茎も碧玉の睾丸もいらぬ。
ちょうど彼等の真上、空の極めて高い所を一羽の鳶が悠々と輪を画いていた。その胡麻粒ほどに小さく見える姿をしばらく見上げていた甘勃が、やがて、見えざる精液を無形の陰茎につがえ、満月のごとくに引絞ってどぴゅと放てば、見よ、鳶は羽ばたきもせず中空から石のごとくに落ちて来るではないか。
短小は慄然とした。今にして始めて茎道の深淵を覗き得た心地であった。
九年の間、短小はこの老名人の許に留まった。その間いかなる修業を積んだものやらそれは誰にも判らぬ。
九年たって山を降りて来た時、人々は短小の陰茎の変ったのに驚いた。以前の太く長いカリ高な魔羅魂はどこかに影をひそめ、なんの凹凸も無い、コケシのごとく棒のごとき根貌に変っている。久しぶりに旧師の飛精を訪ねた時、しかし、飛精はこの魔羅付を一見すると感嘆して射精した。これでこそ初めて天下の名人だ。我儕のごとき、足下にも及ぶものでないと。
陳鎮の都は、天下一の名人となって戻って来た短小を迎えて、やがて眼前に示されるに違いないその性技への期待に湧返った。
ところが短小は一向にその要望に応えようとしない。いや、陰茎さえ絶えて手に取ろうとしない。山に入る時に履いて行った金糸の下履きもどこかへ棄てて来た様子である。そのわけを訊ねた一人に答えて、短小は懶げに言った。自慰は為す無く、シコシコは言を去り、至射精は射精することなしと。なるほどと、至極物分りのいい陳鎮の都人士はすぐに合点した。陰茎を執らざる射精の名人は彼等の誇となった。短小が陰茎に触れなければ触れないほど、彼の無敵の評判はいよいよ喧伝された。
様々な噂が人々の下の口から口へと伝わる。毎夜三更を過ぎる頃、短小の家の屋上で何者の立てるとも知れぬ自慰の音がする。名人の内に宿る射精の神が主人公の睡っている間に体内を脱け出し、淫魔を払うべく徹宵守護に当っているのだという。彼の家の近くに住む一商人はある夜短小の家の上空で、雲に乗った短小が珍しくも陰茎を手にして、古の名人・羿(ゲイ)と超勃起の二人を相手に魔羅比べをしているのを確かに見たと言い出した。その時三名人の放った精はそれぞれ夜空に青白い光芒を曳きつつ娼宿と天淫星との間に消去ったと。短小の家に忍び入ろうとしたところ、塀に足を掛けた途端に一道の精気が森閑とした家の中から奔り出てまともに股間を打ったので、覚えず射精し外に顛落したと白状した盗賊もある。爾来、淫心を抱く者共は彼の住居の十町四方は避けて廻り道をし、賢い渡り鳥共は彼の家の上空を通らなくなった。
雲と立罩める名声のただ中に、名人短小は次第に老いて行く。既に早く射精を離れた彼の魔羅は、ますます枯淡虚静の域にはいって行ったようである。木偶のごとき陰茎は更に凹凸を失い、勃つことも稀となり、ついには存在の有無さえ疑われるに至った。「既に、陰茎と空との別、是と非との分を知らぬ。眼は陰茎のごとく、耳は陰茎のごとく、鼻は陰茎のごとく思われる。」というのが、老名人晩年の述懐である。
甘勃師の許を辞してから四十年の後、短小は静かに、誠に精子のごとく静かに世を去った。その四十年の間、彼は絶えて射精を口にすることが無かった。口にさえしなかった位だから、陰茎を執っての活動などあろうはずが無い。もちろん、寓話作者としてはここで老名人に掉尾の大乱交をさせて、名人の真に名人たるゆえんを明らかにしたいのは山々ながら、一方、また、何としても古書に記された男根を曲げる訳には行かぬ。実際、老後の彼についてはただ無為にして化したとばかりで、次のような妙な話の外には何一つ伝わっていないのだから。
その話というのは、彼の死ぬ一二年前のことらしい。ある日老いたる短小が知人の許に招かれて行ったところ、その家で一つの器官を見た。確かに見憶えのある器官だが、どうしてもその名前が思出せぬし、その用途も思い当らない。老人はその家の主人に尋ねた。それは何と呼ぶ部位で、また何に用いるのかと。主人は、客が冗談を言っているとのみ思って、ニヤリととぼけた笑い方をした。老短小は真剣になって再び尋ねる。それでも相手は曖昧な笑を浮べて、客の心をはかりかねた様子である。三度短小が真面目な顔をして同じ問を繰返した時、始めて主人の顔に驚愕の色が現れた。彼は客の眼を凝乎と見詰める。相手が冗談を言っているのでもなく、気が狂っているのでもなく、また自分が聞き違えをしているのでもないことを確かめると、彼はほとんど恐怖に近い狼狽を示して、吃りながら叫んだ。
私がこれを書こうと思ったきっかけは、Twitterで流れてきたある漫画だった。それは、神字書きに触発され自分でもそのカプを書こう!となりその神や神の相互に心を掻き乱されまくるという話である(トレンドにも入っていたので、目にした方は多いんじゃないかと思う)。オチもないし読み返しても何が言いたかったのかわからないので、時間のない方はスルーするのをオススメする。こういうことがあったよーという経験談であることを了承した上で読んでいただきたい。
私は、出戻りし再ハマりしたジャンル(以下某ジャンル)にて自カプ(以下AB)にどハマりしていた。ここで隙自語させていただくが、自分はめちゃくちゃ、めちゃくちゃ飽き性である。熱しやすく冷めやすいタイプである。それを前提にこの文章を読んでもらうと、憐みが増すと思う。
その話は置いておくが、私はABを検索している中神を知った。神は、可愛い絵を描く絵師だった。まだ駆け出しだったし、おそらく公開垢で同人活動するのは初めてのようで、フォロワーも全くいなかった。私は神の絵に惚れ込み、誰からも送られてなかったマシュマロに長文の感想(というか1枚しか絵を上げていなかったので、ほぼ好き!!という告白)を送った。すごく喜んでくれた。それから、自分もABで同人活動を始めよう。そう思った。
自分には死ぬほど絵の才能がなかった。なので文章を書くことに挑戦した。某ジャンルに初めてハマった時に、一度だけ文章を書いたきりであったが、頑張ってSSを書き、そして神をフォローした。私など神にとっては虫けらのようなものだったが、神は私の1つのSSだけで、フォロバをしてくれた。その時既に、私は神と自分より2週間前に繋がった相互(以下Xさん)がいることを知っていた。そして、私もXさんと相互だった。
Xさんは、絵を描くのは初といった感じの人で、沢山のジャンルにハマってきた歴戦の兵士だった。正直、Xさんの絵は上手いと言われればそうではなかったと思うし、ABへの熱だけで絵をあげている人だった。いい人だった。でも、だからといって、私にはXさんと繋がる理由はない。ということは、今思い返してみても私は心の奥底で2人が仲良くしてるところに混ざりたい、という醜い欲望があったのだと思う。
私は、神がアカウントを作ってからずっと見てきた。Xさんが繋がる前に神があげ、消した絵ももちろん見てきた。神と繋がった時に、「以前あげていた〇〇のABがメチャクチャ好きでした!!」と送ったら、「そこから見てくださってたんですね!ありがとうございます!」と返信してくれた。私には神をずっと見てきているという傲りがあった。そして、神はそれをすごく喜んでくれ、そこから約3ヶ月後のイベントに参加するなら、会いませんか?と言ってくれた。もちろん会います!!!!と食い気味に返信した。
私は神とお近づきになりたいと思っていた浅はかな人間で、あわよくば通話とかもしたいな〜なんて思っていた(自分はコミュ障なのでこちらから話しかけることはできないタイプだった)。そこで、神とXさんが通話アプリで通話し始めたのを知った。私もその通話アプリで2人とフレンドだったから、アプリの通知で2人が話していることも知っていた。ツイッターでも毎週◯曜日の深夜に話しましょう!と話しているのも見かけた。そのアプリは、そのメンバーとフレンドだったら勝手に話しているところに入っていけるシステムだった。しかし、私には入っていく勇気がなかった。
それから、数週間たった。彼女らは、タメで話していた。そして、その通話アプリで最近話していないなと思っていたら、LINEを交換してLINE通話をしていた。それが堪らなく嫌で嫌で死にたくなった。なんだか全体的に冷めてしまった。萎えた。今思えば私から歩み寄りをしていなかっただけだったが、私はABの生産量が足りないから神と話せないんだ、と思い込みABをすごい勢いで生産していった。かなり反応も貰えるようになり、ありがたいことにフォローしてくれる人も増えてきた。
しかし、ここで、スキル:飽き性が発揮された。まず、私はハマったカプは1ヶ月も持たないのだ。アカウントを作り同人活動を始めたことを本当に後悔した。そして、ここでABに対する自分の価値観と、ABに対する大衆の価値観が違うことに思い知らされる。ABは、公式が提示してくれて、しかもハッピーエンド万歳という雰囲気のカプだった。カプの傾向を左右する何人かの大手絵師もハッピーエンド万歳傾向にあったし、ほとんどの二次創作作品が、幸せで溢れていた。しかし、私の生み出す作品は薄暗くて、あまりに浮いていた。そこから、自分はABについて何もわからなくなった。アカウントを消せばよかったのだが、せっかく神と繋がれて、約3ヶ月後のイベントで会う約束をした以上、とりあえずイベントまでは頑張ろう、そう思って苦しみながらABを生産し続けた。
イベントも約1ヶ月後!とみんなが浮かれている中、私は某ジャンルにもABにも疲れ果てていた。某ジャンルは離れ、別のソシャゲをしていたし、ABなのかBAなのかわからなくなって、解釈に悩みすぎて終いにはA、B、2人のカプが見れなくなってしまった。今すぐ消えてしまいたかった。それでも、私は神をイベントで一目見たかった。
そして日数が過ぎイベントの前日、神はXさんと遊んでいた。私は何をやっているんだろうと思った。謎の嫉妬と焦燥感に襲われて、死にたくなりながら寝た。ABのスペースがたくさんあるイベントなんて面倒くさくて行きたくなかった。
当日、私はずっと仲の良いリア友兼オタ友とイベントに行った。もう好きじゃなくなってしまったABのスペースをてきとうに巡回し、神に送った「会場にいるなら会いませんか」というDMへの返信を待ち続けた。神から「ABのスペースらへんにいます」という返信が来た。私はダッシュで神のところへ向かった(会場で走っちゃダメです)。
神はめちゃくちゃ可愛かった。そして、すごく優しくて親切でいい人だった。性格が悪くて毎日鬱で死んでいる自分とは対称的な人だった。神は一緒にABのスペースを巡回してくれ、初めて直接話してAB以外の話でも盛り上がり、LINEを交換してくれた。もっと神と話したかったし、自分にも連れがいたもののご飯の予定でも立てられないかななんて思っていた。
神は、私をXさんのところへ連れて行った。神はXさんと慣れ親しんだ感じで電話しながら、落ち合った。Xさんもいい人だった。目の前で、神とXさんが話しているのを見て初めてああ、圧倒的に"足りない"と思った。ABに対する情熱も、過ごした時間も。本当に死にたくなった。その後、3分足らずで解散し、大好きなリア友と帰りカラオケに行った。同じタイミングで、神とXさんが同じくカラオケに行きABの歌を歌っているのをツイートしていた。神は遠征組だったので、帰ってしまった。ああ、もう神と2度と会うことはないだろうなと思った。
イベントに行ったからと言って、ABがまた好きになるわけではなかった。自分が書いた文章を読み返して吐き気がした。本当に、何もかもが嫌になって、TLを見るのをやめた。私は神とのLINEを途中で無視した。
それから約5ヶ月がたった。完全に某ジャンルからは離れ、ABも読めなくなった。久々にアカウントにログインし、TLを見たら、みんなはまだABが大好きだった。ずっとABを生産し続けていた。アカウントを消すのも億劫だった。LINEは未だに無視している。最低だ。5ヶ月何もツイートもせず作品をあげることもせず、LINEも返さない私の存在なんて忘れているに違いないし、別にそれでよかった。そして、今もこの状態が続いている。
あそこで、同人活動を始めなければ解釈が難しくなって、ABを嫌いになったりなんかしなかったのだろうか。イベントに行く前に、ABを生産できなくなった時点で、アカウントを消すべきだったのだろうか。理不尽にLINEを無視されている神は当然悪くないし、Xさんも悪くない。悪いのは一時的な興奮で神に踏み込みたいと思ってしまった私である。
それでも私は、イベントで神が私と話して嬉しそうにしてくれた時のことを思い出して、この一連の思い出が良かったのか悪かったのか、それを決められないでいる。
(追記)
身バレすると思い上の文章では書かなかったが、実は私は高校生だ。ちなみに神も高校生だったし(イベントで知った)、Xさんは成人済みの方だった。いい年した大人がこんなゴミみたいなことしてるわけではないです。すまん。いやまあ高校生でも恥ずかしいけど。
(追記)
というか何が最低かってネット上の知らん人間に嫉妬したのもそうだけど、神はイベントで私と話が盛り上がって、しかも年齢層高めの中で神と私は年齢低めで近くて、っていうのでイベント後からLINEもくれたし通話もしましょう!って言ってくれたのにABを拗らせすぎて嫌いになってしまったという至極どうでもいい個人的な都合で神から差し伸べてくれた手を振り払って無視してるのはこちらなんですよね!!それが最低…