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はてなキーワード: 社会生活とは

2023-11-06

差別を許さな極左の俺が、外国人差別主義者になっていた

差別はゆるさな極左の俺だったのだが、

2023年外国人差別主義者になっていた


原因は精神疾患と今の世の中である

強迫神経症という病気を聞いた事があるだろうか、

汚れている気がする、戸締りが心配、などの心配が募り過ぎてまともに社会生活が送れなくなる症状である

それが現代SNSでも出ている

具体的にいうと何処でも何時でもスマホ写真動画を撮る文化である

あれが、強迫症にゆるせない

日本人もやる事ではあるが、

外国人は何の脈略もない場面で動画を回していたりする

それがもう許せない。本当に発作のようにキレだす

気が付くと「氏ね外人!」「氏ね外人」と連呼している


海外の方が路上で酒を飲んでいて暴れていようが、生活保護を受けていようが、なんとも思わないが、

自分許可なく写り込む形でSNS動画写真を撮る事が許せない。発狂する

anond:20231106154837

拡張よりもまずアナルで感じるかどうか慎重に検討するんだ。

太い物を出し入れしたって気持ちよくならないのに、アナニー気持ち良くないのは刺激が足りないからだと勘違いして過度な拡張に手を出して便漏れが止まらなくなって社会生活に支障をきたすようになるぞ。

2023-11-03

クソみたいな気分

万年床な私が、ベッドを買ったもんだから合わないのか、「うとうと」することが多くなった。

とある睡眠アプリによると、人間睡眠サイクルには「うとうと」があり、この時に人間は夢を見ると……

それは悲しい気持ちになる夢だった。

端的に書くのならば、身近な人がなくなる夢だった。



私は色々なことが重なり、この年になっても身近な人の最後を迎えたことがない。

そう、もう良い年です。

社会人にもなり実家からは離れたものの、自分自身の家庭をもつようなことはなく、独身貴族謳歌する日々。

そのような私の生活の中でどれほど家族のことを想っているのだろうか。

最近では、食事ときも、目を閉じたとき仕事のことを考えているというのに……

家族になにかあれば、私の日々の生活は変わるのだろうか。

悲しみに明け暮れるのだろうか。

私は、それでも仕事をするのだろうし、出来るのだろう。

冷たい人間だと言われるだろう。言われたことはある。



……でも、私になにかあれば、家族は悲しんでくれるのだろう。

家族の人たちは、やさしいから。

会社の同僚たちは、困るだろうな。まぁ、でも何とかなるだろう。

隣近所の人たちは、困るだろうな。大家さんも、でもどうしようもないね

日本の政治家の先生方は、こま……困らないだろうな。今日も喧々諤々たる国会を開くのだろう。

この星・地球は、困らないだろうな。今日明日太陽は昇り、季節は巡る。



そう、たとえ私が亡くなったとしても、この星や人類歴史からすると些細で何ら影響のないことなのだろう。

それでも、私の日々の生活に何か意味があると思いたいのは、社会生活をする人間エゴなのだろう。

からこそ、私は身近な人が、そのような最後選択するのは悲しいと思う。

彼が、色々と悩んでそうなことは伺える。あまり力になれていないのも知っている。

只々、話がしたい。私にじゃなくてもいい。

こういう匿名日記でも良い。外に吐き出してほしい。


夢の内容を補足しながら書くとこのようになる。

私は、駅前にある塾が入っているようなビルのような場所で、何かの試験を受け終えたところだった。

周囲には同級生がおり、みなガヤガヤとしながら帰っていった。

私も帰ろうと思い、エレベーターを待つものの人が多くて、乗ることが出来ない。

同級生の友人が「ここは3階なのだから階段のほうが早い」といい、私もそうかと思い階段を降りることにした。

階段を降りた先には、(なぜか)主要駅の乗り換え案内があった。

(場面がとんで)

私は、おそらく昼下がりの穏やかな晴天のもと、数人の友人たちと街道から入った細道を歩いていた。

前後には、同じような同級生グループの姿が見られたので帰り道なのだろう。

ふと振り返ると先の主要駅が見え、多くの同級生たちが並んでいるのが見えた(気がする)。

それを見た友人が「こういう抜け道を知っているのは、地元民だけあるな」みたいなことを言っていた。

私達は、主要駅で電車に乗らずに、歩いて行った先の駅から電車に乗ったようだ。

その電車は、いわゆる各停だったので、目的の駅には行かないため、少し先の駅で電車の乗り換えが必要だった。

なので私達は乗り換えのために、駅のホームに降りた。

電車はすぐには来なかった。

最初に来た電車は、(なぜか)特急に変わり、急発進していった。

私と友人はようやく来た電車に乗り込んだ。そこには先に乗っていた同級生が二人いた。

私達の四人は、なんやかんや言いながら電車の中で話ししていた。おそらく、先の試験のことでも話していたのだろう。

(すくなくとも)私は、目的の駅についたようで、電車から降りた。

(突然だが)駅のホームには、母がいた。

私は、母は弟と先行していたと思っていたので、「弟は?」と聞いたが、母は「誰かいるの?」と聞き返し足元を見た。

母の足元には、なんだか小さなとはいえせいぜい小学生低学年程度の子供がいた。

やや髪が長く女の子のようにも見えたが、笑った顔がそっくりだった。その子は、駅のホームを走り去っていった。

「弟の小さい頃に似た子がいた」と私がつぶやくと、「昔は外で遊ぶのも好きだったから来てくれたのかもね」と母は言う。

「……え」

母は、駅のホームの前方を見ながら話す。

「(近くの人、もしくは駅員)が教えてくれたの」

私は、前方に行く。人だかりがある。

駅の線路にはブルーシートがある。

ブルーシートから覗く人影には見覚えがあった。

目が覚めた。

2023-11-01

anond:20231101074812

女性の性被害があっても会社解散しないしそのまま営業続けてるしセクハラ痴漢犯人普通に社会生活を営み続けてるよね

日本人性犯罪のこと軽視しすぎでは?

海外からちょっと信じられないw

2023-10-21

ものすごく些細な

ひとと会話してて、自分が「始終(しじゅう)」という語を使ったら「ちょっと待って、しじゅう?」と相手がひっかかった。

隣家夫婦がまー始終のべつまくなしにケンカしてましてね」

「しじゅう…? あっもしかして四六時中って言いたいわけ?」

「ああそうそう。四六時中喧嘩してて、うるさくって…」

と、スムーズに会話は流れていった。

こういう時に自分は一切逆らわない。話が通じることが重要からだ。

相手が完全に間違えた表現使ってても指摘せずに自分も「採用」したりすらする。フィンガーボウルの水を間をおかず飲み干す。


でも「シジュウなんて言葉はないのだが自分が四六時中をちょっと覚え違いしてた」みたいな空気で流したことは小さなトゲが刺さったみたいにずっと居心地悪い。実は。


追記

始終が適当かどうかみたいな自説開陳を始めるブクマカ群。リアルでそういうモードに入られたら困る(あくまでシジュウなんてナイっ! と詰められてもそれ以上譲れないし、勝ってしまったら恨まれる)から、いやいやながら予め安全側に振ってるよという話なのだが。

「この場合、私は間違ってないですよね」とお伺い立ててる訳でもない。至適かどうかはともかく(それはケースバイケースだ)不適当でないのは最初から私にはわかっている。

あんな嫌な目には遭いたくない。私はどうすればよかったのでしょう…?」という相談でもない。こういうのは回避できない社会生活コストである

それを前提に「バカの気づかないところでこっちは色々気を使ってやってるんだから馬鹿野郎このやろう」という愚痴である。無論私の気づかないところで以下略

ちなみに件の会話の相手警官であった。おともだちとのくだけた雑談勝手イメージしてか「始終なんて堅すぎて口語として不自然だ」みたいなことを鬼の首取ったようにいう向きもあったが、そもそもちょっと自然な条件下のやりとりなのだ。どういう状況だったのかあらゆる判断材料を示そうとしていたら文章無限に長くなる。「いろんな状況があり得るよな」「説明されてない事情もあるんだろうな」という、カメラアングル外への想像力を持って欲しいものだが。

結語の「居心地悪い」は本文中にも触れたような雰囲気重視の「敢えて採用する誤用なのだが誰ひとり引っかからないのは少しだけ意外だった。

2023-10-13

社会生活してて弱者男性に遭遇したことないんだけどどこに生息してるんですか

はてなはいっぱいいるのに

2023-10-10

anond:20231010145825

加害者ジャニーで、所属タレント被害者可能性のある人間たちなんだから、全く違うだろうが

レイプされた被害者が「よくあること、大したことない」と思い込もうとしたり、被害自体記憶から消してなかったことにしようとしたりするのは、聞いたことないか

トラウマを表面的にでも克服して社会生活を送るために、自分の心の中で対応必要だし、対応の仕方は人によって違う

2023-10-08

anond:20231008111324

女だけど、たしかに全体的に収入低い女多くて、同性ながらビビる

彼女たちがどうやって生活成り立たせてるか自分なりに調べてみたことがあったんだけど、かなりの割合で「実家暮らし」「一人暮らしだが、家賃やら通信費やらの一部を実家支援してもらってる」ってパターンが多かった。

あとは、単に節約が上手いパターン。激安賃貸で、安い食材使った料理で凌いでる。

メルカリ手作り品売るだけで生計立てられるような天才にはまだ会ったことないなwww

まあ正社員で働くにしても、女性休職退職リスクが高いから、昇給男性に比べて劣るように設定されてる職場がやはり未だに多いよね。それでも派遣非正規やるよりは正社員やった方がまだマシだと思うけどねー。

派遣非正規なら副業もやった方がいい。

追記)ちなみに女性は、服・化粧品雑貨などは、「知り合いが譲ってくれる」「タダでもらえる」というケースが多々ある。あとパパ活やったり港区女子になったりしなくても、社会生活やってれば、食事を奢られることが普通にある。

この辺りで自然と経費が浮くね。にしても基本生活は楽じゃないわな。

2023-10-04

anond:20231004192109

からその女オタクみたいな発想がダメなんだって

インターネットに繋がっている以上隔離みたいなことは不可能

90年代00年代PCネットに触れる人は少なかったけど、触ってる人はネット歴を経るにつれてだいたいのネットカルチャー俯瞰できただろ?

スマホからネットに入ったような一般人も、ネット世界接続した以上、いずれそうなっていく運命

ただ規模が大きすぎて四方八方へ広がる奇天烈カルチャーの浸透に時間がかかりすぎて、カルチャーショックの悲鳴が鳴り止まないだけ

90年代00年代なら、カルチャーショックを受けても「知らないのは俺だけだったんだ」くらい除け者感があったけど

今は「そんなの皆しらねーぞ常識的に考えろ」ということが言えてしま空気から、難儀ではあるけど、だからといって世界を分けるべきじゃない

スマホデビュー層にとっての文化テレビに映るものだけだったかギャップを埋めるにはまだまだ相当時間がかかるだろう

時間がかかるけど、「そういうのが存在してることは知ってるけど、自分は興味ない/距離を置く」みたいな状態が秩序としてはベストなんだよ

現実でもそうだろ?ビジネスとしての売春や、個人での売春みたいなことをやっている人間日本にも存在していることを知ってはいるけど、俺の普段社会生活とは無縁だ――

みたいな感じよ。これは別にドラッグだろうとヤクザだろうと汚職だろうとDV男だろうと乳児蒸し殺しパチンカーだろうと車転がし路上飲みパリピだろうと、何でも同じ。

自分とは違う常識支配する世界があることを認識することが重要なんだよ。見えないようにしたら解決するわけじゃない。むしろ見えないことこそ、自衛不可能になるから危険なの。

どんな怖いものがあるか想像もつかない世界になったら、国家ガチガチパターナリズム発揮して管理統制しないとダメになるだろ?

そんな温室育ちの白痴だらけの社会理想なのか?

anond:20231004183046

医学では「社会生活不自由がある状態」が病気定義されるんだよ

同性愛ロリ病気なの

逆に言えばロリ不自由を感じてないなら病気ではない

指向とか嗜好とか知らんがな

既婚アラフォーです。

子供もいます

でもぶっちゃけ、嫁とは仮面というか友達婚です。

俺も嫁も、中学生くらいの女の子が好きなので、お互いに性欲は湧きません。

子作りは中々壮絶だったんですけど、割愛

しばらく前に子供中学生になりました。

でも、俺も嫁も相変わらず中学生くらいの女の子が好きです。

自分の子供と同年代欲情する変態」と言われても、これが俺達です。少なくとも、思春期から変わっていません。

そもそも、嫁と知り合ったのも、昔いた某ジュニアアイドル繋がりだし。

世間様じゃ、俺達みたいな人間は異常者で、性的少数者にも含まれないらしいですね。

性的指向じゃなくて嗜好なんだとか。

うるせーとしか思いませんが。こっちは自分達は異常だ異常だって、何年も何年も悩んで、カウンセリングも受けて、それでも何も変わらなかったんだから

結婚して子供を作ったのは、異常者というレッテル貼りに対するせめてもの抵抗の為でした。

俺達は実際の中学生に手を出したことはないし、違法ポルノも所持してないし。

ジュニアアイドル写真集はいつぞやの法改正の時に、泣く泣く捨てました。子供には見せられないしね)

まともな社会生活を送れて、家庭だって作れるんだって見せてやりたかったんです。

ネットじゃ、俺達みたいな存在自体犯罪者予備軍くらいに言ってる連中がいて、本当に止めて欲しいです。ばーかばーか

異性愛者だろうが同性愛者だろうがそれ以外だろうが、相手同意なく交渉に及べば犯罪ですわ。

中学生相手だと同意があっても犯罪ですわ(細かい解釈は抜きにして)。

犯罪と分かっていることをわざわざやるような人間じゃないんですよ、こちとら。

「いつかは手を出すんだろ?」ですか?

それ、あなた感想ですよね?(大嫌いなフレーズだけど、これ以上にピンとくる言葉が思いつかない)

子供もいるんだから、やらねーよ。

だって同性ってことを利用してのスキンシップ我慢してるわ。

子供可愛いです、変な意味ではなくて。

もう一人くらい欲しかったけど、精神的に無理でした。主に嫁の方が。

どっちの両親からもぶーぶー言われましたけど、本当の理由を言う訳にもいかず。

子供にもずっと黙っていなければなりません。

このことは墓まで持っていくつもりでしたが、嫁と相談して、こういう匿名の場に、断片的な情報だけでも残しておくことにしました。

きっと同じような悩みを抱えて生きている人もいると思うので。

君は孤独じゃないよって伝えたいのです。

身バレしたくないので、この辺で。

2023-10-03

anond:20231002221811

3次元2次元は全くの別。簡潔で分かりやすい例えが思いつかないが、3次元人間は老若男女問わず生々しくて汚らわしいと思うので、近寄らないし見たいとも思わない。生身の人間ってゴリラが服着て社会生活してるみたいでグロテスクに感じます

増田でイノッチに対する言及があったから見に行ったけど、ドン引いた

トンデモない茶番だな

Yahooコメではここぞとばかりにジャニタレヲタがキャッキャ言ってるけど、ほんと真面目にドン引きですね、この人たち社会生活送れてる?

社会生活送れてるとして、収入人間関係、いずれかにつまづきあったりしない?というのが感想

芸能人興味ないけど明確にイノッチ嫌いになったわ

子どもたちに聞かせないようにするのは親の役割であって、性虐待見て見ぬふりしてきたことに徹底して向き合うのが君らの役割でしょ

そもそも地下にくらべればマシとはいえJrって接触商法させられてたし桶ダンスもしてたしで、興味ない人から見ても酷いものでしたよ

 

ただまぁ記者ヤラセでなくガチなら、今後は頭のおかしい人たちを増長させるような振る舞いはお控えください

(見ても不快しかならないので、実際の会見の様子は見ていない。この会見を扱った記事に、強行して声を出す記者・怒鳴った?とか記載があったので)

anond:20231003074630

anond:20231002233702

なんかゲームに限らずとも普段から「君どうせできないだろ」「どうせ君には無理だよ」「でも君向いてないよ」みたいな言葉ばかり投げて少しずつ人のモチベーションを削いで腐らせてそう

どうせモラ夫やパワハラ上司毒親進化するのが目に見えてるでしょ、共同生活社会生活向いてないよ、自殺したら?って言われたらどんな気持ちになる?

2023-10-02

anond:20231001082136

真っ当な社会生活を送れてるか心配になるという点では、どうでもいいことに悩む元増田よりも呼吸をするようにホラを吐く増田の方が問題だと思う

anond:20231002032130

連帯責任がある場合義務なんだから自浄作用ではないよな

社会生活送れてなさそうなバカに限って他人社会生活大丈夫かとか言いたがるのは何故なんだろうな

anond:20231002031057

自浄作用自分以外の人間行為に対して使う単語なんだよ

お前の知能と社会生活の方が大丈夫か?心配になる

2023-10-01

クマ駆除へのクレーマーとか見てて思うんだけど、クソクレーマー全力煽り課みたいの作ってもええんやいか

クソクレーム言うと担当者にお繋ぎしますでここの課に繋がれる

お前の感情論に付き合ってる時間はねぇんだよとか

ソレ実際やったらどういう弊害出るか理解して言ってんの?わかんないで言ってんなら頭悪いよキミとか

クソクレーマーだけをひたすら送り込んで、そいつら煽る課

クソクレーマー全力煽り課があるということを周知するだけでも

もしかして自分意見はクソクレームとして捌かれるのではないだろうかと一瞬考えるようになるのでクソクレームは減るんじゃないだろうか

まともな意見を言う人はそれでも伝えようとしてくれるし、そういう人のはちゃんとご意見として受け止める

組織的にも「yey!!馬鹿に屈さな姿勢最高にcooolだぜ!!!!」って感じで士気向上にも繋がると思う

その課に繋ぐ前に判断するやつがまともな意見かクソクレーム判断するのムズいだろってなるかもしれんけど

普通に組織に属して、社会生活おくってて、外部からの連絡を受ける人ならソレくらいは余裕で判断できると思うし

クソクレーム全力煽り課の人も開幕いきなり煽らなければいいだけだし

ってそう思ったら別にそういう専門部署置く必要はないな

意見対応する部署が、クソクレームは全力で馬鹿しますって明言すればいいだけだな

anond:20231001002948

金は軽装兵(近衛騎士)、銀は重装兵(護衛兵士)。

「銀」は自陣では王の護衛が主目的から重装を脱がないが、敵陣では敵王を討つために重装を脱ぎ捨てて行動する。だから金将と同じ扱いになるわけだ。

でもって、

香車」…分かるな?「車」だ。敵陣に入ったら車を捨てて自由に動き回るんだよ。

桂馬」…同じく分かるな?「馬」だ。敵陣に入ったら馬を捨てて……(以下略

「歩」…「敵陣に入るまでは真っすぐ歩いてけ」って命令されてるんだよ。敵陣に入ったら命令から解放されて……(以下略)ただし「王」を打ち取っちゃいけない。雑兵からな。

飛車角」…これは「大ゴマ」で移送装甲車複数兵士が乗ってるとこを想像してくれ。敵陣に入ったら下車して散開するんだよ。強力だね。

まあそんな感じだ。王と金将が成らない理由も、これで理解できたか? つーか、こんなことでいちいち悩んでたらゲームできなくないか? 社会生活とか大丈夫か?

2023-09-29

anond:20230929204602

感情で行動するのは人間だろうな。

社会生活で身に付くんだろうと思うけど。

2023-09-27

anond:20230927024843

最判昭和62年9月2日

婚姻本質は、両性が永続的な精神的及び肉体的結合を目的として真摯意思をもって共同生活を営むことにあるから夫婦の一方又は双方が既に右の意思を確定的に喪失するとともに、夫婦としての共同生活実体を欠くようになり、その回復の見込みが全くない状態に至った場合には、当該婚姻は、もはや社会生活上の実質的基礎を失っているものというべきであり、かかる状態においてなお戸籍上だけの婚姻を存続させることは、かえって不自然であるということができよう。

2023-09-26

anond:20230926155744

まりは......私有財産

G&Wは、私有財産宗教と不可分であるため、根源的なものだと主張する。その例として、先住民伝統的な儀式で使われるトランペットやその他の道具を挙げている:

このような神聖ものは、多くの場合存在する唯一の重要かつ排他的財産形態である......神聖文脈に厳密に限定されるのは、命令関係だけではない......絶対的な、つまり今日でいうところの『私的財産も同様である。このような社会では、私有財産概念と聖なるもの概念には、形式的に深い類似性があることが判明する。どちらも本質的には排除構造なのである。(p. 159)

ここで「絶対的もの」が「私的もの」と訳されていることに注目してほしい。祭祀財産が「絶対的」な程度に神聖であるならば、それは定義上「私有財産」として適格である、という主張のようだ。

この混同は、著者が宗教私有財産の関連付けに権威を求めているときに強化される。この時点でG&W(p.159)は、エミール・デュルケムの「聖なるもの」という古典的定義を持ち出している:

デュルケムは、聖なるものの最も明確な表現は、ポリネシア語で「触れてはならない」を意味するタブーであると主張した。しかし、私たち絶対的私有財産について語るとき、その根底にある論理社会効果において、非常によく似たもの、実際にはほとんど同じものについて語っているのではないだろうか。

そして著者は、アマゾン原住民仕事をする民族学者たちが、「湖や山から栽培種リアーナ林、動物に至るまで、彼らの周りにあるほとんどすべてのものには所有者がいる、あるいは潜在的に所有できる可能性がある」(p.161)ことを発見したと述べている。ある種や資源に対する霊的存在神聖所有権は、その種や資源を他の世界とは一線を画すものである。同じような理屈が、西洋私有財産概念を支えているとG&Wは書いている。もしあなたが車を所有しているならば、あなたは全世界の誰であろうと、そこに立ち入ったり使用したりすることを妨げる権利がある」(p.159)と彼らは説明する。

G&Wが、精神的な「所有権」についての伝統的な概念と、自分の車を所有することについての考えを混同しているのを見つけるのは、非常に息を呑むようなことである現代私的所有権を、超自然存在による天然資源の「所有権」と、その「根底にある論理社会効果」において「ほとんど同じ」とみなす彼らは、いったいどこの世界にいるのだろうか?

先住民活動家たちが、湖や山は強力な精霊にとって神聖ものだと語るとき、彼らは「私有財産」に等しいものを支持しているわけではない。もし「偉大なる精霊」が森を所有しているのであれば、その森は売り物ではなく、私有化されるものでもなく、伐採会社所有権を主張されるものでもないという明確な含意がある。

デュルケムの洞察の中で最も強力なものひとつは、人々が神性を呼び起こすとき、そのコミュニティ全体の道徳的な力を想定しているということである。つまり、ある山が神のものであるならば、それは私有化できないと宣言していることになる。G&Wがそれを逆手に取り、「私有財産」という概念は、あるもの神聖であるという考え方そのものと不可分に生まれものだと主張するとき、これがいかに粗雑な間違った表現であるかがわかるだろう。

デュルケムが実際に主張したこと

デュルケム(1965年)にとって、「分離」は私的流用のアンチテーゼであった。近親相姦に対する世界的な文化的タブー起源説明するために、彼は「ある種の隔離的な力、つまり男性的な集団を遠ざける力を女性に持たせている」(1965: 72)という伝統的な信仰を当惑させた。デュルケムは、このような信念体系において、女性隔離する力は血の力であり、聖なるもの概念と密接に結びついていると書いている。女性が血を流すと神性が目に見えるようになるとすれば、それは女性の血そのものが神であるからである。血が尽きるとき、神はこぼれ落ちる」(Durkheim 1965: 89)。

デュルケムにとって、「分離」という原初的概念は、私有財産とは何の関係もなかった。問題は、成人した若い女性に何が起こるかということだった(1965: 68-96)。月経が始まると、彼女親族は、彼女所有権を主張するために、つまり彼女を「入門」させるために、体として集まり彼女男性との付き合いからも世間から隔離した。彼女隔離は、特別儀式である成人式によって達成された。これにより、彼女身体神聖ものであり、それに関する彼女選択は、姉妹や他の親族に対して説明責任があることが確立された。デュルケムにとって、このような集団行為と関連して、人間意識言語文化の出現は、共同体という新しい種類の権威が初めて誕生した時点であった。

もしG&Wが現代進化科学に関心を示していたなら、こうしたデュルケーム洞察が、血のように赤い黄土色が、男性女性の肉体が神聖ものであることを新たに認識させるために、女性によって化粧用の「戦化粧品」として使用されたという考えに基づく、人類進化における黄土色の記録に関する最も新しく権威ある現代考古学説明を、いかに先取りしていたか認識できただろう(Watts 2014, Power 2019, Power et al.)

季節的か、月的か?

さて、『万物黎明』の中心的なアイデアにたどり着いた。それは、私たちはかつて皆自由であり、生き方を選ぶことができたかである

人類学を学んだことのある人なら、エスキモーアザラシ猟師たちが伝統的に冬の間は性的共産主義実践し、夏の間は家父長制的な家族生活に切り替わる。G&Wは、この振り子あるいは振動モデルヨーロッパ後期旧石器時代氷河期文化適用し、これらの複雑な狩猟採集民は、エリート特権権力の垂直階層を意図的に築き上げ、古い季節が新しい季節に移り変わるときに、それらをすべて取り壊す喜びを享受していたと論じている。

この革命を大いに楽しんだからこそ、氷河期天才政治家たちは、革命で得たもの永久にしがみついていてはいけないことに気づいたのだ。彼らは、連続する革命を楽しみ続けるためには、その間を一過性反革命で埋めなければならないことを理解していた。次の革命的高揚のための格好の標的を提示するために、「特別な」個人支配力を確立するのを許すことによって、そうするのである

私はこの考えが大好きだ。偶然にも、30年前に『血の関係』が出版されて以来(ナイト1991年)、私たち急進人類グループ狩猟採集民の平等主義の奥義として分析してきた振動原理酷似している。一方、私の振動モデルはまったく同じではなかった。というのも、私たちは亜北極圏ではなくアフリカ進化したのだから、季節的なリズムよりも月ごとの周期性が優先されるべき十分な生態学理由があったのだ。つまり、G&Wが想像したような方法権力が掌握され、明け渡されたのであれば、社会生活は月の満ち欠けと連動する月周期でひっくり返されたことになる(Knight 1991: 327-373)。

権力振り子

G&Wの歴史は、狩猟採集民の対立と交替に満ちているが、その周期性は一方的な季節性である狩猟採集民は太陽だけでなく月にも従うことを彼らは知らないのだろうか?彼らの最も重要儀式は、女性月経の満ち欠けと結びついており、月によって予定されている。

コンゴ熱帯雨林では、女性たちは男性勇気潜在的支配力を示すよう意図的に促すが、ンゴクと呼ばれる女性だけの儀式では、男女間の「権力振り子」で遊び半分に降伏する前に男性に反抗する。G&W (pp. 114-15)はこのことに言及しているが、その後に次のように主張している:

単一パターンはない。唯一の一貫した現象は、交代という事実のものと、その結果としてのさまざまな社会可能性の認識である。このことから確認できるのは、「社会的不平等起源」を探すことは、本当に間違った問いを立てているということである

もし人類が、その歴史の大半を通じて、異なる社会的配置の間を流動的に行き来し、定期的に階層を組み立てては解体してきたのだとしたら、本当の疑問は「なぜ行き詰まったのか」ということかもしれない。

この最後質問は実に深いものであるしかし、この問いに答えるには、以前はどのような状況であったのか、ある程度現実的認識を深めてからでなければならない。私たち先史時代祖先が、本当に自由で、本当に「身動きがとれなかった」時代があっただろうか?

結婚が恒久的なものになったとき

中央アフリカの森の民バヤカでは、月は「女性の最大の夫」と言われている(Lewis 2008)。どの男性立場から見ても、妻は血を流すたびに、事実上、天国の夫のために彼を捨てることになる。この古代比喩Knight and Lewis 2017)の背後にある現実は、女性が月のある期間、遊び半分で「権力を掌握」した後、自分の主張が通れば進んで男性に譲るという伝統であり、Finnegan(2008)が「動く共産主義」と呼ぶもの確立している。このような社会における親族関係居住パターンは、月経排卵兄弟恋人親族関係結婚共同体連帯セックスの親密さの間で揺れ動く振り子を設定する。

このようなパターン古代から存在した可能性が高いことを考えれば、G&Wが政治的な揺れに対するある種のブロックを、歴史過程で実際に起こったこととみなすのは正しい。しかし、そのブロック説明するには、G&Wが触れようとしないトピックを扱う必要がある。それは、月経をめぐる先住民の慣習に敬意を持ってアプローチすることを意味する(Knight 1991.)また、親族関係パターン結婚後の住居の多様性理解することも重要である--これも決定的に重要トピックだが、G&Wは著書でほとんど触れていない。

非貯蔵型狩猟採集民の間では、女性一般的に、少なくとも子どもが2、3人生まれるまでは実の母親と暮らすことにこだわる(Marlowe 2004)。遺伝学的研究によれば、私たちの種が進化したアフリカでは、このパターンはるか過去にまでさかのぼる(Destro-Bisol et al.)終生結婚の代わりに「花嫁サービス」が一般的で、アフリカ狩猟採集民の女性は、母親キャンプに住み続けながら、選んだ恋人を受け入れる。一時的な夫は、狩猟した肉を花嫁とその家庭に持ち帰ることで、自分の役に立たなければならない。それができなければ、彼は出て行く!このような取り決めのもとで、誰もが親族関係結婚生活の間を交互に行き来する。

母親と同居するのは弾力的なパターンだが、夫から圧力で住居を変え、夫とその親族永住せざるを得なくなることもある。このような場合子供連れの若い母親は逃げ出すことが難しくなる。かつての自由を失うと、夫の世話は強制的支配へと変貌する。エンゲルス(1972[1884])が「女性性の世界史的敗北」と雄弁に表現したのは、この悲惨な結果だった。世界の多くの地域で、結婚を固定的な絆に変えた家父長制的な力は、それに応じて社会生活全体にも固定性を押し付けた。

人類はいかにして「行き詰まった」のか

これは、「なぜ私たちは行き詰まったのか」という問いに対する有望な答えのように見える。では、G&Wはこの問いにどんな答えを出すのか?彼らの最終章は非常に蛇行していて、それを知るのは難しい。彼らは、人へのケア強制的コントロールへとシームレスに変化する可能性について言及しているが、なぜかこれを結婚後の住居や家族生活の変化とは結びつけていない。最も身近なところでは、17世紀ヨーロッパ北米のウェンダットにおける処刑拷問光景描写している。国王臣民を罰する権利は、妻子を躾ける家長義務モデルにしていたことを思い起こさせる。このような政治的支配は、公に王の注意義務として表現された。これとは対照的に、ウェンダット囚人に長時間拷問を加えるのは、支配と統制を愛情によるケアから公的区別するという、正反対の点を強調するためであった。囚人は家庭の一員ではないので、拷問される必要があったのであって、愛される必要はなかったのだ。

そうしてG&Wは、ケア支配区別の中に、私たちがなぜ行き詰まったのかについての待望の説明見出したのである

私たちは、ケア支配の間のこの関連性、あるいは混乱が、互いの関係を再創造することによって自分自身自由に再創造する能力私たちいかにして失ったかという、より大きな問題にとって極めて重要であると考える。つまり私たちいかにして立ち往生してしまったのかを理解する上で、極めて重要ことなのだ...。

狩猟採集民の研究ジェンダー研究を探求する代わりに、G&Wは視野を先住アメリカ人軍事指導者拷問者、ヨーロッパ君主経験限定し、これらの人々の心理的葛藤想像することで、私たちがどのように「行き詰まった」のかを探っている。上に引用した当惑させるような言葉意味があるとすれば、私たちが行き詰まったのは、特定権力欲の強い人物が、人々を思いやることと暴力的支配することを混同してしまたからだと示唆しているようだ。

これはまともな説明だろうか?人々は本当にこのように混乱してしまったのだろうか?答えの代わりに、G&W自身が行き詰まったようだ。私たちは、同じ質問を少し違った言葉提示されているだけなのだ

外的な暴力と内的なケア、つまり最も非人間的な人間関係と最も親密な人間関係との間に新たに確立された結びつきは、すべてが混乱し始めるポイントを示しているのだろうか?かつては柔軟で交渉可能だった関係が、結局はその場に固定されてしまった例、言い換えれば、私たち事実上立ち往生してしまった例なのだろうか?

この本全体で最も重要な問いに答えようとする努力は、これ以上なされていない。

(続く……)

(ほとんど)すべてについて間違っている――デヴィッド・グレーバー&デヴィッド・ウェングロー著『万物黎明書評

万物黎明』の中心的なアイデアは挑戦的だ。人間とは政治的冒険的で実験的なものであり、自由平等呪縛の後に、変化を起こすために抑圧を選ぶ傾向があると言われるほどである歴史は、ある極端なものと次の極端なものの間を揺れ動く、リズミカルな形をとっている。しかし近年、私たちは皆、ひとつ体制から抜け出せなくなっており、その理由理解しようと努めなければならない。

これらすべては新しく新鮮ではあるが、信用できるものではない。私は、私たち人間性を規定する政治的本能社会的感情は、平等主義という条件の下で形成されたという人類学的な標準的見解の方を好む。今日に至るまで、私たちは皆、対等な仲間の中で笑ったり、遊んだり、社交したりできるときに最もリラックスし、幸福を感じる。しかし、グレーバーとウェングロー(以下、G&W)は、このような私たちに馴染み深い経験を土台にする代わりに、狩猟採集民の祖先平等主義者であったという考え方全体に反対している。彼らの見解では、彼らは抑圧されることを選択した可能性が高い。

彼らの言葉を借りれば、「われわれの人間性の本質が、われわれが自意識的な政治的行為者であり、したがって幅広い社会的取り決めを受け入れることができるという事実から成り立っているとすれば、人類歴史の大部分にわたって、実際に幅広い社会的取り決めを探求してきたはずだということにならないだろうか」。これらの可能性の中には、著者たちが容易に認めているように(86-7頁)、チンパンジーのような虐待的な支配階層も含まれている。G&Wは、もし我々の祖先がそれほど冒険好きであったなら、きっと平等主義だけでなく、攻撃的でいじめっ子のオスによる嫌がらせ虐待支配実験しただろうと主張しているようだ。

G&Wは、私たち革命過程社会的道徳的人間になったという考えに対する一貫した攻撃の中で、これらの点を指摘している。私はずっと、人間言語意識親族関係道徳は漸進的な進化過程進化し、それが巨大な社会的政治的革命で頂点に達したという考えを探求してきた。私の動機は常に、人間本来利己的で競争的だから社会主義不可能であり、「革命でさえ人間の本性を変えることはできない」という一般的偏見に挑戦することであった。

はいつもこう答えていた。そう、私たち類人猿一種である。そう、私たち霊長類のいとこたちのように、競争的で利己的、攻撃的でしばしば暴力的本能を持っている。しかし、それが私たち成功の原因ではない。優秀な母親父親になる能力自分の子供だけでなく互いの子供を思いやる能力道徳的ルール確立する能力他人自分を見ているように自分も見ている能力音楽ダンス言語を使って夢を共有する能力など、私たちの本性にまつわる人間的な特徴すべてが、まさに歴史上最も偉大な革命産物であり、成功した革命なのだ

クリストファーボーム人間革命

この「人間革命」の複雑さを詳述した私自身の著書(Knight 1991)が出版されてからほぼ10年後、人類学者のクリストファーボーム(Christopher Boehm)は、その洞察にもかかわらず、最も重要な要素であるセックスジェンダー力学についての言及を一切省くことで、政治的観点から安全策を講じた理論バージョンを発表した(1999)。G&Wが人間革命理論の信用を失墜させるために明示的に言及するのに十分安全だと考えているのは、この抽象的でユニセックスバージョンなのである

ボームは、私たちの最も古い祖先は、一方的な協力者でも一方的競争者でもなかったと指摘する。それどころか、他者支配する一方で、支配されることに抵抗するために同盟を結ぶという心理的傾向があった。このような下から集団的抵抗は、最終的には、リーダーになろうとする者が集団支配するのを阻止するために、全員が一丸となることで頂点に達した。私たち祖先チンパンジー的な支配は、今や逆転し、「逆支配」、つまり平等主義的な倫理観コミットした道徳意識の高い共同体による支配へと結実したのである

G&Wは、人類は「......何をすべきか指示されることを自意識的に嫌うようになった」(p.133)という考えに賛同している。この文脈では、現存する狩猟採集民が「嘲笑羞恥、遠ざけ......他の霊長類類似するものはない」(p.86)、「自惚れ屋やいじめっ子を地上に引きずりおろすために集団採用される戦術の数々」を示していることに同意している。彼らがまったく関心を示さないのは、そうした戦術進化過程人間の本性を形成する上で重要役割を果たしたという考えである

ボーム説明に対する反論をまとめると、狩猟採集民が一貫して平等主義を好んでいたという示唆は、「何万年もの間、何も起こらなかった」という「奇妙な主張」であるという。狩猟採集民の祖先が一貫して平等主義的であったとすれば、彼らの政治的生活は何らかの形で凍結され、時間が止まってしまったに違いない。G&Wは次の言葉で締めくくっている:約12,000年前以前、人類基本的平等主義者であったとボームは主張する。ボームによれば、約20万年間、[これらの]政治的動物はみな、ただ一つの生き方を選んだのである」。(p. 87)

唯一の問題は、これはボームが書いたことではないということだ。彼の実際の言葉引用に値する:

ひとたびどこかのバンド平等主義的な秩序を発明すれば、この社会的なやり方の根本的な変化は近隣のバンドにも目につくようになる。特に、非常に攻撃的ないじめっ子を擁するバンドでは、部下が支配されることに対して両義的であれば、どこでもその利点は明らかだっただろう......。魅力的な平等主義の伝統が、地元では専制的な伝統に取って代わり、徐々に文化的拡散が起こると予想される。やがて、より長い距離を移動する移動パターンによって、この政治的発明がかなり急速に大陸から大陸へと広まっていったと考えられる。(Boehm 1999: 195)

これが成功した革命のやり方だ。ボームの主張は単純に、1万2千年前まで『人類基本的平等主義者だった』というものではない。そうではなく、初期の人類はさまざまな政治システムを発展させながら、平等主義というひとつ特に成功したモデルに徐々に収斂していったというのである

万物ティータイム

かなり不当なことに、『万物黎明』は現代進化論を社会進化論混同している。社会進化論とは、「未開」から「野蛮」を経て「文明」へと進歩する段階のはしごを描いた19世紀物語であるダーウィニズム科学である私たちは語り聞かされるが、実際は純粋神話である。G&Wはそのように空想的に、進化論を全く認めない人類起源に関する視点を、読者が真剣検討することを期待している。

この著者たちが認める唯一の科学は「考古学科学」であり、その考古学がさほど遡らない場合のみである。彼らは、政治社会生活については、古代人類の「頭蓋の遺骨と、時折出てくる火打石のかけら」(p.81)からは何も読み取れないという理由で、「万物黎明」をわずか3万年前とすることを正当化している。

このような言い訳は、私たちの種の最もユニークな特徴である芸術象徴文化が、以前考えられていたよりも3、4倍早くアフリカで生まれたという最近証拠に照らすと、もはや通用しない。この証拠は、骨や石に限らず、ビーズ幾何学的な彫刻、墓用品を伴う埋葬、砥石や絵の具壺などの工芸品で構成されている。G&Wは、これらの発見のうちの1つか2つに気づいてはいるが(83-4頁)、ほとんど関心を示していない。最先端ダーウィン理論を黄土の記録に適用すれば、社会力学儀式の実行パターン性別による同盟関係についての予測を生み出す可能性が非常に現実的になるにもかかわらず、である。(Power 2019; Power et al.

残念ながら、これらの著者たちは、どのような形であれ、ダーウィニズムには近づこうとしない。彼らは、彼らが「フェミニスト」と呼ぶ人物(実際には霊長類とヒトの社会生物学の創始者として高く評価されているサラ・ハーディ)が、人間本能心理形成における集団的育児重要役割について「物語」を考え出したことを認めている。「神話は悪いものではない」とコメントしながら、彼らはこの特別神話を「重要もの」と表現している。そして、「エデンの園存在せず、一人のイヴ存在しなかったのだから、このような洞察部分的ものしかなりえない」(p.82)と口にして、すぐさまこの神話疑念を投げかける。この種のトリック--この場合は、ハーディ画期的研究が、私たち共通ミトコンドリアDNA祖先年代測定より200万年ほど前のホモ属の出現に焦点を当てているという事実無視すること--は、明らかに人類起源研究が追求する価値があるという考えそのものを損なわせることを目的としている。

石器時代新石器時代考古学に興味のある読者なら、本書には興味をそそられる推測がたくさん書かれているだろう。しかし、私たちがどのようにして人間になったのか、つまり、異常に明瞭な目、並外れて大きな脳、独特の社会的感情、笑い、音楽言語に対する生得能力などがどのようにして発達したのかに興味がある人には、まったく何も見つからないだろう!

タイトルは深刻な誤解を招く。『万物黎明』? 『万物ティータイム』の方が正確だろう。物語は、氷河期フランススペインに描かれた壮大な洞窟壁画で知られるヨーロッパの後期旧石器時代から始まる。著者によれば、その段階でようやく考古学面白くなってくる。初めて、社会の複雑さ、階層、豪華な埋葬などの証拠が見え始めるのだ。

さな狩猟採集民のバンド

G&Wにとって、狩猟採集民の祖先アフリカもっと早くから平等主義的なライフスタイル確立していたという事実は、さしたる関心事ではない。彼らは、タンザニアのハザ族のような現存する狩猟採集民が資源を共有していることは認めるが、それを賞賛する代わりに、蓄積への抵抗が「社会的複雑性」の出現を妨げていると不満を述べている。著者たちは社会階級という概念を嫌っているようだ。

まり狩猟採集民は富の蓄積に抵抗することで、複雑性を妨害する、つまり階級社会の発生を阻止するのである。G&Wはここで狩猟採集民の専門家であるジェームズ・ウッドバーンの権威を持ち出している。彼らは彼の研究から、「真に平等主義的な社会を維持する唯一の方法は、あらゆる種類の余剰を蓄積する可能性をまったく排除することである」(p.128)と結論づけている。このことは、社会の複雑さを排除し、人間文化的知的生活の豊かさを排除することになると彼らは主張する。

ウッドバーン(1982、2005)は確かに、蓄積に対する意図的抵抗狩猟採集民の平等主義を支えており、意識的になされた政治的選択を表していると主張している。彼は、このような平等主義は非蓄積型狩猟採集民だけの特徴であると観察し、「即時回帰」こそが人類経済の原型である結論づけた。しかしウッドバーンは、そのような平等主義に複雑性が欠けているとは主張しなかった。実際、彼は「単純な」社会形態と「複雑な」社会形態との二項対立有害で誤解を招くものとみなしていた。ウッドバーンにとって、平等主義を維持することはこの上なく洗練された達成であり、単に不平等が生じるのを許容するよりもはるかに高いレベル政治的知性と複雑性が要求されたのである。ハザ族には、必要以上の富を蓄積させることがいか危険かを理解する知性があると彼は説明した。

富の不平等は許されない

しかしG&Wによれば、富の不平等問題ではない。彼らの立場を支持するために、彼らは17世紀ヨーロッパの「文明」を批判したファーストアメリカンカンディアロンクを引き合いに出している。やや説得力に欠けるが、彼らは、カンディアロンクと彼の最初アメリカ人共同思想家たちは、「富の差が権力の体系的不平等に変換されうることを想像することさえ困難であった」(p.130)と断言している。

G&Wは、即時回帰型の狩猟採集民が富の不平等が生じるのを拒んだことを認めている。しかし驚くべきことに、彼らはこの状況全体を期待外れとみなしている:

こう言うと、何か希望に満ちた楽観的な話に聞こえるかもしれない。実はそうではない。この言葉示唆するのは、やはり、最も単純な採集者以外には、その名に値する平等本質的に不可能だということだ。それでは、私たちにはどんな未来が待っているのだろうか?

どんな未来アフリカ狩猟採集からインスピレーションを得ている活動家たちは、現代都市生活者を、不運なハッザ族のように、小さな遊牧民集団の中で繰り返される単純な生活に「はまり込む」よう招いている、と彼らは示唆する。

はっきり言っておくが、私は原始主義者ではない。私は技術的、社会的政治的発展に賛成である。ハザ族は、必要に応じて富を共有し、笑い、歌い、遊びの中で「時間を浪費」し、誰かに支配されることに抵抗し、他のすべての心配事よりも互いの子供の世話を優先することが、充実した楽しいことであることを示している。開発に関して言えば、この政治的に洗練された弓矢ハンターたちは、私たちに多くのことを教えてくれるだろう。

(続く……)

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