どうしても、この季節になると思ってしまうことです。
会場限定グッズはその名前の通り、頒布会場でしか手に入ることの出来ないものです。突発的に企画、製作されることも少なくなく、
需要に対して十分な供給が達成させられるのはごく稀で、その多くはイベントのルールを守らない徹夜組、利益を目的とした転売組の方々に流れてしまいます。
この人の作品は書店委託でも買うことが出来るけれど、会場限定グッズだからな行かなきゃ! と思ってイベントに赴いた一般参加者さんが、
何時間も並んだ上で手に入らないというのはとてもとても悲しいことです。(会場限定グッズに限らない話ですが)
「ユーザー」が笑顔になれないのは「クリエイター」としてはどのような気持ちになるものでしょうか。
もしも自分ならば、ルール違反した徹夜組や作品そのものは求めていない転売組の方々の手に自分の作品が渡るのは極力避けたい事態です。
可能な限り一人でも多くの「ユーザ-」に笑顔になってもらいたい、そう考えるからです。
けれどこれは思い違いだろうな、とも思います。
私は今、「需要」「供給」と言った言葉を使い、作品を作る方を「クリエイター」、一般参加者さんのことを「ユーザー」と呼びました。
これは「同人活動」ではなく「企業活動」に傾いた考えではないか、と客観視します。
同人文化はその字のごとく、同じものを好きとする人たちが寄り合って作り上げられた文化です。
そのような関係の中で「需要」「供給」「クリエイター」「ユーザー」という言葉はとても違和感、場違いの印象がある言葉です。
会場限定グッズに限らず、同人活動で作品を提供する側は自費製作である以上、需要だとか供給だとかいったことを考えるのはとても難しいことですし、
むしろ、「同人活動」においてただのノイズにしかなり得ない要素です。これは「企業活動」の場面で考えるべき要素です。
一方で、どんな作者さんでも、買ってくれようとする人を悲しませたがっている人はいないと思います。
どんな作者さんでも、徹夜組や転売組に大多数を手に入れてしまうのは、好ましく感じないと思います。
その観点に立つと、会場限定グッズというのは存在するべきではないのでは、そして徹夜組や転売組を一網打尽にするものでないにせよ、ある程度の効果はあるのでは、と考えてしまいます。
しかしながら、これは作り手の人に対しても、それを求める人に対しても、彼らの思っていることをないがしろにしたひどく失礼な考えなのではないかとも思います。
それでも、私は同人即売会の会場限定グッズが好きではありません。私は誰もが自分の好きを好きに表現できる同人文化が好きです。
そう思ってしまうのです。