人生は苦しい。
そのあまりの苦しさから、人はみな「億万長者になりたい」と願う。
例に漏れず、私も早速「億万長者になりたい!」と初詣で願ってきた。
また、そのための取り組みをしていないこともない。
だが、最近は『億万長者になったつもり生活』をしてみてもよいのではないか、と思えてきた。
そもそも、私の考える億万長者とはなにか?
株をたくさん持っているおじさんであり、
要するにサラリーマンのように週5勤務でなく、年収300万円程度の生活を維持でき、
望まなければ人に会わなくともよい生活を送っている人たちである。
「じゃあ初めから仙人になりたいと言え!」という話だが、私はたとえ7億円を手にしても
15:00 バスで繁華街へ。無駄にカフェへ入りカフェインをとる。
18:00 野菜炒めセットと豚バラ、スーパーマリオRPGの中古を買って帰宅。
20:00 ゲームをする。大人になってからやっと回復系キャラの重要さを知ることができた。
00:00 就寝。
といった生活を送るにちがいないので、
ここでは「億万長者 ≒ 無職やニートと同じような生活を送る人」とさせてほしい。
本音で言うと「人がこわい」だが、建前を話しておくと、
とある精神疾患を発症してしまい、世間一般の生活を送ることが難しいからだ。
そんな夢のある夢のような夢でしかない夢を実現するには、たくさんのお金を持つしかない。
そう考えていたし、今もそう考えている。
世間から離れたいのに世間一般の考えを引っ張ってくるのは癪だが、
億万長者になることは難しい。というかほぼ無理である。
会社勤めで目指すなら、年収1,000万は必要だろう。キツい。そして飲み会に出なくてはならない。
起業をしても望みは薄い。部活でさえ後輩を持ったことのない人間に、果たして上司が務まるのか。
ならば相続はどうだ? 奨学金なしで大学に入れてくれた親父には本当に感謝しているが、おそらくそれほど遺産はない。
よし、株だ! 始める前から長期投資派なので難しい。FXは言わずもがな。
現在無職。雇用保険を計算に入れると、あと1年は慎ましい生活を送れる貯金はあるが、
実用的な資格もなく、実務経験もほとんどない。そもそもフルタイムで働けない。
「アフィ」という文字列を見ただけで、激昂する読者もいるかもしれない。
アフィリエイトの悪評はご存知の通りである。ここではあえて弁明もしない。
だが、そんなアフィリエイトでさえ、月10万円の生活費を稼ぐのは至難の業だ。
事実、開始4ヶ月目での収益はたったの1,000円である。お年玉の方がまだ高い。
実際、そのほとんどの時間は様々な学習に割かれており、実作業時間を考えれば、
また有象無象のアフィリエイターたちの数ヶ月目の報酬実績を見れば、悪くない滑り出しではある。
1年後にはなんとか10万円ほどをコンスタントに稼げているであろう。
そんな生活を送っているためか、最近は『億万長者になったつもり生活』を夢想している。
それはなぜか?
私は先ほど、人に会わない理想の生活を書き記したばかりだが、本気の本気で億万長者になった妄想を
眠りに落ちる前にひたすら繰り返す生活を何年も続けた結果、このような知見が得られた。
「寂しい」である。
そう、億万長者は寂しいのだ。
アーリーリタイア、つまり30代40代半ばで隠居生活に入った人たちのブログを読んでも、
なぜか?
「寂しいから」だそうだ。
会社へ行かなくていい生活とは、つまり会社へ行かない生活であるから、
町内会にでも参加しない限り、同人活動を行わない限り、人に会う機会がほとんどない。
だから、億万長者には「(そこまで稼げないが)人と会うことができ、楽しく続けられる仕事をする」人が多い。
これを億万長者でないままやってみよう、というのが『億万長者になったつもり生活』である。
そのメリットとはなにか。
億万長者なのだから、投資や貯蓄のための余剰資金をガンガン稼ぐ必要はない。
億万長者なのだから、絶えず話の行方に気を使い、いつ応答を求められるかに怯える飲み会に出る必要はない。
億万長者なのだから、資産を減らさない程度の、寂しくならない程度の仕事でいい。
スーパーマリオRPGだって100周くらいしてもいいのだ。
あいかわらず人は怖いけれども、週5フルタイムでないのなら、いくらか続けられはするだろう。
なんてことを言いつつも、なったつもりにもリスクはあるし、
踏ん切りだってなかなかつかない。
「え? 今さら?」
「もうみんな知ってたぜ!」
「義務教育で習っただろう?」
物事を始めるのであれば、できるだけ早いほうがいい。
そして正直、私はまだ若い。
時間というチャンスがある。
なったつもり生活とは、そのチャンスをみすみす捨てることだ。
もったいない教の信奉者でもある私にとって、これほどもったいないことはない。
「し、しかし……」と思い悩みながら、その悩みをこうして長文にしたためながら、
そのてんびんを私はひたすらに凝視している。そろそろ目が痛くなってきた。