はてなキーワード: 印刷とは
どうでもいい新機能よりも正規表現の検索/置換やオートシェイプ内の文字列も含めた検索機能、画面と印刷イメージの乖離や1000万以上の大量データの取り扱いなど、基本機能の強化をやって欲しいわ。
http://hobbyjapan.co.jp/dd/news/20180323_01.html
についての記事。周辺知識のある人向けかと思います。はじめはてブで突っ込むくらいにしておこうかと思ったんですけど、正しく伝えようと思うと文字数がかさむので増田でという経緯。当方は別にホビージャパン関係者でもこのプロジェクト関係者でもありません。しかし出版業界でお金もらってる人間ではありますし、このプレスリリースはあんまりだろう&禍根残すだろうと思うのでこの記事を書きます。
一体何がおきたのか? についてはリンク先の記事を一読していただくとしつつ、一読しただけじゃわからん、何だこれ? という人もいるかとは思います。まずはその人向けへ先ずは補足説明をします。
DTPで紙面をデザイン中、その紙面に画像素材やら文章素材を流し込んで整形して調整してゆくわけですが、使用してるパソコン機器の性能によってはその作業が重くなることがあります。それを回避するために、作業中は低解像度な(すなわち軽量な)画像素材を「アタリ」として配置して作業を進めておいて、作業後半で解像度が高いものと差し替えて完成とするという手法があります。今回の事案は、「アタリとしておいておいた画像素材のまま印刷所に突っ込んでしまい、チェックでもそれが指摘されずそのまま印刷が終わって製本されちゃった段階で気づいた」という案件です。
別段内部関係者じゃないので本当は断言するべきではなく「〜という案件だと思います」くらいにとどめておくのがベターなんですが、出版業界、編集業務、DTP関連、印刷関連のひとがプレスリリースを読んで掲載された写真を見れば、概ね同じ感想になるでしょう。それくらい「そのまんま」な案件なわけです。
この種のトラブルは少ないわけではなく、むしろ、編集作業をやっていれば割と日常的に目にするトラブルです。店頭にそれが並んでしまうと事件ですが、内部で作業中に発見されれば「こらーここアタリ残っとるぞう!」「ごめんなおしとくー><」くらいの事案で、ちょっとでも関わった人からすれば「ははぁん」で済んでしまうのではないでしょうか?
ですからこのトラブルそのものを責める気は全くありません。おそらく数回に渡るゲラ(試し刷り)のチェックを突破して市場に出てしまうというのは、編集部のチェック能力がプロとしていかがなレベルなのか? ってのはもちろんあるんですけれど、起きてしまったものは仕方ない理論で言えば仕方ないのです。呆れはしますけれど、呆れる以上ではない。むしろどんまいです。
今回突っ込みたいのはそこではなくて、プレスリリースの酷さです。
これはない。
ないでしょう。
「想定していたよりも劣る画質で掲載されておりました」「良品というものが存在しません」「本書をお待ちのお客様へお届けするという観点から、出荷し発売するという判断をさせていただきました」。
上の方の補足説明を読めばわかると思いますが、完全に編集部の(加えれば著者の、今回の場合翻訳本なので翻訳チームなどチェック担当者の)チェック漏れ案件で、人的なミスです。「このパソコンーなんにもしてないのに壊れちゃった」とか「印刷所からでてみたら劣化してた」みたいな、そういう子供じみた言い訳をするべき案件ではありません。
そもそも前述したとおり、この種のミスは珍しくありませんから「起きがちなミス」としてチェック項目に入って重点的に見るわけですし、もし仮に発生してしまった場合フォロー手法も確立しています。読者の皆さんには全く馴染みがないでしょうが「数万部、数十万部印刷したけれど致命的なミスが見つかってすべて断裁、印刷し直す」という事例が出版業界には存在するのです。個人的にも一回経験しており、書中にある人名の綴りを間違えてたという案件で流石にこれは失礼すぎて出せないとなり、断裁&再印刷がありました。
今回のジャッジはそれを、読者側の負担になすりつけようというもので到底擁護できるものではありません。約6000円の高額書籍であり、ホビージャパンが出版社として決して大手ではない(ゆえに回転資金におそらく限界がある)という点があって、ギリギリ理解できなくもないわけですが、だとしても「私たちのミスではない」とでも言いたいかのようなプレスリリースを出すのは、醜悪という以外にないでしょう。
しかし、それだけではなく、それ以上にまずい点がこのプレスリリースにはあります(ここまで説明して、やっとこの記事を書こうと思った本題です)。
それはプレスリリース中の「納品された製品全体が同様であると考えられる状況で、不良として交換する良品というものが存在しません。」という一文です。
この一文があるということは、ホビージャパンはこの書籍を「不良」であるという認識はあるということになります。しかし「良品が存在しないので交換もできない」というのが主張です。
ということは、この書籍が売り切れて増刷するときどうするのでしょうか? 常識で考えれば増刷するときには画像データを差し替えて(これは簡単で追加費用もほぼかかりません)本来の想定クオリティで印刷します。しかしそうなった場合、その時点で画像の解像度が十分高い――つまり「良品」が存在するということになりますよね。「良品が存在する」のであれば当然「その時点で交換に応じる」のが正しいことになりますよね? ユーザーからのみならず、書店の店頭担当者としても「不良印刷のこれはまともなのと取り替えてくれ」となります。それでいいのですか?
あるいは、増刷するときにも画像データを差し替えず「これはこういうデータが正しいのだ」と開き直って今後販売してゆく? あまりにもナンセンスです。今回の書籍は海外版権の翻訳本であり、版元はブランドイメージの保持に厳しい部類であると聞いています。それ以上に、出版社の一方的なミスを糊塗するために、今後商品すべてのクオリティを低い方に合わせるというのは、ありえない判断でしょう。
イラストレイターの方は当然に海外在住なのでしょうが、この方の同一性保持の権利やキャリアはどうなされるおつもりでしょう? この書籍が「不良品ではない」とすれば読者から見た時、彼/彼女は安っぽい粗い絵を書いただけの人になってしまうわけですよね。
これらの問題/批判を避けるために簡単な方法は「増刷しない」ですが、それはプロジェクト全体の普及や原作の利益的にみて反利益判断です。「需要があってみんなに届けたいけれど、届けるとプレスリリースの嘘がバレるのでやめよう」だなんて非合理的なのは誰にでもわかりますよね?
全体的にひどいプレスリリースなのですが、以上の理由からこの一文は、今後のプロジェクト(編集部)の自由度を自ら投げ捨てる、展開に当たってブレーキになりうる表現です。
目先の印刷費、おそらく一千万弱を支払いたくないというのは理解できるのですが、そのために息が長くて忠誠度の高いと思われる同ジャンルのユーザーの信頼を損ねるのはいかがでしょうか。
これはなにがなんでも断裁して破棄して印刷し直せという話ではなく(もちろんそれがベストなのですが)、もうちょっと誠実なプレスリリースの文章というものがあるのではないかという話です。そもそもプレスリリースを書くのに予算なんて必要ないではありませんか。必要なのはコミュニケーションコストを支払う誠実さだけです。
編集部や出版社に落ち度はない、不可抗力だったという、意味のない自己弁護をしたとしても営業的な利益には全くつながらないわけですし、最初に書いたように、今回の案件は出版や広くDTP経験のある人から見ればあんまりにも自明なトラブルなわけですから、そこで自己弁護をする価値はないと思うのです。すくなくとも、今後この書籍が増刷するときどうするのか? 似た案件が起きたらどうするのか? 程度のことは考えて先行きに禍根を残さないようなプレスリリースをするほうが得ではないでしょうか。
朝は平均7時から仕事を始め、最終退勤は8時~9時が平均である。
初任~3年目が概ねこれでやっていけている。
中には日付を越えるのが当たり前、というところもあるので、ホワイト中のホワイトだと思う。
と、ものを考えたくない私は言う。
んな訳ねえだろ。
月100時間以上残業して残業代が6000円っておかしいだろう。桁が足りないどころの話じゃない。
でもお金がほしいのではないのだ。
一番ほしいのは時間だ。
事務や会計、丸つけや掲示物、プリント印刷や配布文書の作成、地域交流のアポイントメント、必要物資の買い出し、授業で使う教材の準備、写真の編集、その他諸々の雑用をする時間、もしくは人がほしい。
こどもは毎日様子が変わる。
子どもの前に立つのは自分でいい。学級作りは教員がやらねばならない。何がよいこと、わるいことで、子どもが何に気を付け、生活していくべきか。成績や、評価も。
でも先に上げた事務仕事は本当に自分がやらねばならない仕事か?
一人で背負うべき仕事量なのか?
いつも疑問が浮かぶ。
馬鹿みたいな仕事量に忙殺されながら、湯水のように沸いて出てくる「その他の仕事」に時間を塵と捨てながら、
一番大事なはずの、子どもの前にいる時間すら消費していくのだ。
あーあ、馬鹿らし。
ここのところ、書店で本や漫画を買っても、がっかりすることが多い。
ジュンク堂とか紀伊国屋とかにふらっと行って雑誌とか本とか漫画とかザーッて買ってくるのが好きなんだけど、最近「これは!この金額の価値アリ!!!」って本にあんまり出会ってない。
なんかさ、本高くない?
昔からこんな値段だったっけ?
紙が高くなったとか印刷代が、とか分かるんだけどさ、その値段の高まりに内容ついていってなくない?
選べば面白い本がある?
たしかに、それはそうだと思う
古典を読め?
ほんとにそうかな?
私がお小遣い月1000円の子どもや学生だったら、この何処かで見たものの焼増しのような漫画を500円も出して買うかな?
あと、最近装丁凝ってて800円とか1200円とかするやつ多くない?お金かけてほしいのはそこではないんだけど……。
私が一食500円で昼を済ますサラリーマンやOLだったら、この中身のない実録本買うかな?このググればいくらでも見つかりそうな内容が詰まった教養書買うかな?
私は別に裕福な人間ではないけど、年間20万円は本や漫画や雑誌に使う。でも、元が取れたなぁって思うものが本当に少ない。
ブログで有名な人。
この人たちの本を手に取る価値が本当にある?既にふぁぼやリツイやブクマを稼いでる内容を紙に印刷してどうするの?
もちろんネット使う人たちばかりではないから、紙になったものを読みたい人たちもいるよね。私も紙の方が好きだから分かるんだけども。でも多すぎない?玉石混交すぎる。
既に著名な人の新刊。
でも、つまらない、印刷したものを買う価値もないような、走り書きの内容も多い。
ていうかこの前の対談で/ブログで/テレビのインタビューでその話あった気がする。
同じ内容を何度も何度も使い回し繰り返し……。
最近わたしが本を買って、これはこの金額の方価値があった!!って感動したのは、同人誌と海外の写真集と、とある雑誌。
「こなくそ〜!好きなものが好きなの!」とか「これがマジでカッコいいんだよ!そうなの!」って主張が溢れてて、その好きなものを作るのに対して妥協してないものだったから、喜んでお金を払いたい、払ってよかった。私の家に置いておきたい!って思った。
全部が全部そのテンションで良いわけでもない。
でも、ねぇ、ちょっと。
つまらない本が多すぎませんか?
紙の本が大好きで衰退して欲しくないからあんまり下げたくないけど、
でもだからこそ、つまらない本が多すぎてガッカリしてる人・お金をかける価値を見出せず離れちゃう人も多いんじゃないかって思うんだよ。
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思いのほか反応をもらっていて驚きました。
自分がつけたタイトルと反しますが、本おもしろいじゃん!って意見も多くて嬉しくなりました。
おすすめの本とかありがとうございます!
いろいろな話が出ていましたが、私が読んでるのは漫画・小説・実録本(エッセイとかノンフィクション)・新書・実用書・雑誌・小説雑誌とかです。教養書はもう買わん。偏ってると言えば偏っているかもしれない。
あと、ブクマでもどなたかが言及してくださってて大感謝なんですが、ちゃんと言っておきます。池袋ジュンク堂さんには大変お世話になっているし、ここのレコメンド本はめちゃくちゃアタリが多いです。大学の時から通ってて、たくさんの良作にめぐり合わせていただいています。書店員さんの力を感じる商品内容と陳列です。大好きです。長い時は4時間くらいうろつくよ。
個人的な経験に基づいた意見ではあるのですが、元増田さんの提案はあまり上手くいかないのではないかと思います
半額シールを貼る作業は、商品補充や棚の整理を行いながらの作業になります
商品補充と棚の整理は、レジ打ちや接客と並んで小売従業員の基本業務です
商品が売れるタイミングはある程度は予測できても、完璧に読んで商品補充を行うのは難しいです
特に売り場が狭い店舗の場合は、油断するとすぐに棚が空になってしまい、売上を伸ばすチャンスを逃してしまいます
棚の整理には、例えばお米のコーナーに肉やアイスが放置されているケースもありますので、そういった商品が無いかチェックする事も含まれます
上記の様な極端なケースは稀ですが、冷凍食品のコーナーにアイスが置いてあったり、肉のコーナーに魚の切り身のパックが放置される事はよくあります
賞味期限順にきれいにそろえて並べていた商品が、いつの間にかぐちゃぐちゃになっているのはほぼ毎日です
その為、半額シールを貼る作業のある無しに関わらず、こまめに棚整理や商品補充を行う必要があります
ですので値札に売価変更の予定を表記していたとしても、従業員の手間はさほど変わりません
半額シールは翌日、翌々日には廃棄する商品に貼る場合がほとんどです
その為、撤去しなければならない廃棄品を探す際の目印にもなります
記入できる情報量を増やす為に値札を大きくすると、商品そのものが見えにくくなります
かといって文字を小さくすると、特にご年配のお客様が読みにくくなってしまいます
また値札に○日○時から半額などと表記されているよりも、単に半額シールで目立つ様に表示した方がお客様にも分かりやすいと思います
「半額」とだけ書かれたシールを使っている店舗は、使用している設備が古い場合がほとんどです
こういった店舗はおそらく元増田さんの提案を実現できる環境ではありません
この様な店舗は設備投資を行う余裕が無い、もしくは必要を感じていないからです
仮に設備投資を行う余裕があったとしても、まずはレジの更新が優先されると思います
その方がお客様の満足度的にも、従業員の負担軽減の面からも効果が大きいと思います
大手のスーパー(西友、イオン、イズミなど)であれば、元増田さんの提案を実現する事も可能かもしれません
しかし、そういった企業の店舗では、すでに売り場で売価登録・変更とバーコード付きの値札シールの印刷が可能になっているそうなので、半額シールはほとんど使わないと思います
半額シールは分かりやすい点は良いのですが、値下げ幅を考えると大雑把過ぎるところがあるので、できることなら使いたくない店舗が大半だと思います
「印刷の都合で3000部刷るけど2000部捌けるかも分からん。だから画廊が1000部引き取ってくれ」
って話があってな。
でも画廊はやっぱ恨んでて、次の画集は別のトコから出るのが確定してるって話。
なんていうかイモ引きまくりのへっぴり腰は大損ぶっこくよねってそんだけ。
狂気に憧れる凡人の話
それはほかでもないぼくのことであるのだが。何よりもまずこのもったいぶっていかにも尊大そうな文章にケチをつけなければならないが、どうしてもこの文章じゃないと書けないのは、普段の自分の頭の中をかけめぐる独白の数々がもう常にこの状態で、いくらケチをつかえようにも治らないのである。そしてその結果所々に綻びが生じる。そしてそれを許容するにはあと何十年も人生が必要になるだろう。
明け方。明け方といっても現在午前19時である。日当たりのいる部屋に住むせいかカーテンを未だ閉めているせいか太陽を拝むことはないのだが、とにかくこの時間までぼくは寝れずにいた。寝れないときに頭を駆け巡るのはたいてい直近の過去の反省か僕が主役の何かしらの劇的な映画である。ある時は正統を追い求めた結果化け物となる主人公を演じ、ある時は自分の人当りを恥じたり、ある時は海外旅行先で危うく性欲に負けそうなった事実を思い出す。現在や過去からの逃避のためにぼくは狂気の自分を追い求める。その狂気というのは目的達成のために没頭することができて周りを省みずそして周りもまた本人を認めている状態を指す。つまり自己実現と自己顕示が両立した理想的状態に憧れる。そしてその状態は過去のいかなる自分を構成している伏線を全て回収し、何等かの今現在の結果にすべて一本の柱で繋がることを求めている。求めているのである。現実はそうはいかない。そのような狂気の自分が自分に舞い降りたことはなく、狂気の結果になったこともない。狂気を演じてみたこともあったがそこに生じたほころびはむしろ自分を苦しめることになった。つまりは結果が伴わなかったのだが、それはそうとしよう。なにより自分自身はどこまでも凡人で、その凡人さと、そして誠実さを追い求めていたという現実に直面したのである。狂気は理想、凡人も理想。でも現実は凡人。では理想は叶ったと思うが、これもまた難しい。この構造がよくわからない。凡人という層の上に狂人という層が乗っかっていて、その両方を求める自分がいるのであろうか。
これはぼくの物語の妄想に関連してくるのだと考える。ぼくの頭の中の物語、しばしばそれは12歳の頃から文章となって表現され印刷され、多くの人に読ませたりはたまた読まれたりしたわけだが、その妄想こそが平凡の上に狂気がコーティングされている。つまり、世のなかに多く知れ渡るフィクションと全く同じ構造を取っている。具体的に言えばスターウォーズ。
例えば運命の申し子になりたがったり、運命に反逆し新しい法則を作り出す存在になりたがる。誰しも考える物語もそうかもしれない。だからこの文章もありがちなものになり得る。それはしかし考え始めるとまた大変なので置いておく。
まず、基本となる法則を追い求める。例えばスターウォーズでいう「フォース」であったり、よくある「運命」だったりする。「強大な支配者」だったりもする。そしてその基本となるものに、自分は「狂人」となり法則に準じて動いていく。妄想の世界でこの法則は絶対で揺らぐものではない。妄想の世界ではぼくは絶対に間違えない。法則を間違えない。
これこそがぼくの今の状態を作り出すのである。平凡の狂気の同居を求めるということ。つまりそれは究極的には平凡を求めているのかもしれない。絶対正しいとされることを妄信的に突き進めばぼくは幸せになれる、自己実現ができるという、ある意味思考停止を求めた状態なのかもしれない。価値観の氾濫するこの時代である。よく大昔の評論でいう「大きな物語」の終わった時代。それが昔。らしい。ぼくの生まれる五年ほど前にそれは終わり、今は価値観の氾濫する時代になっている。だからこそ強い価値観が生まれてカウンタ―も強い。2011以後、それを強く感じている。もはや学べば学ぶほど何が正しいかわからなくなり、そして終着点が分からなくなる。よくフィクションで言われる「それは己が決める」そうしたい。そうしたいし、それが正解だと思う。しかし自分が間違える存在で、正しいところに合わせなければならず、もし自分がそれを踏み外せばそれすらしばしぼくの責任ではなく(大きく元を辿れば自分の責任なのだが)、自捨を求められる「大きな物語」の中にいたぼくが、この物語の氾濫するなかでそれを選択し生きていけるのだろうか。しばしぼくらは尊重される。マイノリティだとしても悪いことだとしても、その個人は尊重される。されるべきである。一方でぼくを取り巻く規範がぼくにどう作用するのか。二つの全く異なるコミュニティを行き来してきた僕に何がどう作用するのか。1984よろしく二重思考である「わかっちゃいるけどやめられない」「間違っちゃいるけど間違っていない」恐らくこの二重思考も誤りであるが。そしてぼくはどちらかを選択し逃避する。どちらも正しいと思うのに。どちらも正しいと思うから。これがまたややこしい問題を引き起こす。
本当のぼくはとても乱暴な狂信者である。属する二つのコミュニティの規範に対して。とても乱暴で妄信的な狂信者である。その折り合いは結局、この22年間でつけることは出来なかった。そしてもう23年目を迎える。自己実現や自己顕示などもう参照ファイルの一個としてもったいぶって時折閲覧する程度でいい時期である。それすらも間違っているのかもしれないが。ぼくのただの達観という自己満足と自己実現の1つの妄想の中の確信の1つなのかもしれないが。だがどうしようもない。この疑い逃れに堕ちぬよう絶対を見つけるまで日向ぼっこしかないんだ。何日も何十年も雲のように漂って。とっつきやすい欲望を転々として理由を探していたけど。ある日ある事あって。また嫌になったんだ。これまでの世界にもこの文章にすらシラケてしまった。ぼくは戻っていった。あきらめと忘却と千羽鶴のように歩む生活の往来に。さながら長澤知之である。回想を繰り替えし思考列車は回送を繰り返しながらぼくは今日もぐるぐると回り先人を参照して一時満足しまた離陸して宙に浮いて厨二に入ろうする。三十分が経った。整理できただろうか。ぼくはこうして前に進めない。前に進み規範に折り合いをつける技量もない。面白いことに一年前のぼくの就職診断で出た答えは「開祖」であった。宗教をひらけというのだ。つまりはもうぼくはそのようにして列車を止めることは出来ないから、早く駅を作りその駅に留まりまた路線を作り走り出せというのだ。それしかぼくのような人間は生きることが出来ない。社会でやっていくこともできない。
そしてぼくのようなものは、地球上にゴマンといる。恥ずかしいことにマジョリティなのである。なんとも哀れ。恥ずべきこと。マイノリティを求めること時代がマジョリティの発想なのである。この世に溢れるマジョリティを求めるマイノリティの物語などすべてその逆でしかない。この文章も自己陶酔の一役目しか果たしていない。道具に頼らないだけマシであるが。
夜が明けた。今日が始まる。あまり酔った文章を書きたくないのでどう締めたらよかろうか。この自分の状態も、外の状態も、宵が明ける。上手い。よしこれで終わりにしよう。
元増田です。仕事終わってはてブ覗いたらまさかのホッテントリ入りに驚いた。
たくさんコメントをいただけてとっても嬉しい。色々落ち着いたらコメント全部印刷してお守りにするね。
実はまだ社員になる実感がなくて、正社員登用は本当に嬉しいんだけど、正直なところまだ一枚隔てた別の世界の話のように感じてる。
でも、まず母に喜んでもらえて、たまたまお茶した友達も喜んでくれて、はてブの人たちにもお祝いしてもらえると、
これは本当のことなんだってじわじわこみ上げてくるものがあるよ。
すごくすごく嬉しいから、調子に乗って追記するね。うざかったらごめんね。というかきっとうざい自分語りが入ります。明らかに蛇足です。
実はこれでも今まで働いてきた職場の中で一番お給金が高いのでした。
具体的な金額で書くと1000円前後。これで交通費が半分でも着くと私の住んでいる地域ではかなりいい感じ。
ちなみに一番最初の職場では750円、その次では850円と転職するたびに少しずつ上がっていきました。
なので私の中では、時給1000円でも十分高い部類に入ります。
仕事について、元記事では特に評価されたパソコンやシステム関連について重点的に書きましたが、
実際は窓口で受付や来客対応をしながらもちろん外線電話も取るし、会議等が非常に多いので資料や機材の準備をしたり、
それから年に3度ほど規模の大きな催しがあるので、その予定を組んだり外部の先生に依頼をしたりなどをしています。
そもそもにして今いる部署が、事務職としては恩人でもある社員さんと私の二人だけで始まり、大体手探りで仕事をして、何度も失敗をしながら作り上げてきました。
今でこそ人員が増えて役割分担されているけれど、最初の年は経理的なこともしていたし、そういえばPRビデオみたいなものも作ってました。
さすがに有名大学の教授クラスの人への連絡まで任された時は荷が重いなあと思いましたけれども(※今ではもうとっくに慣れた)。
時給が安いという実感はなかったし、安くても部署を作って運営してきた実感があったので、何ともなかったです。
派遣という立場ながら、仕事を任せてもらえた(というより放り投げられた)ので、やりがいだけはありました。今思えばやりがい搾取ってヤツでしょうか。
しかし、好きなことを好きなようにできるのはとても楽しいし、できないことができるようになることもまた楽しいので、あまり気になりませんでした。
ブコメでは派遣元へ支払われる紹介料がべらぼうに高くて人買いだの女衒だのと派遣元が叩かれていますが、
私自身はそこまで派遣会社に悪感情はないし、派遣社員という制度や身分が嫌いでもありません。
最初の職場は市役所の臨時職員で、1年経ったら辞めざるを得なくて、そこから半年間就活をしていましたがうんともすんとも言わず、正直病んでいきました。
その頃の私は派遣なんて悪い文明! と思い込んでいたけど、もうこれ以上無職でいる訳にもいかず、派遣会社を頼りました。
増田ではこんな長文を書く私ですが、リアルではかなりの口下手で、面接がとても苦手です。
そんな私にとって、登録すれば仕事をくれる派遣会社は本当に有り難い存在でした。
派遣社員としてでも与えられた業務をこなし、人に感謝されたり上手く仕事ができた手応えを得れば、生きている実感が湧きました。
特に今の派遣会社は、元々の時給が高いだけで(※自分比)継続勤務による昇給はなかったし、交通費もこの1~2年でやっと支給されるようになりました。
あと後述の理由で辞めたいと言った時も辞めさせてくれなかったし、社員になりたいと希望を出してその交渉をしてくれていたのか分からないし、
無期雇用の話を言い出したら有耶無耶にしようとしていたし、本当にいいところがない……。
・これから
正社員になって一番嬉しいのは、あらゆる研修に出ることができること。
社内メールで内外関わらず色んな研修のお知らせが来るのですが、派遣社員の立場だとどうしても出席ができなかったので(正確には優先順位が低い)。
特に前々から行きたいと思っていた研修に、別の社員さんが出席することになったときは本当に悔しくて仕方がなかった。
一番参ったのが、後からやってきて仕事を教えた社員さんに結構理不尽な扱いを受けたこと。
今の部署に長くいるので、後からやってきた社員さんに仕事を教えるという逆転現象も多々発生していましたが、
とある社員さんに仕事を大体教えたら突然当たりが強くなって、どう接すればいいのか分からなくて本当に困った。お前所詮は派遣だろ、って明らかに見下した扱いです。
なんかもういいやー、と思って派遣元に退職を伝えてもなんか本気に取ってもらえなくて、また困った。
その社員さんとは今は和解しているのですが、私が社員になると知ればまた当たりが強くなるだろうなー。
かつては派遣会社で仕事をもらって生きている実感が湧きましたが、派遣先の会社で社員になれるほど認められて、私はようやく人間になれた気がします。
こんな蛇足にまで長々お付き合いいただき、ありがとうございます。
これ以上はもう何も書きませんが、ここまで読んでくださった方にも素敵なことがありますように。
「漫画村がでかい顔しているのは出版社が作家から搾取して高給取ってるくせに何も対応策を打てない無能だからだ!」
という意見が結構あるが、元編集からちょっと言いたいこともあったり。
本がいくら売れても印税は10%しか渡さず出版社が90%を奪っていく……というとたしかに搾取に思える。
だが、大体が出版社に大したお金は残らず、むしろ出版しても赤字になるのが現実である。
仮に500円の本を1万部刷った場合、単純計算で500万円が発生する。
その内訳をざっくり考えてみると
・150万円…出版社から書店に本を配る取次に支払われる。ここの割合は出版社によってまちまち。
で残るのは150万円、約3割である。
これだけ見るとなかなかの儲けだが、実際には全てが売れるなんてことはなく、返本分の金が消えていく。
3割の返本は当たり前なので、150万円分の売上が引かれて、残ったのは0円、儲けは完全に消え失せる。
(ここは単純計算しているので実際はもう少し異なるが)
3割ならまだいいが、売れない場合返本5割、時には7割なんてこともあり、そうなると大赤字である。
さらに返本分を保管する倉庫代など、余計な出費がかさんで仕方がない。
これは、発行部数に対して印税が発生するパターンで、極論1冊しか売れなくても作者には50万円が入ってくる。
売れなかった時の金銭的リスクは作家ではなく出版社が背負っているのである。
ちなみに、電子書籍の場合は売れた冊数ベースで支払うので、1冊しか売れないと1冊分のお金しか入ってこない。
というわけで、搾取だと言われると少々厳しいところはある。印税20%なんて現実的なものではない。
ただ、出版不況で発行部数が落ちている中では印税が下がっており、それが作家を苦しめてしまっているのは間違いないので、
とにかく売れる作品を作るために出版社も全力を尽くさないといけない。
もちろん印税5%とかは搾取だと思います……10%きちんと払いましょうね。
②高給
週休2日も必ずあるわけでもなく、休日だろうが年末年始だろうが作家からの連絡がくる。
旅行中だろうが病気中だろうが、いつ連絡がきても対応しないといけない。
そんな業種なのでストレスはどんどんたまり、合わない人はどんどん辞めていく。
そうなると人数が減って一人あたりの仕事量は増加し、残業代も多く発生する。
というわけでたしかに編集は高給取りが多い。高給くらいもらわないとやってられない仕事である。
正直なところいつ身体を壊して辞めるかわからない仕事なので、元気なうちに貯めておきたいと自分は思っていた。
契約社員の編集なんかは給料が安いのにプレッシャーも大きくなかなかつらい立場である。
ちなみに、非編集部門はそれほど給料が良いわけでもない……らしい。正直よく知らない。
まさにその通りである。
まず出版社は全体的に考え方が古いので、新しいビジネスについていくのが苦手な傾向があると個人的には思う。
だから、マンガ読み放題なんてサービスもなかなか手を出せず、漫画村のような海賊版サイトがのさばってしまう。
同業他社との連携も、作家の取り合いのようなライバル意識の影響はわからないが、元々小出版社が多く分配なども煩雑極まりない。
大手ならともかく中小出版社の法務なんて大した機能がないことも多く、各自が対漫画村で行動を起こせるわけでもない。
法務がしっかりしていないと、どのような法に基づいてどうやったら摘発できるのか、法律のプロではない編集にはよくわからないだろう。
このあたりは法務がしっかりした大手が舵取りをして、出版業界全体で連携して取り組むべき問題なのは間違いない。
ということであれこれ書いてみたが、細かい数字などは間違いがあるかもしれないし、
自分の知識は過去のもので現在のものと変わっているところがあるかと思うので、あまりあてにしないでもらいたい。
韓国に行ったことも整形したことも誰にも話せず、一人暮らしの家で寂しくダウンタイムを過ごしているので色々吐かせてください。
小さな頃から顔がコンプレックスでした。厚ぼったい一重の目に、エラ張り顔というメイクでは誤魔化しの効かないブスの典型です。
絶対に整形しようと、高校生の頃からTwitterで「整形垢」を作って情報収集、様々な手段(割愛)での資金集めをしてきました。
大学生になり、親元をはなれ一人暮らしを始めたのでやっと整形できる!とまず埋没手術(ふたえ手術)をしました。
それだけで印象がグッと変わり、アイメイクは楽しくなるし男性に今までされたことのない優しい態度を取られ、
「顔が標準以上の子は、こんな思いを毎日していたのか・・・」と新しい世界を見ることができました。
彼氏もできて、初エッチもしました。ブスの頃は一生処女なんだろうなと思ってたのに。
埋没手術は5万。5万円でこんなに世界が変わるなんて、なんてコスパがいいんだろう。
二重になって目はある程度ぱっちりしましたが、次は蒙古襞のせいで垢抜けないことに気づき始めました。
それから、ずっとコンプレックスだったエラの悩みに終止符を打ちたいと、次は目頭切開とエラ削りをすることに。
Twitterには整形垢界隈というものがあり、整形の情報や症例、経過写真の情報を容易く得ることができます。
調べていると、韓国は料金が日本より安い(相場が日本の1/3くらい!)上に技術も良く、日本語対応している病院も多かったので
不安はありましたが春休みに韓国に行くことを決めました。2月の中旬に行ってきて、いまはやっと腫れが落ち着いてきたくらいです。
整形までにやったことは
1)病院選び
2)予約
3)渡韓準備
です。
まず病院選びは、Twitterの症例と病院のHPが載せている情報をみて、自分の希望を叶えてくれそうな病院を探しました。
整形垢界隈には韓国の病院のトレンドがあり、その時評判が良かった病院を全て調べまくって「とにかくナチュラルに垢抜けたい」希望にあっているところを探しました。
ちなみに目頭切開は高須クリニックだと25万。韓国だと3-5万です。技術は個人の感じ方によりますが、韓国でしか採用していない高度な技術や施術方法があることを考えると韓国の方が上かなと思います。
予約はカカオトークかLINE@で。私は日本語対応していない病院を選んだので、予約はカカオトークでGoogle翻訳を片手に韓国語で行いました。
また、日本語が十分にできる先生がいない病院を選んだため、渡韓期間は通訳さんを同行させる必要がありました。現地でついてきてくれる通訳さんの予約も。
渡韓準備として、きちんと希望の目の形が伝わるようにオーダーシートを自作しました。
この目にはなりたくない、この目に近づきたい・・というイメージを紙に印刷してカウンセリングの時に見せる用です。
友達や家族には「韓国に高校の友達と旅行行ってくる!」と伝えアリバイ工作。
ダウンタイム中に人に会いたくなかったので、旅行の後はすぐリゾートバイトで軽井沢に住み込みしてくる設定にしました。
滞在期間中は街で会った韓国人のお兄さんに「君が行こうとしている病院、韓国では評判悪いからこっちの病院行きなよ!」と話しかけられ結局悪質な回し者だった・・という事件があったり色々大変でしたが、なんとか目と顔を腫らしながら帰国できました。
ちなみに高須では100万円以上するエラ削り、韓国では安いところだと15万くらいでできます。繰り返しますが品質が悪いわけじゃないです。
就活も結局顔見られるし、今やって良かった。
その時ハマッていたジャンルの有名なサークルさんの新刊がどうしてもどうしても読みたくて、真っ先に読みたくて、コミケの参加方法を調べて、交通機関を調べて、一生懸命メイクをして靴を履いて水筒と小銭を持ってコミケに行った。
人が多いと聞いていたけど、こんなに多いとは思っていなくて、足踏み散らかされ吐きそうになりながら目当ての新刊をゲットした。最高だった。
早く読みたい早く読みたい!! と思っていたのはそうなんだけど、せっかくなら、もうちょっと見て回りたいな、と思ったので少し会場を見て回ることにした。
当時の私は高校二年生だったので、参加費を勿体なく思ってしまったのだ。
他のサークルさんを下調べもしなかったし、一般初参加で勝手が分からない私は、取り敢えず会場をぐるぐるしてみようと思った。
取り敢えず見て、良き出会いがなければ素直に帰るか~という軽い気持ち。
そしたら、素敵なサークルさんを見つけた。私は最初「えっこんな…6ページしかないようなイラスト本が600円!?(ほんとうにごめんなさい)」とスルーしてしまった(ほんとうにごめんなさい、同人誌の値段にケチつけるようなクソ高校生だったんです)。
でもめちゃめちゃ絵が最高で、塗りも素敵で、見れば見るほど、「え、素敵…すき…欲しい…」って結局、踵を返して一冊購入した。良く覚えてる。
表紙を見て、「絵が素敵だって伝えてこよう。それはそれとして、もう一冊買おう」と思った。買った。
その後も、色んな同人誌を、高校二年生のお小遣いで買える範囲で買って、帰宅した。
帰宅して、当初の目的だったサークルさんの新刊を読んで「よ、良き~~~!!!」って感想をしたためて、早速送った。1週間後、もっかい送った(ファーストコンタクト感想と、後程落ち着いて考えた感想を送るクソタイプ)。
感想を送って満足した後に、ふと、「そういや高いけど欲しいなって思って買った本があったな(めっちゃ上から目線やんごめんなさい)」って、例の本を取って開いてみた。
最高だった。
上手く言葉にできない。なんだ、フランダースの犬の最終回、ルーベンスの絵を見れたネロの気持ちが分かった。死の淵にあっても、その絵を見れて良かったという心からの安堵。安らぎ。ハレルヤ。パトラッシュ、ほら、神同人誌だぞ。
え、え、え、?待って最高。早速感想を送って次の新刊もチェックだなって思って、奥付を見たのね。
書いてないの。
サークル名とペンネームと、印刷社しか書いてないの。サイトも書いてないし、連絡先も載ってないの。
いやいやいやいや~~~~www え? ん?
いや嘘でしょって思う人もいるかもだけど、マジで書いてないの。うそやん!っておもって一縷の望みをかけてパンフのサークルカットも見るけど、そこにも載ってないのやっぱり。当然だけど。
どうしようどうしようって、サイトを探すの、サークル名とペンネームで検索掛けて、ヒットしなくて、
検索エンジンでサークル名とペンネームで検索掛けて、ヒットしなくて、
イラスト集に描かれてたキャラを検索して、ひとつひとつサイトを見て行って、でも見つからなくて、
ジャンル仲間一人一人に神同人誌を見せて、この人、このサークル主、知らない?って訊いても、誰も知らなかった。
えっ………………………
あの時、この本を買ったあの時、サイト運営しているか、聞いとけばよかった。次も絶対買うのに。いや、買いたいのに。私はこんなにもこの絵が、この本が好きなのに。
自分勝手な感情だって分かっていたけど、でも、しばらく経ってもその思いは消えなくて、諦めきれなくて、自ジャンルの検索エンジン新着を眺めて、新しく登録されたサイトを見つけては、飛び込んで見ていった。
全部、やっぱりそのサークル主さんではなかった。それはそれとして巡回サイトは増えた。
ツイッターが流行った頃、ミクシィが流行った頃、ピクシブが風を巻き起こした頃、定期的にそのサークルさんの名前と主さんの名前を検索しては、0件に泣いた。
イベントに出かけて、サークルチェックをしては、その絵がないことに心が沈んだ。それはそれとして推しサークルさんは増えた。
就職しても、思い出した時に色んなSNSをチェックしては、「やっぱりいないなー」とちょっとガッカリした。その頃には、その人が見つからないことに慣れていて、神同人誌は読み返し過ぎてボロボロになっていた。
サークル名も、ペンネームも変えられたら、もう、見つける手がかりはないんだよな…と後ろを見ては、身体の中が冷たい不安で満たされるのを感じた。
でもやっぱりその人の新しい絵が見たい。それが叶わないなら、あなたの絵をずっとずっと、こんなにも好きで、つらいときも楽しいときも、あなたのこの一冊を読んでもっと心が満たされたんだって言いたい。伝えたい。人生が豊かになったって。どうした急にポエマーやな。
ずっと同人活動をしている保証も、その人がそのジャンルでずっと活動している保証もどこにもなくて、あまりにも見つからな過ぎて高校二年のあの夏は幻だったんじゃないかって何度も思った
ある時、というか、このブログ書いてる時期でモロバレなんだけど、あるイベントに友人がサークル側で出ることになって、私は丁度その時ヒマしてたので、売り子を頼まれた。
私はその時にはイベントから距離を置いていて、というか就職してからこのかた、ずっとイベントには出てなかったんだけど、丁度、そん時丁度ね、ヒマだったので、それを引き受けた。
ずっと売り子してたらええんかな~?と思っていたら、友人は昼ごろから買い物行って来ていいからね、って言ってくれたので、サークルとか一切チェックしてないけど、久しぶりのイベントだし、せっかくだから色々見てこようと思った。
いつもの調子で何冊か買って、さて、そろそろスペースに帰るかなって考えていた時にね、
あったの。あの絵が。あの絵の表紙が。
いや、そうじゃない、流石にあの絵ではない。でも分かる。この絵柄。あの人の絵だ!あの人の絵だ!あの人の絵だ!
あれから十年近く経っていた。でもあの絵だ!
ずっと探してた。書店とか行ってみたり、サイト巡りしたり、ペンネームが違うのかとそのキャラを扱ったサイトをひとつひとつ、ピクシブで一枚一枚探してた。
その絵が今目の前にある。新しいイラスト集だ!新しいイラスト集!
衝動的に一冊買った。既刊もあるのかな? と思ったら、特に無かった。何か言おうとして、でも何も言えなくて、「素敵な絵ですね」とやっと言って、スペースを離れた。
だって、十年もあなたを探していましたってなんか、…重くない?きもくない?って急に不安になった。人違いかもしれないし。
私はこういうストーカー気質なので、感想を沢山送っては、引かれることがあった。
私は、好きなものは好きだと伝えたいけど、相手を引かせたいわけでも不快にさせたい訳でもないから、気を付けている…つもりではいるんだけどやっぱりさじ加減が上手く行かないんだな。いや~~~こういう時に冷静になるとどうしたらいいのか分からなくなるな!!
どうしよう、どうしようか。って思って、しばらくスペースの周りをウロウロした。勇気がない。いつもあんなに感想を人に送っているのに、いざという時にヘタレ。なんでやねん。
やっぱり言おう、この本、あなたのものですかって。スマホに保存していた表紙を見せて、これ、あなたが描いたものですか?って。いや相手さんにしたらめっちゃ恐怖やな。スタッフさん呼ばれたらどうしよう。
でもやっぱり、諦められないよ。これが最後のチャンスかもしれないし。それはそれとしてもう一冊買おうって踵を返してあのサークルさんのスペースに戻った。
サークル主さんは、さっき来た私の顔を覚えていて(そりゃそうか)、「ああ~どうも~」って感じだった。もう一冊ください。
買って、後ろに人が並んでいないことを確認して、すごい心臓バクバクしてるのを感じながら、あのあのあの、これこれこれ!!!ってめっちゃドモりながら、スマホのあの神表紙を見せた。
「これ、あなたのご本ですか?!?!?」って。サークル主さんはちょっと面食らったあとに、「ああー、そうですよ。ずっと前のやつですけど、そうです。随分前に完売しちゃって再販も予定ないです…」と、既刊希望の人かな?って感じの説明をしてくれた。やべえ。会話下手くそ過ぎて伝わってねえ。
いやいや踏ん張れ頑張れ!!ここまで言ったならもう最後まで言っちゃえ!引かれたらそのままこの人の前から消えて、諦めよう!何もかも!と上述した全てのことを、手短に話した。
だって変な女がスペースを離れないんですけどって思われたくないし、他の人にも迷惑だからね。
その人は、泣いてしまった。や、やべえ…神サークル主があまりの恐怖に泣いている…、時間にして2分くらいの犯行である…。
ご、ごめんなさいキモイですね…って言ったら、その人は「自分の絵でそこまで言ってくれる人には、十年間会ったことが無かった。ありがとう。」って答えてくれた。
いや恐怖にすくんで私の様子をうかがっただけかもしれないけど…、気遣いかもしれないけど…。
でも、その反応だけで、今までのことが全て報われたような気持ちになった。私が探して探したあの十年の時間は、あんまり意味がなかったのかもしれないけれど(だって、その日、そのサークルさんを偶然にも見つけたことに、あんまり関連がないものな)、でもやっぱり良かったって思った。
あなたのサークルを探して出会った沢山のサイトがあって、あなたのサークルを探して出会った沢山の素敵なイラストがあって、あなたのサークルが繋いでくれた色んな縁があるんだよ。
「縁」ってやっぱりあるんだなって思った。
新しく手に入れたその神同人誌の奥付には、普通に連絡先が載っていた。
いや載ってるんか~~~~~~~~~~~~い!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
(でも、伝えたことに後悔はないです)
追記:https://anond.hatelabo.jp/20180304161620
追記というか完全に蛇足なんですけど…許して…。
目標を決めるだけの上司との面談に1時間かかり、それを何回も行った。
目標を決めるも、どうしても達成できない。
優先順位を決めてしまうと目標が一番下になり全然達成できない日々が続いた。
そして、5年経った今、やっとどうすべきか分かってきた。
・目標を書き出す
そうして目の届く場所に置いておく。
1日数分、1つの項目を進めて行く。
私がやる気が出なかったのは、「あー、先が長いなぁ」「でもやらないとな」というやる気の無さ。
そして、1つの目標があまりにも高すぎて考えたくなかったのもあると思う。
(いきなり跳び箱26段飛ぶことを目標にした感じ)
1段、5段、10段、15段と飛ばして書いても出来る人はいると思うけど
私の場合「達成感」を常に味わっていないとやる気が増えないから
1段、2段、3段、4段…のように細かくした。
「緊急業務」が来たときにどう対応するか、全ての業務にランク付けしておいたほうが良いかな…と検討中。
あと、スケジュール(納期など)についても検討する必要がある。
うーん、まだまだですな。
私はとにかく権威のある人が見てると思うと緊張してしまい、考えられないようなミスをする。たとえば私は学習塾でバイトしているのだが、社員の視線が見えない教室だったら普通なのだが、社員の机の近くにあるコピー機にコピーを取りに行くと、テンパってしまってまともにコピーすら取れない。拡大縮小や両面印刷などが求められることが多いのだが、モタモタしていたら社員になにか言われるのではと焦ってしまい、心臓がドキドキして緊張する。それで簡単なはずのコピーで失敗し、もう一度コピーする羽目になり、ああ、失敗してしまった、なんと言われるのだろうと上半身がこわばってブルブル震えだす。なんとかコピーを出し終わって逃げるようにその場を離れる。はっきり言って異常だ。部活で、コピー機よりもっと複雑な印刷機を扱い慣れているのに、こんなことになってしまう。就職活動をすることになったらどうなってしまうんだろうとまた不安で緊張する。どうしたらいいんだろう……
そのIPはソシャゲアプリを起点としたメディア展開により、認知と売り上げの確保を狙っていた。
だが、本体のアプリは不発、アニメ放映前にあえなくサービス終了となった。
ここまでは、ここ数年の間で何度も見てきた、ごくありふれた新規IPの誕生と死であった。
だが奇跡は起きた。アプリのサービス終了の後に放映されたアニメが社会現象となった。
アプリと同様、いやそれ以上に、アニメの間口は広くはなかった。
だが回を重ねるうちに、その魅力が徐々に人の口を介して広まっていった。
最終回を迎える頃には、号泣する多くのアニメファンの声がSNSに溢れるようになっていた。
かくして、一度確かに死んだそのIPは、いくつかの奇跡を経て復活を遂げた。
新たなアプリの開発、そしてアニメの二期も発表され、人々はそのIPの奇跡のストーリーを讃え未来を夢見た。
ある日突然、アニメのヒットの立役者であった主要スタッフの降板が発表された。
最終的な発表では、版権等の管理を適切な状態にするため、ということであった。
ファンは大きくどよめいた。
製作側の舞台裏が、アニメの作風とあまりにもかけ離れていたからである。
そしてさらに数ヶ月後、新たなアプリたちがリリースを始めると、ファンはさらに落胆することになる。
疑心暗鬼のファンの前に出されたのは、劣化ねこあつめと劣化キャンクラクローンだったからである。