はてなキーワード: 楽器とは
かつて、私も恋愛に依存しやすく相手に執着する性格だった。恋愛をすると、恋敵に対する嫉妬が尋常じゃない上、失恋したらしたで、もう生きる価値がないと嘆いてしばらく再起不能になっていた。
手っ取り早いのは、新しい恋愛をするための準備をすることだ。尽くした分だけ泣いたら、次にいい恋愛をするために、肩書きを増やして見た目を整える。ただし、新しい恋愛をしたところでメンタルの弱さは変わらない。本当にその場しのぎ。
確実に失恋の大ダメージから逃れたいのなら、自分一人で楽しめる人間になることだと思う。
失恋でぶっ壊れる人間は、恋人を自分の半身として扱いすぎる。だから失恋で半壊するし、人生が終わったような気になる。恋愛に依存しない人間の立ち直りが早いのは、一人前同士、二人の生活を楽しむからだ。半人前の人間は、誰かとニコイチの状態でやっと安心できる。知らぬうちに相手のスペックを自分のものだと思い込み、相手が素敵なだけなのに、自分はこんなに偉大で生きる価値のある人間である、(また、それを手に入れた自分は相手と同等に素晴らしい人間だ)と勘違いする。恋人を持てて一人前になった気でいるが、これは幻想!
自己評価が低い人間を見て、自己評価の高い人は自己評価を上げるための方法を説く。自己評価なんて高等技を使える人間はそもそも自己評価が高い。自分を自分で評価できない人間は、がむしゃらに自分を骨まで削って他人から感謝されてやっと初めて自分に微々たる点数をつける。
自己評価なんて難しいことしなくても、自分の頭と体を使って自分自身を満足させることができればいいと思う。初めはちょっと自分が楽しくなることを探すだけでいい。その芽はもっと楽しくて自分自身を深く満足させることに繋がる。その方法をたくさん知っていて、長く継続できるほど、一人でも楽しめる人間になれると思う。なんでもいい。ゲームでもいいし、路線図を覚えるのでもいいし、山に登ったり、楽器をするのもいい。
今私は1人で楽しめる人生を作っている最中だ。たまに失恋もするが、「この人は一緒に楽しめる人ではなかったな」で終わる。モテる容姿ではないので、失恋した後はもう一生恋愛できないんじゃないかと思っていたが、自然と人は、いつも楽しそうでご機嫌な人に寄ってくるらしい。
長くなってごめんね。私も周りに恋愛依存人間がいなかったから、自分で方向転換した方法を書いてみた。少しでも増田の気持ちが楽になれば嬉しい。
顔がイケメンなのかっていうと、よくわからないけど、少なくともブサイクではないと思う。
特に長距離ではすごくて、小学校のマラソン大会では毎年一桁台だった。
親も陸上関係でメシ食ってる両親で、俺の才能っていうよりかは、親の影響が大きかった気がする。
親父のジョギングに、保育園の頃からついていって走っていて、いつの間にか俺も走るのが好きになってた。
俺にしてみれば、一位という結果は本当にたまたまだった。
周りが喜んでいるのを見て、俺も「自分がすごいことをしたんだ」と嬉しくなった。
まあそれは、そんなもんだ。
周りが全然俺よりはやい。
俺が全力で走ってるのに、周りがどんどん俺を離していく感覚を、生まれてはじめて味わった。
不甲斐ない成績だった。
でもその頃から、たぶん俺の心の中で、走ることに対して、迷いが生まれたんだと思う。
この挫折をきっかけに、もっと速くなる奴が、きっとプロになったり、駅伝ランナーになったりするんだろう。
でも俺はたぶん違う。
14歳や15歳のガキでも、自分に対してそのぐらいのことはわかる。
俺は単に周りに褒められたくて、長い距離を走ってただけなんだ。
特に県大会に出て、ホンモノたちに会ってしまうと、俺がいかにダサい存在かはよくわかった。
その親と5歳から近所のコースジョギングしてました、とか、関係なくて。
ホンモノは違うんだよ。
なんていうか、オーラでわかる。
正直スタートライン立った時点で、もうホンモノとニセモノははっきりわかった。
ニセモノだったのは俺だけじゃない。
ほとんどはニセモノ。
俺はそっち側だった。
でも、もう、マジで感覚的に全然違うのがわかったから、どうしようもなかった。
努力? 才能? なんなの? 何が違うんだ?
仮に俺が途中でぶっ倒れてもいいから、全力ダッシュしたとしたら、
何人かは抜かせただろうけど、それでも抜かせない選手っていうのが、結構な数いた。
ああいう奴はなんなの?
意味がわかんなかった。
いや、今もわかんないけど。
実際その場で一緒に走んないとわかんねーよ。そういう奴らと走る感覚って。
まあその話はいいや。
普通に受験したら、俺の頭では間違っても入れないような私立高校。
そこの陸上部入ったら、まあ、周りは全然大したことなくて、すぐエースになった。
俺みたいに陸上のスポーツ推薦だった奴いたけど、長距離は3人しかいなくて、俺以外の2人は全然ショボかった。
てか、このレベルで推薦とれるのか、って失望するレベルだった。
エース扱いで、相当チヤホヤされてたと思うけど、心の中ではどんどん冷めていった。
俺は県大で、自分のショボさを思い知って、自分の限界を感じたのに、周りの奴らは俺を神かなにかみたいに崇めてるわけ。
なにこれ?
は?
お前らはバカ?
偏差値xxあって何を見てるの?
とか思ってた。
当時俺みたいな中途半端な奴って学校に結構いて、自然とそういう連中とつるむようになった。
特待生で学校入ってきたけど、周りのレベル低すぎてうんざりしてる優等生とか、
すげーサッカー上手かったのに部活の顧問とか先輩とかと合わなくて帰宅部になった奴とか、そんな連中。
高二になってからは、そいつらといるのがとにかく楽しくて、練習サボって遊ぶくらいになった。
「マラソンってくだらなくね?」
とか俺に向かって言っちゃうような奴らだった。
はじめて聞いたとき、本当に新鮮だった。
だって、家族や友達で、陸上を否定する人間なんて、それまでの人生で会ったことがなかった。
いろいろ悩みながら陸上部を続けてきた俺だったが、遂に決意する。
「ごめん。陸上部辞めさせて」
家に帰って、俺は親に言った。
親が買ってくれた、1万円以上するランニングシューズをエナメルバッグに入れたまま。
けど俺の決意は固かった。
たくさん説教された。
俺の陸上の才能を認めてくれて、もったいないって言ってくれる人もいた。
それが一番心が痛かった。
でも俺はもう決めていた。
本当の自分で生きたい、って思っていた。
陸上は、俺が本当にやりたいことじゃないんだよ、親父、お母さん、先生。
そんなことを何回も言った。
陸上の成績でスポーツ推薦を決めた奴が、陸上辞めるなんて前代未聞だろうな、と思っていたが、それはそうじゃなかった。
心が折れなくても、ケガでそのスポーツ続けられなくなる奴も多い。
だから、俺の陸上辞めるという選択で、退学になるようなことはなかった。
俺はそこから、本当にやりたかったことにうちこむようになった。
それは音楽だった。
あるとき、いつもつるんでる友達から、「バンドやりたくね?」と言われた。
最初は冗談みたいだったが、いつの間にか皆楽器を買っていて、本気でやることになった。
俺はボーカル。
休みの日に、皆で県で一番賑わってる駅のスタジオに行って、死ぬほど練習した。
スタジオの人がいい人で、ホントは2時間料金なんだけど、何時間でも練習させてくれた。
これが本気で楽しかった。
あ、これだ、って思えた。
陸上がつまんない、っていうことはない。
でも、心のそこから楽しんでるか? と言われたとき、即答はできなかった。
親の影響でやってるんじゃないのか? 自分が脚速くなかったら続けてたのか?
長距離走について、そんな質問をされたら、俺は答えれないと思う。
音楽は違う。
親は音楽なんて聞かなかった。
俺は特に歌がすごく上手いわけじゃない。
それでもめちゃくちゃ楽しい。
何時間でもやっていたい。
どんどん上手くなりたい。
俺の他にもっと上手い歌手がいても、そいつよりも上手くなりたい。
どうして県大会のとき、こんな感覚になれなかったのかは、今でもわかないけれど。
たぶん、陸上をやってる俺は、本当の自分じゃなかったんだと思う。
親が望む、自慢の子供を演じていた。
けど、俺が本当に嬉しいことじゃなかった。
俺は親の喜ぶ顔で喜んでただけだ。
音楽は、俺に直接喜びをくれた。
けど、その三人が生み出すグルーヴの上に、俺の歌を乗せる。
それで曲が完成する。
時間にしてみれば、ほんの数分。
それまで長距離を走破してきた俺にしてみれば、ほんの一瞬だ。
で、忘れもしない文化祭。
俺の高校の文化祭は、応募制の野外ライブというのが何年か前からあった。
軽音楽部とかフォークソング部とかのバンドが演奏するステージだったが、
他にも教師が組んだバンドとか、有志で組んだバンドとかが応募して、出演していた。
俺たちもそこに出ることにした。
はじめてのステージだった。
その頃になると、もう俺たちの演奏レベルもかなりのものだった。
実際その後、ドラム叩いてた奴は音楽関係に進んで、今は有名ミュージシャンのバッグで叩いて飯を食ってる。
結局そいつが一番すごかったのかも。
野外ライブで、俺らの番が来た。
バンド名はさすがに恥ずかしいので秘密だが、司会が俺らのバンド名を呼んだとき、ちょっと肌が粟立ったのを覚えてる。
ここから将来ミュージックステーション出たり、紅白出たりしたらめちゃくちゃカッコいいな、と一瞬思った。
観客は結構集まってた。
ボーカルを俺がやっていたので、陸上のときの同級生・後輩が結構いた。
ギターもサッカー部の人気者だったので、それ目当ての女子が結構な数いるのが見えた。
自信があった。
後輩も、もしお前らが俺を尊敬してるとしたら、単に足が速いから尊敬してるだけだろ、
でも、これからは音楽を通じて、尊敬してくれ、と本気で思っていた。
それまで偽りの自分で評価を得ていた人間が、本当の自分で戦うのは、本当に気持ちいいものだった。
MCで何を喋ったかもよく覚えてるが、これはマジでイタいことを言ったので、敢えて記載はしない。
俺が想像していた観客の表情ではない。
なんか笑いをこらえているというか、笑ってる奴もいる。
当時はビジュアル系全盛期で、俺たちが選んだ曲は、L'Arc~en~Cielの『花葬』だった。
俺はHydeに全力で心酔していた。
ていうかHydeよりカッコいい人間は今でもこの世にいないと思っている。
けど俺はHydeじゃなかった。
俺はそれまで自分のことを正直カッコいい部類だと思っていたが、Hydeではなかった。
それから俺は、高校を卒業して、親のコネがあった地銀に就職した。
今年はじめて箱根駅伝を見た。
それで内心「うわああああああああああ」となったが、嫁に気取られることはなかった。
俺が人生で学んだ人生訓は、「本当の自分とか言ってねーで、人から褒められることをひたすらやっとけ」だった。
でも、そんなこと子供に言う訳はない。
願わくば俺の子供が、ホンモノの才能を持っているか、ニセモノの自分に何の疑問も抱かないウスノロのどちらかでありますように。
○朝食:なし
○昼食:カレー屋さんのタンドリーチキンセット(サラダ、ライス、マトンカレー、タンドリーチキン、アイス)
○間食:いろいろ
○調子
はややー。
こうなると、家でむっきゅりするのも勿体無いので、今日は散髪! 外食! スーパー銭湯! 外食! と散財してみた。
お正月は先月に食料を買いだめしておいて食費をほとんど使っていないから、割と余裕がある感じなのでたまには贅沢もいいよね、うん。
実際、お金を計算しても、今月は少し余裕がありそうなので、いい感じぞいや。
ただ、二月は去年もあった「あの」東京出張があって、その期間は自炊とかできず外食でお金がとてもかかるから、今のうちから準備しておかないとぞいや……
うう、想像したら怖くなってきたぞいや……
●iOS
○グラブル
今日はヘイロー周回、外に出てたのでゲーム自体あんまりできなかった。
年始でキリがいいですし、プレイ開始したの確かルナールのイベントからで半年たったと思うので、ちょっとした現状のまとめを書いておこうと思います。(ただこれ、四周年のときにガチャを回してたような記憶もあるんだよなあ。でもルリアノートに空青IIが載ってないから多分ガチャ回してただけとかそんなのかも?)
・風
装備:メイン四象の風槍四凸(SL15)、ティア銃四凸6本(SL15)、シャドバコラボの風弓四凸(SL10)、バハ短剣フツルス(SL15)、風天司SSR(SL10)
石:ティアマグ三凸、アナト三凸、ジャッジメント一凸、植松伸夫、ゴブロ三凸
やりたいこと:エターナルラブを天井したのでメイン武器用に四凸してスキルレベルもあげたい。ダマスカスはあるけど四凸ようのエレメントとかがないのでそこで足踏み中。それとシャドバコラボの風弓をスキルレベルを10から15になのであげたい。
雑感:一番やってて楽しい属性。水着ジャンヌがとにかく強くて、雑にプレイしててもあまり困ったことがない。水着ジャンヌがデバフを担ってくれるので、主人公はバリアで追撃を盛れるスカーサハのためにウサミミにしたり植松さん入れたりと、色々編成を考える余地があるのも楽しい。天井してまでリミテッドロゼッタを加入させたので、ソロの難敵に挑むようの編成も考えたいところ。
・土
装備:メインウィルムスウォード三凸(SL110)、ユグ剣四凸5本(SL15が4本、SL14が1本)、四象の土拳四凸(SL10)、ルネサンスハーブ三凸(SL10)、バハ短剣フツルス(SL15)、土天司SSR(SL10)
石:ユグマグ三凸、ウォフマナフ三凸、ゴブロ三凸、アナト三凸、ハングドマン無凸
雑感:人材不足を感じることが多い属性。イルザをサプチケする前までは、SRオイゲンとかSRクラウディアみたいなSRキャラを採用してたぐらい。今も強敵に挑む祭はともかく、サラは周回プレイには向いてないので12月に続いてまたサプチケを土するか悩み中。
・火
キャラ:カオスルーダージータ、水着ベアトリクス、パーシヴァル、クラリス
装備:フェアーソード三凸(SL10)、コロ杖四凸3本(SL10)、アーカルム槍(SL10)、アーカルム短剣(SL10)、ウーチンフィスト三凸(SL10)、四象の火刀四凸(SL10)、バハ短剣フツルス(SL15)、火天司SSR(SL2)
石:コロマグ三凸、アナト三凸、ゴブロ三凸、サン二凸、プロメテウス無凸(風鞄のがよさそうなんだけど、パーシヴァルが属性UPほしがるからさあ)
やりたいこと:スキルレベル上げがほとんど進んでないのでそれ。倉庫にレベルだけ150にしたコロ杖四凸があと二本もある。ただコロ杖を四凸した途端にオッケが3本も落ちたので計算機をたたく時間のような気がしている。あと、リミテッドラカムの武器を四凸しないとだけど、エターナルラブ優先して四凸したくて、そこやるとダマスカス足りないので後回しです。
雑感:水着ベアトリクスがめちゃくちゃに強い。初心者の頃からティアマグの確定流しがすぐできたのは本当にこのキャラのおかげで、それで風属性の武器が揃っていきグラブルの楽しさに気づけたので、このキャラはかなり思い入れがあります。また、パーシヴァルとクラリスのズッ友感もいいね。水着ベアトリクスはすぐ死んじゃうので後詰が重要なんだけど、この枠はグレアさんが担当してたんですが、リミテッドラカムを引いたので彼になるかも。
・水
キャラ:メカニックジータ、ヴァジラ、アルタイル、イングウェイ
装備:メイン超カッコいいライフル三凸(SL10)、リヴァ短剣四凸4本(SL10)、リヴァ短剣三凸1本(SL10)、四象の水斧四凸(SL10)、アイスクレイモア四凸(SL15)、バハ短剣フツルス(SL15)、水天司SSR(SL2)
石:リヴァマグ三凸、ザ・ムーン無凸、ポセイドン四凸、ポセイドン無凸(120加護の方)、マナウィダン三凸
雑感:フレ石が鰹しかないこともあるので石を水で染めてたり、コロマグが面倒臭いからメカニック以外やりたくなかったり、イングウェイが強いけどゲージ管理が面倒臭かったり、とあまりモチベが湧きにくい属性。ただ、アルタイルを引いてからはモチベがぐんぐん上がっている。アルタイルめちゃくちゃ便利だよね。恒常なのに上にあげた水着ジャンヌや水着ベアトリクスと比べてもいいぐらい便利(強い、ではないかな?)
・光
キャラ:カオスルーダージータ、ジャンヌ、水着ノイシュ、ロボミ
装備:メインゼノコロ剣(SL15)、シュヴァ剣四凸(SL15)、シュヴァ銃三凸3本(SL10)、シュヴァ楽器三凸2本(SL10)、プリキュアコラボ武器四凸(SL15)、四天刃(SL10)、バハ短剣フツルス(SL15)
石:シュヴァマグ三凸、アナト三凸、ゴブロ三凸、スター無凸、ヘクトル無凸(無凸の高級鞄って微妙……)
やりたいこと:倉庫にシュヴァ剣が3本あるので武勲で一本交換して四凸したい。
雑感:水着ノイシュ以外の編成は、色々と悩んでいる。土にみたいに人材不足というよりは、人材多寡だから。キャラクタ的に大好きで推しにもしてるサーヴァンツもいいし、こないでの天井の道中に来てくれたクビラも入れたいし、フェリも可愛いし、と悩ましい。メカニックジータ、ロボミ、水着ノイシュ、サーヴァンツのワンパン特化とかも楽しいかもしれんなあ。
・闇
キャラ:スパルタジータ、闇ジャンヌ、ウーフとレニー、ヴァンピィ
装備:メインセレ槍三凸(SL10)、セレ爪四凸2本(SL15)、セレ槍三凸(SL10)、セレ斧三凸(SL10)、ヘルウォードダガー四凸(SL15)、ニバンボシ三凸(SL10)、牛鬼包丁三凸(SL10)、バハ短剣フツルス(SL15)
石:セレマグ三凸、アナト三凸、ゴブロ三凸、デス無凸、成田勤三凸
やりたいこと:倉庫にセレ爪四凸がもう1本あるので、それをレベルとスキルを上げて編成したい。
雑感:シュヴァマグにまだ苦戦することもあって、苦手感のある属性。どのキャラが強いとか弱いもいまいちわかってない。今のメンバーも、まずデバフをミゼラブルミストと合わせて下限まで入れたいから闇ジャンヌ、TA確定で足が早いウーフとレニー、シュヴァマグ行くのにディスペル必須だからヴァンピィ。って感じで特に思い入れをもって編成した感じじゃないからなあ。ヴァンピィ抜いてクリスマスロゼッタとか入れようかしら、ロゼッタ大好きだから。
・全体的な課題
四凸したのにスキルレベルをあげれてない武器のスキル上げが早急な課題かな。
特に闇有利古戦場まで日がないので、せっかく作った四凸セレ爪をちゃんと編成できるよう、ここは忘れずにやっておきたい。
それとなんといっても、ゼノ〜と戦えるイベントにちゃんと参加することだな。
というのも、今までも開催されてたけど難しいからスルーしてたんですよ。
ただ、これゼノコロ剣がめちゃくちゃ強いから、そうやって躊躇してたのもったいなかったね、自分が回れる難易度でいいから周回しとくべきだった。
(いや他のゼノ〜武器の強さはしらないんだけど)
そうそう、いつのまにゴブロ三凸手にいれたのって話ですが、これはガチャピンの確定100連で、一個引いたのでなけなしの金剛晶全部使って今日から装備しだしたので、まだ使い勝手はわかんないです。
ちなみに、SSRキャラは、闇ゼタ、ハレゼナ、アルベール、闇バサラガ。
でした。
同じく地方出身者はなんとなくわかると思うんだが、高校は「地元では自慢できる」レベルのとこに通っていた。
県下一、というわけでもないけど、地元で一目置かれるようなそんなところ。東大進学者を毎年1名出したり出さなかったりするような。
自分はというと文化系と運動系の狭間みたいな部活にがっつりのめり込みつつ、子供の頃から親の影響で続けていたとある楽器と寺社仏閣が好きな、自他ともに認める「変わった子」であった。学力でいえば中学までは特に勉強しなくてもまあまあいい成績が取れる、中途半端に器用な子だった。
親は勉強については大してうるさくなかったが(むしろ楽器の練習をしない方が厳しく怒られたし、数学で10/100点をマークしようが音楽の成績が満点じゃない方が嫌な顔をされた)、お金には厳しく、「大学は国公立しか許さない」と宣言されており、真に受けた私は私立のすべり止めも一切受けなかった。だが高校3年間を部活に捧げた、数学のテストで毎回赤点叩き出すような人間にそのルートは厳しかった。見事に滑りおち、進学先を失った。進学校に通っておきながらこの体たらく。
これから1年浪人するしかない、と思ってふさぎ込んでいたが、そこで偶然にも某専門学校の「大学編入コース」なるものを知る。専門に2年通った後、大学へ3年次編入するというコースだ。ははぁ、よくできてるなあ、と思いながらも学校の担任と両親に相談し、その専門学校へ進むこととなった。
正直入試はあってないようなものなので割愛する。学力レベルからペーパーテストは免除され、英語面接だけだった。まあまあ緊張したが絶対うかると半ば解っていたので強気でいった。ちなみに高校時代苦手にしていた教科は数学と英語だ。瞬間的な暗記力となんとなくで世界史及び国語で高得点を叩き出す完全なる文系である。妙にコアな知識を植え付けてくれたラノベや推理小説たちとヘタリアには今も感謝してる。日本史は文化史だけ異様にできた。
身バレが怖いので色々伏せるが、駅チカでこぎれいなビルがキャンパスだった。キャンパスと言っていいのか?
専門学校内での大きな学科のくくりとしては「英語学科」に属することになり、その中で「英語を使った仕事に就きたい人のコース(翻訳・通訳など)」と「海外の大学に行きたい人のコース」、あと「大学編入したい人のコース」に分かれる。
なんで大学編入が英語学科に属するかというと、ほとんどの大学の編入試験の科目が「英語」「小論文」「面接」のみだからである。(学科によっては専門科目の試験がある場合もある)
授業は9割は英語の授業だった。ネイティブ講師も日本人講師もいたが、とにかく英語。リーディング・リスニング・ライティング・スピーキングの授業がそれぞれあり、それ以外に大学編入のための英語試験対策授業がある。少人数にこだわってて、基本の4つの授業はそれぞれTOEICや学内試験の結果から5段階にレベル分けされていた。私は入学時のペーパーテスト免除、しかも学費も一部免除の特待生扱いで入学したので、「は~やっぱこの程度か専門」とか思っていたが、最初のTOEICテストで300点台叩き出して5レベルあるクラスの下から2番目に入れられる。「出身校」の学力が高かっただけで「私」の学力はクソだった。ただ真面目に授業を受けていればクラスはすぐに上にあがり、最後は一番上のクラスに所属していた。この基本の4つの授業は大学編入以外のコースの人もいた。
残りの1割は資格の授業(英検、ワー検、秘書検、漢検など好きなものを選択できる)の他、第二外国語、小論文対策、PC(というかOffice)など……まあ大学1年生の一般教養と似たような感じだろうか。選択で教養の授業もあったが種類は2,3種類しかない。しかも大して面白くない。
大学1年生と違うのは、自分で授業を選ぶ幅がとても狭いところ。というのも学年によってどの授業を受けるか、カリキュラムが既に綿密に組まれており、「朝ゆっくりしたいから1コマなくそ~」というのは全くできない。選択授業も「とってもとらなくてもいいよ」ではなく「この中からどれか選べ」という選択。なので学期はじめにコースの人間全員集められてHRみたいなことをして、時間割を配られたりしていた。
【学生】
上記の通り様々なコースの人間が入り混じって授業を受けていたので、通っている人は本当にいろんな人がいた。アンタこんなしょぼい専門いていいの!?っていうような頭のいい人から、クソほど簡単なテストを「難しくてヤバかった~」という人まで、本当に様々。Lv.2→Lv.5まで駆け上がるといろんな人と話した。超絶パリピ野郎もいたし、内気で根暗で今にも引きこもりになりそうな人もいた。
同じ大学編入を目指すコースの中だと、まあまあ頭いいけど大学入試では一歩及ばなかった、みたいな人がほとんど。大体がプライド高くてそれを一度へし折られてしまった人、という印象。(私もだけどさ)すべり止めの私大に受かってたけど行きたくなくてこっちを選んだ、という人もいるにはいた。あとは行ってた大学が嫌になってやめて再チャレンジしたいとか……。比較的頭のいい人は多かったけど、それでもやっぱ学力でいうと「まあまあできる」か「いまいちできない」のどちらかだった気がする。コース内で一緒に行動していた友達は国公立に受かっていった人から最後の最後どうにか推薦で滑り込めた人までいた。
コースの人間の数は結構多かった。高校の一クラスくらい……?もっと少ないと思って入学したので意外だった。やっぱり学力レベルでつるむグループが分かれる。男女比は男子の方が圧倒的に多かった。3分の2くらい。でも学年全体で見ると女子の方が多かった気がする。
あと意外といろんな地方から集まってた。やっぱり学校周辺の人が多いのだけど、隣県や新幹線で帰省するくらい離れている土地から来る人もいた。私はかろうじて同じ県ではあるが学校までは通学に2時間かけていて、隣県出身で学校近くに一人暮らししている友達がうらやましかった。
【学費】
高い。私大に2年行くとのかわらん。でも高校時代まあまあ成績取れてたら学費免除は簡単に取れる。(模試の点数とかセンターの点数を基準に学費免除とかしてくれる学校もあると聞く)
本来国公立にしか行かせてくれなかったはずの両親があっさり行かせてくれたので、絶対に学費を無駄にすまいと2年間は真面目に必死に授業や資格取得に打ち込んだ。その後まあまあ就活に有利そうな資格とかちょいちょい取れたので、短大とか他の私大行って仮面浪人するよかよかったなあ、と思った。けどその辺って結局当人の努力次第なので、学校の授業の時間を使って資格取得や受験対策に打ち込める環境にお金払ったと思っている。払ってくれたのは親だが。でも無利子の奨学金も2年次から勝ち取って少し貢献できた。と思いたい。今返済しんどいけど。
1年間みっちり英語を叩き込まれたあと、2年生からいよいよ編入試験が始まる。
3年次編入試験は多くの大学がやっているが、大学によって受けられる条件は様々。私が行きたかった大学は他の4大からの受入のみで、専門卒は受け付けていなかったので諦めた。(でもそういう学校の方が少ない印象)
編入試験の日程は学校によってかなりばらつきがある。早いところだと6月くらいで、遅いところだと2月くらい?私は全部で3つ受けたが、ひとつは8月で、残りのふたつは12月だった。やっぱ秋~冬にかけてが多い。
面接の練習なども授業でしながら、それぞれの試験日に向けて準備を重ねていく。8月に試験を受けたところが第一志望にして最難関の大学だったが、ものの見事に落ちてしまい、泣きながらそのあと友人らとカラオケに行った思い出がある。編入試験は受験科目が少ない分やりやすいと言われるが、その門はかなり狭く、私が受けたところも倍率は5~10倍くらい(だったと思う、もう記憶があいまい)最終的に編入浪人の道を選ぶ人もいる。専門→大学編入のいいところは浪人などの1年のロスを出さずに大学を卒業できる所だが、結局編入試験の壁が高くて編入浪人したりレベルを落としてD~Fラン大学に入ったりと、メリットが活きないことも多い。でも努力してそれが実ればいい大学に入れるのも事実なので、そこは編入にチャレンジする人次第なのかな……とも思う。専門入って遊んでしまった人たちは上位クラスの人でも結局ランクの低い私大に行った人が多く、しっかり努力し続けていた人は国公立や偏差値高い私大に進んでいった。英検1級取得したり、TOEICでマックススコア出した人もいる。
あとTOEICのスコアで試験免除がある学校とかあって、TOEICマジもっと気合入れてやればよかったな、と思った。試験免除にならなくても入学後の単位に換算してもらえたりした。
英語はもうとにかく授業をガンガンうけてガンガン問題解くだけ。喋る・聞くは捨てて、ひたすら読むにステータスを振り続けていた。(書くは申し訳程度にやった)9時半から15時まで授業を受けた後、18時まで学校に残り友達と多少ぐだりながらも勉強(というか課題)、家に帰ってからも英語の長文読解とひたすら向かい合う日々。
小論文は書き方の作法を徹底的に叩き込まれ、あとは個人の文章センスや知識量がモノをいう感じだった。国語と世界史、そしてラノベから影響を受けた文化史系に強かった私には最高の科目だった。
編入試験の過去問も一応あって、見せてもらうためにその大学に足を運んだこともある。(コピーはさせてもらえないので、目で見て出題傾向を把握するのが精一杯だが)あと学校で過去問を回収して過去問集みたいなのを作っていたので、行きたい学校が人気校ならそんなことしなくてもコピーできたりした。英語試験はどの学校も長文読解系が多く、TOEICをそこそこにして英検受けまくっていた自分にはありがたかった。
面接指導は就活とほぼ一緒、だと思う。なんでこの大学に行きたいのかをはっきりさせろ!と言われ続け、「御校に在籍の〇〇先生の研究室で●●について研究したいです!!理由としては!!」みたいな答えをガチガチに固めていった。これはのちの就活に活きたと思う。
【試験】
どの大学も小論文は楽勝だった。8月に受けたところは英語で予想外の作文が出て動揺し、読解問題では時間が足らず、涙を呑んで不合格を覚悟した。翌日即結果発表だったが、当然私の受験番号はなかった。
第二志望の大学の前に第三志望の国公立を受けにいったが、家から遠く深夜バスでの移動となった。しかもバスからまた電車で移動するが乗換をミスり試験に遅刻。席に着くために荷物を通路に置いたら試験管に怒られ、萎縮しながら受験したが英語は予想できたレベルでむしろ楽しかった。1週間後には結果が開示され、無事合格。
そして満を持しての第二志望。同じ学校から他にも2名受けることになっており、一緒に移動。英語試験はやや苦戦した覚えがあるが、それよりも面接がしんどかった。大学に、特にその学校に入りたい理由を述べ(行きたい研究室があるでゴリ押しした)、なぜそれに興味を抱くに至ったかなどを話したが、とにかく緊張して噛みまくり、面接官に不審な顔をされ落ちたと悟った。しかしその試験当日、夜から私の受験期を中学から支えてくれた某バンドのライブがあり、普通に間に合わなさそうだったので走って会場を後にした。ライブはギリギリ間に合った。そして入試も無事にパスできていた。
進学先が二つ用意されたわけだが、もちろん第二志望を選択。一応国立大なのと、高校時代から学びたいと思っていた専攻があったのが決め手だった。思う存分研究に打ち込めたと思う。嘘。2年では足りない。もっとやりたかった。でも取りたかった単位や聞きたかった講義はほぼコンプできた。
上記でも少し触れたが、入学時に専門学校の授業の単位を大学の単位へ変換してもらえるため、本来4年で取る卒業単位を2年間で全部とれ、ということにはならなかった。特に私は人文学系だったので、変換がスムーズにいったというのがある。法律や経済系の学科は専門科目の変換が難しく、卒業単位を取れなくて留年した人が多かった。(と後に聞いた)
1年大学ライフを満喫したのちすぐ就活なのはきつかったが、興味のあったサークルにも在籍し2年間最初から最後まで活動できた。でもいくら単位変換してもらったとはいえ他の3年生に比べると圧倒的に単位は足りてない(その上私は卒業単位にならない資格系の講義も取っていた)ので、ほぼ毎日1~4コマ、そのあとサークル!バイト!みたいな生活をしていたし、就活の時期は本当にしんどかった。英語の資格(TOEICスコア700前後と英検準1級)と進級のために取らざるを得なかった数々の英語以外の資格、そしてあの日の面接対策と小論文対策が活きたのだろう……と思うと私はこのルートをたどってきてよかった。他の短大や4大出身の編入生は就活で軒並み苦労していた。でも専門より大学の方が圧倒的に楽しかったです。普通に1年生から大学入りたかった。
大学編入後で一番しんどかったのは、3年生でありながら1年生に交じって体育やらされたことかなあ。
色々書いたけどあくまで文系の話です。理系の編入はもっと大変と聞くし、そもそも専門→理系学部編入というルートが恐らくない。
東大や京大に比べたら底辺もいいとこだけど、こういう抜け道もあるよっていう話をしたくて。でも根っからの文系だった私だからこそうまくいった裏ルートみたいな感じではあるんだけどさ……。うまくいかなくってせっかく編入した大学やめて引きこもりになってしまった知り合いもいるし、正直この専門→大学編入というルートを誰にでもお勧めできるかというとそうでもないけれど。
あと社会人なってから編入で大学入って、教員免許だけ取って中退した編入生の知り合いもいる。社会人なってから大学で学びたいという人で4年は長いという人にもいいんじゃないかな。あと大学とりあえず入ったけどつまんなくて他の学科行きたいとか他の環境行きたいって人。
私は本当は大学院に進みたかったのだけど、やっぱり学費の関係で諦めて就職した。研究してた分野とも全然違う仕事をしているけれど、趣味としてまだその分野についての情報収集や勉強は続けている。なお英語をかなり使う仕事だし専門時代に取った資格もそれなりに活かせてはいるので業務内容には満足している。
いよいよセンターが近づいてきて、不安な受験生たくさんいると思うけど、どうかここだけが人生の決め手とは思わずに気楽に頑張ってほしい。案外人生どうにかなることの方が多い。
特に人間の声に、今も昔も全然魅力を感じないせいか、それこそ子供の頃は、少なめに見積もっても普通の男子の3倍くらい、言われたことが右から左に抜けていたっけ。
高音だけはやたら魅力的に聞こえたので、今でも高い音が出る楽器や、女性声優の不自然なくらい造った甲高い声に、むしろ惹かれたりする。
ちなみに絵や文章なら問題なく理解できたが、だからいつもそうやって伝えてくださいなんて、それは無理な相談なわけで。
そんな風に育った結果、「相手がして欲しい形での気遣い」すらまともにできない男が出来上がった。
当然「相手に伝わる言い方」とか「何故相手がそんな事を言うのか、それにどう返せばいいのか」を推測する力もない。
周りから見たら、もはや気が利かないを通り越して、超マイペースで独りよがりな奴に見えているだろう。
プライベートでは、恋愛にも結婚にも向いていない典型的なタイプと言っていい。
でも、そんな人として欠陥だらけの自分でも、どうしても結婚願望が捨てられない。
冷静に考えたら、仮に偶然結婚できたとしても早々に破綻することは目に見えているのに、結婚したい気持ちがどうやっても収まらない。
本当に、結婚をすっぱりきっぱり諦められたらどんなに楽かと思う。
こういうの書きたくなるね。自分が頑張ったことは思い入れがある。
・小学生
関西の田舎の町立小学校に通っていた。友達がみんな塾に行っていたのが楽しそうだった。
「僕も行きたい」と親に言ったことがあったが、なぜか断られた。
自分が子を持った今なら分かるが、3人目の私にお金をかける余裕がもはやなかったのだと思う。家にはアップライトピアノがあって姉が習っていたが、自分は習いたいと言ってもお茶を濁された。
父は会社勤め。ホームレス気質の天才タイプ。母は専業主婦。真面目な秀才タイプ。親は教育に興味が無いわけではなかった。むしろかなり意識的な独自の戦略のようなものを持っていたと思う。
小6の夏休みに入ると、「レベルの高い学校に行くとめちゃくちゃ楽しい」などと、うまいこと母に言いくるめられて中学受験を決心した。
「力の五千題」とか「自由自在」を各教科買ってきて、夏休みに二回ほど通した。なにかババのようなものを掴まされたような気もしなくもなかったが、面白かったので続けた。
秋からは応用問題集、冬になると過去問をやった。模試は受けなかった。「自信を失わせたくなかったから」とあとで母から聞いた。どういう意味だ。
私立を2つ受けてどちらも合格した。ちなみに、受験直後の自分の感触としては98%落ちたと思っていた。未だに謎である。
・中学生
強制的に勉強する時間が毎日3時間あった。小学生の頃とは比較にならないほど学校の授業を面白く感じたので、予習・復習をやった。みんながやっていたので、ラジオ英会話を毎朝聞いて、テキストを暗記した。完璧な発音でテキストの会話を一人で完全再現できるようにしていた。一年でイギリス人の先生と普通の会話ができるようになった。
中学3年生のときに、全員がZ会の模試を受けることになった。はじめての模試で超わくわくした。総合で全国100番位だった。初めて自分の立ち位置を知った。思ってたより良いという感覚。でも同じクラスに全国一桁台とかが普通にいた。
音楽室に個室のピアノ部屋が5台分あった。昼休みにほぼ毎日通ったので、結構弾けるようになった。今考えると異常な環境である。音大かっていう。親友にピアノが超すごいやつがいた。ヤマハをずっとやってきた人で、聴いたら即弾ける、ハ長調の譜面を初見で見て変ロ長調で弾ける、メロディを見ると即座にステキな伴奏を思いつく、など。理解不能である。ピアノをメインの楽器にするのはやめようと思った。
・高校生
下宿に移り、自由になった。学校以外で勉強しなくなった。暇なので、絵を描いたり生徒会をやったりピアノの人などを誘ってバンドをやったりと、生活を広げ始めた。
授業中に予習復習などすべて授業を聞きながら終わらせたので、成績は特に落ちなかった。
こういうことを書くと、舐めてるとか自慢とか思われるわけだが、違うんだ。
自分なりに一番効率が良い方法を追求していた。授業中に寝て、家で数時間独自に勉強するみたいな非効率的なことはしたくなかったのだ。
授業は120%の集中力で聞く。それでも時間が余るので、次の予習をしたり、問題の別解を考えたりしていた。家で半徹夜で何時間も勉強している人たちよりも結果的に長時間勉強していたと思う。だって毎日9時から17時まで勉強していたんだもの。毎日7時間くらい集中して勉強しているのに、「増田は勉強せずに成績が良いな」みたいなことを言われてたのは未だに納得がいかない。
高2で東大模試を受けてみると、理三以外はすべてA判定だった。理三だけが完全にE判定だったので、「は?しばくぞ」と思った。
なんかの奨学金でアメリカにただで行けた。夏休みの一月まるまるESL漬けで楽しかった。自分の英語力はあんまり大したことないと気づいた。同級生にアラブの皇太子とかトルコの首相の息子とかがいた。そういうのも自分には無い。
高3になって流石にクラスの空気も変わり、自分も放課後も勉強するようになった。小学生の時は夏休みからの半年でなんとかなったけど、さすがに東大は一年位はやらないとやばいだろという感覚があった。
一学期にあった駿台統一模試で、英数国の三教科の偏差値が80を超えていた。一方で、本来好きな理科がボロクソだった。準備不足を痛感して夏休みに強化することにした。
・高3夏休み
化学生物だった。教科書はさすがにすべて頭に入っていたので、いよいよ応用問題週に手を出すことにした。東大の過去問をちら見すると、化学の出題の半分くらいは似たような問題しか出ないことがわかったので、同じ問題を何十回も解いた。滴定とか。30分かかって6割しか正当でいなかったところから、5分で100点の回答ができるようになった。時間が余るので、初めて見る問題をゆっくり考えられて便利。生物は、問題文に答えが書いてある。
一方で、わりと大丈夫そうな主要三教科は、根本的なところをやることにした。
・数学
チャート式などは数冊終わっている状態。大学への数学をひたすら解く。新しい問題は、ひたすら考える。未知の問題に解法の方針を立てる練習。
・英語
TIME誌を定期購読していたので、毎号気になる記事を一つまるまる訳してみる。超大変。NEWSWEEKにすればよかった。のだが、一年分定期購読してしまったのでやるしかない。んで、訳したあとは要約を英語で書いてみる。ラジオ英会話はビジネス英語までランクアップしていた。正直東大受験ではこのレベルのリスニングやスピーキングは当時必要なかったので、聞き流していた。ハマっていたのはパーソナリティの訛りを真似すること。
・国語
Z会の小論文をやっていた。元来文章がそんなにうまくはなかったけれど、読むのも書くのも好きだったのでこれは半ば趣味。結果的に200字作文に多少役に立った。
・高3秋
9月に学校の最後のイベントがあり、燃え尽きた。勉強は2ヶ月ほどお休み。焦りはなくはないが、みんなそれで合格するやつは合格するっていう先輩の像を見てきている。今回は自分がそれをやるほか無いという感覚。流石にバンドは解散した。
・高3冬
英語198
数学191 まさか満点じゃないとは。世知辛い。東大理系はわりとこういう感覚だと思う。
国語167 古文漢文論説は150/150。小説でめっちゃ間違えた。こういうこともある。
化学100
倫理93 一応、山川の倫理用語集を3回くらい読んだ。手抜き教科のつもりが、哲学に興味が芽生えた。大学に入ってから、哲学系の本をたくさん読んだ。自己形成に大きな影響を与えた。人生何が大事かわからん。
合計
前記749/800
後期489/500
・センター試験後
ようやく赤本に取り掛かった。感想は、英語簡単すぎ、数学難しすぎ、国語意外とお得、理科けっこう簡単。
というわけで薄々気づいていた数学の不安定さと、国語のお得さに焦点をあてる。数学が0点でも受かる謎の計画をたてる。国語は最後の一ヶ月だけ、古文漢文を個人の先生に習った。
ちなみに東大模試は3社2回とも全部受けて、最後を除いてすべてE。でも成績は徐々に上がって最後だけはC判定だったので、本番の頃にはB判定くらいになってるんじゃない?と思っていた。
・本番
当日はなぜか20時に寝て、25時に覚醒し以後眠れないというアホなことをした。
ただ全く寝てないわけでもないし、ただ少し眠いだけなのでやるしかない。
国語 60/80 ほぼできた。
数学 40?/120 難しすぎ0完6半ワロタ。。1完だと思ってたのに、弥生門を出たところで配ってた駿台の速報を見たら計算ミス発覚。かなり暗くなったが寝たらわりと忘れた。
生物 50/60 多分まあまあできた。
化学 55/60 多分ほぼ間違えてない。
合計 325/440 数学が0点でもギリ受かるかも?と思った。
・発表当日
赤門から会場へ向かうと、のちの上クラになる姉が向こうからやってきた「あ!○○ちゃん、受かってたよ!」
弟に「ちゃん」づけはまあしょうがないとして、俺が知るより先に結果を言うなよ。未だに恨んでるぞ。
家賃が安いという理由で三鷹寮に申し込んだのだけれど、その書類を集める際に親の年収が600万であることを知った。そりゃ無理だわ、塾もピアノも。ちなみに中高は奨学金もらってた。それでも親は教育のために借金してたんじゃないかな。決定的に計算が合わない。ちなみに三鷹寮は生活費が安すぎて家庭教師のバイトだけで異常に金持ちになった。楽器を買ったり海外旅行に行ったりした。ヨーロッパまで6万円で行けた時代である。さておき、感覚としては、医者になってまともな収入がある今よりも、当時は自由に使えるお金があった。人生まじで謎である。
気になってもっときちんと調べてみたら、2018年5月の口コミで
「2018年CASSIOシェア急低下、大ピンチ!」とか出てきて草しか生えない
1位ヤマハ34.14%、2位コルグ29.35%、3位カシオ15.03%、4位ローランド13.32%、5位カワイ8.15%なんだと。
http://bbs.kakaku.com/bbs/K0000989911/SortID=21803141/
こっちはソースに当たれなかったが、この感じでは嘘ではなさそうだな。
「いずれにせよ、YAMAHAシェア1位返り咲きは確実でしょう。」とか書かれてるし。
BNC Award 2018 を受賞したコルグだったらしいな。「寡占しているカシオ」でもなく。
https://www.bcnaward.jp/award/section/detail/contents_type=234
過去5年を見ても、寡占どころかカシオがシェアトップになったのは一度だけ。
あと価格コムの電子ピアノ売れ筋ランキングを見てみた。1位の製品はヤマハだぞ?
過半数どころか3割も切ってて、しかもシェア1位ですらないっていうww
https://www.studiorag.com/blog/fushimiten/maker-electronic-piano/2
「本格的な練習というよりは弾きたい時に気軽に弾いてピアノを楽しみたい!という大人の方にオススメです。」
「最近では30万円を超える本格的な電子ピアノを発売しましたが、ヤマハ・カワイ・ローランドの
3大メーカーの牙城(がじょう)を崩すにはまだ少し時間がかかりそうです。」
ヤマハ・カワイ・ローランドが3大メーカーって言ってるんだが?w
寡占してるメーカーが「3大ピアノメーカーの牙城を崩すのに時間がかかる」ってどういうこと?w
やっぱりどの記事見てもカシオは低価格帯の入門者向けとしか書いてない。
口コミレベルでいろんな製品の評価とか、どのメーカーの製品を買うかの相談も見て回ったが、
俺の感覚と合う「カシオは普通のピアノを弾いている人からするとありえない選択」ってのもいくつか見た。
同時に、カシオも最近は随分よくなってきてはいるという情報もみかけたが、
良くなってきてるってことは逆に言うと業界ではまだ大した影響力も支配力もないってことだな。
少なくとも3大メーカーを押しのけて「寡占」と言われるほどの実力があるなんて情報はどこにもなかった。
コルグもカシオも一番需要が大きい低価格帯向けに注力する戦略なので、それで見た目のシェアが大きいだけだな。
こういう風にきちんと調べたら、やっぱヨドバシ店員の話はどう考えても嘘くさいわ。
昔からピアノをやってて、昔からのカシオの評判とか知識を持ってる人が
この現状で「カシオ寡占」っていう表現してたのが本当ならその店員やばすぎ。
なーにが「はてブのレベル低くて失笑」だよwwww それはこっちのセリフだわwww
技術力も3大メーカーに追いついておらず、入門者向けしか作れないってだけでも十分寡占ではないのに
増田の拠り所だった市場シェアだけでも調べたら実はボロ負けしてたとか恥ずかしすぎるだろwwwww
ハイエンドでは戦えないからって、シェアが一番取れる低価格製品を主力に戦ってるのに
俺もカシオ過半数は別にありえるから調べもせずにそこは信じて疑わなかったが、
専門の楽器店じゃなくて売れ筋の入門機をメインに扱う普通の電気屋の店員に聞きに行くのが増田らしいな。
ヨドバシの店員も音楽もやったことない人がいきなり売り場に割り当てられてるぐらいの程度だから
そこらへんの人と同じく単にシェアだけ見て寡占とか言ってる程度だろうけどな。
電気屋だと初心者が多いだろうから確かにカシオが一番売れるだろうし。
店員の業界知識ねぇ…。増田の趣味は何か知らんが、自分が 10 年ずっとやってきた趣味に関しては
売り場にたまたま配置された店員よりも自分の方が詳しいとは思わんもんかね?
そらシェアとか初心者の売れ行き製品ぐらいは店員も知ってるかも知れんけど…。
(あと今回の件に限らず、店員は初心者相手には自分の売りたい製品や利益率のいい製品が「売れてる」って言ったり
そういうのもあるので、俺は店員の知識を鵜呑みにしたことはないけどな)
まぁいいわ。レスもう飽きたわ。
カシオのシェアが大きいのは事実だから「楽器店でも寡占って表現する人はいた」とかレスされても面倒だし
見た目のシェアだけで寡占って言ってるやつといくら話しても水掛け論になるだけだわ。
もし増田が正しかったとしても、あのブコメがピアノ弾きには一般的っていう事実だけは変わりようがないから。
ピアノ弾きから言わせてもらうとカシオは電子ピアノというよりおもちゃのイメージだな。
そら安いから初心者向けに売れてて、見た目のシェアは取ってるかも知れんが
ヤマハカワイはピアノメーカーとしてのバックグラウンドがあるから評価されてるし
ローランドはもともと電子楽器で高い評価を得てるっていうバックグラウンドがあるけど
カシオはそういうのなくて、初心者向けの利用者が多いところをターゲットにした
入門機みたいなのでシェアが多くなってるだけだから、カウントするのにすごい違和感がある。
何だろ、極端な例だけど、例えば「テニスラケットの寡占メーカーは?」っていう話の時に
子供向けの百均のおもちゃのラケットメーカーを挙げてしまってるような感じ。
その理屈だとヤマハの 100 分の 1 しかピアノを作っていない
それと似たような話でバンドマンの元カノが「ギターとかエフェクター買う金あんじゃん、その金を私に使えよ」みたいなのあったな。
食費すら削って楽器買ってるやつらが楽器代金節約して女に会いに行くわけないじゃんバカなの?って思ってたが、「高いジャケット」に置き換えてみるとさっぱり理解できんな。
1998年にいじめられた事を苦にして自殺した生徒の遺族が本当に辛さを抱えているとか、再発の防止を望んでいるとか気持ちは凄く解るし。それ自体は何にも悪く無いと思うんだけれど。
20年後のほぼ事件には無関係(と言うと批判されるんだよなぁ…)な吹奏楽部の生徒達に、いじめられた事を苦に自殺した人の詩に曲を付けて演奏させたり、愛用していたという楽器を寄贈されたりするの、辛くないかなぁ…いや、別に遺族が悪いんでも、善意であろう顧問やら学校も悪く無いんだけれど。
ニュース上では美談として紹介されているんだけれど。これ止め時とか判らなくなるし。別に生徒達が喜んでやっているんなら、続けたっていいんだけれど。誰も悪くは無いんだけれど、セレモニーを続けさせられる側の気持ちになっちゃうなぁ…と。
とか言って今のバンドの演奏をドヤ顔して批判するオッサンいるけどさ、味がないのは演奏じゃなくて機材とミックス側の問題じゃねーの?って思う。
ミックス段階でコンプかけまくって音圧の強い耳障りの良い音にしたりとか。
機材だと「真空管アンプ至上!」みたいなプレイヤーも減ってきてるだろうし、「真空管アンプじゃないと嫌」みたいな頭の固いオッサンの耳に馴染まないのも、まぁ理解できる。「音響技術がショボかったからこその音」というか、サンプリングでは空気感までは再現出来ないような音は、今のバンドでは当然使えないから、そういうのを以て「味がない」と言い出すのも、まぁわからない話じゃない。
ただ、正直俺に言わせてもらえば、味味言うけど、昔のバンドだって、楽器そのものの良さが台無しな変なサウンドが流行ったり、音響技術がないせいで、ボーカルが基本的にハイトーン一辺倒だったり、今考えたら微妙だった事なんてクソいっぱいあっただろ。そもそもの音響技術がショボかったせいで、今でも持て囃されてるビートルズの当時の音源聴くと音圧も薄くて雑音だらけだし、それより昔のエルヴィスの時代まで遡ると、耳障りで聴けたもんじゃない。
「今のバンドは味がー・・・」みたいなオッサンに「チャックベリーは古過ぎて聴いてない」とか言われた時には笑ったぞ。チャックベリーこそめちゃくちゃ「味」あんだろがwと。
ちなみにうちのおじいちゃんは、そういうオッサンが聴いてるような音楽を「うるさい」と一蹴するからな。
音楽の好みなんて、味覚と一緒で「慣れ親しんだものが一番オイシイ」もの。昔の音楽に慣れ親しんだオッサンの言う「味がない」なんて、「味が好みじゃない」ぐらいの意味でしかない。お前らの言う「味」ってなんだよwと。
見てろよ?数十年もすれば、今の若い子たちが「今の若いバンドは味がない」とか言い出すから。
そもそも、今の若いバンドがやってる音楽と、オッサンの聴いてたバンドの音楽じゃ、ラーメンと中華料理並にジャンルが違うのに、いちいち比較するなよ。と。