2018-12-25

セレモニーの辛さ

1998年いじめられた事を苦にして自殺した生徒の遺族が本当に辛さを抱えているとか、再発の防止を望んでいるとか気持ちは凄く解るし。それ自体は何にも悪く無いと思うんだけれど。

20年後のほぼ事件には無関係(と言うと批判されるんだよなぁ…)な吹奏楽部の生徒達に、いじめられた事を苦に自殺した人の詩に曲を付けて演奏させたり、愛用していたという楽器を寄贈されたりするの、辛くないかなぁ…いや、別に遺族が悪いんでも、善意であろう顧問やら学校も悪く無いんだけれど。

ニュース上では美談として紹介されているんだけれど。これ止め時とか判らなくなるし。別に生徒達が喜んでやっているんなら、続けたっていいんだけれど。誰も悪くは無いんだけれど、セレモニーを続けさせられる側の気持ちなっちゃうなぁ…と。

  • 善意のイベントって増えることはあっても減ることは少ないから無限に増えていくし、止め時わからないし、逆に困る。

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