はてなキーワード: 屁理屈とは
自分の中でのアニメオタク(特に萌えオタ)に対する嫌悪感が一体何なのかきちんと考えてみた。
すると恐るべき結論に達してしまった。これから書くことは正直私も断言して良いものかどうか躊躇している。しかし、アニメ文化の発展のためにも、心を鬼にして書かなければいけないことだ。
今までも、そしておそらくこれからもずっとそうだ。これは岡田斗司夫のような豚野郎の言う「オタクは死んだ」でも、東浩紀のような豚野郎の言う「読者の質が悪い」でも、宇野常寛のような豚野郎が言う「萌えオタはクズ」でもない。もっと根幹に関わる重大なことだ。そして恐ろしい事実だ。
まず、オタクがオタク向けに作ったオタクアニメが大きな評価を得てきたことは今まで一度たりともない。
名作を作ったクリエイター側は言うまでもなく、『ガンダム』の富野由悠季は仕方なくアニメの現場に降りてきた人だし、『攻殻機動隊』の押井守は元々映画監督志望でジャン=リュック・ゴダールを敬愛していてたまたまタツノコプロの求人が目に入ってアニメ業界入りした人だ。
「でも、今は世界的にアニメブームが起きているじゃないか」と萌えオタがブヒブヒ言ってきそうだが、それは幻想である。まず90年代後半に盛んに言われた「ジャパニメーションブーム」を取り上げると、これは岡田斗司夫がオタクの地位向上のためにでっち上げたものだ。本人も後にそれを認めており、外からの圧力に弱い日本でオタクが市民権を得るにはそれしかなかったと言っている。この岡田斗司夫の苦肉の策に電通や村上隆が乗っかり、ジャパニメーションブームという虚構ができあがったのだ(元々別称だったジャパニメーションという言葉を良い意味として輸入したのが村上隆である)。
まずは、宮崎駿。アカデミー賞も受賞し、名実ともに日本を代表するアニメーション監督といった地位を得ているが、その作風はアニメ界ではむしろ異端である。スタジオジブリ的なもの、宮崎駿的なアニメは本人にしか作れず、その作風を引き継ぐような後継者は未だ誰一人いない(宮崎駿の後進育成が下手という話ではない。宮崎駿に影響を受けた人間が外で宮崎駿的なアニメを作ったっておかしくないのに、そんな人は日本にはいないのだ。海外ではどうか? そう、モンスターズインクを制作したピクサーが後継にふさわしいだろう。言うまでもなく彼らはアニメオタクではない)。
宮崎駿にはオタク的なるものを避けて避けてやっと今日の地位を築いたという歴史がある。オタク的なものを避けて世界的評価を得た、これは非常に重要なポイントだ。
押井守もその一人だ。『うる星やつら』を制作し、オタク向け監督の一人で終わるかもしれなかった彼は『機動警察パトレイバー2 the movie』や『攻殻機動隊』においてオタク向けアニメ的想像力を捨て去ることで作品の強度を確立した。『ビューティフル・ドリーマー』はどうなんだ、という声があるかもしれない。これには後に押井守がこう語っている。「劇場版第一作『オンリーユー』を作ったとき、原作者やファンが喜ぶことを全部詰め込んだ。上映されると当然原作者やファンは満足したようだが、作品的には酷い代物だった」。この諦観によって『ビューティフルドリーマー』は作られた。オタクから距離を取ることで傑作に仕上がったのだ。
他にも大友克洋の『AKIRA』だって一見すればわかるようにオタク的な想像力から離れたものであり、渡辺信一郎の『カウボーイビバップ』だってそうだ。
オタク監督だと言われるウォシャウスキーやタランティーノだって、ウォシャウスキーはSFの人で決してオタク的想像力に耽溺しているわけではないし、タランティーノは高校中退して一日中映画を見まくっていた怪物だ。
エヴァンゲリオンを無視しているじゃないか、と言われるかもしれない。確かにエヴァはオタクがオタク向けに作ったオタクアニメであり、社会的現象を起こすほど大ヒットしている。だが、これ一本でもってオタク的想像力の勝利にはなりえない。何故ならオタク外にも評価されたオタク監督は庵野ただ一人、例外中の例外なのだ。その庵野ですら、オタクの偏狭さに嫌気がなして反オタクに改宗した。その事実をオタクは裏切った、とこれまた偏狭さを見せて批判している。
このようにオタクがオタク向けに作ったオタクアニメで傑作が生まれたことは、一件の例外を除いて存在しない。オタクが喜ぶ想像力や「萌え」なんてものは全然強度を持ち合わせていない(十年前にオタク的想像力でオタクに受けていたクリエイターの今の地位を思い浮かべて欲しい、それが十年後の山本寛や新房昭之の姿だ)。
むしろ、オタクの好みに少しでも外れると烈火のごとく怒り、作画監督が少しでも個性を出すと作画崩壊と騒ぐその類まれなる偏狭さは害悪だと言ってもいい。
オタクはオタク的な想像力から外れるような、例えば『スーパーミルクチャン』や『TAMALA2010』のようなアート的アプローチから生まれた傑作を評価できない。どちらも発売時にはタワーレコードに平積みされ、オタク的想像力は一瞬で敗れ去った。
それどころか『フリクリ』をオサレだとかラベリングして嘲笑するほど、子供のような舌でもってクレームをつけて回っているのだ(『フリクリ』はガイナックスが作ったオタクアニメじゃないかという屁理屈が聞こえてきそうだ。ガイナックスは今や庵野の反オタクキャンペーンによってオタク的な人間は駆逐されており、鶴巻は反オタクの急先鋒である)。
そして、それは明らかにアニメの進化を阻害している。その理由を書こう。
まず、オタクが大好きな絵柄、要するに萌え絵はアニメーションに不向きなのである。あの頭と目が大きく、等身が低くて身体か華奢という構造は、見た目通り人間的に動かすというのは困難だ。だから、どのアニメにおいてもよく動くと言われるものは萌え絵から距離を取っている。萌え絵を選択すると自動的に紙芝居的な動きが縛られたものしか作れなくなる。ディズニーが萌え絵を選択せず、あのような絵柄なのは動かすことを念頭に考えているからだ。
しかし、アニメオタクは萌え絵以外の絵柄のアニメを「絵が変」と言って嘲笑し、批判する。ここがアニメオタクの一番の問題点であり、私が害悪と言い切る理由だ。
例えば近年稀に見る傑作である『鉄コン筋クリート』を例に出そう。この作品も「オサレ」「絵が変」といって批判されているが、この作品こそアニメーションの快感、動くことの快感を思い出させてくれるものはない。画面の中を縦横無尽に動き回るキャラクター達が見るものの心を掴んで離さない。そして、それはアニメオタクが「変」といって批判するその絵柄が貢献している。もし、この作品が萌え絵だったらここまで動くものになってはいない。現にそんな作品はない。
そして、アニメーションの快感を蘇らせたのがオタク外のマイケル・アリアスだったことは非常に重要だ。アニメオタクはアニメーションのことがわかっていない。だから、スタジオジブリ的なものをピクサーに取られ、アニメーションの快感をマイケル・アリアスに取られてしまうのだ。
もう一度言おう。オタク的想像力は強度を持っていないし、オタクが好むアニメ絵はアニメーションに向いていない。アニメーションに向いているオタク的じゃない絵を排除するその思考はアニメの進化を阻害している。
アニメオタクが本当に現実逃避ではなくアニメのことを愛しているのなら、今すぐアニメを見るのをやめて即刻退場することだ。それが一番の貢献だ。
「神待ち」のSNS投稿が未成年者誘拐に 新型コロナ感染拡大で女子中高生の被害が増加
https://www.tokyo-np.co.jp/article/70607
>東京を拠点に、家出した十代の少女たちの保護などに取り組む一般社団法人「Colabo(コラボ)」には、学校が一斉休校となった三月以降、少女たちからの相談が約八百件寄せられている。
>昨年一年間の相談件数は約五百五十件といい、仁藤夢乃(ゆめの)代表(30)は「家で安心して過ごせない子どもたちが切羽詰まっている」と話す。
あっ…(察し)
某所で言う所の私たちは売った展の人達絡みの時点でどう言う事か良く判るわ。
ただでさえフェミさんやこの手の女性団体や児童団体は平気で平然と嘘をついたり、国連ですら虚偽の証拠を使って日本を陥れたり、ガイドライン改悪をしたりしていたからな。
正直これについても半信半疑で見ていいだろうし、この人達に関してはそもそも以前に沖縄で肉の盾を使う様な左翼活動家の本性みたいな行動すらもしているからねー。
そもそも家出の増加とかの家族間の不仲はこのコロナ禍においては倒産の加速による失業とか経済状況も絡んでいる事も多いので、もしコロナ禍で本当にそれが増加したならば、それは当初に麻生大臣が3月にまともに失業者対策や企業に対して粗利補償をしなかったせいであり、現在もまともな対策をせずにgotoとかある種の中抜き政策みたいな的外れな経済対策をしているせいだからねー。
またアルバイトとかの収入源が絶たれたとか金銭の問題を言うならば、猶更その政府の政策や対応が悪いせいとだとか失策をしているせいだとか言う話になる訳だし。
実際東京都でも年末年始の宿泊所確保だとかUberの配達員が増えすぎただとか倒産数が700件超えたとか実体経済が完全にやられているとしか言えない事態に発展しているのも事実だからね。
それと内容的に話している事についても何時もながらのこの人達の主張をこのコロナ禍を利用して言っているだけの内容に過ぎず、逆にこの人達こそ、コロナ禍を政治利用できる道具や事象程度にしか思っておらず、改めて今どう言う危機的状況に世間が置かれているのかと言う事を全く理解していない事を再認識できたよ。
結局この人達こんな事を言うけど、世間に対して求める事は自分達が気に入らないモノに対する規制だとか厳罰化だとか自分達を優遇しろだとかの権利の主張とかばかりなんだよね。
しかしいつもながら見ていていい加減この手の男性が悪い、女性は全ての被害者だとか言うこの人達の主張にはうんざりするよね。
どう見てもこれ今回コロナ禍を利用して、被害者面をして政治利用している一例だとしか言えないから。
特にマスメディアを利用して印象操作を図るのはこの手の人達のいつもの手口でもあり、何も日本だけで行われている事ではない。
それにこの人確かイギリス辺りのタブロイド紙で、日本を貶める様な内容の記事にも関係していた事があったからね。
その上、マスメディアの記者の人達もこの手の活動家みたいな人達が多いのはそれこそ日本において、このコロナ禍の増加し始めた時期ですら、日本の情勢をさて置いて、米国の大統領選に対してのある種の世論操作とも言える偏向報道ばかりしていた事を見ても良く判る事。
しかし右でも左でも関係なくそうだけど、思想的に偏っている人達ほど、現状世間がどのような状況に晒されているのか全く理解できず、コロナ禍ですら、単に政治的に利用できるチャンスとしか思っていない人が本当に多いよね。
特に普段綺麗ごとを言って、詭弁や屁理屈を言い、規制やら厳罰化やら自主規制の強要やらで世間を抑圧している人達ほど、今回のコロナ禍でも危機感なく、権利を喚き散らしたり、私利私欲や思想で動いたりして、挙句コロナ禍をも政治利用しようと逆に大暴れしている事が多すぎる。
特に大統領選以降何を勘違いしたのか知らないけど、リベラルや左翼の方々はそれ以降特に暴れ出したのも事実だし、この人達やマスメディア、フェミさん達はこのコロナ禍で空気を読まない行動ばかりする所かこうしてコロナ禍や事件をある意味では悪用して、思想方面の思惑から、政治利用までしようとするのだから、逆にいつもながら性質が悪いと思う。
そもそもあの大統領選にしても不正やおかしな点が多すぎる上に事実であり、状況証拠においてもきな臭い部分が多いのも事実だし、そのバイデン氏はウクライナの件等できな臭い上にハリス氏についても不倫疑惑とかきな臭い話が出てき始めたみたいだしねぇ…。
何にしろ、以下にこの人達にとってはコロナ禍自体が政治利用できる程度の事象でしかない思っている事が記事を読んでいて感じる事が出来た。
実際、フェミさんたちや反差別等のリベラルが空気を読めていないのは何も日本に限らない事で、以前のスペインのフェミさんのデモやここ最近でもこのコロナ禍にも関わらず、ポーランドでもフェミさん辺りの人達が女性デモとやらをしでかしたりしているからねー。
日本でもただでさえ今まで赤十字の件やJAの件から世間的にもフェミさんこそヤベー奴等扱いされ出していたのにそれに懲りず、その後もモンキーセンターの件とかどう見ても難癖を付けている事ばかりしているのが見えるからね。
大統領選の結果以降特にこの手の人達が何を勘違いしているのか知らないけど、それ以降に特に暴れ出したのも事実であり、こんな時期にも関わらず、我が世の天下みたいな感じに考えているのかも知れないけど、今は平時ではなく、コロナ禍の最中であり、それでも空気を読まない行動ばかりしているのだから、近いうちに報いを受ける事になるでしょうね。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/articles/203d7c6e461318d27f4556a9a36a02304e910a94
とある方のコメント(現実と願望を混同)とあるが、全くその通りである。
だいたい、世界中で日本という国を知らない人なんていないと信じている人が日本人の大部分なのだから、いかに日本人が自国の状況を客観的に見れておらず、願望と現実を混同しているかよくわかるものだろう。
この状況であれば本来、本気で国民の生命と安全を守ろうとするのなら、もはやなりふりかまってなどいられず、韓国や台湾に頭を下げてでも新型コロナウイルスの封じ込めについて教えを乞うことになるだろう。
(追)
アメリカが戦勝国とか確信犯的な屁理屈こねてる奴は逝ってよし!
そういう手合は、社長がどうしてもっていうから飲酒運転しましたって言い訳するのと同じだ。
今回の「新コロ戦争」の現時点での「勝者」が韓国や台湾であるのは明らかなのにそれが受け入れられないのは昭和20年7月の日本と同じメンタリティだ!
なぜ勝者を勝者として認めそこから学ぼうとしない?
学んだらまた我々が追い抜き、勝てばいい、それだけの話だというのに。
男は長年、「男だけなのはけしからん」という批判を受けてきた。
男しか会員になれないゴルフ場が国際的に顰蹙を買ったこともあった。国技で女を排除していたことが批判されたのは記憶に新しい。
だから男の考える男女平等や女の地位向上とは、「自分たちの場所に、なるべく異性を迎え入れる」という形になる。
女をもっと採用しよう、男しか入れない施設はけしからん、というのが男の考える男女平等であり女の地位向上だ。
だからゴルフ場や土俵についての問題では、女だけじゃなく、多くの男がそれを批判した。女を排除するのは性差別だと。
ところがなぜか、女で女の地位向上を訴える連中は、世にあふれる「女しか入れない施設」には何も文句を言わない。
文句を言わないばかりか、積極的に擁護していたりする。これは差別じゃない、とか何とか屁理屈をつけて。よっぽど「女だけの場所」に価値を見出しているらしい。
でも、男だらけの場所はけしからんから女も入れろ、という男女平等の理念を聞いて、なるほどもっともだ、そういう差別はけしからん、と積極的に同性だらけの場所を異性にも開かれた場所にしようとしてきた男からすると、はっきり言ってただの差別としか思えない。
池袋とか渋谷とか新宿とか、そういう繁華街を歩いていて、「男性専用」なんて看板はまったく見かけた記憶がないけど、「女性専用」の看板はあちこちに見かける。
夜の街とかに行けばひょっとしたらあるのかもしれないけど、少なくとも、若者がキャッキャウフフしながら歩いてる昼の街で「男性専用」なんて差別的な看板があったらかなりギョッとすると思う。幸いにしてそんな性差別的な看板は見かけたことがないけど、でも「女性専用」って看板はカジュアルにそこら中に存在していて、それを見る度に内心ではウゲッと思っている。
旅行しようとして、良い時間帯の深夜バスを見つけたと思ったら女性専用だった、ということはあるけど(おっ! これめっちゃいい時間じゃん! ってウキウキしながら詳細見てかなりがっかりした)、男性専用バスなんて見かけたことはない。そもそも、そんな差別的なバスがあったら何よりも男の自分がドン引きする。
それなら男性専用のバスとかがあっても彼女らはドン引きしないってことなんだろうか。男女平等って何なんだろうか。
性別によって公共交通機関に乗れない車輌があるのも、めちゃくちゃ理不尽に感じる。男からすると仮に公的な空間でトイレや風呂でもないのに「男性専用」なんてあったら「これって差別じゃね……?」って思うと思うんだけど、なんで女が平気な顔で女性専用の公的空間に出入りできるのかがわからない。
仮に男が平気な顔で男性専用の公的空間に出入りしてたら「恥を知れ」って言われて当然だと思うよ。
たかだか一両に乗れないくらい実害がないだろとかいうテンプレ反論はマジで意味わかんないよね。みんなそんなに土俵に乗る機会があるの? 女が土俵に乗れなくても99.99%の女には不利益ないでしょ? なんでみんなあんなに怒ってたの? 実害なんてほぼないのに!
今日も便利な場所にネカフェがあるな~と思ったら女性専用だった。なんなんだこれ。
やっぱりわけがわかんない。実は俺の思い描く男女平等と世間様の男女平等とは違うものだったのか。そういう施設を見かける度にモヤモヤが心の奥に溜まっていく。
マジか、知らなかったわ情報感謝。まだそういう人権意識皆無な差別的営業をしてる店ってあるんだな。ワイからするとドン引きなのでそういう店はなくしていかないとな。
女性専用は安心感の提供、女性優遇はビジネス上女性客の割合を引き上げたいって理由はあるかな。優遇はともかく、男性は男性専用は特に求めないからな
安心感を理由にした排除、教科書に載るくらい典型的な差別だよね……
男性被害者もいるし、性別関係なく誰もが「安心して」使用できる場所が理想なんだけど、犯罪者だけを拒絶するの難しい。現状は女性隔離の一時措置で男性被害者は救えてない。性教育で激減するといいんだけど。
安心を重視して差別します、っていう人権感覚の欠如っぷりが本当にすごい。つきまといや盗撮やレイプをする人がいたらその人を排除すればいいだろ。事前に属性でくくって排除しようとするのは差別そのもの。
女性専用のサービスは過去そこで痴漢やセクハラストーカー等のトラブルが発生した経緯があるか発生することが想像できるから。例えばジムだと他が空いてるのに女性の隣のマシンを使い移動するとついてくる男とかいる
職員や警備員がつきまといセクハラしてくる男を個別につまみ出して出禁にする分にはなにも反対することはないけど、一律に性別で区切って出禁にしたらただの差別やんけ。イスラム教徒はつまみ出せとか黒人を見かけたら通報とか言ってる連中と同程度の倫理観しか持ち合わせてないって告白して恥ずかしくないんだろうか……こういう連中、アメリカならきっと嬉々としてトランプを応援してるんだろうなー。
差別されたくなければムスリムはイスラム過激派を非難しろメソッド! 差別されたくなければムスリムはイスラム過激派を非難しろメソッドじゃないか!
やっぱ女性専用○○を積極的に擁護するようなやつって差別主義者ばっかりなんだね……
ほらよ、実害なんてないのに怒ってた市長さんの例な>女性理由に土俵下であいさつ「悔しい」 兵庫・宝塚市長:朝日新聞デジタル
この場合、この人が土俵に上がれなかろうが何も実害はないよな? 土俵際でスピーチはできてるわけだし、土俵に上がったからといってスピーチのパフォーマンスが良くなったりはしない。たかだか数十センチの土盛りに上がれないのなんてもう感情の問題でしかない。
でも、それこそが重要なわけじゃん。俺はこういう差別は認めるべきではないし、こういう差別を「何も実害はないじゃん」と切り捨てる気にはなれないし、それと同じく「たかだか一両に乗れないだけじゃん」なんてロジックを振りかざすべきじゃないと思うけどね。
男性専用施設やサービス、どんどんやったらいいと思う。やってほしい人が声を上げたら?女性専用車両は声を上げた人がいたから実現したのだと思うし、レディースデーは儲けのための施策でしょ。差別目的ではない。
文章読解力/Zeroかよ。俺は「男性専用施設も作れ」と言ってるんじゃなくて「○性専用施設は差別的だから基本的に存在すべきじゃない」って言ってるんだよ。
同人誌は販売ではなく頒布だなんてオタクの言葉遊びに過ぎないからね。屁理屈だよ。
オタクが販売のことを頒布と呼ぶのはご自由にどうぞだけど、「同人誌は販売じゃなくて頒布です!記事が間違ってる!」とまで言われていて面白い。
(1) 現在を「仮に100」としていますが、現に不利益を被っている人のマイナスから軽く目をそらしてますよね。
「それも込みで合計を100と置いただけだ」というかもしれませんが、社会的利益の総計をプラスの位置に置いているのが既に恣意的なんですよ。
たとえば利益・不利益の合計で現状は「マイナス」だと仮定しましょう。政策実行の結果がプラス。
これなら、現状を放置すればするほどマイナスが拡大するので、一時的な不利益があっても改革を実行すべし、となります。
「現状をマイナスと置くのは恣意的だ」とおっしゃるかもしれませんが、つまり「プラスと置くのも恣意的だ」というのが私の主張です。
現状をマイナスと見るかプラスと見るか意見の一致を見ない限り、理屈上ではどちらか片方の立場に立つことはできないはずです。
(2) それに、一切のコストがかからない、マイナスのない改革など現実的には存在しないので、あなたの理屈で言えばどんな優れた改善・改革も「実行しないという判断が是」になりますよね。その時点であなたの理屈は破綻しています。
なので、一度インストールすると削除するまで自動的(機械的、無目的=アスペ的)に違和感に反応し続ける。
世の中にはプログラマー35歳定年説というものがあった。昔からそんなのはないという人と、あるという人がいた。40代も半ばになったときに「あぁ、これが35再定年説の根拠か」というものがなんかちらほら見えるようになってきたので書いてみようと思った。
世の中にはものすごいプログラマーというのはやっぱりいる。なんなら死ぬまでプログラミング書いていられるという人たちもいる(ブラック的な意味ではなく)。そんな彼らからしたらプログラマー35再定年説とか意味がわからない都市伝説にしか映らないだろう。
だが、普通に職業プログラマとして生きている俺のような人からすると、この35歳定年説はかなりの真実味を帯びている。
だが、そんな俺でも40代半ばまで延命できたのはやはり技術革新のおかげかもしれないが、結局平均寿命が伸びただけとも言えるだろう。
まず、技術に対する姿勢が変わる。正直言うとプログラミングとかもうしたくなくなる。というか、そもそも一生プログラミングを仕事にしたいと思う最初の頃は好きだと思っていたが、仕事にしてしばらく経ったら大して好きでもなかったな、と思うようになる。
大して好きでもないことを仕事にし続ける体力はやはり年とともになくなり、体力がなくなった分「自分が本質的にしたいと思うこと」が見えてくる。そしてそれはプログラミングではないため、ギャップがきつくなっていく。
おそらく、この辺が35歳くらいのあたりに来るのではないだろうか。35歳定年説と言ったら35歳ピッタリしか想像できないのが離散数学の世界で生きているプログラマらしいといえばらしいが。
そんな感じでやってても、20年もやればそれなりにスキルも身につく。さすがにGoogleの一線で働くような大天才たちと渡り合うことはできないが、もしかしたらGoogleの片隅で働ける程度のスキルはあるかもしれないが、正直もういいっす、っていう気持ちのほうが大きくなる。
次に、自分がどうにか身につけてきた知見というものがなかなか広まらない。コンセンサスが取れない、という状況にも苦しくなってくる。
自分がやってきたプロジェクトでこういうことをやったらうまく働いた、というような知見は共有するが、なかなか価値観が共有できないことに気がつく。若いうちは「だったら俺が全部やりますわ」くらいの気合を見せられたものだが、年を取ってくると「あ、そうですか・・・」となってしまう。純粋に体力も気力もなくなっていく。
プログラミングをやっているだけありみんな論理的な思考が大変上手だ。「皆さんホント論理的でいはりますなぁ」と言いたくなるわけだが、悲しいことに自分たちの振りかざす論理が、単なる正論、飛躍、極論、屁理屈、と言ったものであることに気づけない人も結構多い。こういうのを各個撃破するのも疲れる。
これからプログラミングを仕事にする人たちに言っておきたいことがある。もしこの世界で長く働きたい、定年までコード書いていたい、と思うなら、常に勉強をしなくてはならない。もしあなたがFラン出ているなら、他の人の倍努力しなくてはならない。できないならそこそこで転職したほうがいい。この世界にいるといかに若いうちの勉強が大事だったかを日々痛感する。
実務の上での俺の感じていることを書く。DDDだとかクリーンアーキテクチャだとかも大事だがもっとそれ以前に俺が根源的に重要だと考えているポイントだ。この辺をないがしろにしたらDDDもクリーンアーキテクチャも絶対に崩壊する。
まず、心得てほしいのはどんなにすごいプログラマでも意図の通じないコードは本当の意味で直せないということだ。
まず、引数チェック、状態チェックは必ずやれ。コードが語る、というようなことを言ってやらないやつが昔は多かったが、今もいるんだろうか。悲惨なバグやメンテナンス性の低下はそういった自分の意図の表明を横着したコードから起こり始める。「俺はこれをやる、だからこの機能を呼び出すならこういう状態にした上でこういう情報を渡せ、じゃないならやらない」とはっきり言え。もしこの辺を冗長だと考える同僚がいるならもう辞めたほうがいい。
引数チェックや状態チェックのコードで画面の半分が埋まったならそのコードは設計がおかしい。一旦手を止めてよく考えろ。一つの機能を動かすのにそんなに引数がいるのか、そんなにチェックする状態が多いのか、そしてそれらは本当に必要か検討しろ。
テストコードは絶対に書け。テストコードが書けない技術は絶対に使うな。意味のあるテストが書けないならやめたほうがいいという輩もいるが、とにかく意味があろうとなかろうと書け。引数にこれを入れたらこうなる、こういう状態でこういう事したらこうなる、というお前の意図はとにかく示せるだけ示せ。
だいたいこの辺を横着したやつは翌年酷く後悔するか、そこのメンテを担当した同僚を攻撃している。
コードが書けなくても大丈夫、という会社は、コードが書けたほうが有利な会社ではなく、本当にコードを書かない会社だというこは肝に銘じておけ。身につくスキルはEXCELの方眼紙を最低限の手数で作れるようになることか、本気でやればビジネスを理解できるかもしれないが、お前の技術者としてのキャリアはそこで止まる。
仮に憧れのスーパーハッカーがいる会社を目指しているとして、彼らがそこでどう働いているか、なにが泥臭いのかを想像できない、聞くことができないならやめておけ。浮かれ過ぎだ。
仮にGithubのURLを教えろという会社を目指しているとして、そこのリポジトリを飾り立てようと考えたならやめておけ、そういう会社はGithubにアウトプットすることを日常的な趣味として苦ではなくやり続けられる人を求めている。
年収をその会社の選択基準にしているならそこはおまえには分不相応な会社だからやめておけ。仮に入れたとしても馴染めることはまず無い。これは年収が低くても同じだ。
嫌いな人がいるならその会社はやめていい
コメントを観てこの「最小且つ単一の論理でなにか否定できた気になる」という輩への対処が一番疲れる
一晩立ってみたらこんなにブクマついててびっくりした。気になったブコメもあったのでちょっと追記しておく。
いきなり視点がミクロに、と言うやつなんだが、結局若いうちにこういうのできてないやつはあとで苦労するが、最初のうちは体力でカバーできている。体力でカバーできなくなったときに本当の意味でつけを払う羽目になるという意味で言ったり、あとオレみたいなおっさんが大変つらい思いをする、という意味でも言っている。
Fラン関係なくねっていうやつだが、昭和世代のステレオタイプかもしれない、ごめん。勉強する習慣もなければ大してやってきてもいないやつはこの業界だと倍苦労する羽目になるというふうに言いたかったと思う。どんな業界でもそうだとは思うが。
返す刀で結論づけしたがる人々がやっぱり現れるな、君たちはそう思わない人なんだろうし議論する気もないが何かしら言いたい人なんだろう。別にそれはそれでいいよ。お仕事頑張ってね。
「俺は大して辛くないけどなー」っていう人もやっぱり現れるな。辛くないんだったらいいことだと思う、お仕事頑張ってね。
4Kモニターでものすごく細かい文字を読んでいる若者を見た、という人、俺も同意する。もう見ていられないんだよね。
関白宣言っぽいな、というのは俺も思った。
結局の所、プログラマ35歳定年説は俺も打ち破りたいと思っていた口なんだが、打ち破れる人とそうでない人がいる、ということで、俺は後者だった、ということだ。当然50過ぎてもプログラマやっている人は見かけるので、数学的な真理というわけではなく、統計的な傾向なんだろうと思っている。
若いうちから、いい環境で働かないと、気持ちのほうがどこかで先にギブアップする。いくら大好きで転職だと思う仕事だとしても、体力や若さで捻じ曲げていることはなかなか気づかない。色んな本を読んで客観的な指標で判断したほうがいい。
遺言とか言って書いておいて追記したら俺はソンビか亡霊なんだろうか?
びっくりした。こんなおっさんの愚痴みたいなエントリーがこんなにブクマされるとは思ってなかった。いくつか気になったブコメがあったのでやはり書いてみたくなったので書く。
まず、この遺言を最後にいなくなるのかという話だが、おそらくいなくなる。ゾンビで居続ける体力ももはやない。
次の準備はすでにしている。それは俺が本質的にやりたかったことに近いことだと思うのをピックアップしている。
本質的にやりたかったことって何かという話なんだが、まず俺が感じるプログラマーという仕事は「良き作り手であり続けること」が根本的なモラルだと思っている。若手で右も左もわからないような状態でも、それこそやっとフィズバズが理解できたような状況でも今持っているレベルで最大限にできうる一番いいものを模索し続ける仕事だと思っている。初心者にはチェックコード書け、意図はできるだけ込めろというのはそういう意味でもある。これを真正面から受け止めてくれる職場を探したほうがいいというのは追加しておきたい。
プログラム論とかそういう話がしたいんじゃないということだけは言っておく。
俺も体力があるうちは良きつくり手を目指していたのだが、本質的にやりたいこと、もうちょっと言うなら、俺のモラルの軸は作ることにではなく使うことにあった。プログラミングというアクティビティを挟んでこっちにつくり手がいてあっちに使い手がいる。仕組みを理解して作るのがプログラマーなら、作ったプログラムを理解してよりよい日常を模索するのが使い手、と言ってもいいかもしれない。いいフィードバックループのあっちとこっち、と言ってもいいかもしれない。俺は「良き作りてが使ったものを使う良き使い手でいたい」ということに気づいたので、遺言を書くことにした。少なくともこれに気づいた時点でプログラマーとしての俺は死んだ。
まだ直感的なものでしか無いので、うまく言語化できていないのは申し訳ないんだが、今後10年位はそれを模索していくのではないだろうか。
それは屁理屈。「人の心なんて判らない」とうそぶくのは、「社交辞令」を言われて褒められた時くらい。人の身になって考えようって人間関係の基本じゃないかな。
石を投げつけておいて、「痛いかどうかなんて人の痛みなんて自分には実際わからない」と言ってるようなもの。
あてつけに身体的特徴や、金銭的に上手くいってないしんどい立場の人をからかう発言は、読んでいて居心地が悪いですし、感じ悪いよ。
太っている人の前で、デブは息をするなと言ったり
あきらかにハゲてる人がいても、平気でハゲを笑い者にする話題だったり
あなたが若く美しく教養がおありならば、「その相手の立場になって一度考えてみる」ことをしないと、あなたの言葉がきっかけで自殺する人もいないとも限りませんよ。
フェミニストたちの言い分は感情的であり、非論理的であることが多いのだが、彼ら彼女らの言いたいことはその言葉の文言からは読み取れない何かを含んでいるのだろうから読み取ろうと頑張ってみた。
読み取れたとき、あぁこういうことが言いたかったのか、だったらわからなくもない。というか、分かる、というものが割と多いことに気づいた。
だが、同時に、あれ、これ自分たちがやられてすごく辛い思いしたことなんじゃないの?と思うことも増えた。そりゃシチュエーションは違うけどさ、殴ってるか蹴っ飛ばしてるかの違いであって、本質的にはかわらなくね?と思う。
しまいには、プライドが高すぎる女がごめんなさいしたくさ過ぎていかに自分が被害にあっているか、正義かをもぎ取りたいだけの屁理屈なんじゃないかとすら思うようになった。
すごく辛い。
何もない平和な平時ならまだしもこのコロナ禍でまた国内の感染者もおおよその予想通り悪化し始め、今日なんてまた1000人超えしだしたみたいなのに朝日や毎日と言ったマスメディアはここ数か月、特にこの数日はどこも大統領選ばかり熱心に報道しているのだから呆れ果てるよね。
確かに日本にも影響はあるけどあくまで他国の事であり、他国の選挙についてなのだから、一定の距離を置いておくべきでしょうに。
この様な報道を見ていると今のマスメディアは報道の中立性や正確な報道を伝える意識すら存在しない、単なる活動家や自己の利益関係のみで動き、世論は自分達が作るものと言う傲慢さすら感じるのだけどね。
しかも内容的に世間でもNHKが偏向報道をしているとネット記事が出る位には指摘されたレベルでのTV局も偏向報道そのものをしていると言っても良い有様だしね。
記者の書いている記事に関してはもはや偏向報道と言うよりどこかの活動家と言うレベルでのあからさまな世論誘導すら見られるからなぁ…。
この人達普段は誹謗中傷ガーとか言っているのにこの手の記者の人達こそ、誹謗中傷に近いレベルでトランプ氏に対してある事ない事ばかり書いているのだから呆れ果てるよ。
恐らくトランプ氏のWHOや中国への動きやタイミング、そして今回報道中で、パリ協定の話が出たりした点から、大凡裏で動いているのは国連とかあの手の団体の人達絡みだろうなと思ったりするよ。
実際マスメディアと国連の繋がりは色々指摘されているし、マスメディア内部にもフェミさんとかの関係者が多数いるのは指摘されているし、現に過去にも児童ポルノやら女性の権利やら環境やらでこの手の報道を使ったマッチポンプは行っていたのも事実としてあるから、今回の動きにしても国連絡みならばその辺納得いくのよね。
ただ何にしても他国の選挙の話なのだし、下手な内政干渉よりも余程質が悪いのも事実なのでこう言うのは辞めてほしいと内心本気で思っていたりする。
しかし昨今このコロナ禍以降、右も左も政治思想が偏った人々ほど、空気が読めず、思想や私利私欲を優先し、病気に関しても危機感もなく、他者がどうなろうと知った事ではないと言うのが態度として良く見えるけど、特にフェミさんや反差別等の俗にいうリベラル等の現在左の方々は先鋭化しきっていて危険だなと思ったりする。
右の俗に言う保守の人達は良くてツイッターやネットの記事程度で騒いでいる位だけど、左の方々は今回においてでもネットだけではなく、明らかに報道関係でも個人ではなく企業をも利用し、報道の中立性を投げ捨てて、明らかに世論を誘導しようとする動きがあり、その中で他国の事にも関わらず、あからさまな世論誘導を行い、今回に関しては最低限の一線すら超えて、形振り構わずと言うのが見え、その点でこの人達が先鋭化しきっており、自身の思想が全てであり、その為ならどんな手段をも問わない危険性を見て感じたよ。
だからこそ世間的にも昨今のマスメディアのスタンスが問題視され、尚且つ今回の偏向報道が問題視されたのは事実だと思う。
マスメディアは今回偏向報道をしていたと特に感じたのはトランプ氏への問題点ばかり伝え、バイデン氏については持ち上げてばかりで、バイデン氏についても自身や息子等のウクライナの不祥事や猥褻疑惑などの問題点があったにも関わらず、それをデマやトランプ派の工作と決め、黙殺したりしていたのは不味いと思うけどね。
特に猥褻問題なんて普通はフェミさんが嫌いそうな話題なのに今回に関しては黙殺していた点を見てもいつぞやの都知事選を彷彿させるなと思う。
この点を見ても完全に各マスメディアは報道の中立性の観点から問題があるのは事実。
逆に何故か一般人の使う、ツイッターやFBはこの点の指摘に対しては、企業がデマに該当するとして、何故かこれ等の疑惑への発言に圧力をかけ、企業側が実質的な検閲すらし始めているみたいだしね。
本当か嘘か知らないけど、保守さんやトランプ氏が不正投票がどうとか喚いている点を見ても怪しい点が多いのも事実だし、実際上記の様な不誠実さこそ批判を招く原因の一つになっているのは事実だと思う。
それと朝日が記事にしていたけど、ツイッターは日本語版ですらこの手のに警告しだしたとか書いていて笑った。
余程都合が悪いか、ツイッターに保守系の人が多く、実際批判意見が多いから封じこめようとしてああいう記事書いたのかなと思ったり。
何にしても自身への批判の黙殺や検閲なんてそれこそ民主主義的ではなく、どちらかと言えば共産主義的な発想だよねと思ったりするよ。
はてなも規約を変えたみたいだし、この手の発言も消されるのかなと思ったりもする(苦笑)
また今回の一般的なフェミさんや反差別、リベラルと言う人達だけではなく、記者レベルですら、中立性を投げ捨て、あからさまな世論操作を狙った記事をどこも書いていたりして、先鋭化しているのは事実で、更に言えば、この手の現在民主側に協力している団体の人達が、よりにもよってこの時期にデモをしでかしたり、ディズニー等に自主規制の実質強制とも言える要請をしたり、余りにも平時の感覚で空気が読めない事をしている点やバイデン氏も発言の中で、あるのはトランプ氏への批判ばかりで、この時期にコロナ禍に対しどうしたいのかと言うのが明確なビジョンすらまるで伝わってこなかったので、今後コロナ禍対策と言う意味でも期待はできないか或いは退行するかもなぁと見ていて思ったりするよ。
右左関係なく、普段から綺麗事を言い、屁理屈や詭弁をもって、世間の一般層に対して抑圧をかけていく人達ほど、この様なコロナ禍で大変な時期でも空気が読めず、平時感覚で、自身の思想や自己の利益追淳の為だけで動き、それらを平時感覚で優先し、コロナ禍への対策をおなざりにするのはこのコロナ禍で嫌と言うほど良く判った事だしね。
実際トランプ氏は口は悪いけど、当初から日本の麻生大臣と違い、経済支援や失業対策等には追加予算をしていたし、ワクチン開発に関しても積極的な支援もしていたのは事実だしね。
バイデン氏に関してはこの時期に黒人問題云々とか副大統領が見事にポリコレフェミ路線だったりとある種の平時感覚であり、危機感すらなかったのも事実であり、当初はコロナ禍にすら触れず、秋頃コロナ禍についてやっと触れたと思ったら、トランプ氏の経済政策やワクチンへの追求ばかりで明確な施策がまるで見えなかったのはあるので、このコロナ禍についても余り期待はできないと個人的には思ったりする。
こう言う意味でも個人的には本当に民主党ならサンダース氏の方がよかったと思うのだけどね。
バイデン氏に関してはイタリアの春の大流行についても皆保険制のせいにして皆保険制が悪いと主張していたと書いていた記事をみたことがあるからね。