はてなキーワード: 人間失格とは
正確には、「今の家族のように」「(将来出来るかもしれない)自分の家族を」愛せる気がしない、だ。
うちは家族仲が良い。
おそらく異常と言っていいほどよい。
60代の父と、全員成人した息子3人で、可能な限り一緒に行動したがる。
(念の為言っておくと、父は公務員を定年退職後、再就職しているし、私を含めて息子は全員大学又は大学院卒業後、定職についている)
全員アウトドア、スポーツ、インドアと多方面に多趣味だが、内容はほぼ一致している。
専門が、法学、文学、情報科学、材料科学と別れているのも、お互いの知的好奇心を相互補完できる感じでとても良い。
特に私と父は、家族相手にイベントを紹介して一緒に参加するのが生き甲斐みたいなところがある。
正確には、これは父から私に伝染した。
小さい頃は、この父の「楽しませてやろう」という気遣いが鬱陶しいと思うこともあった。
父は期待通りに「楽しめていない」様子を見せると、不機嫌になることもあった。
それのせいで「楽しんでいる」演技をすることもあったように思う。
なんか、人間失格みたいだが。
それがいつの間にか、鬱陶しくなくなっていた。
多少は、断るということを覚えたせいもあるが、自分も家族を楽しませたいと思う気持ちが芽生えてきたからだと思う。
弟2人は、自発的にイベントを提案して企画することはあまりないものの、「次は~したいね」くらいの事は言う。
ここ数年はこう思う。
「流石に、この4人だけが家族、という時期はもうそうは長く続かないだろう。」
そして、こう思う
「この家族以外の誰かを、この家族のように想うことができるだろうか?」
20年近い付き合いになる、なんでも話せる友人(家族にも話せないことも話せる)もいるし、恋人がいたこともある。
しかしながら、最も親しい人は誰かと言われれば、大差をつけて家族3人が入ってくるし、
誰のためなら命がけで行動できる?と問われれば家族以外にそれが出来る気がしない。
その時その時はそれなりに夢中になっていた覚えがあるし恋人を楽しませるのが生き甲斐みたいな時期もあったのだが。
「ぼちぼち婚活も考えたら」
と、家族含め周囲に言われる歳になったが、そんな気持ちがあって、どうもする気が起きない。
https://anond.hatelabo.jp/20200101232410
はてな村で好まれそうな話題だなとは思って投稿したものの、想定以上に反応があって驚いてます。
酔った勢いで書いたものであるので、文体が一致してなかったり論理が破綻してたり誤字脱字がひどいですね。
結果、説明不足だったり変な文章だったりが原因でいくつかこれは補足しておきたいなと思ったコメントがあるので補足させてください。
解説本を読むことで原典にあたった際の新鮮な驚きが減るのは確かと思います。ネタバレ効果というか。小説系では顕著と思います。
また、解説者の解釈が固定化されるという懸念も確かにあるかと思います。
しかし、私の記憶では「これは私の解釈だが」「多数の説の中で、私が支持するのは」など、
俺の解釈が絶対だという態度で解説してた解説者はいなかったし、異説も提示していることが大半でした。
ここまでやってくれたらあとは受け取る側のリテラシーかなぁ、と思います。
また、100分で名著の解説で実施していることは「あらすじ」+「執筆背景解説(作者の人生の中で著作の占める位置など)」+「解説者の解釈解説」と思っていますが
この内「執筆背景解説」が一番の目玉であり、知識のつながりを作ってくれるところで、この部分は原典だけ読んでも絶対に得られない補助線です。
私は持久スポーツを趣味にしていますが、例えばフルマラソンなら当たって砕けろでもまぁ、レース中の数時間もがき苦しみ、暫く足がまともに動かなくなる覚悟があればゴールは出来るでしょうが、
ウルトラマラソンとか、アイアンマンになると当たって砕けろではまぁ無理で相応の準備がなければ、失敗したという経験を経験値に変えることも出来ずに敗退すると思っています。
特に古い思想書は知的作業としてウルトラマラソン級だと思いますし、かつ何かを求めて読むわけでしょう。
ウルトラマラソンで周りの景色も何も見えないぐらいつらい状態になって、制限時間オーバーで失格になっても兎に角意地になって歩き続ける人がたまにいて、マラソンならそれでもいいかなと思いますけど、
古典を読む場合最後のページにたどり着ければよい、というものではないですよね。
途中の景色を楽しむためには相応の準備というものが必要なのではないかな、よほど読書体力に自身があるのでなければ、背景を知識として持っておくのは良い方にしか働かないのではないか、と私は思います。
100分で名著の一番の強みは「TV番組であること」であり一番の弱みもまた「TV番組であること」であると思っています。
強みとしては、インタラクティブな解説(動く図形とか、アニメとか、俳優の朗読とか)が可能になること
弱みとしては「解説者の準備期間、解説時間に制限がかかること」「番組上では注釈を実質的に挿入できないこと」「月に1冊のペースでしかラインナップを増やせないこと」ですね。
特に月イチのペースでしか増やせないのは大きな制約で、解説本の中で出てきた関連本に解説が欲しくても、100分で名著で解説される可能性は極めて低いと言わざるを得ません。
そういう意味で、名著巡りの入り口にしかならないといえばならないのだと思います。
100分で名著をメインに追いつつ、他にも手を出してみようとは思っています。
私は実は番組はあまり見ていません(3割くらいかな)。毎週火曜日この時間にTVに向かっていることが難しいからです。
理想は両方こなすことだと思いますし、伊集院光さんのリアクションは時々ハッとさせられることもありますが、私はどちらかを取れと言われたら解説本だけ読みます。
番組が「あらすじ」+「執筆背景解説」+「解説者の解釈解説」で割合が2:2:6~1:5:4まで変動するとしたら
解説本は執筆背景解説に一律+3、解説者の解釈解説が一律-2って感じです。
(逆に、あらすじだけ知りたい場合100分で名著は重厚長大で、もっと手軽な選択肢があると思います。)
そりゃ、番組の中で解説にちらっと出てきた著者の友人の来歴とか、著書とか、いちいち全部触れられないですよね。
つまり、私が元投稿で言った「本の解説で繰り返し取り上げられる要素(人名、思想、歴史上の出来事など)があることがわかった」現象は
番組を見るより解説本を読んだときのほうが顕著に起こると思われます。
なので、もし元投稿を見て「知識がつながるって面白そう」という点に興味を持っていただけたなら、解説本の方をメインにされることを私はお勧めします。
頑張って読んだ、という感覚はありませんでした。
おそらく、原典には「頑張らないと読めない」ものもたくさんあると思いますが、解説書の段階では頑張らずに済みました。
正直、興味をそそられたかどうかにはレベル差があるので、結局読まない原典もあると思います。
古典名作だと聞いて読んでつまらなかったら被害甚大ですが、水際で食い止めてくれたことになると思います。
読みたくない本、という感覚もなくて、どちらかといえば「知らない本は読めない」ですね。
恥ずかしながら「エチカ」だとか「夜と霧」だとか「全体主義の起源」なんて知らずに生きてきたので
まず読みたくないかどうかも解説書読んで判断しようと思ってました。
食わず嫌いよりは、試食コーナーの匂いで避けた、の方がまだマシかなと言う感覚です。
シャワーを使う際には、本はタオルにくるんで蓋に挟んで防水します。
このスタイルで読書して2年位になりますが、多少湿ることはあっても、問題になるほどビシャビシャになったことはないですね。
以前スウェーデンに出向していた友人から聞いた話ですが彼の国では大学とは必ずしも高卒すぐ入るものではなく、
暫く働いてから勉強したいことを見つけて入る人も相当にいるらしいですね。
その彼が聞いた日本との違いを顕著に表しているセリフが「高卒のガキに大学教育はもったいない」「日本人は高校生の時職業決めるんでしょ?すごいね」です。
後者は嫌味なのかな?と言う気がしないでもないですが、前者は今本当に身にしみています。
大学教育をきちんと受け止められる18歳って、そんなに多くないですよね、、、
以下私の勝手な解釈です。見当違いのことを言ってるかもしれないですが、、、
私と趣味が合いそうだなと思ったら、まずは以下をお勧めします。
スペシャル版なのでちょい分厚いですが、これが私の一押しです。
日本の大乗仏教諸派の成り立ちと違いについて、今まで何度か教わったし読んだはずなのですが全く頭に入ってこなかったのがすらすら入ってきました。
読了後は、まるで自動車教習所に通ったあと今まで目にも入らなかった交通標識が急に意味を持ち出したような感じで、街中のお寺から情報を取れるようになりました。
私自身が茶道やってる事が大きいかもしれませんが、日本人が外国人に、英語で日本文化を説明する起点として最高と思いました。
実際、ボストンで友人とあったとき(作者の天心はボストン美術館の東洋部部長です)なんと役に立ったことか、、、
全編、声に出したい日本語だと思いました。言葉がやや古いのですが、原典も薄くて読みやすいです。
維摩さんというレジェンド級のアマチュア(在家信者)がプロ(菩薩軍団)をやり込めまくる話です。
「煩悩は湧くに任せよ、とらわれないことが大事だ」というフレーズがとても頭に残っています。
一番実践しやすい仏教な気がしました。アメリカの方で流行っているzenとかsatoriってこれを目指してるのかな?と思っています。
↓と思った記事
https://aishinbun.com/clm/20181218/1888/
人間は自己愛ゆえに苦しまねばならぬ、というのがメインの本と理解しました。それだけでも納得感あるのですが、
本人的にはキリスト教最高!で異教徒を折伏するために書いた本らしいのに仏教が目指してるところと同じっぽいのが面白くて読んでました。
原典が思いっきり重そうなのですが、いつか読みたい本の一つです。
いろんなことを言ってるわけですが、
私は趣味を持て、幸せになれるぞ?という本だと理解しました。ラッセルさんの趣味の定義とは「~を収集すること」らしいです。つまりスタンプラリーですね。
何かに対して情熱を持ってスタンプラリーしてるうちは人生に飽きない、ということかと思いました。
解説本読破もそのノリでやってやらぁと思ったのを覚えています。
正確には100分で名著シリーズではないのですが、この「一週間で資本論」が成功したので100分で名著が始まったらしいです。
資本家の行動原理が今とぜんぜん変わらず、ギグ・エコノミーとかも19世紀の理論で説明できることに驚きました。
経済を理解するためというよりは自分の身の振り方を考える上で有用だなと思った本です。
リストがほしいというコメントをいただいたのでリスト載せます。
趣味が合いそうだなと思ったら、参考にしてください。
(抜け漏れあったので追加。まだ何冊か忘れてる気がする、、)
・点と線
・かもめ
・人間失格
・斜陽
・三四郎
・こころ
・茶の本
・奥の細道
・昔話と日本人の心
・死者の書
・銀の匙
・世論
・ペスト
・ゴルディアスの結び目
・1984
・苦海浄土
・夜と霧
・野火
・ソラリス
・マクベス
年末年始休みは読書もはかどり、新たに買った原典も既に8冊終わりました。
今のところ、全て期待通りの内容でとても充実した休みになっており今年ずっとこの調子で読み勧めていけたら、、、(無理だろうけど)と思ってます。
どういうふうに仕事の本を差し込んだら、自分の中の読書熱にうまく歩合出来るかを考えるのが今年の課題かな。
動物本とか、読んでて飽きることがあるんですよね。
なお、私が100分de名著を知ったきっかけは単身赴任中の父がずっと見ており、解説本を纏めて実家に持って帰ってきたのがきっかけでした。
私も読み出して以来、お互いの話題の共通点も増え、お互いの読書の幅も広がって、
初めて父と同等の視点で知識交換をできるようになったような気がしており、その点でもこの番組には深く感謝しています。
(私の専門のITのことでは以前から教える立場でしたが、これとはなんとなく異なる現象のような気がしてます。)
良い1年を!
「君の名は。」の二匹目のどじょう狙いで類似企画が乱発されたわりにはどれも鳴かず飛ばずに終わりなんとも寂しい。
19年は天気の子、プロメア、ドラクエ、すみっコぐらしが興行収入10億円を超えてまだマシだったが下まで見ると本当に悲惨。
ブームに便乗し、散々金をかけてプロモーションして、人気俳優や芸能人を声優に起用し話題作りしおいて結果は「すみっコぐらし以下」「ドラクエ以下」という事実を関係者はどう考えているんだろうか。
作品名 | 公開日 | 興行収入[億円] |
---|---|---|
HELLO WORLD ハローワールド | 9/20 | 5.9 |
ルパン三世 THE FIRST | 12/6 | 5.9 |
空の青さを知る人よ | 10/11 | 5.7 |
海獣の子供 | 6/7 | 3.1 |
二ノ国 | 8/23 | 3.0 |
きみと、波にのれたら | 6/21 | 2.5 |
バースデー・ワンダーランド | 4/26 | 1.3 |
LUPIN THE IIIRD 峰不二子の嘘 | 5/31 | 0.1 |
ぼくらの七日間戦争 | 12/13 | ?? |
この世界の(さらにいくつもの)片隅に | 12/20 | ?? |
幸福路のチー | 11/29 | - |
HUMAN LOST 人間失格 | 11/29 | 圏外スタート |
薄暮 | 6/21 | - |
LAIDBACKERS-レイドバッカーズ- | 4/5 | - |
あした世界が終わるとしても | 1/25 | - |
https://pixiin.com/ranking-japan-boxoffice2019/
作品名 | 公開日 | 興行収入[億円] |
---|---|---|
宇宙の法 黎明編 | 10/12 | 6.7 |
機動戦士ガンダムNT | 11/30 | 5.2 |
モンスターストライク THE MOVIE ソラノカナタ | 10/5 | 3.6 |
ペンギン・ハイウェイ | 8/17 | 3.0 |
劇場版 マジンガーZ INFINITY | 1/13 | 2.4 |
若おかみは小学生! | 9/21 | 2.3 |
君の膵臓をたべたい | 9/1 | 2.3 |
さよならの朝に約束の花をかざろう | 2/24 | 1.8 |
ニンジャバットマン | 6/15 | 0.8 |
小さな英雄 カニとタマゴと透明人間 | 8/24 | 0.6 |
犬ヶ島 | 5/25 | 0.4 |
詩季織々 | 8/14 | 0.2 |
https://pixiin.com/ranking-japan-boxoffice2018/
恥の多い生涯を送ってきました。
と書き出してみても、実際のところわからないのです。
構造として理解することはできても、感情として理解することができないのです。
恥ずかしくないのです。
私は自分の人生が恥ずべきものである、という感覚を持つこともなく、今まで生きたのです。
思えば、自分は恵まれた人間でした。異性同性問わず、他人に受け入れられないという経験をすることがありませんでした。自分を磨くという努力をした経験もありません。また、他人に受け入れてもらうために、無償で尽くす、という経験をした記憶もないのです。
他人を思いやることのできない自分の傲慢さ、コントロールすることができない自我、がさつな性格、配慮にかけた言動。
それゆえに数多くの人を傷つけて生きてきたという現実に、気付かなかったわけではないのです。気づいてもなお、無視してきたのです。忘れてしまうことができるのです。
それで今まで生きてこれたのです。困りもせず、悩みもせず、振り返ることもなく、改善をするでもなく。
悪意をもって、他人に不親切にしたこともありません。意地悪さえないのです。
それが自分だと思っていました。自分にとって、その日その日を生きるという選択だと思っていました。自分が困らないのだから、それが正しいと思っていました。その日その日を正しく生きていると。
しかし、人に言わせると、それは失敗なのです。それは誤った生き方なのだと。
その時その時に自分が良かれと思って選択してきたもの、ほとんど全てが、失敗だというのです。恥ずべきことであるというのです。何があっても気にしない。失敗しても気にしない。それは、進歩がないというのです。
私は、自分の失敗を失敗と思いませんでした。気にせずいられるのです。
どんなに他人を傷つけても、どんなに自分が傷ついた気になっても、
眠れないなんてことがないのです。
悩むことがないのです。
困ることがないのです。
いや、それは理解しているのです。だけど、恥ずかしくないのです。
この状況を回避するために、何かを変えようと思えないのです。
全部私が悪いのでしょうか。
私にとって、自分は、とても素直で、よく気が利いて、悩みもせず、前を向いて生きてきたいい子だと思うのですが。
まさに「人間失格」。
面白い小説ではあったが、これを延々と高校生たちが読書感想文の題材にするのはいかがなものか。
それから数十年経て初めて読めるようになった。
読後感としては、そこまで警戒すべき作品でもなかった気がする。
同じ男として、あそこまで女にモテるのは、正直、妬ましい。
が、この男のクズなところは、女性にここまで愛されても、それを自分の幸せには一切役立てることができなかった点だ。
太宰治という男もろくでもないと思った。
ポルノやら萌え絵やらを問題視するなら、よほどこんなくだらない小説を発禁処分にでもしたほうがいいのではないか。
これが名作だの、太宰治が文豪だの、イケメンだの持ち上げられている世の中もいかがなものかと思った。
追記:
「人間失格」は誠に胸クソ悪いクズオブクズな話であるが、そのクズ度の純度が高いゆえに、反面教師としては利用価値が高い気がしてきた。
この主人公は、物語のあらゆる分岐ポイントで、不幸になる方向に進んでいるので、常にその反対を選択し続ければ幸福になれるということであろう。
この主人公がクズであるゆえんは、とにかく人間と一度もまともにコミュニケーションをしたことがないという点である。
「本音を伝え、本音を受け取る」という普通の assertive なコミュニケーションを一度たりともしたことがないのだ。
だから、本来ならば、この主人公は、人生の重大な分岐点において、その選択にかかわる重要なステークホルダーたちと腹を割って本音を話し合うべきであった。
そうすれば、あんなに風に追い込まれて廃人になることはなかったであろう。
太宰治も当然そのことはよくわかっていて、それでもどうしてもできないので、せめて小説の形で書き残し、後世で反面教師にしてもらおうとしたのかもしれない。
heart is the lonely hunter pic.twitter.com/5S9kl1cMXi— 人間失格 (@shelovesme2019) November 24, 2019
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 37 | 10620 | 287.0 | 55 |
01 | 31 | 5516 | 177.9 | 75 |
02 | 15 | 4386 | 292.4 | 216 |
03 | 15 | 1968 | 131.2 | 57 |
04 | 27 | 3197 | 118.4 | 52 |
05 | 22 | 1626 | 73.9 | 37 |
06 | 5 | 468 | 93.6 | 59 |
07 | 15 | 653 | 43.5 | 33 |
08 | 42 | 5109 | 121.6 | 27.5 |
09 | 35 | 6897 | 197.1 | 55 |
10 | 41 | 4667 | 113.8 | 40 |
11 | 143 | 10472 | 73.2 | 47 |
12 | 148 | 8435 | 57.0 | 30 |
13 | 125 | 9361 | 74.9 | 36 |
14 | 100 | 8734 | 87.3 | 44.5 |
15 | 93 | 9432 | 101.4 | 38 |
16 | 145 | 8377 | 57.8 | 32 |
17 | 85 | 13072 | 153.8 | 39 |
18 | 102 | 14145 | 138.7 | 27 |
19 | 88 | 11475 | 130.4 | 31.5 |
20 | 114 | 7186 | 63.0 | 31.5 |
21 | 125 | 12821 | 102.6 | 53 |
22 | 78 | 9526 | 122.1 | 44.5 |
23 | 65 | 5604 | 86.2 | 33 |
1日 | 1696 | 173747 | 102.4 | 38 |
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■私は強い(さらに追記した) /20191110045943(18), ■親ちゃん!いい加減にして! /20191109232634(11), ■ニーメラー in Japan 2019 /20191110121110(11), ■お気持ちの何が悪いのかわからない /20191110042231(10), ■マカーでも満足できるWindows PC教えてくれ〜2nd Season〜 /20191110124914(9), ■フェミニズムとアニメ /20191110033056(9), ■「加害性は生得的なものじゃない」 /20191110162209(8), ■今まさに希死念慮が出てるんだけど /20191110000738(7), ■ /20191110123951(6), ■anond:20191110124115 /20191110125036(6), ■事実を言われてるから怒る、痛い所突かれたから逆上する /20191110113558(6), ■個人的にフェミニストを名乗る人々が嫌いな理由 /20191110033426(6), ■モテる男を育てたい /20191110195951(5), ■笑顔でいるのに疲れた /20191110054420(5), ■ /20191110221646(5), ■増田をたぐいまれな釣り師の巣窟と見込んで頼みがあるんだが /20191110133701(5), ■ともだちがいない /20191110134931(5), ■はてなって今やただの女叩きコミュニティーじゃん /20191110151437(5), ■一部で話題の桜を見る会って合法だよな? /20191110170645(5), ■例の寿司屋 /20191110171411(5)
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これは友人関係よりも自分の趣味と信念に基づいて行動した結果だ。誰しもがこうなるとは限らないが少なくとも私はこうなった。この先もこうであるのかは分からない。
近頃過去のことが頭を何度も過ぎる。
例えば、中学校の頃仲の良かった友人の一人と音信不通で彼はどんな男だったか
私はどんな風に接していたか曖昧に脳裏を過ぎるのだ。
彼と最後にあったとき私は何か間違ったことを口走ったのだろうか。今となっては分からないことばかりが頭を過ぎる。
もしくは
高校の時私は死んだように毎日を過ごした日々だ。
あの日々は人生の休暇だったのだろうと今になって思うが、あの頃のように私はもうゆっくり過ごすことが出来ないだろうと思う。
なにかに追われてるように人生を今は過ごしている。
本当にこの行動で良いのか、将来私はより良い環境にいるのか。良い環境に居たとして後悔はないのか。
または
専門学校の慌ただしい日々の中で家族をおざなりにしながらも、自分の事に打ち込んだ日々を思い出す。
資格取得とサークル活動それにアルバイト。
毎日が忙しく、夜帰宅しても急ぐように食事を食べてはすぐに自室にこもりアニメを見たりプログラミングをしたり、動画作成をしたりと趣味に没頭していた。
そんな日々が送れたのも今となっては亡き母のお陰だったと思う。寝坊すれば起こしてもらえ、夜帰ると食事が並んでいた。
今は家に帰ると一人で朝も誰も起こしてはくれない。
毎日毎日一人だ。段々と汚れてくる部屋を見ながら部屋を掃除してくれていた母を思い出す。
何もかも任せきりだったなと今は思う。母がボソリとまたガンかもしれないと言ったときや、家でふらついた母をみても「そんな風に思うこともあるか」と思っただけだった。もっと注意深くなるべきだったのだ。
もっと早く病院に行くように言っていれば少なくとも後数年は生きれたかも知れなかった。
そんな風に昔の日々と現在を対比する。
何気ない姉弟、母、父との会話、もうそれは再びすることが出来ない。
前職を転職した際に私は選択肢を誤ったのか?
もっと給料の良い職場も選ぶことが出来た。なのにゲーム業界を選んだ。
趣味でゲームを作りつつ彼女でも探して円満な家庭を築くような選択肢もあったはずだ。
今、私は一人だ。実家ではいつも母、姉、父、祖父が居た。そして時々別居しているもうひとりの姉の旦那が面白いことを話すのだ。
そんな日々はもう来ない。
実家には父と姉だけだ。
皆が元気だった頃は家族のLineとかに愚痴などを呟いたものだが、今はとても出来ない。
姉と父ともに傷ついている。これ以上心労をかける訳にはいかない。
弱音を吐くことは許されないのだ。
だからこうして、ただつらつらと心の内をここに文章化している。
私は一人だ。
誰か助けてくれと言って何人の人が振り向くだろう。
私には大事な友人がいる。
しかし、彼らと毎日会うわけではない。月に1回会えれば良いほうだ。そして彼らには私より親密な友人が居る。
きっと私がこの場で死んだとしても気づくのは何ヶ月も後になるだろう。
私一番最初に心配するのは皮肉にも近くて遠い職場の人達だ。
彼らにとっては同僚であり、ただの赤の他人。仲間というほど私は仲がいいとも言いづらい。
私の居場所はどこにあるんだろう。
私はどこに居るんだろう。
職場では常人ように振る舞っているが、発狂しそうな心の内を良く抑えられていると我ながら思う。
ココで奇声を発したらどうなるんだろうとやりもしないことをぼんやりと考える。
本当なら行きたくもない飲み会で、あるはずもない私の内側を演出する。
そうすることで職場の人と仲良くなれるのだ。
職場の一人の人に心の距離感が遠いと言われた。
間違いではない。
しかし、飲み会のときに近く感じたと言われた。
私としては丁寧語で話している普段のほうが素なのだが、
中身を晒したかのようなテンションの高めの私は普段の素だと思われたのだろう。それは演技に過ぎない。
むしろ疲れるので素だとは思われたくはないが、そういった素のように見える場面を晒したほうが世の中うまくいく。
今、私には親身にゲームのプログラムを教えてくれる先輩なんて居ないし、
心の内をSNSに晒したところで仮初の慰めの言葉を投げかけてくれる人も居ない。
どこかで私は道を外したのだろうか。
お金も祖父の遺産があり、私は幸いながら20代後半にさしかかったばかりで時間も少なからずある。はずなのにひたすらに焦り、悲しみ、孤独が襲ってくる。
頭の中が常にぐちゃぐちゃでせめて仕事のことだけを考えようと思ったところで人の感情は中々制御できない。
こんな文章を作れる時点で私は冷静ではあると思いたい。しかし、狂っているようにも思える。
もしかしたら、冷静に狂っているのかも知れない。
段々と掛け違いのボタンの様に不自然さが極まりない。
誰もが羨むような能力が欲しい。どんなに頑張っても最先端を走っている技術者には追いつかない。社内の中では中の上だと思うが世間を見渡すと大した技術力は私にはない。ただのクズだ。
もっと技術力が欲しいと「もっと勉強が出来るようになりたいと願う受験前の中学生」と同じような気持ちが未だに心のなかにあるかのようだ。
独りは嫌だ、独りは悲しい、まぶたを腫らして泣きつく相手が欲しい。怒りをぶつける相手がほしい。
誰も悪くない誰も悪くない。もしかしたら人並みに恋愛もしたこともない私が悪いのかも知れない。
親族の愚痴を言ってる人さえ羨ましい。愚痴を言う親族は生きてるんだから。
あるはずの未来が暗くしか見えない。世間は私に何を求める。私は世間に何を求める。
未だ中学生のような思考回路の私に世間は複雑すぎて目が回る。
私はただの卑屈屋なのも知れない。私には何が何なのか、もうわからない。
そういえば、Twitterでひろゆきが「無敵の人」が増えると言っていた。
https://twitter.com/hiroyuki_ni/status/1133262577402810370
私も遠くない日に無敵の人になるのだろう。
私は美男子ではないが、恥の多い人生を送ってきた太宰治の人間失格の道化を演じる主人公のような自分に嫌気が差す。
私はダメかもしれない。
誰が見ているわけでもないと思うが自分の思いを整理するためにココに書き捨てておくことにする。
何年も入ってなかった腐女子スイッチが急に入り突如脳内で激しい妄想が広がる。
間違いなくこれは、藤原竜也がビッチで誘い受けで、ヘタレでダメンズの小栗旬を誘惑する設定に違いないと、何の映画かもわからないけど脳が勝手に結論を出す。
あーんなことやこーんなこともどんどん妄想してしまう。何年も使ってなかったけど、腐女子脳は、死んでなかった。自分でもビックリした。
脳内でめくるめく妄想がひと段落した後、一応写真の記事を見ると、人間失格という映画のワンシーンらしい。
ううむ。これは見に行くべきなのか。
大概の設定は腐女子レンズで萌えの糧とすることが可能だが(例:女癖が悪いなどはキャラのヘタレさを示す設定として大好物)、あまりにも妄想と違うと流石に気持ちが盛り上がらない。
できれば一瞬だけ二人がイチャイチャして、あとは想像にお任せします的な感じが一番妄想が捗っていいのだが、どんな感じで出てくるかも想像できない。
太宰の人間失格以外ないだろ
男性への差別や抑圧をやめましょうって話で、身近な抑圧の例としてよく上がるのが「非モテや童貞を馬鹿にする」ことだ。
そういうのをなくしていく方向だと、男性もジェンダーロールからの解放をイメージしやすいだろう、みたいな論調になる。
ぼくは35歳童貞ひきこもり精神障害二級男性だが、あれにどうも納得できない。
そりゃまあ童貞の一人として、童貞であることを馬鹿にされることはない方がいい。そこはそう。
でも、ぼくの/男の/童貞の/人間の生きづらさは、そこが核心じゃねえだろ。
童貞であることが馬鹿にされない社会がいいよね、と語られる時、ぼくはいつもそこに「童貞であることを馬鹿にしないから、君みたいなやつは童貞のまま一生寂しくいてね」という意識を感じてしまう。
ぼくが真に望んでいるのは、童貞であることを馬鹿にされない世の中より、簡単に童貞じゃなくなれる世の中なんだよ!
より正確に言えばセックスそれ自体じゃない、セックスできる人間関係が、恋愛関係が欲しいんだ! 孤独から救われたい! だから性風俗でのセックスは解決にならない! まあセックスもしたいが!
孤独への救済がないことが、ぼくの/男の/童貞の/人間の生きづらさの核心だろ。その寂しさは、孤独を馬鹿にされなくなったからって楽になるもんじゃない。
なのに馬鹿にされなくなるのが旗印になるのは、ズレているし、むしろ目くらましされているように思えてならない。
たとえば、毎日ご飯をトイレで食べている中学生くらいの子を想像してみてくれ。男でも女でもいい。
もしもぼっちが馬鹿にされなくなったら、便所メシしていたその子は教室で一人で堂々と食べれるようになるかもしれないよ。
その子が、モノを食べる時は誰にも邪魔されず自由で独りで静かで豊かで、孤独のグルメをするのが好きなタイプだったらハッピーエンドで文句なしだ。
でも、本当は人とおしゃべりしながら食べたい子については全然解決してない。
「堂々と気兼ねなく一人飯していいですよ! おめでとう!」そう言われて、曖昧な笑いを浮かべた後、窓から二列目最後尾の席で一人食べているその子が、背筋を伸ばしていそうか? 馬鹿にされるわけじゃないのに、背中を丸めていないか?(猫背が悪いわけじゃないけどね)
こういう話をすれば、「結局いつもの女をあてがえ、女を所有したいって主張か」と言われるのが予想できる。
なあ、深刻にぼくが苦しんでいる抑圧の一つは、そういう黙らせ方のほうだぞ?
実のところ童貞を馬鹿にされることなんか大した悩みじゃないんだ。というかそもそも、童貞を馬鹿にされていることなんかそんなに遭遇しないぞ。はっきりと煽られることも多くない。社会全体のうっすらした空気みたいのはあるかもしれないが、グサッとくることは滅多にない。
ぼくが苦しんでいるのは、男が寂しいし他人と繋がりたいし女性と繋がりたいという嘆きや欲求を、罪深く、知能が低く、暴力的で、非倫理的だと断罪する抑圧の方だ。
こいつは効くぜ、ネットを巡っていれば三日に一回は、明確な攻撃性を持って刺してくる言葉に出会える。
昔から、さびしい女が男を求めることは、はしたなくふしだらだと抑圧されてきた。今も続いているだろうし、そういう圧をかけてくる奴はマジでファッキューだ。だが現在、「ふしだらだと言う奴こそが抑圧者だ」という反論も耳を傾けられるようになってきた。
一方さびしい男が女を求めることは、過去には男の甲斐性などと過剰に称揚されてきたが、現在は暴力的だ支配的だと断罪され、抑圧されるようになってきた。そして、「関係欲求の暴力性を強調する奴こそが抑圧者だ」という反論は、ほぼ聞く耳を持たれていない。
ぼくが苦しいのはこっちの方なんだよ!
「女に手を出さないヒョロ男は男性失格」から解放されそうだと思ったら、「女に手を出すキモ男は人間失格」になってるじゃん! 極端から極端かよ!
だいたい、女を所有するとか女に手を出すとかって言われやすいのがおかしいよな。現代において人間関係は相互の結びつきなんだから、互いに手を伸ばし合って握り合うもんじゃん。
ぼくはその相互関係を求めてるのに、一方的な所有をしたがってるのだと言われるのは心外だ。
それに男から手を伸ばす行為はちょっとでも不手際があると怖いとか暴力的だとかイタいとかキモいとか言われる。
真面目で丁寧なメールのつもりが長すぎてキモいロミオメールになったり、4℃をプレゼントしたりサイゼで食事したり、気さくなやりとりのつもりがおじさんLINEと言われたり、タイミングの変な告白が告ハラと責められたり、鼻の下を伸ばしたり、胸やお尻を見ちゃったり、英字Tシャツ着てたり、OKな下ネタとNGな下ネタのラインを見誤ったり……それくらいの失敗するだろ。もちろん殴ったり怒鳴ったり痴漢したら通報されるべきだけど、恋愛慣れしてない色気づいた男の不手際レベルのものをそこまで揶揄して、恐怖感を与える迷惑行為とまで断罪してたら、ただでさえ自信なくやってんのに萎縮して手を伸ばせなくなる。
そして動けなくなったぼくに言うんだ、「待ってるだけだからダメなんだ」「施してもらえると思ってるんだね」「受身で奉仕してもらう関係を望んでるみたいだけど、それが相手を所有したいってことだよ」。
こう論じていけばわかるかもしれないが、揶揄されて本当に辛いのは、童貞への揶揄じゃなく、臭くて常識がなくて外見や服装が悪くて無神経で会話が下手で不快でキモいことへの揶揄と抑圧だ。
それによって自尊心が削られ、動けなくなり、人と関われなくなる。童貞維持はその関われなくなった結果に過ぎない。
たとえばオタクは臭いと言われるけど、あれはオタクへの抑圧というより、臭い人間への抑圧だと思うし、それがキツい。
自臭症患者が増えるのも納得ですよ。
毎日風呂に入れ、デオドラントコントロールしろ、小奇麗な服を着ろ、美容室に行け眉を整えろ、ちゃんと人と会話しろ、常識を持て、思いやりを持て、価値観をアップデートしろ、老害になるな。
そういうのができない奴は、馬鹿にされても抑圧されても当然だ、キモくて不快なんだよ、迷惑だから人と関わるな一生孤独でいろ。
おいおいおい、おいおいおいおいマジかよ。そんな残酷なこと言っちゃうかよ。
この手の毎日マメに心身を整える営みがクソ苦手な人間が少なからずいるってのにな。
童貞は人と関わるななんて言われたことはないが、こっちは毎日のように目にするぞ。男に対しても女に対しても言われる。男からも女からも言われる。
さらにヤバいのは、この不快な人間への抑圧というのは、「君みたいなやつは童貞のまま一生寂しくいてね」に簡単に繋がるってことだ。
「増田君、クサくてブサくてキモくて会話通じないよね。君みたいな人って不快なんだよね。不快だから人と関わらないでほしいんだよね。人と関わらないでほしいからもちろん女の人とも関わるべきじゃなくて、非モテで童貞のままだろうね。童貞って要素を馬鹿にするのは止めるから、その孤独は受け入れてお行儀よく独りで対処してね。これはみんなの幸福のためだから抑圧じゃないよ」
だがその叫びは、きっと迷惑だと怒られ、耳を傾けてくれる人は少ない気がしている。
私も毎日マメに心身を整える営みがクソ苦手なんですけど、スネ毛も脇毛も剃らずに髪ボサボサのまま話しかけてもいいですか? たぶん嫌だと思うんだけど。
こういうブコメがついた。
いいですか? という問いに対しては、いいですよ、と答える。
いきなり体験談を語るが、ぼくは以前、髪がほつれ気味で70年代みたいな花柄の模様の目立つ、くたびれたヒッピーみたいな女の人に話しかけられたことがある。
いきなりでびっくりしたけれど、何やかんや世間話をして、実はバス代がなくて貸してほしいと言われた。
なんとなく雰囲気が変わっていて話すのが楽しかったので、もちろんいいですよ、と400円を渡した。
あとでこれを他人に言ったら、典型的な寸借詐欺じゃんと言われたので多少ショックだった。
でもぼくはあの女の人をあの時気に入っていたのだ。
話が長くなったが、ぼくは好意のない相手とは手袋越しの握手すら嫌だが、好意を持つ相手であれば三日ほど風呂にも入らず作業してる最中に居眠りして口から垂れそうな涎を素手で受け止めることもできる。
あなたがオシャレかどうかとか、清潔か否かは、気に入るかどうかを左右する一要素でしかないので、ネット越しでもリアルでも実際に交流しないと気に入るかはわからない。
そのためにはぼくがここで連絡先を公開するべきだが、申し訳ないが、それをする勇気はない。
なぜならこんな、世の中から怒られるだろう記事を書いた上で名を明かすのはあまりにリスキーだからだ。
そもそもこの記事を匿名ダイアリーに書いたのは、記名でこういう話をしたら面倒で厄介でキモくてクサくて女をあてがわれたがってる奴、と思われて、しょっちゅうネットで議論してるような人たち以外の普通のネットユーザーとは関係がブツブツ切れると容易に予想できるからだ。
記名でするのが躊躇われるくらい、こういう訴えや吐露は、すべきでないものとして扱われている。
「その悩みは君自身がそれを『悩むべき欠点である』『~でなければならない』として自分を縛ってるからだよ」式のカウンター、最強カードの割に言われた側にプラスになることがほぼないから禁止にしたほうよくない?
将来の夢も、性的対象が同性だったり異性だったりも、孤独も、生活水準も、作業能力も、社会からの評価も、全部気の持ちようで自分を解放すれば現状に満足できるんだよ~みたいなの、そんなん言われましても大体の人は深い疲労感と共に黙るしかできませんぜ。
特に「性的愛情のある関係が欲しいが同性愛は無理」に「それはホモフォビア。同性同士で支え合えばいいじゃん」っていうの、ビアンやゲイに「異性愛でいいじゃん」っていうようなもんだよ。
2019/8/13 朝 追記
またモテない女がいないことにされてる、という反応もあった。
ぼくが童貞だから、処女について踏み込んだことを言うのは腰が引けて、積極的には語れなかった。
ただ、「孤独への救済がないことが、ぼくの/男の/童貞の/人間の生きづらさの核心だろ」と書いたことや、便所飯をする子供のたとえで性別を限定しなかった辺りが、一応、モテない女への目配せであった。
伝わりづらかったようなので、男でも女でもいい、など多少加筆しといた。
童貞の男ではなく、孤独な人間が苦しいのだ、というのがこの記事の要点である。
その上で、実感を持って語れる、男性である故に孤独から脱出しづらくなっている具体例について多めに書いたけど、そこはまあ許してほしい。
でもぼくの/男の/童貞の/人間の、の辺りに主語がデカすぎるとも言われてるので、どうしろってのよ~って感じ。
実は、以前にも孤独と童貞について書いてブクマが集まったことがあるのだが、それぞれ書いたのが2014~5年(再投稿2017)と、2017年だった。
そして、二年後にまた報告してくれというコメに星がついていた。
この記事はそれをすっかり忘れて書いたものだが、不意に思い出した上に時期的に合っているのでトラバしておく。
ただ、今では考え方の違う部分もあるので、この記事の意図が過去と同じだと読解するのはやめてほしい。
それにしてもぼくは二年毎に孤独に耐え兼ね吐き出したくなるのだろうか? いや、静かに埋もれた記事もあるので、そういうわけでもないな。