人間失格の始まりの句だけど、
恥ずかしい人生を送ってきたのではなく、恥の多い人生を送ってきた、というところに、主観ではなく客観的に自分を見下ろしているようなところがある。
本人が恥ずかしいと言うと、どんな事柄でも大概は自己中心的なものの見方をする人になってしまう。恥は他人があってこその恥なので、他人の思いを意識するのではなく、自分がどう思われているかを気にしてしまっているから。
それに対し、恥が多いように思われる人生を送ってきた、と言うと、他人から見て恥ずかしい人間と言ってるようになり、それは他人の思いを無視した自分の気持ちではなくなる。
そこに、この人間失格の本質があるように思ったのでメモとして残しておく。
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