恥の多い生涯を送ってきました。
と書き出してみても、実際のところわからないのです。
構造として理解することはできても、感情として理解することができないのです。
恥ずかしくないのです。
私は自分の人生が恥ずべきものである、という感覚を持つこともなく、今まで生きたのです。
思えば、自分は恵まれた人間でした。異性同性問わず、他人に受け入れられないという経験をすることがありませんでした。自分を磨くという努力をした経験もありません。また、他人に受け入れてもらうために、無償で尽くす、という経験をした記憶もないのです。
他人を思いやることのできない自分の傲慢さ、コントロールすることができない自我、がさつな性格、配慮にかけた言動。
それゆえに数多くの人を傷つけて生きてきたという現実に、気付かなかったわけではないのです。気づいてもなお、無視してきたのです。忘れてしまうことができるのです。
それで今まで生きてこれたのです。困りもせず、悩みもせず、振り返ることもなく、改善をするでもなく。
悪意をもって、他人に不親切にしたこともありません。意地悪さえないのです。
それが自分だと思っていました。自分にとって、その日その日を生きるという選択だと思っていました。自分が困らないのだから、それが正しいと思っていました。その日その日を正しく生きていると。
しかし、人に言わせると、それは失敗なのです。それは誤った生き方なのだと。
その時その時に自分が良かれと思って選択してきたもの、ほとんど全てが、失敗だというのです。恥ずべきことであるというのです。何があっても気にしない。失敗しても気にしない。それは、進歩がないというのです。
私は、自分の失敗を失敗と思いませんでした。気にせずいられるのです。
どんなに他人を傷つけても、どんなに自分が傷ついた気になっても、
眠れないなんてことがないのです。
悩むことがないのです。
困ることがないのです。
いや、それは理解しているのです。だけど、恥ずかしくないのです。
この状況を回避するために、何かを変えようと思えないのです。
全部私が悪いのでしょうか。
私にとって、自分は、とても素直で、よく気が利いて、悩みもせず、前を向いて生きてきたいい子だと思うのですが。