はてなキーワード: コントロールされているとは
前回までのセックスしながら走れドスケベメロスは……
「卑猥(きれい)な衣裳も買って来た。さあ、これから行って、スケベ村の人たちに知らせて来い。猥褻結婚式は、あすだと。」
「私はマンコホジリンティウスJr、こっちは弟のマンコホジクリンティウス。」
「ちんぽ。」
ドスケベメロスは笑って発情奴隷も一緒にスケベ村人たちにもアクメ会釈して、破廉恥宴席からエロ立ち去り、淫乱羊小屋にもぐり込んで、アクメ死んだように深く眠った。眠っている間にも局部ボーボー発情奴隷は「何を食べたらこんな陰毛が生えるのか。」と言いたくなるようなモッジャモジャの陰毛をモッサモサに揺らしながらドスケベメロスとセックスしていた。
スケベな眼がセクシーに覚めたのは翌る淫靡極まり無い日のエロスとカオスとリビドー渦巻く薄明の頃である。ドスケベメロスは百万回デスアクメした発情猫のようにセクシー跳ね起き、スケベ南無三、アクメ寝過したか、いや、まだまだ卑猥(だいじょうぶ)、これからすぐにスケベ出発すれば、えっちな約束のセックス刻限までには十分間に合う。きょうは是非とも、あの全ての性器が無敵のえちえちなイケオジ王、つまり全性器無敵えちえちイケオジ王に、スケベ人のスケベ信実のスケベ存するところをスケベ視姦(み)せてやろう。そうしてアクメ笑ってえろえろ磔のむらむら台にエロ上ってやる。ドスケベメロスは、スケベ悠々とエロ身仕度をはじめた。そして先程跳ね起きた衝撃で陰毛ジャングル発情奴隷は子宮がゲリラアクメしてしまい、そのアクメ衝撃でスケベ記憶をエロ忘れドスケベメロスにめろめろでしゅきしゅきぴゅーなただの雌穴になった。昨日よりも激しくいやらしくクソスケベに腰を降るのでドスケベメロスはうっかり2㍑射精してしまった。感度3000倍の媚薬が溶け込んだ雨、その名も感度3000倍媚薬雨も、いくぶん小降りになっている様子である。まるでスケベ老人の射精のようである。エロ身仕度はスケベ出来た。さて、ドスケベメロスは、ぶるんとセクシーな両腕と発情奴隷の尻毛か陰毛かの区別のつかない剛毛が激しく自己主張するクソスケベな尻を大きくエロ振って、感度3000倍媚薬雨中、ドエロ矢(アロー)の如くセックスしながら走り出た。
私は、今宵、アクメ殺される。アクメ殺される為にセックスしながら走るのだ。スケベ身代りの穴友をアクメ救う為にセックスしながら走るのだ。えちえち王の猥褻奸佞邪智(わいせつかんねいじゃち)を打ち破る為にセックスしながら走るのだ。セックスしながら走らなければならぬ。そうして、私はアクメ殺される。セクシー若いエロ時(ジェネレーション)からえっち名誉をむちむち守れ。さらば、クソスケベなふるさと。若いドスケベメロスは、淫乱羊に射精コントロールされている時くらいつらかった。幾度か、アクメ立ちどまりそうになった。えい、えいと大声挙げて自身を叱りながら発情奴隷の乳首を噛んで走った。スケベ村をエロ出て、猥褻野(フィールド)をエロ横切り、淫乱森をエロくぐり抜け、迷いセックスエイリアンにワガママなアナルをエロ差し出し、隣スケベ村に着いた頃には、感度3000倍媚薬雨も止み、セクシー日(サン)はエロ高くシコ昇って、そろそろセクシー暑くなって来た。ドスケベメロスは額のえっちな汗をセクシーと言うにはあまりにも卑猥なこぶしでエロ払い、発情奴隷のジャングルの奥底に隠された秘境のようなクリトリスをエロつねり、ここまで来れば卑猥(だいじょうぶ)、もはやスケベ故郷への未練は無い。美っ痴妹たちは、きっと佳いスケベ夫婦になるだろう。私には、いま、なんの気がかりエロスも無い筈だ。まっすぐにえちえちセックス王城に行きアクメ着けば、それでよいのだ。そんなに急ぐ必要も無い。ゆっくり歩こう、と持ちまえの猥褻(のんき)さを取り返し、好きなエロ小歌を卑猥(い)いセクシー声で歌い出した。
♪アクメの声が聞こえてクるよ
♪おごぉ♡おぽぉ♡おぐぅ♡おげぇ♡
♪ぽご♡うげ♡あへ♡あへ♡ぴぃっぴっぴっぎひひひぃぃぎぃぃぃぃいいいい♡
ぶらぶらセックスしながら歩いて二里行き三里行き、そろそろ全セックス里程のエロ半ばにエロ到達した頃、ドエロ降ってドエロ湧いたドエロ災難、ドスケベメロスのセクシー過ぎて最早淫乱なスケベ足は、はたと、エロとまった。視姦(み)よ、前方の感度3000倍の媚薬の原液が流れる川、その名前感度3000倍媚薬原液川を。きのうの媚薬豪雨でセックス山の媚薬水源地は氾濫し、媚薬濁流滔々(びやくだくりゅうとうとう)と下流に集り、むちむち猛勢一挙にチンポの形をした橋、その名もチンポ橋をしこしこ破壊し、どすけべうどすけべうと響きをあげる媚薬激流が、木葉微塵にチンポ橋桁を跳ね飛ばしていた。彼は茫然と、エロ立ちすくんだ。発情奴隷はお構いなしに腰を振ってアクメしている。あちこちと視姦(なが)めまわし、また、セクシー声を限りにえっちに呼びたててみたが、繋舟(けいしゅう)は残らず媚薬浪に浚(さら)われて影なく、淫乱渡守りの姿も視姦(み)えない。媚薬流れはいよいよ、えっちにふくれ上り、媚薬海のようになっている。ドスケベメロスは媚薬川岸にうずくまり、助平男泣きに泣きながらドスケベゼウスに手を挙げて哀願した。発情奴隷はセックスに夢中だった。「ああ、エロ鎮めたまえ、荒れ狂う流れを! エロ時(タイム)は刻々に過ぎて行きます。スケベ太陽も既にえっちな真昼時です。あれが沈んでしまわぬうちに、えちえちセックス王城に行き着くことがスケベ出来なかったら、あの佳い穴友達が、私のためにアクメ死ぬのです。ぷみゅぅ♡」
媚薬濁流は、ドスケベメロスの叫びと射精のアクメ声をせせら笑う如く、ますます激しく躍り狂う。媚薬浪は媚薬浪を呑み、エロ捲き、エロ煽り立て、そうしてエロ時(タイム)は、刻一刻と消えてイく。今はドスケベメロスも覚悟の射精をした。セクシーに泳ぎ切るより他に無い。ああ、変態神々も視姦(しょうらん)あれ! 媚薬濁流にもスケベ負けぬえろえろ愛とえちえち誠の偉大なスケベ力を、いまこそエロ発揮して視姦(み)せる。ドスケベメロスは、ざんぶくちゅくちゅじゅんっと媚薬の流れにエロ飛び込み、百匹のえろえろ大蛇のようにのた打ち荒れ狂う媚薬浪を相手に、必死の闘争(セックス)を開始した。満身の力をセクシーな腕にこめて、発情奴隷とセックスしながら、押し寄せ渦巻き引きずる媚薬の流れを、なんのこれしきとアクメ掻きわけアクメ掻きわけ、あくめくらあくめっぽう獅子奮迅連続絶頂のスケベ人の子のエロ姿には、変態神もエロ哀れと思ったか、ついにエロ憐愍(れんびん)をスケベ垂れてくれた。えっちに押し流されつつも、視姦事(みごと)、対岸の媚薬樹木のエロ幹に、セクシーにすがりつく事がエロ出来たのである。卑猥(ありがたい)。ドスケベメロスは淫乱馬のように大きな胴震いを一つして、すぐにまた先きをエロ急いだ。またもその衝撃で発情奴隷は特大ゲリラアクメをして、エロ記憶をエロ取り戻した。しかし、一度知ってしまった快楽は忘れられず、バイオ性玩具化一歩手前であった。一セックス刻といえども、むだにはエロ出来ない。セクシー陽(サン)は既に西にエロ傾きかけている。ぜいぜい荒い呼吸をしながら峠をセックスしながらのぼり、のぼり切って、ほっとした時、突然、目の前に一隊のガンギマリアクメしているのがガンギマリアクメしているガンギマリアクメ猫でもわかるくらいにガンギマリアクメしているガンギマリアクメ女山賊がガンギマリアクメしながら躍り出た。
◯どうも脇見せ、ヘソ出し、胸強調で性的アピール、だけど顔やら声音は幼女、という面妖なキャラクターである
キズナアイが歪んだ性的なファンタスムであることは、やはりなかなか否定し難いと見え、
そこで新たな論法として
「キズナアイは人格を有する。人格を有するものが自己決定においてエロい服を
着ているのだから、フェミニストであれ誰であれ文句をいう筋合いはない」
という論法で批判を回避しようとすることにオタク界隈ではなった模様である。
■ごくごく個人的な、キズナアイが巻き込まれた騒動のまとめhttps://anond.hatelabo.jp/20181012051234
◯人格の存在については「キズナは言ってみればデーモン小暮と一緒でコスチューム、キャラなんだ。デーモン小暮に人格が認められると言えるのと同様の意味でキズナアイにも人格があるんだ」ということらしい。
果たしてこの考えは正しいのだろうか?
◯コスチューム、キャラだという論であるからして、デーモン小暮のコスチュームを脱いだ本人(以下、小暮何某とする)に対応するものはキズナアイにおいては、声を担当したりモーションを担当したりする俳優がそれにあたるものと考えられる。(オタク界隈では「中の人」というらしく以下、中の人と呼ぶ)。デーモン小暮を小暮何某と同一視し、人格ありと見なし得るように、キズナアイと中の人を同一視できるか。その両者を比較してみたい。
デーモン小暮というキャラクターは小暮何某が芸能活動上、デーモン小暮というキャラクター、つまりは芸名、ルックス、その他設定をつくり、本人がそれに成りきっており、デーモン小暮は本人の意思により100%コントロールされている。つまり小暮何某の人格による創造、そしてそれによる自己アピールがデーモン小暮である
一方キズナアイについてはどうだろうか?
キズナアイというキャラクターは運営会社が運営しているものであり、そもそもキャラクターを作ってビジネスしようとの発案、キズナアイとの名称、外見、設定などは運営会社がオタク向けマーケティングの産物として創造したものであって、中の人の意思による創案では全く無い。中の人の創造性と無関係のところでキズナアイは成立している。むしろキズナアイの声音はどういうものが適当か?との運営会社の考えのもと、オーディションで俳優を選んでキズナアイにあてがった訳で中の人というのはここではただの部品でしかないとすら言える
この通り人格の自己決定による自己アピールの側面においては両者は完全に違うものであると言えるだろう
◯次にやはり大きく人格の発露とみなせるキャラクターの行動発言はどうだろうか?
デーモン小暮が例えばワイドショーなどに呼ばれ、何かのニュースについてコメントを求められた場合、それについて意見を述べるのは100%小暮何某それ自身である。完全に同一物なのだから至極当然にそうである。
一方キズナアイについては、運営会社が運営しているキャラクターであるからして、その発言は運営会社の意図、運営目的にそう台本を運営会社が用意するだろう。中の人はそれに沿って演じることになる。つまり意見は運営会社のものである。(念のため、演技であるだろうからアドリブの要素はおそらく入るだろうが、その場合も運営会社の考える発言趣旨、イメージ戦略その他会社のコントロールしたいものから逸脱すればやり直しになるであろうことから、中の人の独自の意見が運営会社から無検閲でキズナアイの意見となることは有り得まい)
この違いは実はものすごく大きく、デーモン、キズナ両者が仮に社会的に不適切な発言をした場合にそれは露わになる。デーモンの場合不適切との責めは至極当然に同一人物である小暮何某本人に向けられ本人が社会的な制裁を受けることになるが、キズナの場合は中の人が責めを負うことはすでに述べた仕組みからして有り得ないだろう。通常の意味において、つまり知的、精神的に障がいを負っている等の特殊な事情を除けば、一般には人格というもの存在は、何かの責めをそこに帰責できるかということに大きく依るのではないだろうか。
◯以上、二点検討した通り、デーモン小暮に人格がある、ということと同じ意味においてキズナアイに人格がある、ということは全く言い得ない。キズナアイの中の人は単にキズナアイの声音を発音する部品に過ぎまい。
◯ここまで長々書いたのはごく常識的な話で常識人には、わかっとるわい、という話に過ぎないだろうが、オタク諸君の間ではそうではなく、キズナ=デーモン説が罷り通っているようなので、態々説明した次第である。
※増田より、救急車が出るレベルだという補足がありました。それであれば、その風習は何らかの改善か、廃止も必要だと思います。以下は「怪我や暴力は無かったけど、怖かったし理不尽だった」筆者の高校の話と、大学生になってからの解釈です。
(ここから)
予防接種が痛かった、とか獅子舞に噛まれて怖かった、に近い話。
※最下部に「体育会系」と何が違うのか、如何ににメジャーなイベントか、を追記しました。
https://anond.hatelabo.jp/20180527212910
私も埼玉県の某校で同様の体験をしており、体験直後には増田と同じことを思いました。
が、これが「興奮した当事者」と「何も知らない部外者」によって考察なく語られることに危険を感じたので書きます。
※筆者はこの風習を肯定的に評価していますが、「ネトウヨ」「セクハラ」「体育会系」は嫌悪しております。あしからず。
⇒誰しもドッキリの直後には怒りを覚える。筆者の義憤は間違っていない。
⇒しかし仕掛ける側は、このお化け屋敷は安全で、後々は楽しい思い出になることを知っている。
⇒経験者の大半は、この風習は負の連鎖ではなく、正の連鎖と思ってる。だから続いている。
⇒1週間、おそくとも1年後には、この筆者も仕掛ける側を楽しんでいる。それでいい。
◎お化け屋敷は巧妙にコントロールされている
⇒こういうのが苦手な子は、事前に中学校の先生から高校の先生に申し送りが言っていて、個別にネタバレがされているか、当日こっそり欠席している。
⇒主催側(応援団、生徒会等)にも、「N組の●●君にはやらないで」や、「M組の彼はお兄さんから聞いてるからサクラができる」という情報が回っている。
⇒数年に一度、これらのセーフティーネットから漏れる子もいる。そこについては心から謝罪し、救済を行わなければならない。
⇒この風習の隠れたカリキュラムは「お化け屋敷は陳腐な作り物で、お化けはいない」と学習することだ。
⇒一方、カルトや軍隊やブラック企業のやってることは、実際の存在が見えない「お化け(敵国、弱い自分、無収入の恐怖)を倒せ」であり、アトラクションを本物と騙し続けることだ。
⇒(ちなみに表のカリキュラムは極限状態の共有による仲間意識の醸成と集団への歓迎だ。ここは軍隊と共通している)
⇒これを体験した大半の生徒たちは、次に出会った「お化け」に対して、「ただのお化け屋敷かも?」と疑うことができる。
⇒この感覚は、カルトやブラック企業の洗脳に対する強力なワクチンである。
⇒ワクチンなので、副反応が出てしまう生徒もいる。ここに対する振る舞いは、確かに難しい。
⇒なので、いわゆるリベ・サヨの人は少しこの風習に対して寛容になってほしい。
⇒風習の最中に、感情が「恐怖」から「怒り」に遷移した時点で彼は被害者ではない。ことに、みんな気付いた?
⇒(まあ強いて言えば、大きい声出させられ晒されたことは被害といえなくもないが・・・)
⇒彼の、恐怖を感じるかもしれない同級生や将来の後輩のための義憤は間違いではない。
⇒が、果たして半年後も同じ感想だろうか。いまの感情のままネットで突っ走るのが正解か。
◎部外者は黙っていてほしい
⇒客観的に見れば明らかに蛮習であることは2,3年生もOBOGも先生も、みんな分かっている。
⇒なんなら地域の人も割と知ってる。
⇒が、その上でなお、それにプラスの価値を感じているから続いている。
◎まとめ
・これは、「安全に」「犯罪性がなく」「コントロールされた」極限状態を未成年のうちに体験させるイベントだ。
・このイベントはワクチンであり、ブラック企業の研修やカルトの洗脳を「鼻で笑いながら脱出できる」耐性を獲得できる。
・一見、軍隊的なものであるが、しかし実は強烈な皮肉として機能しているので、リベサヨは少し冷静に。
・この隠れたカリキュラムに気づけるのは、体験した者だけで、しかもしばらく時間をおかなければいけない。
◎その他
・これを体験したのは各県の名門校出身の証明だから、大学とか社会に出たときには共通の話題になるよ。
・むかしは1週間これをやる、って感じだったから、実はかなり現代風にライトにはなってきてるよ。
・大学で「異様な飲み会」とかに出くわしたとき、雰囲気に飲まれて被害者になってるのは、これを体験してない人たちだよ。
・「こんな体験しなくても、口で説明すればいいじゃん」という人とは議論をする気はないよ。そう賢くないのが人間だと思うよ。
・お祭りなどのコントロールされた汚れ、がこの世から減ってると思う。それで、カルトやブラック企業など、ホントの汚れに出会ったとき、逃げ出せるのかな。
(追記部分)
・「体育会系」の関係は、「上下関係が、法・正義・実力よりも優先される理不尽な世界」が、在学中はもちろん、卒業後も延々強要されるものです。
・この「異常な風習」は、入学後の1日(1週間)だけの通過イベントで、その後の関係性は1~3年生までフラットに「同窓生」です。
⇒なぜなら、仲間を迎え入れるための儀式・儀礼であり、上下関係を植え付けることが目的ではないからです。
・「バンカラ 応援歌」等で検索してください。NHKは映像が出てこないので、地元放送局か何かのをご参考に。(https://youtu.be/3MUCktbO0uQ)
統合失調症がちな知人が何人かいて、実在しない"彼氏"についての言及をSNS上で見かけることがしばしばある。
「彼氏とゲーセンに行ってきてこのヌイグルミをとってもらった」といって写真をアップ。
「今日は飲み会だったんだけど、一緒に住んでる彼氏が寂しがるからすぐに帰らなきゃ!」という発言をしているけれど、
彼女と生活圏を共有している友人の中で、その彼氏の存在を実際に見たり、認知した人は存在していない。
そういう発言をする女性は、TPOをわきまえず自分の話をバーッとしてしまったり、人の話を傾聴する意識が皆無だったり、仕事を急に辞めてしまったり、感情のコントロールが難しく、態度を豹変して攻撃的な態度をとったり、運転事故を起こす回数が多かったり、ちょっとパーソナリティが厳しい部分もあり、
理想と現実が混同している世界に生きているんだろう。あるいは現実の把握が少し難しい世界に生きているのかもしれない。という意識で共通の知人たちは近づきもせず、彼女達を遠巻きに見ながらなんとなくスルーして過ごしている。
facebook上で「彼氏にこれをプレゼントしたい」「彼氏のこんなところが好き」アピールを毎日している。それについては少なからずモヤっとしているのだが、虚実を問わず内面的な世界の幸せ満開は結構。
その知人の女性を私は好ましく思ってもいないが、嫌ってもいない。
人様の容姿について言うのはアレだが、彼女は決して美人ではない。美人かどうかは実際にはどうでもいい事だとおもっているのだが、爪がボロボロで汚かったり、普段は寝癖を放置して出社したり、メイクをすると頻繁に自撮りをアップしたり、新しく買った下着を着た写真を共通の男性友人に送りつけたり、素のままを認めて欲しい気持ちと、それでも可愛いと言われたい気持ちのせめぎあいを感じてしまい、客観性と自己愛のバランスが悪いとは思っている。
読む人が読めば個人が特定できてしまう悪口や、他人が知りえないプライベートな事を書いたり、男子校出身者は〇〇、東大卒の男じゃないと付き合いたくない、などブランド的な発言をしたりもするが、過激さは刺激としては面白い部分もあり、彼女の行き過ぎた発言もひとつの芸だと感じている。
彼女に関して、友人知人が「あんな女と付き合う男の気が知れない」「もうあの人との付き合いはやめた」
などと言われるたびに私自身がなぜか深く傷ついてしまっている。
私が彼女を嫌いでないように、彼女もどうやら私の事はまあまあ好きな存在として関わってくれているとは思う。
話の詳細から、その彼氏なる人物が存在する確率は五分五分だと思っているのだが、
イベントや人が集まる所へ集まる彼女はいつもソロで現れ、行動を共にしている所をだれも見ていない。
「彼氏にこれをプレゼントしたい」「彼氏にこれを買ってあげた」「この本を貸してあげた」等、品物を贈与する記事を連投している。
現在の彼女は、彼氏ができてお花畑状態なのかもしれないが、どうも度を超えて彼氏に金品の贈与を繰り返しているように思う。
ずっと前にいた彼氏とは一緒にいる自撮りをいつもアップしていたけれど、今回はそれもなく、人にどう思われようが奔放に振る舞う"これまでの彼女"とは違う。誰か知らない人にコントロールされているような気配を私は感じている。
大きなお世話だとは思うが、知人レベルの遠いつながりであっても、金銭的な詐欺や搾取に面しているかもしれない人に対してどのような対処をすべきか考えあぐねてここに書いた。
彼女のために私から何か発言をすべきかどうか、判断がつきかねないのでここに書いた。
(文頭の統合失調症がちな、という発言は非常に差別的な発言だとおもうが、上に挙げた女性達は皆、実際に病名の診断を受けていたり、実際に社会生活において問題を抱えており、家族や友人から通院をしてほしいなどの要望があるにもかかわらず、通院を拒否している上で私が接した人々、というごくわずかなエピソードについて指しています。気分を害された方はご容赦ください。)
男兄弟を育ててきたから、娘ができて嬉しい、本当の親子のようになりたいと言ってくれた。
自分が病弱で寂しい思いをさせて、子供達に申し訳ないと言っていた。
私の至らないところを、裏を返せば長所だと褒めてくれた。
けれど、私の心が歪んでいるのだろうか。
義母の言葉は、配慮は、他人のためを謳いながら、最終的にすべて義母の思うままの結果になる。
義母の提案は、皆が幸せになる結果を導きだすとわかっているから、義実家は諸手を挙げて賛成する。
全てをコントロールされている気持ちになって、言いようのない居心地の悪さを感じる。
そして義母の好意をこんな風に捉えてしまう自分に罪悪感を覚える。
私はやっていけるだろうか。
とある事情で、半年前から比べてテストステロン、つまり男性ホルモンが10分の1程度になった。女性におけるテストステロンの標準値とほとんど同じ。半年前と最近とでは、性欲に対する感情がはっきり違うことを、ずっと思っていた。もちろん、ホルモンの値が下がったからいって本当の女性の感覚が分かるというわけではないので、ちょっとしたお話ということで。
男性ホルモンが優位だった頃、性欲は支配的だった。一瞬でもしたいという気持ちが浮かべば、たとえ一時的にかき消せたとしても、数時間、1日と時間が経つごとに気持ちが堆積され増幅される。
そして、結局は近いうちに対処することになる。オナ禁を頑張るといった記事がまとめで流れるぐらい、それは難しい行為だし、結局は欲との戦いになるのである。他の人に直接聞いたことなんかないのでわからないが、多くの男性はそうだと思う。
今は、まったくの逆。気持ちが一瞬湧いてきても、面倒臭いからいいや、と投げ出すことができるし、次の日になればあっさり忘れている。むしろ気持ちが湧くこと自体がまずなく、積極的な気持ちで意識的に取りに行ってようやくそういう気持ちになるのであって、コントロールというのは大変容易い。欲から完全に自由なのだ。
こんな体験から、多くの男女が元の性別通りの人生を歩んでいるとして、多くの男性は性欲のコントロールを、一時的に我慢してその時間をずらすことだと考えているだろうし、多くの女性はそれを、頭でコントロールして抑えてやめればいい、と考えてるのではないか、と思った。
気持ちが消えて無くなるのと、我慢して時間をずらすというのではまったく意味が違うし、前提も違う。
---
余談。
改めて思ったのは、男性の性欲というのはホルモンによってコントロールされていることだ。女性がホルモンバランスが崩れてイライラしたり、怒りっぽくなったりするのと同じように、男性もまたコントロールできないホルモンによって振り回されている。不随意に起きるホルモンの放出によって考え方までコントロールされているすら感じている。
だから、男性がいろいろな場面でえっちな気持ちになるのはほんとうに当たり前で、性欲の強さと自分の人格を紐づけて考え込む必要はない。もちろん他人に迷惑をかけないよう、きちんと社会性を持って「コントロール」してくことが大切だ。逆に、社会での男性の紳士的な対応に甘えてはいけない。男性は、本人がそう思いたくないと思っていても、いつでもそういう気持ちに捕まえられてしまう。だからこそ、客観的に省みて節度を持って行動して欲しい。
---
このように、男女の感じ方の差は大きいと思う。大人向けのものが議論されているときに感じた、男女での主張の違いの違和感はこれなんじゃないかと思っている。個人的には、男性向けの大人向けの絵は本当に汚いと感覚的には感じる。さらにそれが生活に不可欠だという実感がないため、男性の主張は女性に相当理解されにくい状況にあると思う。
一般的に広告は、売りたい対象の良いところのみを伝え余り良くないところは伝えたくない、という意図のもとにつくられることが多いです。売りたいので当たり前の行動ですね。
この行動原則に則ると、一般的には、売りたい人と買おうと考えている人の間には情報量に差が発生します。売りたい人が持つ情報量の方が多い状態になりやすい。情報の非対称性という言葉を聞いたことがあるかと思いますが、まぁだいたいすごく雑に言えばこんな感じです。
一方で私たち消費者もバカではありませんので、広告=売りたい人が出しているのだから不都合な情報をなるべく出さないようにしてる可能性があるよね、という共通認識があります。なので、例えば「これは広告ですよー」と明記することで、先に申し上げた情報の非対称性はある程度は解消される可能性が高い。「これは広告です」という表記は実は割と濃い情報を持っています。
それと同時に私たちは、そのような商品の情報が「報道的」であれば、より真実に近い客観的な密度の濃い情報である、と考えやすいという傾向を持っています。
消費者は、販売者のあの手この手の広告によるなだめすかしをすりぬけつつ、その商品は自分にとって必要性が高いかどうかを判断します。広告はその判断材料の一つでもある重要な情報源のひとつですが、それ以外にも情報を消費者に届ける方法はあります。
それがいわゆる記事広告、PR記事などです。あとクチコミサイトなんかもこれにあたりますが、某べログなどがクチコミデータの改ざんをやったりやらなかったり、問題になっていたりしますし、少し前に大騒ぎになったDeNAのWELQ問題なども、問題の質はまったく異なりますが構造は似ています。
「広告」であることが明確なら、受け取り手は「都合の悪いことがあらわされてない可能性があるな」という心構えで対峙できますが、まるで広告じゃないようなフリをしていると、報道的に(真実味をもって)、その実は金を出している販売者側に有利になる恣意的な情報のみを発信する、ということが起こりやすくなる。
恣意的な情報によって都合よくコントロールされている可能性があるという状態は、市場原理主義的に考えると「悪意の手心を加えられた状態」の市場となっている可能性が高い、というのが、PR表記問題の本質です。
嫌儲的な発想とは似ている、でもちょっと違う。他人が儲かっているのがムカつくということではなく、どちらかというと騙されるのがムカつく、それによって恣意性が産まれるのが健全じゃない、というのが問題。
健全じゃないよね、ということで多くの既存メディアではPR記事には「広告です」と明記してその広告メディアの情報対称性を担保しているのです。
「広告ではない形で広告しようとする」という行動は、消費者と販売者側の情報の非対称性を広げ、健全な市場原理を働かせにくくなる悪意のある行動、という風に捉えられているわけです。
これは、情報の発信者(今回のケースだとヨッピーさんですね)が、仮にいかに真摯に情報を取りまとめていたとしても、「作り手から金貰ってるでしょ」という一点で、市場の健全性が損なわれうる、「そういう構造になってしまっている」こと自体が、危ぶまれるべきポイントです。
ヨッピーの記事はおもろいなー笑うわーと思って読んでいるけど、いつどんな時でも真摯に誠実な態度を取り続けてくれる保証は、本人含め誰にもできないですし、そもそもそれは、一個人に押し付ける類のものでもない。
だから、PRならPR明記する方が、本当はヨッピーさん本人にとっても良い効果をもたらすと思うんですけどね…。
目先に積まれた金にくらくらっときていたりして、それでポジショントークしてるんですかねぇ…。
↑こういう風に受け取られてしまうこともある「構造」ということです、金貰ってPR記事書いて広告じゃない顔をするということは。
このように邪推されてしまうこと自体、「メディア」としてのヨッピーの価値を下げることになってるんだよね、ああいう戦い方をしている人にとっては結構ダメージデカいんじゃと思うんですが、どうなんでしょ。分からんその辺は。
ゲームというのは、
がそもそも食い違っているという問題があり、これをうまく帳尻をあわせないといけない。 GTA 4 では厭世的な主人公が設定されたがみんなは別に厭世的なプレイがしたいわけではないので、キャラクターのロールとプレイスタイルが全然あってないみたいな問題が発生した(一方 GTA 5 では三者三様のキチガイを主人公にすることでこれがある程度解決した)。 Fallout 4 の最終 DLC は自分で復興させた文明を自分で破壊する狂人にならざるをえない展開で批判を集めた(個人的な意見としてはショーン死んで狂ったみたいな世界観でプレイしたらヌカワールドは最高と思う)。
ポケモン BW ではポケモンを使い捨てにする N とポケモンと主人公は対峙することになるが、ゲームバランスがかなり難しいので自分も N 同様にどんどんポケモンを使い捨てにして周囲にうまく湧きが設定されているポケモンを捕まえまくらなければならないし、あまつさえ最後に手に入れた伝説のドラゴンはサザンドラにぶっ殺されることになる。
CoD:BO はこういう問題が以下の方法で綺麗に解決されている
ようするに、本来傍観者であるはずのプレイヤーの視点が、ハドソンという形でゲーム内に挿入されているから自然な形でゲームの中に入りこむことができるし、ダルい部分がカットされるストーリー的な理由もセットされている。
その上で更にストーリー上の工夫として
という要素を挿入することで、ゲームのプレイヤーが抱きがちな「主人公はなんでこんなもどかしい判断をするんだ」という違和感を、ジェイソン・ハドソンの違和感としてゲーム内に挿入し
という要素があることで、ゲームの主人公とは実は誰か別の人に操作されているに過ぎない、という問題すらストーリーの要素として消化される(であるからこそラストシーンでのメイソンのセリフに魅力がある)。
ゲームのゲームならではの制約をそのままうまくストーリーに生かしているこんな感じのゲームが他にもあればやってみたいので教えてほしいです。おわり。
2016年5月12日にMXテレビの番組「今夜は寝れ9!!ナイン」で放送された
企業の言い訳:ぶった斬る|ひめとあとむのブログ(旧サファイアのブログ)
http://ameblo.jp/himetoatomu/entry-12162514563.html
https://www.youtube.com/watch?v=Dwu0KrUrHh0
ICSJ記載租税回避日本企業名の ほんとうのリスト(一部) 電通 バージン諸島経由(スイス銀行口座経由) 東京電力 バージン諸島経由(スイス銀行口座経由) JAL バージン諸島 住友金属工業 バージン諸島住友林業 バージン諸島* ドワンゴ バージン諸島 NTTドコモ バージン諸島 楽天ストラテジックパートナーズ ケイマン諸島 ライブドア バージン諸島 ソフトバンク バージン諸島 オリックス(ファンド) バージン諸島 モナコ野村證券 ニウエ(2015年まで国交なしの新興租税回避地)* 大和証券 バージン諸島 日興証券 バージン諸島 東京海上 ケイマン諸島 日商岩井 バージン諸島 三菱商事 バージン諸島 伊藤忠商事 バージン諸島 丸紅 ラブアン(マレーシアの租税回避地) 豊田通商 バージン諸島 大日本印刷 ケイマン諸島 日本製紙 ケイマン諸島 商船三井 バージン諸島 バンダイ バージン諸島 ケイマン諸島 ドリームインキュベータ ケイマン諸島 セコム バージン諸島 東洋エンジニアリング バージン諸島 JAFCO(野村證券系ベンチャーキャプタル) バージン諸島 ケイマン諸島 ファストリテイリング シンガポール JX バージン諸島
今後出て来そうな記載者の言い訳 1「ビジネスのためで租税回避目的ではない」 →租税回避目的以外で租税回避地は使われない 2 「投資先の依頼で」 →投資先の租税回避に協力、 更に自身も租税回避、言い訳にならない。 3「損したから租税回避ではない」 →国内で課税対象の元本の租税回避であり、 投資後のゲインの話ではない。 租税回避への投資そのものが税逃れ行為。 4「租税回避地として認識していなかった」 →契約書に登記地明記。プロとしてありえない。 5「金額が小さい」 →大小の話ではなく 国民の当り前の義務を回避したということ。 6「政治家ではないから節税は問題ではない」 →節税ではなく脱税。政治家でなくても犯罪。 7「みんなでやっている」 →子供の論理
彼の発言について言うべきことはない。
それ以上でも以下でもない。
別に彼ではなく、別な誰かが言ってもよい
ごくあたりまえの常識にすぎない。
というテロップを出していた。
苫米地が語ったことを苫米地個人の責任とするための「配慮」だろう。
巨悪と戦うためには知恵も必要だ。
訂正されていない企業の住所は、
だから完全にクロ。
実際のところはよくわからない。
裁判で訴えられても受けて立てばよかった。
「関係ない」と言ってしまったのはテレビ局として譲歩しすぎだが
安倍内閣のキツネ目の総務大臣は「局の認可取り消しもあり得る」などと
「日本のマスメディアがいかにコントロールされているかがよくわかります」と、
したり顏で書いている。たしかにそういう側面はある。だが、
東京メトロポリタンテレビジョンだという事実は事実として
そこはしっかりと冷静に見ておく必要がある。
ちなみにMXテレビについていえば、
「報道の個々の内容に経営が口をさしはさむべきではないと考えております。
局の責任者がきっぱり言えばよいだけのこと。
ほめられるような偉いことをしたのではなく
あたりまえのことをしただけとも言える。
このフレーズが実際にどこかで広まっているかは確認できないが、実際広まっているとして、その元となっていそうな情報を検索すると元増田の解釈とは違う主張がされているようだ。
その主張を誰かがTwitterや2ちゃんねる向けに短くキャッチーに短縮したのが「オスプレイ反対派の裏には中国がいる」なのだろうが、それによって主張は不正確に、可能な解釈の幅はかなり広くなってしまっている。おそらく実際にもこれくらいキャッチーにしないと短文SNS内では人口に膾炙しないのだろう。
これを読んだら「反オスプレイ派の全員は中国にコントロールされている」と解釈し、その解釈を広めそうなウヨクは実際見かけるし、実際そう解釈してしまい、任意のサヨクを選んでその人が中国にシンパシーを抱いているとは限らないと確認できれば間違いを証明できると思ったのが元増田ということになる。
ちょっと虚しい気がした。