はてなキーワード: 自己評価とは
同人音声の闇的な話 http://togetter.com/li/944737
↑のブクマやコメントを見ると誤解している人もいるようなので、プロでも発注側でも業界ゴロでもないが一応の事情を書いてみる。
大前提として、「声優」と「同人声優」では身分に大きな違いがある。
《声優事務所と通称される、声の仕事に特化した芸能事務所とマネジメント契約を結んだ人》
が「声優」である。例外的なケースを除き、アニメや吹き替えの仕事は声優事務所と無関係な人間が受けることはできない。
逆に、事務所と契約した経験を持たない人とか、事務所と名乗っているが実際には声の仕事をマネジメントする能力を持たない所に籍だけ置いている人は「ネット声優」「同人声優」と呼ばれたりするが、要するに「自称声優」であって、普通の人が「声優」と聞いて連想する、アニメや吹き替えの仕事にありつける可能性はほとんど存在しない。
※同人ゲームでも音声が付いている率が上がり、また、アプリも音声付きの物が飛躍的に増えたことで、声の仕事への需要は増え、声優ビジネス自体の変化などもあり、「同人声優」から普通の「声優」への進路が多少は開けたように見える、かもしれない。その辺は長くなるので省く。
現在の日本で一般人が声優になる方法は事実上一種類だけであり、専門学校や養成所と呼ばれる専門の養成機関で勉強して、卒業時に行われる「所属オーディション」に合格するしかない。
※一応、たまに行われている一般人を対象にした大規模公募型オーディション(実質的にはアイドルのオーディション)に合格するという道筋もあるけれども、これも合格後は結局はどこかの養成機関で勉強することになる。
さて、養成機関で勉強しても、声優になれるのはほんの一握りである。
以下の数字はモデル化して丸めたものなので実数とは何割かの誤差はあるが、まあ、そういうフローがあると思って読んで欲しい。
このうちの「卒業しても声優になれない者:年間3800人」が本題である。
簡単に言えばこの人達は演技力か才能か外見上の魅力か才能かコミュ力か、とにかく何らかの不足があって、契約を勝ち取れなかった人たちである。
その後の進路を更に書くと(再度断っておくが、モデル化した数字であって実数とは小さくない誤差がある)以下のようになる。
全部足すと年間3800人より多いがこれは
などを含めたら、この位になる、という形である。前者は文字通りだが、後者については補足しておく。
先述のように声優志望者は極端に多く、声優の仕事は有限であり、事務所としても芽の出ない人間をいつまでも抱えておくわけにはいかない。
本人の人生のためもあり、見込みがない、と判断された人間は、一度契約しても1年とか2年で契約を切られることがよく行われている。業界としての正確な統計はないが、新人声優の半分ぐらいはここで契約を切られる。
最初に契約した事務所に切られても、まれには他の声優事務所に拾われてそこで芽が出る人間もいる。が、9割以上の人間にそんなことは起きず、大人しく声優業を諦めるか、諦めずに「自称声優」になるしかない。
先に書いたとおり、この人たちは何らかの不足があって「声優」になれず、やむなく同人声優・ネット声優になった。
ネットがなかった時代ならば問答無用で引退するか、アマチュア演劇ぐらいしか身の置き場がなかったはずである。
それが、音声付きの同人ゲームやアプリが増えたことで、なんとか声の仕事が回ってきている、というのが実状である。
当然、依頼する側にすれば「安く上げる」「無茶が通せる」以外で使う理由はほぼない。
予算があり、真っ当な仕事内容であれば、普通の声優事務所に依頼して、知名度や実績のある普通の声優を使えばいい話である。
さらに言うと、声優事務所は自社や関連会社で音響スタジオを持っていることが多く、そういう所に頼めば、多少の追加費用だけで、プロが編集して扱いやすく加工された音声データの形で納品してもらえる。
まとめにあるように『編集とかについてもやってあたりまえでしょ?が浸透しすぎてい』るのは当然だと言える。
「知名度も演技力もないのに使ってやっているんだ。編集ぐらいそっちでやってこっちに手間をかけるな」と言われても仕方ないぐらい立場が弱いということである。
以上の内容はかなり単純化しており、実際にはそれなりにまともな事務所に所属している人(がそちらでは鳴かず飛ばずに近いので、やむなく同人向け・成人向けの別名義で事務所を通さず活動している)や、それなりの数の作品に出て知名度やファンや定評をある程度掴んでいる人もいる。
それでも、実態としては、プロとしての自覚が持てず、クライアントの言いなりに使われる以外に選択肢がない人が多いのも確かである。
「そんな仕事しか来ないなら辞めちまえよ」と言いたくなるのだが、もともと、
「お前声優にはなれねーよ」と言われてそれでも辞められなかった人が大部分なので、そんなにあっさり諦められたら苦労はない。
悪意あるクライアントからすれば、無茶を言って断られても代わりはいくらでもいるし、仮に酷い扱いで相手の心が折れて引退したり絶交されたとしても、養成所の卒業シーズンになれば、また新人自称声優がいくらでも生まれるのが分かっているので気にならないのであろう。
本来、依頼主が真っ当な思考の持ち主であれば、ビジネスの継続性を考えて、演者とはきちんとした信頼関係を構築しようとするはずである。が、そういうところは当然、一度信頼関係が築けた相手との関係を重視することで、結果的に新しい人に依頼する率は下がる。
一方、悪質な依頼主は、言いなりになるような弱い相手を求めて数打ちゃ当たる戦法で声をかけまくることができる。彼らはジャンルに愛着も何も持っておらず、
「こっちの水は甘そうだ」と「超低コストで労力も最小限で作れそう」だから手がけているだけである。こういう手合いにクリエイターとしての自負心や、演者へのリスペクトなどを求めても無駄である。評判が悪くなっても、儲かりそうなうちはサークル名や表向きの代表者を変えて同じ事を繰り返すだけだろう。
つまり無茶な依頼には、受ける側が毅然として対応するしかない。
だがしかし、それだけの「余裕」を持っている人はそうそうおらず、強く出られるとつい受け入れてしまいがちである。そういう人に
「プロとしての自覚を持って無茶なクライアントは断れ」などと説いてもある意味では無駄である。シャアに
「ならば今すぐ自称声優ども全てに仕事を授けてみせろ!!」と言い返されるのが関の山だろう。
繰り返しになるが、プロ、つまり本当の声優になれなかった人が、それでも諦めきれずにしがみついているのが同人声優というポジションである。他人から「お前プロにゃなれねーよ」と言われた経験がある以上、自己評価が低いのは仕方ないことである。
それに、そのまま何の仕事も受けなければ「自称声優」でしかないのが、どんなデタラメなクライアントからでも依頼を受けて仕事をすれば、その間は確かにプロであると感じることができる。うがった言い方をすれば、契約トラブルで揉めるのだって、ある意味でとても「プロっぽい」イベントである。
このような構造では、抜本的な解決策は望めない。ジャンル自体が下火になって、業界ゴロっぽい連中が減れば被害も減るだろう、程度のことしか言えない。闇である。
正確に言えば、誰かに語るような意見が出てこない、というか。
オタ趣味・オタじゃない趣味、多少はあるが、それについて誰かと語り合っても特に楽しくないんだよな。
オタクの集まりだとか女子会だとか仕事後に愚痴ってるおっさんとか、どうしてそんなに語りたいのかよくわからない。
と言いながらも、例えば漫画を読み終わった後にその作品の評論ブログとかレビューを読むのは好きなので、
それについての意見や評価は知りたいが、自分の意見を出すのは楽しくない。なのか。
もっと言えば、本当は誰かに何かを語りたいのかもしれない。
真っ当な自己評価が自分で出来なくなっているぐらい、自尊感情が傷ついているだよなぁ
そして、頑張りすぎて、つぶれる。
http://anond.hatelabo.jp/20160220235709
http://anond.hatelabo.jp/20160220235712
でも、たぶん自己評価よりも交際ステージに近いところにいると思うから!(理由は後で)
そんで、最初は「まーた非モテこじらせ男性ネタだよはてな民こういうのが好きよねー」とななめ読みしてたんだけど、
「(元)増田にとって、告白して交際OKもらえる、ってのは性的接触(キスやセックス)をしてもいい許可がもらえるってことだと内心思ってない?」
て言ってるんだけどさああ、少なくとも元増田の場合はひょっとしてもっと手前なんじゃないのか思いました。
元増田は「告白して交際OKもらえる=自分が相手に好意を持っていい許可」だと思ってるんじゃね?
カイゼンしてスペックは上げたけど自己評価低い=自分のような者に好意をもたれると女性は「なにそれキモい怖いキャー助けてー!」になるに違いない、て思い込みがどっかにありげな気がする。
ストーカー扱いされそうとか、勘助扱いされそうとかそういうことなんかね。
ブコメとかでさんざん「好きでもないのに告白するからあかん」言われてて、私もせやな思うたけど、「許可出る前に好きになったら、怒られる/嫌われる/etc...」て思い込んでるとしたら、そりゃまず許可取りに行くわな。順序としてはそれが正しい。前提がおかしいけど。
そして、ブコメしてる人らの言う通り、言われた女性は「特に好意持たれてる気もしないのに…なんでこの人告白とか言い出してるの??」とか大困惑、丁重にお断りルートに行っちゃう。
誰か一人くらいお試しでつきあってやれよと思わんこともないけど、それはスペックはとにかく「ちゃんとした女性」に行ってるんやろという予感もする。車椅子の女性のお断りの仕方がそうだし。
普通だったら、こんだけ必死だったらそのうちモラハラ気質承認欲求モンスター等々あかん女性に引っかかって食い物にされるのがオチだからね。
というか今までよく無事だったな…
なにはともあれ、元増田は元増田が思っているほど、女性に「なにそれキモい」判定はされてないと思うのですよ。
根拠1:一応デートしてくれた女性が今まで一定数存在する。デートチェックしてくれた女友達もいる。
特に2ね。もしその女性がちょっとでも、元増田が好意をもたれることすら回避したいような人物だと感じていたら、こんなにきっちりお断り理由言えないと思うんですよ。
まあそもそも、そんな風に思ってれば二人でおでかけとかするわけないんですが。
というわけで、元増田は相手の許可出る前に好意を持ってもええんやで…
そんで、アドバイス増田の助言なんだけど、元増田のゴールが「性交したい」ならアドバイス増田の言うようにすりゃなんとかなると思うのね。
まーたDT気にしてもがもがもがもがしそうじゃあるけど、一度、そんなの言わなきゃわかんないんだから!で押し通せれば普通にできると思う。
一度できればどんどこ行けるようになると思う。
ただこれさー…恋愛工学砂漠フラグだと思うんだけど、そのへんはどうなの。
ターゲットが「承認得たい」(社会的なもの&個対個のもの)であるなら、30越えてヤリチン化しても社会的な承認以前にバカかアホかクズとしか言いようがないし、個対個の承認も自分と寝ちゃう女の子が根本で信じられないだろうからよけいこじらせそうな予感がするのよねー…
そのへんようよう考えて欲しいわー…ってオバサン思うのヨー。
あたくしとしては、承認が欲しいのなら「周囲の人(老若男女問わず。交際可能性が高いところは厚めに)の良いところ、いいなと思ったところを(できれば)その場で口に出して相手に伝える」を推奨させていただきたいと思います。
……ベタや思うやろ。そんなベタが通用するんか思うやろ。せやけどベタが一番効くんやで!!(迫真)
つうても、無理やり作って褒めるのはアレやからね。なんならデートチェックしてくれた友達にお願いして褒め方レク&チェックしてもらおう。
老若男女対象なのは、ぶっちゃけスキル上げのためです。デートの時だけ褒めるんじゃ、慣れるまで時間かかりすぎるからね。
特に家族とか、今更褒めにくいところで頑張ると、ガンガンスキル上がるやで〜(たぶん)
そんで、褒めたらびっくりされるとか照れられるとか、適当言うてしもうて怒られるとかいろんなリアクションあると思うのね。その反応がカワイイとか、逆にこの人難しい人なんやなとか色々見えてくるようになると思う。
書いてあることを見る限りでは、元増田の場合は自分が好きという感情を持つことに抑制があると思うので、好きになってから言えや言われても、卵が先かニワトリが先かになってるんではないかと推測しているのだけど、褒める→反応みたいなやりとりの中で「なんやこれくっそカワイイやんけ……頭ぽんぽんしたい」思えばぽんぽんすればいいわけで、そういう積み重ねから「好き」という感情が出てくるんではないかと思うのヨー。そんで相手は相手で元増田が言うてくることやら、自分の言うたことへの反応見て、好意持ってくれたり持たんかったりするわけや。
て言うたら、初デートでぽんぽんしたくなる子もいれば、何度デートしてもピンと来ん人も当然出てくるなー思うやろ?
そういう違いを見ずに「とにかく告白」とか相手見とらんのちゃうか?て、ブコメは言うとるわけやね。
そんで「元増田はたぶん自己評価よりも交際ステージに近いところにいると思う」と思う理由なんだけど。
・体型含めて自分を変えることができた!
なんじゃかんじゃ都合のいい理由つけてなーんもせずに「白馬に乗った王子様/お姫様が告白しに来てくれないかな…」と口ぽかんと開けて待ってどんどん年取っていく非モテこじらせ男女が世の中どんくらいいると思う? ブコメにもそれらしいのがちらほらおったやろ。
元増田は行動し、結果も出せたわけだから。それは凄いことだと思う。
今は空回り感が正直いなめないけど、課題見えればまた修正していける。言うとくけど、世の中の大多数はそういうことできへんのやで。
もっと自分を褒めてやれよ!!可哀想やないの頑張って結果だしてるのに。
ちょこっと昼カフェだろうが、「無理無理無理無理」「ないわーないわーアンドないわー」と思う相手に誘われて付き合うわきゃーないわけで。
今の元増田の捉え方からすると、目標達成に結びつかなかったという意味でゼロ、労力の無駄だったという意味でマイナスだと思うんだけど、相手は時間くれたんだからさー、そこは感謝しようや。
楽しかったなー勉強なったなー思うとこうや。思い出を美しく書き換えろ!
だらだら書いちゃったので、元増田に言いたいことをまとめると、
・あらかじめ許可してもらわなくても、好意くらいなら勝手に持ってもええんじゃよ…
・今までに達成できたことを正当に評価しようや。
元増田なんだが、それ本気でやろうと思う。
ただ、お願いがある。
「ターゲットをどこで見つければいいの?」
これを教えてほしい。
ナンパを100人したことがあるんだけど、1人お茶できただけだった。
自己評価低い女と援助交際したこともあるけど、2回ホテル行っただけで、依存してくれなかった。金取られただけ。
知り合いに同じようなことを言う人がいて、障害を持っているわけではないけど、一般的に言うと避けられがちな方と結婚目前(本人談)の人がいる。男性としては受け入れられなくても労働力(及びお金)としては受け入れられる、人助けをしている自分は偉いと主張する。はたから見ると利用されているだけのように見えるが。。(共依存?)
特徴は以下の通り
とても不思議な人だなと思っていたけど、これを読んでいて、その人の内面がわかる気がした。たぶん増田とほとんど同じ状態なのだと思う。
個人的には一番上に書いた理由が大きいと思う。何か夢中になっている人は男女問わず魅力的だし、人と接することも多いので自然と出会いも生じる。そういう人は悩む間もなく仕事をし、人をひきつけ、本人がちょうどいいと思ったタイミングで考えて結婚する。アクティブでやりたいことがはっきりしている人は結構晩婚だったりするけど、それでも焦らないしちゃんと相手も見つける。
あと上から二番目も大事。男性と女性はたいして違わない。男性と友達になるように女性と友達になる、それが第一歩。友達になるには一方的なコミュニケーションではだめ。相手の話を聞く、思いやることが必要。同じように女性にも接すればいい。そういう形で信頼関係を築いた後で彼女になってもらうかどうか考えて行動したらいい。
知る中では障碍のあるかたはある方同士で、離婚歴のあるかたはある方同士で結婚(再婚)することが多い。結婚はお金や労働力を得る(交換する)ためだけにやるものではないけど、ある程度釣り合っていないと続かないと思う。不幸になるのは自分だけではなくて、周囲も巻き込むものだからよく考えて行動しないと自分がやったことは自分に返ってきてしまう。
就活と似てるって書いている人がいたけどその通りだと思う。上の条件は就活にも当てはまる。自分がやりたい仕事何で、その仕事はどの会社でできるのか、会社の人はどういう人を必要としているのか、自分との釣り合いはどうかを考えて、堂々とすればいい。たぶん今の増田はこれといってやりたい仕事もなく、でも周りも就活しているからあせって自分も就活して、OB訪問とかで生の情報を入手する努力をせずにネットの噂を信じ込み、使い古しの履歴書を会社の下調べもせずにいろんな会社に送りまくって(あるいはコピペ)、たくさん給料もらえたらいいやとううくらいの判断基準で会社を選ぼうとしている就活生みたいな状態だ。
100%お前が悪い自己責任だと言われるような事が原因なので人に助けを求める事ができない。
売れないミュージシャンが実績もないのに俺はビッグになるからちゃんとした仕事をしないって言ってる状況。
自己評価が低く自堕落に生きて来たツケが来てる。このままだとギターも譜面を取り上げられかねない。
労働にはトラウマばかり、ブラックだったり、搾取されたり、理不尽な仕打ちに耐えられず切れたり、鬱になったり
結果的に組織でうまくやっていけないタイプ。かといって独立して独り立ちできるような自己管理もできないクズ。
仕事をしながら曲が書けないのは自分でよくわかってる。怠惰な時間の中でモチベーションを上げないと曲が作れない性分が身に染みてわかった
これで可能性がゼロならあきらめもつくけどちょいちょい人に認められ始め、いけそうな波が来てるので今あきらめて最下層の労働者になることもできない。でもその人たちを頼る事もできずもやもやしてばかり。
働きながら時間作って創作活動を続けるくらいじゃなきゃクリエイターになっても続かないっていう高説は大変ごもっともなので、やっぱり自分が悪い。
文章にまとめて気持ちを吐き出して曲作りに専念したかったけど、なんかどうにもならんな。自分の中にいる世間様とか常識人に潰されそう。作りたいものがある、それなりにはやってるけど、必死とか努力とかいうほどでもなく、かといってまじめに働くでもなく金がなくて困っている
うん、クズすぎるな。
数年前、留学から帰ってきた自分の専門がたまたま珍しかったからか、遊びで作った同人誌が全国紙記者の目にとまり、そこから出版社へと連絡が回り、高そうな店と老舗バーに呼び出された末に執筆依頼を受けた。基本的に自己評価の低い人間なので嬉しかったけれど、実際、何を書いたものかと思いながら、その編集者や記者とは仲良く友人のようになり、数年が過ぎた。
2016年、年が明けてから色々と思うところがあり、やっと書き始めた。昨日、東京駅で会った作家と一時帰国中の某国在住の博士に近況報告がてら書きかけの原稿を見せたら、今すぐ編集に連絡したほうが良いと言われたので、アニメと映画を観たあと、久しぶりに編集に連絡をした。2万字程度書いているが、本にするには最低でもこの5倍か6倍は書かなくてはならない。でも、今までブログやら論文まがいのもので書き散らしたものがあるので、それを整形すれば、おそらく、読める本にはなると思う。
作家になろうと思ったことはない。憧れはするが、自分にそんな才能があると感じたことがない。
だから、たぶん一度きりのチャンスだろうから夏前までには書きあげて何とか上梓したい。
もし、この企てが成功すれば、最近の日本では途切れていた分野の復活に一役買えると自負している。
もちろん、きちんと書きあげ完成し、それが流通に乗った場合に限るわけだけど。
ただ、個人的には、いま書いているものが、僕にとっての社会貢献だという意識はある。というか、人類への貢献とか歴史形成とか言っても過言でない。数百年後、千年後に現われるであろう天才や偉大な誰かへとバトンをつなぐために、小さな砂粒を海に投げる試み。
出版社がダメという場合もあるので、その場合は、冬のコミケに出してみようかと思っている。最低限の目標は、今まで世話になった家族や知人が笑って読んでくれるようなものにすることだ。もちろん高望みかもしれないが、できれば、見知らぬ多くの人が楽しめるものになるといい。友人経由で、某省官僚が僕の本を待っているという話もある。その官僚が笑って読んでくれるようなものにしたい。少しは人文学の減衰に対しても益することができるかもしれないし。
僕の周囲には、十万部単位の専業作家や著書が数冊ある友人たちがいる。いざ書き始めてみると、彼らの苦労が見えてくる。本を書くのは大変だ。でも、きっと、こうやって言葉を紡ぐことが、どこかの誰か何かになるんだろう。その意味で、初めにことばあり、ことばは神であり、ことばは神とともにあったという有名な一句は、象徴的だ。文字通り、ことばが人の世界を造っている。
なんとか書き上げて、本屋に並べばいいなぁと思っている。
難しい局面に道をつけ、対極を見ることが仕事の人間に、重箱の隅をつつくのは仕事をさせまいと邪魔をする行為。
超人並みに仕事をこなす人でも、多くの人と同じ普通の人間であり、努力で激務をこなしているだけ。たまたまその運命を背負ってしまった、他の選択の余地もない程に、がむしゃらに生きていたら導かれただけ。
激務をこなし続け、重箱の隅をつつき続けられたら、いつかは体を壊す。こんな生活は続けていられない。
重箱つつきをする人は、
分かっていてもやめられないし、面白がってワザとやっている場合もある。罪悪感を隠すために「これが正義だ!」と心に刻み込むように思いを深めている。
その人は自分自信の自己評価が低いから。自分は小さな仕事しかしていないんじゃないか、という感覚をもっている。
けれど小さい仕事に価値が無いと思い込んでいるのも自分自身の差別の問題であって、誰も細部の仕事を見下していない。細部は大切だと心底思っているが、体が1つしか無いから私にはできないのだ。
まともな人間が煽るだけだと人が嫌な気分になるだけだ。
それは「生意気力」であるとか「サンドバッグ力」と呼べばいいのか「誘い受け力」と呼べばいいのかは分からないがそういうものだ。
傲慢な物言いをしているのにどこかナヨナヨヒョロヒョロしてて見ているだけで殴りたくなるような、人を苛立たせる力が足りないのだ。
そのその根幹に有るのは卑屈さである。
どれだけPVを集めようがどれだけ信者が増えようが、どっか自信なさげ、つねに何かを煽ってないと落ち着かない。そんな落ち着きの無さ。人間として終わってる感。
ブログ書生のレベルの低さに愕然。そのクラスなら、僕がアドバイス送ったり、支援したり、僕の影響受けてブログ始めたような人の中にもいますよ?←あれ、ブログサロン始めてもいいのかしら(笑い堪えてる) / “イケハヤ、ブログ辞めるってよ…” https://t.co/yxn1TjEVjJ— 三沢文也@こっちは本気で遊んでるんだ! (@tm2501) 2016, 2月 10
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「そのクラスなら、僕がアドバイス送ったり、支援したり、僕の影響受けてブログ始めたような人の中にもいますよ?」である。
普通の人なら「ブログ書生のレベルの低さに愕然。俺が教えたヤツのほうがもっとすごい」である。
だが、こいつなぜか自信なさげなのだ、相手を見下してるのに、なぜか自分の実績を貶めるように語る。
そしてさらにそこで言い切れない。「←あれ、ブログサロン始めてもいいのかしら(笑い堪えてる)」という言葉をつける。
傲慢な出だしなのにトーンダウンしていくため、謙虚ではなく卑屈に見える。
たった100字でこのツイートを書いた人間の、他人を見下したいのに自分が底辺の人間であることを自覚しているせいで強気になりきれないその卑屈な人間性を表現するのは才能としか言いようが無い。
他のブロガーではなくあえてイケダハヤトに弟子入りしたんだから、イケダハヤトみたいになりたいんだろ?
イケダハヤトが達成した結果が欲しいのではなくて、イケダハヤトみたいになりたいんだろう?
だったら弟子どもはもっとイケダハヤトを研究してマネていかなきゃダメじゃないか。
イケダハヤトが書いてるつまらない記事からイケダハヤトの個性や煽り要素抜いたら何が残るんだよっていうのを露わにしちゃってるよ。
イケダハヤトが教えてそれなら、イケダハヤトは煽りや金の話を除いたら価値のあるコンテンツなんてなんて作ってないってことの証明になっちゃってるよ。
そんなことでいいのか? だめだろ? イケダハヤトの綺麗なところだけ真似ようとしてるんじゃないよ。
もっとイケダハヤトのいやらしいところや下衆なところを積極的に盗んでいってイケダハヤトに嫌われるくらいにならなきゃ。
そんなだから信者はイケダハヤトのことを理解できてないノータリンだとか言われちゃうんだよ。
信者こそ、良い面も悪い面も両方受け入れてそのままコピーしていくんだ。 聖なるものとして崇め奉ってるんじゃないよ。いいか?
発作ですhttps://t.co/oN9h9YBZ3t— 大澤めぐみ (@kinky12x08) 2016, 2月 10
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矢印以下抜いたらxevra氏みたいだなと思った / “ブログ書生のレベルの低さに愕然。そのクラスなら、僕がアドバイス送ったり、支援したり、僕の影響受けてブログ始めたような人の中にもいますよ?←あれ、ブログサロン始めてもいいの” https://t.co/Rld6lLb30y— OR (@FAtype100R) 2016, 2月 10
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馬鹿じゃねーの? / “ブログ書生のレベルの低さに愕然。そのクラスなら、僕がアドバイス送ったり、支援したり、僕の影響受けてブログ始めたような人の中にもいますよ?←あれ、ブログサロン始めてもいいの” https://t.co/1SPTViL9Vl— nagatafe (@nagatafe) 2016, 2月 10
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青二才ブログサロン、がんばってほしい
それでは最初に自己評価を高める運動ーー!!https://t.co/OoDvfociIt— ピンフスキー (@hideyosino) 2016, 2月 10
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青二才ブログサロン月額100円で始めるしかない! / “ブログ書生のレベルの低さに愕然。そのクラスなら、僕がアドバイス送ったり、支援したり、僕の影響受けてブログ始めたような人の中にもいますよ?←あれ、ブログサロン始めてもいいの” https://t.co/QYyDMYW3V2— かいとすたー (@kaitoster) 2016, 2月 10
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他の増田ウォッチャーからはこんな話より青二才の恋愛工学のつぶやきをまとめろと言われそうだがさすがの俺もアレは頭悪すぎて読んでるだけで頭痛するから無理だ。代わりに誰かやってくれ。頼む
まともな大人からすれば、マックスむらい氏に限らず、Youtuber全般が取るに足らない変人カテゴリ往き間違いなしなのだが、彼らのファンは端から見ると狂気じみて見えるほど彼らに夢中だ。
これは昨今話題のジャニヲタにも共通しているのだが、こうした熱狂的ファンの精神構造は、精神病理学的に典型的なものである。辛口で無慈悲な某シロクマ氏が登場するほどのこともない。ようするに、熱狂的ファンは「自分は(世界で一番)スゴい」という幼少期特有の全能感、あるいは思春期特有の誇大妄想をこじらせ、それを自己の外側にいて目立って活躍している(と本人たちが認定する)人物に投影することで、その非現実的な自己評価を抑圧しているのだ。
誤解してはならないのは、実のところ、熱狂的ファンたちは自らが取るに足らない(どちらかと言えば劣った)一般人に過ぎない、と理解はしている。他方、その「私はダメだ」という自己認識と、「私はスゴい」という誇大な自己像との間に極端な乖離が生じているため、この落差の現実的な落としどころとして、社会で活躍する他者(芸能人やスポーツ選手、カリスマ経営者、宗教指導者など)と自己を同一視することで、そうした他者を自己像の「鏡」として扱うわけだ。
例えば、女性アイドル好きな男性ならば、その女性の人気が一定の閾値を超えた段階で、女性ファンが増えることを経験的に知っているだろう。現実の世界でキラキラと大活躍している(ように見える)女性と自分を同一視することで、自分の惨めさを覆い隠すことができるためであり、男性ファンのような性的な関心がベースにあるわけでは全くない。先ほど述べたように彼らは基本的に自己評価が低く、一方で持てあました誇大的な自己像を支えてくれる唯一の救いが「鏡」としての他者である。
やや話は脱線するが、熱烈なアイドルファンの女性(たとえばジャニヲタ)には風俗嬢が多い。全国各地に赴かなければならない物理的必然性もあるが、何より応援するアイドルが活躍している限りにおいて現実の自分は(極論をいえば)どうでもいいからだ。現実にはタバコ臭い激安ラブホで汗臭い中年男性のペニスを口にくわえておきながら、本人が生活で最もリアルに感じられるものは、その同じ口で声援を送るアイドルの輝きなのである。ジャニヲタならば「ヲタ界隈で有名な(=湯水のように金を使って応援している)女性ファンが(風俗店のブログ写真から)風俗バレしてm9(^Д^)プギャー」という事件が年間何件も起きていることは否定しようもないだろう。
(誰って? まあ、秋○ス仙○の「の○か」とかな。。ファンの妬みは恐ろしい。あの子は元々は手コキ店だったが系列のイメクラ店に沈められた。昔はバレーボールに熱中するスポーツ少女で、20歳過ぎまで軽い天パーの黒髪を染めたことすらなかった真面目っ子だったらしいが、嵐にハマったのが運の尽きよ。うーん、おっさんを養分にする風俗嬢を養分にするアイドルを養分にする芸能事務所の社長を養分にする暴力団の偉い人。ああ、醜い食物連鎖だ。。そしてマックスむらいも養分だったのか)
さて、以上を鑑みて、今般の事件における山本一郎(実業家・ブロガー)のように、こうした「鏡」(この場合はマックスむらい)を攻撃すると、どうなるだろうか?クレイジーなキッズたちは、自らが攻撃されたように感じる。いや、自らが攻撃されたとき 以上 の怒りと苦しみを感じる。彼らの理想と現実のバランスシートが崩れた不安定な自己イメージは、「鏡」としての他者が社会的に活躍し続ける間のみ安定的に維持されるからだ。よって、マックスむらい氏が社会的に許されない行為をしていたとすれば、それは彼らの価値が暴落することに等しい。だからこそ、彼らは氏の汚点を否定、拒否、拒絶する。そして自己イメージの侵略者を攻撃する。
マックスむらい氏は、そのことを肌感覚で理解しているらしい。だからこそ、Youtubeに自らの潔白さだけを主張する動画をアップロードし、彼を信奉するキッズたちに潜在的なメッセージを送った。「俺を守るために大暴れしてくれ!」と。無論、これは追いつめられた人間の断末魔である。そんなことは社会的に何の肯定的な効果をもたらさない。だが、防衛大に受かる地頭はあるものの、ひたすら叩き上げでのし上がってきた男に何か分別らしいものを期待する方が間違いなのかもしれない。果たせるかな。キッズたちは大暴れし、山本氏はビール片手に彼らの口撃をことごとく撃墜し、その残骸が氏のTwitterのタイムラインを埋め尽くすたびに、マックスむらい氏の信頼も地に落ちるのである。
当時は自分のことを、ハイスペで頭が良いのに傍若無人で破天荒な振る舞いをして、それでも何故か自然にみんなから好かれている人気者だと本気で評価していた。ハイスペな私はハイスペだったので受験戦争を勝ち抜き、高校から現役で数年に1人しか入れないような都内の大学のハイスペな学部のハイスペな学科に進学した。
東京での明るく楽しいキャンパスライフに想いを馳せ意気揚々と門をくぐったものの、そこには私の求めていたものはなかった。学業でも趣味でも同級生より劣り、その上クラスにもサークルにもうまく馴染めない。今までは何もしなくても良く出来たため、普段の授業に対して熱心に打ち込む習慣がなかったので自習などせず、成績は落ちぶれる一方であった。そして自分をちやほやしてくれるはずである先輩や同級生はみんな他の人を褒め称えるか、私の知らない世界で自分の道を見出してそれぞれに行動していた。私を凄い、凄いと褒めてくれる人はどこにも居ないのだ。寂しさを紛らわすべくかつての同級生に連絡を取っても、彼らの態度も高校時代とは比べものにならないほどよそよそしいものであった。ここで、彼らは私のことを特に好きではなかったし、私が他人に対して思っていたように私のことをどうでも良いと思っていたという考えに至った。そうか。校舎という閉鎖空間の中で面倒ごとに巻き込まれないようにうまく調子を合わせてくれていただけだったのか。それならば、自己評価にしがみついて生きてきた私より、彼らの方がよっぽど出来た人間だったのだ。
自分がハイスペ人間であるという認識は自意識過剰であり、間違っていることを受け容れてゆくことはとてもつらく、恥ずかしく、長い時間がかかった。当時の自分の振る舞いは所謂黒歴史カテゴリに分類され、極力思い出したくないものだ。
しかし数ヶ月前、歳納京子というキャラクターを知ってしまった。これは…!当時の自分が「なりたかった理想像であり自分がその様であると信じて疑わなかった立ち位置のキャラクター」そのものではないか!つらい。どこにいても心はもんもんサンミシェル
http://anond.hatelabo.jp/20160204031629
「そんなんだからダメなんだよ」「自己評価低すぎんじゃないの」「人に嫌われるのを恐れすぎ」「要領得ないもっと短く」
どれもその通りなんだけど、まさに洗脳のステップの第一段階だよねこれ。
もしこれが面と面で向かい合った状態だったら、この次には必ず「だからこうしなさい」的なありがた~いアドバイスがもれなく頂けちゃうんですよね。
あー、怖い怖い。社会の荒波に揉まれた出来た人間様まじこえー。
やっぱ絶コミュ最高ですわ。
結論から言うと、布屋で2メートル5600円の布を断れずに購入し、「あ、私マルチ商法とか笑えないな」と気付いただけの話です。
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変な宗教に勧誘されそうになったり、所謂「自己批判」をしかけられた分けではなく、相手はただ布を売ろうとしてきただけなのですが、それすら断れなかったことにショックを受けたので文字にすることで冷静になりたかったのと、
買いたくない布を買うに至るまでのプロセスがテレビやネットで読む「洗脳」のプロセスによく似ていると感じたので、同じような状況に立ったときに思い出して貰えればと思い、初めての増田投稿をしました。
ちなみに2メートル5600円は、布の値段としてはちょっと高いぐらい。
上を見ればキリが無いが、主婦が結構奮発して買うぐらいの物だろう。
布自体は悪い物では無いけれど高級品と言う分けでも無く、老夫婦が趣味でやっているようなお店なので、友達相手の商売ならまあそんなものかなって言う商品。
ただ私はその時その店で何かを買うつもりは無かったし、
お財布事情もその店の想定する顧客では無いと自覚したうえで、もしかしたら掘り出し物が見つかるかもって軽い気持ちで入った。
何度か入ったことがあるお店で、私を囲って最終的に布をレジまで持って行った店主のマダムも悪い人では無いのだと思う。
そう、相手は腰の曲がったお婆さんだった。
ピンクのツイードのジャケットに千鳥格子のスカートで、喋り方もちょっとハイカラなお婆さん。
店員も客もマダムも合わせて四人しか居なかった。みーんなお婆さん。
対して二十代の私が物理的に逃げることは簡単だった。
それなのに、2メートルの白い布を手にちょっと茫然としながら「自分は洗脳される側の人間かも」と恐怖した理由もそこにある。
私はメートル千円未満の安い布を探していた。
火急の用では無く、購入する店にも目星を付けていた。一週間後にはその店の近くを通るので、その時に買えば良いや、ぐらいの気楽さ。
件の店はタイトルでは「手芸屋」と書いたが細かいことを言うと布専門店で、最初は寄る予定も無かった。
私が用があったのは、同じ複合店内の百円均一だ。
と言うか、そもそも買い物をする予定もなかった。
100円均一だって、図書館に行ったら、休館日だったので、手持ち無沙汰になってしまい無理矢理作った用事だった。
ともかく入ってしまった複合店の中で、二店は同じフロアにあり、エレベーターを上って最初に目に入るのが例の布屋なのだ。
高級な布を見るのは楽しいし、時々端切れを買ったりして少し好きなお店だった。
そう言えば白い布探してたんだよな、もしかしてちょっと良いのが安くなってないかな。
ちらっと覗くと、白い布に「1000」の値札がついている。「2800」に打消し線が入っている上に、だ。
お得じゃん!
早速近づいて手にとってみて、がっかりした。
ベルベット素材だったのだ。
でもベルベットが千円なんてちょっとすごいな、冬だからかな、なんて触っていたら、見たことのある─一度レジで話をしたこともある─店主のお婆さんが話しかけてきた。
「良い布でしょう、ベルベットって言ってね、宝石の名前もついてるくらいで、良い布なのよ」
(ちなみに宝石の名前、がどこから来ているのかネットで軽く検索しただけでは分からなかった)
元々店員さんと話すのは苦手では無い。
手触りが気持ちいいですね、なんて言いながら、買うつもりが無いことを、次のように伝えた。
「でも私、スカートを作りたいんです。白い麻とか綿とか…これじゃちょっと違うかな。」
「スカート!良いじゃない。
タックを入れてこう…(手でストンと落とす)いうのも良いでしょう?」
耳が遠い分けでは無いのだが、お年寄りや若者それぞれにあるゾーンみたいなもので時間軸がちょっと違う。
その時その時の自分の世代が正常だと思ってしまうが、今は分かる、十代もちょっとおかしい。
二十代なんて全然若いと思っていたが、いざ突入してみると十代が怖い。
世代の違う人との会話を二人三脚に例えるなら、予期しないタイミングでブレーキをかけたりダッシュしたり、とにかく息が合わないことが多い。
勿論、他の世代からすれば私は「鈍くさい奴」「足の踏込が甘い」とか、いろいろあると思うけれど……
……脱線した。
とにかく、ちょっと話を聞いてもらえないことが分かったけれど、その時はまだ何とかなると思っていた。
勿論千円を超える布を買う気も無かった。
もう一度ビロードが想定と全く異なることを伝えると、マダムは違うコーナーに私を連れて行った。
黒い壁や間接照明とならんで布が飾られている、明らかに高額商品のコーナーだ。
白い綿や麻、混合を探していて、千円のビロードが予算に沿わないと伝えているのに、マダムが手に取るのは四千円五千円の柄物の布ばかり。
あれこれ話を広げていくマダムに、ちょっとやばいぞ、と気付き始める。
挙句に六千円の織物を手に取り、一万五千円が六千円になっている、これが一番お買い得だ、ちょっとそこ(鏡の前)に行って当ててみたらどう?とか言い出す。
もっと高い布もそのお店にはあるのだが、それまでマダムが手に取ったり指さしたりした中で一番高い布を「お買い得」と言って勧めてきた所に、マダムの狙いは親切では無く何かを買わせることにあったと思えてならない。
その後も再三「予算に合わない」と繰り返して、何とかその場を移動しても、相変わらず四千円五千円のコーナーをうろうろするマダムと、私。
この時私はへらへらしていて(癖なのだ)、
会話も
「綺麗ですねえ、見てると欲しくなるけど、高いなあ」
などと肯定から入っていたので、端から見たら購買に積極的な客に見えたかもしれない。
自分のこの態度にも、最終的に断りきれずに買ってしまった要因があると思う。
その後も「どこかの学生さん?」と聞いておいて、別段安いものを見せてくれるわけでもなく、こちらの予算も無視でとにかく買わせようとする。
何度か逃れられた、と思って安い生地のコーナー(一応キルトとか子供向けの柄物とかも置いてあった)(とは言え、そこに置いてある生地もセールになっていることは滅多にない。本当に、冷やかしと同然でとりあえず入ってみただけだった)に行こうとすると、一度は離れる。
けれどすぐに声をかけてきて、「これなんかどう?」と、また良いお値段のコーナーに引き戻され、結局安いコーナーには一歩も入れなかった。
マダムの言葉選びは、いっそ見習いたいところがたくさんあった。
「気安い布も見させて」と苦笑いする私に、三色並んだ布を指して「これなんかもねえ、お値打ちよ。」と百八十度違う言葉をかけてくる。
「へ?ええ、ああ、でもちょっと予算がね。」驚きつつも、なんとか会話を続けようとするのを遮って、
「ええっと、カーキかな。でもちょっと素材が…」
「ねえ、良い色よね。」
と、とにかく相手に選ばせるのだ。
選んだらそれを褒め、自分が手に取った商品は良いですね、と言わせるのだ。
こう言うときに「そのヒラヒラ下品で好きじゃないわ」なんて言おうものなら、「若い子にはそうかもね。じゃあ、こっちはどう?ツイードで大人っぽいわよ」と他の布を出したことだろう。それとも、フリルのついた他の布を持ってきたかもしれない。
実際、最後まで私の希望─白色、麻や綿、千円未満─に一つでも沿っているものを持ってくることは無かった。
そうして私が指差したカーキ色の布を手にすると、マダムはおもむろに言った。
「これにする?」
唐突なその言葉に、ちょっと血の気が引いた感覚が、この記事を打っている今も残っている。
散々「他の布も見るね」と言っては頷かれ引き戻され、一度も自分のみたい物を見ていない。
まだ私は物色すらしていないのに、しかもその布を聞かれたから褒めこそすれ、明確にあることを伝えている計画に照らし合わせる前から、何故、いきなり購入になるのか。
私がどんなスカートを作りたいかおばあさんは聞いてもいない。
しかも散々伝えている「どんな布が買いたいか」に、その布はかすってもいない。
上品なカーキがテカるシャンブレーを片手にレジに持っていこうとするおばあさんにそこはかとなく恐怖した。
この時「この人話が通じないんだ」と恐怖したのが、第一段階だと思う。
洗脳の段階だ。
はっきりノーと言ってその場を去れば良いじゃないか、と思う人もいるだろう。
出来なかったのか?と呆れられれば、私はその人の前では自分を恥じてしまうだろう。
実際、出来たと思う。
自分より弱いおばあさんだったから強く断れなかったのかもしれないし、
へらへらするのが身に付いていて、愛想の悪い態度をして誰彼構わず嫌われたくないと思ってしまうのが、私の悪い癖でもある。
それに、5600円だ。
数十万じゃない。
ハッキリ払えないと言うのが嫌だと言う、妙な虚栄心もあったと思う。
私は普段からまめに洋裁なんかをする人間では無く、知識も低いのに知ったかぶりをしてしまう所があって、この時もなんと言うか見栄を張ろうとしていた。なんとか取り繕って逃げようとしていた。
色々な要素が混ざり合って、最終的に、「向こう見てきますね」と言って逃げようとした私におばあさんが別の布を手にして
「もう、これにしましょうか」
に負けてしまった。
本当にこの時は怖かった。
今も、思い出すと怖い。
しゃがみこんで、泣きそうになりながら、それでもなんでか笑って、なんとか逃げようとあれこれ言ってみるけれど、「何メートル必要なの?」「二メートルです」と答えてしまい、二メートルだと言ったそばから「それならシャツもね、作りたくなるのよ。三メートルあれば足りるかな…ちょっと計算しましょうか」と言われ、「あの、スカートに二メートル必要なんです。シャツには足りませんよね」と言う声が震えそうになったのを抑えてしまった。
結局おばあさんはレジに立っていた店員さんに「三メートルね」と言うので「二メートル!二メートルでお願いします」と訂正しなければならず、最後まで話を聞いてくれなかった。(「これにしましょうか」と言って手にした布もグレーで、他に四色ある中からどれが良い?と言いながら、なぜか頑なにグレーを持っていこうとしていた。もしかしたらグレーが高かったのかもしれない。私は「自分で」白を選んだ。)
この時私は切られた布に申し訳なさすら感じて、一割引に「ありがとうございます」、それなのに(店側がカード会社に売り上げから何パーセントか手数料を支払わなければいけない)クレジットカードで支払ってしまってすいませんとまで言った。
これも、私の癖だ。
レジでも毎回「ありがとうございます」と言い、車の前を通るときは例え相手が無理に横断歩道に乗り込んでいても反射的に頭を下げてしまい後で一人で勝手に悔しくなったりする。
悪いことではないと言ってくれる人もいるだろう。
けれど、今回ばかりはそうは思えなかった。
この癖も、悪徳商法などの洗脳にかかりやすくなる要素の一つだと自覚したからだ。
ここからは、どうして自分が「洗脳されやすい人間」だと自覚したのか、書いていきます。
1.まず一つに、最後まで─そして今でも─私は「断ろうと思えば断れた」と思っていること。
これは、「断ろうと思えば断れた」のに断らず、「自分で選択した」のだから、決断した「自分が悪い」と言う結論を引っ張ってきます。
自己評価が最低になり、何もかも自分が悪いと思い込むと、「被害を受けた」という判断も下せなくなってしまいます。
今回、私の相手は腰の曲がったおばあさんでした。
先にも書いた通り、逃げようと思えば方法はいくらでもあったのです。
それに、5600円も「被害」と言うには大げさな額に感じられます。
何より、私には支払い能力があったのです。これで生活がおろそかになるわけではありません。
これぐらいなら「仕方ないか」と思える「被害」と、「自分が決めたこと」は自分で責任を負わなければならないと言う負い目から来る「自分が悪い」という自己否定。
この二つのせいで、私は(こんな記事を書いておいて何ですが)おばあさんを悪役に出来なくなります。
「買いたくないものを買ったと嘆いているけれど、相手はおばあさんだったんでしょう?無理やり拘束されたり脅迫された分けでもないのに、大げさだよ。人のせいにしてるだけでしょ」
「本当に買いたくないなら、走って逃げればよかったんだ」
「他にも買わないために出来ることはいくらでもある」
「結局、本気で嫌だったわけじゃないんだよ」
今回は布で済みましたが、これが悪徳商法だったらどうでしょう。
額もそんなに高くありません。
あなたが参加した企業家のためのセミナーやIT系によくある「仕事を効率よくこなすための三つのフロー要点」のような、ネットの有名人の講演会で、パソコンを使った遠隔講義に誘われるかもしれません。
日用品なら、高くても数万、遠隔講義なら物理的に囲いこまれるわけでもなく、いつでも逃げられる。
契約しなきゃ帰ってくれそうに無くて怖いし、よく聞く何百万の詐欺事件よりはマシかな、と契約してしまうかもしれません。
けれど、一度契約してしまえば最後、自分を責める後悔が始まります。
今回のことで痛感したのは、「詐欺は金額ではない」と言うことです。(詐欺とまで言ってごめんね、マダム。もう二度と行かないから許してほしい)
あんなにテレビやネットで詐欺や洗脳のニュースを見聞きしていながら、「騙された」ことが辛いのです。
マルチ商法は、買わせた相手のこの気持ちの隙間につけ入り、「元が取れるよ」と売る側に回して「被害者」を「加害者」に変える悪徳商法です。
傷付いた自尊心を補おうためにしたことが、加害者になることでさらに傷付き、負の連鎖を引き起こすことになってしまうのです。
話は戻りますが、先に書いたように、「恐怖」が洗脳の第一段階ではないでしょうか。
相手に話が通じない、もしくは暴力の可能性を示唆されることで、自分が無力だと感じる。
そうなると、なるべく穏便に逃げたいと考えるようになります。まだ逃げたい・この場には居たくないと考えます。
しかし、拒否できなかった自己嫌悪から自分を責めることになり、自信を無くしてしまう。
2.次に、結局「ノー」と言えなかったことだ。
これに尽きるけれど、こんなにショックを受ける程買いたく無い物に、「ノー」と言えなかった奴が是が非でも自分たちの住む沼に引きずり込もうとしているマルチ商法や洗脳を拒否できる分けねーべ。
これは一日経った今もちょっと泣きそうなぐらいショックだった。
まず、店員さんに押し切られて買うと言う経験が無かった。ファースト。奪われた。
それまで店員さんって言うのはひたすら褒めてくれるのをスルーすれば着合わせを一緒に考えてくれたりするちょっと気分良くしてくれる人だと言う認識で、お仕事だから失礼なこともしないし、怖いなんて思ったことも無かった。
けれどマダムは違ったのだ。
考える隙を与えずにガンガン来られたら、そりゃパニックにもなる。
「ごゆっくりどうぞ~」
は、あくまで相手の気遣いで、彼等が売るのは商品そのものでは無くて「豊かな生活」「楽しい買い物の時間」でもあったりするからだ。
お店で気分を害して買い物をしても、悪評が広まれば客も減り、商品も売れなくなる。そんな方法を取ってまで売る物では無く、「ちょっと考えてみます」と言った客は接客を止めるラインでもあったりするからだ。
あの手この手で私たちの思考能力を奪い、言いなりにすることが目的だから。
そこに来て店員さんや通りすがりの人の前ですら「物分りの良い振り」をしたがる私の性格。
「卒なくこなしている」ように見られたい見栄があって、無愛想な態度を取ったりして働く人に敬意を払っていないとかマナーを知らないとか、軽蔑されたくないと思ってしまうのだ。
マダムは私の話を一切聞いてくれなかったのに、いちいち声に振り返り、返事をし、話を聞いてくれない人の話を聞いて何とか会話しようとする私は、そりゃ良い鴨だ。
向こうはこちらの話など聞いていない。
考える時間も与えられず、パニックになり情報が遮断されて追い込まれた中で、頷くしか選択肢が無いと思い込んでしまう。
マダムは悪い人では無いと思う。
半分は天然で、半分は故意だっただろうけれど、それも悪意からでは無く、引き際を知らない人だったのだと思う。
比べるのは嫌だけれど、私の祖母も私の話を聞かない。
一緒に料理店に行くと、いくら私が要らない、食べられないと泣きそうになりながら断っても、自分が子供時代のひもじい思いをした辛さから良かれとどんどん料理を注文し、挙句自分が食べられなかった分を私に「食べれるでしょう」と差し出す。
今はもう必死に粘ることを覚えたが、中学生のころはガチ泣きをしながらご飯を食べたことも、何度かある。祖母は私が泣いていても、見えていないのか全く悪気が無く「食べれるって」と言う。
あっ、こりゃダメだ…。
また脱線した…。
もういい、なんだか書けば書く程自信が無くなって行く…強く生きていきたい…。
…えっと、それで、結局「マダムも悪い人じゃない」と思っている時点で、私は相手を完全に否定して切り離すことが出来ていない。
これが信用していた友人だったらどうだろう。
もう立ち直れない…。
長々と書いておいて、とりとめもなく終わってしまい申し訳ないです。
失ったのはたかだか五千円ですが、受けたショックは一日引きずって消えませんでした。
このショック和らげるため、自分のために一気に書いたので、矛盾やほつれがいくつかあるかもしれません。すいません。
タイトルで「洗脳」とまで書いたのに、結局洗脳された分けでも無く、マルチ商法に怯える妄想に始終し「洗脳」って何ぞや、と思った方もいるかもしれません。
私も簡単に「洗脳」について引用を載せた方がこの記事も書きやすいかな、と洗脳の手順とかを検索してみたのですが、「洗脳はこうしてできる!」「洗脳は簡単に見破れる!」みたいなあんまり仰々しく強気の記事が多くて「どっこいどっこいだな…」と疲れてしまいました。
おススメはテレビ番組「しくじり先生」の辺見マリさん回です。あれ分かりやすかったよね。
この記事を読んでちょっとでも感じた恐怖を追体験し、「もしかしたら私もそういう所あるかも」等と自衛の一助になれば幸いです。
それでは。
メルマガ大先生が鈴木ザ煉獄丸のはてなブログの読者数だけを見て、鈴木さんはもっと出来る人だと思ってたのにこの程度か、はてなの重鎮の僕を舐めるなよというところまで見えた
青二才メルマガとかいう不吉な単語が耳に入ってきたんだけど何がとかじゃなくて何かがこう確実にオーバーキルだろこれ— 鈴木ザ煉獄丸 (@suzuki_buffalo) 2016, 1月 7
三島由紀夫の短編に詩を書く少年ってのがあって、「何の才能もないのに異常に自己評価が高い奴いるけどまあ若いから仕方ないよね」みたいなアレなんだけど、これまんまメルマガ大先生に当てはまるの本当につらい— 鈴木ザ煉獄丸 (@suzuki_buffalo) 2016, 1月 7
メルマガ大先生、はてなの読者数1000人超えは人気ブロガーの証明ではなく破滅的なピエロの烙印だってこと早く気付いてほしい— 鈴木ザ煉獄丸 (@suzuki_buffalo) 2016, 1月 7
詩を書く少年については三島由紀夫の自叙伝みたいなもんだから「(本人曰く)詩を書く才能がない」といってもまあ小説の才能がハチャメチャすごかったねっていう話になるけど、青二えっとメルマガ大先生については文章の才能の代替物がピエロの才能だから救いが完全にない状態になってるのがまた悲しい— 鈴木ザ煉獄丸 (@suzuki_buffalo) 2016, 1月 7
「何の才能もないのに異常に自己評価が高い奴」という自分のツイートで全身を強く打って死亡— 鈴木ザ煉獄丸 (@suzuki_buffalo) 2016, 1月 7
「何の才能もないのに異常に自己評価が高い奴」という自分のツイートで全身を強く打って死亡— 鈴木ザ煉獄丸 (@suzuki_buffalo) 2016, 1月 7
「何の才能もないのに異常に自己評価が高い奴」という自分のツイートで全身を強く打って死亡— 鈴木ザ煉獄丸 (@suzuki_buffalo) 2016, 1月 7
メルマガピエロの話をやめてバターコーヒーの話をします— 鈴木ザ煉獄丸 (@suzuki_buffalo) 2016, 1月 7
バターコーヒー、2日目はバターが泡立つくらい念入りに攪拌してみたんだけど、7:00にバターコーヒー飲んで、8:00に職場でゼリー飲料版の蒟蒻畑を腹に入れて、お昼になってもお腹空かなかったから昼飯は抜いて、ようやく「お腹空いたな」って感じたのが15:30。これ確実に効果アリでしょ— 鈴木ザ煉獄丸 (@suzuki_buffalo) 2016, 1月 7
バターコーヒーは効果あったけどぼくの意思が貧弱すぎて結局16:00くらいに会社抜け出して遅めの昼食モリモリ食ってそこから定時過ぎるまでずっと眠くてタイタニック漕いでたから総合的に見て意味のない1日だったな— 鈴木ザ煉獄丸 (@suzuki_buffalo) 2016, 1月 7
真面目に書いてみる。下に書くことは、辞書で調べたものではなくて、自分が直感的に考えていることです。
まず、特定の誰か――愛人、友人、家族など――を他より大事にするのは差別ではない。
差別とは、まず何らかの基準で人々をくくる。その基準とは、例で言えば、元増田にあったとおり人種, 信条, 性別, 社会的身分, 門地である。
そしてこうやって分類した人々を、分類する基準とは関係のないところで、その基準で評価して扱いを変えること。
以上、これだな。だから例えば東京都に住んでるくせに長野県民のための公共サービスは受けられない・・・みたいなのは基準でくくってるけど差別には当たらない。あとは、女性が男性トイレは使用できないのもそう。
一方でいけないのは、肌が白い黒いは能力とは関係がないのに仕事上の扱い(採用も含む)を変えてはいけない。・・・ってことかな。
たとえは下手かもしれないが、この考えは我ながら良いと自己評価する。