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はてなキーワード: 精神分析とは

2015-08-22

http://anond.hatelabo.jp/20150822160039

昔、そうやって行動分析学精神分析は説明できる!って躍起になって、こぞってドヤ顔で本やら論文やらで解説した時代が合ったのじゃ

でも結局「これやって何になるん?」てことに気づきだして、誰もしなくなっちゃったけど

2015-08-04

http://anond.hatelabo.jp/20150803203802

もうひとつあるぞ

6. お前みたいな夏休みに沸いて出たガキとはいえ、精神分析やら現代思想やらで一生を棒に振るのは気の毒と思った親切な人物

どうやって食ってくの?昼はTA、夜は最低賃金労働者?ま、そこまでの覚悟があるならいいんじゃない?その代わり、現代貧困とかは論じて欲しくないね自分から進んで貧困に身を落としている以上、そんなものを語る資格はない。

主婦になる?君が女性なら現代日本では主婦になるって選択肢もたしかにまだある。生活のために結婚するって売春婦と大差ない考え方の気もするけどね?そういう人生の送り方がチミのゲンダイシソーやらセーシンブンセキやらの観念矛盾しないならね?ただ、君の文章から察するに思い込みや過剰な自己防御が伺える。相応の美貌がなければ、主婦としての商品価値は乏しいと思う。もし容姿に自信が持てないなら他の面で補えるよう頑張ってくれたまえ。可能かはしらんが。

大学卒業したら普通に働く?普通レベルにもよるが、ゲンダイシソーやらセーシンブンセキでどんな能力が得られるんだよ?お前がゲンダイシソーごっこで遊んでいる間、他の学科同級生論理の積み重ねに飛躍や矛盾がないか検証する方法や、実際の法律知識、経理の処理方法科学実験の考え方と実践目的手段を分離して解決方法を考案する訓練、等々等々、現代社会でずっと競争力の高いスキルを磨いている。お前がつけるのはお前の同級生たちのおこぼれだぜ。就活ではコネコミュ力?うん、それ大事だよ。でもお前の同級生たちもそれを身につける機会がある。ゲンダイシソーやってなくても。推敲前の落書き晒し指導を乞うと自分から言っておきながらちょっと思い通りにいかなかっただけで真っ赤になってるような性格なんだぞ、お前。どこにフツウのレベルを置くかは自分で決めればいいが、大学同級生より少なくとも1ランクランク下くらいになるのは覚悟しとけ。今時は東大出てもホームレスってのもいるみたいだしな。

それともキミ、チョーお金持ち?親の遺産たっぷりあって贅沢をしなければ100年くらい食ってけるとか不動産収入で金が余ってしかたないとかってんだったら文句はないな。結構結構。俺だって古代中世の奇妙な思想に興味がある。現代の奇妙な思想だって少しはおもしろい面もあるのだろう。

要するに、そこまでの家産がない貧乏人の小倅がする学問じゃねえんだよ。占星術の方がまだしも食えるくらいだぜ。

指導教官だって細くなってく縄張りや庭場を荒されたくないってことは覚えといた方がいいぜ。

http://anond.hatelabo.jp/20150803203802

まり精神分析なり現代思想なりの学問方法は君には示せないということかな?

ま、そんなもんありゃしないんだから君のせいじゃないがね。

2015-08-03

http://anond.hatelabo.jp/20150803074050

あなたたち精神分析なり現代思想講義を本当に受けてよく知った上で言っているの?

そうでないならそういう気がするってだけでそういう事書かないでくれる?

まらない反応の続きをまた読まなきゃならないでしょ。

http://anond.hatelabo.jp/20150803073854

どういう人なんだろう、こういう人って。

1、精神分析現代思想喧嘩を売っている。

2、理系思考を気取っている。

3、具・体・的・根拠なり論拠なりソースなりを示せといっても示さない。(示せないんでしょうね。どういう人かバレてしまうから

4、自らが批判する相手に対する具・体・的・言論に内容も根拠もないのに上から目線で威張りたがる。

5、警察か何かの強力な後ろ盾がないと言論人としての自分立場を維持できない人。また維持するためには警察か何かの強力な力を利用しようとする人。それを恥じない人。

http://anond.hatelabo.jp/20150802164901

精神分析なり、現代思想とやらの意義を説けばいいだけじゃないの?

そのぐらい、第一回の講座でやってるだろ。できの悪い学生だな。

http://anond.hatelabo.jp/20150802170546

精神分析擬似科学。なぜなら科学方法に欠けているから。以上。

科学方法の不在を指摘されているのだから反論したいなら、精神分析科学方法に則っていることを示せばよい。

2015-08-02

http://anond.hatelabo.jp/20150802164456

へぇー、精神分析全てトンデモなんですか?

あなたにそう判断させた根拠となった偉い先生って誰でどの本ですか?

またそこまでトンデモだと思わせた精神分析の本の記述ってどれですか?

具・体・的・に示してくれませんか?

まぁこういう事書いても精神分析現代思想に詳しい人からも味方として擁護言葉をかけてくれる人は、私の場合はいるのかな。。

政治的動物でしょうからね、学問世界の人も。。

中立公正客観的に正しいと思う事を、敵味方関係なく主張する人なんて、いないんでしょうね。。

しかもなんらかの手段プライバシー侵害する形で収集した、自分関係ない事に関する相手の個人情報守秘義務違反で受け取って、偉そうに広めて相手の信用落として、表現内容のみで対抗させるのを潰そうとする、言論人として半人前でありながら偉そうな態度を示したい人がいるのを、みっともないとも恥とも思わないところがなー。

どういう人なんだろう、そういう人たちって。

1、精神分析現代思想喧嘩を売っている

2、警察か何かの強力な後ろ盾がないと言論人としての自分立場を維持できない人。また維持するためには警察か何かの強力な力を利用しようとする人。それを恥じない人。

http://anond.hatelabo.jp/20150802092656

あっ こういう言及もされていたところを見落としていた。

筆者が現代社会存在する主体・客体と精神分析概念対応付けて、概念間の類似を説こうとしているとみられ、ここから近代社会合理性下層階級を抑圧する状況をノイローゼかなんかにたとえ批判を試みようとする筆者の主張が推測できる。


現代社会存在する主体・客体」ってなんですか?

疎外される存在/連帯する存在」の対立をもとに様々な概念対応付けて類似性を説こうとしている、なら分かります

また「下層階級を抑圧する状況をノイローゼかなんかに対応させ」ってどこから読み取ったんですか?

あなた意図的に無内容とされているところで別の側面も取り上げてみますね。

無意識(エス)

社会的あるいは象徴的に交換されなかった大文字の他者の語らい

≒疎外された心的実体≒外傷的な真理が声を発する場所

自己幻想世界≒無条件の連帯肯定平等存在しない共同体自己愛を過剰に傷つけられ自己認識が悪くなった存在承認供給不足にある存在

権力者側の情報ネットワークからヨソモノとして外されている存在

スケープゴート≒異人≒リンチ対象排除された後も外での動きも捉えられる存在≒誇大自己を持った者の自尊心の基盤

≒仕返しを招くような親密な共同体の絆が欠けている存在

暴言連発したり失礼な言葉を吐いても責任をとらされる事なく看過される対象

パノプティコン的な匿名の不可視視線の下で見世物化された監視付き生活強制されている存在近代社会合理的理性を自称する存在による抑圧的意志対象

≒警察権力が市民生活の内に力を発揮する場=秩序創成暴力対象

フロイト無意識岸田秀のエスと吉本隆明自己幻想とルネ・ジラールスケープゴート民俗学の異人概念関係を、まとめて書いた人を見た事がない。

それと仕返しを招くような親密な共同体の絆が欠けている存在に対しては暴言連発したり失礼な言葉を吐いても責任をとらされる事なく看過されがちである事、それらの現実的現象を具体的事例をあげて(たとえば自らの体験と関連付けて)書いている人も見た事もない。それとフーコーのいうパノプティコン的な見世物化された監視生活強制されている存在と警察権力の関係を、はっきり書いている人を見た事もない。そうした待遇強制されている存在がいる事で象徴秩序が安定するという話を具体的事例と関連付けて明確に書いた人も見た事がない。

から私は(私のようなパンピーくんの触れれる範囲情報源では)先例のない事を書こうとしているところがあるという事です。

理想自我想像界=小文字の他者a

≒心像の世界クオリア世界

≒私的幻想世界意味イメージ世界

≒「象徴他者」の位置より一段下の、原始的対象の位置(想像的なもの性的慰安対象)に留めおこうとされた「想像他者」。ラカンは「対象a」とよぶ。転移拒否された患者が、分析家をおく場所も、この「対象a」としての場所である。この関係は、相手に社会的幻想を抱いていた転移局面と比べてはるか不安定で、患者攻撃性が分析家に向け、容易に発動しやすい状態(これは樫村愛子ラカン社会学入門」からのそのままの引用が多くを含まれており、対象aだけ抜き出した部分との関連が付けがうまくできていない。全てをわかり易く統一的に書いている本も読んだ事がない)

他者から尊重されたり対等な存在としてメッセージを交換する「人間」の壇上に上げないように弾圧される<生ける死者>といった世界

暴力誘発性、脆弱性を帯びた存在

≒「傷つけられる」という条件により発動した摸倣欲望

また「影」に関しては、村上春樹小説内で繰り返し出している概念で、「掟の門」はカフカの有名な短編思想的に言及価値のあるとされるものですが。

それらをまとめて精神分析現代思想用語で語っているのなんてどの先生の本でも見た事がないのですが。

他者から尊重され対等な存在としてメッセージを交換する立場になく、非人間的に表現された他者から暴力誘発性を帯びた存在と、心理的に傷つけられるという条件により発動する模倣欲望の関係を深く語っているのも、日本学者では私のようなパンピーくんの触れる事ができる可能な範囲ではほとんど見ないのですが。

宮台真司はミメーシスという概念をいつ頃だかか頻繁に使うようになったけど、「心理的に傷つけられた事により生じる模倣欲望」という意味で使っているのは見た事がない。

理想自我=小文字の他者a

マスコミカタログ文化でつくり出された美化・理想化された自己イメージ

自己統一を預けることのできるような相手を探してさまよう、鏡像としての他者の中への囚われの関係

自我理想大文字の他者A=社会的世界

≒魅力を持った生に変わらなければならない場であり、魅力による上下関係差別排除がある世界

≒魅力の低い者が客観的理屈として正しいと思って主張した事も認められない世界

≒魅力の高い者が客観的理屈として間違っている事を主張しても容認される世界

≒目に見えない効力をもつ法としての場の空気人間関係の網の目に支配された世界

グルメで無条件の連帯肯定平等など存在しない世界

労働勉強生産的な成果を挙げ社会的評価される事が美徳であるとされる世界

≒人が自分社会化するために選ぶ標識名誉対象美徳のもとになる秩序

≒人が憧れる、かくありたい存在モテる存在=小文字の他者aに模倣される存在

ここから美男美女が多い芸能人さんたちやファッション誌を飾るモデルさんの世界自我理想範囲に入る対象となる事が分かると思います

超自我

羊飼い自称する存在選民意識を持った存在

≒誇大自己に執着した存在他者非人間的に判断したりする存在モラルのない世界

自我理想と同じ媒体の、秘密を暴く欲望と懲罰をともなう側面

非道徳的で反倫理的な審級であり、倫理的裏切り烙印

集団の「エス」をバカにしたり笑う攻撃的な文化制作

集団の「エス」や「小文字の他者a」の位置にある存在を徹底マークして情報を「大文字の他者A」の位置にある存在に流している存在

法秩序の外にあり、しかしま法秩序に属している存在

個人情報漏洩する国家プライバシー侵害する国家

植民地主義国家民族差別を容認する国家人権侵害を推奨する国家死刑を支持する国家、同じ国民の中に棄民を作り出す国家

これは現代日本社会存在する大きな問題関係する事です。

集団の「エス」をリンチする事に日本国家レベル加担している事を思想から得た発想で語ろうとしていますが、それを語っている先生存在も見た事がないです。

対象a

現実領域対象aの除去の上になりたっているが、それにもかかわらず対象a現実領域を枠どっている

リンチメカニズムにより歪められた表現被害者よりに修正した回顧的な文章を書く暴力行為告発する探偵

反ユダヤ主義者にとってのユダヤ人存在

≒メラニー・クライン的な意味での「乳房

まなざし

永井均の言う<私>=他者にとっての私に還元されない<私>≒秘密の宝

これも統一的に語っている日本先生は見た事のない事を語ろうとしているのが理解できると思います

なんか思想的に意味のあるところをごっそり切り落として対応せず、自分立場に都合のいい所だけを提示して、形式演出だけ知的雰囲気を醸し出した内容の乏しい書き込みをするのはやめていただきたいですね。

http://anond.hatelabo.jp/20150802094920

悪いが俺はラカン精神分析も切り捨てようとはしていない。大学にその講座は不要だと言っているだけ。占星術と同じ。下品雑誌の片隅の占いコーナーがそれらに相応しい居場所だと言っている。

http://anond.hatelabo.jp/20150802094920

もったいなくないなら有用性を論証すればいいんだよ~

指導教官だって飯食ってかなきゃいけないからもったいないって主張するだろうけど君の人生責任を取ってくれるわけではない

精神分析自分人生自分無駄にしてる連中が社会批判とか、そっちのほうが深刻ぶった顔で偉そうなこと言いたいだけじゃん

http://anond.hatelabo.jp/20150802092656

なんか無駄知的っぽい形式を使った表現でお返事されているけど、

あなたはその引用したところだけに自分なりの意味を感じて、他の所は切り捨てていいと思ったんですね。

元の表現に対する内容に踏み込んだ具体的言及が欠けていますが?

あなた自身が「流行遅れ」「迷信の類と大同小異」という程よく知っているはずの精神分析や、他に出てきている現代思想文学などに関する知識をたっぷりと使った言及を見てみたいんですが。

でもできないんでしょ?

どうせ「精神分析に別れを告げよう」とか「フロイト先生のウソ」とか「「知」の欺瞞」とか心理学入門書の類を読んだだけで

過去遺物としては切り捨てるにはもったいない体系を切り捨てようとしている人なんでしょ。

http://anond.hatelabo.jp/20150802084238

「≒」を用いて、推移的な類似性を説いているとみられるが推論過程妥当性をいちいち検証したところで大した意味はなく、最終的に導出された観念のみが筆者の主張せんとするところに過ぎない。

したがって本論の内容は以下の対応関係帰着させるのみで十分であり、これ以外の部分は無駄である

無意識(エス) ⇔ 一般市民より下の階層の者として認識され、愚か者範疇に入っており、隠している愚かな事物を暴いても重大視されていない

理想自我 ⇔ 理想化された鏡像として他者表現の複製を取りこみ、融合しつづける動き

自我理想 ⇔ 共同体言語的に構造化されている共同主観的世界

超自我 ⇔ 近代社会合理的理性を自称する存在(非理性的な「エス」とした存在を抑圧的制裁対象としていいとしてもいいとする存在

対象a ⇔ 寄る辺ない存在

筆者が現代社会存在する主体・客体と精神分析概念対応付けて、概念間の類似を説こうとしているとみられ、ここから近代社会合理性下層階級を抑圧する状況をノイローゼかなんかにたとえ批判を試みようとする筆者の主張が推測できる。

しかし、そもそも精神分析占星術理論体系と大同小異迷信でありその種の迷信を今でも奉ずるもの知的弱者)以外には無意味・無内容。

「ご指導」をお願いされたのでしてやるが、オナニーして寝てろ。

2015-05-28

モラルハラスメント被害者パーソナリティ障害者の勝手な言い分を切り分けて、パーソナリティ障害者をきちんと教育しよう

PDについてはこちらを参照:http://www.mhlw.go.jp/kokoro/know/disease_personality.html

有名なのは境界性人格障害自己愛性人格障害、いわゆるサイコパスといわれる反社会性人格障害あたりだが、ある程度は治療と投薬によって行動や認識の歪みが改善されるといわれている。

最初は,問題患者自身にあるということをわからせるよう努力すべきある。もう1つの原則として,人格障害治療には長い時間がかかるということが挙げられる。通常,長期の精神療法または同じような人々とのエンカウンターによって繰り返し直面化を行うことで,自身防衛,信念,および不適応的な行動パターンを本人に気づかせることが必要である

(中略)

対人関係上の問題,すなわち依存性,不信感,傲慢操作的態度などを変えるには通常1年以上を要する。対人関係の変化をもたらすかなめは個人精神療法で,これは患者自身の対人関係における問題の原因を理解するのに役立つ。セラピスト患者思考と行動パターンの望ましくない結果を繰り返し指摘する必要があり,ときには患者の行動に制限を設ける必要がある。このような療法は演技性,依存性,受動-攻撃人格障害患者にとって不可欠である一部の人格障害(例,自己愛性や強迫性タイプ)では,態度,予想,信念が精神的にどのように体系化されているかということが関係しており,このような患者に対しては,通常3年以上の精神分析が勧められる。

引用http://merckmanual.jp/mmpej/sec15/ch201/ch201a.html

要は彼らの出してくるストロークに反応せず、犬や猫をしつけるように「だめ」「よくない」と突っぱねることが大事だ。もともと対人関係コントロールは下手でないはずなので、ある程度行動が矯正され、認識の歪みが是正されれば彼らはさして害のある人ではない。メンヘラには絶対接触するなみたいなことがネットではよくいわれているが、そういう分断処理をするくらいならおかしいことにはNGと出していったほうがよほど建設的だ。そしてそういうことをする人がいないまま年月ばかり重ねると、ますますパターンが硬直化するので手が付けられなくなる。

なのだが、PDの人々だってもちろん人間だし、目の前の箱だって使えるので、人の同情を引く方法については常に研究を重ねている。彼らにとって今一番「アツい」ツールモラルハラスメント被害者という立場らしい。

本当のモラルハラスメント被害者モラルハラスメント被害者を装う人格障害者の違いは

というあたりで判別が付けられる。

例としてこれを見ることにする。

http://anond.hatelabo.jp/20150527070630

魚拓はこちら:http://megalodon.jp/2015-0527-1210-33/anond.hatelabo.jp/20150527070630

話の内容をまとめると


嘘や矛盾

SAS無呼吸症候群)は寝ている本人はわからないので基本的家族パートナーに対しても問診をおこなって、疑いがある場合検査をする。ただし検査は自宅で寝ている時に呼吸などのチェックを行うものであり、この増田が言うとおりいびきの音が録音されていて無呼吸と思われるなら、入院して同じように睡眠時のデータを取る。問診で録音があるにも関わらずSASではないといわれたなら単にいびきがうるさいだけ。いびき改善マウスピースを使用することはあるが、別にデータ改竄をする必要はない。また他の病院マウスピースを作らせるというのも意味不明。おそらくこれはなにかを隠したいための嘘と思われる

  • メンタルがやばかったので内見契約などは相手に全て任せ、相手が入居してから一ヶ月後に引っ越し
  • 同棲の解消は安定したときにすべき(?)だし金がないと言ったら親のところに帰れと怒鳴られた

メンタルやばいのに同棲は開始し、しか自分仕事をやめたが、安定していないので同棲は解消できないというのはおかしい。自分勝手理論である

自分以外の人間の心情を理解できない

どういう成り行きで同棲することになったかは知らないが、ただでなくても面倒な引っ越し以外のもろもろ(特に同棲場合契約も面倒だし)を丸投げされたら普通は嫌になる。そこでやっぱり同棲はやめましょうと本来相手はいうべきだが…

また夜勤明けの休みの日にわざわざ引っ越し日を設定すればそれは機嫌が悪くなるだろう。夜勤がある仕事なら日中いない日もあるわけだが増田がわざわざそれを選ばずに最悪な日を選択したのは、他者感情を持っていることを理解できていないためだと思われる。面接の準備もして実家に帰っているのでさして緊急事態ではないようだから、二時過ぎに親の家に帰るというのはわりと非常識である。親子だから許されるというのもあるが…

また、

自分母親最近再婚して、同棲前に顔合わせしたんだけど、その時も借りてきた猫のように相手がおとなしく、相手の紹介や両親との会話にまったく積極性が感じられなかった。

出会って一ヶ月の彼女母親再婚相手に対して積極的に行く理由特にない。

またこの他全体を通して、「母親に対していい顔をしたい」「自分が怖いのでやりたくない」「相手が可哀想自分迷惑をかけられたくない」「迷惑をかけそう=自分が恥をかきそう」と言い換えられるところを見ても、この人の世界には自分母親しかいないと思われる。

激しい被害妄想
  • 謝れといわれたので謝ったが、態度がわるいといわれた。腕を掴まれたらトラウマ(?)が発動したので警察を呼ぶといったら、相手から同棲の解消を求められた
  • 怖かったので夜中に母親の家に帰った
  • 相手がストーカ化して殺人事件に発展しそうで怖い

相手がどんな調子で詰ったのかはわからないし、実際怖かったのかもしれないが、増田も怒鳴り返しているようだし、電話したり翌日の準備をして出る程度の余裕はあるらしい。とはいえここは相手の様子がなんとも言えないので実際にかなり恐ろしかった可能性はある。が、その後のストーカー化して殺人事件に発展しそうというのは飛躍である

全体を読めばわかるが、引っ越しの丸投げ、夜勤明け日を知っていながらの引っ越し同棲するにもかかわらず勝手仕事をやめ解消には応じない、自分病院に行かないが相手のいびきに関しては病院に行く、夜中に蹴飛ばす(これはわりとお互いさま)、などなど散々相手を煽っていくスタイルである適当なところで手を切らない相手も相手だが、過労寝不足の状態で声を荒らげずにいられたら、相当の聖人である

この増田場合、妙に母親の顔色を伺うところがあるのでおそらく母子問題があるのだろうが、それはそれとしてこれのブコメのようにモラハラ被害者かわいそうというスタンスをとると、この手の増田増長してますます人格障害がひどくなる。たとえブコメであっても、むしろネットからこそ、しっかりと矛盾点を指摘していったほうが、同情を寄せるより本人のためだと思う。

2015-05-27

フェミニズム女性以外の属性弱者を救うことはできない。

→の記事なんだけどかなり醜い状況になってる。 http://d.hatena.ne.jp/font-da/20150526/1432612495

当事者である弱者男性不在でフェミがいつもの手口で中傷的な人物像を作り問題を書き換えて、しかフェミ仲間がケアとか処方とか言ってホルホルしとる。

 

あのなあ、お前らのやってることはカルト宗教が救済と言って信仰を押して付けるのと変わらんからな。

いや、カルト宗教を悪く言いすぎか。救済を目的とした宗教なら少なくともネット上で見えない相手を糾弾するようなことはしない。リアルに会って悩みを聞いたりする。

そもそも弱者男性はてなにいる可能性は低いだろうに、そこで論じても被疑者不在で魔女裁判してるという状況にしかならない。

 

それから、間違ってほしくないんで言うけど、フェミ弱者男性を救えると思わない方が良い。

フェミ女性の救済のために男性社会と戦う教義とか理論武装を磨いてきたんだから、それに侵された頭で弱者男性問題を扱えばどうなることか。

弱者像がフェミ教義によって陳腐化されたり別の物へすり替えられたり存在しないことにされる。フェミ脳では弱者男性を救えない。

そして今回のように無自覚傲慢正義を振り回して反感を買う。

 

差別問題界隈にも言えることなんだけど、自分たち教義を振りかざして精神分析まがいのことまでして対象を裁いても意味ないどころか逆効果だと思うよ。

ファンには痛快だと喜ばれるだろうが、同時に醜いリンチを見せられた多くの人の信頼を失うことになる。

 

それとジェンダーフリー理想共感してフェミを応援してきた男は可哀想だけど残念ながら騙されたいうことで、他の方法を考えるしかいね

 

反論の機会のためのコール→元記事著者id:font-daケアの人id:c_shiika 、処方の人id:sofa220

この記事存在を教えたものの、自分文章書くのが苦手だし根比べをする気もないんで、反論書かれてもよほどのことじゃない限り放置すると思ってほしい。

2015-04-02

これまで見たアニメ一覧と一言感想

これまで見たアニメ一覧を記録しておこうと思ったので。

8年くらい前から見ている。もうアラサーか...

忘れそうなのでメモ

順番は思い出した順で、大体見た順になっているはず。


機動戦艦ナデシコ: 人型ロボットは嫌いなので、ロボットバトルシーンは飛ばして見ていた。これが時代を席巻した電子妖精かと感動

スターシップオペレーターズ: ちゃんと海戦ぽいことをやって楽しませてくれていたのに、打ち切りと聞いて残念だった

化物語: ヒロイン精神疾患主人公が(フロイト的な)精神分析治療していくアニメだった

ソ・ラ・ノ・ヲ・ト: 田舎要塞という雰囲気感が楽しかったが、ストーリーはあまり覚えていない。

STEINS;GATE: 俺も学生生活がんばんなきゃなあと思わされたアニメ。本当に次の話が見たくなっていた

ラストエグザイル: 続編が発表されて、絶対見たい!と思うくらいにはおもしろいと思っていたのだが、内容が思い出せない

ラストエグザイル-銀翼のファム-: 主人公戦場に似つかわしくないほど能天気ということだけ覚えているが、最後まで楽しくみれた

あの日みた花の名前: 懐かしい感を楽しむアニメ。昔の仲間に会いたい!と思わされた

ヨルムンガンド: 銃撃戦大好き。武器商人というマニアック存在を扱っていたので、新鮮な気持ちで楽しんでみれた。

黄昏乙女×アムネジア: 夕子さんの姫カットを楽しむアニメ幽霊より怖いのは人間、というエピソードが好き

ダンタリアンの書架: キャラデザの可愛さと沢城みゆきボイスを楽しむアニメだった。

モーレツ宇宙海賊: SF設定にテンションが上がった。電子戦艦隊戦っぽいやつとかヤッパリ好きだなと思った

東のエデン: ストーリーは「次、どうなるの?」と、毎回ワクワクして見れた。主人公声優能登麻美子だと思っていた

四畳半神話大系: 大学生活は自由で、大学時代自由正義である大学生活は何度でも繰りかえしたい

キルミーベイベー: 作業しながらアニメを見れると教えてくれた

フラクタル: 見たことすら忘れていた。ハナカナボイスが印象的だった

てーきゅう: テンポがよく、時間が短すぎると感じるほど楽しめるアニメだった

プラスチック姉さん: 片足のニーソが脱げたまま、ふて腐れているシーンが扇情的で印象的だった

みなみけ1期: 4コマアニメで化けるのだと教えてくれた。

みなみけ2期: ネット上の評判は良くないが、個人的には好きな話もあった。普段反目している次女と三女が長女のイヤリングを壊してしまって、それを取り繕うために東奔西走するエピソードお気に入り

みなみけ3期: 作画監督によって艶かしくなったらり、あっさりしたりすることを教えてくれた

みなみけ4期: 佐藤利奈の演技がこんなにも癒しになるのだと教えてくれた

のんのんびより: 田舎アニメというよりは、箱庭アニメ、単純に女の子可愛いを濃縮すると、こうなるのかと思った

ミス・モノクローム -The Animation-: 色白で感情の起伏に乏しいキャラ堀江由衣が好き

アウトブレイク・カンパニー: お姫様メイドキャラデザに引っかかった。内容の文化的侵略というネタは興味深いと思ったが、もっと掘り下げたストーリーを見たかった

ひつぎのチャイカ: メチャクチャにハマった。これは後日、項を改めて感想を書こう

スクラップド・プリンセス: 榊一郎作品つながりで見た。榊一朗作品は、登場人物原理とか思想信条みたいなものがちゃんと有って、見応えがある。最後は急展開で説明不足もある、と言う感じだったけど、天空三角に分割され、外の世界に切り替わっていくシーンが好き。やはり今見るとキャラデザが古い(というかモグい)


おわり

2015-03-28

http://anond.hatelabo.jp/20150328153846

そのまとめ、まんま腐女子みたいだなと思ったら

ようするに中島梓が書いてた腐女子(当時この言葉はなかった)の精神分析男性版みたいなことが自分の中で起こっていて

当人が書いてた。なんだ分かってんじゃん。

から20年遅れて男にもそういうのが出てくる世の中になって来たんだね、としか

2015-03-25

http://anond.hatelabo.jp/20150325023346

愚行権定義だとか、公共の福祉抵触しない程度に個人の欲望は優先されるとか、自然状態人間社会契約することで社会が成立するだとか

そういう理由でそれに意見することはできるけど、俺が描いていたのは、そういう文脈じゃないんだよ

出発点は「碇シンジがどうしてアスカの首を絞めたのか」「碇シンジの結末はあれで良かったのか?」と言う所

Air/まごころを、君に(以下、旧劇)」での2回の首絞めはどのような経緯だったのかと言うのが不思議だった

そして、どこか自分自身でもその行動に共感する所があったから、色々と調べて、他のエントリでも記述していた

結論から言えば、「碇シンジの首絞め行動には共感する部分があるが、それは余りにも典型化され過ぎていて、それが故に劇的で。劇的であるがゆえに、(アニメからというのがわかっていつつも)その描写に”気持ち悪さ”を覚える人もいると言う気持ちが分かる」と言う感触だった

人間と言う存在を1列にした時に、その端っこの部分にいるような感触がした

もちろん、アニメというのは個性能力も可愛さも格好よさも病理も苦悩も、極端化するものから仕方ないし当たり前だ

人は典型化されるから、分かりやすく特徴が表現される劇的な描写っだからこそ共感する

からこそ、本来であれば碇シンジの個人の人生で賄われるべき事柄に、アニメ描写必要性で以って全人類を巻き込んだ所に気持ち悪さが感じるという意見にも共感すべき所があるという感触だ

さて、細かい経緯を描き並べる

適当に拾い読みしてくれれば良い

碇シンジが首を絞めた理由としては、ここを参考に所が大きい

碇シンジは父親に捨てられたという体験がもとになり、いわゆるヤマアラシジレンマになっている状態だ

自分には価値がないから捨てられる」「捨てられるのは嫌だ、だから最初から関わらない」「人と関わりたいが、捨てられるならこちらから捨てる」という心情である

精神分析で言うなら、自体愛・自己愛の所で止まり対象愛、つまり他者他者として認め愛そうとはできない部分だ

(つまり自分を愛していて、安定しているか他者を愛することで自分も満ちるようにできる、共生的な状態にないと言う事)

旧劇における結末は、どのようなものだったか

描写としては「碇シンジ他者存在必要とし、全人類との一体化を否定してアスカと2人きりになった」という所だろう

すべてを一つにしてしま混沌を母的な存在とするなら、自己他者を切り分けて境界線を引くのは父的な存在である

父的側面の足りない碇シンジ自分とい他者を切り分けられたのは、極端な自己愛から脱却しつつあることを意味する

(なお、旧劇の該当シーンで地球細胞分裂のようになるのは、人が”切り分ける”事を通して分離個体化する事のメタファーとして効果的だったという感想自分は持っている)

人と他者が分離すれば、そこには常に自己愛の危機がある

ATフィールド訳語絶対恐怖領域である事を待たずとも、当たり前のことである

人は他人を受け入れたりもするが、受け入れなかったりもすると言う話に過ぎない

しかし、碇シンジはそうした絶対恐怖領域に耐えられるのだろうか?

碇シンジは旧劇終盤でアスカの首を絞めた

それは、「もしアスカが起きたらまた自分は拒絶される、だから拒絶=殺害したい。でも世界にはアスカしかいない、拒絶したら、もう2度と他者と触れ合えない。でも、でも、でも」と葛藤している所を表している

からアスカが「大丈夫、怯えなくてもいいよ」と頬を撫でると力が緩み、涙を流した

ここでアスカが言った「気持ち悪い」の意味に関しては、本筋とは関係ない上にまだ把握できていないので割愛する

さて、旧劇における首絞めの理由共感できる部分があると思った自分は、その過程(人類補完)と結末(アスカへの首絞め)が碇シンジにとって救いとなっているのか、新劇場版(以下、新劇)が作られたと言う事は、同じ結論にはならないのではないかと思った

(例として、新劇・破における碇シンジ自分個人の理由から綾波を救出し、周りの意見を聞かなかった結果、Qにて自分言葉が届かなくなってしまったなど、旧劇とはまた違う結末になりそうという所だったり)

そして、もし結論が違うのであれば、旧劇の過程結論は間違いだったのかと思った

シンジデストルドーはどのように救われれば良いのか、分からなくなった

そこで、エヴァに関しての考察は停止して、救いとは何かについて別の視点から記述した

結論から言えば、人は完璧世界(他者が居らず、自己愛けが満たされ、幼児的万能感の世界で神になる、自分が傷付かない世界)を目指そうとすれば死ぬしか無くなり、生きることは苦しんで研鑽したり、自己に閉じこもり堕落する事を繰り返し葛藤しながら何とかやっていくことに過ぎないということだ

坂口安吾が「生きよ堕ちよ、その正当な手順の外に、真に人間を救い得る便利な近道が有りうるだろうか」と言いつつも「だが人間永遠に堕ちぬくことはできないだろう」と言った事と同じである

生きると言うことは決して楽なことではなく、むしろ葛藤を抱え、時に逃避したり自責感に自殺を選びたくなっても、ともかく自分なりの現実を作り生き続ける事に他ならない

そこまで考え、旧劇における結論他者存在がまだまだ希薄だが救いがあると思った

碇シンジ他者を認めつつあり、自分葛藤自分なりに処理していくことができるようになるだおる

しかし、その過程にてエラーがあった

碇シンジは、生きるか死ぬかの所で他の他者すべてを巻き込んでしまった

復活したのはアスカだけである自分は思っている

あの世界では、もう生きようと思っても生きられない

さらに言えば、その過程碇シンジと同じように葛藤を抱えて生きようとした全世界人間の救いを奪ってしまった

そうした自分勝手な行動によって他者の救いを奪ってしまった事、そしてやっと他者を認めつつあるのに、アスカ以外の人間を復活できなかった事から生じる生きられなさ

そういう結論から碇シンジ内面が何の関係もない他者人生世界の命運と”繋がってしまう”というエヴァンゲリオンに「だからエヴァンゲリオンを見た時の気持ち悪さはそこにあるんだと思う」という感触があることに否定が出来ない

いわゆるセカイ系の気持ち悪さと言い換えても良い

現実世界において、どれだけ葛藤を抱えても世界他者が壊れないのと別に

セカイ系においてはそうした葛藤世界他者が結ぶつきやすく、すぐに取り返しのない事に合ってしま

ある意味で、作品世界全部が主人公と一体化しており

それはその作品世界主人公が神になり、幼児的な万能感を得ているような感触を受ける

からこそ、最初エントリでは「だからエヴァンゲリオンを見た時の気持ち悪さはそこにあるんだと思う」と書いた

http://anond.hatelabo.jp/20150325013002

追記

まり、どこのレベルで人を救わんと考えているか

手伝いたいレベルは、目標は、手段

そのメタとして、「生きることは、時に研鑽し、時に堕落し、時にそこから逃げられることである」「I never promised you a rose garden」と言った言葉から出るような精神分析があったのだろう

個別の答えは、Clが出す

しかし、深い所では常にこのテーマが進行しているだろう

2015-03-15

恋愛工学デートレイプマニュアル的側面だけはなんとかしてほしい

恋愛工学批判最近盛り上がってる。でも正直、ほとんどのマニュアルはそんなに害がないと思う。あれで非モテ非モテを克服できればいいんじゃないの?

でもセックスにまつわる部分は「さすがにそれはどうなんだ?」と思うところが多い。たぶん所長は半分冗談で書いてるだろうとも思うんだけど。非モテが忠実に信じて実行に移したらと思うとちょっと不安

たとえば

・昔付き合ってた彼氏に無理やりヤられそうになり、それが原因で生理的に嫌いになった(セックストリガー失敗)。

・それが今もトラウマで人を本気に好きになる気持ちわからない。

・その後も付き合う人がいたが、セックスが怖くてした事がない。相手には悪いと思ったけど。

・でも今は25だし、処女なんかはおかしいしなんとかしたい。

(と言ってる女に対して)

(1) 食いつきがイマイチ足らないのは、Aフェーズ、Cフェーズ愛情ワクチン(又はそれ以外?)何の不足なのでしょうか?

(2) セックストラウマある(と言ってる)人への崩し方は普段と同じでよろしいでしょうか?

(という質問への回答が)

話は変わるんですけど、僕はこの「トラウマ」という言葉はいつもうさんくさいものだと思っています

インチキ精神分析でも、たとえば成金を幼少期の劣等感トラウマになって努力する強迫観念を持つようになったとか言えば何でも説明できるような気がしますし、サスペンス小説でも犯人狂気に走り出すときの便利なワードとして登場人物の昔のトラウマが出てくるんですよね。

学者でも作家でも文章情報を売るのが仕事だったら、このトラウマというのは「心の闇」とか「社会の歪」みたいなダメ表現だと思いますね。

ところで、その彼女ですけど、次回にアポれたら、いつもどおりのプレイ大丈夫ですよ。

だったり(これ、マジでトラウマだったら女が死ぬんじゃないか?)

同じ部屋のベッドで横になっている時点で、カラダはOKなんです。

しかし様々な要因が作用し、女性は「さぁ、しましょ。」とは口に出しません。

必ず「今日はやめましょ。」「寝ようよ。」「まだ出会ったばかりじゃない。」という言葉を口にします。

しかし、カラダはOKなんです。

密室のベッドに二人きりという時点で。

ここで行為を辞めてしまうのは、彼女のカラダに失礼。

けど、ムリヤリするのは言葉に失礼だし、下手したら犯罪になってしまます

(に対して)

恋愛工学ユーザーサウザー氏の言葉(第139号)を借りれば、建前さんと雌豚さんなんですよね。

非常に理に適った方法論だと思います

と言ってたりする。こういう部分で恋愛工学無駄批判されるのは不本意なので、なんとかしてくれないかなー。

2015-03-01

http://anond.hatelabo.jp/20150301120646

ざっと読んだ感じだと、その同僚さんは増田とそこそこ仲良くしたいけれど、うかつなことを言って増田に嫌われたくないという気持ちの方が強いのかな。対応を誤ったなと思ったら、傷口が広がらないようにそれ以上キャッチボールを続けない。なんというか防御力の低い防御タイプ

こういう人は相手の言動をネガティブに受け取ることが多いので、

「謝らなくてもいいよ、私がすごい怖い人みたいじゃん」

これなんてのは、普通の人なら「私はそのくらいで怒るような怖い人ではないので、謝らなくていいよ」と受け取るが、

たぶんその人は「なんで謝るの? 私がすごく怖い人だと思っているの?」といった風に受け取ってしまう。

「私がすごい怖い人みたいじゃん」に含まれた軽い非難の気持ちを、必要以上に増幅して、勝手ダメージを受けてしまう。

素人による安っぽい精神分析はこの辺にしておいて、じゃあ具体的にどうすればいいかと言えば、

  • ネガティブ言葉で会話を締めない。上記の場合は「私がすごい怖い人みたいじゃん。そのくらいで謝らなくてもいいよ」といった具合に順番を変えるだけでも違ってくる。
  • 好悪など感情に根差す部分での同意を求めない。「あの芸能人かっこいいよね」はNG。「あの芸能人かっこいいな。○○さんは誰が好き?」ならOK。
  • 個人的な好みの問題については、相手の意見に対して別意見を言ったとしても、否定はしない。「うっそー」や「えええ~」でも多分ダメージを受けてる。そういう考えもあるのね、程度で流す。あるいは相手の好きなポイントについて、聞き手に回る。

2014-07-27

http://anond.hatelabo.jp/20140727203003

dsmV等に基づいて診断します。補助的に操作的診断法を用いる場合もあります

でもそれ、単にペーパーテストバカ度を図るのと何も変わらないよね?

んで、診断したところでどうにもならんよね?

日本語意味不明ですが。医師の診断に基づく治療には無治療群に比べて有意に予後が良い、というエビデンスがあります

エビデンス意味ワカって使ってる?なんで「エビデンス」なの?日本語でおk,なんだけど。

あと、無治療群、ってどうやって母集団見つけてきてるの?

そもそも医師の所に来る時点でかなりバイアスかかった集団だわね?

その辺、どのような「エビデンス」ありますか?ないですか?

無駄な説明はしませんが治療します。限られた時間内でのベストストラテジーです。

それが現在医療現場での「ベストストラテジー」って誰が決めたの?

病気の説明をすることは医者としての大きな役割の1つだと思うが。

精神病患者バカからはなししても無駄、と決めつけているというならあれだが。

精神分析カウンセリングは違います

いや、だからカウンセリングの話をしたんだが。

最初増田カウンセリングについても言及してるから

最初から相手を否定することだけ考えてるからそうやってきちんと読めないんだよ。

http://anond.hatelabo.jp/20140727195641

それが精神科医仕事です

医者である必要あるの?どんな根拠を持って「病気」と判定するの?

馬鹿には説明しても無駄ですので、無駄な事はしません。

まり精神科にくるバカはただ金を落とせばいいんだ、良くなるとか考えるなクズ共、ってこと?

エビデンスありません。

根拠なく何をもって病気だというわけ?食べ物だけに関することを言ってるの?

でも、そもそも「病気」と判定する根拠ってその「食べ物にはエビデンスがありません」っていうのと違うと言い切れるだけの根拠あるの?

そういう時代遅れ精神分析一部の人を除いて普通やりません。

精神科お仕事ではないかもしれんがカウンセリングでは常套手段だと思うが?

2014-07-19

朝日のクソ記事

http://www.asahi.com/articles/DA3S11251769.html

ワールドカップはおろか、サッカーに関する記事のなかでこれほどまでに無知蒙昧、盲目的外れのくせに上から目線な記事は初めて読んだ。

全文を読む為には登録しなきゃいけないところをみると炎上商法か?

以下、興味ある方向けに全文をコピペします。こんなクソ記事読むために登録なんて誰がするか、誰がさせるかクソ朝日

=====

サッカーワールドカップW杯ブラジル大会が終了した。熱戦続きだったが、「なぜ、開催国ブラジルドイツに7点も奪われたのか」「なぜ、日本代表はまったく精彩を欠いていたのか」など、さまざまな謎も残った。映画評論と共に、斬新な視点からスポーツ評論でも知られる蓮實重彦さんに、謎解きをお願いした。

 ――今回のW杯特に決勝トーナメントに入ってからは、一部の試合を除き、なかなか点の入らない展開が目立ちました。素人が見てもワクワクするような試合もっとやって欲しかった、という思いもあります

 「国民や国の期待を背負うと、どれほどスポーツスポーツ以外のものに変化していくか。それを見せつけられた何とも陰惨なW杯でした。サッカーとは本来ゲーム』であり、運動することの爽快感や驚きが原点のはずですが、W杯は命懸けの『真剣勝負』に見えてしまう。お互いもう少しリラックスしなければ、やっている選手おもしろいはずがないし、見ている側も楽しめない」

 ――なぜ、真剣勝負だとつまらない試合になるのですか。

 「『ゲーム』ではなくなるからです。ましてや負けないための真剣勝負など、見ていて興奮するはずもない。前回2010年の南アフリカW杯で、日本代表岡田武史監督大会直前、徹底的に防御を重視した『負けないサッカー』へと泥縄的に方針転換しました。確かにそれで1次リーグ突破できましたが、『1点でも奪おう』というサッカー本来精神からは、ほど遠いコンセプトだった。今回3位になったオランダ代表は、まあ前線ファンペルシーやロッベンいるからでしょうが、5バックというさらに防御重視の戦術で、まるで『岡田ジャパンのなれの果て』のようにさえ見えました」

 「勝ち上がるのを最優先すれば、どうしても『岡田化』が進む。今後はさらに防御重視の傾向が強まるでしょう。しかし、サッカーはどちらかが防御に徹すると、ゲーム自体が成立しなくなる。日本ギリシャ戦はその典型です。運動の快さを放棄してまで、国が期待する勝利にこだわる。そんな『スポーツの死』には付き合いたくない。W杯はそろそろ限界だ、とつくづく思いました」

 「国を背負うとどこか血生臭さも出てきます。その一例が、コロンビア選手ブラジルネイマール背中にひざを入れ、骨折させた場面です。故意かどうかという問題ではなく、国のために死にものぐるいでプレーすると、ああいうことが起きてしまう。他にもずいぶん負傷して血を流している選手がいました。観客の皆さんは、あの血生臭さにもう慣れてしまったのでしょうが

――日本代表はどうでしたか

 「ザッケローニ監督は、日本サッカーのためにある程度までうまくやったと思います岡田監督とは違い、前々代表監督イビチャ・オシムが作った流れを壊さなかった。私はオシムが率いていた時代ジェフ市原(現・千葉)の、攻守にわたり選手たちがダイナミックに動くプレーを見て、日本でもサッカーが見られるんだという喜びを感じました。ザッケローニにも『みんなが走り、気持ちよくサッカーをしないと意味がない』という姿勢があった」

 「問題はそれを十分に実現できなかった選手の方です。私は前回の日本代表について、岡田監督の急な戦術変更にもかかわらず、選手たちの『運動する知性』が想像以上に高かった、と評しました。選手たちが無言のうちに素晴らしい連係を達成したり、味方をも欺くようなはっとさせる動きを発想したりする知性のことです。前回は、松井大輔からそういうトリッキーな動き方を感じたのですが、今回はみんながまじめすぎた。少なくとも大久保は、もっと不まじめでもよかったのではないか。市原オシムに鍛えられた前代表阿部勇樹のように、『失点のリスクをつぶす責任はオレが負うから、君たちは好きにやれ』という人もいなかった。知的な面では退化していた、と言わざるを得ない。それでも、岡田サッカーで勝つよりも、ああいう負け方の方が日本未来にはよいことだと思います

 ――本田の「目標は優勝」という言葉とは、かけ離れた結果でした。

 「本田の発言の真意は分かりませんが、多分『そうでも言わなければやってられない』という思いがあったのではないか。『オレたちはどこまで伸びられるのか』ということを意識的に試そうとしている選手が、彼以外にはあまり見あたらなかった。そんな仲間たちを鼓舞しなくてはいけない、と思ったのでしょう。ただ、本田自身も、勝利へのこだわりが動きの柔軟さを奪っていたような気がします。それでも1点を取り、1点をアシストした。彼が日本代表の最低限の名誉を守りました」

 ――誰もが国を背負い、勝利にこだわりすぎたW杯だった、と。

 「サッカーの魅力は『うそのように思いがけないことが、ピッチで起こる瞬間を目撃すること』ですが、今回それを味わわせてくれたのは、オランダスペイン戦におけるファンペルシーのヘディングシュートだけでした。決勝戦でのドイツゲッツェシュートは確かにみごとでしたが、ああいう場面で輝くのは真のスターでなくてはならず、まだスター予備軍のゲッツェが決めても、私たちを驚かせることはできません」

 「1カ月も大会を続けていれば、その間に必ず愉快でおちゃめな選手が出てくるものですが、今回はそれも不在でした。唯一、相手選手にかみついたウルグアイスアレスには一種のかわいげを感じましたが、おちゃめと言えるかどうか。02年の日韓W杯で、ブラジルロナウドが前髪だけ三角形にそり残した奇抜な髪形でプレーし、優勝トロフィーさらってしまった。そういう『変な人がおちゃめをしながら勝つ』という楽しさもなく、みんなが必要以上に本気になってしまった」

 「一方で『見たことを一刻も早く忘れたい』という瞬間が多すぎました。世界最高GKの1人、スペインカシリャスオランダ戦で5失点した。彼があんなによれよれで崩れてしまう、という場面は決して見たくなかった。ポルトガルの対ドイツ戦での惨敗にも目を背けたくなりましたが、極め付きはやはり準決勝ドイツブラジル戦です」

――ブラジルが7失点。目を疑いました。

 「あれはもうサッカーではない。ドイツが7点も取ってしまったことは、果たして成功なのか。もちろん、勝利したという点では成功なのですが、『サッカーサッカーではないものにしてしまった』という点においては、醜い失敗だったとしか思えません。誰かがドイツ代表精神分析をやらなくてはいけない。どこまで点が取れるのか、面白いからやってみよう、というぐらいの気持ちになっていたと思うのですが、どう見ても7点も取ってはいけない。何かが壊れるし、人の道から外れているとしか思えない」

 「サッカーから運動の喜びを奪うW杯という枠組みが、選手たちの精神ゲームのものを、いかに異様なものにしてしまっているか。それを象徴する試合でした。サッカーは死んだ、と思いました。前回のW杯でも、国を背負うことの問題は至る所に現れていましたが、それでも決勝、準決勝は緊張感のあるいい試合でした。それが今回のW杯では、なくなった。次回のW杯まで私が生きているかどうか分かりませんが、確実なのは『もう、徹夜をしてまでは絶対に見ない』ということです」

    ■     ■

 ――W杯サッカーの喜びを取り戻すことは可能でしょうか。

 「実は今回のW杯では、二十数年ぶりに心から応援するチームがありました。ボスニア・ヘルツェゴビナ代表です。1914年に同国の首都サラエボで起きたオーストリア皇太子暗殺事件が、第1次世界大戦の引き金になった。それから100年。20年近く前まで殺し合っていた三つの民族が、オシムの尽力で一つのチームを作り、W杯に参加した。これはもう、応援するしかない」

 「最初の対アルゼンチン戦で、敗れはしましたが、イビシェビッチがチーム初得点を決めた時には、わがことのように泣きましたね。最後イラン戦で初勝利した時にはまさに『オシムサッカー』という感じの躍動感にあふれた闘いぶりで、その華々しさにまたも涙しました。この年になって真夜中に何をやっているんだろう、とも思いましたが」

 ――蓮實さんは、スポーツ世界に、スポーツ外の浪花節的な物語を持ち込むことを嫌っていたのではなかったですか。

 「いや、これは私個人ではなく、人類問題なのです。サラエボ事件100年ですよ! そこから来ている代表民族対立を乗り越え、W杯で初勝利した。その奇跡を、日本関係の深いオシムが実現させたことを、心から祝福するべきなのです。そしてボスニア・ヘルツェゴビナオシム流のサッカーさら継承し、将来のW杯で魅力あふれる運動感をピッチに行き渡らせる。これは私のロマンチックな願望です。そうなれば、W杯をまた熱心に見ることになるかもしれませんね」

 (聞き手・太田啓之、金重秀幸)

    *

 はすみしげひこ 1936年生まれ。東京大教授教養学部長、総長歴任。著書「『ボヴァリー夫人』論」「表層批評宣言」「スポーツ批評宣言」など多数。

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