はてなキーワード: 樫村愛子とは
あっ こういう言及もされていたところを見落としていた。
筆者が現代社会に存在する主体・客体と精神分析の概念を対応付けて、概念間の類似を説こうとしているとみられ、ここから近代社会の合理性が下層階級を抑圧する状況をノイローゼかなんかにたとえ批判を試みようとする筆者の主張が推測できる。
「疎外される存在/連帯する存在」の対立をもとに様々な概念を対応付けて類似性を説こうとしている、なら分かります。
また「下層階級を抑圧する状況をノイローゼかなんかに対応させ」ってどこから読み取ったんですか?
あなたが意図的に無内容とされているところで別の側面も取り上げてみますね。
・無意識(エス)
≒社会的あるいは象徴的に交換されなかった大文字の他者の語らい
≒自己幻想の世界≒無条件の連帯の肯定も平等も存在しない共同体で自己愛を過剰に傷つけられ自己認識が悪くなった存在=承認の供給不足にある存在
≒権力者側の情報ネットワークからヨソモノとして外されている存在
≒スケープゴート≒異人≒リンチの対象≒排除された後も外での動きも捉えられる存在≒誇大自己を持った者の自尊心の基盤
≒暴言連発したり失礼な言葉を吐いても責任をとらされる事なく看過される対象
≒パノプティコン的な匿名の不可視の視線の下で見世物化された監視付き生活を強制されている存在≒近代社会の合理的理性を自称する存在による抑圧的意志の対象
フロイトの無意識と岸田秀のエスと吉本隆明の自己幻想とルネ・ジラールのスケープゴートと民俗学の異人概念の関係を、まとめて書いた人を見た事がない。
それと仕返しを招くような親密な共同体の絆が欠けている存在に対しては暴言連発したり失礼な言葉を吐いても責任をとらされる事なく看過されがちである事、それらの現実的な現象を具体的事例をあげて(たとえば自らの体験と関連付けて)書いている人も見た事もない。それとフーコーのいうパノプティコン的な見世物化された監視付生活を強制されている存在と警察権力の関係を、はっきり書いている人を見た事もない。そうした待遇を強制されている存在がいる事で象徴秩序が安定するという話を具体的事例と関連付けて明確に書いた人も見た事がない。
だから私は(私のようなパンピーくんの触れれる範囲の情報源では)先例のない事を書こうとしているところがあるという事です。
≒「象徴的他者」の位置より一段下の、原始的な対象の位置(想像的なもの、性的慰安の対象)に留めおこうとされた「想像的他者」。ラカンは「対象a」とよぶ。転移を拒否された患者が、分析家をおく場所も、この「対象a」としての場所である。この関係は、相手に社会的な幻想を抱いていた転移の局面と比べてはるかに不安定で、患者の攻撃性が分析家に向け、容易に発動しやすい状態(これは樫村愛子「ラカン派社会学入門」からのそのままの引用が多くを含まれており、対象aだけ抜き出した部分との関連が付けがうまくできていない。全てをわかり易く統一的に書いている本も読んだ事がない)
≒他者から尊重されたり対等な存在としてメッセージを交換する「人間」の壇上に上げないように弾圧される<生ける死者>といった世界
≒「傷つけられる」という条件により発動した摸倣欲望
また「影」に関しては、村上春樹が小説内で繰り返し出している概念で、「掟の門」はカフカの有名な短編で思想的に言及価値のあるとされるものですが。
それらをまとめて精神分析や現代思想の用語で語っているのなんてどの先生の本でも見た事がないのですが。
他者から尊重され対等な存在としてメッセージを交換する立場になく、非人間的に表現された他者からの暴力誘発性を帯びた存在と、心理的に傷つけられるという条件により発動する模倣欲望の関係を深く語っているのも、日本の学者では私のようなパンピーくんの触れる事ができる可能な範囲ではほとんど見ないのですが。
宮台真司はミメーシスという概念をいつ頃だかか頻繁に使うようになったけど、「心理的に傷つけられた事により生じる模倣欲望」という意味で使っているのは見た事がない。
≒マスコミやカタログ文化でつくり出された美化・理想化された自己イメージ
≒自己の統一を預けることのできるような相手を探してさまよう、鏡像としての他者の中への囚われの関係
≒魅力を持った生に変わらなければならない場であり、魅力による上下関係や差別や排除がある世界
≒魅力の低い者が客観的な理屈として正しいと思って主張した事も認められない世界
≒魅力の高い者が客観的な理屈として間違っている事を主張しても容認される世界
≒目に見えない効力をもつ法としての場の空気や人間関係の網の目に支配された世界
≒労働や勉強で生産的な成果を挙げ社会的に評価される事が美徳であるとされる世界
ここからは美男美女が多い芸能人さんたちやファッション誌を飾るモデルさんの世界も自我理想の範囲に入る対象となる事が分かると思います。
•超自我
≒誇大自己に執着した存在=他者を非人間的に判断したりする存在=モラルのない世界
≒集団の「エス」や「小文字の他者a」の位置にある存在を徹底マークして情報を「大文字の他者A」の位置にある存在に流している存在
≒植民地主義の国家、民族差別を容認する国家、人権侵害を推奨する国家、死刑を支持する国家、同じ国民の中に棄民を作り出す国家
集団の「エス」をリンチする事に日本が国家レベル加担している事を思想書から得た発想で語ろうとしていますが、それを語っている先生の存在も見た事がないです。
•対象a
≒現実の領域は対象aの除去の上になりたっているが、それにもかかわらず対象aが現実の領域を枠どっている
≒リンチのメカニズムにより歪められた表現を被害者よりに修正した回顧的な文章を書く暴力行為を告発する探偵
≒まなざし
これも統一的に語っている日本の先生は見た事のない事を語ろうとしているのが理解できると思います。
なんか思想的に意味のあるところをごっそり切り落として対応せず、自分の立場に都合のいい所だけを提示して、形式と演出だけ知的な雰囲気を醸し出した内容の乏しい書き込みをするのはやめていただきたいですね。