はてなキーワード: 王座とは
「AIっぽい文章って、確かにあたくしも時々見かけるわ。でも、どうして“AIっぽい”って感じるのかしらね?無駄に接続詞が多いとか、最後に薄っぺらい結論で締めくくられるとか…?」
「おおおっ、それはまさしく!“それっぽさ”の問題じゃよ、アリス嬢!例えばね、わがはいの帽子が毎日同じ形だとしたら、誰も『ああ、今日もマッドハッターは正常だな』なんて思わぬじゃろう?つまり、“変わらなさ”が不気味さを生むのだよ!」
「にゃはは、それは“AI帽子”をかぶってるみたいなものにゃ。“接続詞多すぎ症候群”なんていう病気があるなら、AIがすでに感染しているのかもにゃ。まるで、一つの文章が終わる前にもう次の文章に迷い込んでる感じがするにゃ」
「お、およよよ!それじゃ、文章がまるで無限お茶会のように続くということですな!終わりが見えないのに結論が出たと見せかけて、実はまだ次の接続詞が待ち構えておるでおじゃる!」
「そういえば、AIの文章って、“考えている”というよりは、“答えを並べ立てている”ように感じるわ。最初から全部分かってるみたいで、だからこそ逆に“わざとらしい”のかもしれないわね」
「ふん!そんな薄っぺらい結論など、あたしに書いたなら即座に首をはねよ!文章とはね、もっと威厳と説得力が必要なのだ!…とは言え、もしAIが女王風の命令を発するようになったら、そいつはただの機械じゃなくて、次期王座のライバルかもしれぬな!」
「いやいや、女王様、そういうのを考えるだけ無駄ってもんさ。“AIっぽさ”はね、たとえるならうさぎの耳が垂れているのに、実は上向きになっているような感覚なんだ。ん?どういう意味かって?それはわたしにも分からないさ!」
「接続詞がどうとか…段落がどうとか…そんなの関係ない…とにかく眠いんだ…結論がどうでも、お茶があればいいんだ…Zzz…」
「結局、“AIっぽさ”なんてものは、読む側の先入観で決まるのかもしれないわね。あたくしたちの会話だって、AIが聞けばどう思うのかしら?」
「にゃはは、アリス。それを聞くためにはAIを“聞き手”として招かなきゃいけないにゃ。でも、そのAIも、また別のAIっぽい文章を生成して答えるだけにゃろうね。つまり、それ自体が一種のパラドックスにゃ…」
「おお、まさに“終わりなきお茶会”だ!つまり、この会話自体がAIっぽい文章かもしれないと気づいたとき…わがはいの帽子が自動的に飛び跳ねるのだよ!」
試合の内容の是非というよりは、後世に残した影響の強さを重視して選出しました。
『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』でもお馴染みだが「プロレスとは何か」を深淵の底に落とした試合である。この試合の真実に関しては諸説あるが、ともかく力道山が木村をシュートで潰したことは単純に眼前の事実である。「プロレスとは八百長ではなかったのか?」日本プロレス史における「プロレスとは何か」という問いへの解答がこの一戦で全て分からなくなってしまい、今もその謎が解けたとは言い難い。また、当時のプロレス界は柔道出身が多かったものの、木村がこのような形で潰されたため、もし木村が勝っていたら今のプロレス界は柔道の系譜がもっと強くなってまるで違う別物に変わっていた可能性が高い。当時の日本の強さの象徴といえば柔道であり、その柔道をプロレスが上回ったのだから当時の衝撃たるや、である。少なくとも逆水平チョップという技がこれほどスタンダードな技として使われる(アメリカなどはナックルが主流)のは間違いなく力道山の影響だろう。
言わずとしれた世紀の凡戦であるが「猪木・アリ状態」が発生しただけでこの試合は人類史に残す価値のある試合である。この辺はあらかた語り尽くされているので多くは書かない。また、試合を実現させる猪木マジックとも呼ぶべき「巻き込み力」はエネルギッシュだった昭和の世相を反映していると言えよう。
初代のタイガーマスクがデビューした試合で、今見ても全く色褪せない。漫画のキャラクターが実現するメディアミックスという手法も新しかったが、マスクを被った佐山の才能は20年ほど時代を先取りしていた。四次元殺法とも評されたその戦いぶりは軽量級レスラーに偉大な影響を残した。
選手としてはピークを過ぎて会社内での立場も危うくなってきた馬場が、自身のレスラー生命の生き残りを懸けて行われた一戦。ハンセンはこの当時、選手として全盛期であったため馬場は殺されてしまうのではとさえ言われていたが、試合開始直後に放った16文キックがクリーンヒットし、会場の空気が一気に馬場一色となった。この試合は引き分けという不透明決着に終わるも、馬場はその人気再沸騰で会社内でのイニシアチブを取り戻すこととなる。レスラーはリング上でこそ輝きを取り戻すという、レスラーの原点を示した一戦。個人的には倒れているハンセンの左腕をガッツリ踏み潰すキラー馬場が滲み出た瞬間が一番アツい。
公私ともに何もかも上手くいかず、自暴自棄になっていた時期の猪木が行った一戦(元々の発案者は藤波であったとも言われているが、なぜか猪木がやることに)。猪木と巌流島に立てられたリング上で時間無制限、ノールール、レフェリー無し、無観客試合という前代未聞の試合に付き合えるのはマサ斎藤くらいしかいなかった。後年、この試合を振り返るマサ斎藤のインタビューがあるのでこちらも読んで欲しい(https://number.bunshun.jp/articles/-/842688)。試合は2時間を過ぎたところでマサ斎藤が裸絞めで失神し、猪木が勝利した。観客を排して一切のしがらみを捨て、レスラーが純粋に二人のためだけに試合をしたらどうなるのか、という後年でも見られない極めて前衛的な試合になったと言える。
プロレスを守るためにプロレスをした武藤と、プロレスを強くするためにシューティングをした高田の一騎打ち。新日本とUWFインターの対抗戦として行われたこの興行のメインイベントは、新日本4勝、UWFインター3勝で迎えられた。高田としてはこの試合に勝てば4勝4敗で終われるが、この試合に武藤の保持するIWGP王座がかかっていたため、4勝4敗でもベルトが動いた分UWFの方が上を取れるという状況であった。お互いのスタイルをお互いが貫き合い、武藤の持つドラゴンスクリューという極めてプロレス的な技が、高田の多用するキックへのカウンターとして機能することが勝敗を分けた。最後も足4の字固めというプロレスを代表する固め技で武藤がギブアップを奪った。戦いのスタイルが全く違っても、そのスタイルを両者がいかに主張できるかで試合は面白くなる、ということを示した貴重な一戦。
橋本の1勝3敗で背水の陣を敷くべく「負けたら即引退」を掲げて小川へのリベンジを臨んだ一戦。この二人のシングルマッチで一番面白いのはやはりこの5戦目である。橋本はジャンピングエルボーを炸裂させて小川の肩を脱臼させるも、その後の三角絞めで腕を取った際に外れた肩を偶然嵌めてしまうという珍事も小川に味方し、最終的には小川がSTOの連発で橋本をKOした。完敗した橋本は本当に引退するも、折り鶴兄弟(詳細は省略)の助力もあり復帰。最終的には小川とタッグチームを組み、親友となった。戦いの末に友情が生まれるというジャンプ漫画でありそうな展開は現実でも起こるという、プロレスにフェイク無しを魅せつけた一戦。
既に引退していた長州をなぜか大仁田がストーキングとも言える言動を繰り返すことで呼び戻すことに結果的に成功し、大仁田のお家芸である電流爆破デスマッチが実現した。プロレスは「ネバー・セイ・ネバー」(絶対に無いということは絶対に無い)という矛盾を孕んだ言葉のまやかしを大仁田の執念が証明してみせた一戦。試合は長州の勝利。なお、この大仁田が長州へしつこく対戦を要求する様子は当時のプロレス番組で放映されており、それをレポートする真鍋アナウンサーとのやり取りも「大仁田劇場」として注目された。最初は大仁田からの理不尽な扱いに「サラリーマンって大変だなぁ」とファンに同情されていたほどだったが、最終的に真鍋は大仁田へ「電流爆破、見たいです!」と直言するまで成長し、この試合の実況も大仁田に傾倒する内容で行った。
2000年はプロレス界激動の年だった。6月に全日本プロレスから選手がクーデター同然に大量離脱し、残った選手は川田利明と渕正信の2名だけとなった。全日本はなんとかして起死回生を図らなければならず、鎖国状態にあった同じ老舗団体である新日本プロレスとの交流に活路を見出した。8月11日、渕がスーツ姿で新日本のリングへ上がり「(鎖国状態にあった)壁をぶち破りに来ました」と話し、新日本の現場監督である長州力と固い握手を交わしたところへ抗議しに現れたのが蝶野だった。乱闘をしかけようと興奮する蝶野だったが、渕は冷静に受け流し、蝶野が落とした帽子を「蝶野、忘れ物だ!」と帰ろうとする蝶野へ投げつけるシーンが完全にプロレスファンの心を掴んだ。これを受けて行われたのが全日本のリングでの二人のシングルマッチである。結果は蝶野の勝利であったが、全盛期をとうに過ぎた渕が堂々とした態度とマイクで第一線を張ったおかげで全日本は辛うじて生き残ることができた。いつ誰がどんな形で主役を張らなければならないかは分からない、運命の数奇というものがプロレスにはあり、渕は突如訪れたその大役を果たすことができたから今も全日本という団体は存続している。
一方、全日本プロレスを大量離脱した選手たちによって旗揚げされたプロレスリング・ノアは、旗揚げして1年足らずで日本テレビの中継がつき、ほどなくして日本武道館興行が行われるなど、ハッキリ言って順風満帆だった。試合のクオリティも高く、当時の2ch・プロレス板で「ノアだけはガチ」というフレーズも生まれた。この試合で三沢は小橋を花道から場外マットへタイガースープレックスで投げ飛ばすという荒業を敢行。実況していたアナウンサーが「死んでしまう!」と絶叫した。しかし最後は小橋がバーニングハンマーを繰り出して逆転勝利。ベルトの価値、そして団体の価値というものをどうやって高めるのか、を方舟に乗ったレスラーが探し求めて辿り着いたのがこの試合である。純プロ路線でありながらその究極系を突き詰めた結果という意味において、選出すべき試合であることは間違いない。
以下、選外
この当時、最も権威のあったNWAヘビー級ベルトを日本人で初めて戴冠した試合。
全日本プロレスで開催されたこの年の最強タッグリーグ戦の優勝決定戦で、ブロディの親友であるハンセンがセコンドに帯同。場外戦にもつれ込んだ際、ハンセンが試合にラリアートで介入し、ブロディ、スヌーカー組の優勝をアシストした。この暴挙に馬場が怒り狂い、試合終了後にハンセンと乱闘を繰り広げ、前述のシングルマッチへ発展する。
故意か事故か、川田が三沢に対して垂直落下式パワーボム(通称:三冠ボム)を敢行した試合。勝利した川田だったが、試合中に実は腕を骨折しており全治3ヶ月となった。
ハヤブサ(FMW)、新崎人生(みちのくプロレス)というインディー団体のレスラーでもメジャー団体のベルトを巻けることを証明した試合。この当時のインディー団体の立ち位置は非常に弱いもので、これを覆すのは至難の業だった。この両名はインディー団体の中でも頭2つ抜き出た存在で、全日本プロレスの至宝を獲得することに成功した。なお、このコンビは米マット界でも活躍しており、日本を代表するタッグチームと呼んで良い。
犬猿の仲となり、顔を合わせるのもNGであった二人のシングルマッチが、みちのくプロレス創立10周年という大舞台で実現。ホーム戦であったサスケが敗れ、試合後のマイクで弱音を吐いたところ、客席より「みちのくプロレス50年化計画はどうなるんだ!」という野次に勇気づけられ、顔を上げたサスケは「みちのくプロレスは永久に不滅です!」と改めて宣言した。客もまたプロレスを作り上げる1人であることを明示した試合である。
デスマッチの「やれるところまでやる」をやり切った試合。頭の中に引退がチラついていた葛西が後楽園ホールのバルコニー席からテーブルダイブ攻撃を浴びせるなど、デスマッチの限界を攻めた試合となった。30分1本勝負のところを29分45秒で葛西が勝利し、この年の週刊プロレス大賞ベストバウトを受賞した(デスマッチが受賞するのは極めて珍しい)。試合後のインタビューで葛西は現役続行を宣言したことから、デスマッチというジャンルにおいて次の時代への扉を開けたワンマッチであったと言えよう。
今もなお語り継がれる衝撃映像のアレだが、そもそも試合ではないことと、別に重要ではないため選外。
10選じゃなくて10戦にすればよかったなぁ。でも検索に引っかかりにくくなるからいいか。
・全日本プロレス軽視では?
⇒そういうつもりもなかったが、全日本は良くも悪くもプロレスというものを護ろうとして頑張っていた保守団体なので、地道な積み重ねをしていて変革が起きる瞬間というのが限られていたので仕方ない。逆に全日本があったから新日本はハチャメチャでも許されたのだと思ってるし、ハチャメチャし過ぎた結果、何度も会社ごとハチャメチャになりかけていた点をプロレスファンは忘れていない。選外には全日本が多いのでご容赦を。
⇒自分が最近の試合を追いきれていないのもあるが、どちらかといえば後年振り返ってみて「アレがあったからだよなぁ……」と思わされる要素があるかどうかで選出した。タイガーマスクがいなければ今のジュニア戦線はヘビーの焼き直しかルチャのマネごとレベルになっていた可能性もあるし、渕があそこで全日本を崖っぷちで踏みとどまらせたから後々の団体交流戦の活性化が生まれたのだと思う。歴史を紐解いた時に外せないかどうか、って感じ。例えば「猪木vsホーガン」みたいな試合は事件としてはとてつもなく大きなものだけど、じゃあアレが後年に何か影響を与えたかって言ったら、そういう種類の話ではないので。
・総合格闘技戦について
⇒自分も桜庭和志には胸熱した世代ではあるものの、さすがにPRIDEリングでの試合を選出するのは違うだろうと思った。そもそもアレは総合格闘技という競技をたまたまプロレスラーと柔術家がやっていただけである。桜庭が勝ったのはもちろん嬉しかったが「プロレスラーは強いんです」と言われたのは複雑で正直、気持ちとしては受け入れ難かった。それは桜庭個人が総合格闘技という競技に向かい合って努力した結果であって、プロレスラーというものに一般化してしまうのは危険なのでは……と思っていたら翌年、普通に永田がミルコに負けていた。
・女子プロレスは?
⇒女子は女子で深いジャンルなので、もうそこまで踏み込んじゃうと10選じゃ足りなくなるので恐くなって考えるのを止めました。そもそも女子はそこまで詳しくないので。というわけで、これを見ている増田! 書かないのか!? 今しかないぞ、俺達がやるのは!
・信彦じゃなくて延彦な
正直すまんかった、正直ポカした。
【速報追記】一力遼、優勝
いま日本の囲碁界で35年越しの偉業が成し遂げられるかもしれないのでも...の続報
おかげで、なんとあの後一力が二連勝して優勝まであと一勝というところまで来てしまった
◯8月12日 一力遼(25位 10.081)vs 謝科(16位 10.261)中国
◯8月14日 一力遼(25位 10.081)vs 謝科(16位 10.261)中国
9月8日 一力遼(25位 10.081)vs 謝科(16位 10.261)中国
9月10日 一力遼(25位 10.081)vs 謝科(16位 10.261)中国
9月12日 一力遼(25位 10.081)vs 謝科(16位 10.261)中国
これはもう優勝間違いなしだろう!
優勝をぜひ見届けてほしい
中盤でAI超えの一手を放ち形勢を突き放す。
内容的にはそのまま圧勝で終わるはずだったのだが応氏杯の特殊ルールに苦しめられ終わってみれば辛勝となった
特殊ルールというのは持ち時間が切れたら2目(2ポイント)相手に与えて持ち時間35分をもらえるというルールだ
最大3回まで罰点払いができる(つまり全部使い切ったら6目も損する)
普通の碁であれば完全に負けなところを相手はクソ粘りを見せて錯乱させ一力の時間を奪っていった
しかし一力は6目払い罰点を全て使い切った上で半目残した
二局目は一局目とは打って変わって終始劣勢だった
局面的にも劣勢だったが、時間でも圧倒的な差がついてしまい応氏杯ルール的にもう誰もが逆転は困難
この日は負けだと思っていた
右辺グズんだところに謝科は時間攻めの意味合いもあったのか軽率に受けてしまった
ところがこれが大失着
一力はこの局でもAIの気付かない手を放ち見事右辺を手にして時間切れの罰点を2回払っても勝てるほどの大差勝ちの大逆転勝利となった
改めて一力のプロフィールを記そう
子供の頃から数字が好きで電卓を叩くのに夢中になっていたところ祖父から囲碁を教えられる
特に早碁であるNHK杯の実績はすさまじく、10回出場中実に8回が準優勝以上、優勝4回という脅威の成績となっている。
第62回 準優勝(初出場)
第63回 2回戦敗退
第64回 準優勝
第65回 3回戦敗退
第66回 優勝
第67回 準優勝
第68回 優勝
第69回 優勝
第70回 準優勝
第71回 優勝
2017年、いずれもタイトルホルダーは井山である王座・天元・棋聖戦で挑戦者となり、
史上初の3棋戦連続同一カード「十七番勝負」が実現し情熱大陸も注目
しかし全ての番勝負で井山相手に1勝もできず10連敗を喫し情熱大陸のカメラの前で涙する。
2020年、6度目のタイトル挑戦で初タイトル碁聖位を獲得。(相手は羽根直樹)
仙台では一力のタイトル獲得を記念して白松が囲碁モナカが発売された。(現在も販売中)
近年の急成長はすさまじく日本ランキングは井山を抜いて1位になり、現在は棋聖・天元・本因坊、阿含桐山杯・NHK杯の三冠+二冠。
世界ランキングも25位に急上昇中だ。(もう一方のサイトではついにトップ10の8位にランクイン。)
日本勢の大会初優勝、日本人として27年ぶりの優勝をかけた、応氏杯決勝3戦目はついに明日8日🔟時30分から行われる
2021年12月 デイバエン戦 WBA/IBFバンタム級王座防衛戦 →「・・・」前回のただのタイトルマッチ
2022年6月 ドネア2戦 →「うおー!ドネアとの因縁の再戦!」「WBCを加えて3団体の統一だ!」
2022年6月 バトラー戦 →「うおー!とうとう4団体統一だ!」
2023年7月 フルトン戦 →「スーパーバンタムでも通用するのか!?」
2023年12月 タパレス戦 →「2回級連続での4団体統一いけるのか!?」
2023年5月 ネリ戦 →「(ちょいテンション下がるけど)山中の敵討だ!」「東京ドームやぞ!」
自分以外の周囲が破滅していて人生がしんどい。よく屍の山の上に王座があるイメージがあるけどあの死体が身近な人だとこんな感じの気分になるんだなって。
小さい頃から勉強はできたんだけど、このせいで周りの友達は親に自分と比べられて怒られてて(○○くんはあんなにできるのにみたいな)、いとこや兄弟もそんなんで気まずかった。友達いなかったから暇で勉強してただけだったのに……。
国立なら一人暮らしできたから、はやく家を抜け出したくて中高はたくさん勉強した。大学受験は第一志望結局受からなくて某有名大入れたけど、これはこれで辛い。親戚に持ち上げられるけどいや、うーんって感じ。自分が持ち上げられる時、持ち上げられない誰かがいるのだ。大学には上には上がいるし、自分は全然できる方ではないのはわかっていてもなんかこう、つらい。
こういうことの積み重ねでいわゆる普通のレールを外れてしまった兄弟を将来養わなきゃいけないのかなあとか思いながら生活している。
ヒスい親とか暗い兄弟とかマジで鬱なんだけど。金ないと不安だし家にいたくないからバイト鬼のように入れて自分を追い詰めるような生活をしている。なんのために生きてる?周りのキラキラ生活と比較しちゃって死にたくなるな。ジワジワと真綿で首を絞められている感覚がする。
自分以外の周囲が破滅していて人生がしんどい。よく屍の山の上に王座があるイメージがあるけどあの死体が身近な人だとこんな感じの気分になるんだなって。
小さい頃から勉強はできたんだけど、このせいで周りの友達は親に自分と比べられて怒られてて(○○くんはあんなにできるのにみたいな)、いとこや兄弟もそんなんで気まずかった。友達いなかったから暇で勉強してただけだったのに……。
国立なら一人暮らしできたから、はやく家を抜け出したくて中高はたくさん勉強した。大学受験は第一志望結局受からなくて某有名大入れたけど、これはこれで辛い。親戚に持ち上げられるけどいや、うーんって感じ。自分が持ち上げられる時、持ち上げられない誰かがいるのだ。大学には上には上がいるし、自分は全然できる方ではないのはわかっていてもなんかこう、つらい。
こういうことの積み重ねでいわゆる普通のレールを外れてしまった兄弟を将来養わなきゃいけないのかなあとか思いながら生活している。
ヒスい親とか暗い兄弟とかマジで鬱なんだけど。金ないと不安だし家にいたくないからバイト鬼のように入れて自分を追い詰めるような生活をしている。なんのために生きてる?周りのキラキラ生活と比較しちゃって死にたくなるな。ジワジワと真綿で首を絞められている感覚がする。
別に幽霊じゃなくてもいい、今の科学の説明の外にある現象……思念、怨念、呪い、妖怪
死者の怨念が現世に何か影響を与えると認識している、と言っていいのかどうか
「祟りは信じていない。しかし祟りを信じている人の信頼を損なうので祟られるような行為はしない。」というスタンスはありえる
「祟りは信じていない。しかし何か起きたときに祟りだと言われて面倒になるので祟られるような行為はしない。」というスタンスもありえる
では龍であればどうか
「池に石を投げる/泳ぐ/汚すと祟られる。龍神様が住む池だからだ。」という謂れがある池のタブーを信じるかどうか
実在を信じる人もいるかもしれないが、おそらく多くの現代人は龍神の実在を信じはしないけれどタブーも侵さないだろう
いや、これは本当に自信が無い
ルールだから何となく守るだけで深く考えていないという線もありえるし
シンプルに池を汚すのは良くないことだから、という認識があるので龍とか関係ないという話はもちろんあるだろう
これは例えば江戸時代や明治時代の史料を調べていて、祟りだとか龍を見たとかいう記述があったとして、それを文字通りに受け取っては不味い気がするという話
箱根以東の江戸側には野暮な人間と化け物はいない、という田舎をバカにする言い回し
これだって「化け物はいるかもしれないが江戸の周りにはいないよ」という含意があるのか
それとも「化け物なんてどこにもいないよ」という含意なのか
また、「郷とお化けは見たことがない」という言い回しも存在する
この言い回しはいつ頃の時代から言われたものなのか未調査なのだが……
南北朝時代の郷という刀工が作る刀には銘が無かったため、後の時代で無銘であるが郷だろうと言われるものしか存在しなかったらしい
そのため前述の「郷とお化けは見たことがない」というフレーズが出てきたようだ
こういう言い回しがある時点で当時既にお化けの実在は信じられていなかったのでは?と感じる
でもそんなこと言いながら地震が起きたら鯰絵が大流行するんだよ
お化けや妖怪は信じないのに地下の巨大ナマズは信じるのか?それとも信じていなかったけれどお話として楽しんでいたのか?
当時の人々にとってのリアリティがどのようなものか、を調べていきたい
江戸という都会だと例えば河童なんかはリアリティがなかったのかもしれない(未調査)
しかし、原理不明である地震には説明が求められたので大鯰が語られリアリティがあった?
竜巻あたりも同じ話だ
明治時代の錦絵に竜巻を眺める人々の様子を描いた「怪雲現る」と題されたものがある
貴重資料展示室050 市井の天候資料 - 国立天文台暦計算室
その絵には
怪雲現る 明治廿三年六月十八日午後三時半頃東天に當て黒雲現れ其中央より遥に地下に向て尾を曳き螺形に捲上げ動揺きて見へしハこれぞ謂る龍の昇ならん道行人は皆一時ハ立とゞまりて眺めけり
という文も添えられている
この文から当時の人が龍の実在を信じていたかどうか読み取ることが出来るだろうか
「(龍はおそらく実在しないけれど)いわゆる龍の昇天と呼ばれている現象だ」という文意なのか
あるいは「あれこそ龍が昇天するときの現象だ」という文意なのか
「龍の伝承,とくに東海地方の竜巻と台風について」という論文によると、
との記述がある
ユニコーンの話でいうとシェイクスピアの『テンペスト』の作中に
なんでも信じたくなる, 一角獣が実在することも,. アラビアには不死鳥の王座と呼ばれる樹があって,. いまもそこに一羽の不死鳥が君臨しているという話も。
というフレーズがあるようだ
だいぶ古い!
やっぱりかなり古い時代から疑ってはいたようだ、実在も不在も決定的な証拠が無かっただけで
グリフィンなんかはこれより少し後の時代に実在を否定する人が出てきたようだ(しかし実在派から反論を受けている)
『図説 世界の神獣・幻想動物:ファンタジーの誕生』(原書房) - 著者:ボリア・サックス 翻訳:大間知 知子 - ボリア・サックスによる本文抜粋 | 好きな書評家、読ませる書評。ALL REVIEWS
グリフィンの実在を否定した作家のトーマス・ブラウンに反論して、スコットランド人聖職者アンドリュー・ロスは17世紀半ばにこのように書いている。
グリフィンは想像上の生き物だと他の著述家が言ったとしても、彼らがそう言ったというだけでは、証明するには不十分である。なぜなら世界にはそのような多数の「混成された疑わしい」動物が存在するからである。アコスタ[スペインのイエズス会士で博物学者]は、一部はロバに、もう一部は羊に似たインディアン・パコス[ラマ]という動物について述べている。レリウス[フランスの探検家]はブラジルのタピルス[バク]について述べている。これはロバと未経産雌牛に似た動物である。その他に、飛ぶ猫や飛ぶ魚、キュノケファロスと呼ばれる犬の頭部を持つ猿のように、混成動物に関する多数の記録がある。コウモリは一部は鳥で、一部は獣である。
そうなんだよな、やっぱり不在証明って難しいんだわ
なお『図説 世界の神獣・幻想動物:ファンタジーの誕生』は買って読んでいる最中だがなかなか難解で読み進めるのが大変だ
こんなところか、いったん今の考えをまとめた結果
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オリンピックや野球中継やバラエティ番組なんかで芸能人・記者・アナウンサーが有名スポーツ選手に話を訊く場面はよくある。
youtubeにアップされたそうした場面の切り抜き動画のコメント欄は、実は結構頻繁に荒れている。
怒りの矛先はスポーツ選手ではなく、彼らと相対した者に対して必ず向けられている。
「『どんなお気持ちでしたか?』じゃねえよ。無礼すぎる!!!」
「バカマスコミが本当に何も勉強せずに質問してるのがよく分かりました」
一事が万事こんな調子で、なんてことない平和なインタビュー動画に因縁付けてキレてる人がたくさんいる。
有名スポーツ選手の相手側にこれといった粗相も非礼もなく、過剰反応でしかない。
仕事上当然聞かなければいけないお約束の質問を投げかけたり、笑顔を浮かべて朗らかに接したり、相手側のそういった全く問題のない言動や振る舞いを槍玉に上げてブチ切れまくっているという状態だ。
アスリートを天皇みたいに神聖視して、インタビューや対談や番組出演となったら「どこが失礼なの?なにが問題よ?」っていうようなことでタレントや記者を叩くのってメンタルヘルスの症状なの?
アスリートに笑いかけるだけでも、心境を尋ねるだけでも、打ち解けて盛り上がるだけでも不敬の極みに見えてしまうのは脳か精神に異常をきたしているとしか思えないんだが。
数年前に大坂なおみが四大大会初優勝したときも「優勝した大坂なおみにセレーナに関する質問ばかりするなんて無礼!」って批判が殺到したけど、あれ言ってた人達も相当頭おかしかったよなあと今も思う。
あんなもん世界的に注目されてる出来事で、しかも絶対王者セレーナがニューフェイスに完敗して王座を譲った試合なんだから、記者がセレーナにまつわる質問頻繁にするのは職務上当然だし。
ちなみに15歳未満は出場できないので仲邑菫(14)は選考外
なお仲邑菫のライバルである中国天才少女・呉依銘五段(16)と韓国天才少女・金恩持六段(16)は出場している
男子団体戦(9月29日~10月3日)一力、芝野、井山、関、佐田
キャプテン。めちゃ強い
兄は龍之介二段
他の棋戦では下のほうで負けたり強いのか弱いのかよくわからない人
アジア大会代表を決める戦いで伊田篤史とのドッペルゲンガー対決を制して代表に内定
スリッパを履いたまま家に帰ろうとする天然
終盤のヨセが正確
ハンマーパンチで相手の大石をまとめて撲殺して大勝を狙う豪快な棋風
見てて楽しい
https://www.youtube.com/watch?v=U2sRNUi-fLs
上野愛咲美の妹
最年少メンバー
Youtubeで解説ライブがないのが残念だが棋譜中継はここで見れる模様
https://jgof.or.jp/19th_asiangames_go/results/mi.php
現地速報X
https://twitter.com/kidowebnews
https://www.youtube.com/live/F-ivvkGlZ8U
台湾代表にはあの黒嘉嘉もいる
2023年の新日本プロレス「G1クライマックス」は内藤哲也の勝利で幕を閉じた。ファンの方は嬉しかったことだろう。
しかし、今回のG1は確実にある男が話題の中心に居続けたのは疑いようのない事実だ。
その名は清宮海斗。プロレスリングノアの若きエースといわれる男である。
今年1/21のオカダへの「蹴撃」から始まった清宮の行動は他団体のシングルリーグ戦出場へとつながって、リング内外で想定外の渦を巻き起こした。それが何を示しているのか。
まず、今回のG1への清宮参戦はどちらの希望だったろうか。これに関して私は新日本側の要請とみている。ここでの参戦が大きな話題になることは自明であり、チケット売上や専用アプリへの登録数を
増やせるいい機会である。ここで新日本側から感じるのは自団体の試合内容やレスラーへの自信だ。きっかけさえあればある程度以上の他団体ファンのとりこみが容易だと判断したのだろうと思う。
ノア側からみても清宮には良い経験になるし、知名度に劣り、参戦発表段階では新日本ファンからは諸手を挙げて歓迎されているわけでもない彼への「誤解」を解くいいタイミングでもある。
加えて若いとはいえ団体最高王座に2度(一度目は最年少記録での戴冠)就いた選手である。無碍な扱いをしないような話はあったろうし、そうでなければ送り出すようなこともないはずである。
しかし、ここから(おそらくどちらの団体からしても)想定外の事態が起こりまくった。
まず、新日本での発表時にファンから想像以上の歓迎を受けたことだ。おそらく新日本的にはブーイング半分の状況を想定していたのだと思う。それが想像以上の歓声とともに受け入れられたのだ。
次に新日サイドが目の当たりにしたのは、当初の予想や見積もりをはるかに超える技量をいかんなく発揮する清宮海斗のレスラーとしての能力だった。条件の厳しい(全くのアウェイ+一般的ではない20分一本勝負)中出る試合出る試合で、様々なタイプの対戦相手の特徴を引き出したうえでそれを超えてみせるという、清宮にとっては当たり前の、だが新日本サイドとしては予想だにしなかった状況を現出させたのだ。
その技量の突出の度合いが令和三銃士と名付け、なかで団体としては筆頭扱いであった辻陽太戦で現れた。この試合での清宮は普段の試合では見せない挑発的な技も駆使しつつ、最後は完勝としか言いようのない組み立ててで勝ってみせたが、現場やフロントはここまで技量差を見せられるとは思っていなかったろう。さらに海野翔太戦でも技量で圧倒しつつも海野の気の強さを存分に引き出して引き分けに持ち込んだ。さらに現IWGP世界ヘビー級王者SANADAとの試合でも試合をリードし、最後は時間ギリギリの敗北となったが、王者を差し置いて週刊誌の表紙にまでなってしまう状況となった。こうなればファンは正直である。新日本のファンが一目置くのは必定だ。
自団体の選手を差し置いて会場(=ファン)の信頼を次々に勝ち取っていく清宮を見て、新日本のフロントや現場は何を考えたろうか。その一端がゲイブ・キッド戦で現れたのではないか。
この試合、挑発的ヒールファイトをするスタイルに隠れているが、明確にゲイブは試合を壊しにかかっていたように見えた。清宮は最初受けるスタイルで修正を試みていたが、ある段階で完全に「これは違う」と判断したようだ。
セコンドも連れず、文字通り「単身」敵地に乗り込んでいる彼は試合そっちのけで自らと団体の尊厳を守る行動に出る。最低限の行動(眼球への攻撃や急所への打撃を行わない)は守りつつ立ち向かったのだ。ちなみに観客席で自らの頭を椅子で殴ってから相手に襲い掛かるという奇行ともいえる行為も、湧き上がる怒りを抑える行動とすれば納得もいく。清宮の突然の「試練」に対しても全く臆することなく、むしろ敢然と立ち向かう姿に、おそらくレスラー間で彼を見くびるものはいなくなったはずだ。
だが、一部の人間がそれを完全に脅威としてみたこともまた真実だろう。
私は、この試合を見たときに「これが<仕掛け>であるなら、予選突破はないのかもしれない」と思い始めた。普通に試合を行っても引き分けは当然あるわけだが、この引き分けはそういうものとは違うと見え感じたのだ。その後報道で清宮がスタッフを突き飛ばした、という記事が出た。普段は試合後でもそのような態度をとらない彼がとった行動はその内容が全く予想外であったことを示している。このあたりから、当初の思惑とは違う流れが起こっていたのではないか。
話は飛んで清宮は成田蓮戦で「まさかの」敗北を喫しあえなく予選落ち、となったが、翌日にノアの副社長を兼ねる丸藤正道がかなりセンシティブな内容のツイートを行った(https://twitter.com/noah_marufuji_/status/1687979081059762176?s=20)。真意は以前丸藤との対戦を希望した成田の勝利後に自身と対戦すると清宮のランクが下がってしまうということ、と言っているが、タイミングがタイミングなだけに鵜呑みにはできない。時系列の文脈からすれば成田の勝利を隠れ蓑にしてG1興行全体のピエロとして清宮を扱ったのはおかしい、という風に解釈するほうが無理がないからだ。丸藤の立場でこの発言をしたこと自体、新日本側に対するけん制の意味があるわけで、けん制せねばならない事案が起こっていたという推論にたどり着くことになる。
リーグ戦敗退後もG1興行に参戦を続けた清宮を待っていたのは、なんとほぼ第一試合でのタッグマッチ、というものだった。当初から決まっていたグレート・O・カーン&ジェフ・コブ戦はともかく、その後のマイキー・ニコルズ&藤田晃生、天山公吉&マスター・ワト、矢野通&オスカー・ロイベとの試合とあっては、いくら興行のハナが大事だといっても他団体のトップレスラーをあまりにもぞんざいに扱いすぎている。これはなぜだろうか?
私は準々決勝の組み合わせでAブロックの選手の相手を見たとき、ふと「ヒクレオのところにSANADAが、SANADAのところに清宮がいたほうがはるかに盛り上がったのではないか?」と感じた。これだと内藤がSANADAに勝利していたろうし(結果として優勝後の興行の流れもこのほうがスムーズだった。)、清宮とEVILの試合は相当に盛り上がったはずだ。しかもここで清宮が勝てば準決勝でオカダ戦ということになり、興行の盛り上がりは最高潮だったろう。
しかし、それこそが新日本側の最も恐れていたことではないか。清宮がG1興行の柱になってしまうのだ。この流れでオカダが清宮に勝っても決勝でその盛り上がりを上回ることができるか。決勝は内藤でもオスプレイでもそれは盛り上がるだろう。しかし、仮に清宮がそこまでの試合のようにベストマッチ連発の内容を見せていたらどうなるか。清宮の試合の積み重ねが新日側にあった「自団体の試合内容やレスラーへの自信」を揺るがせたのではないだろうか?
そうなれば最も安全なのは「観客の記憶の奥に清宮の存在を眠らせる」ことである。それはノア側の「想定外」だったろうことが丸藤の態度に表れている。
しかし、両団体にとって(良くも悪くも)更なる想定外は「G1によって清宮の支持が大きく広がった」ことではなかったか。
清宮敗退の報がネットに流れた際、新日本の方針を批判する発言が多く流れ、想像以上の数の新日本のファンがそれに賛同していたのは正直驚きだった。会場でも第一試合や第二試合の出場であっても大歓声で迎えられた。新日本側のレスラーたちの思いも天山戦後に天山自身が清宮を讃えた態度で伝わってきた。そしてなにより清宮本人が腐ることなくしっかりと試合を行いファンを裏切らなった。これこそ清宮が再三言っていた「ノアを広める」が具体的な形になった瞬間ではなかったか。
清宮は正式に使用技の伝授をされている関係から武藤敬司の影響が語られることが多いのだが、元は三沢光晴に憧れノアの門を叩いた生粋の「三沢チルドレン」である。ここまでの清宮の行動を見ればわかる通り、「レスラーは試合で魅せる」「いざとなったら筋を通す」「ファンを裏切らない」という三沢光晴の思想が彼のレスラーとしての行動に裏打ちされている。彼の恩師である小川良成の指導が大きく花開いた瞬間でもあったと思う。
さらに、清宮はあの若さにして日本プロレス発祥のプロレス技術の継承者としての側面を持っている。彼と新日本でタッグを組んだ大岩陵平は清宮にスカウトされる形でノアに留学となったが、すでにノア道場の道場主でもある清宮は指導者としての側面も期待されている。
子供が生まれたので早起きの習慣ができたことをきっかけに、日曜の特撮を見るようになった
10年以上ぶりに見たドンブラは確かにそこそこ面白かったが、あれはあれでなんか違う別個体のような印象なので感想はスルーしていた
ストーリー自体は5人の王様が登場し、それぞれの国を治めつつ強敵と立ち向かうという単純明快なもの。一人一人が自分の国と国民を最重視しているために目的が「敵の排除」ではないってのがいい感じだ。目的に合致しているのならば敵すら利用するし、その流れも悪くないと思う。今のところはギラが王権を奪うまでの第一章という感じだろうか。ここから王座を奪われたり新たな敵がでたり2000年前の真実が明らかになったりと、舞台設定が単純なゆえに何でもできそうでワクワクする。
登場人物もいい。なにより悪役が主人公サイドにいるのが斬新かつ楽しい。
物語的にはラクレスの暴虐ぶりが際立つけど、彼はむしろ不器用な面ばかりが目立っていているし、自分の欲求に素直すぎるというだけなのかもしれない。
逆にトウフの国王の方があっちについたりこっちについたりと浮気癖があって、ある種のヴィランだなって感じ。有能で策謀に秀でているが明確な利益を提示しないと敵に回る厄介な人間。だからといって排除も無理。いいキャラだよね。
しかし、一押しは断然総長。断然せりふ回しと行動が最高にかっこよい。
毎回かっこいいのに、今回の話では、まさかのシュゴッド達を科学ではなく精神面で奮い立たせるという立ち回りをしたのはぐっときた。彼の持ち味のテクノロジーの分野はそのままシュゴッドに通ずる部分であり、だれよりもシュゴッドを理解しているはずなのにだ。自身の武器を一時的にでも捨て去り、まさに神頼みでもするかのように言葉でシュゴッドを起こしたのは、総長のキャラがないと成立しない。彼がずっと「シュゴッドは機械だ」と言ってこなければこの場面は薄い話になっていただろう。
というか、ほんとそれ以外でも総長はかっこよすぎる。主人公のよき相棒であり理解者でありライバルでもあるってだけでも凄いのに、一人でも全部持って行っちゃうんだから
凄いのは王様たちだけじゃない。その従者や脇役がいい。
普通、従者が活躍する作品って本当に珍しくて、わかりやすいのはブリーチみたいなのだろう。あそこまでキャラ数多いが全員成立しているのは珍しいのだが、ニチアサでそれをやっているのがキングオージャーでもある。
一人一人の王様をサポートする側がきちんと仕事をこなしている。外観としても、ヒメノは執事で、リタは補佐官、カグラギは黒子などわかりやすい。そして彼らだけで登場してもきちんと物語が生める程度には個性がしっかりしている。一人一人が国にとって重要な立場であることが示唆されているからなんだよね。
あと、シュゴッダムにいる例のうるさいモブ男。彼は徹底的なモブで風見鶏だが、どっちを向いてしゃべっているかで物語を誰にでもわかるように整理している超重要なキャラでもある。
彼がいるおかげで緩急がつくし、視聴者にいまどうなっているかを端的に印象付けられている。なにより子供もわかる野次馬という存在はほんと大事だと思う。イラっとするかしないかの絶妙な塩梅も素晴らしい。